休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)
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2023/11/25

Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 最終夜 Shall we dance ? ***


 
Let's listen to Taeko Onuki, shall we?
<大貫妙子を聴こうじゃあないか>
*** 最終夜 Shall we dance ?  ***
 
 
 
 

 
Shall we dance ? / 大貫妙子 (Taeko Onuki)
 
作詞 : Oscar Hammerstein II
作曲 : Richard Rodgers
編曲 : 周防義和 (Yoshikazu Suou)
 
クレジット Wikipedia Shall we ダンス?より
 
 
・・・なぜ、驚かれるんでしょうか?(笑)
 
いえ私も、わかりきったことをやる、というカタルシスが決して嫌いではないので、みなさんの予想通りの最終夜にいたしました(笑)
 
 
映画「Shall we ダンス?」は、決して派手ではない、ささやかで温かく、日本社会で生きている市井の人々に優しい視線を投げかけ、その素晴らしい人生を描き切った名作としていまでも強く愛好され評価され続けています。
 
英語圏やその他の言語圏のみなさんには、リチャード・ギアの映画として「Shall we dance?」のほうが馴染み深いのではないでしょうか。
ハリウッドでリメイクされた経緯は、検索して調べていただくとして。
 
最初にお断りしておきますが。
私は、映画「プリティ・ウーマン」がど真ん中ですので、リチャード・ギアは素晴らしいアクターであるという認識をしています。
 
さて最終夜なので、映画「Shall we ダンス?」の話をします。
 
ネタバレを回避して書くやり方も、とても親切な方に遠隔で教えていただいたことがあるんですが、考えた末、映画の結末や内容について触れる書き方をします。
 
理由は、内容を事前に知った上で視聴しても、この映画「Shall we ダンス?」の素晴らしさは、決して、決して、奪われることはないと、私もまた、知ってるからです。
 
主演の1人である役所広司(Kouji Yakusyo)ともう1人の主人公であると言ってもいい、永遠のヒロイン草刈民代(Tamiyo Kusakari)の、とてもささやかな関係が軸となって、この映画は描かれています。
その周囲にいる人々は、みなさんや私のような市井の人々です。

彼らは、強がったり、一生懸命だったり、賢かったり、うまく話せなかったり、仕事を頑張っていたり、そういうよくある日常の中で、社交ダンスという趣味を持って生きています。
 
ここで日本社会における社交ダンスについて少し説明をします。
 
日本では社交ダンスと呼ばれている、ドレスを着て、タキシードのパートナーにリードされて踊る、あの正式なダンスは、まったく馴染みがありません。
けれど、社交ダンスの競技会というものは、日曜日の夕方にテレビで生中継されるほど、変わらず、静かに支持があります。
 
ダンスが上手だと1部で大変有名な(笑)私も、その中継の視聴者の1人でした。
 
そんな社交ダンスは、日本社会ではマイナーな趣味です。
実は、私もやってみたいわ、と若者だった頃に教室を探したんですけれど、どちらのダンススタジオもパートナー役不足で、自分のプライベートパートナー同伴ならさらに大歓迎!と銘打ってあったりして、いろいろと大変そうでした。
 
また、日本では、あまりハグをしたり、手を取ったりする文化は馴染みがありません。
2023年現在の日本では、ハグはパートナー同士であるか、盟友同士で、互いにそういう文化背景があるのならば、する。程度で、手を取ったりも、パートナー相手以外ではあまりしませんし、手を握るという行為そのものは、同性同士であっても、幼少期のもの。
自分の性以外とするのは、日常的ではありません。
 
そういう背景ですから、社交ダンスともなると、異性同士が体を密着させて踊るもの、という、社交ダンスが何だかもわかっていない人達からの認識があるところにはあって、社交ダンスが大好きで、ただその情熱に向かって日々レッスンを送ってる人々からすれば、そんな認識をされることこそ、最大の侮辱、なわけです。
 
映画の冒頭シーンで、役所広司演ずる主人公が、社交ダンススタジオの窓辺に佇み、遠くを見つめる
草刈民代演ずるヒロインを見て、強く心奪われるところから、この優しい物語は幕をあけます。
 
そして何度か逡巡したのち、きっと本当は憧れと同じだったはずのものを胸に、ダンススタジオの扉を開け、役所広司演ずる、真面目で穏やかで常識的で、情熱など昔のものであるとしている主人公は、そこで先生をしているヒロイン目当てに社交ダンスレッスン(有料)を受け始めます。
 
今回、書くにあたって、映画を観直したんですけれど(アマゾン・プライムで有料レンタル中)、こんなに長かったっけ? と思いました。
確認してないので、私の予想なんですけれど。
おそらく、公開当時やヒットした後、街のレンタルビデオ時代は、通常版が流通していたのではないでしょうか。
現在、アマプラで公開されているのは、ディレクターズカット版のような気がするんですけれど。
 
私は、この映画をテレビも含めて結構繰り返し観たので、
今回アマプラで観た時に、知らないエピソードやシーンがけっこう出てきたんですよね。
 
さて、私は、役所広司演ずる主人公が草刈民代演ずるヒロインに対して、本当は憧れと同じはずだったもの、を胸に、と書きましたが、主人公の自覚は実際はどうだったのでしょうか。
 
役所広司演ずる主人公には、妻子があります。
これを読んで、眉をひそめるのは自由ですが。
 
これは一体なんなのか。
これはどこかで見たような裏切りなのか。
浮気なのか。
男ってしょうがないんです、という聞き慣れた、ぬけぬけとした自己肯定なのか。
 
それは映画を最後まで観て、ご自身で決めていただければと思います。
 
単にヒロイン目当てでやり始めた、社交ダンスの適性が壊滅的に無い主人公が、少しだけダンスが上手に踊れるようになった頃、教室のあと、
主人公は先生であるヒロインを待ち伏せして、食事に誘います。
 
そうなんですよ。
主人公はバカなんです。食事に誘っちゃったんです。
それは社交ダンスに真剣な人からすれば、普段寄せられているのだろう、汗ばんだ気持ちの悪い下心に、たいそう辟易していたことが描きだされるシーンでもあります。
 
草刈民代演ずるヒロインは、「そういうことは非常に迷惑である」という気持ちを主人公にストレートに伝えます。
 
そうじゃあ、ないんだ。
と思うことってありませんか?
 
そうじゃあ、ないんだ。
そういうことじゃないんだ。
そういうこととは違うんだ。
 
けれど、それは多くの場合、誰もがうまく言葉にできない。
 
うまく言葉にできないのに、そういうことは、けっこうこの世界にたくさん、見慣れているほどに、たくさんある。
 
役所広司演ずる主人公もまた、そういう顔をして、その時の草刈民代演ずる、毅然とした態度を取ったヒロインを見つめます。
そしてヒロインもまた、自分の悔しい気持ちをうまく話せていない状況が映し出されます。
 
結局、そこで来なくなってしまったら、ヒロインの言う通り下心だけ、であったことを認めることになってしまいますから、そうじゃあないんだ、ということを表現できる精一杯の方法として、主人公はそのダンススタジオに通い続けることを決意し、より社交ダンスを真剣に習い始めます。
 
そこで触れ合う、社交ダンスを愛する、あなたに似ている、私にもそっくりな、そして誰かにもとてもよく似ている、そんなレッスンメンバーたちと触れ合い、素晴らしい先生である「たま子先生」のご指導のもと、主人公は社交ダンスの世界に、本当に夢中になっていきます。
 
