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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 
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2025/03/06

スギ花粉の根本的な解決

 

 
スギ花粉を始め、春先から花粉大変ですよね。
 
私はダストアレルギーなので、花粉から2,5とか粉塵なども全部アウトです。
 
なので花粉症の方は、大昔、インターネッターが言っていたんですが、春が来る前に注射を打つんだそうです。
そうすると、そのシーズンは花粉症そのものが発症しないんですって。
気になる方は、アレルギー科、耳鼻科等に電話・メールで訊いてみて下さいね。
 
私は、長年の食事習慣で体調をコントロールしているので、ダストアレルギーの反応(つまり花粉もダストと認識しちゃう体質ってことです。)重症にまではなりません。
マスクは、花粉の粒が大きかったら、鼻が出たり、喉や舌の先端が痛くなったり、くしゃみ連発して、すぐに体外に排出できているようです。
でも翌日朝目覚めると、目が痛かったりします。
 
この頃は、花粉を感知する機械が進化して、微かな花粉でもデータに数値として現れるみたいですね。
私は、ものすごく数値が高い=大きめの花粉粒子、だと私のダストアレルギーが認識する大きさ、または花粉成分(かな?)になると、もうダメですね。
それまではノーマスクでなんとかなっています。
あまり外出しないので。
 
思ったんですが。
花粉症って日本だけですか?
だとすれば、スギ花粉を出している杉の木そのものを、上1/3だけ切ってしまえばいいんですよね。
 
そうしたら木自体は生きているので、切った所からまた新枝が出てくるし、それは短くて細いので花粉を大量に出す状態になるまで数年から10年はかかります。
で、もっと言えば、切った所に癒合剤を塗って、新枝(新芽)が出ないようにできるんです。
 
上1/3を切っちゃって、スギの木自体を生かすために、いくつか枝を伸ばしておけばそれでオッケー。
 
その間に、別の花粉を出さない木を植樹すればいいんですよ。
そうしたら、上1/3を切ったスギの木の根は生きていますから、土砂崩れや雨の後の都市部に流れ込む災害も防げるし、全員ハッピーですよね。
 
仮に立ち枯れてしまっても(園芸の経験上、余りないですけどね。私は素敵な名前を持つ庭で、木も多く育てています。剪定もしますしね。バラは樹木です。)、根が地中の奥深くと広範囲に残っているから、自然の網は残り続けるから、土砂崩れにならないんですよ。 
 
スギの木の生態系は、スギはものすごく頑丈でガンガン成長するものなので、よそに移植すればそこで守れますしね。
 
スギ花粉で、日本の全人口の半数以上が毎春、病気を発症しているのに、この場合、スギの木には申し訳ないけれど、街の風上にあるスギの木は上1/3をカットして、別の木に植え替える対処をするのが先決ですよね。
人害が出てるんですから。
 
杉の木の上1/3をカットして、別の木を植樹して、土砂災害を防ぎつつ、花粉症そのものを根絶するこのやり方については、植木屋さん、木を切る業務の方々に訊いてみて下さい。
半年もかからずに、出来ますよ。
林業も潤いますしね。

私もダストの症状以外に、洗濯物が外に干せないので不便なんですよね。
 

20250307 0:00 誤字と文章を直しました。


 


 
 

2025/03/04

街を歩いていて気付いたこと・本日の雑感(不定期)

 2月は私は、気持ち的にあまり外に出たくない気分で、ほとんど部屋の中で過ごしていました。
3月に入り、日常のあれこれのことを済まそうと、ワンマイルを歩いていたんですが、なんだか通りを行く人達の雰囲気が暗くて驚きました。
どのくらい暗いかというと、私は幼少期、戦後の街が残っている時間が止った景色の中で暮していたのですけれど、その時の暗さに似てきています。
変だな、と思って、これは一体何に似ているのだろう、と思ったら、石炭のストーブを焚いていた煤が薄く漂っている町並み、の雰囲気に似ていると今朝思い当たりました。
もちろん実際には、石炭ストーブはほとんどの人が焚いていないし、煤は飛んでいません。
ラッシュの時間帯にうろうろしていたんですが、昨年の秋初め頃からずっと街を往く人達の服装が暗いんです。
 
おしゃれな方に伺ってみると、コロナ以前から黒が流行していたんだそうですね。
 
モノトーンって、すぐに決まるし雰囲気が良くて格好もいいから分かるんですが、コロナが7年ほど前から始まっているのに、7年間街の人達はそういう黒っぽい服を着続けているんでしょうか。
 
色って着るのが難しいし、組み合わせもお金がかかるから、黒白ベージュで基本を揃えてというは、すごく分かるんです。
でも、そんなに長い間、暗い服装の人ばかりが街を歩いているんですから、街の雰囲気は重くなりますよね。
 
好きな服を着ていていいし、もう15年以上前から洋服の流行というものが無くなっています。

でも気持ちが重くなりませんか?
 
私はわりと明るめの色のトーンが優しい服を好むので、そんなに人の格好に注意を払うタチではないから、ずっと気がつかなかったんですけれど、コロナから社会の不安と24年の能登の地震、25年の火災や世界情勢がほとんど毎日のように、生まれて初めて見る状況がニュースになって、気持ちが疲れています。
 
娯楽の方も国内では、誰が何かを失敗したとか、辛いことがあったとかのオンパレードで、ネットニュースの見出しだけ見ていると、心配になったり不安になったりするニュースだらけだし、先月頃から米が異様に高くなって、5キロが私の住む街では4500円近くしています。
 
あまり楽しいニュースや出来事が世の中に流れておらす、人を責めたり、鼓舞し過ぎたり、異様にセンシティブな楽曲が発表されていて、なんかもっとこう、強すぎないものはないのかな? と食傷気味です。
音楽はこの所、教えて頂いた異様にマニアックな音楽ばかりをiTunesで購入しています。
 
わざわざ街の雰囲気の為に、気に入りもしない色を着る必要はないですが、さすがに今年に入り、これは世相が暗いからそれが服装に現れているのだ、と判断しています。
 
もし気持ちがふさぐようでしたら、ベージュのトーンが穏やかなもの、淡いピンク、グリーン、ブルー、シックな茶色。そういったコーディネートをしてみてはどうでしょう?
 
