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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 

2023/10/30

ワイワイやるのと暴徒化するのは、まったく違う


 
ハロウィンに便乗した目立ちがり屋さんな暴徒のおかげで、近年、日本でもハロウィンにかこつけた迷惑行動は、とても問題になっています。
 
近年、日本でもハロウィンにかこつけた迷惑行動は、とても問題になっています。(2回目)
 
なので、ハロウィンの夜は、日本の渋谷、または近隣地区に仮装して繰り出して、大騒ぎしてもいいらしい、という情報は間違いです。
どうか、ご自身の情報を更新してください。
 
どういう問題になっているのか、とか、街のお店の人たちが苦渋の決断をしてまで、ハロウィンの週末と当日は渋谷には来ないでください、とまで言ってる理由、ハロウィンの週末、当日は、警察が多数出動している理由は、GoogleChromeで日本のニュース記事をよーくよーくお読みになっていただいて、そんなことになっていたのか・・・、と唖然としていただけると嬉しいです。
 
ハロウィンと一般人ということで、今日はその話をします。
 
ハロウィンが一般人にとってどうだったのか、というと、
80年代ごろは、
本場のハロウィン文化圏に近しい人たちと、
本当の意味で早耳の人たち、
聴いている音楽でハロウィンがお馴染みの文化層の人たち、
それとお洒落な人たちの1部が、
元々は、
子供と付き添いの人達が仮装して、ほのぼのとお菓子をもらってひっそりと楽しむものである、
という輸入のされ方をしたハロウィンを、
大人でも楽しめるやり方として、
自分たちの交友関係の範囲で内輪(うちわ 仲間内のこと)でパーティを開き、馴染みのお店のジョーク好きの店主さんの協力をあおいで、お店がハロウィンをやるなら、その夜はそこで仮装して集まろう。
という、そういう遊び方だったと記憶しています。
 
私はそれを、こういうジョーク精神をみんなでワイワイやるの楽しそうだなぁ、うらやましいなぁ、大人になったら絶対ハロウィンやるんだあ、と心に決めておりました。
 
さて、90年代になってからは、はりきってやっていた私も含めて、一般人の中でも、やる人はやる、というものに変わっていきました。
そして、ハロウィンの夜は、にぎやかな街のあちこちで、ハロウィンパーティでのちょっとした仮装を披露しながら、家路につく人、もう一軒行く人などがいて、徐々に徐々に、「ああ、あれハロウィンかぁ」と見かけた人も、見かけられた人も、ほのぼのしていました。
 
そこへ、コスプレ文化の台頭ということがあって、これはよく知らないんですけれど。
ただの、「ハロウィンだしさ、ちょっとやってみようよ」という仮装や、実は美大系の出身だったんだ、と思わぬカミングアウトにつながりもする、えらく力の入った仮装までがわんさか溢れ始めて、街によっては、ハロウィン仮装コンテストなどが開かれ始め、それを見に行く人もちょっぴり血まみれになったり、ちょっぴり背中に羽を生やしたり、なんか魔女の煮えたぎった鍋まで持って駆けつける、という、フザケた世界になっていきました。
 
そこへ、いやいやコスプレというのはこうあるものです。どこまでも本気でやります。という文化層が流れ込んで、2000年ごろには、ハロウィンのことを知らない人はあまりいないし、仮装は、なんだったらやりますよ? 本気でやりますけどね? という感じになっていった、というのが、知ったか込みの、私のハロウィン仮装認識です。
 
いつ頃から、問題となってしまったのか、そもそもなぜに渋谷なのか、ということは、調べていません。
気になる方は検索してみてください。
 
で、現在のハロウィンというものは、一般人では、お店もハロウィンイベントをやるところはやるので、ハロウィンの週末や夜にちょっと行って楽しむのもあるし、相変わらず内輪だけの、安心して集まれる人限定の、小さなパーティで仮装をして集まるというのも続いているだろう中、
ただ怒鳴りたい、
ただ暴れたい、
ただ露出が激しい女子の体を舐めるように見たい、
ただ酔っ払ってゴミや汚物を店の前に撒き散らして、
お店にとって大事な大事な看板を引き倒し、
街の人達が大事にしている植栽を折り、
花壇にガンガン飛び込んで、その辺りのちっちゃい子たちが一生懸命植えて育ててる花々を踏みつけ、
 
ウッヒョー!ハロウィンハロウィン!
何やっても無礼講ーっ!
という、とんだ目立ちたがり屋さん達が、すさまじい勘違いをして暴れる、ということになっているそうですね。
 