若者だった頃、私はこう言われたことがあります。
「秀れた人は、1番になれなかったからその道を断念するほどの気概を持っている。自分も、1番になれなかったから道を諦めた」
私はそれを聞いた時、
「どうして1番になれなかったくらいのことでやめるの? 2番や3番や54番でも126番であっても、これだ!と思う道なら、一生懸命やり続ければいいじゃない。」
と言いました。
すると、お前にはわからんよ、と薄笑いを浮かべられてその話は打ち切られました。
 
これは、ある種類のダンディズムであり、それこそが、ある人たちにとっての道でもあるのだ、ということはわかりますが、私はいまでもその気持ちを持ち続けています。
 
まさか、2023年の現在、「どうしてうまくないのに続けるの?」「どうして他の有効なことに時間を使わないの?」「才能がないのに続けていることは目障りだ」
と言われるとは思っていませんでしたが、
この映画には、そんな大きなお世話極まりない問いに対しての、すべてのアンサーが描かれているように、私は思っています。
 
映画のクライマックスを前にして、役所広司演ずる主人公は、やっとあの時の自分の気持ちを、草刈民代演ずるヒロインに訥々と語る機会を得ます。
 
ヒロインもまた、次第に社交ダンスに本気で取り組み始める主人公を見直し始め、自分もまた、全く熱のこもっていないレッスンをしていたダンサーとしての自分、をやり直す時期に来ていましたので、ここは2人の気持ちが、一種の同志のような心で通じ合う、そんな味わいのある素敵なシーンとして描かれています。
 
その後、共通の目的のために、ダンスレッスン生達がひとつになって、やがてラストの名台詞に繋がっていくんですが。それは観てのお楽しみ、ということで、ぜひこの素晴らしい映画をご覧になっていただければと思います。
 
人生は喜劇である。とか、人とは滑稽なものである。とか、とうの昔に人生というものを熟考した結論の言葉があります。
 
私は未熟者で経験が人より少ないものですが。
人生や、人の世、そこでの人の姿を見つめていると、人というものは、そしてそこで織りなす生というものは、ちょっとだけ可笑しい、という性質を持っているのではないか、とよく思います。
 
世界共通の感覚として、どの人も嘲笑されるのは大嫌いです。
私が出会った人達も、人を笑うくせに、人から笑われるのが大嫌いな人が多かった。
私は、冗談が下手なくせに、人を笑わすのが好きでしたし、今でも好きです。
でもよく嘲笑されています。
私としては、クスッと笑ってもらいたんですが、なかなか難しいことです。
 
この国では、天才漫才師の出現によって、笑わせる、というものの価値が見直され、人を笑わせることができるのはすごいことだ。というふうに世界が変わりました。
 
それでも、ある種類の人々は、人は滑稽である、自分もそうだと言いながらも、どこかで自分だけは滑稽ではないと信じている。
だから正しいことにしがみつき、自分が正しいと信じて疑わないことを、わざわざ人の先回りまでして、相手に無理強いし突きつけるただの憂さ晴らしを、とても良いことにしたがる。
自分達の正しさを微塵も疑わない。
 
私が人を笑わせるのが好きなのは、人生というものをやっていく上で、笑ってた方がまだマシだからです。

そちらのほうにも才能がないので、爆笑させることはできませんが、時々は、クスッと笑ってもらえることができる。
そうすると、その人もちょっとだけマシな気分になるし、私も一緒になって笑うので、私もマシな気分になる。
 
それはダンスを踊る、という比喩にとても似ていますね。
 
この映画で描かれているように、人というものは、いつもダンスホールにいるのだと思います。
パートナーに恵まれれば、その人と。
相手がいないときは、きっと自分自身と。
 
でも多分、本当の意味で、人は、自分の人生と踊っている。
 
 
草刈民代演ずるヒロインは、とても魅力的な笑顔で、最後にこう言います。
 
「Shall we ダンス?」
 
その瞬間、大貫妙子の声で、このあまりにも有名な楽曲が流れ始めます。

 
描かれないことで、描かれているものが一体、なんなのか。
 
それをここで言葉にするのは、あまりにも余計なことですので、ぜひ、映画「Shall we ダンス?」を観て、みなさんご自身の人生を謳歌していただければ、と僭越ながら申しあげて、このイベントの最後といたします。
 
映画「Shall we ダンス?」
アマゾンプライムで有料レンタル配信中です。(回し者ではありません。)
 
 
2週間もの長い間、お付き合いくださり、本当にありがとうございました。
とても楽しかったです。

これから私の好きな「冬」が本番です。
温かくして、良いウィンターシーズンをお過ごしください。
 
当ブログ名物のわけのわからない、なにがなんだか相変わらずわからないイベントは、そのうちまた、突然こうして始まりますので、気がつかれた時は、楽しくおつきあいいただければと思います。
 
それでは、また、お会いしましょう。

お昼1時更新、週末に主に集中している通常投稿では、綺麗なお兄さん達について、その方達と深く愛し合っている素敵な方達、その他、最近では小林秀雄や池波正太郎について書いています。

そちらも、ぜひとも、よろしくお願いいたします!←笑顔で若干、圧強め。
 
 
20231126 15:00 お名前の英語表記の誤字を
なおしました。大変失礼いたしました。  
20231126 15:00 変な書き方をしていた箇所をなおしました。
20231126 15:17 文章をいくつかなおしました。
20231126 15:39 誤字をなおしました。

 
 
 
 

2023/11/24

Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第12夜 突然の贈りもの ***


 
Let's listen to Taeko Onuki, shall we?
<大貫妙子を聴こうじゃあないか>
*** 第12夜 突然の贈りもの  ***
 
 
 
 
 

 

 

 

作詞:作曲 / 大貫妙子 (Taeko Onuki)
 
 
・・・考えたんですけれど。
やっぱり、私はこの楽曲について、特に知りたいことはないので、今回は検索していません。
なのでクレジットは私の記憶のみとなります。
 
 
この楽曲で描かれているストーリーは、みなさんご存じの通り、実話です。
大貫妙子自身が、これは実体験である。と公表しています。
そして、その後、また幾度も季節がめぐった後、その相手が誰であったのか、を公表しました。
 
この物語が伏線となり、Tema Purissimaでは、どうして何も言わずに去ったのか、その理由が明かされた、という主人公が出てきます。
それが実話なのか、フィクションなのか、それはわかりません。
 
私は、どうしてこの物語を大貫妙子は楽曲にしたのだろう、という疑問。
そして、どうしてTema Purissimaで再び、この物語を描いたのだろう、という疑問を持っています。
 
調べれば、おそらくインタビューが出てきますし、なんらか答えのようなものが出てくるとも予想しています。
 
ただ、私は個人的に、その物語はこの「突然の贈りもの」と「Tema Purissima」で十分、大貫妙子が必要である、と判断しただけが描かれているので、それ以上は不要である。という考えを持っています。
 
私はこの楽曲がとても好きで、おそらく大貫妙子愛聴者にとっても、この「突然の贈りもの」はとても大切に思われている楽曲です。
だからこそ、大貫妙子は、ライブで、この楽曲を歌うのだし、聴衆である私達は、最後の1音まで身じろぎせずに聴き入って、拍手をするわけです。
 
私は「突然の贈りもの」を初めて聴いた時から、変わらずに心の中に思い描く、自分の立ち位置があります。
 
それは、皆が大切に想っている、そんな素敵な年上の人がふと、ご自身の想い出をただそのまま話し始め、その話が終わった後、きっと誰も何も言わず、優しくて懐かしい表情の彼女を見て、ちょっとだけ安心しながら、少しずつ、その気持ちが全員に広まったところで、1人、2人と席を立ち、誰かが彼女を送り、また誰かがタクシーに乗り込み、そうやってその日のその夜が終わり、最後の1人になってその場所の明かりを消して、ドアから出て鍵をかける。
その最後の1人に、私はなりたいな、といつも思いますし、初めて聴いた当時から、変わらず私の中にあるイメージです。
 
ね? 結構、いいでしょう?
 