あんまり良くないですよね。
雰囲気も、街を歩く人達の顔も疲れているように見えて、メイクもなんだか薄い感じで、服の色も暗い。
 
それとスマートフォンは私はすっかり音楽を聴く機械になり、天気予報を確認する為のガジェットとなっているんですが。
スマートフォンを電車やバスや歩きながら見ている方があまりにも増えていて、世の中が変わったのかな? と思っていたら、見ておられるのは四角く区切られた3、4行の文章のページだけで、正直あまり、X(Twitter)やInstagramやLINEを開いている方は見かけません。
 
すごく忙しく指を動かしている方と、ショート動画を何となく流し見している人と、特に内容ではなく、画面を見るためにスマートフォンを持って視線を落としている方々をよく見かけます。
 
驚愕だったのが、昨年春頃から少し外食をしたくなって安いお店に行き始めたんですけど、夜道を歩くのにスマートフォンを見ながら歩く人達を多く見かけて、ぶつかりませんか? 車にひかれそうになりませんか? 後ろから強盗や痴漢に襲われる可能性が高くなっても夜道でスマートフォンを見ながら歩いているのは何故なんでしょうか? と、そっと心配しています。
 
そのうち昨年が終わり、年が変わる頃に気がついたんですけど。
自分は不審者ではなく、あなたを見たりしてませんよ?アピール、のためにスマートフォンを片手に持って、誰かに行き当たったり、すれ違う相手が前から来たときに、さっと画面に顔を向けていませんか?
 
強いニュースにほとんど触れられないので、何か目が合ったら殴られたとか、そういう事件が続出していたんでしょうか?
 
日曜日にいくつか投稿した中で、現在多くの方々は2011年の震災から続くショックの影響が出続けていると私は結論付けました、と書きました。
 
PTSDとは、甚大なショックの影響が出続けていて、自分の意志とは関係無く、行動や感情に普段しないことが、大小の差はありますが、出てしまうことです。
 
ネットで調べるとすごく本格的に情報が出てくるので、あまり深刻にならず、生活を普通に寄せるように過ごしながら、時間があったら専門医にかかった方がいいと思います。
 
また物価の高騰は、あれやこれや原因がウェブニュースで言われていますが、コロナで日常生活が停止した時に経済も停止してしまったので、その影響がまだ続いていて、当時、誰のせいでもなかった経済の損失を、現在の値上げで徐々にカバーしているんだと、私は思います。
 
お米は昨日のニュースで言っていましたけど、3月末には流通量が大分増やせるようです。
ただ価格は、以前の通りにはならないかもしれないと、現状では予測されている、とのことです。
お店側は、コロナ期の損失を補填する為に値段を上げているので、やはり折り合いを付けるしかないですよね。
 
他罰的な傾向はいまだ続いていますから、
今でも追い詰められるようなニュースが流れると、「誰々のせいだ」「何々が悪いんだ」という、
通常、小学低学年の子供が思わず口に出してしまって、
「そういうことを言うのは止めなさい。」
とたしなめられる、
イメージだけで物を言う、感情の言葉が蔓延する傾向があります。
 
人をやたらめったら責めている人達のことは、PTSDがこういう形で出ちゃってるんだな、と思うにとどめて、穏やかで気楽なものに触れていていいと思いますよ。
 
90年代や2000年代にも色々と不況と言われる状況になっていたのですが。
 
実はバブルと呼ばれるウハウハ好景気なんて、ほんの1部のお金持ちの人達だけで、バブル期も私は毎日働いてそんなに裕福ではない生活をしていました。
他の多くの人達も同じです。
そう、バブルなんて、当時の多くの生活者達には存在していなかったんです。
 
その頃も米不足があって、当時はタイ米をタイから分けて頂いてパエリアとか作って食べてしのぎました。
80年代の米が不作の時は、古米・古古米、と言われていた、今で言う備蓄米が流通していました。
 
しのぐしか無い状況が来たときは、どんよりせずに、冷静に知恵や知性や静かな気持ちを維持しながら、穏やかに対処に当たりましょう。
 
なんだか、ちょっと長く生きているというだけの伝家の宝刀を抜いてしまって申し訳ありませんが、無駄にハイテンションになったり元気いっぱいに振る舞ったりしなくていいですから、静かで穏やかな前向きさを上手に運転して乗り切っていきましょう。
 
 
20250306 23:05 分かりづらい箇所、誤字等を直しました。内容は変えていません。
 
 
 
 
 
 
 
 

2025/03/02

冬山について・本日の雑感(不定期)

今回は、とてもセンシティブな内容を書いておりますので、苦手な方は読まないようにしてください。

 
私は、1時期、もの凄く寒い陸の孤島のような所に住んでいました。
現実での自分の来歴は今後も公表しないんですが。
そこは、登山を趣味とする方々にとっては聖地のような土地で、登山家、通称:山屋達がトライする非常に有名な山がありました。
 
特に冬は、毎年、ローカルニュースで必ず、どこかの大学のパーティが遭難し、このくらいの季節には、小パーティが雪崩に遭い、命を落とす報道が流れるのが日常でした。
当たり前に、冬のレジャーでも死者・怪我人が出る、そのニュースも流れるそういう土地でした。
 
