休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2024/02/27

今日の空と山菜、とても傷ついている人に告げる言葉

 

 
 
気温は低いですが、空はもう春の色です。
写真は、夕映えの少し後、蒼くなった空です。
 
パステルブルーの空も春らしくていい色だったんですが、
見てすっきりしていただきたかったので、
コントラストをあげる処理をしています。
 
花粉もすごいらしく、私はダストアレルギーを持っていまして、
花粉をダストと認識するんですね。
平気かな? と思っていても、ベランダに出てしばらくすると、
鼻や喉に不調が現れます。
 
少し前ですが、スーパーの野菜売り場の店頭で、
山菜が早春の報せとしてならんでいました。
 
こごみと菜の花を買ったんですが。
美味しかったです。
爽やかな味がします。
 
処理の仕方は、白ご飯ドットコム様を私は参考にしています。
 
よかったら、早春の味を楽しんでみてくださいね。
 
 
すごく昔に、インターネットで教わったやり方です。
 
私は、とても傷ついている人。とても傷ついたことがある人。
いま痛みが甦ったり、続いている人。
傷を克服しようとする人に、いつもなんと言っていいかわかりませんでした。
なにか言っても、違うな、と自分では、後味の悪さが残っていたんですね。
 
ですが、昔、インターネットの匿名の話者が、いま辛い状況にいる人にこう告げていました。
「大好きだよ」
 
私は、ああ、この言葉だったのか。と目からウロコが何千枚と落ちた気がし、以来、真似しています。
 
「あなたのことが大好きです。」
 
 
 
 
 
 
 
 

2024/02/26

シェルターとしてのインターネット


 
 
今日は、少し重たい内容を含む話題です。
 
なので、いま調子が悪い方、暗い内容にこの頃よく吸い寄せられているなという方、体調の悪い方は、最低でも2週間は、この頃、いつもより楽しい気持ちが続いていて、リラックスできているな、と自覚するまで、いまから書くことを読まないでください。
 
 

 

 
 
旅行から帰ってきて、1週間が気がつくと経過していました。
とても親切にしていただいたんですが、私の過敏な部分、付きあっていくものの部分、HSPの部分で、行く前からすっごいストレスがかかっていて、最悪の精神的コンディションでの出発となり、帰ってきてからも、ものすごく調子を崩していました。
 
繰り返しになりますが。
何かされたとか、ここがダメだったとか、そういうことではまったく無く、私は、おそらくもうこういう旅行は無理なんでしょうね。
 
行くなら、1週間とか2週間くらい多めに日程を組んで、帰ってきてからも2週間くらいは、自分のiPhoneのメモに思っていることを書いてみて、あとで読み直してみて、自分が大丈夫だったのかどうか判断しなければならないようです。
しかも国内オンリーで。
 
それくらいストレスが凄かったんです。
 
まあ仕方ないですね。そういう精神的体質で、そういう風に生まれついているんだから、そうやって付き合っていくしかありません。
 
楽しい思い出ばかりの旅行でしたが、そうであっても、これだけ不調になるほど、ストレスによる影響が凄かったんです。
 
で、昨日くらいから、やっと疲れが取れて、自分がものすごい不調の中にいたことを認識できるほどには回復しました。
 
それで、実は前から気になっている、日本のG7各国内での自殺率が第一位(厚生労働省 G7各国の自殺死亡率 PDFより)、世界全体では総数第5位(厚生労働省 諸外国の自殺死亡率 PDFより)になってしまっていることで、すこし読める範囲で情報を集めていたんです。
他にも気になっていることも見ましたけど、やっぱりこれがいま一番気がかかりで、この状態でも読めそうな内容を見ました。
 
先日も、女子学生の方々が、二人で飛び降りて、お一人は助かったけれど、もう一人は亡くなられてしまったという痛ましいニュースがあったようですね。
 
そのことについて意見を述べている所を読むと、こういうことが近年少しずつ増えているそうです。
これは確認はしていませんし、いまの私の状態では確認はできないんですが。
 
自殺大国になってしまっている以上、もっと前からけっこうあったんでしょうけれど、昨今は年若い人達も命を絶つ件数が、ニュースとなるほど増えてきているんでしょう。
 
日本が日本のG7各国内での自殺率が第一位(厚生労働省 G7各国の自殺死亡率 2023年2月 PDFより)、世界全体では総数第5位(厚生労働省 諸外国の自殺死亡率 2023年2月 PDFより)になってしまっているのを知って、直接的な抑止力には、当然、私はなれませんし、人の数だけ思いつめている理由というものがあり、どれも、すぐどうこう出来ないのは、みなさんご存じの通りですし、私も同じ意見です。
 
それで、そもそも、どうしてこんなことになってしまっているんだろう? と考えたとき、
 
私見ながら。
いま日本の社会に、ビギナー向け、不完全な人向けの、場所が少なくなっていってることも、この自殺率の増加の遠因であり、いち要因であると思っています。
 
 

 
 
私の狭い世間での経験では、学生街っていうのが、その機能を主に担っていたんです。
 
いまでも学校が多い地区での気楽な飲食街っていうのは、街で遊ぶのが初めての人向けのビギナーが、練習して慣れていって、それとなく教えてもらったり、やがて自分で知っていく場所という、オリエンテーリングの部分でもあるし、街で楽しく上手に遊んでいるお兄さんやお姉さん、どちらでもない人達に憧れて、ちょっぴり背伸びをしたいお年頃の制服を着た子達が、紛れ込んで遊んでもいい、そういう場所です。
 
そして、大人のためと信じられている社会では、なんだかつまらないな、と思っている大人達が、そこで別枠の、学生街にいる人達の大人社会、を形成している場所でもあるんです。
 
