休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

お洒落というウイルスの正体、考える力と感じる力が必要なワケ

 


 

お洒落は、いろいろなものをアッサリ超えます。
超えた上に、超えたものを無効化します。
 
それだけ強い、嗜好と思考だっていうことですね。
 
お洒落、ファッションの本質は、そこにあるんじゃないでしょうか。
 
 
またお洒落というのは価値観をハッキングも出来ますので、ウイルスとして伝播性を強く持つのが特徴です。
それが流行ですね。
 
このお洒落というウイルスの特性として、オモシロいのは、暗さを帯びたもの、怖れる気持ち、悲しさ、という、普段、人が持っていて特になんとも思わないものが、あって当然の精神性が、時々、重荷になってしまうほど精神的抵抗力が弱まった時、このウイルスが発動し、抵抗できなくなる弱体化した精神を防御し、普段から持っているウイルスへの抵抗力がつくまで、その人の心を守ります。
 
だから、ある種類の人達は、自分がしょんぼりしてしまったときに、普段よりお洒落をして、中和しているんですね。
 
元気な人があまり過ぎたお洒落をしなくなり、普段の装いで平気になるまで精神的な抵抗力が回復すると、このウイルスは自然と、人間の標準抵抗力に戻っていきます。
 
よく言われていますよね。
お洒落をしたら気分が上がった。元気になった。弾みがついた。
というのは、それです。
 
だからお洒落は虚栄でもなんでもないんです。
 
そして全員に標準装備として備わっているものですので、みな、お洒落なんです。もとから。
 
 
また、お洒落が強いワクチンとしての特性を発揮し、発動する時は、流行という形で、強い伝播力を発揮します。
 
それがどういう時かというと、いまの私にわかっているのは、「過ぎている時」です。

 
暗闇はあっても全然かまわないものですが、暗すぎる、明るすぎる、穏やかすぎる、攻撃的すぎる、理屈過ぎる、美味しすぎる、つまらなすぎる、楽しすぎる、はしゃぎすぎる。
他にもあるけれど、そういった「過ぎる」ものを、無効化するために発動するんです。
 
だから、ファッションにしろ、コスメにしろ、商品にしろ、音楽、小説、コミック、何でも、「流行が現れたとき」は、人間の防御本能がなんとなく感じている感覚が「過ぎているから危険である。これを無効化して通常の状態に戻したい」という「バランサー」
 
(バランスを取ることで、世の中をちょうどいい状態にすること。またそれができる人とできるハズと思って、人が心理的に抵抗できない立ち位置や声の大きさ、イメージを大いに利用する危険な人のこと。)
 
が自然と発動し、インフルエンス性を強く、その時に偶然、持つ人々の「層」から流行が発生し、人がそれに感染した時に、それぞれそのウイルスの是非、好悪を検討し、それぞれのその解釈に納得させる説得力を持っているから、爆発的な流行は起こり、その時の「過ぎた」ものを無効化し、自然消滅するんですよね。
 
だから、そうしたい。それを身につけたい。それを持ちたい。という自分の中の「考え」に従わないと、よくないものに支配されやすい恐れがあるので、多くの人達は、支配、誘導、個人の都合だけの提案、なんかを嫌うし、なんだかんだ、精神的な自立って大事ですね、ということがずっと言われ続けてるんですよね。
 
私が、自分に従え、という言葉をあてにし、ずっと考え続けているのも、そんなところもあるからでしょうね。この言葉には。
 
精神的な隷属、コントロール、支配、に対して、ものすっごい怒ってくださる人達が居るのは、それがどんなに危険なモノが、過去に結果と結論が出ているからでしょうね。
ありがたいことです。
 
それって欲望のこと? と言われたら、私は似ているようでまったく違うものだと思っています。
 
欲望は、欲望でしかない。
これはこれで、人の獣性から出てくる哲学ですから、それが不要とは言わない。
でもこれは、哲学にまで消化するほど、失敗という経験を積んだ人にしかできないことなので、そしてその経験は身体性を持たないと出来ないので、年配の方々の言葉は、参考になる、ということです。
 
ですが、「考え」は、衝動や根底にある好悪でしかない、ただの嗜好と感情、本能もかな? (欲望)から離脱していますので、やはり、検討と思考を司る、自分の意志を自分で選択し、実行するっていうことは非常に重要ですし、防御力が高い。
 
