休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
明るい雨が降っています。
もう3月も半ばを過ぎ、ARMYさんに会えるまであと3ヶ月ですね!
私は、お二方の再会の時間はそっとしておきたいので、
ニヤニヤしながらその日を過ごす予定です。
無事のお戻りを待っています:)
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2024/03/03

THREE TIMES

 
 
J-HOPEさんには3度、驚かされている。
 
BTSというグループの光に気がついたとき、もうすでに彼らはワールドスターでコロナ期でも圧倒的な光を放っていた。
 
私は、当時療養中で、ネット情報に触れるのも工夫とパートナーに協力してもらわないといけない状態だったのだが、とにかく尋常な光ではないので、さっそくBTSを検索してYouTubeにたどり着いた。
 
詳細は覚えていないが、どうも彼がBTSの一員らしい、という動画を見つけた。
 
それはその時より年若い、私の言葉でいうなら、まだ男の子だったメンバーがホテルのスイートクラスの部屋から配信している、過去の動画だった。
なんとまあ、高級な男の子だろう。と、とてもびっくりした。
 
かねてより、私は自分の狭い現実で、高い男の子、高い女の子、という言葉を、上等で上質な人やピカピカの人、リッチが似合っていて洗練されている人に向かって、よく使っていた。
もちろん当人に向かって言ったりはしない。
ただ自分の好意的な判断の最終段階に、その言葉があった。
 
ちなみに日本には、「お高くとまりやがって」というよくない言葉がある。
育ちの良さを鼻にかけた、という意味でもあるし、上品ぶって私はあなた達とは違うのよ、と言葉や態度で自慢しひけらかすやり方を攻撃する言葉だ。
 
だが、おわかりのように私が使っていた、高い男の子、高い女の子、はその意味をまったく持たない。
 
今考えると、むしろその良くない言葉を逆手にとり、肯定的に自分の狭い範囲で使うことで、自分がもののわかった人間であると思いたかったのかもしれない。
 
動画の中で、彼はとにかく圧倒的に高い男の子だった。
 
顔かたちや着ているものも美しく、振る舞いは多少ぎこちなかったが、そのどれもがちっとも無理をしていない、自然な高級さ、洗練さを持っており、おそらくは生まれながらではなく、あとで身につけたのだろう賢さが漂っている、久しぶりに見た、とんでもなく高い男の子だった。
 
彼は、愛するファンに向かって、慣れぬ手つきでフルボトルのコルクを開けようとし、少し失敗してコルクのカスがワインの中に落ちてしまっていたのを、薄く徹底的に造形されたワイングラスで飲んで、失敗、と顔をしかめた。
 
これがKスターか、とも思ったし、これがワールドスターか、とも思ったし、これがBTSか、とも思ったが、私がとにかく驚いたのは、彼が、そのとき宿泊していたスイートクラスの部屋よりも高級で上質なことだった。
 
その若さでは、通常ありえないことだったからだ。
 
随分、賢いのだろうな、と思った。
若くして成功し、生臭さを持たずに居るというのは、おそらく彼の日常は訓練がメインで、武術家のような生活なのだろう、と思った。
 
だから維持できるのだろう、と思った。
 
彼に興味があった。
なので彼の動画を探した。だがあまりARMYさん達が有志で翻訳した彼の動画がなかった。
 
やがて、ホテルでの動画配信の後、数年経過した動画を見つけ視聴した。
 
そこで、少し大人になり、迫力が増し、高級さがより洗練され貫禄といってもいい雰囲気をまとった彼が、今度はおそらく当時の高級共同宿舎での一室で、愛するARMYさんに向かって配信している動画だった。
 
彼は、「悪いけど、僕はいま、一人の人の愛と信頼を得たいと思っている。」とはっきり言った。
 
胸のど真ん中だった。
 
いいな。と思った。
 
ああいう商売では、言わなくてもいいことは言わなくともいい。
必要のないことで、正直である必要など、まったくない。
 
ビジネスだからというより、自分が一体、なんの商売をしているか、という理解の問題だと私は考えている。
どういったファンダムと支え合い、何を共有し、なにをもって先に進むのか、考え続けていないと沈む稼業だという理解を私はしている。
 
彼は、その時、判断したのだ。
自分で決めて、自分はこれを言うと決めた。
 
決めたらはっきりと言う。
私は、そういう人が好きだ。
 
男だろうと女だろうといかなる性であろうと、自分のルールの中に、自分のチームという家族があり、自分がどこに居て、なにをやっていて、一体、誰に向かって配信しているのか。
 
わかった上で、自分のルールに従い、言う判断をした彼に、私はしびれた。
彼に2度びっくりさせられた瞬間だった。
 
堂々と自分で選んでのける、やわらかな、当時は虫が苦手だった、そういった頼りなさや都会的な繊細さをまとう人物の、その芯にある強靱な賢さに圧倒された。
 
もっと彼のことを知りたかったのだが、それ以上は、あまり動画がなかった。
 
仕方がないので、耳に残った楽曲を配信でセレクトし、購入しても私にとって捨てアルバムでないものを2.3聴きながら、異様に好きな楽曲に気づき、どうして好きなのかも分からず、ひたすらそれを聴いていた。
 
