休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2023/10/31

SATURDAY NIGHT ZOMBIES / 松任谷由実 (Yumi Matsutouya)


 
ハロウィンの今夜、聴く音楽に困っているのなら、
よろしければ。
 
 
 
 
SATURDAY NIGHT ZOMBIES / 松任谷由実 (Yumi Matsutouya)
 
アルバム 「ダイアモンドダストが消えぬまに」収録
 
作詞・作曲 松任谷由実 (Yumi Matsutouya)
編曲 松任谷正隆 (Masataka Matsutouya)
 
Spotify、Apple Music iTunesで配信、販売中。
 
この楽曲はまだ子供だった制服を着ていた頃の私に、とてもとても強い影響を与えた楽曲であり、この曲をエンディングテーマに使っていた土曜の夜のバラエティ番組のスペシャル放送で、日本中の視聴者達に、素晴らしい魔法をかけてみせた、私の中では、エポックメイキングであり、伝説の放送でもある、想い出の楽曲です。
 
子供の頃からなんとなく思っていた、
ドラキュラの仮装をする人は、
その時1番、格好良くて、
ハンサムで、いい男がやるものなのだ。
全くもって、それには大賛成!
という拍手喝采の証明をしてみせ、
いまだにその洗練が、私に強い影響を与えていることは、
ここだけの秘密です。
 
 
ハロウィンの夜をどうかお楽しみください。
 
仮装のままパーティから帰られる方は、くれぐれも気をつけて。
狼男が出るかもしれません。
 
その狼男が、皮ジャン姿のダンスがとても上手な男性であることを願いつつ。
 
20231031 エナメル
 
 
 
 
 
 
2022年10月29日 ハロウィンの夜に起こった、
韓国、梨泰院での痛ましい惨事に、
謹んで黙祷を捧げさせていただきます。
 
 
 
 
 
 
20231031 18:52 足りない箇所を追加しました。
 
 
 
 

2023/10/30

洋服と胸の大きさ


暴力を想起させる内容と言葉を含んでいます。

ご注意ください。

 
 
みなさんは、胸の大きさって気にされていますか?
 
私は、なんとなくの感じで、男性が思うほど、普段、女性は胸の大きさのことを気にしてはいないんじゃないか、と思っています。
 
むしろ、胸の形や服を着た時にバランス良く見えるかどうか、自分が思うオシャレな感じに洋服を着る場合に、胸が邪魔にならないかどうか、を重要視しているのではないでしょうか。
 
胸の大きさって、多分、女性の多くは、水着や下着になったときに、大きさではなくて、その年齢相応の成熟を表せるかどうか、を気にしているんじゃないでしょうか。
形が良いかどうか、バランスが良いかどうか、という、水着や下着を着た時に、やはりオシャレに、魅力的に見えるかどうかが重要であって、セックスの悩みや相手の好みで大きさを気にすることがあっても、そう大きさを重要視しないのではないでしょうか。
 
胸が大きいというのは、一般的にブラジャーのカップがEカップからその先の人をさしますし、小さい人のカップは、どのカップもほとんど該当しないのではないでしょうか。
 
理由は、ブラジャーのカップのサイズは、アンダーバスト(胸のすぐ下の胴回りのサイズ)とバストトップから胴回りを測った時のサイズの差で、ほとんど決まっていくものだからです。
 
だから、肉眼で見た場合、Aカップだとしても、アンダーとトップの差によれば、世の中でEカップサイズだと信じられているくらいの大きさの人もいて、Bカップであってもアンダーとの差がそうでもなければ、世の中ではAカップサイズの大きさの人もいるんですね。
 
私は、若い女の子をやっていた頃、ある日、ワコール社のトリンプのショップで、正確にバストサイズを測ってもらい、巨乳と呼ばれるほど大迫力ではないけれど、そのカップのサイズであれば、胸小さいね、と言われることはない、ということを知りました。
 
嫌な思い出なのでさらっと書きますが。
思春期の頃、胸のことで異性から、からかわれたことがあって、とても嫌な思いもしたし、胸を触る痴漢にもあったことがあるのに、小さな胸だから誰も信じてくれないかもしれない、と、結局誰にも言えなかったという、素敵な過去があります。
(言えそうもない相手、誰も被害に遭うと信じてもらえなさそうな、体格、年齢の相手を狙う痴漢というのは、たくさんいます。いくつになっても、気をつけていきましょう!)
 
だから私は胸が小さいのだ、と思い込んでいたし、からかわれても仕方がないんだと思っていたし、自分を評する失礼な人からは、もうちょっと胸が大きかったらいいのにね、と丁寧に親切に言われたこともあったんです。
 
でも、サイズをきちんと測ってみたら、違いました。
私は、小さいと信じられていたサイズではなかったんです。
 
何が言いたいのかというと。
世の中で信じられている胸の大きさは、ほとんどがイメージでしかない、ということを、
机をドンっ!と叩いて、主張したいわけです。
 
そして、明らかに胸が、ばいーん!と大きい相手以外に、胸のことを云々言う相手は、なにか別の、その人の脳内にしかない独自のバストイメージを持っていて、サイズがわかって言ってるわけではないんですね。
胸が大好きで、胸の大きさが最も重要。女の顔は全部自分には胸に見える。という人は、そんなファンタジーは、お金を払って専門店で遊ばせてもらうか、自分の部屋の中だけでやりましょう。
 
それと、私が知っている一般的な男性達は、胸の大きさという独立したファンタジーを持っている人は持っていても、
好きな相手の胸とは、同じ胸であっても、
そんじょそこらの胸とは胸が違うわボケ!
こちとら女神様の大事な大事なお胸様だってんだ!
たわけたこと抜かしやがると、その役に立たねぇ目ん玉引っこ抜いて銀紙詰め込むぞ、この野郎!表に出やがれ!簀巻きにして川に叩っこんでやる!
と静かに思っていますし、それとこれは断じて別モノである、ということを、よくわかっています。
 
つまり、男性諸氏が時々話すところでは話しているのは「付き合い」であって、「付き合い」以上でも「付き合い」以下でもない、ただの仕方がねぇから付き合ってやるかなバナシです。
 
本当のファンタジーは滅多に口にも態度にも出しませんので、「付き合い」というものがどういうことかわかっておらずに、俺のセックス自慢なんかしちゃって、相手の女の子の大事な秘密を、いっぱしの男だぜアピールに使っちゃうと、いろいろと不幸な目に遭いますし、そこまでしてアピールしなきゃいけない、必死な奴認定されるだけですので、やめておきましょう。
 
はーい、いいですかー?
ここは人生のテストに出まーす!
よーくよーく覚えておくなり、スクショ撮って保存しておくなりしましょー。
 
それとついでに言っておきますけれどもー?
誰ですかー?
電子白衣を都合のいい時だけ着る、テキトー極まりないオバチャン先生のエナメルを、うふーん、あっはーん、いやーんバカーン、ちょっとだけよーん♪なセクシーダイナマイツお色気ムンムン先生と勘違いして、ウワサやデマを信じ込んでいる脳内チェリボーイは?
 