なので、私は山はやらないんですが、登山の第一条件を知っているんですね。
 
登山の第一条件はご存じですか?
「生きて帰ってくる。」です。
 
いいえ、これです。
理由は、これしかないからです。
 
美しいですよね。冬の山って。
特に雪山は、それはそれは美しい光景なのが私の1時期の日常でしたから、登山を否定するつもりはないんです。
紺碧を背に荘厳な景色が広がり、そこを踏むということが、何か大きな人生への賛歌となる。
それくらいは私にもわかるつもりです。
山はやりませんが、そこが絵はがきになって世界中に存在しているからです。
 
それでどうも2025年の日本で暮らされている方々は、このことをご存じないようでしたので、情報を繋げるために書こうと思いました。
 
毎年、死者が出る冬山へのアタックですが。
地元で暮らす者達はどんなリアクションをしているかご存じですか?
全員、反射的に、「だから何故入ったんだ!」なんですよ。
 
人に迷惑をかけて、とか、物好きな、とか、救助に費用いくら掛かると、なんて思っていません。
何故、冬の山に入ったんだ!  なんですね。
 
皆さんは、山は冬に入山してはいけないことを、あまりご存じないかもしれません。
理由は、人死にが出るからです。
雪がなくても、冬山への入山は禁止されています。
入ると、低体温で死亡するからです。
 
だから山開きという言葉が、昔は普通に世の中にありました。
私が居た地域では、だいたい5月末とか7月直前とか、そういう時期からだったんです。
山に入れるのは。
つまりその時期から、山は秋が早いですから10月にはもう入山は禁止されるんです。
10月末から11月頭には冠雪しますし。
 
それで人死にを出さないために、登山どころか山に入ってはならないルールがあるんです。
厳格なルールです。
 
それは入山許可証を提出する山の入り口にある施設に書かれていたはずですし、 秋半ばにはその小屋すら人が居なくなりますから、門が閉まっているんです。
入れないように。
当たり前に車も入れません。
それくらいあっという間に雪が深くなるんです。
 
大げさではなく、秋頃から山に入るのは慣れた方でないと非常に難関ですし、プロの登山家でも事前訓練と体を慣らして徐々に高度と寒さへの備えをする前日程を組んで、それでも雪が早かったら、今回は入ってはならない、と止めて帰るんです。
 
山へのロマンを否定しません。
だから大学に山岳部があり、高校にも登山部があり、大学であってもベテランの引率と地元の本気のガイドの判断に従って、入山するかどうかを判断するんですから、そりゃロマンですよ。
そういう困難をくぐり抜けて登頂し、仲間と結束を深め、下山する達成感は素晴らしいでしょうし。
けれど、多くのプロの登山家達は、海外の山峰に挑み、生きて帰ってませんよね?
 
なのにプロでもない方々が、どうして夏でも危険で地元のガイドを有料でお願いして行かなきゃならない所に、冬に、禁止期間に入って、帰って来れると思うんですか?
しかもこれを書いているのは3月ですけれど、山やってるのに、なぜ雪崩は1月からだってことを教えないんです?
雪が溶けるまで雪崩ですから、5月まで雪崩ですよ。
 
それで毎年毎年、怖ろしいニュースが流れる度に、「だから何故入ったんだ!」と全員が顔を強ばらせるんです。
 
余談ながら、2011年の震災の時には、被災していない人々は、非常に他罰的になっていたし、他罰的にならなかった人は、異様なまでに他者に優しくなっていました。
その傾向は、2025年の今でも続いていますので、私がこういう具体的なことを書くと、またどなたかが他罰の餌食になりかねないので、誰かを責めて解決する話ではないことを、下に住んでいる人間は全員知っている、ことを強調しておきます。
 
きのこ狩りからもう低体温と、山の雨と霧(っていうか完全に雲海)にまかれて遭難してるんです。
そりゃそうでしょう。
両手を伸ばした指の先が見えないのが普通なんですから。
なのに、その軽装で軍手して入るんですから、電波が通じる現在であっても見つけてもらえるかどうかは、賭けです。
 
そういう物凄い山にアタックする前に、その山が一体どこにあるのか、どこから計ってその高さだとされているのかを、きちんと知った上で、「やっぱり止めましょう。」と口に出しましょう。
 
夏山にザイルが必要不可欠な登山のケースも含めて、私は書いています。
低山の高度はほとんどが高山病を発症する高さなのが、その土地の低山です。
 
登山の第一条件は、「生きて帰ってくる。」だけです。
 
したり顔で書いて申し訳ありませんが、冬山に入ったら死ぬ、生きて帰って来れるのはラッキーな人達だけ、と書いておきます。
秋冬、5月に春が来るまで、ガイドは休みです。
 
以上、 冬山について・本日の雑感(不定期)でした。
 
 
 
20250302 23:25 誤字と文章を直しました。
 
 
 
 
 
 

2025/01/23

🌈🦋 その電話は切っていい、と自転車当たり屋チカンと街の当たり屋 : 本日の雑感(不定期)

カスタマーサポートも2025年になると色々種類がありますが。

そのうちの電話での応対サポートついてです。

相手が暴言を吐いたり、怒鳴った時点で、サポート側が電話を即座に切って良い、という規則を明文化するべきです。
急ぎ対応するべきだと思います。
 
これ、そんなことしたら・・・、っていう企業側、サービスを提供する側の遠慮を利用されているんですよね。
要点をズラさず言い替えれば、つけ込まれているんです。
 

置き換えて考えると分かりやすいと思いますが。

サポートや電話案内をする側が着席して、相手も向こう側に着席して、2人の前に小さなテーブルがあるとします。
そのテーブルの上で、サービスなりサポートの話をお互いが合意の上で対話しているんです。
 
これがオペレーターが対応する電話サポートの具体的な姿です。
 
向こうはテーブルに着いて対話をするのを了承して
着席しているのだから、
その席に着こうとせずに、椅子を蹴飛ばして怒鳴るのが会話の始め方の相手なんか、すぐ警備員呼んでいい、ということなんです。
 
