休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)
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2024/04/21

ウエディングフォトの撮り直し:本日の雑感(不定期)

 

Photo by  うみなり from 写真AC 加工 エナメル

 

思うに、ウエディングフォトに満足してる方って、どのくらいおられるんでしょう?

 

時代もあったと思うんですが、私は、当時めずらしかったオリジナルウエディング(超手作り)を予算をかけずにやったので、ものすごく写真が不満で、満足しているのは着ていたドレスだけだったりします。

 

自分のポテンシャルは置いておいても、その頃から、当日に向けて美容日程を組んで、というやり方はあったんですね。

でも、私は超手作りだったので、当日、もう疲労でフラフラで、その日の行程をこなすだけで精一杯だったんです。

だから正直、あんまり当日前後の記憶が無いんですよ(笑) 

忙しさとプレッシャーで。


だから、全然嫌なんです。自分のウエディングフォトが。

(正直言って、いま、家のどこにあるのかすらもわかりません(笑) まだ持ってるんでしょーか?)

 

で、さっき突然、今年の初冬の旅行について、あれこれ調べていたときに、

(細かいスケジュールは公開しませんが。何日にどの街に滞在しているかくらいは、今回は公開してみようと思います。もしなにかございましたら、事前にメールで連絡いただいて、宿泊ホテルのロビーでお会いしましょう!)

ふと、そうだ! 撮り直せばいいのでは? 
と思ったんです。

 

私、当時もドレスはレンタルだったんですね。

写真のドレスではないですよ、念のため。

でもすごく好きなドレスで、ウエディングだけど、当時からマニアックな嗜好なので、全然人気の無い、さっぱりしたアンティークレースのドレスだったので、値段も安くてお手頃だったんです。(夢が怒濤のように壊れてませんか? 大丈夫ですか?)


それでおそらく、2024年の現在なら、ドレスレンタルに撮影のパックがあるはずだ、と当たりをつけて検索したら、いきなりありました。

ヘアメイク付き有料ドレスレンタルの上、希望者は隣のスタジオで撮影込み、というお値段もご用意のドレスレンタルショップが!

 

そうですよね。

これほどコスプレとか自分で撮影とかお馴染みになっているのに、プロが参入していないハズはないんですよね。

 

まあ、私は、とにかくまともに写っている写真が欲しいので、そちらで素敵でさっぱりしてる服をお借りして、プロの方にヘアメイクしていただいて、普通に記念撮影していだだこうと思っているところです。

それに現代には、フォトデータを修正できる技術!という力強い味方がありますからね!!!(力説)

 

たぶん、ちゃんとした1枚が撮れると思っています。

まだ申し込みとかはしていないんですけれど。

 

もしミドル向けのウエディングドレスがあるのなら、気に入ったものとめぐり逢えばですけれど、気に入らなかった当時のウエディングフォトの敵を取るつもりで、お願いしてみようかな? とも思っています。

 

で、思ったんですけれど。

かわいらしいのは、正直私くらいの年齢の方は着ないと思うんです。

でもさっぱりしていて、シックで、要はただのストンとしたラインのイブニングのようなパーティドレスなら、普通にあるので、

事情を説明して、必ず事前打ち合わせをして、ウエディングフォトを撮り直すっていうのって、私、アリだと思うんです。

ヴェールとかいらないですし。

ブーケだって自分が好きなの打ち合わせの時に言って、無けりゃ花屋さんに注文すればいいだけですから。(当時もそうしました。)


多くのレンタルドレスのショップは、もうやってるとは思うんですけれどね。

 

はっきり言って、ツーショットで撮り直すのも素敵だけど、相手の方との兼ね合いもあるし、世代によってはすごく照れて嫌がる方とかおられますよね?

それで、しなくてもいい争議が勃発したりして、

なんか1人でパッとやれたらなー。

と思われてる方も多いのではないでしょうか?

 

おひとりでドレスだけ着て、ウエディング前撮りの体で1枚撮るだけでも、少なくとも私は、なんだかずっと胸の奥にあった、失敗体験がひとつ解消されると考えています。

 

また、事情があって式を挙げられないというケースは、昔からけっこうありますので、そういった方々は写真だけでも、ということで、こういうレンタルでドレスを選んで写真を撮る方も多いんですよね。

なので、実はあの時のウエディングフォト、私的に大失敗だったんだけど言い出せなくて・・・、という方、

または、いまの自分でちょっとあらたまった写真を残しておきたい、という方は、もっと気軽に、そういう所に問い合わせてみてはいかがでしょう?