そんな先生は、現実にもネットにも、どこにもいませんよー?
なりたがる人間もいませんよー?
そんな願望抱えてる人もいませんよー?
もっと現実見て、気をつけてくださーい。
 
さて、私の胸の話に戻ります。
なので、大きくもなければ小さくもない、大体のサイズの胸を抱えて、若い女の子をやっていた頃、やはり気をつけなければいけないことがたくさんありました。
 
例えば、私はビキニというのは、健康的に着たい派だったんですけれど、彼氏同伴で海に行った時に、灼いて健康的な感じにする前に、更衣室を出た時点で、「それは水着を見ているのではなくて、あなたは私を脳内でとんでもないことにしていますね?」
という男性にジロジロ見られてしまい、一日中ブルーだった経験があります。
おしゃれで可愛いビキニだったんですけれどね。
 
また、少しでも透ける素材を工夫して重ね着して、肩甲骨の下だけがうっすら肌が見えるシャツを着て、歩いていたら、後をつけてきたおじさんに「おい!」と言われて、胸を叩きながら触られて逃げられたり。
 
体格のいい少年に、エレベーターに滑り込んで乗って来られて、私が降りる階のボタンを押すのをじっと待ってるから、???と思いながら押すと、すぐ下の階を押されて、そいつが降りる直前に、急に抱きついてきて胸を散々もまれて、蹴飛ばして押しのけた後、持っていた缶入り飲料数本をダッシュで追いかけながら、そいつにガッツンガッツンぶつけて、なんだなんだ?と出てきた住人の人達に助けてもらったことなども、ありました。
少年だから許されると思ってるんですよねー?
 
どんなに気をつけていても、そうなわけです。
どんなに厚着していてもそうなわけです。
 
そしてですね。
服が好きならほとんどの人が知っていた、大人しめだけど、上品で、スッキリしていてお洒落で結構高くて、それを着ている人は少なくともちゃんとして見える服を、当時そのショップの店員さんと2人で汗かいて選んだ、綺麗な色のニットを着て、マーメイドフォルムの膝下5センチの厚手のタイトスカートに、膝までのロングブーツを合わせていても、
 
胸が大きく見える。→自慢にするポイントがそこしかない。→だから胸をアピールする服を着ているハズ。→お色気アピールをする女。→ミニスカートを履いて、体の線が出ている胸の開いた服を着ている。→いい歳して昔の自分が忘れられない可哀想な女。→ミニスカート履いてきた。→引きこもり気味の人間がショップを知ってるはずがない。→勝負服はいつまでもミニスカート→ミニスカート→お色気アピール勘違い。→ミニスカート。とにかくミニスカート。いい歳してミニスカート。
 
と、「ミニスカート胸がでっかい女先入観脳の人達」が一部で騒ぐもんだから、ものすっごい時間が経過しても巡り巡って、なんだかセクシーダイナマイツな誤解が蔓延し、色々な優しい気持ちで、あれこれ申し訳なくなるほど、優しくて親切なフォローまでしてもらうハメになっちゃうことも、この世の中にはあります。
 
もう着ないだろう服なので、身バレの恐れがないのでその服の話をします。
 
ちょうどファッションの世界では、日本で、ある程度の歳をとった女性が背中の開いた服を着る、という流れがありました。
その頃、私は実は、色々と大変な時期だったんですけれど。
気晴らしに、積み立てたお金で大好きなお化粧品を買うために、おしゃれをしていくことをやっていました。
 
なぜなら、私はそのショップが大好きだし、そのショップで働いている人達になんとかして敬意を表したかったからです。
たくさんリッチな買い物はできなかったし、私はいまでもそうですが、意思を伝えることはなんとかできるようになっても、会話上手ではありません。
だから、確か通販で、背中の上3/1だけを露出できる、カーキ色の膝下15センチから20センチくらいだったかのワンピースを来て、髪も整えて、お気に入りのピアスをして、そちらのショップに行って、細々とお金を使って帰ってきました。
 
行きも帰りもバスで、運転手さんは私をレディのように扱ってくれました。
シャネルのコスメショップで店員さんにお礼を言って、見送ってもらうときに、最後にこう言われました。
「また、おしゃれして、いつでも遊びにいらしてくださいね。」
私は、ああ、わかっている人達に向かってお洒落するのは、こうまでも人を救うのか、と家に帰って、鏡の前で1人でニヤニヤしていました。
 
ミニスカートをいつまで履いていいのか、という問い自体、私はよくわかりません。
履きたければいつでも履けばいいし、履きたくなければ履かなければいいだけです。
合わせるものに自信がなければ、いくらだってアイデアと工夫はできるし、わからなければファッション誌を見ればいいことです。
 
差別とは言いません。
ただし、それは偏見ですよね。
ネットでしか自己実現できない、現実では男っ気のない可哀想な人。
ネットの住人はファッション全然わからないはず。
ネットの住人は過去の良かった時を忘れられずにいるはず。
 
私にもきっと偏見はあります。
ものを知らない分、気がついていないところで、おかしな先入観を持っていることもたくさんあるでしょう。
ただ、どんな阿呆でも、自分に偏見というものが向けられたら、気がつくものなんですよ。
しかも、それが同性から向けられたものなら、なおさら。
 
それでなくても、嫉妬深い同性から目の敵にされやすい人生ですので、たいして美人でもないのに・・・、という枕詞は、同性からも、女性としか仲良くなれないストレートの男性からも、老若男女問わず、私は向けられてきました。
 
ただ、胸が大きめであるということで、一般的なその年代の女性には見えないということだけで、若く柔軟で新しい価値観と教育を受けているはずの子たちからは、「欲求不満」と言われたこともあります。
経験を積んでいるはずの女性達からは、「いい歳してミニスカート履いている」と、どこかで見たことがある言葉を吐かれて、もう20代と言ってもなぁ・・・、と遠慮したタイトスカート膝丈にロングブーツを合わせていたファッションを野次られたこともあります。
 