で、そこで何が起こっているかというと、まず第一にあげられるのは、大人になるための練習の期間を設けられているんですね。
 
それはある年齢、ある役割を担い始めたら、はいー、こっから大人ですよー、という期限がきっかりある訳でもない。
かといって、ずっとそこにいることが、本当の意味でモノがわかっている世界というわけでもない。
 
そこにたまたま来た人達が、いつか、ここで遊ぶのはもう飽きちゃったな、なんだかつまらないな、と思ったら、別の場所に移って、自分の稼ぎでまた新しい遊び方を始めるまでの、猶予期間の街なんです。
 
本当は、街っていうのは、どこもそうなんですけれど。
すごくそういう機能がわかりやすくなっているのが、学生街という場所なんです。
 
そういう場所が減ってきてしまって、もとは学生街だったところが、そこで生きてる人達だって生活がありますから、違う商売の仕方を始めて、学生街というビギナー向けの場所、猶予期間の場所が、消滅しはじめているのが、逃げ場や行き場所、一時的な雨宿りの場所が無くなり、どこにもいけなくなってしまう状況がこの先ずっと続くんだと思い込む、原因だし、遠因なんだと、考えています。
 
 

 

 
インターネットって、みなさんご存じの通り、シェルターでもありますよね。
シェルターという役割がとても強くある場所「も」ある。
 
ただ、この頃は、叩かれたり、炎上するのを怖れるあまり、なーんかもう、正しくて隙の無いことばっかり言うようになっちゃって(笑)、私の古い経験だと、内申書のことで一生懸命な子が、いっつもどこからも突っ込まれなくて、ピカピカの正しく良いことばっかり発言しているアレに似てるな、なんて思っています。
 
別にそうならそうで良いのかな、と思うんです。
私は、昔が良かったとは思わない人間だから。
 
変わることは良いことだし、変わっていっているっていうことは、今の現状に一番フィットした、柔軟さの結果だという考えを持っているので。
 
だから正しいことばかり言って、栄光の人生の軌跡をネットに残したいんだったら、それはそれで、その人がそうしたいんだったら、それで良いんじゃないかな、と遠くからぼんやり見ています。
 
どうしようと、そんなの人の勝手なんだから。
いいんですよ。誰も口を出すことじゃない。本人の好きにすればいいんです。
 
正しいことをやりたければ、自分だけでやれば良いし、同じことやってる人と仲良くなって、そのコミュニティで楽しくやればいいんですよね。
 
でも、人に強制しちゃダメです。
 
それは、危ないから教えてあげないと、と思うのは勝手だけど、その人は一度でもあなたにそれを頼みましたかね?
 
助言や見かねて教えてあげるのは、ネットのすごく良いところだと私も思っています。
私も何度お世話になったことか。
 
でも、自分の言うことをなんで聞かないんだって、押しつけるのは違いますよね。
 
たまには居ますよね。
説教されるのが好きな人。
私が思うより、2024年のインターネットにはそういう人達がたくさんいるみたいです。
 
皮肉じゃ無くて、ちょっとしたアトラクション体験なんでしょうね。
 
ちょっと間違う。誰かに諭される。自分は間違っていたと反省する。謝罪する。そして新たな自分を生き始め、傷がある人もみんなは受け止めて応援しているよ。という受容を経験し、新しい道を見つけて、万々歳。
その時だけ、気付きと再生というストーリーの主人公になれる。
そういうアトラクション的な、再生体験の娯楽として、どうも説教を自分から聞きに行ってるんだろうな、と思って見ています。
 
営業妨害をするつもりは無いけれど、そういう人はすごく自己啓発本やニューリーダーについての経済の本とかすっごい読んで、なるほど。こりゃいい。よし自分でやってみよう、で終われば良いのに、誰彼かまわず捕まえて、こうするべきだって責めるでしょう?
 
私は、それは違うと思います。
余計なおせっかいです。
 
自分がそうしたくて、一流を目指すのはとても凄いし、そういう人を見かけたら、ジャマにならないようにしなくちゃな、とポンコツの私でも思うくらい素晴らしいことです。
 
でも、あなたが素晴らしいからって、他の人が素晴らしくある必要なんかさらさら無いし、あなたはあなたの素晴らしさで光り輝くためにやることの中には、他の人にあなたが見つけたものを、強制する必要はないんです。
 
大きなお世話なんです。
 
余計なおせっかいだし、なんならそれってちょっと妄信の域にすら達しています。
人のジャマになっちゃってる。
 
なにを正しいとするかは人の勝手だけど、人のジャマをしたらダメですよね?
 
それは迷惑だからとか脅迫して自分から遠慮させたり、そんなことしていたら人生棒に振るって、人生を棒に振ったこともないのにそう言って脅したりとか。
 
正しいこと、良いこと、っていう言い返しにくいことを取り出して、従わないのは悪である、っていう変なトラップ付きの大きなお世話って、タチが悪くないですか?
 
自分が知っていることしか書けないから、これは自慢でもなんでもないんですけれど。
 
私が命と心を救っていただいたのは、それは私が優れているからでも大変な悪でも無くて、以前、心や命を失いかけた人達にしかわからない、または身近にそういう人がいてどういうことか嫌という程知っている、なんとも危険な状態に長い間入り込んでしまって、そこで苦しいのを隠して楽しそうに振る舞い続けていたからなんですよ。
 
ここには、ストーリーなんてある訳がないんです。
 
社会として、助けなければならない人がいる。
その人を助ける人にキャラクターもいらないし、装備もいらないし、超展開もいらないし、演出も、素敵な言葉もいらない。
 
そして、こうやったらいいよという前例も、おそらくは無い。
 
私は、ゲームやフィクション好きですよ。一生懸命その中に入り込まないだけで。
 
私がたまたまそこにいたから、偶然、わかる人達が気がついてくださっただけなんです。
 
その後どうなったかっていうと、ご覧の通り、いいようにしなさいっていうメッセージと、わからないことを置いておいてくださり、お前の時間が来たらそれに気がつくと良いよ。助けになるから。ということだったみたいなんです。
 