 

そういう経験から、私は、ウエディングフォトは絶対に前撮りをした方が良い!と主張して、本日の雑感を終わります。

 

 

 


2024/04/20

夜の大騒ぎ


左 南 佳孝 MONTAGE 右 山下達郎 FOR YOU

 

先ほど、南佳孝の名盤、「MONTAGE」に収録されたクレッセント・ナイトをWEB視聴コーナーで初聴きし、ものすごく興奮して、部屋の中でひとり大騒ぎをしていました。
大騒ぎして、かっこいい!かっこいい!おしゃれーーっ!と全力で大騒ぎした後、
山下達郎の「FOR YOU」と
パール兄弟の「BLUE KINGDOM」の発売年を調べて、
さらにさらに、かーっこいいいい!!!と大騒ぎを繰り返しておりました。
 
MONTAGE」は1990年に発売されていまして、
「FOR YOU」は1982年、
「BLUE KINGDOM」は1988年になっております。
 
内容は、みなさんはとうにご存じの事に、自力でその情報に行き当たり、久しぶりに娯楽というものの素晴らしさ、耐久力の強さに鼻血が抜けそうになったからです。
 
どのくらい大喜びしたかというと、アマゾンで「
MONTAGE」「FOR YOU」をソッコー購入してしまいましたはーーっ!
まだ調べていないけれど、かせきさいだあ、も多分、同じアプローチですよね?(ワクワク)
 
私、南佳孝は「大航海時代」だけで、オリジナルまで到達していないんですね。
けど、別の楽曲で久しぶりに音楽の話をしようと思ってたときに、この情報に行き当たり、CD2枚をソッコー購入してしまったという・・・。
 
そして本日、そのCDがソッコーで我が家に届きました。
アマゾン万歳!
配信で、南佳孝だけでも買っても良かったんですけれど、
そのライナーノーツに用がある!と!
 
そのライナーノーツに用がある!のだよ、と!(主張風)
 
そのライナーノーツに用がある!んでござーますよ、と!
(うまいこと出来たのでちょっと得意気)

 
いやもう、そのライナーノーツに用がある!んだってばっての、この野郎!と!
(しつけーよ!つーか単にパクりだろそれ!)
 
 
・・・語呂がうまいこと合っている語感が大好きです。
 
で、そのライナー・・・、もういいですか?
(笑) とにかくクレジットや参加アーティストを知りたかったので、CDを購入いたしました。
 
そう、ここまでが「クレッセント・ナイト」を初聴きした人が必ず通る道ワンセットですね。
 
みなさんが、あーあーあーあーと、うっすら微笑んでおられるのが目に浮かぶようです。
あー、やるよねー。
あー、自分も買った買った。
と微笑まれているのが、手に取るようにわかります。
 
でもやるんだよ!←今日、元気だね・・・。
 
ええ、この言葉も盗用です。私のことを天才だと思わないようにご注意いただければと思っております。
 
私は、けっこう早くから配信で音楽を購入しているんですが、特にCDをどうのという気持ちはありません。
単に、現在のネットワーク上の購入システムで1番、私の需要に合っているのが配信だからです。
主にiTunesで購入しています。
しばらくサブスクもやっていたんですけれど、現在はほとんど配信購入分ばかり聴いています。
 
今回、久しぶりにCDを購入いたしまして、先ほどけっこう時間がかかりながらもPCに取り込んで、最初はアップル内蔵のスピーカーで山下達郎の「FOR YOU」を聴いていたら、あまりの音の良さに、「ラジカセの音色を
iPhoneで頑なに再現して音楽を聴こうじゃないか会!(会員私1人)」主催者の私といたしましても、ちょっとびっくりしました。
 
やっぱり山下達郎さんは、自分の音楽はCDが今のところ最高の再現ツールである、というお考えをしっかり貫かれており、これほどの高水準の音楽CDを作られるのですから、私は、やはり山下さんの音楽は、これからもひっそりとCDで購入していこうと誓いを新たにしました。あんまり買えてなくて恥ずかしいですけれども。
 