これは私個人の価値観と考えなんですけれど。
 
大人の遊びであった、ジョーク精神でうまく楽しむ、というのはどこかへ置いてけぼりになってしまって、何をやってもいいと暴れたい人達が、ここぞとばかりに、うさを晴らす勘違いが横行しているのは、きっと普段から暴徒になりたいと思ってるからなんでしょうね。
 
そういう暴徒になりたい人というのは、普段はその街でも、自分の家の近所で飲んだりもしていない、街や町での遊び方も、やり方も、暗黙のルールも、何も知らない人なんでしょうね。
 
だから、ハロウィンだけでもなく、ミュージシャンのライブ会場で、歌う直前の壇上のミュージシャンにギリギリまで近づき、大声をいきなり出して脅かしても、野次を飛ばしても、目立てるからいいんだ、と思っているし、
 
露出をしている女性や女子のことも、男に見せたいからそういう格好をしているんだ、だから触ってもいいんだ、という、旧石器時代に滅びた、時代錯誤極まりない価値観で、イベントや記念日やお店の演出が、これはこの場限りですよ、現実の中のフィクションですよ、
というのが、
全くわからない、認識もできない、どこからも閉め出されるし、出禁を食らう、そういうなかなかに困った人達なんですよね。
 
私は、別に経験豊富でも、夜の街の顔役でも、名うての遊び人でもなんでもなかった、ただのひっそりやっていた者ですけれど。
そして失敗も多い、恥ずかしい人間ですけれど。
 
ルールがあるんですよ。
どこに行っても。
 
それは紙に書いて貼ってあるルールじゃなく、次第に体感で覚えていくルールなんです。
街にもルールはあるし、お店にもルールがある。女の子とデートする時にもルールはあるし、男の子と遊ぶにも、お酒を飲む内輪でもルールはある。
 
このルールは法律のルールとは違う、
マナーという言われ方をするものでもあるし、
決まりというものでもあるし、
連れを泣かせない、困った思いをさせない、危ない思いをさせないための、護身術でもあるんです。
 
それをわからない内は、最初は様子を見て、あまり目立とうとしないことですね。
 
そして、どの街も、アマチュアが遊んでいい範囲、ここからはプロが遊ぶ範囲というものがあります。
これは、どこの街でもです。
 
この場合のアマチュアというのは、素人(しろうと)です。
素人という言い方が気に入らなければ、一般人でもいいでしょう。普通の人でもいい。それは街という場所では、通常、全員素人です。
 
じゃあ、プロは? というと、
「なにもそんなつもりじゃあ」と言うときの、そんなつもりをやっている人達がプロです。
それでお金を稼ぐことができて、決して素人に本気にはならない世界で、その世界のルールに沿って生きている人達が、つまり、これを読んでいるあなた達が属さない人達が、プロであり、玄人(くろうと)さんと呼ばれる人達です。
 
誤解のないように書いておきますが、玄人さんも素人も法治国家の住人ですから、もちろん法律や治安というものの枠に入っていて、法やルールを遵守しているのは、当然です。
 
私が言っているのは、街のルール、場のルールのことです。
 
あなた達も、あるでしょう。
飲んでて、遊んでて、ヒヤッとしたこと、あ、ちょっとマズイなと思って道を引き返したり、早々にそのお店を出たりしたことが。
そして、それが、正しかったと、誰に教えてもらうわけでもなく、知っていることが。
 
私も見かけたことがあります。
玄人さんの中でも危ないとしか思わなかった人を。
明るい、普通の街中ででしたけれどね。
その人は、普通の格好をしていました。
普通の格好をしていて、ただのお兄さんに見えた。
でも確実に匂いが違った。
そのお兄さんはルールを破ったのであろう、イキがった若者に用があったようでした。
 
いまはもう私は街に詳しいような暮らしはしていませんし、できません。
けれど、街にはルールがあります。
その、みんなが楽しく、安全に、遊べるためにあるルールにちゃんと合わせて、自分に合った場所で、自分ができる範囲で遊ぶことです。
 
そして、なんとなく大人の街だな、と思うところには、ビギナーのうちは信用できる知っている人に連れて行ってもらうのが1番いいし、そうでなければ、ランチタイムにちょっとのぞいてみて、夜にまた行ってそこの雰囲気を怖いと思うかどうかで、自分に合っている街、エリアというのを探すのがいいんじゃないでしょうか。
 