この楽曲について、私が書きたいことはこれが全部です。
 
あとはみなさんご自身が、この楽曲に対して思う通りになさったらいいのではないでしょうか。
私は、そう思います。
 
 
さて、当ブログ初となる2週間に渡ったイベントも、明日で最後となります。
お付き合いくださり、ありがとうございました。
 
これが最後の曲じゃないということは?
と思っておられる方、明日は私はなんの楽曲を持ってくるのでしょう。
ぜひ、明日も読んでいただければと思います。
 
以上、Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第12夜 突然の贈りもの  *** でした。
 
 
それでは、また明日、日本時間では22時に、主にアメリカではだいたい朝の8時に、お会いしましょう!
 
 
 
 
 
 

2023/11/23

Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第11夜 横顔 ***

 
 
Let's listen to Taeko Onuki, shall we?
<大貫妙子を聴こうじゃあないか>
*** 第11夜 横顔  ***
 

 
 
 

 

 

 

 
 横顔 / 大貫妙子 (Taeko Onuki)

作詞:作曲 / 大貫妙子 (Taeko Onuki)
編曲 / 瀬尾一三 (Ichizo Seo)

クレジット Wikipedia MIGNONNE より
 
 
なんで大貫妙子イベントなのに、初期の楽曲をお前は取りあげないんだ!とお怒りの方々もおられると思いますが、それは全部終わってから、私が取り上げた楽曲の年譜をよーくよーくよーくよーくご覧になっていただいてですね。
大貫妙子に夢中になった小さな私にまで届くほどの、当時の日本国内で、いかに大貫妙子がオールラウンダーでありつつも、メジャー市場で自身の活動をどのように描いていったか、どう格闘していったか、の材料にしていただければと思います。
 
何でもできる人というのは、何でもできるのですが、それをどのようにやっていくか、というひとつひとつの選択と決定に、その人の音楽活動に対する姿勢が分かりますよね。
 
そこの所をよく踏まえた上で、今回のイベントを情報のひとつとしていただきたい!(いや口調・・・。)
ただのセンチメンタルでやってるんじゃあないんです!(センチメンタルと何かあったの?)
 
私は「横顔」というひとつの楽曲が、大貫妙子の楽曲の中で1番好きです。
 
同じ方はたくさんおられますよね!嬉しいです!
シティポップ最高!
 
こちらの「横顔」は、いかようにも解釈ができる楽曲です。
素晴らしいですね!
解釈の幅がある程度あり、どうしても言葉を尽くして説明したくなる気持ちをグッと堪えて、どこで止めて作品とするのか。
どこまでで自身が構築した世界を委ねるのか。
そこが手腕の見せどころだと、私は思います。
 
色々な評論や解釈、レビューを読んで、同じだな、と思ったり、こういう風に聴くこともできるのか、と驚かれたり、私個人としては、自由に好きに聴いて、ご自分だけの「横顔」という楽曲を胸の中に取り込んでくださればいいな、と思っています。
なぜなら、私もそうしているからです。
 
それは大貫妙子がオールラウン(以下強制略)←わかったわかった。
 
どうして大貫妙子の初期の楽曲から世界中で、大貫妙子について、その頃のシティポップと呼ばれる楽曲、考え方、美しい言葉群、描かれた状況が愛好されるのか、というと、それはその当時のクリエイター、ミュージシャン達が、世界中で現在も愛聴されることに耐えられるものを作っていたからです。
 
そして、誰も信じていなかった、世界で日本の音楽を日本語で鳴らす、ということに全力に取り組んでいたからです。
真剣にそれをやっていたからです。
なにもかもに一切、諦めの姿勢で言い訳したり、物分かりのいい顔をせず、自分たちが信じる音楽を作ったんです。
その結果が時を超えて出ているだけです。
 
私は当時を知りません。知っているけれど知りません。
けれど、幼少期、叱られながらも、現在は作詞家としても日本国内でその実力を余すところなく発揮し続けてきた、実は、「はっぴいえんど」でもある松本隆(Takashi Matsumoto)の歌詞をずっとノートに書き写していました。
どんなに邪魔されても私はやめなかった。
 
それはくだらない、とされていたし、馬鹿馬鹿しいとされていたし、歌詞は詩に決して届かないものだし、なにより日本国内の若い文学的要素はいつも馬鹿にされていた。
その前提が世の中にあった。
音楽でもそれはあり、日本語で歌うということは、格好の悪いことで、知的ではない、本物を知らない、ひ弱な青年文士を気取って、大衆性も持っていないブルジョア作法でしかない。
そういう批判がありましたし、嘲笑がありました。
私の周囲の小さな現実には、それがありました。
私は文化の中心地にいませんでしたので、実際はどうであったのかは、興味があるならお調べになってくださいね。
 
どうしてそんなことになっていたのか、よく分かりません。
 
その潮流の中心におられた方々は、別に刺し違える気概で常にガツガツやっていたのでは、おそらくなく。
単に、自分が良いと思うことに誠実であったのだと思いますし、探し続けることをやめなかったのだろうと、思います。
そして自分たちの表現が、仕事としてどのように成り立つのかを考え続けておられたのではないでしょうか。
表現を愛する1部の方達が大嫌いな経済という仕組みに、勇敢に取り組んでいた結果が伝播して、遠くの私の元にやってきていたんです。
本当によかった。そっちの方に進んでくださって!
 
少し大きくなって大貫妙子の歌詞を書き写し始めた時、私はこの人を多分ずっと聴き続けるし、影響を強く受けるだろうな、と、小さな胸に感じました。
だから絶対に、大貫妙子から影響を受けていることを、この先も受け続けることに、簡単であってはならない、と思いました。
 
あっさり、何でもかんでも、大貫妙子が言うとおりにし、大貫妙子が選ぶことを真似し、大貫妙子の劣化完コピーになってはならない、と強く思ったし、それは未来の自分への小さな約束でもありました。
 
いろんな音楽を聴こう。もっと知ろう。そうしながら、せめて私のいた小さな現実で、あの人、音楽に詳しいほうだけど、そういう人が好きだっていう大貫妙子は、好き嫌いはともかく、凄い人なんだよ。
そう言われるようになろう。
そう思いました。
 
私は知っていました。
何を知ろうと、何にハマろうと、大貫妙子は1歩も引かないだろう。
いつかそれが証明される。
 
ご存知の通り、大貫妙子の音楽活動は、ランキングトップを走る活動ではありません。
大貫妙子自身は、メジャーというマスのなかに入ることも厭わないミュージシャンです。
それでも、本当に長い間、成績という面で、大貫妙子は苦渋を舐めてきました。
私たちリスナーは、それでも大貫妙子が表現し続ける世界を支持し続けていました。
 
それが不思議なことに、なんと2023年現在、大貫妙子というワードでイベントをやった途端、私がやっているような小さなブログでも、違う言語圏の人たちが来てくれる。
 
これは証明という結論だと私は思っています。
 
大貫妙子を、みなさんが証明してくださった。
私はそれがとても嬉しいです。
 
大貫妙子が創ってきた楽曲の中で、「横顔」という曲が私は、1番好きです。
みなさんは大貫妙子ではどの曲が好きですか?
 
それはみなさんのどんな気持ちにクリティカルだったんでしょう。
みなさんが手に取った大貫妙子のアルバムは、どんな感じでどんな気分になられましたか?
それはアナログ盤ですか? C Dですか? デジタル音源ですか?
 