ちなみに、山下達郎さんの「クリスマス・イブ」は、なんとこの楽曲だけ、配信されております。
もしお持ちでない方おられましたら、購入をご検討下さい。
 
で、結局、2枚CDを買ってまでやっている、「あ!コレはこういうことじゃねーか?」の結果は、あえて言葉にしないでおこうと思います。
 
それでも、本当に久しぶりになんの躊躇も無く、突然耳に飛び込んできた1曲の音楽が行動理由になってしまう、という、私が思う、音楽が本来持っている情熱に感染していく体験ができて、とても楽しかったです。

まるで、ラジオのランキングをなんだかわからないけれど、ワクワクしながらタイムリーにノートに書き写していたあの頃の、音楽の夢の部分が私の人生に戻ってきたようで、生活の色彩が鮮やかに再生されたようでした。
 
1982年に発売されたアルバム、山下達郎の「FOR YOU」ですが。
CDに帯?がついておりまして。
そこにこう書いてありました。

<あの夏、街で海で山で、この音が流れない日はなかった!>
 
当時、私はまだ子供で、「FOR YOU」と知らずに、貸してもらったフェイバリットソング集に、こちらの楽曲がたくさん入れてあったのを記憶しています。
ですが、音楽性の高さは分かっても、本当の意味で、このアルバムのタイトルの意味、歌われている内容の味わい深さはわかりませんでした。
 
どうしてこのアルバムを、1982年の少年少女と青年達は熱狂して聴いていたんでしょう。

それは、トレンドと呼ばれるもののメイントラックに乗ってはいても、聴く人ひとりひとりの心にある、出逢いの妙を唄っている楽曲が数多く収録されているからではないでしょうか。
 
この歳になって「FOR YOU」をきちんと聴いてみて、私はそのように思いました。
 
アルバムの中で1番好きな楽曲は、私は「YOUR EYES」です。
歌詞カードが手に入るという大変幸せな状況の中で、初めて楽曲の歌詞を拝読し、この部分がとても心に残りました。
 
<They answer all my longing for you>
 
 
解答(こたえ)というものが、ある時、突然わかる時があります。
 
それは、最初の時かもしれないし、中盤、それとなく知っていくことかもしれない。
よくある素敵な物語の結末のように、最後の最後にやっとわかる、そんなあたり前の極上かもしれない。
 
とあるストーリーの中で、
たとえどの場面であったとしても、
その解答を受け渡すのは、私は、やはり眼だと思うんです。
言語を決して語ることが出来ない、その眼差しこそが、
唯一の解答をたった1人だけに告げることができるのだと。
 
私は、そう信じています。
 
年に一度くらいは、葉桜の季節、
ちょうどいい時間の夜に、
たとえばオーセンティックバーでギムレットを飲みながら、
そんな気持ちを噛みしめようと思います。


 
 
以上、夜の大騒ぎ、でした。
 
 
 
20240421 0:04 誤字・誤表記と文章を直しました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2024/04/06

桜の木の上には

 

ソメイヨシノ


蛇足ですが。
 
ちょっとだけ昔、私には、心の底でなんだかわからない慕い方をしている人がいました。
いま思うと、あまりにありきたりで申し訳ないんですが、
その人は、兄のような人でした。
 
10年前の言い訳というような苦笑をされるかもしれませんが、確かに、その人は私にとって兄のような人だったんです。
 
でも例によって私はおくびにも出さず、現実で決して近づくことなく、ただ色々ある重い現実の中で、勝手にそう慕い続けていました。
 
もし、という言葉がありますが。
もし、もっと近づいていたら。
もし、もっとくだらない会話を延々と続けていたら。
そう思われるかもしれませんが、
現実はそうではありませんでした。
 
近づこうと思えばいくらでも、どんな方法でもありましたし、わからないことはなかったんですが。
なんだか知らないけれど、億光年の距離を保って、なんだかずっとある見方をすれば、やはりその人は私を兄のように叱ってくださり、苛つき、がっかりされていたように思います。
 