そして、私は、いま、ひっそりいいようにしています。
胸がいっぱいになりながら。
 
 
 

 
 
 
ネットシェルターって、本当にありがたいし、私もそれに助けられたインターネッターです。
ネットがなかったらとうの昔に命を絶っていた。という言葉を見かけたことも、一度や二度では無い。
 
そのネットシェルターって、ずっとそこに終日、オッケーになるまで居っぱなしって訳ではないんですよね。
 
気が向いてなんとなくの範囲で、一日やってることもあれば、他のことしながらちょいちょいっていう頻度の人も居るし、ネット別にいいやって時期もあるし、また見始めたり、色々です。
 
入り方も色々で、雨宿りの人も居れば、逃げ込んで傷を治すのに数年かかる人も居る。
遊んだり、喧嘩したり、励まし合ったり、慰め合ったり、好きにしながら、その人とインターネットライフやインターネットタイムの関わり合い方を、日々更新していってるんです。
 
雨が降っていなくても、雨宿りしても全然いいし。
なんとなくフラッと入ってきて、自分は卒業できたと思うことも自由です。
 
そこから大成していく人も居れば、ずっとじっとしてて(私ですね)、ひっそり趣味をやりたいな、なんて思ってる人もいる。
 
今日、リストカットしちゃったって書いてもいいし(お医者さんに頼った方がラクになりますよ。)、ウソ書いてもいいし、なんか誰それと目が合って嬉しかったから、お互い一目惚れだったらいいのになって、ファンフィクションを書いてもいい。
 
イキッて強気なこと書いてもいいし、泣きながら書いてもいいし、さっきご機嫌で前向きだったのに、すっごい暗いところを見に行ったって、誰も違うじゃないか、とか、前はこう言ってたのに矛盾してるじゃないか、なんて言わない。
希望じみたことを書いてもいいし、暗い淵について吐き出してもいいし、許せなかったことや、いまでも憎くてしかたがないこと、忘れているふり、考えないようにしながら、楽しくなることを書いてもいい。
 
なにやったって、だいたいオッケーなのが、インターネットシェルターという場所の役割なんです。
 
そして、立ち直りたければ立ち直ればいいし、そのまま趣味にシフトしてひっそりやっててもいいし(私ですね)、飽きたら黙って去ってもいいし、戻ってきてもいいし、ニックネームで、本当でもウソでもない、ただのいちインターネッターとして、シェルターを利用してもいいんです。
 
別に再生しなくてもいいし。
元気いっぱいになって市民マラソン(ディスってないですよ)に出なくても別にいいんです。
素晴らしい人間になって再生しなくてもいいし、何か、やたらとモノの分かった人になる必要もない。
 
ここはシェルターでもあるけれど、入り口も出口も無い、シェルターでありながら、発信したり、意見交換したり、仕事をしたり、好きなものを見たり、通販してもいいし、社会インフラでもあるんだし、インターネッターであることは、誰かに責められないといけないワケでも、現実が得意では無いけれど、インターネットのネットウォーカーであることは、単にインターネットの感じが好きで参加しているだけであって、何か足りないわけでもないし、何か目指してるわけでもない。
 
最近では現実が得意な人も、社会で成功している人達もネットにいる。
 
よく知らないで書くからファンの人達はごめんなさい。
俺の左手? の封印を解くときがやってきたってノリノリの数年間を過ごしたって、別にいいんですよ。
過去あんなこと言ってたくせにとか言うほうが変だし。
 
自分だって、子供や少年少女のころ、○○ちゃんが突然、学校終わりに家にやってきて、これ・・・気持ち、とかなんとか、なんかデカい宝石が付いてる、食べたら舌がサイケな色になる飴セットくれないかな? とか、欲しかったガンプラのレアモデル持ってきてくれないかな? とか、考えたり、紙に書いたり、ちょっと信じちゃって待ってる間、鏡のぞいたりして似合う服着てウキウキしてたり、とか、ガンガンやってたんだから。(ありますか? 私はないです。勧誘追い払う方法ばっか考えてました。←いや、その現実・・・。)
 
そのことを大人になって、なんか言う時に、自分は昔、飴セット待ってたんですけど。って、いちいち前置く必要なんかないんだし、覚えても居ないでしょう。
 
好きにやっていいし、見ないフリ、気がつかないフリしてあげるべきだし、余計なお節介で、再生ストーリーの登場人物に人を勝手に組み込もうとするほうが、絶対変だってことを、ちゃんと知っていくべきだと、2024年の今、私は思っています。
 
そういうシェルターとしてのネットに、
 
現実でお金の問題や外に出られない、
学校から逃げて帰ってこないとシャレにならない目に合わされてしまう子、お洒落どころではない子。
うまくいってたりいってなかったりする大人。
嫌な奴がデカい顔してる町から、いま金がなくて脱出できないで居る人。
病気だったり、いまは、がんばらない中の人。
ダルい人。その他色んな、なんとなくインターネットのほうがいいな、という人。
 
そういう人達が、ネットというシェルターで好きにしていていいし、
もっとインターネットのそういう役割りをちゃんと認識してもらえれば、
ネットでダラダラしながら(私ですね)、自分も含めて途中の人達のあれやこれやを、見ないフリ、気がつかないフリして、みなそれぞれが好きにしながら、
たまに良いカッコして、知ってること教えたり、教えてもらったりしながら、そういう風にも好きにして、色々なんだっていいし、
 
ネットのシェルターっていうのは、いつまでも好きにしてて本当にオッケーな場所で、
誰であっても、そのことに口出しするのは、
本当に余計なお世話なんだって事実を知っていたら、
 
思いつめて、
自分が逃げられる場所は、命を絶たないと行けない場所しかない、
なんてことになるのが、
ちょっとくらいは減るんじゃないでしょうか。
 
自殺大国日本なんていう、とんでもないランキング上位入りしている事実を知って、そんなことを考えていました。
 
 
 
 


 
ここまで読んでくださったら、大きく深呼吸して、
それから、ちょっと勢いつけて立ち上がって、
温かい飲み物を飲んで、
ガツンと来る食事を摂りましょう!
 