やがて、その楽曲を創ったのが彼だと知った時、私は3度目の驚きの中にいた。
 
聞けば、音楽は独学だという。それで本来の自分のスタイルとは違う、当時流行していた楽曲でここまでのものを創れるものだろうか。と思った。
 
私は、彼に興味がある。
毎日、彼の情報を集める興味ではなく、彼の存在に興味がある。
 
いま、彼は軍務につき、仲の良いメンバーの話では、物腰も立ち振る舞いも男性らしく、たくましくなっているそうだ。
それは環境もあるだろうが、私は、彼は、そういう自分をもう出しても良い、と判断したのだろうと思っている。
 
そういった芯にあるしなやかな強靱さ、使命というものを自分に課す、そんな厳しさをいつも彼から感じる。
 
私は、彼とは考えも価値観も、違うところがたくさんあるようだが、彼を非常にリスペクトしている。
天文学的な可能性を排除し、現実でうまくいくとすれば、その先に熱い友情が生まれる可能性がある、そんなリスペクトだ。
 
私が知っている限り、ファンになるなり方としては、特に間違ってはいない。
 
 
 
蛇足として余談を付け加える。
 
最近の言葉では二推しを持つということをするのは、ひとつのグループでというなら、私はおそらく初めてだろう。
そうだから、そうだ、と、この4年弱の間書いてきたが、今思うと、二人には共通点がある。
 
それは、最初に、仕事上ではあっても強い結びつきを持つ自分のホームグラウンドから、必要がないとジャッジされた経験を持つ、ということだ。
 
そのことに気がついたとき、私は自分の眼は間違っていなかったと久しぶりに爽快な気分になった。
 
赤信号を渡ろうが渡るまいが、端正な生き方をしようがどうしようが、正直、私にはどうでもいい。
 
執念、ただひとつ、を仕事という結果に結びつけた二人が、これからどのような仕事をし、どういう生き方を選んでいくのかを、
 
この先も幾度となく眼にするだろうという確信がある、
永遠とも思える滞空時間の後、
ボールをゴールに押し込む瞬間を見て、
歓声をあげたいだけだ。
 
 
私はファンだ。
いつか時間が来たら、ここを去る。
 
仮に去った後でも、きっとそのニュースを耳にすれば、夕方、喧噪の街の中、コンビニで好きな酒を買ってきて一杯やるだろう。
 
悪いが、このやり方に、愛はいらない。
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 

2024/03/02

私見:ファンコンテンツの境界線

 
一度、自分のファンコンテンツに対する考えをちゃんと書いておいたほうがいいかもしれない、と思っていたので、書きます。

 
確か、昔書いたことがあったかもしれませんが。
 
私は、応援している人の話や、すごく好んでいる物事の話をあまりしません。
 
こうして、書いたものをWEB公開しているのだから、する時は話題にはするんですけれど、基本、あまりしません。
 
それが自分の中でどういう区分けになっているのか、自分でもよくわかりませんが、話題にする人としない人がいます。
 
いま一応、ファンブログの体(てい)を取っていますけれど、その場合は当然、応援している人達の話題をするようにしています。
でも、どこか自分でもファンブログだからあえて話題にしている、という感覚があるんですね。
 
いつ頃からか、ネットというものを対岸の方々が、見ているよ、と公言するようになってから、私はどうもそういう傾向になっていったように思います。
 
その昔、インターネットという場所は、あくまで愛好している人達が集っている場所で、ほとんどオフィシャリティの要素を持っていませんでした。
 
私が参加し始めた頃は、けっこうオフィシャルサイトというものが出来ていたんですが、その頃であっても、FamousPeopleの方々が、ネットを見ている。自分のファンサイトを見ている、と公言するのはあまり無く、やっているこちらも、暗黙の了解というノリの元に、応援している人に気がついてもらいたいからやっている人は、そうは居なかった気がします。
 
私は、気がついてもらいたいからやってはいませんでした。
同じファン同士で見るもの、という形が好きでしたし、応援している人に気がつかれることはすごく面倒だなという気持ちもあったんですね。
 
実は、今でも、面倒というより、応援している人に向かって書く、応援している人が読むのが前提で書く、というスタイルがあまり好きではありません。
 
理由は、私が書いているのは、その時々で、自分が思っていることであって、応援している人に自分の存在を知ってもらいから、では全くないから、なんです。
 
見ているかどうかわからない。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

という、インターネットの神話のようなものが好きでしたし、今となっては、応援される側がエゴサーチするのは当たり前。直接FamousPeopleが発信するのは当たり前で、ファンとFamousPeopleがお互い認識し合うのが当たり前、というやり方が、すごく緊張するし、お世辞とか綺麗なことばかり書かなければならないのではないか、という自分の臆病さが出るのが、とても不自由だからだと思います。
 
それはコンテンツとして面白いものとは、到底思えないんです。
 
アピールではないんですね。私の場合は。
認識してもらいたい気持ちは、ほとんどありません。
 
これは私一人かもしれませんが。
ファンをやっているのは、応援している人に知ってもらいたいからでも、好かれたくてやっている訳でもないんです。
 
わざわざ嫌われたくてやっては居ないけれど、どう思おうとそれは相手の勝手である。という部分を残しておきたいし、嫌なら、ブラウザのNG設定にしてくれてもまったく構わない、ぐらいは最初から思っています。
 
嫌だと思っているから、これは発言しないでくれ、ここは発言を遠慮してくれ、というのも、ちょっと気を遣ってやっていましたけれど、それは私の思う、ファン単体の活動(という程のものではないですが)の範囲を超えている、無理な要求のように考えています。
 