ですから、電話で相手が暴言を吐いたり、怒鳴った時点で何も言わず切って良いんです。
 
身の危険を感じている時点で、それは経済活動・サービスや対話の話では無いんです。
その場合、緊急避難まずやることなんです。
 
それで相手は、また執拗にかけてきますよね?
そのたびに別の人間も同じ対応をするんです。
怒鳴ったら電話を切る。暴言を吐いたら、また切る。

そうすればより多くの証言が摂れます。

それで良いんですよ。

そんな憂さを晴らすためだけに、電話での暴力を行う相手が、あそこの企業のカスタマーセンターの電話オペレーターは電話を切る、と言って回られても、いえいえ怒鳴ったんですよ。暴言を吐いたんですよ。と言って、逆にそいつは要注意人物である、とあっさり答えれば良いだけなんです。
 
じゃあ、電話オペレーター側にタチの悪い奴がいて、わざとこちらを怒らせたらどうしたら?
と言う話になれば、こっちも録音してやれば良いんです。
 
そして、この会話の流れで、あまりの言い様に自分は激昂した。
自分はここまで言われて、ここまでされて、腹を立ててはいけないんですか?
と言えばいいだけです。

 
その場合、そいつが悪質な人間だと分かりますから、クビになるだけです。
 
しかもそんな奴に、いいサポートや常識的なサポートが出来るはずも無い。
こちらも電話を切って終わっていいんです。

 
「客を止めていい」んです。
これも師から教えて頂いた言葉ですが。
「客を止めていいんだ。」
客になるのを、あ、こいつはダメだな。と思ったら即座に止めていいんです。
 
お互い、変なのに出くわしたらそうしましょう。
 
電話オペレーションの方達を守るために、すぐに怒鳴ったり暴言を吐いたりする相手は、こちらから即座に電話を切っていい、と明文化するべきです。
 
怒鳴り声って、それだけで傷害に認定される世の中になったんですよね、確か?
 
怒鳴って状況をどうこうできるなんて、石器時代かよ。
 
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数年前に、偶然、人の背中越しに見掛けた駅の雑踏の中でぶつかって来る奴がいるっていう話。
あれって確か、当時チカンだってことになったんですよね。
それで警察と職員さん達が、防犯に乗り出しているっていうことで。
 
2025年にですね、私は、そいつらがチカンでは無いと書きます。

そいつらはね、憂さを晴らしているんです。
 
自分より弱そうな相手。疲れているように見える相手、細くて、1人でひっそりしている相手を、ターゲットにしてぶつかってきたり、自転車でスレスレの所をすり抜けながら軽く当たって行くんです。

追いかけてこないし、追いかけられないだろうと、踏んでのことなんです。

だから、その当たり屋達は、全員急いでいるでしょう?
正確には急いでいるフリをしているんですよね。
 
2024年に私は大切な方と一緒に、街をけっこう歩いていることが多かったんです。
1人の時もありましたし。
 
その時に、2024年だけで、トータル5回以上は、そういう目に遭ってるんですよ。

時間は午後3時から夕方、日暮れの時間帯。
天気の悪い時。
 
車一台が通れる程度の細い道の端を歩いているのに、わざわざ私と建物の狭い間を自転車ですり抜けていくんです。
反対側は空いているのに。
男性でした。
 
雨の日、信号待ちで1人離れて立っている時に、車道と私の狭い隙間をわざわざ通り抜けて、これは私の鞄に軽く当たってきました。
こちらも自転車で男性。
 
女性の時もありましたよ。
今度は、ものすごくゆっくり歩道を自転車で走って来てぶつかるんです。
軽く。
そして「あ、すみません」と言うまで、時間が掛かるんですね。
そして、こちらが、何故これでぶつかれるのだろう?と驚いていると、その間にやたらと謝りまくる。
 
これは午後3時過ぎだったかな?
 
共通点は、不自然な状況で自転車を走らせている。ことです。
 
この人達は、当たり屋なんです。
自転車の「憂さ晴らし当たり屋」

 
注意して下さいね。
女性だけではなく、線が細くて、パッと目立つ感じの華がある方、疲れている方、またはとても楽しそうな雰囲気を持ってる方などは、けっこうやられていると思います。
 
余談ですが。
この頃では、安い高い関係なく、百貨店やお店でたくさんカゴに品物を入れている1人客をターゲットにして、わざと通路をどかせたり、棚を見ている真後ろに立って、品物を選ぶのを自分から止めさせたりする奴もいますよ。
 
変に近くを通りながら、軽く押して行きすぎるのも、本当によくありますね。
 
私は、急ぎ歩きで、すぐ後ろを通り抜ける体(てい)で、肩にかけていた小さなショッパーに、バーン!とぶつかられたことが、同じ時刻の同じ売り場で、2回あります。
もちろん後ろは通るスペースは広くあるし、他に客はまばらにしかいませんでした。
2回目の後は、 店員さんが異変を察知して来て下さいましたけどね。
女性でしたよ。
ショーカットで小柄やせ型の、仕事をしている風の服装をしたパンツ姿の女性でしたよ。
 
別の雑貨店では、品物をカゴいっぱいに入れていると、セリアでも同じく品物をカゴいっぱいに入れていると、別のやり方でやられました。

たくさん購入したから、レジで家まで配送してもらう手続き中に、急に割り込んでくる奴とかもいますよね。
スペースは他に十分空いているのに。
 
これも憂さ晴らしの一種です。
 
たくさんカゴに品物を入れている。
少し身なりが良く見える奴が、おしゃれに見えるものを買っている。
それがターゲットになります。
 
気をつけて下さいね。
 
ところで自転車って、いつから歩道オッケーになったんです?
車道の自転車用の通路を走るって話でしたよね?
また法律が変わったんですか?
 