少なくとも、本当にいっぱしの大人になるまでは。
 
そして、そういうところに無縁のままで来た人は、ああ、自分は「自分の分(ぶ)」というものをよくわかっていたんだな、と自信を持って、いい時間を過ごしていけばいいんじゃないでしょうか。
 
今日の投稿のしめくくりに、私のしょぼくれた経験を書きます。
 
大昔、若い女の子というものをやっていた時、私はよく1人でバーに行っていました。
 
初めてのお店に入る時は、いま考えると、
立地が危なくないか、
周辺のお店は怖い雰囲気じゃないか、
お店から出てすぐタクシーを呼べるか、
近くに普通の雰囲気の場所があるか。
そういうことをなんとなくではあっても、チェックして、入るお店を決めていました。
 
そして、中に入ったら、「1人ですが、いいですか? 」と必ず確認をとりました。
 
それから、必ず、カウンターに座りました。
1人だからお店に迷惑をかけてはいけないというものもあったし、テーブル席に座ると、待ちぼうけを喰らわされているみたいで恥ずかしい、というものもありましたしね。
 
あるお店で、同じことを言ってカウンターに座った時に、マスターがこう言いました。
「ウチは健康的な店だから大丈夫。常連もみんな誰か知っているから。」
その当時はなんのことを言われたのか、わかりませんでした。
でも、いいお店でした。
 
結局、そこのお店にはあまり行かなかったのだけれど、以来、私の中で、行きつけにするなら、こういうお店がいい、という基準ができました。
いまでもその基準を守っています。
それは、私が、自分が1人で飲む時のルールとなっています。
 
そして、不思議なことに、その頃、お酒を奢ってもらうことがあっても、必ず、マスターやバーテンダーから直接、作ってもらったお酒をいただいていました。
だから私は、チャージを取らないバーでは飲みません。
 
最初に出てきたお店のマスターが、一体、なんのことを言っていたのか、わかるでしょう?
 
いまはもっと警戒しないといけないお店では、そうみたいですね。
 
怖い目に遭ったら、遭いそうになったら、その場をすぐ離れること。
後日、しかるべき場所の、相談口に電話で相談してみること。
あなたにとんでもないことをした、またはしようとした相手が、誰の知り合いで、なんと名乗っていたか、どのお店にいたか、どういう感じの人だったか、それを伝えるだけでも、状況は少なくとも悪くはならないのではないでしょうか。
 
足腰立たなくなるまで酔っ払わないこと。
これは受け売りだけれど、
お店の選び方がわからない時は、ホテルのバーで飲むこと。
旅先では、ホテルのフロントが紹介してくれたお店で、最初は飲むこと。
もしもの時のタクシー代は、靴の中や下着に隠しておくこと。
肌見せファッションは、パートナーに特別感を与えてあげるためだけに、すること。
 
私のように、いっつも武装して飲んでると、女というものはスカートを履くもんだ、という変な説教される時がありますので、時々は、いつも行くお店にパートナー候補やパートナーを連れて行ってあげると喜んでくれるんじゃないですか。
百戦錬磨のお店の人達の意見も聞けますしね。
 
あとは、素敵な本や映画、知り合い、友人に聞いてみてください。
 
私なんかが偉そうに、すみません。
 
以上、ワイワイやるのと暴徒化するのは、まったく違う、でした。
 
 
 
 
 
 
 
 

2023/10/29

キャベツのアレ


 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
 
月末ということで、我が家もけっこう食費を切り詰めています(笑)
 
今月は特に、前から買おうと思っていたものを結構買ったので(全部通販)、切り詰められるものはガンガン切り詰めています。
 
食事は、わりと多めに設定しています。
 
理由は、私の思う、ちゃんとしたご飯を作り出してから、家族が風邪をひかなくなって生活の効率が良くなったんです。
私は、それでも以前はしょっちゅう風邪ひいてたり、体調不良ばっかりだったんですけれど、いまは落ち着いてきています。
なので、食で体調を整えていると言っても過言ではないので、食事は、安くても普通のご飯と言われるものを摂るようにしています。
 
そして、私のコンディションがダメな時は、遠慮せず出前を取ります。
特に、今月はすごく良くなかったので、ウーバーや出前館にとてもお世話になりました。
ありがとう! 出前を現代向けにに活性化させてくれた人!
 