私はきっと、若い女の子というものをやっていた頃から、セクシーだったのでしょう。
そして、いくら歳をとっても、おとなしい格好をしても、ちょっと組み合わせのお洒落をしただけでギャアギャア言われるので、きっといつまで経ってもセクシーなのでしょうね。
この歳になっても、しゃがんで前屈みになると上から胸元を覗かれているような気がするほど、コンプレックスになってしまってるほど、私はセクシーなのでしょう。
 
面白いので、このまま、私が今のおばさんからおばあさんになるまで長生きできたとして、いつまでセクシーだと反感を買うのか試してみようと思い、最近、体型が変わりましたので、自分のレベルでわかる範囲の、お洒落だと思う服を着ています。
 
胸の開いた服は、確か、その時々のパートナーの前か、一緒の時しか、しかも相手がOKだというレベルでしか、着たことがないので、世の中の服のことなんかちっともわかっていない人が言う、想像上のセクシーとどれだけかけ離れても、どこまでもかけ離れても、セクシーと言われ、思われ、若さにしがみついている、と言われる原因は、相変わらずよくわかりませんが。
 
ちなみに、昨年まで私に執拗に絡んできて、とても迷惑だった、もう行かなくなった薬局の薬剤師さんは、お洒落をする元気が出てきて良かったと先生にほめてもらって、少しでも病状が改善しましたとアピールできるならと、あれこれ服を病院に行く日だけ選んで通っていた頃に、他の薬剤師がいない時に、私にこう囁きました。
「いつもいろんな格好してきてるけど、今日は暑いんじゃない?」
誤解されそうで言わなかったんですけれど、私の先生はパートナーには負けますが、なかなかハンサムで素敵な方です。
 
若い頃からお洒落をして仕事にいく私に、そちらの事務員さんもよく言ったものです。
「いつもいろんな格好して来てるじゃない」
 
だから、慣れています。
慣れるしかないじゃないですか。
こんな執拗で嫉妬深い、無関係な人間が着ている服ですら着火剤になる人達には。
 
私はノーマ・ジーンが好きです。
ノーマの作品はよく知らなくても、ノーマが苦しんでいたことを同性として、怒りを持って、絶対にノーマを消費はしないのだ、と心に決めて応援しています。
そして、ヘプバーンも好きですし、「ティファニーで朝食を」は以前書いたように、人生というものの哀しみを知るきっかけとなった、私のバイブルです。
 
よく女性を理解していると言う男性も、この2人をよく知っていると言いますよね。
そういう人達は、決して、女性に向かって胸の話はしないのではないでしょうか。
女性に向かって、一般社会の日常会話で、お酒の席で、
「胸大きいね」
ということは、どういうことを意味するのか、どれだけ気持ち悪いことなのか、胸が大きめであるというだけで、どんなに不愉快な日々を送っているのか、少しはおわかりいただけたでしょうか?
 
私は同性にも体をさわられるのを好みません。
私の胸に興味を示して、手を伸ばしてきた女性は皆、子供とたいして変わらない体つきをしている人たちばかりでしたよ?
うらやましくて、うらやましくて、自分にないものを他人が持ってることがどうしても許せないから、手を伸ばして胸を執拗に触ることで「からかい」、相手が自分からその胸を恥ずかしいとお思わせるやり方を、私は思春期の頃にやられました。
 
いまは同性からでも、それはセクハラである、と、この行為がいかに嫌らしくて巧妙でみっともないことか、社会に切り出されたようですね。よかったよかった。
 
胸のことだけでこれだけあるんですから、セクシーと決めつけられて来た人間が、お尻や太もも首筋髪の毛ではまだどれほどあるんでしょうね。
 
制服を着ていた頃、体育の女性の先生が、私のお尻を何回も触ってはニヤニヤ笑っているので、「どうして触るんですか?」と聞いたら、「だってお尻だけ目立ってるんだもん」と下卑た笑いを浮かべてモジモジしていたことがありました。
「やめてください」とは言えず、黙ってその場を離れた後も、その体育の女性の先生は、サバサバしている女性の先生は、子供とたいして変わらない体型のまま体だけ大きくなった、貧相な女の体育の女性の先生は、私のお尻を触り続けました。
 
ですが、ある日、ふと触らなくなりました。
「どうして触らないんですか?」と聞くと、ものすごく真面目な顔で、「触りたくないから」とか何とかモゴモゴ言って、私から離れ、2度と私の体に触らなくなりましたし、私のそばに気配を消して近寄ってこなくなりました。
 
誰かが注意をしたんでしょう。
それがなんであるのか、私には想像するしかありませんでしたが、何を言われたのか、この体育の女性の先生の態度で大体おわかりなりますよね?
それが誰であったのか、どこからのものであったのか。それもわかりませんし、その先生の名前も忘れてしまいました。非常勤だったのかもしれません。
(おそらくもう死んでるくらい、年が離れていたので、書いています。)
 
女の子の世界ですら、これだけあるのですから、大人になった女性の世界、美しい男の子の世界や、一般的に美しいとされていない魅力的な男の子の世界、大人の男性の世界でも、まだまだ水面下で知られていないことは、たくさんあると思います。
 
ちょっと言われただけで。
それくらいのことで。
そう言われるのが嫌で言わないまま来る人も、どう言っていいかわからないまま大人になる人も、たくさんいます。
 
私が、この手の女性に常に思ってることは、
精神的に未熟で時間が止まっていることでお馴染みの私が、常日頃から思っていることは、
「大人になりきれていない」
「大人になるきっかけがないまま図体だけデカくなってしまった」
「性的に成熟していく機会を自ら拒否して、尚且つそれを異常なまでに羨ましいと思い、他人の胸やお尻に無遠慮に手を伸ばすことを、抑えられない」
「少しでも、それは性的なアピールであると、その人が勝手に決めたことを、ことさらに騒ぎ立て、はずかしめなければ気が済まない」
そういう種類の人達だと考えていますし、私はよく知っています。
 
そして、そういう人達はどこにでも潜み、まさかそんなことをしないだろうという立場を利用して、抵抗しなさそうな相手を見つけ出し、抵抗できないことを知ってる相手を、巧妙に辱めるやり方をよく知っています。
 
男性が「ちょっと触っただけじゃない」と言うと、社会的に抹殺するまで烈火の如く怒り狂うのに、こういう種類の女性は相変わらず野放しになっています。

本当に気持ちが悪いですよね。
 
さ! 都合のいい電子の白衣を脱いだところで、
おばさんの私から、全世界の一般社会で「胸大きいね」と言ってやまない男性、女性達に、最後にこう申し上げて、この投稿を終わります。
 
