O先生によるエナメル紹介



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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 
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2025/08/17

アスファルトの風物詩

 

 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
日本の大きな歳時、お盆に入り、コンビニエンスストアのお菓子が衣替えをしていますね。
私はヤマザキビスケットのピコラ・彩りの蜜芋味、LOTTEのチョコパイ・アールグレイ香るミルクティーがお気に入りです。
こちらは大変喜ばれました。
翌日すぐ買いに行ったんですが、とても人気のようで売り切れていて、ドラッグストアに併設された食料品売り場まで足を伸ばしました。そこはまだ見つかっていないらしく、2個買いしてさらに喜ばれました。
 
大昔、アパレルショップ(洋服を扱うお店)とその店員は、お盆に入ったら秋物を着る強い規則がありました。
これは厳しく決められたルールでした。
とても無理をして暑いのに秋物と秋のメイクをして、秋物が立ち並ぶショップで仕事をするんですね。
全体的に環境が暑苦しいと言い合いながら、その特殊なルールを誇らし気にしていました。
やがてそのルールが廃れ、お盆に秋物が並ばなくなった後、街の季節感から鮮やかさが消えたように感じています。
 
私は暑さにとても弱く寝込む時もあるので、 お盆から秋物を着なくて良いから助かっていましたが、明確だった季節感を街が失ってしまったことに気がついた時に、当時の人達も又ショップに合わせて秋物を着ていたのを思い出し、最近またお盆を区切りに秋物を着るようにしました。
でも今の日本の夏はとてつもなく暑いので、すぐ挫折してメイクだけ秋にしたり、涼しい服でも色合いを秋にして、街の季節を楽しんでいます。
(当時の店員さん達は全員長袖です。ジャケットも居たような気がします。半袖着て来た人は居ませんでしたが、注意後、着替えさせられていたのではないかしら?)
 
2025年に季節を街で探そうと思ったら、軒先に出される盆提灯や飾り縄をまだ薄紫が残る夜風の中で見つけることができます。
盆提灯は大体家紋が描かれていることが多く、飾り縄を憶えておられる方は、出身地や縁(ゆかり)のある土地の風習に従われているそうです。
 
実は浴衣(ゆかた)は特にイベントが無くとも、着て良いものなんです。
こちらもお盆が区切りとなります。
 
それで浴衣は夏の模様と秋の模様が一緒に描かれていたり、お洒落な方は、夏だけの模様を日本の夏が始まる7月より1ヶ月早い6月から着たり、7月13日を過ぎるあたりから秋を告げる花があしらわれた浴衣にしたりします。
(記憶ですが。浴衣を3着作られる方も居たような気がします。6月だけの紫陽花模様を5月半ばから紫陽花が開くまで着るんだそうです。)
 
お盆を過ぎても浴衣を着ても良かったかどうかは忘れてしまいましたが、気になる方は、半衿(はんえり)を下に重ねて帯(おび)だけ秋の色や模様にすると、取りあえずセーフです。
半衿というのは着け襟(つけえり)のことで、浴衣の下に着る専用下着の襟に縫い付けたり、スナップボタンだけ下着の襟と半衿に縫い付け、パチン、と留めるだけにしたりします。
あとは正式に長襦袢(ながじゅばん)を、お盆の頃から浴衣の下に合わせれば、自動的に浴衣の襟の下に白い襟や他の色の襟が見える、という訳です。
 
 
一番良いのは、ルールの正誤では無く、これとこれを合わせるのはどう思われますか? と呉服屋さんの店員や通販にメールで問い合わせすることです。
買う予定の物や持っている浴衣・帯・半衿・長襦袢を、スマートフォンで撮って、お店に送ると誤解は防げます。
 
和服にはルールはありますが、街で着るものは、お洒落であることが1番の基本ルールです。
貴方がお洒落だと思う組み合わせをすれば、それがジョーカーとなります。
何かお節介な事を言われても(現在は居ないと思いますけどね。知らない人の方が圧倒的多数なので。)、季節の組み合わせをした貴方のお洒落が、余計な口出しをしたその人だけが分からない、という不思議なカウンターパンチが自動発生するのが、和服(わふく)・浴衣のお洒落世界です。
 
