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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 
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2025/03/30

古いビルをリノベーション


 

日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
古いビルがとても好きです。
好きなのは、ただ単に古いビルでして、東京の低いビル群みたいなのです。
西洋建築や和洋折衷の明治期頃のビルのようなものも好きですが、断トツに好きなのは、昭和50年頃既に古かったビル達です。
年代を調べた訳ではないので、まあそのくらいです。
 
そういったビルをリノベーションして、ずっと暮らそうという流れが古くからあります。
体感では、90年代頃から気がついて2000年代頃下火になり、昨今では、やってはいるけれどそんなに積極的ではないよ、という感じです。
 
部屋の近くにあるビルはその数少ない成功例で、瞬く間にデザイン事務所のような、それと美容関係(私の住む街はどうしてこんなに美容室が多いんでしょう。多くの人達は月に1回しか行っていないのに。)、レストランらしきものが入ってしまい、ああいう所を綺麗に直して、あの風合いと景色をそのままに落ち着いた上品な雰囲気の中で、インフラは普通の生活をしたいな。という人達が、いつも前を通りかかっては見上げたり写真を撮ったり、ジロジロ配電盤を見ては、建物から誰か出てくると突然歩き出したりしています。
 
全員、映画でいうと「濱マイク」のような部屋で、ミッドセンチュリーでもいいし植物が多い明るい部屋で、アイアンと木の家具なんか置いてアナログレコードをかけたりしつつも、家電は最新のものを静かに使って暮らしたいわけです。
なのにどうしてかリノベーションには、世の中が消極的なんです。
そして新しいビルは本当に素敵なんだけど、どいつもこいつも全部同じ感じのビルで非常に家賃が高いんです。
 
実際に不景気かどうかは、さておき。
多くの若者や青年や青年期が終わった40代半ばからの人は、全員そういう部屋に住みたいんです。
 
ノスタルジックなどではなく、きっと想像上のどこかのアジア地域の綺麗な古いビル群に、毎年五月頃にブーゲンビレアが花を咲かせ、街路樹があり、街灯がきちんと明るい通りの一角に部屋を構え、備え付けの小さな鉄製の柵にブリキの植木鉢を置き、ささやかな草花を植え、リネンでもコットンでもいいからさっぱりとしたカーテンを選び、窓は出来れば手前に引くタイプの木製のアレが付いていて欲しいんです。
 
80年代頃から2025年の現在まで、多くの単身者や2人暮らしの、身軽なライフスタイルの人達はそこに住みたいんです。
でもなぜか日本中の小さな古いビルは、いつまで経ってもアルミサッシで木製のシェードも付いていないし、注文しようもんなら、だったらもう少し上のレベルの部屋を借ります。という値段なんです。
 
どうしていつまで経っても、セリアやAmazonにある真鍮のドアノブに電子ロック1つ組み合わせて販売できないんでしょうか。
なぜ壁を這う蔦には、本当はムカデなんか発生しないし、出そうだなという地域であっても、根元に市販されていて人体に悪影響など無い忌避剤を使わないんでしょうか。
 
どうして日本の建築に関わる人達は、アルミサッシを背負って生まれてきたかのように、アルミサッシばかりを使うんでしょうか?
なぜそんなに天井が高いことばかりに目が行くんでしょうか?
 
アイランドキッチン(独立した四角いスペース)に手前に曲がっている使いにくさ倍増の蛇口を付け、何が何でも食洗機を置けない広さしかないキッチンを備え付け 、いつまで経っても戸建て住宅のオーブンレンジは、腰より低い位置に備え付けじゃあ無いんでしょうか?
どうしてそんなに魚焼きグリルじゃないといけないんでしょうか?
 
ドアだって手前に開くタイプの、細い隙間がたくさんある木製にすれば良いのに、頑強に横にスライドする引き戸にこだわり続け、手前に開く木製ドアの中に、もう一つ頑丈な金属製の目が細かい網戸を付ければ、別にそんなに虫は入って来ないんだし、古いビルのゴキブリ対策はブラックキャップをガンガン置いておけば全て解決済みなのに、どうしていつまで経っても公団式住宅の劣化コピーみたいな部屋ばかり用意して、1人か2人で住む人達が多い地域に、3LDKの部屋が最低条件なんでしょうね。
 
そして古いビルをリノベーションしたら、即いかにもこういう所で働いていそうな、カジュアルだけで全身トータル30万円の服を着た、とてもお金持ちの人達がわざわざそこで仕事をして、結局、若い人はあまり好きじゃ無いみたい、というデータしか出せないんでしょうか?
 
そういう人達が高めの賃料を払ってダッシュで借りるんだから、需要はとても高いし、町内の一区画全体がそんな洒落たリノベーションビルエリアだったら、そこはもう街1番の素敵なビルヂング住宅地になり、通りを挟んで小さなワインとスイーツのお店や、洋書や海外の雑誌の翻訳版がさりげなく並んでいるマガジンスタンドとコーヒーショップが、自動的に出来るんですが。
 
古く、西洋建築が美しかった高校や大学の校舎は、何が何でも近代建築にしてしまい、木造でそのまま造り直しますからって言いながら、必ず建築士が「何かを絶対変えないといけないインフルエンザ」に感染し、元の図面を、図書館からデータベースからアーカイブスから探し出し、ただ単にそのまま作り替えながら内部のインフラのみ最新設備を入れ込めばいいのに、いきなり素材から変えてしまい、田舎の郊外にうっかり建ってしまったメルヘンチックな亜流の建物になってしまうんでしょうね。
 
 

 
私は陰謀論というものを欠片も信じておりませんが。
ここまで何十という年数を経ても尚、アルミサッシに執拗にこだわり、手前開きのアイアンレリーフのドア1つ、アイアンワークの窓1つ、真鍮のノブ1つ標準仕様にしない所をみると、
「古くて雰囲気があって、雨の日には滲んだ窓枠越しに外を眺め、一杯のコーヒーを飲み、好きな洋書や小説でも読もうかな? 」
という何十万人という人々の嗜好を、安く常識の範囲内の家賃で叶えると、そこの会社員さんの戸建てハウスでは、必ず土器を使って生活しなければならない呪いにかかるようになっているんでしょうか?
不思議ですね。 

それでは、アジア地域のミックスカルチャーの果てに出来た、美しく古い建築をグーグル検索したりしながら、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
 
 
20250330 17:02 文章を直しました。 
20250331 02:07 誤字を直しました。
 

 
 
 
 
 