これも何を重要視するか、なんですけれど。
 
私の場合は、無理をしてご飯を作り続けると、最終的には具合が悪くなってしまったり、悪化したり、原因がはっきりしない熱が続いて寝込むことがわかりきっているので、そうならないようにはどうすればいいかを考えて、できないときは無理をしないで出前に頼ることにしています。
 
これもお金をどこにかけるか、という、生活の効率を考えた時に、できない時用に出前の予算を普段から積み立てておいたもの プラス 多めに設定している食費から捻出します。
 
なので、月末になると切り詰めるといっても、食事や栄養摂取をおろそかにしない切り詰め方を目指しています。
 
そういうわけで、キャベツのアレの出番です。
 
これ、最初はネットでいいよ、という情報をどこかで見かけて、紹介されていたリンクとは別の、こっちの方が好きだな、というレシピが我が家の定番化になりました。
 
キャベツのアレ(我が家呼称)

斎藤成海先生によるレシピ
やみつきになるなる♪ 塩ダレキャベツ
 
リンク
DELISH KITCHEN様 内
やみつきになるなる♪ 塩ダレキャベツ
 
もうレシピを暗記して、と言いたいところですが、
やはりそうはいかず、レシピの分量と材料部分をスクショして写真に保存し、必要な時に見て作っています。
 
作る時は、毎週作っています!
キャベツ1個を頼んで(私はネットスーパー派です。)、それを大体半分ずつ使って作っています。
 
保存容器は、いまはガラスのスクエアタイプを使っています。
専用のフタがあるんですけれど、面倒なのでサランラップをかけて冷蔵庫で保存して、取り箸でお皿に取り分けて食べていますよ。
 
あらためて考えると、たぶん3食から2食、結局1日中食べています。
夜中にお腹が空いた時も食べてます。
だからあっという間になくなるんですよね。
 
副作用の過食とストレスの過食がなくなり、食べる量がすごく減ってきているんですが、それでも野菜は摂らないといけないので、こちらのレシピに勝手にセロリとかにんじんを追加して、ガンガン食べています。
 
とにかくキャベツばっかりです。
添え物も、単品としても、これを食べているので、体調はいいと思います。
 
それでも半年でだいぶ体重が落ちたので、疲れやすくなってて、この頃では歩くようにはしているんですけれど、習慣にはなかなかできていませんね。がんばらねば。
 
たまにはレタスも食べているんですけれど、キャベツだと使い勝手がいいし、このレシピは、私の中ではキャベツのナムル版だと思っているので、すごく箸が進みます。
 
キャベツが安い時にでも買って、よかったら試してみてください。
保存容器は、これは作り続けるな、と思われてから、用意するので十分だと思います。
 
 
さて、もうすぐハロウィンですね。
 
Googleでハロウィンと入力すると、イベントが始まるようになっていますね。 まだの方は、やってみてくださいね。
 
パーティ派の方は、ひょっとしたらこの週末、少し早めのパーティだったかもしれませんね。
仮装はうまくいきましたか?
 
私は、昨年の韓国での傷ましい事故を追悼して、今年はやめようか、と思っていたんですが。
 
10月31日当日は、ひっそりとハロウィンの生菓子をコンビニで買ったり、スーパーで買ったりして、夜はアダムス・ファミリー1992年版か、ナイトメア・ビフォア・クリスマスを観ようかな、なんて思っています。
どちらもアマプラで公開中です。(回し者ではありません)
 

 
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。
 
 
 
 
 
 
 

2023/10/28

脳内動画派


 
 
大昔にファンフィクションをやっていて、いまは長すぎるお休み中なので、あまり言うのも過去にすがっているみたいでやだったんですけれど、なんだったかとにかく話題に出したので、こういう種類の書き手もいる、という話をします。
 
いまはなんとお呼びすればいいのかわからないので、私も、自分のことを書き手とは言ってませんでしたが、便宜上、そう呼びます。
 
いろいろな書き手さん達がおられて、いろいろな手法があると思いますし、大昔の当時の段階で、本格的な方は、とても文学に精通しておられて、縦書き派、旧仮名遣い派の方、横書き派、文章推敲派、あまり手を加えず誤字脱字だけなおす派の方、私のように、誤字誤用だらけ脱字だらけで(それは眩しい画面を、当時直視し続けることができずにいたせいもありました。プリントアウトをして、というのは、コストがかかってしまうのでやりませんでした。)
笑われていた人間もいます。
 