今日だけの貴方の記念に、例えば、あ、今日秋風に気付いた、というタイミングであれば、貴方が風や秋を発想するアクセサリーを着ければいいんです。
何でも良いです。
ピアスでもイヤリングでもネックレスでもカバンでも、帯締め(おびじめ)の色でも、帯の結び方を浴衣のスタンダードではなく、太鼓(たいこ)にしたり変わり太鼓にしたり。
浴衣と帯の組み合わせで圧倒的に多いのが、文庫結び(ぶんこむすび)なので、帯の結び方だけ変えればそれだけでお洒落になります。
文庫結び単体は、一年中結んで良いものですが、浴衣と帯の組み合わせで、帯だけ変えるという発想だけで、お洒落という季節とセンスが発生するんです。

それがお洒落で、そういうことがお洒落なんです。 
貴方が秋を身に着けている機微やセンスが分からない奴全員が、野暮天(やぼてん)です。 
 
野暮天:機微を理解しない。気が利かない人。そういう人達が乱す状況を言う。

どうして私が妙に着物の事を知っているかは、気にしなくても構いません。
 
着物のお洒落は何をしてもいいんです。
出来ないから街着(まちぎ)のお洒落ひとつ、はみ出せないんですよ、あの人達。(ヒソヒソ声) 
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。 
 
 

 

        

 

 
20250817 14:02 おやすみTAXI / MON7A(モンタさんと読むそうです。)を追加しました。 
 
20250817 18:54 文章を直し、野暮天について書き加えました。

 

 

 
 
 
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2025/06/01

東京1

子供の頃から、東京の人は冷たい。という言葉を2025年の今まで聞き続けています。
それが確かな感想なら、
 
江戸からの習いを知っている、東京が地元の人達が、ユーモラスな態度を取る訳がないでしょう。
 
すぐ勘違い。思い込んだら一直線。すぐ激情。悪口雑言、言いたい放題。
すぐ人情に巻かれる。
科学や理より、やたらと感情を優先。(東京大学って何処にありましたっけ?)
無駄に短気。
すっごく気取っている。
何かというと田舎者と人を見下す。
いつも「江戸っ子じゃないか!」「東京なのに!」と押し通そうとする。
乱暴。
初対面でタメ口。
すぐお金じゃ無いと言い張る。 

そこは首都で在り続けている都市で、徳川家康が幕府を開く前から、人々が集まっていた場所なんですよ。平野だし。

そんな訳がないでしょう。
 
三代続かなきゃ江戸っ子じゃ無い。
嘘と坊主の頭は言った(「結った。」(ゆった)江戸の言葉。髪を結うの同音語。なんかきっと噺家や芸人を侮辱するのも含んでいる。)ことが無いんだ! (フィクションの台詞)
東京砂漠(歌詞。表現!)
 
商いが嫌い。←株式のデータの中心地は首都東京ですよね。ナニこれ?(笑)
 
これらは全部、大嘘。デマ!です。 
これについては寿命が無くなるまで、エナメルが生涯預かります。20250601本人記述
 
私は、そんなに詳しくないんですけど。
たった1回その場でやり返しただけで(20代前半)、いつ行っても東京の人達は親切でしたよ。
べたべたしない、適切でさっと相手の重荷にならない気遣い全開で、すぐ立ち去る。
もの凄く洗練された、親切でしたよ。
 
どうして誰も言わないんだろう? 
 
変だな・・・。と思いながら二桁年数を越えて来ましたけど、東京の人は親切ですよ。
 
・・・首都の文化をここまで踏みにじるのが美徳とされる国って、日本だけじゃないですか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 

睫毛をもう2・3本足したらどうかな。(強いて言うならだよ!)by トップ・メイクアップ・アーティスト



日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
お隣の国、韓国のスーパー・スターが、事前投票の会場にカジュアルスタイルの黒い服で現れた、という報道を見ました。
 
私はスーパー・スターがいつも世の中のお手本で居る必要はないと思っています。
ただ、そうで有ろうとする態度は、とても尊敬しています。
 
皆さんは、黒い服についてどの様な感想を持っていますか?
シック、喪服、少し威圧感がある。
すごく垢抜けている。
お洒落な決まり方をする。
インテリジェンスにもセクシーにも見える。
 
とても新しい。
さっぱりしている。
派手である。
並大抵では無い。
こんな感じでしょうか?
 