これ難しいんですけれど。
私はここでいまJINさんやJ-HOPEさんをメインに応援していますけれど、お二人の名誉を著しく傷つけることを書くのは当然やりません。
例えば、JINさんはくだらない、とか、J-HOPEさんがとんでもない、とか。
そういうことは最初から書きません。
私は、ポジティブな応援をするタイプですから。
 
ですが、ここはこう思った。これはこう思う。このように考えている。って書くことは、正直、私の責任の範囲、私の意思の範囲であって、悪いけれど、応援している方から、口を出されるいわれはないんですよ。
 
だって、ここは私のコンテンツなんですから。
 
そういう考え方を根底に持っているから、私は、愛し愛され合うのが前提の、ARMYさんになろうとしないんです。
 
無論、一番、大きくあるのは、私が過去に卑怯な真似をしていますので、ARMYさんになる資格はありません。
 
ですが、それも、私が決めたんです。
 
だから、なれませんし、なりたいという気持ちもないんです。
正直、そこも口を出されるいわれはないんです。
そう決めて、そうやって居るんですから。
 
愛し愛され合う、BTSとARMYさんの関係は、私は、世界で最も美しいファンダムの形だと思っています。
 
ただ、私が最初からファンです。と名乗っているのは、愛に左右されたくないからなんです。
 
自分の応援感情は、愛ではないですし、ただの嗜好であり、プレイヤーとしてすごい人だな、ミュージシャンとしてとても興味のある人だな(J-HOPEさんのことですね)、と思って、良い影響を受けてもいるんですが。
 
私は自分の生き方の選択は、自分に従いたいですし、自分が抱えていることをどうにかしてほしくて応援しているワケではないんです。
 
正直、メンバーがここをご覧になるヒマなんか無いと思っていますし、何を置いても読みたい内容でもありませんから、(ほめちぎって自己肯定感が高まるわけでも、活動のプラスになるヒントのようなことも書いてませんし)可能性としてあるのは、スタッフさん側が情報の一つとして読んでいる可能性が高いだろうな、という認識をしています。
 
その上で、ご不快ならどうぞ読まないでください。
いつでも、ブラウザのNG設定にここを入れてくださって問題ありません。
 
私はアンチではありません。
とくにキツいことを書いてもいませんし、もっと厳しいことを書かれている方もたくさんおられます。
 
私が更新する度に、ここが違う。こういうのは嫌だ。と、私対応なんかされても迷惑だし、そう思うのも発言するのも自由ですが、わざわざそれを私に無理矢理知らせて、その反応を見ているのは、アンチのやることです。
 
読んでいただきたくてやっていませんので、読んで欲しい方々のコンテンツをぜひご覧になっていただければ、と思っています。
 
申し訳ありませんが、私はここをコンテンツとして好きに動かす権利があり、自分の意思で好きに動かす自由を大切にしています。
 
そこを踏み越えて来られるのは、とても困ります。

 
 
 
 

 

 
 
 
 

2024/01/09

最終夜 がんばっていきまっしょい!


 
 

 
 
 
「キラキラ」
aiko
 
 
 
この楽曲は、ドラマ「がんばっていきまっしょい」の主題歌でした。


物語は、学校にボート部を作った、高校生の一人の女の子が仲間と共に、大会でライバル校に打ち勝つまでを描いた、愛媛、松山を舞台にした青春ドラマです。
同タイトルの原作小説を元に映画化され、その後、テレビドラマになった経緯を持っています。
 
「がんばっていきまっしょい」という言葉は、Wikipediaによると
 
タイトルの「がんばっていきまっしょい」は、敷村良子(原作者)の母校である愛媛県立松山東高等学校で1966年から使われている「気合入れ」の掛け声で、入学式や体育の授業前のランニング時に実際に使用されており、もともとはラグビー部顧問だった当時の保健体育教諭が準備運動の駆け足の際に生徒たちに一体感を作るために考え出させたもの。

(冒頭参考リンク・引用元ともに Wikipedia がんばっていきまっしょい! https://w.wiki/8nWm より)

 
私は熱心な視聴者ではなかったのか、あまり内容を覚えていません。
ただ、最終回はなぜか覚えているので、視聴したりしなかったりの時期だったのでしょう。理由は不明です。
 
ネタバレになるので、詳細は控えますが、ラストに地元を離れる女の子が、出航した船の上で、ただ一人、「っしょい!」と小さく拳を握るシーンが大好きです。
 
2011年の震災が起こった後、日本は大混乱に陥っていました。
その全部は、誰のせいでもありませんでした。
誰にもわからないことが、起こり、さらに起こり続けていたからです。
 
当時、いつ頃だったか失念してしまいましたが、日本のミュージシャンたちが被災地を励ますために、あの時、ライブを行い、それがテレビ中継されました。
その中でベストアクトだと私が感激したのは、エレファント・カシマシの「悲しみの果て」とaiko の「キラキラ」でした。
 
エレカシの宮本さんはパフォーマンスの冒頭に、「この楽曲は、悲しいことが起こった後の希望についての歌だと俺は思っています。」という言葉と応援メッセージを静かに、でも宮本さんらしく、熱く、実直に、誠実に、落ち着いて話されました。
 
大きなことが起こるたび常にポカンとしている私は、
ああ、宮本さんは、この大被害にとてもとても傷ついている。けれど、前を見据えておられるのだ。
と、とても励まされました。