その中で、当時読んでくださっていた方が気づかれていたように、私は、通常の文章の作り方をしていませんでした。
 
あの頃は、またイキっちゃって、と思われていたかな、とも思っていたんですけれど。
 
私は、音楽を聴いて、脳内に動画が映写されていて、それをひとつずつ文字に描写する、という作り方を基本的にやっていました。
今でもそうです。
 
だから最初から、登場人物が固定されているのがファンフィクションでしたが、その他の登場人物は、全部、脳内の動画に出てきたのを描写していました。
もちろん、肉付けはしますけれど、基本そうですし、登場人物にも、登場人物の名前にも、モデルはいません。
例外として、山口小夜子さんと、つみきみほさんは、登場人物の外見イメージとしてモデルにしました。
もちろん、こちらの方々をイメージモデルにした上で、裏設定モデルというのもありました。
 
登場人物の名前をつけるたび、私のニックネームを使ってくださったんですか? という感じで聞かれたり、思い込まれたりしていたので、私は徐々に、ありえない名前を使うようになっていきました。
主に物体の名前を使っていました。
また、誤解されそうな場合は、ちゃんと別のところで、違います、と言っていたので、そういったトラブルはありませんでした。
それに気が小さいので、絶対に、当時の私の狭い現実の行動範囲、インターネット上の行動範囲で、一ミリたりとも現実と被るような人物描写もしていませんし、も・もしかして? というようなメールをいただいたこともありません。
登場人物に自分の恨みを込めたり、悪意を込めるやり方があるのは、ずっと後になって知りました。
私はやったことがありません。
 
ここぞ、という時には、自分で気に入ってる響きの綺麗な名前を使ったりしていたんですけれど、それも当時すぐに、罪のない、書き手冥利に尽きることで嬉しかったですが、他の場所で使用されていたので、やはり物の名前に終始するのが、1番いいと考えていました。
 
また、作中に登場した、よくある名前、呼び名、の場合も、極力、現実で見聞きしたことが実際にあった、一般的であるものを使用していましたし、匿名性をアピールするために(いたんですよ、そういう登場人物が)、よくありすぎる名前を使ったりしていました。
こちらは超有名小説からのサンプリングでもありましたので、私はウインクとして、同じシチュエーションを出したつもりでもありました。
 
私の物語のスタイルは、ヒップホップミュージックのサンプリングと同じことを、言葉や有名な小説の小道具、有名すぎる物語の武器、セリフ、展開、構成(この場合は、中の物語は違うものにするというスタイル。骨格だけを同じにするスタイルをやりました。こちらの場合は、もちろん元ネタのセリフをそれとわかるように劇中にサンプリングしています。)、設定、
はたまた有名すぎる映画の展開に見せかけて、
「そうと見せかけて、じーつーはー、違いましたー!」
というどんでん返しの伏線をはっていたり、
(勘違いしてなければ、とある方には思いっきりバレていました。ものすごく嬉しかったです。)、
 
とても有名な音楽の中のストーリーを物語の一部分にはめ込むサンプリング、
すごく有名な1ジャンルを築いたプロの方の雰囲気だけをタイポグラフィー的にサンプリングする、
と、ありとあらゆるサンプリングを入れ込んで、気がつく人たちにウインクをしていました。
 
その手法というかスタイルは、私はコラージュというイメージでやっていました。
 
それは、尾崎翠の第七感界彷徨の創作手法で紹介されていた、一つの単純な型を紙に書いたあとビリビリに破いて、主軸となる物語にランダムにコラージュしていく、前衛小説の技法からヒントを得ました。
 
実際に紙に書いて破いて、ということはやりませんでしたが、最初に物語の大まかな構成を作りますので、それに合わせて、ここではこれを出そう、とあらかじめ決めているものもあれば、書いているその時に思いついたものをサンプリングできるなら入れ込んだり、いろいろでした。
 
それはパクリじゃないか、とか、ヒップホップのサンプリングはパクリではないから、お前なんかと一緒にするな! とか、いろいろ当時おっしゃりたい方はごまんといましたし、現在は公開していませんので、私が書いたファンフィクションは読めないんですが、私がいまこうして書いたものを読んでお怒りの方もおられると思います。
 
なので、それは盗用だろう! と言われたら、そう思われるのでしたら、申し訳ありませんでした。とお答えします。
 
私は、この20年間、新しい小説というものをほとんど読んできていませんので、私がやっていた、これからもやっていくだろう、このサンプリングスタイルが、もうすでに、珍しくもなんともないものかどうかすら、知りません。
 