 
「あなたは、ずいぶん小さいですね?」(にっこり)
 
 
 
 
以上、洋服と胸の大きさ、でした。
 
 
次の投稿は週末になります。
みなさん、素敵なハロウィンの夜をお過ごしください。
 
 
PSを消した理由は、事実であると、ひとつずつちゃんと書いていかないと、こういうものと付き合ってる人達と付き合っていない人達も、弱みや立場や持病につけ込まれて、巧妙な被害に遭ってる証言が、疑われてしまう恐れがあるからです。 
明るく〆ようと思ったんですが、重たい話のまま終わってごめんなさい。

 
 
 
 
 20231031 08:06 誤字をなおし文章を追加しました。
 

玄人(くろうと)は素人(しろうと)に本気にならないか


 
街の玄人(くろうと)さんとは別に、玄人さんと呼ばれる人達は、世の中にたくさんおられますね。
 
例えば、気持ちよくお酒を飲んでもらう為に働くプロの方、美味しい食べ物をこしらえるプロの方、文筆で志(こころざし)を持って食べていける方、音楽で暮らせるようになるどころか、いい音楽で世の中を整える方、演技という技術と才能で、人々と現世(うつしよ)を表現することで、人生を教えてくれる方々、芸で世界中をあっさりと幸せにし続けるヒーロー達と私が呼ぶ、芸人さん達、歌って踊るエンターテイメントでたくさんの人々を愛し、愛される方達。
 
その他、まだまだたくさんおられると思いますが、私はものを知らないので、いま思い浮かぶ玄人さん達は、そんな感じです。
 
さて、その玄人さんは素人(しろうと)に本気にならないか。
 
というと、まずみなさんの頭に思い浮かぶのは、恋愛だと思うんですけれども。
 
玄人さん達のご家族にも、一般人出身の方々はたくさんおられますし、街の玄人さん達もしかりです。
なので、ひとつ前の投稿で、街の玄人さん達が決して、素人には本気にならない。というのは、ちょっと厳しい書き方だったかもしれません。
 
ただし、そのどれもが、小説になったり、漫画になったり、映画にドラマになるということを考えれば、それは思うよりけっこうたくさんあるけれども、やはりよくある話ではない、ということではないでしょうか。
 
私にわかるのは、そのどれもが、決して並大抵のことではないだろうな、ということだけです。
 
ただでさえ、一般人と呼ばれる、たくさんの世の人達の中でも、パートナーと生き続けることや、家族をしっかり守っていくことは、とても難しいことだと、知られている通り、それは並大抵ではないですよね。
 
その上で、玄人さんと呼ばれる方々のパートナーさん達が、やはり、お仕事のことを理解し、その世界のことを理解し、また一般人出身のお相手のことを理解し、その方の日常を理解し合うというのは、とても大変な道のように私は思っています。
 
それでも出会ってしまうのだから、とてもそれは情熱的な、真剣なものだろうと、これは私の夢見がちな部分で、そう思います。
 
で、お前の結論的にはどうなの? 
玄人と素人はアリなの? ナシなの? 
お前が応援している人達は、たくさんのファン相手に、全員と結婚できるとでも思ってんの?
と言われる方向けに、私の記憶で申し訳ないんですが、そうでない人達より、少しだけ知っている界隈の話を書いてみます。
 
とあるコンサートで、歌に演技にYouTubeに大活躍中である、みなさんもお馴染みの亀梨和也さん(kazuya kamenashi)が、ファンのお一人からこう言われました。
「結婚してください。」
すると亀梨さんはこう答えました。
「その時が来たら、俺から言うから、それまで待ってて。」
 
私はこの話をニュースで知ったんですが。
すごい人だなと亀梨さんのことを遠くから応援している、ひっそりファンとして胸が熱くなりました。
 
そのファンの方は、たくさんのお客さんがいる中で、一生懸命、勇気を振り絞って、亀梨さんにプロポーズをしたんですね。
彼女がふざけていなかったことだけは、私にもわかります。
亀梨さんは、そのことをよくご存知だったと思うんです。
 
「ごめんね、結婚はできないんだ。」と答えるべきだったでしょうか。
「僕なんかかすむほどの、いい人を見つけてね。」と言うべきだったんでしょうか。
 
この野郎、騙しやがって、結婚できないじゃないか! と本気で思われますか?
 
私は、亀梨さんは、とても誠実だったと思っています。
ファンの方も、自分の気持ちにも、現実にも、自分が応援している世界で頑張っている亀梨さんへも、誠実だったと思っています。
 
本当に現実を見ていないのであれば、プロポーズは2人きりでやろうとしますし、直接関わろうとしますよね。
でも、そのファンの方は、そうはしなかったんです。
コンサート会場で、亀梨さんに何を伝えるかを考えたときに、自分の気持ちにも、現実にも、自分が応援している世界で頑張っている亀梨さんへも、誠実であることを選んだんです。
 
ファンというものは、そうすることを、そういう気持ちでいることを、亀梨さんは、とっくにご存知だったんじゃないでしょうか。
ご存知でなければ、この言葉は出てこないのではないでしょうか。
 
私が見つめ続けているこれが一体なんであるのか、正直言って、私にはわかりません。
 
わかりませんが、互いに誠実であり続けることを、互いが選び続ける関係というのは、私は、本気になる、本気にならないどころではない、最高のものであると思います。
 
 
星々は、地上にまたたく無数の、自分とは違う、まぶしい光達を、どんな風に見ているのでしょうか。
 
その答えも、このエピソードの中にあるような気が、私は、してやみません。
 
 
以上、玄人(くろうと)は素人(しろうと)に本気にならないか、でした。
 
 
 
 
20231030 19:13 間違いをなおしました。
20231030 20:09 誤解をまねきそうな所を修正しました。
20231030 20:58 文章をなおしました。
 

ワイワイやるのと暴徒化するのは、まったく違う


 
ハロウィンに便乗した目立ちがり屋さんな暴徒のおかげで、近年、日本でもハロウィンにかこつけた迷惑行動は、とても問題になっています。
 
近年、日本でもハロウィンにかこつけた迷惑行動は、とても問題になっています。(2回目)
 
なので、ハロウィンの夜は、日本の渋谷、または近隣地区に仮装して繰り出して、大騒ぎしてもいいらしい、という情報は間違いです。
どうか、ご自身の情報を更新してください。
 