こちらは厚生労働省の、
思いつめている人、一人で悩んでいる人、
いま苦しんでいる人への専門ページです。
電話、SNSでの相談の方法、
何か手をかすことができないかという方へは、
ゲートキーパーとしての考え方を公開しています。


厚生労働省
まもろうよ こころ
https://www.mhlw.go.jp/mamorouyokokoro/
 
 
付記
ウソを書いても良いということに、すごく抵抗があると思いますし、 何か起こったとき、本当のことを書いても信じてもらえないのでは? という不安があると思います。
 
私は、ですが。本当のこと、事実を書く練習をさせていただいた上で、シェルターとしてのインターネットでの、発言、発信を考えたときに、
 
思えば、私は、その時々での、
本心をずっと書いていたんです。
 
フェイクかけますけど、とか前置いたり、明らかにウソとわかる書き方したりしながらも、本心を書いていたんです。
それは、思ったことを、角が立たないようにしながら、正直に書いていた、ということなんですね。
 
お世辞もわりと書いていたし、気を遣った書き方もけっこうしていて、プロの方々には思いっきりバレてて、こいつはウソを書くくせに、本当にウソが下手だな、と苦笑されていたりしたんです。きっとね。 
 
で、私個人の信用度合いがもしあるとして、それは私の、自分で言うけど、ユニークさと、本心の部分で、こういうの好き。こういうの買った。こういうの感動した。とか、こう思う。ダイレクトにこう思う。(前置きは当時も書いてたんですけどね)、それと本気で尊敬しているから、リスペクトが読む方が読めば、ちゃんとあったようなんです。(迷惑がかかるから書かないけど、私が知っているすごい人の判断。)
 
だから、
本心を書く。
思っていることを、正直に書く。
話題や話題の対象を、本気で尊敬している表現をする。
めんどくさいから、話の肝はわりかしホントのことばっかり。
 
記憶違いがあってもいい。
 
ぐらいでやっていれば、そんなウソつきとか言われないし、誰もそんなことを精査して読んだりしませんよね。
 
それだったら、言いたくないことは言わなくて良いし、暗い話をしたい気分だったら、家バレ、身バレ、学校バレ、会社バレしないで、なんとなくの話をしてもいい。
 
こういうやり方なら、けっこう、ゆったりやれますよね。
 
で、なにか本気で本当のことを書くときは、これは本当なんですけれど。と前置いてから、書けば、読んだ人の読解の出発は、「本人が本当だと言っている」から始まるけれど、世の中も実は玉石混交なので、ちゃんと読んでみて色々な情報をくれますよ。 
 
インターネットは基本、玉石混交だと思っていた方が良い、というのは2024年の私も同じようにまず前置いてから、色々なものに触れます。
 
そして必ず、読んだ内容を自分の中で整理して、これはエンタメとしてのものなのか、プロの方の署名記事に相当するものなのか、と判断しています。
 
あと私は、楽しく書くときは、イメージとしては、酒の席での話、という体(てい)を取る、んです。
 
-------
お酒が飲めない人は、そうなんだな、と思って流してくれていいし、だからといって無理にお酒を飲む必要はありません。
 
それとこれは若輩モノの恥ずかしながらの個人的な見解だけど、
 
お酒が飲めないのに、お酒の場所に行ったり、お酒の席に参加することは、
ジュースやお茶で酔っ払えるなら、懇親としての参加資格はあるけれど(あえての表現ですよ?)、
 
基本、飲めない人は、お酒の場に行ったりするのは、遠慮しましょう。
 
行くな、でもなく、行かない方がいい、というのでもなく、遠慮しましょう。 
 
おつまみや提供されるそちらの料理に興味があるなら、本気の時間が始まる前に行って、店主にすぐ実はこうで、と前置いて断って、オッケーが出るかどうかをまず訊くなりしましょう。
 
「お酒が飲めないのに来るのは、図々しい!」
という貼り紙を、私はネットで、ですが、本気の奴を見かけたことがあります。

それは、そんなことまで酒場の主(あるじ)に言わせて、貼り紙までさせてしまったことを、それぞれが(無理に連れて行く人、自分から行く人)反省することだと、私は思います。

お酒を飲む場所なんだから、お酒を飲む人が行くのが基本の場所に、飲めないですけど。って言って連れて行ったり、自ら行くっていうことは、お酒を飲む人がいるのが普通の場所で、気を遣わせてしまう、ということなんです。
サービスを提供する側に。
 
初めてのお酒練習のことを言ってるんじゃないです。
 
飲めないって分かってて、飲まない人が行くことを言っています。
やめましょう!
 