私は、少しだけ東京の文化に興味があったので、「江戸時代くらいから、当時の人々が1番お洒落をする時は「黒」を着る。」
「それが東京という首都になっても、街の人と町の人達にとって「黒」はずっと特別な色である。」
という認識をしています。
 
ブラック・フォーマルという言葉は、ドレスコードで最上級のドレスアップをした上に、最大級の敬意を払う服装をして来て下さい。
という意味です。
こちらはおそらく西洋と私達日本人が呼んでいた、ヨーロッパかアメリカから輸入された文化です。
  
日本でも江戸時代から「黒」は特別な色だったので、不思議な偶然ですよね。
たまたまなんですが、そういう理由から、韓国でのスーパー・スターが事前投票に現れた時に、カジュアル・スタイルで有りながら、全身を黒にしていた理由が分かったんですね。
 
「黒」というのは、本当に難しい色です。
着こなすのに訓練が要る色なので、「黒」が似合う人というのはとても羨ましいし、私はこの歳になっても「黒」を上手に着こなしていると判断するのを、自分自身に許可できません。
 
「黒」を着れる方は、煌めきを纏っています。
「光っている」という最大級の美しい形容が有りますが。
「黒」が似合う方、「黒」を纏っても尚、その人が掻き消えない方は、「光っている人物」なんです。
「見れば分かる」が、そこに居るんですね。
 
日本を代表する世界的ブランド、コム・デ・ギャルソンやヨージ・ヤマモトが、黒を研究し尽くした文化であったのも、今になってとても納得があります。
80年代後半頃、テレビを通して知った僻みに、「黒を着て居れば良いと思っている」というのがありますが。
見て分からないし、黒を着こなせる人がどういった人物であるのかも分からないと、自分自身を宣伝していたんでしょう。
 
日本のスーパー・スターである中山美穂さんが、NHK紅白歌合戦に「派手!!!」という楽曲で出演した時、「金色」の衣装かな? それとももっと私の度肝を抜くような、とても華やかなドレスで現れるんだろうか? とテレビの前でワクワクしていた少女の頃の記憶があります。
なんと中山美穂さんは、全身黒の華やかでモードで帽子を被った、ブラック・フォーマルの衣装で、舞台の端から歩いてステージ中央に立ちました。
 
IT(イット)は、私の解釈では「未だ名前を持たない、最高の存在」という言葉です。
黒は、光る人物しか着こなせない。
その上、ブラック・フォーマルかつ帯帽(帽子を被っている正装)という、レディが着る最大の敬意をステージと視聴者とファンに向けて表(ひょう)していました。
今になって私は、
"中山美穂さんは、「IT」です。”
という事実を、クリエイター達が同時に告げていたと確認が出来、どうしてあの時、彼女を紹介する司会者が、「黒い衣装で登場です。」と少し弾んだ声で言った理由も分かって、胸に風吹き渡る気持ちになっています。
 
「気障(きざ)」という言葉も、実は肯定で素晴らしい言葉なんだそうです。
今では誤解から、あまり良い意味では使われて居ませんよね。
 
でも私は「気障な言葉」を言われるのは、子供の頃から嫌ではありませんでした。
何故だか嫌ではありませんでした。
むしろ、どうして聞いた人達が照れてしまい、そんな自分を恥ずかしがって誤魔化す為に、囃し立てるのか分かりませんでした。
 
2025年の今では、その頃からの気持ちが言葉に為るのですけれど。
「その言葉を貴方に向けた人が、貴方にめぐり会うまでの全知性と経験の中から、選び抜いた言葉を貴方に告げている。」
「貴方の為だけの「IT」です。」
 
態度や言葉を気障というのは、本来「素晴らしい最初の良いもの・素敵なもの・感激する、等」を、全部含む言葉なのでは無いでしょうか?
 