どういう問題になっているのか、とか、街のお店の人たちが苦渋の決断をしてまで、ハロウィンの週末と当日は渋谷には来ないでください、とまで言ってる理由、ハロウィンの週末、当日は、警察が多数出動している理由は、GoogleChromeで日本のニュース記事をよーくよーくお読みになっていただいて、そんなことになっていたのか・・・、と唖然としていただけると嬉しいです。
 
ハロウィンと一般人ということで、今日はその話をします。
 
ハロウィンが一般人にとってどうだったのか、というと、
80年代ごろは、
本場のハロウィン文化圏に近しい人たちと、
本当の意味で早耳の人たち、
聴いている音楽でハロウィンがお馴染みの文化層の人たち、
それとお洒落な人たちの1部が、
元々は、
子供と付き添いの人達が仮装して、ほのぼのとお菓子をもらってひっそりと楽しむものである、
という輸入のされ方をしたハロウィンを、
大人でも楽しめるやり方として、
自分たちの交友関係の範囲で内輪(うちわ 仲間内のこと)でパーティを開き、馴染みのお店のジョーク好きの店主さんの協力をあおいで、お店がハロウィンをやるなら、その夜はそこで仮装して集まろう。
という、そういう遊び方だったと記憶しています。
 
私はそれを、こういうジョーク精神をみんなでワイワイやるの楽しそうだなぁ、うらやましいなぁ、大人になったら絶対ハロウィンやるんだあ、と心に決めておりました。
 
さて、90年代になってからは、はりきってやっていた私も含めて、一般人の中でも、やる人はやる、というものに変わっていきました。
そして、ハロウィンの夜は、にぎやかな街のあちこちで、ハロウィンパーティでのちょっとした仮装を披露しながら、家路につく人、もう一軒行く人などがいて、徐々に徐々に、「ああ、あれハロウィンかぁ」と見かけた人も、見かけられた人も、ほのぼのしていました。
 
そこへ、コスプレ文化の台頭ということがあって、これはよく知らないんですけれど。
ただの、「ハロウィンだしさ、ちょっとやってみようよ」という仮装や、実は美大系の出身だったんだ、と思わぬカミングアウトにつながりもする、えらく力の入った仮装までがわんさか溢れ始めて、街によっては、ハロウィン仮装コンテストなどが開かれ始め、それを見に行く人もちょっぴり血まみれになったり、ちょっぴり背中に羽を生やしたり、なんか魔女の煮えたぎった鍋まで持って駆けつける、という、フザケた世界になっていきました。
 
そこへ、いやいやコスプレというのはこうあるものです。どこまでも本気でやります。という文化層が流れ込んで、2000年ごろには、ハロウィンのことを知らない人はあまりいないし、仮装は、なんだったらやりますよ? 本気でやりますけどね? という感じになっていった、というのが、知ったか込みの、私のハロウィン仮装認識です。
 
いつ頃から、問題となってしまったのか、そもそもなぜに渋谷なのか、ということは、調べていません。
気になる方は検索してみてください。
 
で、現在のハロウィンというものは、一般人では、お店もハロウィンイベントをやるところはやるので、ハロウィンの週末や夜にちょっと行って楽しむのもあるし、相変わらず内輪だけの、安心して集まれる人限定の、小さなパーティで仮装をして集まるというのも続いているだろう中、
ただ怒鳴りたい、
ただ暴れたい、
ただ露出が激しい女子の体を舐めるように見たい、
ただ酔っ払ってゴミや汚物を店の前に撒き散らして、
お店にとって大事な大事な看板を引き倒し、
街の人達が大事にしている植栽を折り、
花壇にガンガン飛び込んで、その辺りのちっちゃい子たちが一生懸命植えて育ててる花々を踏みつけ、
 
ウッヒョー!ハロウィンハロウィン!
何やっても無礼講ーっ!
という、とんだ目立ちたがり屋さん達が、すさまじい勘違いをして暴れる、ということになっているそうですね。
 
これは私個人の価値観と考えなんですけれど。
 
大人の遊びであった、ジョーク精神でうまく楽しむ、というのはどこかへ置いてけぼりになってしまって、何をやってもいいと暴れたい人達が、ここぞとばかりに、うさを晴らす勘違いが横行しているのは、きっと普段から暴徒になりたいと思ってるからなんでしょうね。
 
そういう暴徒になりたい人というのは、普段はその街でも、自分の家の近所で飲んだりもしていない、街や町での遊び方も、やり方も、暗黙のルールも、何も知らない人なんでしょうね。
 
だから、ハロウィンだけでもなく、ミュージシャンのライブ会場で、歌う直前の壇上のミュージシャンにギリギリまで近づき、大声をいきなり出して脅かしても、野次を飛ばしても、目立てるからいいんだ、と思っているし、
 
露出をしている女性や女子のことも、男に見せたいからそういう格好をしているんだ、だから触ってもいいんだ、という、旧石器時代に滅びた、時代錯誤極まりない価値観で、イベントや記念日やお店の演出が、これはこの場限りですよ、現実の中のフィクションですよ、
というのが、
全くわからない、認識もできない、どこからも閉め出されるし、出禁を食らう、そういうなかなかに困った人達なんですよね。
 
私は、別に経験豊富でも、夜の街の顔役でも、名うての遊び人でもなんでもなかった、ただのひっそりやっていた者ですけれど。
そして失敗も多い、恥ずかしい人間ですけれど。
 
ルールがあるんですよ。
どこに行っても。
 
それは紙に書いて貼ってあるルールじゃなく、次第に体感で覚えていくルールなんです。
街にもルールはあるし、お店にもルールがある。女の子とデートする時にもルールはあるし、男の子と遊ぶにも、お酒を飲む内輪でもルールはある。
 
このルールは法律のルールとは違う、
マナーという言われ方をするものでもあるし、
決まりというものでもあるし、
連れを泣かせない、困った思いをさせない、危ない思いをさせないための、護身術でもあるんです。
 
それをわからない内は、最初は様子を見て、あまり目立とうとしないことですね。
 
そして、どの街も、アマチュアが遊んでいい範囲、ここからはプロが遊ぶ範囲というものがあります。
これは、どこの街でもです。
 
この場合のアマチュアというのは、素人(しろうと)です。
素人という言い方が気に入らなければ、一般人でもいいでしょう。普通の人でもいい。それは街という場所では、通常、全員素人です。
 
じゃあ、プロは? というと、
「なにもそんなつもりじゃあ」と言うときの、そんなつもりをやっている人達がプロです。
それでお金を稼ぐことができて、決して素人に本気にはならない世界で、その世界のルールに沿って生きている人達が、つまり、これを読んでいるあなた達が属さない人達が、プロであり、玄人(くろうと)さんと呼ばれる人達です。
 