2025/03/23

ビオラの花束



 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
花屋さんの店頭で一日の終わりに、小さなブーケが並んでいるのを買うのが好きです。
その小さなブーケが徐々に広がっていき、今ではテーブルフラワーやテーブルブーケという名前をつけられているようですね。
 
私はビオラのブーケが1番好きです。
花持ちではなく、その日の夜、翌朝に部屋の小さなテーブルの上にあればいい。
そういう小さなブーケが好きです。
 
なので、花持ちや見た時の弾けるような強さが苦手で、ガーベラが入っているブーケは買いません。
買ってもどこか「仕方がないな」という気持ちが受け取る時に手に少し滲みます。
 
ガーベラは、80年代後半に流通し始めた時、花の形が斜めになるように、花先に向かって透明なビニールで綴じられていました。
初めて見かけたときは、斜めに花が開く新しい品種かと思いすぐ購入したのを記憶しています。
なんてモダンでコンテンポラリーなスタイルなんだろう。これを部屋に飾れば冷えた美術空間のようになる。
と喜んでいたら、花の後ろのビニールに気づき、ハサミで切ると花が開いてしまい、どうしてかな、という気持ちになりました。

これはこのままビニールをつけたまま飾る、と知ったかぶりまでされましたが、じゃあ何時このビニールを取り外すのか、としばらく黙って考えていましたが、未だにどれが正解だったかわかりません。
2025年現在は、ガーベラはほとんどがビニールで包まれず、開かれた状態で流通しているので、結局これが本来の姿なのでしょうね。
 
花としては、ポップで鮮やかで強くて元気な花という印象です。
欲しいときは、私個人はあまりありません。

テーブルフラワーとしての小さなブーケをいつも数百円で買って帰る、夕方と花屋を覗く自分と青い色が次第に包んでいく街角と、部屋のドアを閉めて鍵をかけ、振り返った時に目に入る自分のささやかな空間までが、一日の終わりにとても満ち足りていく光景なので、そこに合うサイズは、ビオラのような草花と呼ばれる、線が細く静かで、饒舌ではない、小さなブーケなんですよね。

元気でないとならない。過ぎるほど前向きでなければならない。常に世の中の問題のことを視野に入れておかねばならない、とか。
すぐたしなめたり、命令したり、知りもしない相手から過剰に励まされたり、いつもホールケーキで
何かしらお祝いをし続けなければならないような、自分がそっと大切にしている常識にズカズカと入り込んでくる、誰が始めたのかすら知る気にもなれない馬鹿馬鹿しさを漂わせてしまうものは、置きたくないんですよね。
 
その時の気持ちにパッとわずかに発光した草花の中に、ああ、今はこの花が旬で余っているのだな、という珍しい花があると、今日の嬉しいことと共に季節の風が私に流れてくるんですよね。
 
私は「大人の事情で」という、バラエティでだけ使われていた一種の逃げ台詞を本気にして、世のストリートで押し通せると思っている考え方そのものに、苦笑しています。

聞いた話ですが。
スーツを着た上役の方が、「大人の事情」の事情説明をしようとした相手に、あっさりと、
「それはそちらの事情でしょう。」
と言い、それ以上相手が自分を広告するのを制止した話をずっと憶えています。
今でも憶えているほどですので、やはり私も相当うんざりしていたのだと思います。
 
私の住むエリアの人達は、穏やかな雰囲気の中で暮らしています。
もうそろそろ今年の桜が咲く頃ですね。
黙って、ただ自分の思う暮らしを続けていく人々の中で暮らしていて良かったな、と私は今年も隣に居てくれる方と微笑んでいます。
 
もし気が向いたら、好きなブーケを買いに行ってもいいし、Uber Eatsで頼んでもいいですよね。
キーワードはいつも通り「みなさんの好きにしていいし、みなさんが決めて何ら問題ありません。」です。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2025/03/16

ネパールの紅茶(チャイ)

 


日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
3月ですので、そろそろ外出をされる方も増えていると思います。
私も久しぶりに部屋の外に出て支払いやお昼ご飯を買いに行ったら、 暖かくなっていてびっくりしました。
私の住む街は桜はあともう少しのようですが、ランチタイム前の明るい午前中を歩いていたら、いつもお願いしているお店が物凄く珍しい物を取り扱っていて、色々お話を伺って注文したり買ったり、通り過ぎる人達はお昼ご飯に出かける明るさと活気に満ちていて、ああ穏やかだな、とのびのびした心持ちになりました。
 
それで普段から気になっていたお店で、ネパールの紅茶や瓶詰めのピクルスの素(1つは自分達でもとても辛いので、どうされますか? 買いますか? じゃあ少しずつ入れて下さい、と言われました。) 、モモと呼ばれる冷凍点心とそちらに乗せるスパイスを購入してきました。
 
今日はチャイの話です。
 
写真のTOKLA GOLDはネパールの紅茶です。
紅茶だからと、いつものポットでティースプーン2杯で淹れたら、トワイニング紅茶にひと香り足した香りがしました。
山野の高貴な香り。
味は、烏龍茶よりまろやかで紅茶よりすっきり透明です。
ダイレクトな味はこうですが、どんな味か? に答えたら、「水」の味がする。です。
精神の中にある「あたたかい水」の味。
以前読んだ詩に、「真夜中に透明な水を飲み干す」という描写があるんですが。
そちらが転じて、ネパールのお茶の味「あたたかい水」と、私の頭の中で象を結びました。 

TOKLA GOLDを検索したら、なんとチャイの茶葉だったんです。
私の中で、チャイってティーだけど紅茶ではないだろうと思っていたんですが、紅茶もティー(お茶)なので、その中のチャイ用の茶葉がTOKLA GOLDだったんです。
それで慌ててクックパッドでチャイのレシピを調べたんですが、具体的に本場のチャイのレシピを見つけられずオロオロしていたら、「知っている」とおっしゃるので頼りにして作りました。
 
クックパッド
 
 
チャイのレシピ(エナメル風アレンジバージョン)
材料
水 400cc
TOKLA GOLD ティースプーン 1
牛乳カップ 100cc
しょうが お好きな分量
 
スパイス(全てS&B)
シナモン 6振り
コリアンダー 4振り
クミン1振り 

蜂蜜 ティースプーン 2杯〜
てんさい糖 ティースプーン 2杯
八角 1ヶ
 
お鍋(ミルクパンが1番でしょうね)
茶こし or 小さな目の細かいザル
 
作り方
鍋に全部入れて、弱火で3分煮出し、ザルか茶こしで漉して出来上がり。
 
簡易版 レシピ
マグカップに上記の材料を全部入れ(目分量でOK)、薄い餅(トック)4枚を入れ、電子レンジ500wで2分〜2分30秒。
中の薄い餅が軟らかくなっていれば良い。
甘さはお好みで。
 