あとお酒が飲めない人を無理矢理誘うのも、お酒を断ってんのにしつこく勧めるのは、一番、やってはいけないこと、っていう基本ルールをもう一度、それぞれが見直しましょう!
------- 
 
 
その上で、お酒の席の話題。その場限りの話題。テキトーで色々変でも最後は全員で、ゲラゲラ笑って10分後にはなに話していたか忘れちゃうような、それくらいの軽い話題。
 
そういう体(てい)で書いてみると、だいぶラクかもしれません。
 
世の中っていうところと、社会インフラのネットでは、
ウソも嘘も、めんどくさいから、あまりつかない方が良い、っていうのが、私がなんとなーく思っていることです。 

その上で、ウソはついても良い、とも、なんとなーく思ってることです。
 
矛盾を持って、やってます。
そこは別に、どうにかしようとしていません。
苦しくなるだけだから。
 
好きにしていいんです。
素人だし、気楽に参加していい場所なんだから。
 
シャレになんないことは、ダメだけどね。

それくらいで私はいきたいし、それくらいでふんわりやってます。

だから、署名記事をとても尊敬しています。
 
 


こちらは厚生労働省の、
思いつめている人、一人で悩んでいる人、
いま苦しんでいる人への専門ページです。
 
電話、SNSでの相談の方法、
何か手をかすことができないかという方へは、
ゲートキーパーとしての考え方を公開しています。


厚生労働省
まもろうよ こころ
 
 
 
20240226 23:45 分かりにくい箇所を直し、付記をつけました。
20240227 10:31 中傷になりかねない部分を直しました。
20240228 23:09 厚生労働省の資料データソースととても必要なページのリンクを貼りました。



 
 
 
 
 
 
 
 

2024/02/25

写真が多い日曜版

 
 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
このごろちょっと真面目な内容が多く、写真も少なめでしたので、本来の日曜版のスタイルに戻り、ふんわりとした内容で写真を多く載せています。
 
 
 

今年のバレンタインデーは、福砂屋のカステラにしました。
オンラインストアがあって、どうしてもなんだかカステラが食べてみたかったので(バレンタインデーとは?)、パートナーの了解を得て注文しました。
各種決済はありますが、代引きも可能です。

福砂屋オンラインストア

私が頼んだのは、こちらです。
 
福砂屋オンラインストア様内
詰め合わせ 2本入 1号×2本 4536円
 
カステラとオランダケーキというココア・くるみ・レーズンの入ったしっとりしたチョコケーキにしました。
このオランダケーキをパートナーは大層気に入ったようで、美味しそうだな、と思って注文して良かったです。
 
福砂屋のカステラは、底面にザラメ糖が残っている、ええ、今みなさんが、ああ!アレ!と膝を打った、あの美味しいカステラです(笑)。
あのカステラが福砂屋のカステラなんですよ。
 
大昔は、一本をお好みの大きさに自分でカットするスタイルでしたが、現在はちょうどいい大きさにカットされたものが、一本として入っています。
オランダケーキも同様です。
 
また、ちょっと食べてみたい、好きだけど一本は食べきれるだろうか? という気持ちや、たくさんの人に配りたい場合のために、フクサヤキューブ という2切れ入りのかわいらしいキューブパッケージに入れられた商品があります。
 
店頭ではキューブひとつから、オンラインストアではキューブ二つから729円で販売されていますよ。
 
現在は、フクサヤキューブパッケージが春の櫻色になっていて、とても上品な季節感があります。
これから移動のご挨拶、ホワイトデー、お疲れ様の差し入れ等、とても小回りの効くお菓子ではないでしょうか。
 
興味のある方はぜひオンラインストアをご覧になってみてください。(回し者ではありません。)
 
 

こちらは東京旅行に持って行った、ダイソーで購入したお茶ポットです。
お住まいの地域によって、配送期間が違いますので、旅行に持って行きたいという非常に奇特な同好の士の方々は(笑)、余裕を持ってダイソーネットストアで注文してくださいね。

ダイソーネットストア

支払いはPayPay使えますよ。
 

今回の旅行では、ダイソーネットストアで靴ケースやプラスチック製のコーヒードリッパー(三角錐のアレ)、お茶パック、コスメボトル、シャンプーボトル、ふた付きの石けん受け、割り箸、電子レンジ対応の紙皿などがとても役に立ちました。
 
私は挽いていくよりホテルの部屋で豆を挽きたかったので、ミル(豆を挽く機械)は、アウトドア用の、ハンドルの取り外しが出来て、持ち運びに便利な金属製のものを持って行きました。
 
お茶はほうじ茶、カモミール、紅茶のリーフ茶葉を、普段使う分だけお茶パックに入れて、ジップロックのSサイズに別にリーフも入れて、あわせて持って行きました。
 
私は、ホテルってビジネスホテルがとても好きなんです。
理由は、小回りが効く機能と、疲れが取れるベッドが完備されているから。
リッチな旅行で、長期滞在するなら、ある程度広くて、プライベート空間に電子レンジや製氷機があると便利だけれど、ちょっと素っ気ないくらいで、部屋がひっそりとしてるほうが落ち着くんですね。
 
今回、ネットで安くて自分達の都合にあったお部屋を、飛行機と込みのセットで購入しましたが、本当に良かったです。
 
相鉄ホテルズ 公式サイト
 
チェックイン・アウトはタッチパネル で行い、不安な方はフロントにお願いすると、すぐそばに来てくださいます。
たまたま同じチェックイン時間だったビジネスマンの方が、すぐにフロントに向かって「教えていただけますか?」と声をかけられていましたので、わからなくても何も心配することはありません。
 
また、こちらはカード決済、PayPay等スマホ決済オンリーで、 現金を取り扱いません。
 
そうすることで、宿泊客の身元保証が確実である、という防犯の利点も大いにあります。
そして、部屋に向かうエレベーターは、部屋のカードキーをかざさないと、フロアに呼べないようになっています。
 
なので、一人旅、またはお友達とビジネスで旅行をする方は、 心配がかなり減るホテルです。

ちょっとブランクがありましたので、現在のビジネスホテルがどこもそうかどうかは分かりませんが、こういうスタイルの所を選ばれると安心ですよね。

私個人は、現金決済と両方が出来れば良いな、という考え方です。
暮らしのスタイルによって、カード決済ができない方がおられますので。
でも現在は、PayPay等、スマートホンの番号で個人確認が紐付けることで、カードを持たない方も、個人確認が取れ、現金だけでなくても決済ができるシステムがあります。
 