誤解のないように書いておきますが、玄人さんも素人も法治国家の住人ですから、もちろん法律や治安というものの枠に入っていて、法やルールを遵守しているのは、当然です。
 
私が言っているのは、街のルール、場のルールのことです。
 
あなた達も、あるでしょう。
飲んでて、遊んでて、ヒヤッとしたこと、あ、ちょっとマズイなと思って道を引き返したり、早々にそのお店を出たりしたことが。
そして、それが、正しかったと、誰に教えてもらうわけでもなく、知っていることが。
 
私も見かけたことがあります。
玄人さんの中でも危ないとしか思わなかった人を。
明るい、普通の街中ででしたけれどね。
その人は、普通の格好をしていました。
普通の格好をしていて、ただのお兄さんに見えた。
でも確実に匂いが違った。
そのお兄さんはルールを破ったのであろう、イキがった若者に用があったようでした。
 
いまはもう私は街に詳しいような暮らしはしていませんし、できません。
けれど、街にはルールがあります。
その、みんなが楽しく、安全に、遊べるためにあるルールにちゃんと合わせて、自分に合った場所で、自分ができる範囲で遊ぶことです。
 
そして、なんとなく大人の街だな、と思うところには、ビギナーのうちは信用できる知っている人に連れて行ってもらうのが1番いいし、そうでなければ、ランチタイムにちょっとのぞいてみて、夜にまた行ってそこの雰囲気を怖いと思うかどうかで、自分に合っている街、エリアというのを探すのがいいんじゃないでしょうか。
 
少なくとも、本当にいっぱしの大人になるまでは。
 
そして、そういうところに無縁のままで来た人は、ああ、自分は「自分の分(ぶ)」というものをよくわかっていたんだな、と自信を持って、いい時間を過ごしていけばいいんじゃないでしょうか。
 
今日の投稿のしめくくりに、私のしょぼくれた経験を書きます。
 
大昔、若い女の子というものをやっていた時、私はよく1人でバーに行っていました。
 
初めてのお店に入る時は、いま考えると、
立地が危なくないか、
周辺のお店は怖い雰囲気じゃないか、
お店から出てすぐタクシーを呼べるか、
近くに普通の雰囲気の場所があるか。
そういうことをなんとなくではあっても、チェックして、入るお店を決めていました。
 
そして、中に入ったら、「1人ですが、いいですか? 」と必ず確認をとりました。
 
それから、必ず、カウンターに座りました。
1人だからお店に迷惑をかけてはいけないというものもあったし、テーブル席に座ると、待ちぼうけを喰らわされているみたいで恥ずかしい、というものもありましたしね。
 
あるお店で、同じことを言ってカウンターに座った時に、マスターがこう言いました。
「ウチは健康的な店だから大丈夫。常連もみんな誰か知っているから。」
その当時はなんのことを言われたのか、わかりませんでした。
でも、いいお店でした。
 
結局、そこのお店にはあまり行かなかったのだけれど、以来、私の中で、行きつけにするなら、こういうお店がいい、という基準ができました。
いまでもその基準を守っています。
それは、私が、自分が1人で飲む時のルールとなっています。
 
そして、不思議なことに、その頃、お酒を奢ってもらうことがあっても、必ず、マスターやバーテンダーから直接、作ってもらったお酒をいただいていました。
だから私は、チャージを取らないバーでは飲みません。
 
最初に出てきたお店のマスターが、一体、なんのことを言っていたのか、わかるでしょう?
 
いまはもっと警戒しないといけないお店では、そうみたいですね。
 
怖い目に遭ったら、遭いそうになったら、その場をすぐ離れること。
後日、しかるべき場所の、相談口に電話で相談してみること。
あなたにとんでもないことをした、またはしようとした相手が、誰の知り合いで、なんと名乗っていたか、どのお店にいたか、どういう感じの人だったか、それを伝えるだけでも、状況は少なくとも悪くはならないのではないでしょうか。
 
足腰立たなくなるまで酔っ払わないこと。
これは受け売りだけれど、
お店の選び方がわからない時は、ホテルのバーで飲むこと。
旅先では、ホテルのフロントが紹介してくれたお店で、最初は飲むこと。
もしもの時のタクシー代は、靴の中や下着に隠しておくこと。
肌見せファッションは、パートナーに特別感を与えてあげるためだけに、すること。
 
私のように、いっつも武装して飲んでると、女というものはスカートを履くもんだ、という変な説教される時がありますので、時々は、いつも行くお店にパートナー候補やパートナーを連れて行ってあげると喜んでくれるんじゃないですか。
百戦錬磨のお店の人達の意見も聞けますしね。
 
あとは、素敵な本や映画、知り合い、友人に聞いてみてください。
 
私なんかが偉そうに、すみません。
 
以上、ワイワイやるのと暴徒化するのは、まったく違う、でした。
 
 
 
 
 
 
 
 

2023/10/29

キャベツのアレ


 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
 
月末ということで、我が家もけっこう食費を切り詰めています(笑)
 
今月は特に、前から買おうと思っていたものを結構買ったので(全部通販)、切り詰められるものはガンガン切り詰めています。
 
食事は、わりと多めに設定しています。
 
理由は、私の思う、ちゃんとしたご飯を作り出してから、家族が風邪をひかなくなって生活の効率が良くなったんです。
私は、それでも以前はしょっちゅう風邪ひいてたり、体調不良ばっかりだったんですけれど、いまは落ち着いてきています。
なので、食で体調を整えていると言っても過言ではないので、食事は、安くても普通のご飯と言われるものを摂るようにしています。
 
そして、私のコンディションがダメな時は、遠慮せず出前を取ります。
特に、今月はすごく良くなかったので、ウーバーや出前館にとてもお世話になりました。
ありがとう! 出前を現代向けにに活性化させてくれた人!
 