 
薄いお餅トックは韓国の食材です。
日本の小餅でも良いんですが。簡易版は忙しい朝や昼、夜用に作りました。
 
薄いお餅トックは噛み切り易く、長く噛まなくてすみます。そしてあっさり飲み込めるので、通常の咀嚼量8回くらい)喉に詰まる心配をしなくていいんです。 
私は喉が細く、小さな頃から通常の食事をよく喉に詰まらせていたんですね。だから今でも日本のお餅は、すごく注意して食べています。
それで韓国のお餅トックを選んだのでした。
 
チャイってノンカフェインなんだそうです。
チャイで検索すると出てきたんですが、他にも滋養強壮だったり不安を和らげる、とも。
昨日から終日飲んでみているんですが、確かに不安が完全に消えることは無いけれど、かなり不安が減りました。100%中残り10%未満が残っているという感じ。
 
私見ですが、チャイを飲むとすぐ指先が温かくなるんですね。
私は以前、低体温で救急車を呼ぶか迷う程になって以来、寒さを感じると指先が冷たくなるようになっていたんです。
それが、以前の寒さに強い自分の指の温度と同じか、少し高いぐらいになって、甘いし八角も入れているし、体が温まって元気になりました。
 
TOKLA GOLDはネパールのお茶なので、高山での寒暖差が厳しい暮らしに適応しているんじゃないでしょうか。
それが1時的な冷え改善だったり、穏やかな心になる効能があるのかもしれません。
あとスパイスの効果で、若干いつもより体力の温存が続く気がします。
 
TOKLA GOLD オフィシャルサイト
 
お茶は、合う合わないがありますから、初めて飲むときは、出かける前や大切な用がある前日は控えて下さいね。
私には合うようで、グイグイ飲んでいます。
ノンカフェインなのがいいですよね。
 
今は多くの方がPTSDらしき症状の影響を受けているようですね。
2011年の震災の後はコロナで、部屋に籠もりきりで孤立している中、命の心配が続く長い日々の後、昨年の地震と、大きなことをたくさん体験されているので、この頃、自分のリズムや気持ちの揺れ動き方、反応、健康状態が、少しいつもより違うかも? と思われている方は、なるたけカフェインを摂らないようにしてみてはどうでしょうか?
 
それではネパールの霧と高山の美しい雨の匂いがするチャイ、良かったら作ってみて下さいね。
料理は、いい気分転換になります。
お茶請けは、ドーナツや油っぽいパンが合うのでは無いでしょうか?
 
1つ前の投稿で、私が普段防犯で気をつけていることを書いています。
驚くような事件が国内でも続いています。
ゆっくり、しっかり防犯をして、片付けものをしたり、編み物や縫い物、読書・映画鑑賞(泣いたり怒ったりするような感情を揺らさないものを。静かにクスッと笑えて穏やかな温かさを手渡すもの限定です。)などをして、自分に自分で気を配ってあげながら、穏やかに静かに暮らしましょう。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さない。 

20250316 18:09 文章を直しました。
20250317 10:03 文章を直しました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2025/03/09

どこかメイクが古いなという時

 

もの凄い冬の嵐の日に作ったスープ


日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
メイクが古い時、メイクブックを見て勉強してみるのも良い、以前書きましたが、この頃もっと良い方法を教えていただいたので、そちらについて。
 
皆さん、眉ってどうしていますか?
私は、愛読しているメイクブックに、「眉は自前で整えつつ、それを利用する。とあり、以来そうしています。
 
いつもは眉ペンシルで眉の形全体を描き、 先端と眉根をバランス良く書き足しています。
 
メイクって気分を変えたいときに新商品を買っていますが、それでも何か自分の顔が古いんだよね。と思う時ってないですか?
 
私は、今年に入り、また「何か顔が古いな。古い感じがするな。」と思い始めました。
それで試しに眉を描いた後、アイシャドウパレットにあるその日のメークのテーマ色(または好きな色)を眉に乗せたらいきなり顔が新しくなったんです。
少し前日本でも常識になった韓国メイクのやり方ですね。
 
そこから発展させて、ブラシで眉の濃い部分をアイシャドウパレットの濃い色で整えて、その上に同じアイシャドウパレットの赤系やブラウン系の色を重ねて書くと、簡単だし、眉の形もすぐ決まるし、顔は明るくなるし、そして眉の先頭と眉の最後の部分をペンシルで書き足します。
最後は眉の先端と眉尻を人差し指で多すぎる部分を、直になでて形を整えてフィニッシュです。 
 
使用ブラシは私の場合は、太めがいいです。
 

Amazonリンク
スーパーソフトメイクブラシ贅沢メイクアップツール (6本入りファイバーウールセット) 
 
こちらの左から3番目の太さぐらいです。
商品は違いますが、このブラシの太さと長さです。 
気分としてもう少し顔をはっきり見せたいので、少しだけ眉が太めです。
 
これくらいだと指の力がうまく抜けて、眉の形がサッと描けるし、色も1回上をなでるだけで丁度良いトーンが乗ります。
 
良かったら試してみて下さいね。
 
春メイクは決めましたか?
私は新しいメイクは細かく旬を取り入れるだけで、そんなに大きく変えなくていいかな?と思っていたのですが、LIPSでシャネルが素敵なアイシャドウを発売したと知り、いきなり公式オンラインショップで買ってしまいました。
届くのが楽しみです。
 
メイクを少しだけ新しくすると、
無理矢理な元気ではなく、リラックスして心が晴れやかになったり、
気持ちが、薄いトーンの雨の午後のように、落ち着いた綺麗に包まれますよね。
 
外出が気乗りしない方は、無理をせずネットで色々選んでみて下さいね。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。
 
 
20250309 17:10 眉の整え方にペンシルの項目を足しました。 
20250330 17:43 誤字を直しました。
 
 
 
 
 
 
 

2025/03/02

星がついているマンション

 

 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
本日は特別に7時違いの更新としています。)
 
ここ数日、建築について色々考えたりお話を伺ったりしています。
建築を専門的に学んだ事も、国内の建築物ベスト5を空んじている訳でもないのですが、私はひょんなことから、人々の生活で機能する優れた建築の中で過ごしていた事が多いようです。
 