なので防犯という面で、このスタイルはとても安心ですので、ご紹介しました。
 
でも、旅先はお店によっては現金のところもたくさんありますし、いざというときはやっぱり現金ですので、現金は用意しておくのが一番いいと私は思います。
 
 

 
こちらはアマゾンの古書店から手に入れた、犬塚堯(いぬづか ぎょう)の詩集です。
 
詩もやはり好みですが、私は詳しくはないけれどアルチュール・ランボーも好きなので、犬塚堯の詩はとても心が震え、詩が胸に浸透していきます。
敬意を込めて、堯さん、と遠慮がちに心の中や部屋の中でお呼びしながら、一気には読めないので、ひとつひとつ大切に読んでいます。
 
 
古書店の利用は賛否両論ですが。
アマゾンの凄い点として、全国の古書店で、今では手に入らない本、入りにくい本が探せて、購入できる点です。
 
安いからという理由で買うときも私もありますが、古書店を利用する時は、現在、流通の表面に浮き上がってこない、隠れた名著、ささやかであっても支持されている本、そういった出会いや教示の場でもあるという認識で、利用しています。
そして、そこまで売れなかったけれど、好かれている本、ハッとさせられる本、偶然の果てに出会っていくといい本、そういうセレクトがあるのが、とても重要ですし、古書店の非常に優れている点だと思います。
 
こういう古書店がいいな、という好みもたくさんあるでしょうが、現実に古書店を訪ねるなら、私は、学生街の古書店を第一におすすめします。
 
分かっている人が来てもいい。
分からない人が来てもいい。
分かっているふりをしても嗤わない。
分かっていなくても嗤わない。
 
誰が来ても、騒がしくしたり、人のジャマをしたり、本を汚したり傷つけない人であるならば、本を選んで、迷ってもいい。
座り込んで読むだけ読まれるのはとても迷惑だけど、中を見て迷っていたって何も問題はない。
 
本の熱気にまかれて、古書店を出た後、なんだかお腹がすくので、近くにラーメン屋さんや喫茶店、カフェ、定食屋さんもたくさんある。
 
お財布と相談するのなんか当たり前の、学生街の古書店なら、無為な時間の中にある潤沢、を味わえるのではないでしょうか。
 
 
もう2月も終わりです。
今年は本来なら28日まであるはずの2月が、29日まである閏年なんだそうです。
 
よく不老長寿といいますが。
2月29日に生まれた人って、暦の上では、ある意味、不老長寿ですよね。
ひょっとして29日生まれの方の軽口から、不老不死なる考え方が出てきたんじゃないでしょうか。
 
ネットでも現実でも、古書店を巡って、気持ちの中の青年や若者を楽しませてみてはいかがでしょう。
お腹がすいたら、気取らないたっぷりの食事、大きなカップにドバドバと淹れたコーヒー・紅茶が、そんな午後には似合います。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2024/02/24

古い並木道の記憶


 



 
写真は、東京、日本橋からの一枚。


東京の空と言えば、ある世代から上の方々は、薄曇りの空をイメージされると思います。
 

実は、私が東京に行くといつも快晴です。
そしていつも暑いです。
なぜか分からないんですけれど、滞在時の数日はだいたい平年より高めの気温で、なぜこうなんだろう? と無表情になっています。
 

寒い日も普通の日もあるので、そういうもんなのかなとは思っているんですが、私は晴れ女なので、ここまで体質がお日様がダメなのに、いつも予定を立てるとカンカン照りなのは、一体どういうことかな・・・とこちらも無表情になっています。
 
東京は本当に櫻が多く、どの木もとても大切にされています。
街路樹がどこも立派なんですね。
 

植栽が若くても、ある程度の成長を見越してスペースをとられているので、植えられたばかりの街路樹を見かけて、一生懸命ここで大きくなってもそのうち切られちゃうのかな、という不安が一瞬胸をよぎることはありません。
 
あまり木を切りたくて切る人、その判断を下す人はそう居ないと思います。
 
こんなとこに木なんか植えやがって、この野郎、たたっ切ってやる!なんて人はあまり居ないでしょう。
 
木を切るという判断をする人って、

木を植える人イコール善良な人。

木を切る人イコール悪徳な人。

という先入観で不必要に悪人にされてしまうので、よく気の毒だな、と思っていますし、同じ気持ちの方も少なくないはずです。
 
昨今の木や森の存続についてひっそり思っているのは、もっと前の、切ろうかどうしようかの判断をすることを検討する段階で、どうして、この木を切らなければならないという意見が出てきたのか、その要因を公開してくれればな、と思っています。
 
そうすれば、仮に病気が原因として、
それは治療が可能かどうか、
どのくらいの予算がかかって寄付でまかなえるのか、とか、
枝が落ちる恐れがあるのであれば、
支えをつけるだけではダメなのか。
近隣に目の不自由な方や歩行にどうしても平坦な道が必要不可欠の方がおられて、その都合はつけられるのか、つけられないのか。
防犯であれば、その木があることで何が起こっていて、その対処は本当に伐採でしかできないのか。
小さな森であれば、全部切ってしまうより、周囲を柵で覆って、公開時間を設ければ、防犯に効果はあるのかどうか。
 
そんな、持ち寄ったアイデアが提供できることを開示していただければなと思っています。
 
いまこんな要因で、こういうことを考えている。
という情報公開に、すぐ飛びついて、反対反対、なにがなんでも反対!と騒ぐのは、良い方向に向かうこともダメにしてしまうので、それは正直、地域の木を大切にして長い間愛してきた人達にとって、とても迷惑なんですね。
 
前、私がひっそり暮らしていた地域では、とても古くて素晴らしい櫻並木があったんです。
 

地域の人と知っている人は知っている場所で、私も若者だったとき、酔っ払って歩いて帰る途中に、角を曲がったら突然、花びらを静かに散らす夜の櫻並木に出くわして、その幻想的な力強さと静謐さに息をのんだ記憶があります。
当時でとても古い立派な木達だったので、すべて老木だったんです。
 