なんだか、テレビの前の国中の大混乱の中にいる私も、激励されたような気がしたのを、今でも覚えています。
 
aikoはこの時、何も言いませんでした。
ただ黙って出てきて、「キラキラ」を歌いました。
明るく切ないラブソングを、全力でパフォーマンスしました。
 
その当時、たくさんの人達が被災地を守ろうとする気持ちのあまり、似つかわしくない言葉、被災地を利用しようとする言葉に、敏感になっていました。
 
いま考えると、そんな言葉もそんな人達も、どこにもなかった。
けれど、その人達も、どうしたらいいのか誰にもわからない状況で、被災地を守ろうと必死でした。

そんな中、aikoは、黙ってステージに出てきて、ラブソングのパフォーマンスをやり抜きました。

冷静だと思いました。
この人も大被害にとても傷ついているのに、何をいまやるべきか、何をいま自分がメッセージできるのか、考えた上での100%のパフォーマンスを見せてくれていました。
 
黙ってやることで、
この「キラキラ」という楽曲が、なんの主題歌だったのか、
aikoが1番言いたかったのは何か、
を雄弁に語るパフォーマンスをして、ステージを降りました。
 
あの時、そのことをわかっている人は、たくさんいたと私は信じています。
そして誰も、aikoのパフォーマンスに対して、被災地を侮辱している、とか、この場に似つかわしくない、とか、怒る人は誰もいなかったと記憶しています。
 
確か、3年前にここを始めた時ぐらいに、私も書いたと記憶していますが。

「がんばれ」という言葉は、2024年現在の日本では、少し取り扱いが難しい言葉とされています。

理由は「がんばれ」という言葉は、
人によっては、その人を追いつめることになりかねない、危険な状況を招きかねない言葉ですし、
「うつ病」を患っている方々には、決して言ってはならない言葉として、
たくさんの医師が注意喚起をしていることは、とても有名だからです。
 
私は、そのことを知っていましたし、普段暮らしていて、あまり無闇やたらに「がんばってください」とは、言わなくなっていっているような気がします。

それは、先に書いたことを自分が知らずにやってしまうのが、とても怖ろしいからですし、多分、怒られるのが怖いからでもあります。
 
ただ、私個人は、先述に該当しない状況、相手に限り、この「がんばれ」という言葉は、必要な時は、必要な言葉である、と考えています。
 
言葉を保存しようとか、言葉がどうのとか、そういうことではないんです。
 
人には、人々には、がんばらないといけない時があるからです。
 
そして、がんばれ!と言われることで、立ち上がることができるからです。
がんばれ!と言ってもらえることで、前に進めることがあるからです。
がんばれ!という言葉によって、目の光が元に戻る時があるからです。
 
正直、以前使った時もやっぱり怖かったんですが、私はそういう考えの元、確かあの時、コロナ禍の日本に向かって、「がんばりましょう」とかなんとか書いた記憶があります。
 
その頃、ネット越しだったのか、会場でだったのか。
現在、天国で名高座をかけておられる噺家さんが、会場のロビーのイーゼルに
、水墨の達筆で書いた「頑張ろう!」という言葉を掲げておられました。
 
それを見たとき、あ、やっぱり、この使い方で合ってるんだ。と妙な安心があったのをよく憶えています。

そして、故・柳家小三治師匠がそうおっしゃってくださり、観客の私は、あのとき初めて体の奥から、本当の深呼吸ができた気がしました。
 
コロナ禍が続く中、よりによって豪雨により土砂災害が起こったとき、偶然、お隣の韓国からBTSが来日し、パフォーマンスをテレビで披露したことがあります。
 
私は、正直、BTSは事態を重く憂慮し、来日を取りやめるかもしれない、と思っていたのですが。
彼らは来日し、ひとつのパフォーマンスの前に、代表してJINさんという青年がこう言いました。
「みんなで、頑張りましょう!」
 
そして、彼は、そのとき自分がすべきことを、Butterというラブソングのパフォーマンスを、力を込め、励ましを送るためだけに披露しました。

私は、いまでもこの青年の実直さ、勇敢さ、誠実さが忘れられませんし、これからも忘れることはありません。

 
頑張りましょう、みなさん。
頑張るしかありません。
 
今こそが、がんばる、その時です。
 
もちろん、頑張ってはいけない方々は、頑張らないことを頑張りましょう。
 
 
私達、頑張りましょう? みなさん
 
今までも大きなことがある度、私達は頑張ってきました。
いつも果敢に挑み、怯まず、全員で頑張ってきました。
 
私達は、負けません。
 
そのことを私達は、とてもよく知っています。
 
私たちには経験があります。
だから、今回もやれます。
必ず、頑張れます。
 
なので、頑張ってやっていきましょう。
私も、頑張ります。
 
それでは、最後に、気合を入れる意味で、この素晴らしい言葉を書いて、最終夜を終わります。
今回のコレで、少しでもみなさんの気が紛れてくださっていれば、幸いです。

 
がんばっていきまっしょい!

がんばっていきまっしょい!

 
「がんばって、いきまっしょい!」
 
 
 
 
20240109 16:45 Butterfly JustDance エナメル
 
 
   


2023/12/04

おおおお誕生日おめでとうございますっ!!


 
 
じ・・・、JINさん、お誕生日おめでとうございます!
 