歩道をやむを得ず自転車で走る時は、遅いスピードにして、右か左かどっちかに決めて走りましょう。
 
ナニ、人の間を縫って走ってんだよ。
そんなスピード出すなら、車道だろ!
自転車って車両ですよ。

巻き込まれ事故にはくれぐれも気をつけて、無理な運転はやめましょうね。
 
 
以上、 その電話は切っていい、と自転車当たり屋チカンと街の当たり屋、でした。
 
 
 
20250124 02:04 誤字を直しました。
 
 




2024/10/25

この頃気がついたこと、瓶の蓋の簡単な開け方 ・本日の雑感(不定期)


久しぶりに本屋さんに行ってきました。
 
私の街にあるジュンク堂は、天神ビックバンという都市計画の一環で天神の中心部がいろいろと工事中になっている中、元々あったビルから移転先が見つからず、皆の心配を一気に背負っていたのですが、運良く西通りにある素敵なビルに引っ越しが決まり、現在では西通りのジュンク堂としてお馴染みになっています。
 
ジュンク堂の地下に丸善があったんですけれど、現在は統合されているそうで、店内に小さなステイショナリースペースが点在しています。
そこでブックカバーと栞をいくつか購入しました。
 
長方形のブルーのは布製で、お家で淹れた紅茶とコーヒーが似合いそうな手触りです。
静かな花柄がそっとあるのがお気に入りです。250円とかそんなだったような・・・?
猫ちゃんとアンティークなイラストのそれは、なんとマグネットの栞で、重さがあるのでページの紙面に挟んで使うようです。
こちらはトールサイズの飲み物が似合いそうですね。
 
文字を目で追っていると気持ちが鎮まります。
活字中毒ではなく、文字を目で追うと目の前のあれこれから少しだけ離脱でき、風通しが良くなるからだと思います。
 
今年はすごくすごく暑くて、いつまで経っても暑い中、大きな出来事が次々と起こり、それでいてもあまり日常にその影響がないはずな上、この頃では心配な犯罪について注意喚起がなされていますね。
そして私もなんですが、非常に忙しくして家の中が散らかったままいつまでも片付けられず、その上食事も普通の自分の味付けのものを口にすることが出来ませんでした。
外食は外食で素敵なんですが、私は意外と塩分を気にする性分で、実際振り返ってみると、なんだか塩分が強いものをしょっちゅう口にしていたこと、そして外的にもストレスが凄かったこともあって、気がつけばこの10月は怒りが体中に増えていました。

どうしたのかな? と考えると、私自身がコンディションのマイペースが取れなかったんです。
とてつもない暑さのせいもあり、行動が制限される中、日常性を失うような事態が世の中で続く中、たぶん街の雰囲気が「躁状態」に入っているのが、身体的に強いストレスだったのだろうと、半年以上経過してそう結論付けました。
 
それに行くお店行くお店で、人々が楽しくしているのはいいんだけれど、お店の店主の目が瞬間脅えるような態度でわーわー騒ぎ続けたり、他の場所では大声というレベルではなく、がなり立てる音量の声で笑ったり話したりしてるグループを見かけ、ああやっぱりこれは・・、と思いだしたときに、街を歩いていてもおかしな酔い方をしている人達を見かけたりしました。
年齢層はまちまちです。
 
良くないな、と思い、いくら安心の方達と一緒にいる機会が増えても、これから街を行くときは、だいぶ気を付けようと思いました。 
10月の終わりを控え、今後年末スケジュールに入りますし、もっとこの街の躁状態が強くなるかもしれない、という不安が私個人にはうっすらあります。
 
たぶんこの、おかしな、そして気持ちを落ち込ませる世界の雰囲気を振り払いたくて、無理に楽しくしようとしているのだと思います。
それが無意識に発動しているからこそ、こういうことになるんじゃないでしょうか?
 
昨晩、ひと晩かかって散らかった部屋を私は片付けました。
まだ残っているので、ぐっすり眠っていつもの食事を取った後、今夜も数時間かけて残りを片付け、環境を整えなおすつもりです。
 
そしてHSPの私は眩しい光が苦手ですので、画面の輝度に注意しながら、紙面の文字を追う時間を無理矢理にでも作って、少し本の内容を考える自由時間を持つつもりです。
 
購入した本は、柳田国男(男)の「遠野物語」とキャサリン・サンソム著「LIVING IN TOKYO 東京に暮す 1928-1936」です 。
「LIVING IN TOKYO 東京に暮す1928-1936」は師に「面白いぞ」と言われて。

皆さんは気持ちが鎮まるツールをお持ちですか?
 
今もし同じ方がおられましたら、私は自分が前々から興味のあったジャンルの読書をお薦めします。
私は人々の暮らしぶりを静かに描写した本がけっこう好きなので、あまり肩に力を入れず、知りたかったことをあっさり受け渡してくれる時間を持つようにします。
 
この世界の躁状態と言える雰囲気に呑まれないようにしたいと思います。
 

 こちらは業務用(プロ御用達)スーパーで購入した蜂の巣入りの蜂蜜と淹れた紅茶です。
ハニカムハニーでいいのかな?
大昔、私の街にあったハロッズの店舗で800円で購入して毎日食べてしばらく置いていたら、中の蜂の巣が徐々に結晶化にひと役買って、さらに美味い糖蜜になっていて大喜びしていました。

現在は1200円とかだった気がします。700円だったかな?
 