なので、見当で書くしかありませんが。
音楽のヒップホップの方々が、それは自分達のやっていることとは違う。一緒にされちゃあ、困る!とおっしゃるのであれば、こちらも、ジャンルの手法名をお出しして申し訳ありません。とお答えします。
 
ですが、私は、このスタイルが好きなので、これからもやり続けます。
 
さらに言うと、私はイタいと当時から嘲笑されていた、楽曲の名前を物語につけるのを基本的にやるタイプでしたし、他のタイトルをつけても、最初に、この話のイメージソングはこれです、と言って、最後に裏イメージソングを発表したりして、イメージの答え合わせをやったりもしていました。
もちろん、楽曲のシチュエーション、歌詞はサンプリング済みです。
ちなみに、ご存知の方も多いと思いますが、いま頭に浮かばれた作家さんのスタイルをお洒落だと思い真似して、物語の名前に楽曲の名前をつけていました。
 
私は完結できない物語が多かったですが、どれも完結まで物語は作ってはいました。
ちょっと個人的な事情で実行できておりませんでしたし、物語は完結させてから、ということも、すごく言われていました。
時々は、暗い脳内映像を見続けるのに耐えられなくて、明るい物語を書いたりもしていました。
 
そういうポンコツの書き手でした。
 
そうは言っても、お前が書いているんだから、お前の考えが反映されているのが登場人物だろう、と言われても、音楽を聴いて出てきた映像のストーリーにその登場人物がもうすでに居て、それにファンフィクションとして現実の存在を当て書きしていたので、私としては違います、としか申し上げようがありません。
 
2011年以降、試しに実在の人物をモデルに書いてみましたけど、ちっとも筆が進まなかったですし、全然良くなかったしピンときませんでした。
それに私は、なんだか好きじゃありませんでした。
なので、これから先は、元のスタイルで、自分がいいと思うことをやるつもりです。
 
また物語に出てくるセリフも、ほとんどが日常会話でしたし、物語のテーマとして、最後に主題をセリフに出すことはありましたが、考えを発表したいのだったら、考えを文字に書いて発表すればいいのであって、物語は物語のことで、独自の軌道を描いて結末に向かう、としか私のレベルでは申し上げられません。
 
そして、私の書いていた物語の特色として、相反する価値観をセリフや描写に出し、どちらも間違ってもいないし、正しくもない、という現実にとてもよく似せた状況を出すことで、答えは一つどころか、あるかもしれないし、ないかもしれないし、そのどれもがはっきりしない中、登場人物がどこかへはたどり着く、というものが多かったと記憶しています。
 
私は、ファンフィクションで、エンタメをやっているつもりでしたし、娯楽をやっているつもりでした。
 
私がどんなつもりで、どんなテーマで物語を設定しようと、どのように読まれようとも、結局は、読んでくださる方が読まれた時点で、物語は読んだ方のものですので、自分はこう読んだ、が正解である、という考え方をしています。
 
なので、滅多にありませんでしたが、評論をしてくださるのはありがたかったですが、評論のつもりで実は自分の読書自慢に終始していただけのものを、当時、嫌なやり方で教えていただいたことがあったんですけれど、リアクションの仕様がないので、何とも言いようがない、というのが私の反応であり答えです。
 
じゃあそんなお前がパクリというのはなんだ?
と言われると、何も考えずに、ただ単にマルパクして、コピーペーストだけの動作しかせずに、コソコソこそこそやって、見つかったら慌てて消したりすることを、パクリと呼ぶと思っています。
 
異論反論があるとは思いますが、パクったのなら、パクりました!と堂々と言えばいいし、それが批判を込めてなのか、いいと思ってなのか、言い換えてこれはオマージュです、インスパイアです、ぐらい、ぬけぬけと言えばいいと思っています。
ネットにあげたんだから、胸を張って言えばいいと思います。
そして、そこから何が発生するのか、何を派生させることができるのか、を見続けるのであれば、これは私個人だけのことですが、パクリでもなんでもないという判断をします。
 
私は遊びでやっている、と当時よく言っていました。
そのことで眉をひそめられていたことを後で知りました。
 
「仕事じゃなくて、遊びなんだから、真面目にやれ!」
という有名な言葉があります。
私は、この言葉のことも後で知りましたが、私は、この価値観の通り、この遊びを自分なりに真面目にやっていました。
 