J-HOPEさんも、特級戦士おめでとうございます!(つい最近知りました)
 
みなさん、今日は、JINさんのお誕生日ですっ!
お誕生日やんないって決めたんですが、あまりにも私の行動範囲で何も言われてないので、ちょっとビビってます!
(あんた今界隈うろついてないじゃん)
 
本日、12月4日は、BTSのJINさんのお誕生日です!
今日は、防弾少年団の宇宙スター、JINさんが生まれた日です!
 
きっとウィバースでは盛大に祝われていることでしょう。(行ってないんかい!)←いや、いま色々と作業中。
 
・・・、お・おめでたい日です!
おめでたい日なんですよ!みなさん!!
 
祝いましょう!(強制?)
 
とにかく、JINさん、良い1年を!
よりハンサムライフを!(何それ(苦笑)) 


 
 
 
 
 

2023/11/08

月といえば

 
昨日の夜は、応援していた師匠が夢の中に出てきて、 「今半(いまはん)」で「うどんすき」をたらふく食べさせてくださいました。
雪がすごく降っていてとても美しく、夢の中でしたが体があったまりお腹いっぱいになりました。ごちそうさまでした。
 
 
そして、「今半」はご存知、日本を代表するすき焼き店でして、名店として名高い場所です。
 
 
ご想像の通り、私はいまだに「今半」デビューをしておらず、連れて行ってもらったことすらありません。
 
なので、夢の中のうどんすきは、私の記憶と経験データを参照して、私の好物として、「今半」では取り扱いのない「うどんすき」 が出てきたというわけですね。
 
これをお読みになり、「今半」に行こうかな? と思われた方は、必ず予約して伺ってくださいね。予約なしでもいい店舗もあるのかもしれませんが、いいお店は予約をしていくと確実です。
私も、「今半」貯金をして、いつか伺えればな、と思っております。 
 
まあ、夢の中の師匠からのメッセージは、「いーから飯を食え!」ということだったんだろうと思いますので(笑)、体型が戻ったことに余りはしゃがずに、そろそろしっかり食事をしたいと思います。

さて、表題の「月といえば」ですが。
 
BTS界隈では、月といえば、麗人Vさんが愛するARMYさん達に向けて言った、「月が綺麗ですね」が有名です。
こちらは、「愛しています」という、大変、美しい言い方です。
 
素晴らしい言い方ですね。
なんとまあ、奥ゆかしい言い方でしょう。その上、洒脱と洗練に満ち満ちていて、この言葉を考えついた人は天才ですね。夏目漱石ですけど。
 
なので、漱石ファンの私としては、もっとこの言葉をアピールせねば、と、ここを始めた時に思っていたのですが、ARMYさんも麗人Vさんももちろんご存知の上で、この言葉遊びをより美しく優しい愛の言葉の交換に使われているので、これ以上言うのは無粋かな、と控えておりました。
 
そして、どうやらBTS界隈は月にゆかりがある事柄が結構あるらしく、月といえば、ここでもメインに応援しているJINさんのソロ曲が「Moon」だったりします。
 
こちらは後でJINさんが発言してましたが、なんでもJINさんが当時1番やりたかったことを表現したのが、こちらの「Moon」なんだそうですね。
 
星の王子様をモチーフにしたパフォーマンスと、後ろのキツネ面のダンサーさんたちが印象的で、JINさんがやりたかったことはこれなんだな、と後でしみじみと拝見いたしました。
 
ですが、なぜ月にキツネ? とか、JINさんはキツネっぽいことがお馴染みのところではお馴染みなのか? とか、尽きぬ疑問が湧いてくるパフォーマンスです。
 
こちらの楽曲では、月と地球をJINさんとARMYさんに見立てて、美しく愛らしいラブソングとなっています。
私はエピファニーが好きです。
 
そういうわけで、月というと、こうして色々と発想するものがBTS界隈ではあります。
 
そして、これは調べていないので、どなたのテクニックかは失念してしまったのですが。(たぶんすっごい昔の文人)
 
言わないこと、表記しないことを発想させて、それが1番言いたいこととする。結論とする。
というやり方の、アマチュアの私にも浸透している有名なテクニックが日本にはあります。
(全世界の文章を読んでいないので、日本には、とさせていただきます。)
 
正式に調べたわけではなく、今まで読んできた物語の蓄積でそれを自然とやるようになってきたのですが。
 
私は、一茶の有名な句を使ったタイトルで、月つながりでJINさんの話題を何度か(?)書いています。
 
ですが、ここで月というモチーフで最初に取り扱ったのは、麗人VさんとARMYさんとの愛の交換、「月が綺麗ですね」の夏目漱石の話でした。
 
そういうわけで、あの有名な句のタイトルは、ここをチェックしてくださっている方にはお分かりになるはずの、漱石にかけたものでした。
 
そして、もうひとつ。
言わないで発想させるのではなく、連想させるものとして。
 
月といえば、稲垣足穂(いながき たるほ)ですので、私はそのタルホイック雰囲気を隠しコマンドのようなものとして、やっていたつもりでした。
 
なにか、すごく美しく、奥ゆかしい誤解をしてくださった方がおられたようですが。
 
申し訳ありませんが、私は応援している方々に恋愛感情は抱いておりません。
 
それもすべて、私の文章力の低さとマニアックさが招いてしまったものなので、とても優しい誤解をしてくださり、大変申し訳ないな、という気持ちだけで、この説明をさせていただきました。
 