瓶モノは蓋が固くて困っている方が多いと思います。
 
私はキッチンばさみの切る方をハサミを閉じたまま蓋の上と縁(ふち)をカンカンカンと20回くらい叩いて、あっさり蓋が開くようになることを先日大発見しました。
蓋のフチにヘコみが付くくらいの力加減です。
知らない方が周囲にもしおられたら、そっと教えてあげてください。
あっさり開くようになりますよ。
 
ガスの火であぶって開けるのはお薦めしません。
ガラスが膨張して余計に閉まるし、蓋の金属部分も火傷するほど熱くなるだけですしね。
 
キッチンばさみで蓋の端をカンカンカンと跡がつくくらいの力で、20回、大体一周すればあっさり開きます。
どんどんやってみてください。
オリーブの瓶詰め、ピクルスの瓶詰め、何でも来いです。
 
以上、この頃気がついたこと、瓶の蓋の簡単な開け方 ・本日の雑感(不定期)でした。
 
20250113 01:30 誤字と文章を直しました。



 

 

 

2024/09/13

NewJeansのゲリラライブについて思うこと・本日の雑感(不定期)

 

或る夕方 美しいビル

 
久しぶりにK-POPの話題です。
本日の雑感らしく、らっと書く文章でやります。
 
NewJeansのプロデューサー、ミン・ヒジン氏とHYBEが今年に入ってずっともめていますね。
私は何が起こっているのだろうと、定期的に日本に入ってくるニュースを拝読しているのですが、結局何が起こっているのかよくわからないまま、事の推移をただ見ています。
 
そして先日9月11日に NewJeansのメンバーがゲリラライブを行い、自分達が言える範囲でこちら側の視点から、何が起こっていたのか、NewJeansのメンバーとNewJeansとしてのグループの思っていることを語った後、HYBEにミン・ヒジン氏を元のポストに戻して欲しい。ADORを元のメンツに戻して欲しい。
自分達はそこで今まで通りの立場で、NewJeansとしてうまくやっていくので、9月25日までにやって欲しい旨の意思を示しました。
 
私がそのことを知ったのは12日の夜で、驚くというより、それまでもNewJeansはミン・ヒジン氏への解任について裁判所に嘆願書を提出したり、ずっとミン・ヒジン氏を支持する立場を明確にしてきましたので、やっと自身の肉声で立場を明確にしたのだと思いましたし、どんどん状況が動いていく中、2024年の9月12日現在のNewJeansとして一番最新の意思を提示したのだと、とてもいいやり方だと思いました。
 
年若いNewJeans達を心配する声もいくつか見られ、巻き込まれているとする見方もあるようですね。
私は、NewJeansも当事者ですので、巻き込まれているという見方とは違う視点を持っています。
 
またこれは少し整理しながら思った事なんですけど。
 
どうもNewJeansをどこまでチームとして区切るか、で、世界中のNewJeansファン(バニーズ)の中でも、NewJeansの捉え方に差があるのではないか、と思っています。
 
NewJeansってメンバーだけがNewJeansだ。
とする考え方と、
 NewJeansはミン・ヒジン氏や主要スタッフを含めてNewJeansである。
とする 考え方がある。
というのが、私がいま一連の流れを捉えるときの見当です。
 
私個人は後者の、「NewJeansはミン・ヒジン氏や主要スタッフを含めてNewJeansである。」という捉え方です。
 
おそらく、NewJeansはミン氏がプロデュースしていただけであって、NewJeans単体として、プロデューサーが変わっても、他に動きようも活動への指針を変えようもある。
という考え方が、この一連の話のNewJeans側と外からの見方、そしてバニーズ内、外からのリスナー(私です)からのNewJeansの捉え方のズレ、ではないでしょうか。
 
そして再三、NewJeansはミン氏を守る対応を続けているんですけど。
 
そこから見て取れるように、NewJeansというのは最初から「チームNewJeans」であり、その骨格にメンバー達がいて、ミン氏とともにNewJeansをやっていく価値観を持っているのではないでしょうか。
 
それとミン・ヒジン氏についてすごくラベリングが横行しているようですので、一応、書いておきますが。
 
ミン・ヒジン氏はSMTOWNで長期に渡り、アイドルをプロデュースする仕事に就いており、そのビジネス手腕と彼女にしか生み出せないアーティスティックな表現が認められ、主要ポストで仕事をし続けてきた人なんですね。
 
なので、よくある、アーティスティックな天才が、わがまま放題を許されてきた人で、世間知らずで社会的な会話(ビジネス的な)ができない機能不全を持っている。というラベリングは当てはまりません。
 
現在、こちらに入ってくる報道を見る限り、韓国社会は女性の活躍が当たり前となっていますが、おそらくミン・ヒジン氏が活動を始めた初期は、まだまだ女性の社会進出が今ほど当たり前で無かった時期です。
当時から、大きな企業で結果を出し、プロデューサーとして内外に名が轟くまでになった氏が、企業内、社会的に感情的で世間知らずなワケが無いんですよね。
 
だから、こういったラベリングの横行をミン・ヒジン氏がどう見ているのか、NewJeansがどう見つめているのか、を私は考えています。
 
それとこれはBTSの話題に関わりますが。
今回のライブ配信でNewJeans側が自分達のホームである企業側から攻撃をメンバー個人が受けていた。そしてその対応がホームである企業からなされることはなかった。
と発信している件ですが。
 
それくらい。とか、BTSだって堪えてきたのだから、わがままだ。弱すぎるのではないか。という向きもあるようですが(コメント欄を見ました。)  
それは違うでしょう。
BTSは、外からの攻撃に耐え続けてきた下積み時代を経て、内部に潜む罠にも対応してきたと私は捉えていますし、それはそう間違ってはいません。
対してNewJeansは、いきなりホーム企業内でメンバー個人個人に、他のグループと関わりを持たせないという、「お前達は孤立している。」「お前達のメッセージは誰も受け取らない。」という攻撃を受けていたんです。
 
これは、年齢問わず、非常に怖ろしいやり方ですよね。
 
このBTSを引き合いに出す話法は、誰々は堪えてきたのだから、という話に、ホーム企業内でメンバー個人にまで攻撃が行われていた、というNewJeans側の主張を、巧妙にすり替えようとする意図を感じます。
NewJeansの実年齢を利用した、新しいラベリングですよね。
 