カセットテープでしたら、聴く用と保存用に2つ買うことをお勧めします。
テープは聴いているうちに音が伸びてしまい、最初に録音したときとは似ても似つかない音になります。
のびたテープで再生される音を聴きながら、録音した当時の音に修正しながら、耳を傾ける、という記憶力の訓練にはなるけれど、よくわからないことになりますので、これは覚えていってください。
 
みなさんは今、どこにいて、なにをされてますか?
どのように世界を見て、どのような現実を生きて、その暮らしの中で建てた、きっと素敵な部屋の中で、いつ、どんな時に大貫妙子を聴かれていますか?
 
スピーカーの前で膝を抱えたり、リラックスしたソファの上で、椅子のそばにコーヒーテーブルを持ってきて、お気に入りの飲み物を入れて、ガジェットで歌詞を表示しながら聴いていますか?
その言葉は、みなさんが大切にしている母国語で、でしょうか。
それとも、Google Chromeで翻訳された言葉で、でしょうか。
それとも、翻訳できる言葉にご自身の言葉がなくて、ワンクッション置いた英語から聴かれてるんでしょうか。
 
今は夏ですか? 春ですか? 冬ですか? それとも美しい秋ですか?
今日はどんな日でしたか?
昨日は何がありましたか?
明日は仕事ですか?
それともお休みですか?
 
好きな人はいますか?
嫌いになったことはなんですか?
楽しいことはなんですか?
面白かったことはなんですか?
止めていることはなんですか?
始めようと思っていることは?
その窓から見える景色はどんな感じですか?
 
あなたがそっと見つめる「横顔」を持っている人は、どんな人ですか?
 
 
大貫妙子を見つけてくださって、ありがとう。
私たちができなかった、仇をとってくれてありがとう!
 
大貫妙子は最高です。
 
時間や場所や国や言語を越えて、そのことを共有できる現在がとても嬉しいです。
 
なにより、分かち合えるイメージが記憶に残り、繰り返し繰り返し、いつか、どこかで、あなたの中で再生され続ける。
そんな、奇跡ともいえる、いまが全部につながっていくきっかけになる、テクノロジーに感謝しつつ。
 
大きな声でその人が笑ったら、なぜか自分も、そっと楽しくなる毎日を、想い出を、未来の予感を、どうか大切にしていてください。
 
それが何であるのかは、あなたご自身が大事に決めていい。
 
 
良い時間を。
 
 
 
Butterfly Just Dance  エナメル
 
 
 
以上、Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第11夜 横顔  *** でした。
 
 
 
 
それでは、それでは、また明日、日本時間では22時に、主にアメリカではだいたい朝の8時に、お会いしましょう!
 
 
 
20231123 22:17 文章をなおしました。
 
 
 
 

2023/11/22

Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第10夜 お天気いい日 ***

 
 
Let's listen to Taeko Onuki, shall we?
<大貫妙子を聴こうじゃあないか>
*** 第10夜 お天気いい日  ***
 
 
 

 
  

 
   
 
 
 
お天気いい日 / 大貫妙子 (Taeko Onuki)
作詞 / 羽仁未央 (Mio Hani)
作曲 / 大貫妙子 (Taeko Onuki)
編曲 / 鈴木さえ子 (Saeko Suzuki)

 
アルバム「アフリカ動物パズル」収録
クレジット Wikipedia 「アフリカ動物パズル」 より
https://w.wiki/8EUN
 
 
いまクレジットを調べて大貫妙子の作詞でないことに、驚きまくっています。
いまのいままで、この楽曲はいつも通り大貫妙子の手によるものだとばかり思っていました。
 
作詞をされた羽仁未央の中に、どうしてこの世界があったのかは私は存じません。
驚いて羽仁未央の来歴をWikipediaで読みましたが、作品を読んでいないので、お天気いい日の世界が何とも推察できません。
ちなみに同アルバム収録の「裸足のロンサム・カウボーイ」「ソーン・トゥリーのうた」の作詞も羽仁未央の手によるものです。
 
アルバム「アフリカ動物パズル」については、前述したリンクをご覧になっていただければと思います。
 
「アフリカ動物パズル」については、私は、映画のサウンドトラックという説明が書いてあったかどうかもあまり記憶しておりません。

理由は、インストゥルメンタル(歌のない楽曲)が多く収録されており、大貫妙子のサウンドを読み解く上で、このアルバム制作前にアフリカに旅をしていますので、圧倒されるものに触れた後の大貫妙子が、どのようにそれを新しいサウンドで表現していったか、という興味を、私はあまり持てなかったんです。
 
アルバム全体を通して何回か聴いた時に、繰り返しますが、大貫妙子の著書を題材に、映画が創られ、そのサウンドトラックである。という事前情報を入れていなかったので、どうしてソーン・トゥリーのうたが英語詞なのか、お天気いい日は一体、誰の何のイメージなのか、わからなかったんです。音と歌詞でうまくイメージできなかったんです。
 
実は、今回のイベントで取り上げるために、私のフェイバリット大貫妙子特集簡易版を、iTunesのプレイリストに作ったんですけれど、そこにも「アフリカ動物パズル」の楽曲のことは忘れていて、入れてなかったんです。
 
それが、昨日の「ベジタブル」の投稿を書くときに、ひょんなことから、「お天気いい日」の音を聴き、そうだった。そうだった。と慌てて、今朝、「お天気いい日」と「ソーン・トゥリーのうた」の歌をダウンロード購入して、プレイリストに追加したんですね。
 
それが、どうもうまく言葉が出なくて、「地下鉄のザジ」にするべきだっただろうか、と後悔していた矢先に、大貫妙子の歌詞ではなかったことがわかって、すごく納得できています。
 
なぜ大貫妙子は、アフリカ滞在後に、「お天気いい日」のサウンドだけを創ったんでしょう。
おそらく、圧倒的なものに触れた体験が、まだ歌詞になる程消化できていなかったし、体験自体を寝かせる時間が足りなかったのかもしれません。
 
羽仁未央の詩世界が大貫妙子の楽曲に合っていないということを言っているのではなく、wikiによるとエッセイストだった羽仁未央の方が、体験を言語化して洗練させるまで練るスピードが早かったのだろうな、と私は考えています。
 
面白いですよね。クリエイターによって、詩に到達するまでの感覚が違う可能性がわかって。
 
もしかしたら、アフリカ滞在時の体験を記した大貫妙子の著書を映像化した羽仁未央というフィルターを通して、「アフリカ動物パズル」というアルバムが生み出されたので、その世界観を最も確実に「お天気いい日」のメロディに言語化できたのが、羽仁未央だったのかもしれませんね。
 
以前、当ブログで、何曜日が好きか考えたこともなかったけれど、水曜日が好きです。と答えましたが。
いま考えると、当ブログの時差であっても、これだけ出てくる言葉、感じたこと、思ったことで違いがあります。
多分、私の中に「お天気いい日」の女の子が好きな曜日が眠っていたから、パッと浮かんだのが水曜日だったのかもしれません。
 
ブログというのは、2023年のネットでとても遅い、スロウなメディアですけれど。
その遅いメディアであっても、情報公開するスピードが現実世界に比べれば早い方なので、旧ツイッター・Xの情報伝播スピードとアプリケーション上での経済のスピードは、比べ物にならないほど早く、それがなぜか現実に繋がっているのって、なかなか不思議で面白いですよね。
 
 
以上、Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第10夜 お天気いい日  *** でした。
 
 
それでは、それでは、また明日、日本時間では22時に、主にアメリカではだいたい朝の8時に、お会いしましょう!
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2023/11/21

Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第9夜 ベジタブル ***

 
Let's listen to Taeko Onuki, shall we?
<大貫妙子を聴こうじゃあないか>
*** 第9夜 ベジタブル  ***
 
 
 