やがてもっと時間が過ぎ、私はその人の訃報をわざと遅らせて、自分が耐えられる状態になってから、無意識がやっとその報せを偶然のはてに自分に受け渡しました。
 
それでもやはり、いままでにない程、私は悲しみました。
 
数ヶ月間、きっと泣き続けていたんでしょう。
他の大恩ある方の訃報も重なり、私は、もう機能しているのがやっとの状態で、毎晩、毎晩、泣いていました。
 
ああ、泣けるようになったんだ。と感謝しながら、でもとてもとてもその悲しみはいつまでも終わらない、底の無い、失恋したときだってこんなに泣いたことはないほど、涙にくれていました。 

だからきっと私はどこかで、このまま悲しみながら死ぬのかもしれない。と決意したのかもしれません。
意識では、へらへらしながら泣いていましたから、それはなんだかもうよく分からないところで、もういいや、と思っていたのかもしれません。
 
そうしたら、不思議なことが私の部屋で起こり始めました。
不可思議なことが続く中、なんだかわからないながら、私は淡々とその不思議達と対峙し、対話し、醒めた態度で受け流し続けました。
 
やがて、兄のように慕っていた人が、彼岸からなぜか現れ、私に、なんだかもう遠回し極まりない約束をしてくれました。
 
本当のことを書けば、その人と私は色々な話をしました。
話したかったこと、言いたかったこと、そんなくそどうでもいい話をたくさんしました。
でも、途中で、私は、これは私の精神が作り上げた幻影の中にいるのだろう。とうとう私の心は限界を迎えてしまったのだと思っていました。
どうしてこの人が現れ、私にあれこれ、生前と変わらずとりとめのない話をするんだろう? とか考える前に、あっさりと、
「お前はいま死の淵にいる。」
「来んな。来んじゃねーよ!」
と叱って、それから何事も無かったように話し出しました。
 
すごく楽しくって、笑いながら、閉めている窓の外と中で、どうして話が出来るんだろう? と疑問に思いもせずに、一歩踏み出した時、
「行くな!」
とものすごい大きな声が頭の中で響いて、すべてが消えました。
 
でも、その人は、私に約束をしたんです。
それは、私が寿命で死んだとき、約束を果たすから、というものでした。
 
だから、私は幻影の中から戻ったとき、おかしな話ですが、寿命で死ぬのがとても楽しみになりました。
寿命で死に、その約束が果たされるのがとても楽しみになりました。
 
ただ単に、「なにやってんだよ、死ぬんじゃねーよ!」って言えばいいのに、相変わらず、私がどうしても守らねばならないのが何か、よくご存じだな、と苦笑いをしています。
 
奇妙な話ですが、私の身の上に起こった事ですので、私にとってはこれは現実の話というわけです。
 
いい話でしょう?
 
まあ、そういうわけです。
だから、私は、もう食事もちゃんと摂って、ゆっくり眠って、楽しく静かに過ごしています。
どうか、ご心配されませんよう。
 
エナメル
 
 
 
 
 
 
 
 


2024/03/20

暮らしの違い・本日の雑感

 

好物の焼きプリン

 

絵本作家であり、世界中で愛された「ターシャの庭」を作られたターシャ・テューダーさんのことを、ひとつ前の投稿で触れましたが、今、さらにお名前を違って表記していたので、こっそり直した後、これを書いています。(ターシャさん、ごめんなさい。)

 

いま、強いものに触れることが出来ませんので、ターシャさんに関する情報も薄めをあけて調べていました。

調べようと思ったきっかけは、私とはスタイルは違うけれど、本当に素晴らしくて繊細さと自然への受容溢れる庭のことを知りたいな、という気持ちと、こちらのターシャさんの人となりを語る文に魅せられたからです。


頑なに古い暮らしを守っていた人のように思われていますが、ターシャは私たちの想像以上に、柔軟に現在の生活と合理的に融合していました。

電気が通れば洗濯機や冷蔵庫は取り入れ、ニューハンプシャーでは照明も電灯でした。なんと、車も80歳まで運転していたそうです。

でも、ろうそくの光がとても好きだったので、電気が通った後も、電気スタンドをいくつか使っただけで、部屋の照明にはろうそくを使っていたようです。

このように、ターシャは、電気や水道等、近代設備はもちろん使用していましたが、最小限に留め、暖炉とベッドとロッキングチェアー、薪オーブンがある昔ながらの生活を好み、豊かに暮らしてました。

 

LOVE GREEN

ターシャ・テューダーが過ごした「輝きの庭」と憧れのスローライフ より

 