こういう風に、言わないで語る、ということを目指していたのに、書いた本人が予想もつかない連想をさせてしまうという、文章力の低さを如実に物語る、非常に情けない結果になってしまったことと、
それを後になって、おずおずと説明せねばならない自分という、なかなかに素敵な現実を考えて、
 
本日の投稿これこそが、公開羞恥プレイなのだと、苦虫を潰した顔で、いま私はこれを書いています。とほほ。
 
以上、月といえば、でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2023/10/27

美しい美しい美しいJINさんという表記と最近聴いている音楽


 
この間から、美しい美しい美しいJINさんという表記をするようになっていますが。
 
理由は、なんだか私がツンデレだと勘違いされているところではされていたらしいことを少し気にしてです(笑)
ちゃんといままでも、ハンサムですね、とか、バラエティの勇姿に惚れ惚れする、ということを書いてきたのにな、という思いで、美しい美しい美しいJINさんという表記をしています。
 
これからも集中的に、JINさんではなく、全世界にツンデレではない証明として、美しい美しい美しいJINさん表記をアピールしていきたいと思っています。
(だから何と戦ってんの?)
 
少し前に、JINさんは誰も傷つけない戦い方をする、という動画のサムネイルを見かけました。
ああ、そうなんだな、と感心しましたし、私はJINさんやBTSのみなさん、ARMYさんにとっては敵対すべき、こちらの方達がいる「良い岸辺」とは、違うところにいるものですので、ひたすら眩しい思いでいます。
(アンチという意味じゃないですよ。私はクリーンではないので。)
 
私は、この頃あまりコンディションがよくないので、BTS情報も見ていないと書きましたが、YouTubeを開くたび、もうだいぶ少なくなったものの、それでもBTS系列のサムネイルを見かけるぐらいは、いまだにYouTubeのAIがおすすめ動画をいくつか上げてきます。
 
熱い応援をしてらっしゃる方々は、それで平気なのか?と思われるかもしれませんが、特にストレスではありません。
 
私はなんでもなんですけれど。
面白い!と思う人やジャンルを見つけると、2.3ヶ月は毎日、そのことを話題にするくらいハマるんですが、そのあとは、ずーっとlawテンションです。
そんなのはファンではない!とお叱りを受けるかもしれませんが、ライトファンとこの頃では書くようになりましたので、そんな感じでやっています。
 
それに何か大きなことがある場合は、否応なしに目に飛び込んできますので。
 
天使さんのお誕生日をまだやれていないんですが。
少し迷っています。
続けるのは、別に苦ではないんですが。
こうして遅れるっていうのは、やっぱり失礼ですし、ちょっといまの気分から少しずれ込んでいる感じです。
なので、もうちょっと考えてから、続けるなら続けますし、そのままお誕生日は何もやらない方向にシフトするかもしれません。
 
以前にも書いたかもしれませんが。
BTSの日本語歌詞の楽曲って聴かれますか?
私は、実はiTunesで購入したのはButterflyの日本語バージョンと最近ではLightのみで、あとは全く聴いた事がありません。
 
理由は、韓国語がわからないのは相変わらずなんですが、その響きで最初に楽曲を憶えているので、それを日本語という脳内の枠に入れ替えるのが、すごく抵抗があるんです。
多分、言葉の響きと音が一緒になって格納されているんでしょうね。
だからだと思うんですけれど。
 
日本語バージョンは、BTSから日本ARMYさんへの愛の証としてリリースされたものなので、ライトファンといえども聴くべきである、というのはわかっているんですが、未だにその抵抗を拭えない感じです。すみません。
 
もしARMYさんやファンの方で、日本語バージョンはまだの方、おられましたら、愛の証ですので、ぜひ。
 
最近は音楽はiTunesで買ったものばかりを聴いています。
古い楽曲を聴いていて、新しい楽曲は全然聴いていません。
非常にマニアックなものから、大切にずっと聴き続けるんだな、という曲、あとはポップス、歌謡曲をいくつか聴いています。
 
なんだか、この頃、歌謡曲の感じが気分に合っています。
また、イベント等で話題にできればいいかなと思っているんですが、まずはコンディションを整えてからという感じです。
 
以上、美しい美しい美しいJINさんという表記と最近聴いている音楽、でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2023/09/12

バラの名は、キャリス。


 
左がサボン、右がキャリス。ともにバラ。

 
やっとJINさんのイメージの花が見つかりました。
 
ハークネスローズ社のキャリスが、私の中のJINさんのイメージと一致する唯一の赤いバラでした。
 
カテゴリーはモダンローズなんだそうです。
 
 
参照リンク
engei net様 キャリス商品ページ説明 より https://www.engei.net/products/detail?id=160228
 
 
あと同時にですね、サン・テグジュペリの「星の王子さま」の挿絵に出てくる、あの薔薇のイメージに近い花でもあるんです。
 
それで探すのに、こんなに時間がかかったのでした。
 
気づけば、もうJINさんの軍務も残り1年を切っていて、今ごろJINさんのイメージ花の栽培に入るんですから、実にのんびりした話です。
 
 
購入先をと思ったんですけれど、すでに売り切れてしまったようなので、紛らわしいので情報は出さないでおきます。
 
 
私はバラオタクの自覚はあるんですけれど。
まだ育て始めて1年未満とかそこらへんなので、まだまだビギナーなんですね。
それで、大切に大切に育ているバラのサボンが、確か大苗で、とても安定していて育てやすかったので、キャリスも大苗で購入しました。
(ビギナーは大苗から、というのが私の愛読しているバラ本にありました。)
 