 
 
 

 

 

 

ベジタブル / 大貫妙子 (Taeko Onuki)
作詞:作曲 / 大貫妙子 (Taeko Onuki)
編曲 / 坂本龍一 (Ryūichi Sakamoto)
アルバム 「copine」収録
 
クレジット Wikipedia ベジタブル より
 
 
 
意外にも、ベジタブルを当ブログで取り上げるのは初めてです。びっくり。
 
こちらは、シングルカットされていた曲で、この楽曲で大貫妙子のことを連想する方は結構おられるのではないでしょうか。
 
C M曲で、日本が誇るコスメブランド資生堂のルージュの宣伝に使用されていました。
私は、当時のこのC Mは観ていないと思うんですが、どうしてか口紅の宣伝に使われていたことは知っていて、大貫妙子が手がけた美しい語句が散りばめられた歌詞に、美しいものへのイメージをよく膨らませています。
2023年現在でも、私のフェイバリットソングのひとつです。
 
大貫妙子とアレンジに参加している坂本龍一が、年月に耐えうる強度を、この楽曲に込めたのだな、と感じていますし、多くの方々にとっても、春を祝福する楽曲としてお馴染みなのではないかと思います。
 
 
「降りしきる花びらで
 街中 夢から醒めたら」
 
ベジタブル / 大貫妙子(Taeko Onuki)より
歌詞提供 Misixmatch 様
 
ベジタブルの詩の中で、「降りしきる花びら」というセンテンスの美しさ、典雅さといったらないんですけれど。
 
こちらのイメージは、いったいどこから大貫妙子の頭の中の世界にやってきたのだろう。とよく考えていました。
 
日本では春になると桜が咲き誇り、白く小さな花びらを散らす景色に、見た人は皆、胸を膨らまします。
 
この景色がイメージ元となって、降る花びらというものは、冬の寒さに眠っていた世界を目醒めさせる、という、楽曲の物語世界の土台になったのだろうか。
 
または、詩人:八木重吉(Jyūkichi Yagi)の詩集「貧しき信徒」にある、「花がふってくると思う」という詩篇からのイメージだったのだろうか。
 
と、八木重吉を読んでいた頃は、偶然なのか、この世界からのウィンクなのか、と胸ときめかせたものです。
 
花がふってくると思う 八木重吉
 
花がふってくると思う
花がふってくるとおもう
この 手のひらにうけとろうとおもう
 
八木重吉 「貧しき信徒」より
八木重吉詩集 鈴木 亨 編
1967年12月10日 株式会社 白凰社
1992年 1月20日 新装版 第16刷P61より抜粋
 
Wikipedia 八木重吉 (Jyūkichi Yagi)
 
 
「花がふってくる」のは、夜だと思うか。昼だと思うか。
そういう話をしていたことがあります。
 
感性が鋭く、服のセンスがとにかく抜群に秀れていたその人は、「夜だと思います」と言いました。
私は、昼だと思う、と言ったんですが。
それを言われた後、夜に花が降ってくる方が美しいし、何より画的にも完成されている。
と、自分のセンスの無さがとても恥ずかしかったことを記憶しています。
 
確かそれ以降は、彼女を真似て、夜だと思う、と言っていたんですが、そもそも、私は、どうして昼だと思ったのだろう、と考えると、ベジタブルを聴いていたからだ、と今日、ベジタブルについて書くために、あれこれ情報を準備している時に、はた、と気がつきました。
 
八木重吉が見ていた花は、白だったのだろうと私は思っていたんですが、それは花であって花びらではありません。
けれど、私はどうしても、「花が降ってくると思う」と空を見つめている時に降ってくるのは、花びらのように思われてしかたありません。
 
この差異は、祝福が降ってくると思う感覚と、報せが降ってくると思うという感覚の差なのではないかな、と思いながら、この絢爛でもあるベジタブルという楽曲をうっとりと聴いています。
 
 
 
以上、Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第9夜 ベジタブル  *** でした。
 
 
 
それでは、また明日、日本時間では22時に、主にアメリカではだいたい朝の8時に、お会いしましょう!
 
 
 20231122 07:24 文章をなおしました。
 
 
 
 

2023/11/20

Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第8夜 Tema Purissima ***


 

Let's listen to Taeko Onuki, shall we?
<大貫妙子を聴こうじゃあないか>
*** 第8夜 Tema Purissima  ***

 

 


 
 

 

 


 
Tema Purissima / 大貫妙子 (Taeko Onuki)
作詞:作曲 / 大貫妙子 (Taeko Onuki)
編曲 / Marty Paich
 
クレジット Wikipedia Purissimaより
https://w.wiki/8D5g

 
 
じゃあ、Purissimaの話に入りましょーか!(口調は盗用です。)←このスタイルも盗用です。
 
私が、Purissimaについてみなさんに言いたいことは、たったひとつです。
 
このアルバムのプロモーションで、当時F Mラジオ曲で大貫妙子のPurissima特集が組まれたんですが、その時のラジオD Jが、
「大貫さんて・・・、女性の心の中に住む妖精なんじゃないでしょうか!」
と感激しながら思わず口に出したひと言に対し、ラジオの前の大貫妙子を愛聴するリスナーが、
「おっしゃる通り!」
と、全員スタンディングオベーションを贈ったはずという話だけです。
 
プロモーションというと、プロモーションですから、それは大貫妙子に対する思わずのひと言ではなく、あくまでも準備された言葉なのでは?
と心配される方もいると思います。
 
いまは、私はラジオをアプリケーションradikoで聴いておらず、個人的な事情で私の部屋の中に相変わらず燦然と輝きを放っているトランジスタ・ラジオのスイッチを入れていないんですけれども。
 
ラジオというのは、色々と世の中の経済の仕組みに順応しながらも、そうであっても、1本、きっちり芯が通っている、非常にインディペンデントな部分が残りまくっているメディアでもあります。
当時、その番組は、プロモーションもあるけれど、これは良いですね!とラジオ側がガッチリ握手をしないと、かからないという顔も持っている「ハズ」だったんです。
真偽の程は別に大して重要ではありません。
 
大切なのは、その番組で、大貫妙子を招いて、Purissimaの特集を組んでも良い、と判断された上での放送だったということなんです。
 
ラジオは往々にして、そういう「これだ!」という楽曲をいち早く放送したり、アルバムを特集したり、ミュージシャンを招いたりして、生放送をしたりなんかしちゃったりなーんかしちゃってりして、あれ聴いた? と街のウワサになる放送をする、飛び道具的なメディアの顔を持っているんです。
 
なので、この時、大貫妙子本人を前にして、Purissimaの楽曲を聴いたD Jが思わず口にした言葉は、全世界の大貫妙子愛聴者達が全員、前々から思っていたことを放送を通じて、言語化できた、大変エポックメイキングな瞬間だったんです。
 
「大貫さんて・・・、女性の心の中に住む妖精なんじゃないでしょうか!」
 
そういうわけで、今日は、大貫妙子は綺麗なのに、なぜ綺麗とあまり言われていなかったのか。
という、みなさんの言うに言えないご心配について、私の個人的な見解を書きます。
 
楽曲「Tema Purissima」については、みなさんが思ってらっしゃるように、アノ曲で「壮大な伏線」が張られていますので、その楽曲の時に書きたいと思います。お楽しみに!←寝て食べたので、無駄に元気。
 
事実として、大貫妙子は綺麗です。
ビューティフルです。グレーテストです。神秘的です。
植物的であり、繊細であり、雰囲気があり、楚々としており、知的であり、健康的であり、たおやかであり、物憂げでもあり、しなやかであり、芯が強く、キッパリとしている時はキッパリとし、穏やかである時は穏やかな、美人なんていうチンケな漢字は当てはまらない、佳人です。
その上、音楽的な才能に満ち溢れ、ミュージシャンズ フォー ミュージシャンとたまにやっかまれながらも、その実力を、現在の日本のシティポップが世界中で聴かれちゃってるよ、大変だ! 現象で、きっちり結果を出して証明してみせたんです。

 

・・・まぁ、私の熱烈愛の表現はここまでとして。


大貫妙子が美しい人である、という事実をですね、当時のメディアは決して書こうとしなかったんです。
 
理由は、当時の日本では、綺麗な人に綺麗だということは、お仕事の世界では侮辱にあたるからだ。
と信じられていたからです。
 
これだから、日本人っていうのはシャイで困りものなんだよ。と思われますか?
 