かねてから思っていることに、自分なりの暮らしを守っている人達への「誤解」のことがあります。
 
私は、自分の暮らしている環境を維持するために、C級ではありますが、けっこう長く、暮らしというものを運転しています。
その中で、私も若干、アンティークなもの、古くさいもの、の雰囲気が好きなので、自分が実行できる範囲で取り入れているんですが、
当たり前ですけれど、電子レンジもレンチンパスタもレトルトも、ガンガン利用しています。
 
なので、少し古い生活を好む人、穏やかさを快適とする人達への勝手なイメージを、新しいものをすべて否定したり、便利を憎み、非効率こそが人間本来の姿である、という考えに取り込もうとするのは、とてもズレていると思います。
 
自分のスタイルに合わないものを暮らしの中に取り入れない、というのは、ただ単に、日常の中で生活面での選択をしているだけ、なんですね。
 
だから、すごく寒いのに暖房を使わないとか、自分にとっての実用外の謎ルールに縛られて、無理をしながら受け入れない暮らしをしているんじゃないんです。
そうなんだと思うんです。
 
アレルギーとか、色々な事情で、飲む薬を変えることはしていても、病気になれば当然医師に掛かり、処方された薬を飲む現代生活が、まず基本にあり、その生活を便利である、と切り出して罪悪感を持たせるのは、本当の意味で、暮らしというもののリアルを知らない人がやることだと、私はひっそり思っています。
 
なので、ターシャさんが単にろうそくの灯りが好きだったから蝋燭を取り入れ(確か手作りされてましたよね?)、同時にスタンドで電気の光を部屋の中に置いていたことを知って、私の言葉で言うと、
自分を攻撃しない光、空間、ファブリック選びをしていただけなんだろうな、と、ターシャさんの静かな暮らしを、2024年の感覚でも捉えることが出来て、暮らしの中で常々思っていたことに赤ペンで○をつけていただいたような気持ちになりました。

暮らし・生活って、合理的で柔軟でないと、回せないんです。

そこに回している人、関わっているその時々の人、季節ごとの感性に、星の数ほど選択がある。

それが哲学なのか、思想なのかは、
触れた人と瞬間的に融合してその人が感じた化学反応なので、
スロウライフを取り入れている人をいちいち揶揄することも、
精神性を重視したインテリアをそろえている人を嗤うことも、
私のようにラクチンてきとーライフを送っている人を怒ることも、
その核にある、
「暮らすには、合理的で柔軟であることが、まず必要」
 という部分をしっかりわかって居れば、
そんなトンチンカンなことはなくなるのでは無いかな、と思いました。
 
わからないことは、決していけないことでは無いですし、大いに間違うことは、私個人としてはとても良いことだと思います。(シャレにならないことではない範囲で)
 
ただ、分からないのに、分からないかもしれないという自分を微塵も疑わず、人を否定したりジャッジしたりするって、すごく危険だし、なにより大きなお世話だし、正直、傲慢ですよね。
 
分かってないからそんなこと言えるし、できるんでしょう?
人に大きなお世話をしようとする前に、
少しくらい自分を疑ってみたらどうなんですか?
 
と、私は狭量なので、ついこっそりムカついたりしています。
いいですけどね。
立派な人になりたいワケじゃ、全然無いから。←大昔、なんらか自分の中であった模様。
 
「『立派な人になりなさい。』
 そう言うアナタがなりなさい。」
 
昔、好きだったポップスの歌詞です。
 
ホント、そうだよね! ←励まされた過去が甦っている模様。

 
20240324 1:18 文章を直しました。
 
20240324 1:44 大昔、立派な人になれないし、どうしてもなろうとしない自分を責めていた若者時代を思い出したので、誤解を招かないように文章を追加しました。
・・・なぜそんなことを考えていたんでしょう?(笑) (若者ってそういうもんだから)

 
 
 

 

 


2024/03/18

遊び続ける、ということ。本日の雑感 20240318-2

 

先月購入した(はず)、しおり(栞)


あまりにも疲れていて、読書が出来ていなかったんですが、先週ぐらいから、特に縛られない読書を再会しています。
 
写真は、なんと栞(しおり)です。
アマゾンで購入しました。
 
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ECHONOYA メタル しおり 花 おしゃれ ブックマーク アンティーク 金属製 読書 ブックマーカー 金属しおり チェーン ゆらゆら 揺れる 文房具 事務用品 学生 作家 贈り物 (12月の梅花-銀) 
 