私の住む街の近隣には、隈研吾氏の仕事の1つである、大変繊細で端正な曲線構造のスターバックスがあり、昨年の地震へのお見舞い観光で来日して下さっている海外の方々が、たくさん利用されたり記念撮影をしたりしていて、既に世界的な観光名所となってるのも記憶に新しい限りです。
 
現在私が居住するエリアは、比較的若い方々の生活圏内で、とあるマンションが中でも密かなお気に入りです。
どう気に入りかというと、夜の景観がとても美しいんですね。
生活者の建物ですから、当たり前に機能しつつ日常に堪えうる範囲の美しさがあります。
 
ある日、とても素敵な気分の時に夜道を歩いていて、ふと顔を上げたら、部屋の数だけの四角く縁取られた浅い夜時分が、空に向かって並んでいて、揃いではない灯り達が、私達もよく知っている豊かさを発光していて、息を飲みました。
足を止めて眺めていると、ただ静かに街の喧騒から区切られた部屋数が、今日が続いているのを見せているのを、ただ知る19時が過ぎていくんですね。
 
そういう密かにお気に入りなのですが、それだけでも特別なのに、ふと或る19時にいつものように見上げた先に、星があったんです。
ちょうど建築について考えたり話し出している時だったので、いつもの位置より少し離れてその建物に向かって立つと、ベストバランスでその星があることに余計に気がついて、このマンションの図面をここに持ってきた建築家は、知っていて建てたのだろうか、と体が震える程、感激しました。
 
特に確かめる必要も無く、それは図のように、ビルの端から内に向かった上空に、現実を光年の煌で街を照らしていました。
その内、不動産屋さんは知っているのだろうか、もしもご存じないのなら、図面をここに建てた方だけの美しい内証なら、お伝えすれば明るい気持ちになるだろうか、と感じ入った後、満ち足りた沈黙が口元に三日月を横にして現れたので、ここにこっそり書いているという訳です。
 
この頃は私も明るい内に行動をと書いていますが、もし明るい夕方に生活の光群を見かけたら、念の為、上空に届く光年のタイムカプセルが瞬いていないか、確認してみてください。
結果は、貴方の人生中に併走すると思いますので、ぜひとも内証にしていただけると、嬉しいです。
 
それでは、明るく豊かな夜毎の19時を思いながら、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
 
 
 
 
 
 
 
 

2025/02/23

便秘はすぐ病院へ

日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
実は私は、便秘を体験したことがありません。
あっても2日か3日で何とかなってしまうし、その時だけ少量の食事しか摂っていないので、食事量を戻せばすぐ治ります。
 
そんな私が若者だった頃からずっと疑問だったのは、
なぜ便秘になった人は内科にかからないんだろう?
ということでした。
 
下痢が数日続けば、1週間も経たない内に多くの方が内科を受診しますよね。
内科に実際に行くまでも、市販薬を飲んだり消化の良い食事を心がけつつも、それでも1日中、心配が胸の底にそっと残っています。
痩せていくし、食べたらすぐ下してしまうし、このままでは栄養吸収ができないままかも? と怖くなって病院に行きますよね。
 
私が知る限り、なぜ便秘の方は、数十年前から2025年に至るまで、すぐ病院に行かないんでしょう?
それは、便秘は症状では無い、と前提で考えている方がすごく多いからではないでしょうか?
 
慢性の便秘の方は、自分は生まれつきだからと成人するまで、また成人した後も、何年も何十年も市販薬を服用し続け、腸に良いという食事を普段のご飯にプラスして摂取し続けているんですよね。
 
でも1年、便秘が治らないというのは、腸に良いとされている食品を摂取し続けていても効果が無いのだし(または翌日か翌々日には解消されるパターンを繰り返しているのだし)、便秘が1年から複数年に渡って続いているのは、体質以前に、便秘が完全に治ってないんだと思うんです。
 
コロナ前だったと思うんですが。
便秘は病院に行きましょう。というネットの言葉を読んだ時、「そうだよね。」と奇妙に納得したのを強く記憶しています。
 
きっと私は、便秘なんですよ。という人達を、ちょっと距離がある所から見掛ける度、「どうして治さないんだろう?」と思っていたんでしょう。
 
下痢の場合、数日間下痢が続き、市販薬で1時的に改善したり食事でその時は解消されるけれど、1年間頻繁に下痢を繰り返す状態が続いたら、内科に行き、くまなく検査してもらうのに、便秘は、多くの方が医者にかかろうとしないんですよね。
 
私見ですが、便秘は体調不良では無い、という認識が、広く世にあるからだと思うんです。
 
なので、便秘の症状が3日続いたら内科を受診し、その時、3日間続いた便秘の治療をしてもらい、普段から便秘傾向にあるのなら、何歳ごろからその傾向と共に生活しているのか、お医者さんに相談し、便秘が数年続いている症状を解決する薬も同時に出してもらい、便秘そのものを治すのが、1番良いと思います。

私は長い間、便秘は病気ではないのか? と思っていたので、数年前にネットで見かけた、便秘は医者に行きましょう、という呼びかけに、本当に深く頷きました。
 
こういう話ってとても繊細で、距離のある他者であることが多い私は、なかなか言えなかったんですけれど、それでも機会がある時には「便秘は医者に行ったらいいですよ」と言うと、お相手は、木で鼻を括る態度だと受け取り、少し不快そうになさっていたんです。
強く勧めると、まるで便秘内科受診の回し者のようなので黙っていたんですが、便秘になったら病院に行った方が良いですよ。
 
明らかにそれは症状ですし病気ですし、スタイルの事を言っているのでは決して無いんですが、便秘が解消されるまで数日から1週間、長い方なら2週間以上、お腹の辺りが普段と様子が違ってますよね?
 
危ないと思うんです、その状態。
痛みだってある訳ですし。 

即、命に関わることでは無いから。いつもこのくらいで治るから。子供の時からずっとそうだから。と感じられていると勝手に予測していますが。
便秘になったらすぐ内科を受診し、医師が必要だと判断するなら検査した方が良いと思います。
 
子供から大人まで、腹痛をなぜか簡単な事として処理してしまう風潮がありませんか?
 