結局、病気が治せないという理由で、苦渋の決断から小さな並木道はなくなりました。
誰も反対運動を起こさなかったところを見ると、みな、とても悲しかったけれど、ギリギリまで維持し大切にした上での決断だったことをご存じだったのでしょう。
 

やがてある日、珍しく回覧のビラがポストに入っていました。


そこには、どういった経緯で伐採が決定したのか、静かに記され、その地区の責任者の方、市の職員の方、住人のみなさんが悩んだ末の決定であったことが報告されていました。
そして、新しい櫻の木を植えますので、これからはその木を愛していきましょう。という言葉で、お知らせは締めくくられていました。
 
その文章は、伐採の決定までに非常に苦しまれたのだろうという、絞り出すような言葉で、静かに深く悲しまれているのが如実に伝わってくるものでした。
 
やがて、新しく植えられたのは、病気に弱いソメイヨシノではなく、違う種類の元気な櫻でした。


私は、その若木を見たときに、我々は二度とあのような惜別を経験したくないのだ、という、地域の人達と関わった人達全員の断固とした意思を知りました。


 
対話は、威力を知らしめることでもないし、自分達は怒らせたら怖い相手だから機嫌を取れと、思い知らせることではないんです。
 
ときにはすぐに声を上げなければならないとき、とにかく状況を回避せねば命に関わることもあります。
 
でも日常で姿を現す、私達の暮らしに関わることの多くに必要とされる、オフィシャルな対話は、まず感情的になってしまう口を閉じて、一体、いま自分の前にあるのは何か、を考えることから始まります。
 
そして物事は複雑であるのが常なのですから、まずはテーブルにつき、そこに座ったのならば、対話に参加する資格というマナーをそれぞれが自分に課してから、対話を試み、その場に来た全員が未来を望んでいるのだ、という信頼を持って対話を続けていくべきなんだと、私は考えます。
 
問題がある。
では、その先に向かうために、何をすべきなのか。
どうしたらいいか。何ができるのか。
 
 
意見は苦情では無いし、アイデアは不信ではありません。
 
並木道を守ろう、と言うのであれば、維持するため、そこをよけて新しいビルを建てるための特殊な工事の必要経費を、全員が出し合ってまかないあえるのかどうか。
そこまでちゃんと計算して、予算として提出できる、具体的な感覚がとても重要だと思います。
 
現実には、悪役は存在しません。
勧善懲悪も胸アツ展開もその演出も必要ありません。
 
現実と物語の区別をまずつけて、騒ぎ立てずに、大きな声を出して相手の意見を聞こえなくさせることばかりに気を取られずに、
対話という、複雑な物事に取り組む人達全員を助ける可能性をとても多く含むもの、の存在意義を再確認し、テーブルについて具体的な明日の話ができるように、もっとなると良いな、と思っています。
 
意見を出せなくとも、その環境を整えることは全員にできます。
 
私達は、もう大人になるべきです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2024/02/23

無意識の蔑視線 1

 

プラタナスの街路樹の木肌

 
普段、私は現実世界では主婦をやっています。
 
専業主婦と言い切ってしまうほどでは無く、みなさんご存じの通り、ずっと付き合っていくものと共存しながら、主婦をやり、お仕事があるときはお仕事をしてギャラをもらっています。
 
仕事は、いわゆるお家でできるデジタルな仕事で、それは職人技が要求されるときもあるし、ごく簡単な作業をサクサクやっていく仕事でもあります。
 
職人技の時は、 非常に厳しい上司となるパートナーにビシビシしごかれながら、でも親切に教えてもらっています。
そして、その技能は、実は、現実世界で過去の若者・青年期に手につけた技能です。
 
だから、誰でもできることも含まれるけれど、正直に言えば、それは誰でもできることではない特殊な技能を持っています。
でも、特A級ではないので、それなりの技能ですが、事実として、その技能は特殊な人にしかできないし、教えられないし、取得することが出来ないものを、ちょっとだけの才能と先天的な特性のおかげで、必要な時にその技能を基礎としたことをちょこちょこやっています。
 
でも、普段は、私は専業主婦ですし、人にお仕事は? と訊ねられたら「専業です。」と答えています。 
専業としては、たぶんC級です。料理はレシピを見ないとできないレベルですし、掃除もやるときはやるけれど上手ではきっとない。
部屋の中は片付いているほうが好きだけど、面倒なときは雑然としているのを後回しに出来ます。
洗濯は洗濯機でやっていますし、なんでもラクチンが好きです。
アイロンは一時期頑張っていたけど、もう面倒くさいし、とても大変だし、気楽にシャツを着る人間が、この苦労をちっとも理解せずに、ひょいひょい着て脱衣かごに放り込むので、数年前から、堅い職業の人と会わねばならない時だけ頑張り、あとは洗いざらしで手で伸ばして干して、干したハンガーをそのままクローゼットにしまうようにしています。
 
パートナーも心得たもので、このごろは皺になりにくいお洒落シャツを買ってくるようになり、ついこの間、私達はスチーマーを購入しました。 
 
休みは、だいたい月曜日に取るようにしています。
そして、私の専業主婦業には、パートナーから必要経費込みのギャラが支払われています。
支払われていますが、 あるときはあるし無いときは無い稼業ですので、妙な金の使い方を私が時々する理由はそれです。

お金はあるか、と言われたら、あんまりありません。
 
そういう暮らしをしているんですけれど。
私は専業主婦であることは、特になんとも思っていません。
良いとも思わないし、悪いとも思わない。
出来ることをやっているだけだし、得意なことをやれば良いんだし、それで一応、対価も得られているし、ちまちま貯金をして、ばっと必要なものをタイミングで購入して、家や部屋を整えています。
だから、療養期間中にすごく驚いたのは、いつの間に専業主婦はここまで下に見られ、蔑まれ、働いている人達、結婚していない女性達から、敵キャラ確定になってしまっているのだろう、ということでした。
 