美しいでしょう?
こちらの栞は、金属製で、一年の12月のイメージで2種類ずつ誂えてあって、私は、梅と赤い鳥モチーフとパートナーの誕生月のモチーフを購入しました。

これを挟んで、いまは「訂正する力(東 浩紀)」を読んでいます。
「訂正する力」はとても面白くて、昨年の 秋前 冬前に購入したんですけれど、不調が始まり、ちょっと置いておいたんです。
とても大好評な本で、東 浩紀先生がとても噛み砕いて、分かりやすく、訂正する力、について語られたものが本になっています。
 
手動 アマゾンリンク
訂正する力 (朝日新書) 新書 – 2023/10/13 
東  浩紀 著
 
こちらの第3章 親密な公共圏をつくる、を先ほど読み終えて、ふと、遊ぶこと、について書いてみようと思いまして、本日の雑感2を更新します。
 
色々なアドバイスを若者だった頃からいただく機会がどなたにもあると思います。
私も、きっと人より少なめですが、そのような機会がありました。
そのいくつかは、その時の私にとても有用で、それは経験のストックとして私の中にいまでも残っています。
そして、残りのいくつかは、ものすごく射程範囲の長い、長すぎる、今考えると、アドバイスをくださった方ご自身も、よく分かっていなかったのではないか、というアドバイスがあるんです。
 
共通点は、言われたときは、よくわからない言葉である。
そして、わからないのに、体感で、
これはなんだか知らないけれど覚えて置いた方が良さそうだ、という本能で、記憶されているもの。です。
 
そのひとつに、「遊びなさい。遊び続けなさい」という言葉があります。
 
当時、まだ若者で、私はいまよりさらになんだかわからない、ただの女の子でした。
いつもお金が無くて、大好きなお店で好きなお酒を飲むために、はした金を貯めて、行けるときに週末、お店でひっそり遊ぶ。そういうことをやっていました。
とても楽しかったですし、その時の体験が、後に私をとても助けてくれるものになりました。
 
例えば、お商売のジャマをする気は無いけれど、私個人は、チャージを取らないバーには行かない、というルールを持つきっかけになりました。
それは、本当に私を助けてくれました。
 
でも、そう言われたとき、正直、「何を気楽なことをこのオッサンは言ってんだよ」とイラッとしたのを覚えています。
 
ばっちり遊ぶには、けっこうなお金を稼がないとダメだし、そうしたら遊ぶヒマなんか無くなるのは目に見えているし、つまらない価値観に染まらないと、そのコミュニティに入れないし、そもそも私はいつも弾き出されてしまう。
 
だから、好きに暮らすには、いまの生活をやるのが一番いいし、ストレスも無い。そう信じ込んでいました。
それは、すごく間違っていたんです。

その方は、「お金が無くても、遊ぶ方法はいくらでもある。お金が入ったら、すぐ貯金しないで、必ず遊びに行きなさい。それが君をいつか助けるから」
と言ったんです。
 
私は、たぶん、「いいですよねぇ、お金のある人はそんな呑気なこと言って」という目をしていたんだと思います。
 
でもその方は、そんな私に、念をおしたんです。
「覚えているといいよ。必ず、遊びは、君を助けるから」
 
今でも、本当の意味や答えはわかりません。
 
ただ、私は、
目の色変えて、やたらと子供時代の遊びを大人が「あえて」やる、という遊び方や、
遊びの恋愛をすること、
お金も無いのに贅沢なお店に行くこと、
分かりもしないのに流行の遊びにすぐ飛びつくこと、
遊ぶこと自体に一生懸命になって、つまらないのに楽しいと思い込んで、日々をしのぐこと、
では無いだろうな、と思ったんです。
 