「考え」と「感性」は実は、相互関係に有り、どちらがどちらにとってもの燃料になっています。
なので、情操教育は大事ですし、考える力、感じる力っちゅうのは、けっして手放したりしたらアカン、ってことなんですよ。
でも、自分を守れる機能面で優先順位をつけると、

考える力>感じる力、です。
 
ど、どうしたの? と思われるかもしれませんが(笑)
昨日の夜、死んだカナリアのツイッターを見に行って、いまの私にどれだけ理解できるかを試していたんですね。
そうしたら、相変わらず難しいことだったり、普段なじみのない世界の難しい話題が多くて、難しいな、と思っていたんです。
 
そうしたら、なぜカナリアは強い発信力、出版する生業も持っていたのに、ツイッターでずっと考えを、わかりやすく語っていたんだろう、と思ったんです。(あれでもわかりやすくされていたそうです(笑))
 
私にわかる範囲では、
どうやらインターネットでも、そしてそれが現実でもヤバいウイルスを、意識的に作成し、
「個人の現実的な判断力。抵抗する力、怒るという防衛力とか、向こうにとって都合の悪いらしい、そういうの」を、
「いいこと」や「わかっていること」をエサに、
「自から抵抗しなくなるセンスを自ら選ぶ」ウイルスを、
インターネット上にばらまき続けている「ことば」を、片っ端から無効化していたんですよ。
 
とんだ「トロイの木馬」がいたもんですね。
ちょっとびっくり。
 
無効化していたカナリアが居なくなっちゃって、どうしたらいいかといったら、たくさんの人達がもうすでにそんなものは無効化しているので、特に心配はないんです。
 
じゃあカナリアは徒労だったのかといったら、そうじゃなくて、切り出していたわけです。その「ことば」の目的の姿を。
 
無効化しているかどうかの判断は、その考えに乗らないでいる自分を選んでいるかどうか、ですので、すでに結果は出ています。
勿論、なにもかもその「ことば」に反対すればいいのではなく、ときどきは良いものを混ぜ込んできますから、やはりまずは「検討」と「思考」です。
 
それでも、アレ? そういえばと思われる方、もしおられましたら、まずは退避。距離を取るだけで十分です。
そして、自分の判断力とセンスが回復したら(考える力。感じる力。)、それで無効化に出来ていますし、その無効化が徐々に伝播していっているらしいので、ご安心ください。

 

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本稿は、 2024/02/07 11:41に当ブログで公開した「スノードロップ開花のご報告とお洒落というウィルスの正体、考える力が必要なワケ、私がいる現実での人の信じ方。 」より抜粋したものです。

また、これは私だけのやり方かもしれませんが、支持し尊敬している、強く影響を受けている相手と意見が違った場合、

(この場合は、本稿のお洒落についてを指しています。)

自分は意見が違う旨、どうして意見が違うのか、自分の考えはどんなものかを考え続けます。

そしてある程度、心の中でその考えが熟成すると言語になります。

それを表明し、自分の意見を建てます。

 

常日頃、意見が違うぐらいのことで、相手を憎み続けたり、しこりを残したりするほど、自分と他者の区別がつかない人間では無いと、自分のことを認識しています。

 

買いかぶられるのは、大層迷惑ですが、

人間への見くびりを持つのはその人の勝手として、

相互間でなにをやっているのか認識がきちんとできている状態を、周囲が騒ぎ立てたり勝手に自分と同一化をはかり、空想を事実のように認識されるのは、もっと迷惑です。

 

発言をするとき、私はインターネットという教室で発言をするという自覚を持っています。

教室での自由が担保された発言は、たとえそれが間違っているモノであっても、

そもそも教室は間違える場所なので、意見は堂々と発言しなさいと、制服を着ている頃に教わりました。

ものを覚える途中では有りますが、私が現実で知り得た、人生だろうがインターネットだろうが、それが教室という名を持つ場でのマナーです。

 

ご心配頂いている方々はこの限りでは決してありませんが、自他共に認める、ネット最高峰のバカという自嘲混じりの自称は、なに偽りはありません。

ただ、バカはバカでも、自分に従い続け、軽薄を是とするバカであることを、もうそろそろ認識していただき、過去と現在において、沈黙、可視問わず、私と意見交換をしてきた読者を見下す真似は、お止めになっていただきたい。

そのように思う次第です。


エナメル

メニュー追加にあたり、20240210 追記 

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20240211 11:02 誤字を直しました。