これも何を重要視するか、なんですけれど。
 
私の場合は、無理をしてご飯を作り続けると、最終的には具合が悪くなってしまったり、悪化したり、原因がはっきりしない熱が続いて寝込むことがわかりきっているので、そうならないようにはどうすればいいかを考えて、できないときは無理をしないで出前に頼ることにしています。
 
これもお金をどこにかけるか、という、生活の効率を考えた時に、できない時用に出前の予算を普段から積み立てておいたもの プラス 多めに設定している食費から捻出します。
 
なので、月末になると切り詰めるといっても、食事や栄養摂取をおろそかにしない切り詰め方を目指しています。
 
そういうわけで、キャベツのアレの出番です。
 
これ、最初はネットでいいよ、という情報をどこかで見かけて、紹介されていたリンクとは別の、こっちの方が好きだな、というレシピが我が家の定番化になりました。
 
キャベツのアレ(我が家呼称)

斎藤成海先生によるレシピ
やみつきになるなる♪ 塩ダレキャベツ
 
リンク
DELISH KITCHEN様 内
やみつきになるなる♪ 塩ダレキャベツ
 
もうレシピを暗記して、と言いたいところですが、
やはりそうはいかず、レシピの分量と材料部分をスクショして写真に保存し、必要な時に見て作っています。
 
作る時は、毎週作っています!
キャベツ1個を頼んで(私はネットスーパー派です。)、それを大体半分ずつ使って作っています。
 
保存容器は、いまはガラスのスクエアタイプを使っています。
専用のフタがあるんですけれど、面倒なのでサランラップをかけて冷蔵庫で保存して、取り箸でお皿に取り分けて食べていますよ。
 
あらためて考えると、たぶん3食から2食、結局1日中食べています。
夜中にお腹が空いた時も食べてます。
だからあっという間になくなるんですよね。
 
副作用の過食とストレスの過食がなくなり、食べる量がすごく減ってきているんですが、それでも野菜は摂らないといけないので、こちらのレシピに勝手にセロリとかにんじんを追加して、ガンガン食べています。
 
とにかくキャベツばっかりです。
添え物も、単品としても、これを食べているので、体調はいいと思います。
 
それでも半年でだいぶ体重が落ちたので、疲れやすくなってて、この頃では歩くようにはしているんですけれど、習慣にはなかなかできていませんね。がんばらねば。
 
たまにはレタスも食べているんですけれど、キャベツだと使い勝手がいいし、このレシピは、私の中ではキャベツのナムル版だと思っているので、すごく箸が進みます。
 
キャベツが安い時にでも買って、よかったら試してみてください。
保存容器は、これは作り続けるな、と思われてから、用意するので十分だと思います。
 
 
さて、もうすぐハロウィンですね。
 
Googleでハロウィンと入力すると、イベントが始まるようになっていますね。 まだの方は、やってみてくださいね。
 
パーティ派の方は、ひょっとしたらこの週末、少し早めのパーティだったかもしれませんね。
仮装はうまくいきましたか?
 
私は、昨年の韓国での傷ましい事故を追悼して、今年はやめようか、と思っていたんですが。
 
10月31日当日は、ひっそりとハロウィンの生菓子をコンビニで買ったり、スーパーで買ったりして、夜はアダムス・ファミリー1992年版か、ナイトメア・ビフォア・クリスマスを観ようかな、なんて思っています。
どちらもアマプラで公開中です。(回し者ではありません)
 

 
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。
 
 
 
 
 
 
 

2023/10/28

脳内動画派


 
 
大昔にファンフィクションをやっていて、いまは長すぎるお休み中なので、あまり言うのも過去にすがっているみたいでやだったんですけれど、なんだったかとにかく話題に出したので、こういう種類の書き手もいる、という話をします。
 
いまはなんとお呼びすればいいのかわからないので、私も、自分のことを書き手とは言ってませんでしたが、便宜上、そう呼びます。
 
いろいろな書き手さん達がおられて、いろいろな手法があると思いますし、大昔の当時の段階で、本格的な方は、とても文学に精通しておられて、縦書き派、旧仮名遣い派の方、横書き派、文章推敲派、あまり手を加えず誤字脱字だけなおす派の方、私のように、誤字誤用だらけ脱字だらけで(それは眩しい画面を、当時直視し続けることができずにいたせいもありました。プリントアウトをして、というのは、コストがかかってしまうのでやりませんでした。)
笑われていた人間もいます。
 
その中で、当時読んでくださっていた方が気づかれていたように、私は、通常の文章の作り方をしていませんでした。
 
あの頃は、またイキっちゃって、と思われていたかな、とも思っていたんですけれど。
 
私は、音楽を聴いて、脳内に動画が映写されていて、それをひとつずつ文字に描写する、という作り方を基本的にやっていました。
今でもそうです。
 
だから最初から、登場人物が固定されているのがファンフィクションでしたが、その他の登場人物は、全部、脳内の動画に出てきたのを描写していました。
もちろん、肉付けはしますけれど、基本そうですし、登場人物にも、登場人物の名前にも、モデルはいません。
例外として、山口小夜子さんと、つみきみほさんは、登場人物の外見イメージとしてモデルにしました。
もちろん、こちらの方々をイメージモデルにした上で、裏設定モデルというのもありました。
 
登場人物の名前をつけるたび、私のニックネームを使ってくださったんですか? という感じで聞かれたり、思い込まれたりしていたので、私は徐々に、ありえない名前を使うようになっていきました。
主に物体の名前を使っていました。
また、誤解されそうな場合は、ちゃんと別のところで、違います、と言っていたので、そういったトラブルはありませんでした。
それに気が小さいので、絶対に、当時の私の狭い現実の行動範囲、インターネット上の行動範囲で、一ミリたりとも現実と被るような人物描写もしていませんし、も・もしかして? というようなメールをいただいたこともありません。
登場人物に自分の恨みを込めたり、悪意を込めるやり方があるのは、ずっと後になって知りました。
私はやったことがありません。
 
ここぞ、という時には、自分で気に入ってる響きの綺麗な名前を使ったりしていたんですけれど、それも当時すぐに、罪のない、書き手冥利に尽きることで嬉しかったですが、他の場所で使用されていたので、やはり物の名前に終始するのが、1番いいと考えていました。
 
また、作中に登場した、よくある名前、呼び名、の場合も、極力、現実で見聞きしたことが実際にあった、一般的であるものを使用していましたし、匿名性をアピールするために(いたんですよ、そういう登場人物が)、よくありすぎる名前を使ったりしていました。
こちらは超有名小説からのサンプリングでもありましたので、私はウインクとして、同じシチュエーションを出したつもりでもありました。
 
私の物語のスタイルは、ヒップホップミュージックのサンプリングと同じことを、言葉や有名な小説の小道具、有名すぎる物語の武器、セリフ、展開、構成(この場合は、中の物語は違うものにするというスタイル。骨格だけを同じにするスタイルをやりました。こちらの場合は、もちろん元ネタのセリフをそれとわかるように劇中にサンプリングしています。)、設定、
はたまた有名すぎる映画の展開に見せかけて、
「そうと見せかけて、じーつーはー、違いましたー!」
というどんでん返しの伏線をはっていたり、
(勘違いしてなければ、とある方には思いっきりバレていました。ものすごく嬉しかったです。)、
 