あの楽曲の男性は、ITレディと恋愛をしている人物です。
だから中山美穂さんが唄っていたし、彼は本当にドジでは無く、江戸から伝わる東京の話法で、「完璧な貴方が私と付き合ってくれるなんて」と言うITレディの独白から始まり、彼が圧倒的な人物なのを語っているんでしょうね。
 
「楽曲の解釈」に正解はありません。
歌詞をセンテンス毎(ごと)に、全部反転させてみると、彼女は自慢をしているのかな? と、さらに素敵な気持ちになりますよ。
 
「派手!!!」の彼女のように、圧倒的な彼と親しくなったら、あの程度の憎まれ口を叩くのも、なんだか「IT」ですよね。
最高という意味で最後は使っています。
 
 
寒いですね。
急に4月のような気温で。
この気温バランスが続く限り、皆さんは高原に居るつもりで服装の調節をして下さいね。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
 
 
20250604 16:57 文章を直しました。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2025/04/28

about thisを改訂しました。 / Revised about this.

 

先生も出来たことだし、about thisを改訂しました。
私はカラスが鳥の中では好きなんですけれど。
少し調べたらカラスって漢字では鴉と書くそうです。
英語では、CROWと言います。発音は”クロウ”。
RAYBANも同様ですが、こちらは翼が大きいもので、CROWは街の鴉なんだそうです。
私はCROWという響きがとても滑らかで上品なので、CROWという芯でいようと思います。
 
鴉では八咫鴉(やたがらす)という3本足の鴉が、伝説上の存在として、東京に本山がある熊野神社の神紋でお馴染みです。
東京は先生に縁のある地なので。
また、西のとある地域では、「桁が違う」という言い方があります。
格が違う、と同義です。
なので、東と西のミクスチャーとして、CROWな感じの私・エナメルの目標は、 八咫桁(やたけた)を掲げようと思います。
 
やたけた、というのは、彌猛心(やたけごころ)という、物怖じしない態度や精神の意味と、元は大阪の街のスラングとして”何をやり出すか分からない”という意味を持つのだそうです。 洒落た意味まで付けて頂き、大変恐縮な思いですが。この頃、私は年若い青年の方々に「堂々としていなさい。」「堂々としていましょう。」と言っています。これは私の母校に伝わる、1輪の水仙のように、少し顎を引き、毅然とした姿勢で立て。という知性と勇気の態度を、どうも伝えようとしているみたいです。それを師が傍で好ましくご覧になっていて、「今後の目標を『八咫桁(やたけた)』にしてはどうだろう? 」と言われ、そうしようと決めました。 
JAZZのフリースタイル・セッションのような、何故か縁深いHIPHOPのような、健やかで風が吹き渡るLightと共に、CROWに 八咫桁でいます。 師に心からの感謝と敬意を込めて。Brilliant Rain Morning with CROW.BRMC Enamel 20250428 09:55  

 Now that I have a teacher, I have revised ABOUT THIS.
I like crows among birds, though.
I did a little research and found out that crow is written “鴉” in kanji (Chinese characters).
In English, it is called CROW. It is pronounced "crow.
RAYBAN is similar, but this one has bigger wings, and CROW is the raven of the city.
I will stay with the core of CROW because it sounds so smooth and elegant.
 
As for ravens, the three-legged raven called Yatagarasu (八咫鴉) is a legendary being, and is familiar in the divine crest of Kumano Shrine, which has its main shrine in Tokyo.
Tokyo is a place associated with Sensei.
Also, in a certain region in the west, there is a saying, "The order of magnitude is different.
It is synonymous with "different in rank.
Therefore, as a mixture of East and West, I, Enamel, who is CROW-like, would like to set a goal of Yatagarasu.
 