そうでしょうか。
 
思うんですけれどね。
仕事しに行ってるのに、しつこくしつこく、あなたはグッドルッキングだ、と言われることって、面倒くさくないですか?


この面倒くさいというのを、もう少しくだけた感じで話すとですね。


「いや、私の家にも鏡あるし、一応、年頃を経て生きてきてるわけだし、C Mにも出たことあるし、そんなにまずいルックスではないだろうくらいは自覚はあるよ。褒めてくれてるのもわかってるよ。その点についてはありがとう。あなたも素敵でクールよ。
でもね。
私は私の気分を良くするためにメイクして服着てここに仕事しに来てるんだけども、あなたがそこまでしつこく言う必要、ある? 本当にある? 私が綺麗なことはあなたに何か関係ある? ここにいる人全員が、あなたのその審美眼の感想を聞かなきゃならない理由は何かあるんですか?」


という面倒くささなんです。
 
それをね? くどくどくどくど、仕事場で誰もに説明して回って、「今から大貫妙子がここにやってくるから、みんな、綺麗だと言わないようにしようね! 言った人はハッピー・アイスクリーム!(誤用)」とは言えないですよね。
 
そして、綺麗な人というのは、本当によく、自分以外の相手が抱く逆の面倒くささの発露から、不愉快な思いをたくさんしているんですよ。
 
それは、相手が、綺麗な人を綺麗だと認識した瞬間、

「自分は外見の綺麗さなんかに態度は変えませんよアピール」

をされるわけです。
 

嫌なことを言われやすかったり、他の人よりもぞんざいに扱われたり、急に毒づかれたり、
まるで、その時だけその人達は、「小学校低学年が、自分が相手を意識してしまったことをひた隠しにする、下手くそな照れ隠しのつもり」の態度と言動を、綺麗な人に向かってあからさまにすることで、
「これをやることで自分はどの人にも公平な態度を貫きますよ」
宣言をご本人じゃなく、周囲の人全員に、または心の中にある世間に向かって、するんです。
 
これは性を問わずあります。
多分、世界中でお馴染みの、綺麗な人々の共通体験なのではないでしょうか。
 
私の住んでいる日本という国でも、あまりにもその態度に辟易して、木村拓哉(Takuya Kimura)という、スーパースターグループ
smapに所属していた中でも、ハンサムでセクシーで有名だった男性が、テレビで発言したことがあるくらいなんですよ。
 
彼の場合は、独身時代、友人達と遊びに行ったお店で、女の子達に「木村拓哉です」と自己紹介した瞬間、知らない人はいない名前ですから、それまで素敵だった女の子達のいく人かは、急に、目の前に立っている木村拓哉を鼻で笑って、あからさまに顔を背けて肩をすくめるような態度をとっていたそうなんです。
 
「私はあんたのことをうっとり見たり、すぐにわーきゃー言わないわよ」アピールですね。
 
それは自分の中にもある「木村拓哉はセクシーでハンサムで抗えない魅力を持っている」という価値観に、抵抗しないとならない理由が彼女達にはあったのだし、肩をすくめる態度を取ることで、私は「綺麗な顔には特別扱いをしません」アピールを、誰も気にしていない全世界に対してしていたんですね。
 
どうしてそこまでしないとならないんでしょうか。
 
それは、美しさというものを目の前にした時、どう振る舞えばいいか、の訓練ができていないからです。
 
訓練ができていないから、美しさというものをどう消化したらいいかわからないし、どう声をかけ、どう態度に現せばいいか、その正解がわからないからです。
 
その上、その正解がわからない言い訳を、相手は自分の美しさを知っているだろうから、自分の魅力に相手が組み敷かれるはずだと信じ込んで慣れているお前、私は他の女とは違うんだから、いい気になるなよ、と釘を刺してあげる模範的な態度である、という妙ちきりんなすり替えを行うんです。
 
そして、そう思うのは自分だけではなく、他の人も同じだろうから、自分が信じている、美しさに対抗できない人間の態度と違う振る舞いをする人間を、凄まじい嗅覚で見つけ、その相手までも、

美しさというものを前にした時の振る舞い方が自分と他者では違う事実が、それは不自然であると信じなければ自分が保てない。

その反応を大声で喚き立てないといけない。

そうしなければ、世の中の、美しさというものを目の前にした時の訓練ができていない他の人間に対して、不公平になってしまう、と思っているからなんです。
 
そうですね。ここまで書くのなら、私は絶世の美女なんでしょう。聞いたことないですけど。
 
続けますが。
 
この不公平である。と思い込んでいる感情は、結局は、美しさというのは平等ではない、ということを認めているんですけれども。
その平等ではないことを、どうにかして公平にしないといけない、という、よくわからない使命感なんですね。
 
わからないから、これは正しいのだ。と思いたいし、人間は顔ではない、ということを証明する態度を、自分は貫ける、これこそが最も知的な態度だと思っているんです。
 
美しさを前に、知的であろうとすること自体、美しさが本能からの反射であるという前提にしたがっているんですから、その人達は、美しさを前にすれば、本能的な衝動に抗えないと信じているんです。
 
そんな普遍的な、絶対的な美しさ、そうそうこの世に存在するはずないんですけれどねー。
だから芸術ってものが滅びないんだし。
 
優勢遺伝の話なら、確かにそれは本能でもあるんでしょう。私は門外漢なので、欲望ということでさっくり進めていきますが。
 
じゃあ、なんだって好みのタイプっていうのが存在するんでしょう。
 
それは、自分の本能や遺伝子情報からの、このタイプを攻略すると、未来にいいことが待っているよ、という予言ですよね。
今風に言うと、提案かもしれない。
 
その提案に是非とも従いたいのが、欲望であり本能だと私は考えていますが。
 
美しさを前にした時の態度が訓練されていないのは、その人達が美しさが存在している現実と本能からの提案を整理できていないだけの話であって、そんなことは綺麗な人達にも、綺麗な人にあっさり綺麗ですね。と言える人間にも、綺麗な人に綺麗だといちいち言っても、いまこの状況に関係ないし、とわかっている人達にも、全然関係ないし、目の前に美しさが存在する。このことは別に、誰に対しても不公平でもなんでもないという、訓練結果のたまものなんですよね。
 
そのことを大貫妙子と一緒に仕事をしてきた人達は、あえて口に出さずとも知っていたのではないんでしょうか。
 
そして、メディアの人達も、その大いなる世知慣れた経験上、大貫妙子を綺麗だと取り上げることは、大貫妙子の仕事と活動の邪魔になる、ということをよくご存知だったからではないか、と私は考えています。
 
大貫妙子は、綺麗であると称されないことで、おそらく、綺麗に不慣れな、たくさんのあれやこれやから、守られてきたのだし、自身の著書にあるように、当時の日本社会で生活する1人の女性として、ただでさえ不愉快な思いをしていたのに、その上、パブリックな場所で、つまらない不平等信仰から投げつけられる余計な荷物を背負わされずに済んでいる自分が、いったい何の知恵によって守られていたのかを、よくわかっていたのではないでしょうか。


その知恵がどこからくるものなのか、私はよく知りませんので、それがなんなのかは分かりません。
 
ただ、そこからくる態度の名前は、大貫妙子の仕事、という才能と結果と実力に対する、尊敬というものの形である、と、国内在住の大貫妙子愛聴者達と同様に、当時、制服を着ていた私もまた、知っている1人です。
 
 
以上、Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第8夜 Tema Purissima  *** でした。
 
 
 
 
それでは、また明日、日本時間では22時に、主にアメリカではだいたい朝の8時に、お会いしましょう!