また、NewJeansが売れっ子になってゲームチェンジャーと呼ばれ、K-POP史を整理する上でNewJeans以前・以降と区分けしても良いほど、NewJeansの登場が、K-POP・エンタメへ与えた甚大な影響力、という結論は周知の事実です。
 
そのせいで少し混乱があるようですので、私が記憶しているNewJeansが登場した当時のことを、覚え書きとして記しておきますね。
 
BTSの妹分として売り出されたのは、LE SSERAFIM(ル・セラフィム)です。
 
ミン・ヒジン氏は、病気の為、SMTOWNを退職した後、引く手あまたの中、療養と今後のことをご自身が考えた後、HYBEと契約したんです。
そしてHYBE内で、ミン・ヒジン氏が手がける初のガールズ・グループとしてまだ名前もなかった彼女たちが、LE SSERAFIM(ル・セラフィム)のデビューの後、どちらかというとマニアックなアーティスティックプロデュースからの、K-POPガールズグループへの新しいアプローチとして、NewJeansがドロップされたんです。
 
だから最初、(本当はどうだったかはわかりようもありませんが。)けっこう手弁当な感じだったんですよね。
すごく実験的な販売戦略や、私の理解の範囲で恐縮ですが、ガーリーとされているものへのミン・ヒジン氏の新解釈と、全員が同じ髪型で長い黒髪をしていながらも、全員が個別である。とする不思議なバグのようなイメージを持っていたんです。
 
学校のクラスメイトが、皆、だいたい同じような感じなのに、全員違う人間なことはわかっている。
そんな感じでした。
 
デビュー曲「Attention」のMVをご覧になればお分かりのとおり、90年代のダンスが好きな女の子達を体現していて、とてもストリートの匂いのするセンスが充満していたんですよね。
 
どこかにいるかもしれないけれど、本当はどこにもいない。
本当はどこにもいないとされているけれど、いつもそこにいる。
 
そういった女の子像へのバグであり、ウィルス的な感じだったんだな、と今は整理をつけています。
 
なんだか試行錯誤をくりかえし、ひとつひとつ試し試しやっているような感じでしたよ。
 
なので、この一連の騒動が本当に良く分からないんですよね。
私が言っているのは、この騒動の要因のことです。
 
鳴り物入りでミン・ヒジン氏を迎えて、とても実験的な「今のミンさんがやりたいグループをやってみたらどうだろう? 」と私がうっかり受信してしまうほどの、温情と実力への対等な評価をしたHYBEが、こんなたった数年で、いまやドル箱スターに成長したNewJeansとミン・ヒジン氏を含む「チームNewJeans」に対し、こんなわけのわからない騒動を起こしますかね?
 
実際、問題は起きているんですよね。
なのでリスナーとしては、どういうことかな? といつまでも私の頭に「ハテナマーク」が浮かび続けています。
 
NewJeans達は25日の期限までにHYBEが返答するとは、まったく考えていないと思います。
 
それにゲリラ配信の動画がいくら削除されても、個人がアカウントを持ち、それを再掲することはなんら法律違反でも契約違反でもないことです。
それを敢えてしないでいるというのも、おそらくNewJeansは、自分達は、本来のチームとして活動を続けることが第一義である。と意思表示したんだと思います。 
 
その価値観から考えていくと、今後のチームNewJeansの選択肢の方向性は見えてくるのではないでしょうか。
 
すぐ洗脳とか騙されているとかいうフレーズが出てきますけれど、いい仕事をしたい、最低限の環境を整えてくれ、チームメイト(ミンさんのこと)を戻してくれ、という意思表示をすることは、なんら売れっ子になっていい気になってるのでも、世間知らずでも危ない選択でも無いのではないでしょうか? 
 
そんな風に思いました。
 
来日公演のバニーズキャンプで、松田聖子の「青い珊瑚礁」のカバーに、とても上品で敬意しかないリスペクトと、二番からは自分達NewJeansが体現しているダンスからのアプローチで「青い珊瑚礁」を再解釈してくださり、ファンとして胸が熱くなりました。
とても嬉しくて数日はしゃいでしまいました。
 
誰もが大好きな曲です。
だからすぐにあのリズム拍手と声援が飛びました。
本当にありがとうございました。
聖子ちゃんが皆さんにも愛されていることがわかり、胸が膨らむ想いでした。
 
(無数にいるデビュー当時からのファンの1人より) 

エナメル 拝


以上、NewJeansのゲリラライブについて思うこと・本日の雑感(不定期)、でした。

20240915 13:47 文章をなおしました。内容の変更はしておりません。


 
  
 

2024/09/05

Take Fiveを聴きながら街を歩く:本日の雑感(不定期)

 
UNIQLO FLOWERで購入した百合

 
台風の混乱はまだ収まっていませんね。
 
私は通販ヤロウでもあるので、来るはずのモノが仲々やって来ず、運送業者さんが必死なのがまた胸が痛いです。
 
当たり前ですが、日々の暮らしはAmazonを始め、大手通販サイトが誕生して20数余年経ち、物流というものが日本の大動脈になって久しいので、こういった災害が起こるとその影響力が如実に明らかになり、社会の混乱の破片が私達市井(いちい)の生活者の元に押し寄せます。
 
誰かが以前ネットで語っていたことですが、どうして物流が暮らしの経済の主軸となっているにも関わらず、運送業者さんという職業の価値は昔のままなんでしょうね。
低すぎると思うんです。
同じく、コンビニエンスストアの店員さんの価値も、以前のまま凍りついています。
 
コンビニってもう重要な社会インフラでもあるのに、あんな難しいことを次々やっている店員さん1人1人の給料や社会的立ち位置が、相変わらず誰がやっても一緒の職業だと思い込まれているなんて、本当に信じられないんですよね。
 
この方達のお給料を上げると商品や物流の一単位の価格が値上がりしてしまう。という世の中で当たり前のこととして信じられていることが、実はいくらでも商品価格を据え置き(もちろん物価の影響は受けますけどね。)、お給料を上げることがいくらだって出来るんですよね。
 
現在Uber Eatsを始め、ネット通販の変則的な形でコンビニの営業形態もまた変わりつつあるので、その手数料その他の「数量」をうまく工夫すれば、コンビニエンスストアの店員さんの賃金を上げることは出来るんじゃないでしょうか?
 