The word “yataketa” is said to mean “fierce spirit” or “not afraid of anything”, and originally it was a slang word in the city of Osaka meaning “you never know what you are going to get into”. I am very sorry to have been given such a stylish meaning. These days, I tell young people, "Keep your heads up. “Be magnificent.” This is a saying that has been handed down in my alma mater. This is an attitude of intelligence and courage that has been handed down in my alma mater. It seems that he is trying to convey the attitude of intelligence and courage that has been handed down at my alma mater. My teacher looked at me favorably and said, "Why don't you set your future goal as ‘Yatagarasu’? I decided to do so.
Like a JAZZ freestyle session, like HIPHOP, which for some reason I have a deep connection with, I am yatagata in CROW with a healthy and breezy Light. With heartfelt thanks and respect to my mentor.
 Brilliant Rain Morning with CROW.BRMC Enamel 20250428 09:55

Translated with DeepL.com (free version)

 

 




2023/12/24

クリスマス・イブ / 山下達郎 / Chiristmas Eve / Tatsurou Ymashita


 
 
 
 
 
昔、私にとても美しいものを渡してくれた人がいます。
 
それは「想い」と日本語表記する、淡い、とてつもなく、まっすぐな気持ちでした。
 
私は、その気持ちには答えられませんでした。
 
その人の気持ちに私は気づいておらず、あれ?と思うことはあっても、まさかな、という気持ちと、うまくいっている友人を失いたくありませんでした。
 
その人は、私が徐々に、気楽なカジュアルな誘いを断るようになっていたこと、だんだんと2人きりにならずにいったこと、友人としてのくだらないバカ話の電話も、こちらからかけなくなっていったことに、気がついてたと思います。
 
私は、その頃、別のグループで、恋愛の始まりの時期にいました。
その人がいるグループの皆に、
「好きな人がいる。うまくいきそう。」とか言って、
その話をした後に、その人の言動や雰囲気に、あれ?とはじめて気がついたように記憶しています。
 
私はおかしいな、変だな、と思っていても、深く考えず、また深く考えないでいて、それをその人にとってなかったことにする方が、私の勘違いにしても、そうでなくても、結局はそれで、どちらにとっても、その人のプライドにとっても良かったことになる、と、なんとなくそう感じていたんだと思います。
 
なにかの番組で、女性というものは、昔、自分に想いを寄せてくれた人のことを決して忘れない。というお話を聞いたことがあります。
その時のうっすらとした記憶では、それはその女性にとって勲章のようなもので、それを女性というものはいい気分で忘れないのだ。という笑い話でした。
 
きっとそういう気持ちもあるのだと思います。
でも、私の場合は、そうではありませんでした。
 
後になって、それがなんであったのか、それがどういうことであったのか、わかることがある。
 
私にとって、その人が正々堂々と告げてくれた気持ちは、私をその時だけの淡い気持ちであったとしても、大切に扱う人間だと判断してくださった尊さでした。
 
うまく、場を悪くしないでそっとこのままでいい、と、背伸びした振る舞いをしながら、どこかで、そう振る舞える自分を大人なのだと、自分の臆病さを見ようとせずに、よく聴いていた歌詞の世界で描かれる、映画のような洒脱さにすり替えて、それに酔ってしまいそうになっていた私の狡さを、その人はきっと気がついていたのだと思います。
 
その人がまっすぐに気持ちを伝えてくれた時、私は一瞬、あっけに取られて黙り込みました。
そして、精一杯、気がつかなくてごめんね。いま好きな人がいる。あなたとは付き合えない。と答えました。
 
あまりよく憶えていないんですけれど、すごく変な言葉で、言い淀みながら、うまい言葉ひとつ言えない、ふつうの言葉で、あたりまえのことしか言えなかったと記憶しています。
 
その人は、笑って、またね。と言ってくれました。
もう会うことはないと、2人ともわかっていました。
そんなことぐらい、よくわかっていました。
私も、じゃあ、また今度ね。と言いました。
それきりです。
 
時々、私は、その人のことを思い出します。
きっとその人は、ただ気持ちを伝えてくれただけで、まっすぐな人で、それはほんの取るに足らない淡い恋だっただけです。
それでも、私は、その人のことを思い出すたびに、彼はその時私に、世界で1番、美しい心をくれたのだと、そんな風に思っています。
 