苗木なので、通常、あまり蕾や花がついていることはないんですが、部屋に届いた苗木が、ものすごく生育の良い立派なキャリスの大苗で、花がひとつと蕾がいくつか付いていたんです。
 
キャリスは剣弁高芯咲きなので、もう少し待てば満開なんでしょうけど、あまりに素晴らしい花姿だったので、写真でおわかりのように切り花にして飾っています。
 
となりにあるのは大切なサボンです。
小さな美しい花瓶はAmazonで見つけました。
(なんでもAmazon)
 
 
私はBTSではJINさんをメインに応援していて、当ブログのタイトルはJ-HOPEさんの楽曲のタイトルをお借りして、ここを動かしています。
J-HOPEさんのイメージの花は、以前ご紹介したようにカラーです。
 
趣味の方向性がマニアックなので、やはり変わり種のカラーにしています。
いまは花が終わって自然に上部が枯れるのを待っていますが、なかなか葉が終わらないんですよね。合ってるんでしょうか?
 
私のJINさんのイメージ植物は、正直、竹なんです。
 
実は偶然、竹を栽培している方がご近所におられるんですね。
前を通っている限りは簡単そうに見えるんですが、絶対難しいんだろうな、と素人目にもわかるので、竹はあえなく断念しました。
 
それで、JINさん、よくパフォーマンスの時に小道具として使ってるし、きっとバラなんだろうな、と思っていたので、やっとこのキャリスが見つかってよかったです。
 
 
赤にも明るい赤、紫がかった赤、ピンクよりの赤、紅色、緋色、赫、と。
たくさんある中でこの色にしたのは、
JINさんって清潔な印象のハンサムさんですけれど、
表情を見ていて、
普段は韜晦していることが(とうかい・自分の才能や行為などをつつみ隠すこと)多い中、
ふとした瞬間にやはりとても情熱的な、内面に沸る炎(たぎる炎)を感じるんですね。
 
どんな方かは、よくわかりません。
私はライトに応援しているファンなので、そろそろ3年になりますけれど、JINさんがどういう人なのかは、よくわかりません。
それでいいと思っています。
 
いくつかーーー。
たとえば、たいへんな賢さと明晰さを持っているな、とハッとさせる驚きをもたらす人、というもの。
 もう哲学の領域を超えた、悟りに近づいてるかのような、削ぎ落とされた、JINさんが生きていく上でやると決めていること。
それを迷いなく実行する、決断力の高さ。
 
箇条書きにあげていくと、JINさんがオフィシャルに公開している情報の中では、そういう人となりが、私のように遠いものにも見えてきてはいます。
 
でも、実際はどういう方はわかりませんし、私はJINさんではないので、やはり、わからない、が基本としてあります。
 
 
J-HOPEさんに対しても同様で。
今日はJINさんの話題なので、詳しく語ることは控えますが。
 
J-HOPEさんがオフィシャルに公開している情報から、J-HOPEさんという方の人となりが見えてきてはいます。
でも、やはり私はJ-HOPEさんではないので、どういう方かというのはわかりませんし、きっとずっとそうなんだと思います。
 
 
面白いですよね。
誰かを応援することって、RMさんのいうように、永遠に平行線なんですけれど。
 
それでも何かしら、果てしなく遠くから受け渡されるものは、ファンの私にとっても、あるにはあるんですよね。
 
まるで、遠い国から、こんにちは、と呼びかけられているような、幾億万光年からの通信のように。
 
それが、現実的にポジティブな作用をもたらすのが、すごく画期的で、ものすごいことだな、としみじみ思っています。
 
 
バラの話は始めたら延々と続きそうなので、手短かに書くと。
 
大苗ならなんとかなりそうなので、もう少し種類を増やそうと決め、キャリスとは別に、そっと静かに応援している方々のイメージのバラを見つけて購入しています。
 
あと、つるバラも始める予定です。
なるたけコンパクトにできたらいいなと思っています。
 
ガーデニング、楽しいです!←失笑
(いや、目つきがちょっとおかしいよ!)←それがオタクといふ、もののふなり(武士なんだ?)
 
 
以上、バラの名は、キャリス。でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
20230912 16:22 誤字、文章をなおしました。
 
 
 

2023/08/22

To チョン・ホソク 2023/August

 


 

お元気ですか。

なんだか、とても久しぶりに手紙を書くような気がします。

 

私は私の場所で自分のことをやっていました。

少しずつですが、自分の思っていることをやっと書けるようになってきたので、ずっと気に掛かっていたことをやっていました。

一般的にそんなに時間がかかることではないはずですが、長い間、私の心はガチガチになっており、ここまで時間がかかってしまいました。

お恥ずかしいことです。

 

この頃、率直であることと、この2年半の間、ここでやっていた、気づかいながら言葉を書くこと、をどうしようか迷っていました。

 

とてもとても前、私はよく、わかりもしないのに、こうすればいい、ああすればいい、と色々と思うことを書いていました。

率直さが自分の美点だとさえ思っていました。

言われた方はきっとものすごく混乱したでしょうし、不安にさせたと思いますし、ひょっとしたら大きなプレッシャーになっていたのかもしれません。

その頃のことを、私は、いまでもとても後悔しています。

 

なので、ここを始めるにあたって、そういうことは一切書かずにいよう、好きにやればいいとお伝えしていこうと思って、いまに至ります。

 