勿論、人をおもちゃにしたり、人をカモにすることでもありません。パワーゲームに参加することでも、当然ない。
 
本当に楽しいと思うことを、楽しいと思う範囲でやること。
やり続けること。
 
なんだと思いました。
 
ルールは、
「その楽しさを自分の中で絶対に誤魔化さないこと」
です。

飽きたらやめる。つまらなくなったらやめる。
そこに付き合いや他者の評価を、絶対に、入れない。
飽きて、ちゃんとつまらなくなって、きちんと止めるまで、が遊び。
 
私は、そう思って、いまもひっそり遊び続けています。
 
私が、遊びでやってるんだ、と、うそぶいていたのは、半分は格好つけです。
でも、半ば、本気で、これを実践していたんです。
 
あの時のあなた達は間違っていたんですよ、と言いたいのでは、決してありません。
 
私は、そうやって遊ぶこと。遊び続けることで、どこかで自分の中に、退路を作れたんだと思います。
 
これは、違う意味かもしれませんが、本に載っていた「勝たなくてもいい。負けなければいい。」という言葉が表していることだと思います。
 
この言葉を私個人の価値観で展開すると、
「負けても、負けても、負けないでいられるやり方、を体で知っていく」
ことなんだと思います。
 
私の人生は、負けっぱなしです。
負け癖がついているなんてもんじゃない。
負ける度に、本当に負けています。
でもね、と言えないくらい、負けるからです。
 
でも、勝った相手に、自分のすべてを受け渡してしまわないで居られるのは、 遊び続けていたから、今もなお、遊び続けるから、だと、さっき、東先生の本の第3章を読んで、ああ、そういうことだったんだな、と腑に落ちました。
 
解釈や実践方法は間違っていたかもしれないけれど、確かに、遊びは私を助けてくれました。
 
これからも、助け続けてくれることでしょう。


以上、遊び続ける、ということ。本日の雑感 20240318-2、でした。

 
 
20240319 10:53 訂正箇所を直しました。




 
 
 

本日の雑感 20240318

 

満開のクロッカス(昼バージョン)

 
現在の私の状態についてなんですが。
 
とても悪いです。
どうしたんだろうっていうぐらい悪いです。
 
お医者さんと以前約束したのは、よく知っている症状がまた出たら必ず言うこと、だったんですね。
で、それは無いので、環境が変わって一年とちょっと?くらいで安心はしています。
 
けれど、ストレスが凄かったようで、そのダメージからの回復がどうも自己判断ですが、3ヶ月はかかるくらいの強いダメージを受けているようです。
 
また、私はようやく、ご心配して下さる方々が特に気遣って下さるポイントが先ほどわかりまして。
あの、とんでもない状況でぽかん、としてしまうことこそが、一番危ないということだったんです。
その無感覚とでもいうんでしょうか。鈍くなってしまっている状態に、先日も知らずに入ってしまっていて、とてもご心配をおかけしてしまっていたんです。
 
気をつけようと思いました。
本当に気をつけようと思いました。
 
どうも、私は、心の奥深いところで、ちゃんと助かっていなかったようなんです。
 
実は、私はずっと、自分の手を引く相手の姿がいつも見えていて、それはいつも、どんなときも、私自身なんです。
どうしてか分からないけれど、私が、私を助けに来るんです。
 
だから、自分を助けられるのは自分自身でしかない、という考えをずっと持っています。
それはある意味、真理ですが、すごく間違っても居るんです。
 
そこがうまく飲み込めていなかったようなんです。
 
ずっと分からないまま、忘れることもしないで、心の奥に持ちっぱなしで、もののわかった方々は、そりゃあ心配されるだろう、と冷や汗がでる思いです。
 
なので、やはり藤の花の下で、ゆっくりと養生しながら、物語を作り、明るい世界を見つめて、お庭の手入れをしながら、仕事をして、感謝しながら、もう大丈夫だ、とおっしゃってくださり、私の呪いを解いてしまわれた方々に胸を熱くしながら、静かにしていようと思います。
 
いまはまだ、元気です、とは言えませんが、少しずつ暮らしの中で、ダメージを薄めていっています。
 
この春は、羽衣ジャスミンと木香薔薇の白の苗を手に入れました。
蔓を這わせ、満開の星のように庭の空中を彩るのは、来年になりますが、一生涯、恩に着るお二方が威風堂々と守り続け、天国に行ってもなお心熱く示し続けてくださる鋼の知性を祝福として受け取れるよう、そんな願いを込めて、この二つの鉢を育てようと思います。
 