子供の頃からと言っても、赤ちゃんの時から便秘だった訳では無いでしょう。
愛する赤ちゃんの便秘に気付いた親御さんは、即座にお医者さんに連れて行ったと思うんですけど。
 
便秘は病気だと思います。
便秘体質の方、それが1年から何十年も続かれている方々が、日曜版を読んで下さる方の中にもしおられたら、それ以上我慢せず、内科を受診して治療して下さいね。
 
今日の日曜版は大分真面目でしたが、便秘を病気だと認めない風潮が危ないな、と長年感じていましたのでお伝えしました。
 
お医者さんに行ってしっかり治してから、腸内環境を整えるヨーグルト等で、便秘予防の食生活をしましょう。
私も勧められて、この頃好きなギリシャヨーグルトの小さなカップを1つ、朝食の時に摂ろうと、先日から習慣を新しく追加しました。
 
身体も心も端正に過ごせるよう、お互いゆっくりとやっていきましょう。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
 
 
20250225 05:56 文章を直しました。 
20250223 14:25 文章を直しました。
20250223 16:56 文章を直しました。 
20250223 17:10 句読点、誤字、文章を直しました。
 
 
 
 
 
 
 
 

2025/02/16

そういうのは、もういい。

13時公開の予定ですが、早めに。
 
日曜日ですが、今日は刺激の強そうなことを書いています。
 
昨日、YouTubeで2025年のグラミー賞のパフォーマンスを見ていました。
 
最新の音楽を探すのも面倒くさくて、ずっとサボっていたんですけど。
再生回数がすごく高いのを見つけて、何だろう? と見てみたんですね。
 
それがチャーリー・XCXの2025年グラミーでのパフォーマンスでした。
観た後、もうストレスというストレスが瞬時に消え、楽しさのあまりビール2本飲んで、黙ってそれぞれ好きな音楽系の動画を観て、突然眠くなってぐっすり眠って朝は無駄に身体の中が満ち満ちていて、黙ってゆっくりしていました。
 
チャーリーのパフォーマンスを観て、翌朝、思ったことは、
「あーせいせいした!」
でした。
 
そして、ああいうのいいな。コレだな。と何度も何度も思って、あ、もうこういうのにしよう! 私はこれで行こう!と決めました。
 
こういうの何かな? と思っていて、何度も思っていて、ああもう全部何もかも「古いな」と思ったんです。
で、「あ、古いって言葉も、もう追いつけてない。これで掴めてないな。」とすぐ思いました。
 
そしてiTunesでさっそくパフォーマンスに使われた楽曲入りのアルバムを買って、上に書いてある細かい説明も、「もういいや、こういうの」と読みもせずに、いま聴いています。
 
もーう、スッきりしました。
長い間、ずっと????と思っていたことや、感じていたことが、あっさり、「なんだ、いいんじゃん」と分かって、本日は気分爽快です。
 
いつも、常に、「見たことがないものが見たい」んですね。
 
で、何か、「わあ!」と思うものに触れたときに、あ、これはね、っていう説明がもう重たいんですよ。
どこ見ても、古いものばっかりで、歴史を参照してばっかりで、リスペクトがあって、自分の歴史を大紹介。
何か知っても、それはこうでね?っていう「昔からの何らかを知ってなきゃダメ」価値観が、本当に嫌でねー。
 
私は一応やってみるんだけど、もう全部重たいんですよ。
 
だって過去って、通り過ぎたものでしょう?
それがどうしたんだ? っていつも思うんです。
過去に大切なものがあることを否定はしてないんです。
それは個人の大切なものだから、こっちも最重要に大切で、そういうことをぽつりと話されると嬉しいんです。
 
ただね、全部として見て、過去はどうしようと過去なんですよ。
通り過ぎてきたもので、それをね? 知ってなきゃいけない。それ頭に入ってなきゃいけない。
「わあ!」って思ったものを、なんでそのHighを喉から身体から精神全体で味わう前に、勉強しなきゃなんないんだろう?と、それこそ数十年思い続けていたんですよ、私は。
 
温故知新とかさ、なに過去を参照して、これこれこういうことでね? っていうの見せて、それがどうしたの? 
や、そんなこと言われても。
 
もうこっちは、Messageがいらない。もううるさい。そういうのももう結構です。で、完了してるんですけど。
 
ただパフォーマンス観て、すごーい! 初めて観たよ! と乾杯な気分になってるのに。
 
誰? 胸が明るいもので充満して、黙りこくってる傍で、詳しいこと語り出す人。 なんでチャーリーのプロフ探さないといけない?
 
あれになんかMessageがあったとして、なんでこっちがそれ調べなきゃいけないの?
今やりたいことは、見たことがなかったものを観て、圧倒されて、ああ良かったって幸福になっていたいのが最旬なのに。
もう、ほんとうるさいんですよね。
そういう、知ってなきゃいけない。とか、リスペクトとか。
 
いや、いいよ。ちょっと黙っててよ。分かる分からないとかも、もう過ぎたよ。それは通り過ぎた。
あてる日本語が無いくらいの気持ち。
あ、私、これにする。っていう気持ちでいるのにさ。
 
ああ、いまあんな感じなんだな、と私は先頭にやっとたどり着けた気持ちになれました。
 
リスペクトとか、自分達はこっちのジャンルちゃんと最初っから頭に入ってんだとか、このファッションにはこういう意味があって、だからちょっと目配せしてますとか、家族はファミリーでこういうので、やたら話す迷惑な奴と居酒屋で語って人脈作りますとか、疲れたら休みの日はキャンプとか街歩きとか、もういいよ。
飽きたよ。飽きたって言葉もちょっと合ってないくらいの、もう別の所にさっさと行ってまーすー。

いつまでやってんだよ、って思う以前で、さっと消しちゃうし、別のページ飛ぶし、もう端末閉じちゃうし。
 
だいたい重いじゃん。それ。便利だから使ってるだけで、とっくにそんなの最先端でもなんでもないしさ。
誰もやってないよ、共有なんて。
ちょっと付き合って、それに流れてみてただけだよ。 

古い町行ったって、結局、暗い気持ちまで伝染して、家帰って、「いいよね。たまには古き良き日本ってさ」とか全然思ってるコトと別のこと言いながら、はーってコート脱いで、別のモンあっさり観て、訊かれない限り理由なんか用意するのも面倒な部分で、二度と行かないし。
 
ほんとに今でもそんなこと目の色変えてやってんの?
 
しゃべりたくないよ。しゃべりたい時に話したい人の、ささやかなことだけ知りたいよ。
あとなんかうっかり居合わせちゃった人と、チャーリー達みたいにぶち上がりながら、同時に自分のことしたり考えたりして気分良くして、家に帰ってシャワー浴びて寝るんだよ。
 
この人はいつもコレ! 俺知ってるんでっていうカシヅキたい人からフルートに入ったビール受け取るけど、もうやってることに夢中になっちゃって、お礼も感謝も意識する前に振り捨てて、ぐいぐい歩いて行っちゃうよ?
お誕生日もおめでとうって言うよ?
夢中な二人のキスを注意しちゃうよ?
毛皮も着ちゃうよ?
 