覚えている限り、私はJ-HOPEさんにそういうことを書いたことがないと思います。

一度だけ、JINさんに、前髪を短くした方が、と、もっと体格を良くしたほうが格好いい、と書いたことはあります。

 

あれこれ言われるのが好きだとのことだったので、無下にファンとして参加しないのもどうかと思いました。

けれど、どちらもJINさんはお嫌いだったようで(笑)、以来、そういうことはARMYさんにお任せしようと静かにしています。

 

いま書いてきて整理がつきました。

やはり今後も、私は気づかう書き方を選びます。

 

それにこの2年半の間、ソフトな言葉であっても伝え方があり、伝えることができるのだ、と学びました。

文章はなかなかうまくなっていませんが、いまはそんなふうに思っています。

 

私のことばかりを書いてしまいました。

 

心身ともにお変わりはありませんか?

先日、SUGAさんのソロ公演最終日にいらしていたのを、ニュースの画像と動画で拝見しました。

お元気そうで、さらに逞しくなられており、なおかつ美しいお姿に安心しましたし、ARMYさんに会えて嬉しくてたまらないご様子に、私も胸が熱くなり、同時に温かい気持ちになりました。

ファンで良かったと思いました。

 

私は私の場所で、この名前で、変わらずひっそりと静かに、みなさんとARMYさん達を応援していくことにしました。

心が折れたり、考えが変わらない限り、行けるところまで行ってみるつもりです。

容易くはないでしょうが、自分のしてきたことなので、それを背負ってやってみようと思います。

 

暦では盛夏は過ぎていますが、まだまだ大変な日々だと存じます。

どうか、決してご無理をせず、心身ともの健康を第一にお過ごしください。

 

無事のお帰りを待っています。

 

 エナメル

 

 

 

 

 

2023/07/26

音楽の力という言葉を使っていることについて

 


 

 

先日、署名記事のニュースを拝読して知ったんですが。

音楽の力、という言葉を、坂本龍一氏は嫌っていたそうですね。

 

私は、右のメニューバー上部と中程に表示している、Abyssという投稿の中で、音楽の力、という言葉を使っています。

 

メニュートップのリンク集に記載しているのは、私のAbyssにまつわるJINさん観が出ているものを、興味を持っていただいた方に、まず読んでいただいた方がいいだろう、という考えでした。

 

ここでよく読まれている投稿の中にも、Abyssの投稿が入っていたのは気づいていましたが、その中に使っている言葉が、坂本龍一氏が嫌っていた言葉だったとは知りませんでした。

 

私は坂本龍一氏をリスペクトし、氏の音楽を支持するものです。

 

ですが、坂本龍一氏の活動や考え方を全部支持はしていません。

私とは考え方が違うな、という部分もあるからです。

 

私はこの音楽の力という言葉を坂本龍一氏が嫌っていたことを、冒頭で触れた署名記事を拝読するまで、知らずにいました。

 

この言葉が、よくない言葉なのかどうか、坂本龍一氏の音楽を支持するものとして、使うべきではないのか、音楽を愛好する素人として、使うのを控えるべきなのか。

 

考えてみたんですけど、

正直、明確な答えは出ませんでした。

 

冒頭で触れたニュース記事を拝読した後、検索してヒットした2011年の氏のインタビューを読み、

私の要約ですが、坂本龍一氏が

「音楽の力という言葉を使うのは、ミュージシャンとしておこがましいと思う」

という考え、価値観を持っていたという理解を、現状では、私はしています。

 

Abyssの投稿ではこういうふうに記述しています。

前述がないと何のことかわからないので、必要だと判断した部分を含めて載せます。

 

Abyss 本文より 抜粋

 

音楽には治癒という役割があります。

双方向の治癒です。

作り手は、言語化し、表音化したものを、繰り返し唄うことで、

その人自身の内部を整え、客観視することができ、

メロディの繰り返しが洗練を帯びさせていったその作品は、

やがて普遍性と同時に救済性を持ちます。

 

聴く側は、

言語以外の領域が、自身の最深部に作用する音楽体験を通して、

心の反応が唄の調べと繰り返し同調することで、

知らぬ間に自分が持っていた、

手の届きにくい部分にある、「傷」と呼ばれるものが、癒えていきます。

 

これは音楽の力と呼ばれるものの、ひとつの在り方だと私は考えています。

 

抜粋ここまで。

 

 

 

こう書いているんですが。

 

特に当時と今とでは、音楽の力と呼ばれるものの、在り方について、私の考えは変わりません。

 

坂本龍一氏は、おこがましいという思いから、この言葉を嫌っていた、ということを知っても、私は、音楽の力というものは、「作用する」という点で、存在していると考えています。

 

なので、特にAbyssという投稿のなかで使っている、音楽の力、という言葉を削除、改訂しなくてもいい、という判断をしました。

 

音楽というものへの価値観や、音楽とは何か、という考え、そこから出てくる思想にわたるまで、この言葉を使うことで、とても是非の分かれる投稿だとは、いまは思います。

 

その上で、私は、ブログ上での掲載を続行します。

 

もし何かご意見がある方、もう少しこの話を詰めて私の感じていることを知りたいという方、おられましたら、

 

お手数ですが、

 

butterflyjustdance@gmail.com


こちらまでご連絡ください。

 

以上、音楽の力という言葉を使っていることについて、でした。