「クリスマス・イブ」という楽曲は、日本で必ずクリスマスシーズンに流れる曲です。
 
名曲だったので流れていたのでしょうし、私も気がつくと12月24日には何度も耳にしていたので、愛聴されていたのだと思いますが、大きなきっかけとなったのは、J R東海のクリスマス・イブにちなんだ、遠距離恋愛カップルのやさしいひと幕を描いたC Mでした。
 
その楽曲にこの「クリスマス・イブ」が使われていて、その美しく、観た人をやさしい気持ちにさせるC Mが大ヒットし、その後シリーズが毎年製作されるようになった、と私は記憶しています。

きっとC Mの効果で、この楽曲は両想いのカップルをテーマに歌っているのだと思われている方も多いのですが、実は、片想いの曲なんですね。
 
解釈は人によりますけれど、主人公は想いを告げようとした夜に相手を誘って、雨のクリスマス・イブに待ちぼうけをしている歌だと、私は読解しています。
 
「心深く 秘めた想い かなえられそうにない」
  クリスマス・イブ / 山下達郎 より
 
優しい人達がこの楽曲の物語をたくさん創って、そう思い込んでいたのは主人公だけで、実は、相手は主人公に応えるためにやってきた、という物語を、時々見かけています。
 
ですが私は、ですが。
そうは思わないんです。
相手は、おそらく主人公の気持ちに気がついていた。
だから、行かなかった。
と考えています。
 
どうして行かなかったのかな、と考えると、
相手は、主人公の本気の気持ちに気がついてたからこそ、行ってはいけない。
本気だからこそ、ここで行っては、決して、いけない。
そう思っていたのだと思うんです。
 
この人には、本気で答えるべきだと。
それが相手の答え方だったんじゃないでしょうか。
 
冷たいと思われても、ひどい人間だと思われても、いや、むしろそう思われるほうがいい。
 
長い間、自分への気持ちを隠し持っていた相手のために、本当に、その気持ちには応えられない自分、を見せたのではないでしょうか。
主人公が愛していた人は、それほどまでに主人公に向かって誠実だったのではないでしょうか。
 
だからこそ主人公は、長い間見つめていた、本人よりも自分のほうがよく知っている相手が来ないことを、知っていたのではないでしょうか。
 
私は、そう思います。
 
時々、創作の世界で、片恋を告げる純粋な人間を嘲笑う人間が描かれます。
けれど、その相手は必ず1人じゃないんですよね。
誰かと一緒になって嘲笑っている。
 
それは、誰を嘲笑っているのかな、と思うんです。
 
まるで自分を嘲笑っているように、私には思えます。
 
まっすぐな気持ちに答えられない自分を、冗談にするしかない臆病な自分を、嘲笑っているように思えるんです。
あとで自分を責めるために。
あとで、自分を責める理由をつくるために、なんだか一生懸命にそうしているように見えます。
 
性善説を言いたいんじゃないんです。
ただ私は、そんな風に、そうなんだろうな、と苦笑いな心持ちで、そう、思います。
昔、私が、あっけにとられたからかもしれませんね。
 
世界で1番、美しい心をくれた人のことを、
その気持ちを、
心の奥底で笑うはずなど決してない、
と知っているからかもしれません。
 
 
いま好きな人はいますか?
もし、いま、いないのでしたら、
かつて好きだった人はいますか?
 
その人は、いまどこにいるんでしょう?
そして、その気持ちを想い出しているあなたは、
いまどちらにいるんでしょう?
 
不思議ですね。
人生というものは、とても不思議ですね。
 
その人がもし日本にいるのなら、きっと名曲「クリスマス・イブ」を聴いていることでしょう。
 
そして、24日のどこかの瞬間に、
あなたのことをきっと想う。
 
胸のどこかでも、意識のうえでも、
微笑みと一緒に、必ず、想います。
 
その事実を、私は知っています。
 
 
それでは24日です。
とても寒いですので、温かくしてお過ごし下さい。
 
メリー・クリスマス、みなさん!