また、私はよくわからないですが。
労働組合を作り、自分達の労働環境を守ること。社会保険の適用範囲に入ること。なども、各店舗のオーナーの個別の判断に任せっきりじゃなくなり、だいぶ労働環境が整うのではないかな? なんて、思っています。
 
こちらはスーパーで購入した百合(アマリリス?)
 
実は私はこの頃、街を歩く機会が多く、人生の大先輩のお話を聞きながら、また他愛もないハナシを楽しみながら、ときに黙りながら、2024年の街を歩いています。
 
とてつもなく不思議だと思うことに。
リーマンショック以来の不況である。そして人々は暗い気持ちを抱え、ものすごく貧乏になり、私の住んでいる街の中心部を歩いているのは、すべてインバウンドと呼ばれる海外からのお客様ばかりで、日本人は出かける余裕すらない。
と言われているし、耳でそして目でインターネット上のメディアに漂っている雰囲気を感じています。
 
ですが、この十年ずっと言われ続けている日本の経済は底打ちで、もうダメになっていく一方。
というものが、街を歩いていて、それは本当なんだろうか?
としか思えない現状を私はじっと見つめています。

単に未だコロナの影響が残っていて、まだ街がきちんと建て治っていないだけではないでしょうか?

リーマンショック以降、一体いつ日本は金持ちになっていたんでしょうか?
 
例えば、デパートに人が行かなくなった。と信じられていますが、私の街のパルコには月曜日の時点で、夕方平日の人並みが普通に存在していました。
集まっている人達は、信じられている海外からの旅行客ではなく、ファッションを楽しまなくなったはずの若い女性や30代女性は攻めたファッションでお店に入っていき、中高年の女性はお友達とではなく、けっこうソロで動きやすい格好をして、やはりぐいぐいパルコに入っていっていました。
 
主に海外からの観光客は、安い日本の商品が売られている免税のドラッグストアや百均で買い物をしているようでした。
物価が安い国に旅行に行って、安い国ならではの、価格設定やお得なサービスを展開しているお店に集まり、こんな所にもあったのか・・・? という免税のお店にも外国語が飛び交っていたり、私が日常の買い物をするスーパーに楽しげに買い物カゴをカートに乗せて、売り場を珍しそうに見ているようでした。
おそらく、専用の口コミが共有されているんでしょうね。
安いお店で買い物をして帰国する。が、日本に来ている旅行客のステイタスなんでしょう。
お店側もちゃんと心得てて、外国語表記も言葉が通じない方相手の接客も慣れているようでした。
 
夕方の街と言えば、私のような特性のあるもの( HSP)は少し寂しくなってしまうものですが、夏の終わりに日常が始まってしまった、モラトリアムの終焉とよく象徴される、9月の始まりの中心部の風景は、元気いっぱいどころか相変わらず賑わっていて、私もどっかお店に入ってみよっかな? なんていう気持ちになりました。
 
ユニクロフラワーのコーナーは、海外からの買い物客のフォトスポットになっていましたよ。
 
あとCOOLジャパンと信じられて久しい日本のエンタメ世界ですが、街でビラを配っているアイドルグループのご本人達がいて、私はイチおばさんの暮らしの義務として、一枚受け取り、まず来ないだろうな、まず行けないだろうな、とお互い分かっていながらも「頑張って下さい」と右手でガッツポーズを作ってしまう私に、彼女は一生懸命笑顔で「よろしくお願いします」と答えてくれました。
 
他のメンバーさんも少し離れたところで同じビラを配っていたので、やはり「頑張って下さい」と私は声をかけ、彼女は会釈したあと、別の通行人に向かって、少しだけより大きな声で「ライブやります。来て下さい」と言ってくれました。
 
市井の声援に対する、配慮とはにかみがある彼女達の応え方に、私はとても爽やかな気持ちになりました。
 
インターネットのせいで、街に人が、主に若い方が居なくなったと信じられていますが。
私はこの2年で、むしろ街に若者や青年、私の年代の中高年達、ビジネスパーソン達が増えていっているように感じています。
 
また、お洒落をしないと信じられている若者達こそ、工夫と「生き金」の使い方が上手で、懐かしいバブルの頃のように(私はその後の世代です)、90年代の頃のように、全身を好きな服で包んで、街で遊んでいるのをよく見かけるようになりました。
 
私達は、一体どこから出てきた憂鬱を社会の前提として受け渡されているのかな? 
と、明るい気持ちになるばかりの街歩きを、私はこの頃やっています。
 
公園からスケートボーダー達を閉め出してしまった経緯には、双方の理由と事情があるのでしょうね。
けれど、閉め出した後に彼らに新しいスペースを提供するまでが、若者と青年達への社会からの解答ではないでしょうか?

いつの間にか、路上ライブをやる若者の姿も街から消えてしまいましたね。
 
彼らのような、集まる所がない人達、行き場のない人達が、独自の文化を形成し、やがて大きな潮流を作り、経済を動かし、社会を整え、引き継いでいくのに、どうしてこんなことになっているんでしょう?
 
アイデアは識者や市井の物を考え続ける人々に無数にあるのに、そのアイデアを発信し、伝播させるには現在の「古くなって行っているのに、発明や進化という開発をやむなく停めさせられている発信ツール」しか無いから、だと、これまた誰もが感じていることを書いて、今日の投稿を終わります。

あくまで理由であって、責任の所在を問うものではないことも、ちゃんと書き添えますね。


20240905 11:52 誤字を直しました。