2023年のいま、昔、書いたものを読まれると恥ずかしいのは、調べ方がそれだけはどうしてもわからなくて、おかしな設定が一つあったのに、相談して、このまま進めた方がいいと言われたのを、そうかな? と思いながら流されて書き直さなかったことと、実力不足で稚拙だったことが恥ずかしいのであって、自分がやっていたことと読んでくださった方々が、面白い、と言ってくださっていたものを、恥ずかしいと思う気持ちは毛頭ございません。
 
その点だけでも、ちゃんと書いたほうがいいと思って、今回の投稿になりました。
 
以上、脳内動画派でした。
 
 
 

2023/10/27

美しい美しい美しいJINさんという表記と最近聴いている音楽


 
この間から、美しい美しい美しいJINさんという表記をするようになっていますが。
 
理由は、なんだか私がツンデレだと勘違いされているところではされていたらしいことを少し気にしてです(笑)
ちゃんといままでも、ハンサムですね、とか、バラエティの勇姿に惚れ惚れする、ということを書いてきたのにな、という思いで、美しい美しい美しいJINさんという表記をしています。
 
これからも集中的に、JINさんではなく、全世界にツンデレではない証明として、美しい美しい美しいJINさん表記をアピールしていきたいと思っています。
(だから何と戦ってんの?)
 
少し前に、JINさんは誰も傷つけない戦い方をする、という動画のサムネイルを見かけました。
ああ、そうなんだな、と感心しましたし、私はJINさんやBTSのみなさん、ARMYさんにとっては敵対すべき、こちらの方達がいる「良い岸辺」とは、違うところにいるものですので、ひたすら眩しい思いでいます。
(アンチという意味じゃないですよ。私はクリーンではないので。)
 
私は、この頃あまりコンディションがよくないので、BTS情報も見ていないと書きましたが、YouTubeを開くたび、もうだいぶ少なくなったものの、それでもBTS系列のサムネイルを見かけるぐらいは、いまだにYouTubeのAIがおすすめ動画をいくつか上げてきます。
 
熱い応援をしてらっしゃる方々は、それで平気なのか?と思われるかもしれませんが、特にストレスではありません。
 
私はなんでもなんですけれど。
面白い!と思う人やジャンルを見つけると、2.3ヶ月は毎日、そのことを話題にするくらいハマるんですが、そのあとは、ずーっとlawテンションです。
そんなのはファンではない!とお叱りを受けるかもしれませんが、ライトファンとこの頃では書くようになりましたので、そんな感じでやっています。
 
それに何か大きなことがある場合は、否応なしに目に飛び込んできますので。
 
天使さんのお誕生日をまだやれていないんですが。
少し迷っています。
続けるのは、別に苦ではないんですが。
こうして遅れるっていうのは、やっぱり失礼ですし、ちょっといまの気分から少しずれ込んでいる感じです。
なので、もうちょっと考えてから、続けるなら続けますし、そのままお誕生日は何もやらない方向にシフトするかもしれません。
 
以前にも書いたかもしれませんが。
BTSの日本語歌詞の楽曲って聴かれますか?
私は、実はiTunesで購入したのはButterflyの日本語バージョンと最近ではLightのみで、あとは全く聴いた事がありません。
 
理由は、韓国語がわからないのは相変わらずなんですが、その響きで最初に楽曲を憶えているので、それを日本語という脳内の枠に入れ替えるのが、すごく抵抗があるんです。
多分、言葉の響きと音が一緒になって格納されているんでしょうね。
だからだと思うんですけれど。
 
日本語バージョンは、BTSから日本ARMYさんへの愛の証としてリリースされたものなので、ライトファンといえども聴くべきである、というのはわかっているんですが、未だにその抵抗を拭えない感じです。すみません。
 
もしARMYさんやファンの方で、日本語バージョンはまだの方、おられましたら、愛の証ですので、ぜひ。
 
最近は音楽はiTunesで買ったものばかりを聴いています。
古い楽曲を聴いていて、新しい楽曲は全然聴いていません。
非常にマニアックなものから、大切にずっと聴き続けるんだな、という曲、あとはポップス、歌謡曲をいくつか聴いています。
 
なんだか、この頃、歌謡曲の感じが気分に合っています。
また、イベント等で話題にできればいいかなと思っているんですが、まずはコンディションを整えてからという感じです。
 
以上、美しい美しい美しいJINさんという表記と最近聴いている音楽、でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2023/10/26

カナリアが死んだ。


 
暴力を想起する言葉を使っています。
苦手な方はご注意ください。
 
 
最近覚えた言葉で、ストローマン論法というものがあります。
 
まだきちんと腹の底から理解できていないので、Googleの検索結果のフィードバックを紹介します。
 
ストローマン議論とは?
 