その時期を経て、なんとも思っていないことは何も変わらないのに、人に言うのがすごく嫌になりました。
本当に嫌な思いをするからです。
 
なので、私が療養期間を経て、思っていることを淡々と書こうと思います。
 
先日も見たんですが、よく話し合いの場所で、専業主婦はヒマですよね?違うんですか?という話題を見かけます。
で、だいたいそうですよね。と微笑んで話は終わっています。
どの話も、本人達は忙しい忙しいと言っているけれど、仕事をしている自分たちのほうが忙しい。だからその人達はヒマなのにわかっていない。という微苦笑で終わっています。
 
私が思っているのは、この手の話題を現実でも最近ではネットでも見かけるようになって、もう二桁の数年が経過しているんですが。
 
何故、あなた達は、他の職業の人を、自分より忙しいハズは無い、という話題を一切しないんですか?
 
と思っています。
 
何故、たとえばあなたが営業さんだったら、CAさん(最近飛行機に乗りました)って忙しい忙しいって言ってるけど、私は家に帰ったら自炊をしているから私のほうが忙しいし時間もありません。あの人達は本当は忙しくないんですよ。
 
と言わないんでしょうか。
 
何故、CAさん(飛行機の中でとても良くしていただきました)って言っても、大変なのは最初だけで、慣れたらどうということもない職業だし、そうそう大きなアクシデントは起こらない日常なのに、どうして子供が大きくなって手がかからなくなった主婦のように、ヒマなハズだ。と言わないんでしょうか。
 
何故、この世界で最も忙しい職業の誰それさんは、あなた達にむかって、忙しいのよ。家に帰って一杯やるときがやっとの息抜きなの。と言っても良くて、毎日、壁から床から磨いて回って、一日中立ちっぱなしの生活をしているわけでもない、専業主婦が、自分のスケジューリングをして、夜の晩酌をしていたら、微苦笑を浮かべ、ヒマだろ? とパートナーに言われないといけないんでしょうか。
 
みなさんのお仕事は、誰か一人でも欠けたら、出勤出来なかったら、会社が倒産し、株価が大暴落するお仕事なんですか? 

あなたのお仕事は大したことがないですよね。それは世の中の人がみんな思っています。

と言わなければならない、専業主婦は、その蔑視線の対象となる役割まで果たしている仕事をしているだけでも、私は、大したものだと思うんですが。
そこはどう思われますか?

なぜ、他の職業の人を、自分より忙しいはずがないという前提はまず話題にしなくて、専業主婦は自分より明らかに忙しいはずが無いと定期的に話題にしないと、気が済まないんでしょうか?

それは、私見ながら、家事労働は仕事ではない。し、家事労働以外の仕事しか仕事と見なしていない。からですよね。
 
家事労働は、社会で働いていない人間が、仕方なしにやる仕事というより生活の行動であり、職業では無い。からですよね?
 
で、それは明確な給与が支払われているシステム上のお金が存在していないから、金を生む仕事ではない。という価値観なんですよね?
 
その是非は私は特になんとも思わないんです。
 
ただ、自覚をしていただきたいんです。
 
家事労働をしている人間には価値がないと、自分たちは積極的に考え、その職業をやっている人間を蔑視し、定期的に侮辱して憂さを晴らされていることを、自覚していただきたいんです。
 
すると、夫婦共働きなのに、なぜか家事労働に参加しようとしないパートナーの気持ちがはっきり明確になると思うんです。
 
それは労働では無いから、手伝う必要を見なさない。
 
子育ても同様でしょう。
 
それは労働では無いから、出産した人間が3年働けない時間は、負担でありこそすれ、肯定的に生活に組み込む、金銭を生み出す行動(労働)とは見なしていない。
 
だから、トラブルが発生し、最初は良くても・・・、とか、やってはくれてるけれど・・・、とか、ひょっとしたら双方が、これは仕事じゃないのに、やらされている、またはしなければならない。ことを抱えてしまっているのは、正直言って迷惑だ。と思っているし、余裕のあるときは出来るけれど、余裕のないときはできないかもしれない。が通用すると、当然思っているから、誰も子供を持とうとしないし、結婚して、家事労働という仕事をパートナーに課した上で、外に出て働いてもらうのは当然だけど、
 
どこかで、何か、こちらからはそれをお願いしてはいけないと思ってるから、
結婚しても働くのは当然ですよね。という価値観を持っている人としか、今後のことは話したく無いし、
 
ある日、どちらかが社会的に働けなくなるようになってしまったら困るから、 そのような人は近寄ってこないでください。

と喧伝したくて、その話題を繰り返して、ふるいにかけているんじゃないんでしょうか。
 
そう思われているのなら、それはそれでいいんだと思うんです。
でも、どうしてかそこを明言するのを結婚を前にしたときに遠慮するのは、これは仕事ではない、と思っていることが、それがないと回らない環境に、自分達が入ることを知っているからですよね?
 
それがないと回らないということは、社会では不可欠という価値観です。

その不可欠なものが、暮らしという環境の最小単位に確実に存在し、自分もそこに明らかに組み込まれているのに、なぜかそれは仕事ではない。金銭を生まない。と思っている自分の価値観が、なんだかおかしいけど、ずいぶんと色々と変な感じだけど、結婚をする前に話し合うのは、もっと別の大切なことがいっぱいあるから、話し合わないんですよね?

不思議ですね。

続きは、また気が向いた時に書きますね。

以上、無意識の蔑視線 1 でした。



20240223 23:05 誤表記部分を直しました。
20240223 23:18 誤字とわかりずらい部分を直しました。
20240223 23:32 わかりずらい部分を直しました。