降ってきてんのパンツ?  

あのファッションは、この人のなんたらかんたらとか、もういいって。
あの楽曲はビリーのどうのこうのでとか、もういい!
ほんと、そういうのもういい!
客席抜くのいつからやってんのよ。集中して観れないじゃん。止めてやれよ。
ビリーは、気にせず踊り狂ってろ!
 
メッセージがうるさいんだよ。
どいつもこいつもメッセージばっかりに足取られちゃってさ。
何やってんの?
だって音楽聴いてパフォーマンス観たいのに、なんでまず最初にお勉強しなきゃいけなくて、そこからメッセージがどうのって読み取らなきゃいけないんだよ。
 
あのパフォーマンスを一年練って作った人が誰かは分からないけど。
あの中のチャーリーは、クイーンでもボスでもヒーローでも無く、言葉がまだ存在しない一番先頭にいる存在でした。
 
自分達は知っている、は、もう分かったよ。
博識なのも、もう分かったよ。
観てる人は予習しなくていいんだよ。
私もなんか観る時、文化体系予習なんか一度もしないよ。
 
じゃあ私、これからグレープシードオイル、テフロンフライパンに垂らして肉でも焼くかな?って思いながら、Uberで軽いモン頼むよ。
 
ありがと、チャーリー。
またやってね。
ノってる時に見つけるから。
 
それじゃ、素敵な日曜日を。
 
 
 
Watch: CHARLI XCX Performs "VON DUTCH" & "GUESS" | 2025 GRAMMYs
 
 
 
 
 
 

 
 
 

2025/02/09

晴れ渡った風吹く

 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
知らない街になんとなく行くのが好きです。

旅という程ではない、少しだけ足を伸ばした街や町に滞在し、そこに暮らしている人と訪問した自分達と少し紛れるような、そういう滞在の仕方を若い頃からよくしていました。
 
旅!と銘打つような感じでもなく、正直どうしてそこに行こう、と思ったのか、お互いよくわからないまま、あまり話したりせずに、2日ないし3日の滞在を過ごす。
そういう事が好きでした。
 
非日常でもなく、日常でもなく、よくわからない時間を少し、往く。
それを若者になり、お金が自由になった時からずっと続けています。
特に名前をつけていないので、それが一番静かに着地しているんでしょうね。
 
そこでは何というわけではなく、衝撃的な体験でもなく、ちょっと驚いて、わぁ、とささやかに顔を見合わせたことがいつまでも残っていたりします。
 
その中の一つに、どうしてこの場所のことを私は忘れないのだろう、という所があります。

小さな寂れた街に行った時、あまりに感傷的なものに包まれてしまって、それを自覚して言葉に出すのも少し遠慮してしまって、二人で街外れに自然と向かったんですね。
夜はもう、普通の私達が過ごしている街の日常みたいな事をしよう。
今回はちょっと失敗だったかな? 
なんて、後悔に似た淡いものを胸に、車は自然と小さな丘へ入る道にハンドルを切り、やがて細い道に差し掛かり、坂に移り変わっていく道を登っていきました。

だんだん、それは明らかに私道になっていき、
ここは入っていいのだろうか? 
と可笑しいような、
なんだか若いってこういう事だよね、
と今だったら、そこから随分先の未来に居る私が、大切な人に話し、顔を見合わせてクスッと笑うような、そんなことになっていき、感傷的なものから離れたかった当時の私達は、本当にホッとしたんだと思います。

あ・・・、と思いながら、それぞれ目だけ動かして
「ここは私道です。立ち入り禁止です。」とか「迷惑なので入ってこないで下さい。」とか、もし書かれてたら、どうやって引き返すのだろう? 
これ、明らかに一車線分しかない細い道だし、フロントガラスの先の全然手入れされていないアスファルトは褪せているし、でもしっかり道は続いている。
困ったな、これ違ったら、バックで今までの1時間を帰るのか? 
と黙りこくって二人で可笑しいのをこらえていると、ふと、道が開けて駐車場のような所に出ました。

それで安心して、景色でも見ようよ、と、普段、別に価値を見いだしていないことをやろうと言い出して、車から降りると、少し下に、芝生で手入れされた随分と広い場所があり、その奥に白い洋風の単なる家が建っていました。
丘と言っても、もうこれは小山ではないか? という所で、周囲は雑木林が茂り、眺めの先には橋と
小さく光る眩しさに覆われた海と向こう岸の都市が見えていて、とても晴れていました。
そういう、この世の果てのような静けさの中で、あ、と思う場所があったんです。
 
芝生は少し濃くて、家は木造の洋館で、白いペンキで綺麗に塗られて、おそらくは誰か住んでいる。
芝生だけの広い庭には他に何も無く、ただ芝生が見たいから芝を敷いているんだな、とすぐ分かりました。

二人とも無言で、そこを見つめていました。
見ていると、ふと芝生の先の、あまりにも丁度いい所に、薄い木製の白い飛行機が、細く長めの黒い鉄の棒を立てた上にありました。
海外の人だろうか、と思った後、近くに行こうか迷って、結局、行かない方がいいと何も言わずに二人で判断し、言い訳代わりに、近くにいく道もないしね、と私もおそらく隣の彼も思って、また車に戻ってそこを降りていきました。

その後何度か、また行こう、行こうと口に出すんですが中々予定が立たず、かといって、必ずという程約束にもなっていかない。
結局そのまま、やがて私達は別の時間に入っていきました。

まったく別の人に、ふとその家の話をしたら、妙に分厚い沈黙を醸し出してくるので、
まずい話題だったかな? 前のパートナーとの話だし分かっちゃったかな? でもそんなことで怒ったり、不愉快になる人でも無いし・・・、
と、ただ、???と思っていると、
「そこ知ってる。」
と答えたんです。
驚いていると、
「有名な所なんだよ。」
と言われ、なんだかその場所への私個人にとって強い引力を感じたのを覚えています。
 
それで盛り上がって、その人ともう一度行ったんですが、今度は入る道が分からず、なんとなく下から見上げた雑木林の先の先に、そこがあるのは雰囲気として感じられるのですが、行けなくてそれきりでした。
やがて、いつかの瞬間でその人と再会した時、ひと通りの近況報告をした後、じゃあこれで、と立ち上がろうとしたら、
「あの場所、結局無くなったんだって。引っ越されたらしいよ」
と言われました。
 