 
 
  
 
 
 

2023/11/19

Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第7夜 黒のクレール ***


 
Let's listen to Taeko Onuki, shall we?
<大貫妙子を聴こうじゃあないか>
*** 第7夜 黒のクレール  ***
 
 
 
 
 
 
 
 
 
黒のクレール / 大貫妙子(Taeko Onuki)
作詞:作曲 / 大貫妙子 (Taeko Onuki)
編曲 / 坂本龍一 (Ryūichi Sakamoto)
 
Wikipedia 黒のクレール
 
 
大貫妙子を検索すると、楽曲プロフィールに日本では主に、この黒のクレールが代表曲に入っていることが多いです。

アルバム「Cliché」収録ということで、いま知りましたけど、クリシェって売れてたんですね。
 
「ピーターラビットとわたし」や「色彩都市」が収録されてて、私もカセットテープに録音してよく聴いていました。
私は、他には「LABYRINTH」が好きです。
 
アルバム「Cliché」のページには、大貫妙子自身がこのアルバムと収録曲をどう思っていたのか、という情報が盛りだくさんですので、ぜひご覧ください。
私も色々と初めて知れて嬉しかったです。
 
なかでもたくさんのアーティストの方々が大貫妙子の楽曲をカバーしているそうで、「色彩都市」が多いんですね。やっぱり。
私も、「色彩都市」というのは、とてもくつろいだ大貫妙子のイメージがあって、好きな曲です。
 
Wikipedia 「Cliché」
 
 
「黒のクレール」は1聴してフランスの海辺を連想するサウンドと歌詞世界だと私は思います。
前述したWikipediaの「Cliché」のページでは、大貫妙子はアルバム制作の前にパリに行っているので、伝えてくるイメージの正確さにも、舌を巻かれるかたが多いのではないでしょうか。
 
アレンジは盟友:坂本龍一ですが。
坂本龍一にしては、ずいぶん素直なアレンジをしたものだな、と私は思っていたんですけれど、これは大貫妙子の好みが強く反映されていたようですね。
こちらも「黒のクレール」ページを参照してください。
 
私は大貫妙子の頭の中にある、大貫妙子しか行くことが許されない、どこかに似ているどこでもない街や町は、おそらくパリの雰囲気に酷似しているのではないか、と考えています。
 
「Cliché」は1982年制作ですから、意外にも、その前に初めてパリに渡ったそうですので、才能というと簡単すぎますが、大貫妙子の意識というのは、イメージの輪郭がひどく正確なのではないでしょうか。
 
その後の未来で、大貫妙子はアフリカや南極まで足をのばしているので、おそらく、どこかに似ている、どこでもない街や町は、その後も拡大し続け、
ある通りでは「When I Met The Grey Sky」に出てくる様相を持ち、
ある街角では「いつも通り」に出てくる空っ風吹く東京のどこかによく似た通りのまま、
雄大な暁をもつ地平や音が降ってくる星空が見える窓がそこかしこにあり、自由に行き来ができるのかもしれません。
 
そう考えると、大貫妙子の頭の中にある、どこかに似ている、どこでもない街や町の中で、正確にリスナーの私達にイメージを手渡していく、このミュージシャンの感覚は、とても信頼できる感性だと思います。
 
私個人のイメージは、「黒のクレール」は、フランソワーズ・サガンが過ごしたことのある海辺だし、マリ・クレール誌が日本に浸透させたブランドイメージにあるような、明るいけれど、明るすぎない、どこかしら憂鬱な郊外の港。
そんな、機能しているけど寂れた、いつか見たことのある海にまつわる景色です。
その上、それがなぜかサローヤンの「パパ・ユー・アー・クレイジー」の海辺に繋がっていくんですよね。舞台はアメリカなのに。
 
「黒のクレール」で歌われているのは、恋の終わりですが、ここに出てくるソリティアでしかない、終わった恋の行方を占う、非常に退廃的なカードを繰る動作そのものが、哀しみや諦め、孤独、なのに心地よくさえある、孤立した「恋」の世界の象徴のようで、この楽曲をどうしてもエレガンスという装飾にしたかった大貫妙子の感覚に、礼賛だけを胸に、ただ黙って頷くのみです。
 
 
 
以上、Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第7夜 黒のクレール  *** 、でした。
 
 
 
それでは、また明日、日本時間では22時に、主にアメリカではだいたい朝の8時に、お会いしましょう!
 
 
 
 
 
 

2023/11/18

Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第6夜 若き日の望楼 ***

 
Let's listen to Taeko Onuki, shall we?
<大貫妙子を聴こうじゃあないか>
*** 第6夜 若き日の望楼  ***
 
 
 
若き日の望楼 / 大貫妙子(Taeko Onuki)
作詞:作曲 / 大貫妙子(Taeko Onuki)
編曲 / 坂本龍一(Ryūichi Sakamoto)
 
クレジット Wikipedia 「ROMANTIQUE」より
https://w.wiki/6D6e
 
 

アルバム「ROMANTIQUE」収録。
Wikipediaを見ると、大貫妙子のこのアルバムについての考えがたくさん記述されています。
それだけ誤解もあったのだろうし、曲解されたのかもしれませんね。
私は前述したように、まず聴いて、自分がどう思ったか、感じたか、を大切にするので、もしアルバム「ROMANTIQUE」を未聴の方は、私は、聴いてから、そちらを読まれるのをお勧めします。
 
確か、私も、最初に大貫妙子を聴いたのは、「ROMANTIQUE」だったのではないでしょうか。
それ以前に、F Mラジオで大貫妙子の「ピーターラビットとわたし」をエアチェックしていて、知ってはいたんですが、ちょうどその頃、シャンソンを聴いてみたかったので、確か、お店の人に日本のシャンソンでニュー・ミュージック寄りの好みを伝えて、出してきてもらったのが、大貫妙子の「ROMANTIQUE」だったような記憶があります。
その頃、まだ小学生だったので、お店の人もすごく困ったと思います。
でもこれ、阿川泰子(Yasuko Agawa)をたどっている最中に、隣のコーナーに「ROMANTIQUE」が置いてあって、なんかヨーロッパっぽいし、と思って、手に取ったのかもしれません。
 

 

 
それで「ROMANTIQUE」の中で、シャンソンではないかと思ったのが、「若き日の望楼」です。
同アルバム収録曲の「BOHEMIAN」の歌詞にシャンソンという言葉が出てくるし、大貫妙子ってきっとシャンソン歌手なんだろうけど、別の曲も創る人なのだろう、くらいの認識です。
でも、おかしいなと思ったのが、「若き日の望楼」って、ギターが出てくるんですけれど。
そのギターの音触がロックの音なんですよ。
あれ? と思って。
それで確かお店に行って、大貫妙子の他のアルバムジャケットを見て、それで大貫妙子がギター(ベース?)と一緒に写っていたのを見て、まず間違いなく、この綺麗な人は、シャンソン歌手ではないな、と1人、納得をしておりました。
 