とても有名な音楽の中のストーリーを物語の一部分にはめ込むサンプリング、
すごく有名な1ジャンルを築いたプロの方の雰囲気だけをタイポグラフィー的にサンプリングする、
と、ありとあらゆるサンプリングを入れ込んで、気がつく人たちにウインクをしていました。
 
その手法というかスタイルは、私はコラージュというイメージでやっていました。
 
それは、尾崎翠の第七感界彷徨の創作手法で紹介されていた、一つの単純な型を紙に書いたあとビリビリに破いて、主軸となる物語にランダムにコラージュしていく、前衛小説の技法からヒントを得ました。
 
実際に紙に書いて破いて、ということはやりませんでしたが、最初に物語の大まかな構成を作りますので、それに合わせて、ここではこれを出そう、とあらかじめ決めているものもあれば、書いているその時に思いついたものをサンプリングできるなら入れ込んだり、いろいろでした。
 
それはパクリじゃないか、とか、ヒップホップのサンプリングはパクリではないから、お前なんかと一緒にするな! とか、いろいろ当時おっしゃりたい方はごまんといましたし、現在は公開していませんので、私が書いたファンフィクションは読めないんですが、私がいまこうして書いたものを読んでお怒りの方もおられると思います。
 
なので、それは盗用だろう! と言われたら、そう思われるのでしたら、申し訳ありませんでした。とお答えします。
 
私は、この20年間、新しい小説というものをほとんど読んできていませんので、私がやっていた、これからもやっていくだろう、このサンプリングスタイルが、もうすでに、珍しくもなんともないものかどうかすら、知りません。
 
なので、見当で書くしかありませんが。
音楽のヒップホップの方々が、それは自分達のやっていることとは違う。一緒にされちゃあ、困る!とおっしゃるのであれば、こちらも、ジャンルの手法名をお出しして申し訳ありません。とお答えします。
 
ですが、私は、このスタイルが好きなので、これからもやり続けます。
 
さらに言うと、私はイタいと当時から嘲笑されていた、楽曲の名前を物語につけるのを基本的にやるタイプでしたし、他のタイトルをつけても、最初に、この話のイメージソングはこれです、と言って、最後に裏イメージソングを発表したりして、イメージの答え合わせをやったりもしていました。
もちろん、楽曲のシチュエーション、歌詞はサンプリング済みです。
ちなみに、ご存知の方も多いと思いますが、いま頭に浮かばれた作家さんのスタイルをお洒落だと思い真似して、物語の名前に楽曲の名前をつけていました。
 
私は完結できない物語が多かったですが、どれも完結まで物語は作ってはいました。
ちょっと個人的な事情で実行できておりませんでしたし、物語は完結させてから、ということも、すごく言われていました。
時々は、暗い脳内映像を見続けるのに耐えられなくて、明るい物語を書いたりもしていました。
 
そういうポンコツの書き手でした。
 
そうは言っても、お前が書いているんだから、お前の考えが反映されているのが登場人物だろう、と言われても、音楽を聴いて出てきた映像のストーリーにその登場人物がもうすでに居て、それにファンフィクションとして現実の存在を当て書きしていたので、私としては違います、としか申し上げようがありません。
 
2011年以降、試しに実在の人物をモデルに書いてみましたけど、ちっとも筆が進まなかったですし、全然良くなかったしピンときませんでした。
それに私は、なんだか好きじゃありませんでした。
なので、これから先は、元のスタイルで、自分がいいと思うことをやるつもりです。
 
また物語に出てくるセリフも、ほとんどが日常会話でしたし、物語のテーマとして、最後に主題をセリフに出すことはありましたが、考えを発表したいのだったら、考えを文字に書いて発表すればいいのであって、物語は物語のことで、独自の軌道を描いて結末に向かう、としか私のレベルでは申し上げられません。
 
そして、私の書いていた物語の特色として、相反する価値観をセリフや描写に出し、どちらも間違ってもいないし、正しくもない、という現実にとてもよく似せた状況を出すことで、答えは一つどころか、あるかもしれないし、ないかもしれないし、そのどれもがはっきりしない中、登場人物がどこかへはたどり着く、というものが多かったと記憶しています。
 
私は、ファンフィクションで、エンタメをやっているつもりでしたし、娯楽をやっているつもりでした。
 
私がどんなつもりで、どんなテーマで物語を設定しようと、どのように読まれようとも、結局は、読んでくださる方が読まれた時点で、物語は読んだ方のものですので、自分はこう読んだ、が正解である、という考え方をしています。
 
なので、滅多にありませんでしたが、評論をしてくださるのはありがたかったですが、評論のつもりで実は自分の読書自慢に終始していただけのものを、当時、嫌なやり方で教えていただいたことがあったんですけれど、リアクションの仕様がないので、何とも言いようがない、というのが私の反応であり答えです。
 
じゃあそんなお前がパクリというのはなんだ?
と言われると、何も考えずに、ただ単にマルパクして、コピーペーストだけの動作しかせずに、コソコソこそこそやって、見つかったら慌てて消したりすることを、パクリと呼ぶと思っています。
 
異論反論があるとは思いますが、パクったのなら、パクりました!と堂々と言えばいいし、それが批判を込めてなのか、いいと思ってなのか、言い換えてこれはオマージュです、インスパイアです、ぐらい、ぬけぬけと言えばいいと思っています。
ネットにあげたんだから、胸を張って言えばいいと思います。
そして、そこから何が発生するのか、何を派生させることができるのか、を見続けるのであれば、これは私個人だけのことですが、パクリでもなんでもないという判断をします。
 
私は遊びでやっている、と当時よく言っていました。
そのことで眉をひそめられていたことを後で知りました。
 
「仕事じゃなくて、遊びなんだから、真面目にやれ!」
という有名な言葉があります。
私は、この言葉のことも後で知りましたが、私は、この価値観の通り、この遊びを自分なりに真面目にやっていました。
 
2023年のいま、昔、書いたものを読まれると恥ずかしいのは、調べ方がそれだけはどうしてもわからなくて、おかしな設定が一つあったのに、相談して、このまま進めた方がいいと言われたのを、そうかな? と思いながら流されて書き直さなかったことと、実力不足で稚拙だったことが恥ずかしいのであって、自分がやっていたことと読んでくださった方々が、面白い、と言ってくださっていたものを、恥ずかしいと思う気持ちは毛頭ございません。
 
その点だけでも、ちゃんと書いたほうがいいと思って、今回の投稿になりました。
 
以上、脳内動画派でした。