何故そんなことを言うのだろう?
私にとって、大切な場所ということになっているんだろうか? 
と訂正しようと思い、立ち上がってさっさとレシートを取ろうとしているその横顔を見た時、ただ単に世間話として言っているのが良く分かり、ああ良かった、と黙っていました。
 
結局、その家は私の中にただ残り続けています。
そして時々、心の中でふと浮かび上がります。
誰が住んでいたのか、どんな部屋の中だったのか、いつまでも分からないまま。
時々、インテリアを考えるとき、気圧計を探しているとき、私はひょっとしてあの家の中にあっただろうものを再現しようとしているのかな? 
と、通り過ぎたささやかな風に気付くように思う時もあります。
 
おそらく、あの家と広い芝生とその先に立てられた細く長い棒の上にあった白い飛行機の場所は、ずっと時間が流れ続けているから、なんでしょう。

あの晴れた、妙になんとも思わない中でただ単に、あ、と口に出さずに見つけた、ただ繰り返す日々の中に現実として在った、いつまでも
新しく時間が流れ続ける場所として、その家が私の心にあります。
大切な人と安心してただ一緒に居る時、なんとなく雨が降る窓の外を眺めている時、その場所は私の中でそっと姿を現します。
 
少し自慢するなら、思い出としての完璧な在り方として、私の中で時を流し続けているのだろうな、と黙って満ちていきます。
 
未来の私が少しの可笑しさを噛み殺しながら、
「・・・景観を見ないの?」
と当時を思い出し、晴れ渡った風吹く気持ちと共にありながら。
 
再会し共に進む、唯一の人に捧ぐ。

 
 
寒いですね。
まるまる一週間強、寒波が来続けていますよね?
私の住む街も昨日はマフラーが必須の気温でした。
HSPの方々は気象病と呼ばれるものからの影響は大丈夫ですか?
私は大変でした。今日くらいから大分治まって来ましたが、とうとう気圧計を購入することにしました。
 
びっくりしましたよ。
今回は頭痛はほんの少しで、後はひたすら調子が悪く痩せました。
世の中も大騒ぎなことが次々に起こり続けていて、家の中を整えて静かにしていようとしているのに、寒波の影響を受けて、思うようにならず、がっくりしています。
 
とにかく寒いので、暖かくして、風が強い日も荒天の日も外出は避け、周囲が騒がしいときは、自分の居るプライベートで静けさの中に居ると、大分違いますよ。 
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。

 
20250214 20:53 文章の不要な箇所を取りました。内容は変えていません。
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

2025/02/02

🌈🦋湯気を探す

新調した蒸籠(せいろ) これで肉まんを蒸します。

 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
いま現在は、2011年の震災のように、日常生活に「非常事態」の状況が流れ込んできています。
それで前回の日曜版で、苦手な情報から距離を取りましょう、と書きました。
 
街を往く人達を見ていても、2024年のお正月に起こった震災で、2011年のパニックが甦ってしまい、一年間多くの人達はPTSDの状態に入っていました。
今やっと2025年の1月が終わりましたが、日本国内だけで、一年目の日が来ていたことで凄く心理的に影響が出ていた方が多かったのでは無いでしょうか?
また1月は放送でACのCMが繰り返し流されてしまう状態が放送され、主に皆さんはWEBニュースで見ていると思いますが、1つの話題一色になってしまう状態をまた体験していますよね?
そして、国際状況が非常に不安定なので、強い言葉に触れる機会が増え、日常生活が大きく動かされてしまうのではないか、と身構え続けている体感があると思います。
 
なので、今は特に日々の暮らしが破壊されてはいないけれど、昨年の秋頃から暮らしが危なくなってしまうかも? と緊張し続けている、という、あの時と似た状況があちこちに存在しているんですね。
 
普段、その似ている状況に入り、通り抜け、再び部屋に戻られているので、意識せずとも「危ない」という本能のサインが点滅し続けているのが今の状態です。
実はものすごく緊張して暮らされている方が、思われているより多いのではないでしょうか?
 
しかも意識せずにPTSDに入り続け、それが街でよく見掛ける車の運転の判断の鈍さや、人と人との距離をうまく取れない人達とぶつかったり、あれ?どうしてこんなに近くを歩くのかな? と瞬間瞬間にパッと脅えた後すぐに、ああ良かった、という安心を繰り返す状態となって、動揺が現れています。
多分、思われているより、気持ちが疲れている方がものすごく多いとも思います。
 
ひょっとしてお住まいの地域では、話す時の声が異様に小さかったり、大きすぎる人を見掛けたり、表情と言葉の強さや態度や、判断が「変だな・・・」と思うことが多くなっていってませんか?
 
なので、不安が強くなってしまったり、うまく流れて行けないこと、小さなミスを繰り返してしまう、普段ならやらないことをやってしまった後に、あっ!と驚く、そんなことが増えている現状は、当たり前の反応現れ、なんですよね。
 
それで、日常空間で湯気のあるものを探す、ということをやって欲しいんです。
お風呂でもいいんですが。
コーヒーカップにお湯を入れて、そんな熱すぎるものを飲まなくていいから、湯気の立つカップを少しテーブルの上に置いて眺めてみて下さい。
 
音楽は、本当にみなさんが心地良い音楽だけにして、人の話し声が現在不快なら、声が出ているものを全部切って下さい。
 
お料理が好きな人は、スープや煮込み料理を作って、椅子を持ってきて鍋の前に座り、料理の番をしてみてください。
煮上がり、出来上がっていくものの匂いと湯気と小さな音を見つめて下さい。
 
コンビニやスーパーで普段買っているソフトドリンクをカップに移して、電子レンジで温めて、カップの中から小さく広がり、やがて薄れて消えていく湯気と電子レンジの扉に付く蒸気の跡を、少し見つめて下さい。
 
後は、可能な範囲でいいんですが。
部屋の中に、室温のコントラストを作ってみて下さい。

玄関は寒くていいのだし、部屋の中は、そんなに暖かくなくていいんです。
キッチンスペースは少し冷んやりするのが適温です。
食材を扱う場所だし、電子レンジで調理したり、お鍋をガスに掛ければすぐに気温が上がるから、そこは普段、少し寒いかな? というぐらいにしておきましょう。
 