植物は枯れるときもありますが、それでも私は私に許された愚直さを持って、可能な限り育てようと思います。
 

私は、ときどき無感覚に陥り、そのことに気づかず危ない状態を受け入れそうになったら、必ず声を出そうと、先日、気がつきました。
気をつけようと思います。

エナメル 20240318 00:22

20240408 09:40 不安定さが出てしまっていたので、おかしな所を数カ所と不要な箇所を直しました。


 
 



2024/03/02

本日の雑感(不定期)


 

 
写真は、冬の木。
さっき外に出ると、ものすごい青空で、雲ひとつ無い良い天気でした。
 
気温は低いんですが、なんだか今年の冬は、私はじっくり冬を堪能出来ずに、ざわざわしていたり、気持ちが大きく揺らいだり、いつが冬だったのかもはっきり体感出来ないまま、早春を迎え、こちらもバタバタしていて、もう3月です。
 
今月末には、櫻が咲くところでは咲きますし、当たり前ですけれど、3月が終われば4月です。
なんともせわしない感じなので、私は、もう少し暮らしのスピードを緩めようかなと思っています。
 
前からうーん、と思っていたことの中に、FamousPeople達をうらやましく思うのは当たり前であっても、うらめしく思うのは、ちょっと変なことに気がついた方がいいよ、ということがあります。
 
生きてる場所も違うし、生き方も違うし、ルッキズム云々は置いておいて、美しい外見はその人の才能ですし、また音楽での才能も、バラエティでの才能も、演技の才能も、その人の努力によって維持され、鍛錬され、それでお金がもらえるほどに、仕事として契約できる商品なんですね。
 
やっていることも、仕事で生きている場所も、まったく違う人達なんです。
 
同じ部分もたくさんあるけれど、生息地域が違うので、自分もあんな風に美しくなりたいな、とか、あんな風な才能でお金を稼ぎたいな、とか、うらやましく思うのは自然だと思うんです。
 
あちらも、いいなぁ、ああいうことして暮らしてみたいな、とか、お店入るときにサングラスするのウッザ! でもあんな感じに好みの男性に大切にされたいものだわ。とか思ってると思うんです。訊いたことはありませんが。
 
私はよく、対岸の方々という書き方をしますが。
同じ人間ですし、同じ今を生きている人達ですが、生きている社会がとても違うところで仕事をして、仕事が無いときは、私達と同じ日常で暮らしてるんじゃ無いかな、と勝手に想像しています。
 
私達がそういうFamousPeopleを見かけるのって、その人達の仕事での姿ですよね?
で、それは、我々と違う仕事をしている姿なんです。
 
なのに、同じ土俵じゃないのに、勝負して勝手に負けたことになって恨めしく思っている。
すごく嫉妬して、あのやろう・・・と思っているのって、変ですよね?
 
極端なたとえをすると、鳥に向かって、あのやろう・・・飛びやがってって誰も思わないでしょう?
 
私は、FamousPeopleに本気で嫉妬している人達って、鳥に向かって本気で嫉妬している人と変わらないと思っています。
 
それでも嫉妬はしてしまうもんなんだよ、というのであれば、そうですか。で私は終わるんですが。
 
だったら、世の中に謝れ、なんつーズルいことを大義名分のように振りかざすのは、やめられてはどうでしょうか。
 
それは、なんだか知らないけれど、あなたに無関係な事柄でその人が謝罪するついでに、あなたにも謝れって言ってるんでしょう?
 
あなたに謝る具体的な理由が無いから、世の中に謝れって言ってるんでしょう?
あなたが単に、その人が頭を下げる姿を見て、よくわかんない嫉妬の溜飲を下げたいんでしょう?
 
あなたはいつから世の中になったんですか?
 
仮にあなたが世の中だったとして、その人はなんであなたに謝らないといけないんですか?
 
その人はなにか世の中の転覆をはかるような怪人二十面相みたいなことをして、デカい凧に乗って高笑いしながら去って行ったんですか?
 
そんなことを言うなら、まず私が思う世の中に謝ってくださいよ。
私の大事にしている世の中を勝手に駆り出して、あなたの溜飲を下げるためだけに、私用乱用するのはやめてもらえませんかね?
 
なんか・・・、あなただけの嫉妬のジャマをしてしまって、ごめんなさい。
 
 
 
 
20240302 21:27 誤字を直しました。