休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2024/01/27

雲の動き

 


こちらは雲の写真。
 
上にスッと入ってる一筋は、撮る時眩しくて確認できなかったんですが、多分スマホのレンズが太陽光に反射して、こんな風になっているんだと思います。
飛行機雲かもしれない。
 
読書状況ですが、相変わらず小林秀雄の考えるヒント第1巻を読んでいます。
 
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考えるヒント 123 小林秀雄 文春文庫
 
1巻
 
速読派か遅読派かと言われたら、どっちもです。
ただ、秀雄と遊ぶと決めた時に(呼び捨て)、ゆっくりと小林秀雄と意見交換しながら読もう、と決めたので、ゆっくりゆっくり読んでいます。
 
面白いです。
声出して笑ってる時も多々あります。
 
小林秀雄で? と、いぶかられる方もおられるかもしれませんが。
1巻の最初の文「常識」を読んだ瞬間、
なんという毒舌!
なんという罵り!
なんという斬って捨てっぷり!
と爆笑してしまい、なるほど、こういう人だったのかぁ、と楽しく拝読しています。
 
本読んで意見交換って? というのはですね。
2024年の私は小林秀雄を読みながら、
 
秀雄はこう思うのかもしれないけど、私はこう思うよ。
いや、それはすごいことだね。永年思っていたことがあっさり言語になっちゃったよ。
平家物語はやっぱり平曲じゃないとダメ?
そーかなー?
一体、何億冊、本読んだの?
プラトンとっくに読破してるんだね、ダンテの神曲どう?
私は挫折したよ。
とか、そういうことをひっそり考えながら読んでいます。

あの小林秀雄に? と眉をひそめられる方もおられるでしょうが、私はこうやって意見交換をしているつもりになって、私はこう思う。私ならこうする。という心持ちを常に動かして読んでいます。
 
こういう物語ではないものを読む時は、動的な読書スタイルなんでしょうね。
物語はひっそりと静的に読書しています。

私は、議論というのは、いくつもの意見の欠陥や欠損を補い合い、より洗練された思考を導き出す、ブラッシュアップを言語でやるもの。
という理解をしています。
 
だから、反対意見を恐れているのでも、間違いを指摘されるのを恐れているのでも、なんでもなくてですね。
 
相手の意見を遮って、自分の言っていることこそ正しいんだ、こっちを聞け、黙れ!とやっつけ合うのは、ただの言い合いとしか思っていません。
 
複数意見をブラッシュアップしていく行為が前提なのに、相手から提供される情報を遮り、その情報の弱点を突くこと「だけ」が命題としてある、ただのやり込め合いが、議論、討論だと考えているのなら、
 
それが正しいか、間違っているかは、知りませんけれど。
 
勝利感を得るのが目的とされる場は、
私が思っている議論・ディベートとは、やっていることがまるで違うと考えています。
 
エンタメとしてそういう議論の形を見せて、そこから視聴者が目撃した議題への動的アプローチをどう消化していくか、
 
その経過で自分の意見の変容の過程から、どう脳が反応していくかを楽しむ、一種の頭の体操を提供しているのだ、と理解をしています。 

いかに正しいことを発言するか、
いかに隙のないことを発言するかレースは、
 
私が思う、
考えのブラッシュアップという作業に、全然向かっていっていないし、
勝利と敗北を見せたいのであれば、
そうしたいことは、私は好き好きだと思っていますが、
その種類の意見交換という作業の結果に、イコールが存在していないので、
 
この意見をどう思いますか? 
これはどのようにお考えですか?
 
という、相手からの反応をまずお伺いし、
自分の意見と照らし合わせて、
さらに自分の意見が発展したものを受け取り、
元々の命題の「その場所での解」が、
どれほどの耐久性を持つものを生み出せたのか、
意見交換が終わっても、その命題への考察は続く。
 
という、私が理解しているディベートのスタイルではないので、
 
そういう所に行っていませんし、インターネット上で、自分の考えを展開できる場所として見つけているのは、
たくさんのコメントやネットの意見、感想をただ読みに行って、自分との違いを見ています。

私はそう考えています。


 
 
こちらは、冒頭の写真の数分後だったはず。

面白いですよね。動き続けているものを見ているのは。

 
以上、雲の動き、でした。