ストローマン手法とはどういう手法ですか?
 
〈批判的〉筋違いの反論、論点すり替えの議論[反論]、わら人形論法 ◆反論に都合がいいように論争相手 の主張をねじ曲げ(または相手の主張と関係ない論点を持ち出し)、そのすり替えられた論点に対して反論を行うこと(そして「だから相手の主張は間違っている」と結論すること)。
 
 
英辞郎
 
 
この国にもカナリアがいました。
 
鳥はどこにでもいるのでは? と思われた方向けに説明させていただくと。
 
この場合のカナリアは、昔、炭鉱の入り口に、有毒成分が蔓延(まんえん)して犠牲者が出ないように、カナリアを入れた鳥籠をぶら下げていたそうです。
カナリアが死ねば、危険ということですね。
 
そこから、異変を感じたらすぐに、それが何か、どういうことか、そして寸分違わず、そのカタチを見極められる人のことを指す、という理解を私はしています。
 
私が時々、本寸法がわかるようになりたい。と書くのは、カナリアになりたいのではなく、私は、とても怖がりで不安が強いので、物事をきちんと捉えられるようになれば、少しは気持ちが落ち着くかもしれないと思っているからです。
 
そのカナリアだと、私が勝手に思う人が、日本にいました。
ご自身がカナリアだったことを、やはり自覚はあったのではないか、と私は想像しているだけなんですけれど。
 
全く関わり合いの無いただの読者(本2冊買っただけ)だったんですが。
先日、勇気を出して検索したら、その方はもう他界されていました。
 
 
非常に社会や世界に役立つ、言論活動を使命とされておられたようです。
 
思想とか考え方とか主張とか全く私とは違う、まっとうな方だったのですが、やさしいなんて陳腐な言葉より、人の苦しさをよくご存知の方だったように思います。
 
短期、長期に関わらず、こういうものと付き合わなければならない人間は、慣れない時期や悪くなっている時、言葉で感情的になってしまう瞬間があります。
後になってみると、どうしてこんなことで怒ってしまったんだろう・・・、と、とても恥ずかしく、自分がダメなことが悲しくなるんですけれど。
 
もうずっと昔に、同じ状態の方が、何かの話題の時、強い言葉をその方に使った後、すぐ謝罪されたんですね。
そうしたら、「お気になさらず。誰にでもあることです。」と即座に返事をしたのを、すごくよく記憶しています。
 
なかなか出ない言葉です。
謝罪された方が、どういうものとつきあい、どういう状況か、どんな苦しみなのか、寸分違わずわかっていないと、出てこない言葉です。
 
立派な人というのは、こういう人のことを本当は言うのだと、私は見ていて胸が熱くなりました。
 
また、別の時は、何かまた鋭い見識を書いた時に、その言葉が違うふうに取られて、わーっと瞬間的に広がったことがあったんです。
見ていた私は、この人は怖くないんだろうか。と、怯えていたんですけれども。(チキン)
 
その方は特に慌てることなく、違います。違います。主張と違います。と否定しながら、「これ以上、俺のわら人形をレイプしないでくれ」とあっさり書かれて終わったんです。
 
なんのことだろう? と思ったんですけれど。
それから長い年月の後、先に紹介したストローマン手法のことを言われていたことがわかり、知性とはものすごいものだなと、つくづく思い知りました。
(ご存知の通り、ストローとは「わら」のこと。ストローマンでわら人形ですよね。)
 
私はその方は、カナリアだと思っていました。
カナリアという言葉を使わなくても、同じことを考えていた方はたくさんおられると思います。
 
そのカナリアが他界されたことを知り、新しいカナリアはどちらにいるのだろう、と不安になっています。
 
けれど、あるじの消えた、空っぽになった鳥籠を人だかりの後ろから見つめながら、これからは好きなように飛び回れるし、ご飯を探す鋭い知性もありあまっていたから、たぶん、カナリアにとっては、これでよかったんだな。と思う気持ちもあります。
 
考えてもわからないし、
どうしていいかわからないから、
 
月の美しい晩、
銀の櫂に止まって、
光って落ちる雫を見ながら、
楽しく歌っているといいな、
 
と、いまは思うことにしています。
 



20231026 20:18 誤字をなおしました。