さあ、綺麗だと書いてしまいました。
もしかして、みなさんは、どうして大貫妙子が才能があり、楽曲も声も文章も語りも素晴らしいだけでなく、美しいということを誰も何も言わないんだ!
大貫妙子は辛い思いをしていたのではないのか? 
と心配に思っている方がおられるかもしれませんが。
えー、これも今回のイベントで取り上げる予定ですけれど。
さっくり書くと。
日本社会には、特に文化人系と言われる世界の中にある、ごく一部の考え方なんですけれど。
正直であることを尊ぶ風潮のわりには、綺麗な人のことを綺麗だとする、ことが、なんというか、相手を軽んじていることにつながる、という警戒心が存在しているみたいなんです。
そういうことには惑わされずに、こっちはあなたをきちっと評価しているんですよ!アピール。なんですけれど。
これは、女性に限らず、いろいろな性の方にも共通して存在しているんですよ。実は。
 
だから、大貫妙子について、綺麗である。ということを言ったり書いたりするのは、よくないことだぞ? 
そういうことを言うのは、違うんじゃないかしら?
という風潮があったんだと私は思っています。
この話は、きちんと、あのぅ、書きますので。
どうかご心配なさらないでくださいね。本当に大丈夫ですから。
 
「若き日の望楼」を聴くにあたって、やっぱりシャンソンのことを私がどう捉えているかという話をした方がいいと思います。
で、日本には、Wikipediaによるとシャンソン歌手も数多くおられたそうなんですけれど。
子供だった私の耳にも届いてきたほどのシャンソン歌手といえば、五輪真弓(Mayumi Itsuwa)による「恋人よ」をカバーした淡谷のり子(Noriko Awaya)とエディット・ピアフの愛の讃歌を歌唱した越路吹雪(Hubuki Kosiji)だったんです。
このお二人は、私見ながら、歌手という使命を生きた方達でした。
なので、ジャンルで括ることは失礼である、と言われるのは百も承知なのですが、日本におけるポピュラーシーンにおけるシャンソンというもののさわりだけでもと思って、このように記述することをどうかお許しいだたければと思います。
詳しくはWikipediaのシャンソンをご覧ください。
 
Wikipedia シャンソン 
https://w.wiki/3M6n
 
 
昨日の投稿で、私はシャンソンを運命の傍観者の視点、と書きましたが。
私の理解が間違っていなければ、シャンソンというのは、大きく全体を捉えると、詩を吟ずるもの、でいいはずです。
上記に出したWikipediaのシャンソンの項目に、
 
シャンソン(フランス語: chanson)は、中世の吟遊詩人をルーツとした歌曲と、フランス語の歌曲の総称である。

Wikipedia シャンソンより
https://w.wiki/3M6n

 
とあるので、勇気を出して(笑)続けますが。
 
日本には、「とはずがたり」(問わず語り)というジャンルがあります。
ジャンルでもあり、書名でもあるんですけれど。(本ではなく巻き物です。)
1313年に成立したものとされている後深草院二条(Go Hukakusain no Nijyou)の手によるものです。
で、この「とはずがたり」というのは、自身の体験を語る形式の物語で、当時新しい形式として、長い間、宮中で発禁本だったという(笑)、いつの頃も、センセーショナルであるものは、最初は、なんということを書くんだ!というお叱りを受ける象徴となっている事例なんですが。
 
こちらは、何もそんな大変なことが書かれているわけではなく、紫式部(Lady Murasaki Sikibu)の源氏物語(Tale of Genji)に影響を受けているとされる、そうですが、私は教科書に載っていたかどうか、かなりあやしい記憶しかないんですが、多分、読んだりはしていたはずです。
  
「とはずがたり」と言うのは、Wikipediaにあります通り、「問わず語り」と表記し、自発的に物語ることなんですね。
 
で、シャンソンは、歌曲なんですけれど、私は語るための歌であると考えています。
それは表現としての歌の根幹部分の在り方として、なるべくしてなった、姿だと思うんです。
その形式を引用して、大貫妙子が語ったのは、とても遠い時代だと感じるほど、客観の過去でした。
 
アルバム「ROMANTIQUE」って、多分、すごく売れたんだと思うんです。

瞬間的なチャート順位ではなく、ロングセラーでも、セールスはトップに入るものではないでしょうか。

楽曲の中で、歌われ、語られているのは、過去が物語りになるほど遠くなってしまった記憶で、それが事実かどうかという話すら霞むほど、この楽曲で表現されていたのは、「過去」ではないでしょうか。
 
これは私のとてもロマンティックな想像なんですけれど。
 
大貫妙子が過ごしていた多感な若者期って、日本ってすごく熱を帯びていた時代だったのではないでしょうか。

私は、文献や映像を遡ることでしかわからないんですけれど、おそらく、あちこちで熱が充満していた時代で、大貫妙子自身は、その頃、というものを完全に過去だと思っていて、特に過去に理由を持たなかったんじゃないでしょうか?
 
私はその時代を描いた映像作品として、
当時を若者として生きた男と過去として当時を知っているだけの若い女性が、偶然、男がそのとき恋人と暮らしていた部屋に住んでいたことから、酔って昔を懐かしんで、当時の部屋までやってきて、その当時のやり方で鍵の隠し場所を探り当ててしまい、部屋のドアを開けて、今にも警察に電話しようとする、今の部屋の持ち主と、なぜか奇妙なひと晩を部屋の向こうとこっち側で過ごす、というドラマが、とても好きです。
 
また、ドラマ「反乱のボヤージュ」がとても好きです。
 
配信されていないのがとても残念なんですが。
私がこの二つのドラマが好きなのは、私にはわからないその時代を、過去であるが、いまだ熱を帯びているものが残っている、ものとして描いているのが、非常に現実的だと思ったし、記憶に対して真正面に対峙した、当時の日常から未来という現在に繋がっている、としているところです。
 
そこに、過去以外はない、という捉え方の流儀と言いましょうか、とても私にとっては咀嚼しやすい切り出し方だったんです。
  
なので、ウィキにあるように、大貫妙子が「若き日の望楼」について、このアルバムリリースの3年後に、あえて語っているのだから、この時代は、やはり特殊で、個人の時間と、共有の時間が、縄のように編まれているような、そんな、特異であり、誰もが持つ、2度と来ない熱い日々の中に、黎明期の精神の色彩を放っているのだという、聴き方と捉え方を、私は、しています。
 
「若き日の望楼」って、アルバム「copine」でもフランス語でカバーし直したりしているところを見ると、大貫妙子にとってこの時期は、青春時代の経過として、決してデコレーションしなくともいい、自分を取り巻く世界に、身ひとつで全力でぶつかっていけた、過ぎ去りし日のワンエピソード。それ以上でもそれ以下でもない、とにかくもまっさらな世界だったのではないでしょうか。
 
” パンとワインで仲間たちと過ごした ”

(若き日の望楼 / 大貫妙子(Taeko Onuki)より)
 
それが一体、どのようなものか子供だった私は知りたくて、自分が若者になった時に、ワインとパンでたくさんの夜を過ごしました。

正直、ワインにはカマンベール・チーズかプロセスチーズ。時々、ボイルしたウィンナーかサラミの方が好きでしたし、ビールと柿の種の方が、自分にはピッタリだな、と思いながらも、結構な期間、真似していたことは、楽しかった記憶として私の中に、大貫妙子の楽曲が運び込んでくれた、大切な財産になっています。

 
以上、Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第6夜 若き日の望楼  *** でした。

 
それでは、また明日、日本時間では22時に、主にアメリカではだいたい朝の8時に、お会いしましょう!