普段いるスペースは、今は真冬なんですから、少しエアコンや暖房が作る温度を下げて、重ね着をしましょう。
不快感が消えます。
それが、冬の住環境の適温だからです。
 
健康の為には確かに身体が冷えてはいけませんが、普段、暮らす上では、衣服で体温調節をして少しだけ指先が冷たいのが、「本来の冬の暮らし方」です。
 
そうすると頭がボーッとして物を考えられない状態から離れられます。
気持ちが鎮まるんですね。
体温と身体を取り巻く温度が高いと、やはり冷静さの調節が難しくなるんです。
 
室温を少し下げると、日々の中で湯気を見つけやすくなります。
食事のイメージの演出のように、あんなに蒸気が出ているのではなく、空間に小さな曲線を描く湯気が立ち昇り、すうっと消えてしまうのを見つけてください。
 
非常事態への反応が出ている時は、基本をやります。
毎日の基本をやる。
そうすれば、2日・3日で部屋の中とご自身が落ち着きます。
 
小さく動揺し、あっと思っても、基本にすぐ戻り、それをやる。
何も考えずに、基本の行動を取る。
暮らしの中では、朝起きて、食事を摂り、湯気を見つけられるほど静かな心に寄って行き、心地よさの判断をし、夜になったら眠る。
すると、反応で出ている非常事態であるという判断が、普通の事柄だけで解除できます。
 
今日は、2月最初の日曜日ですね。
もうすぐバレンタインデーですが、気持ちが乗らなければしなくていいですし、午後は好きなことをしましょう。
買い物は、出かけるなら明るい時間帯に。
お天気の悪い日は、なるべく早めに外での用事を済ませ、部屋に戻り、いま現実に溢れている話題とはかけ離れた内容の本を読むのもいいですよね。
 
私は昨日から、先延ばしにしていたケンドリック・ラマーの、非常に詩的でありながらも、彼がその時レポートすべきである。と決めた”ストリートレポート”と”ライフ・スタイル”という、彼が属しているコミュニテイの現像と価値観を読み解くために、「ギャングスターラップの歴史 ソーレン・ベイカー著 塚田桂子訳」を読んでいます。
 
ライフ・ワークって、私は、自習という名の勉強も含むと考えています。
みなさんの味方になって下さっているOさんも、大変興味深い、と、この読書と私達のケンドリック・ラマーへの旅の始まりを喜んでいますよ。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
 
 
20250202 22:10 誤字と文章を直しました。
20250217 20:52 誤字を直しました。

 
 
 

 
 
 

2025/01/26

🌈🦋 部屋の中で静かにしている。


日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
少し寒さが緩んだと思ったら、今朝はまた格別に冷え込んでいます。
なぜそんなことが分かるかと言えば、完徹したからです。
なんだか今日は、日曜日にこういう事を書こう、という気持ちがまとまらず、モニターの前に座っていました。
 
この頃、ニュースのタイトルだけ見ると、少し世の中が乱暴な方向へシフトしていますね。
きっと私の心の整理がうまく付かないのも、その雰囲気の影響を受けているからだと思います。
 
苦手な方は、問題意識や知らなければならない、という厳しい心より、まず今日一日が穏やかに過ごせるかどうか、で触れる触れないを判断してみて下さい。
私は、速報が無い日とある日で、今なら読みに行ってもいいかな? という時に、ニュースのタイトルだけサッと目を通して、事件が多く起こっていたら、それ以上は知ろうとしません。
 
強い内容の報道は、私のようなタイプ(HSP)は、触れると暗いモノに引き込まれて、全然楽しくもなんともないのに、真っ暗になってしまう情報をずっと追い続ける状態に入るんです。
刺激の一種と脳が錯覚してその時だけの中毒のようになっているのかな? と思いながらも、多分違うな、と分かっています。
おそらく、読み始めたらその時触れた情報がきちんと着地を迎えないと、落ち着かないんだと思います。
 
何かが起こった。そしてこうなった。までがはっきり頭に入ってひとまずの終わりを迎えないと、この情報はこれで終わりです。と情報を頭に入れる行動に、文章で言うと"○印"が付かないんでしょうね。
ピリオドという言い方もありますが、句読点の「○」です。
 
これで頭に取り込むのは終わった。 じゃあここから、このニュースを「報道」という部分だけ取捨選択し、内容の要点を整理し、「現状、このような結末です。」
と箱にしまって胸の中にある棚に入れています。
後は、少し時間を置いて、また気が向いたら自分であらためて胸の中にある棚に手を伸ばし、情報を再度取り上げ、少し離れていた間にクールダウンした目(客観)で、新しく棚に入れた情報について、考えたいときは考えたりしています。
 
そうすると動揺はしても混乱はしなくなるんです。
自分なりに整理がつけられて、情報のさばき方が分かってくるんです。
 
混乱というのは、散らかった部屋のイメージを持っています。
そして部屋を片付けるのが、秩序を維持する。ということなんです。
混乱の反対は、秩序。
 
秩序は、自分の中だけの場合は、自分の価値観だけの整理の仕方、ということになります。
 
すると、あ、今、クラシックよりちょっと勢いのある曲を聴いて、やがてその勢いに慣れていくと、最終的には「静けさや 岩に染みいる 蝉の声」のように、気持ちが鎮まってくるんですね。
 
音の無い静かな状態であっても、今度は窓の外の暮らしの音が静寂の中で微かにしているので、その音を探しているうちに、いつの間にか集中していて心が鎮まってくる。
 
本が読めないほど気持ちがざわついている時は、なんとなく自分では、そうやって気持ちを静かにさせています。
 
他には、少し元気がいるけれど、昼間、数百円の小さなブーケを買ったり、美味しい小さいお菓子を食べたり、温かい格好を暑すぎないかチェックしたり、換気したりして、自分の秩序をその時その時で整えていくんですね。
すると、自分と部屋と家具とその日の空気感が調和しているかどうかが、よく分かるようになります。
不自然さが微塵も無い、リラックスできて油断できる雰囲気が室内に漂っていれば、おそらく成功です。
 
良かったら試してみて下さいね。
 
完徹はもうしない方がいいですね。分かってはいるのですが、都合によってはそういうこともあります。
あまり頑張らない工夫で、アクシデント以外では、浮かばないなという時は、すぐに切り上げて眠ってから改めてチャレンジするべきです。
投稿した後、私はぐっすり眠って、夕方前に起き出し、たぶん甘く小さなお菓子を食べると思います。
それから疲れない程度に部屋を片付けて、シャワーを浴びようかな?
 
それでは、静かな気持ちで、素敵な日曜日をお過ごし下さい。