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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 

2024/01/05

眠れぬ夜に聴く音楽 4 プリンス&ザ・レボリューション 「Sometimes It Snows In April」 


 
 
 
 
 
 
 
「Sometimes It Snows In April」 
プリンス&ザ・レボリューション
  
 
夜ですから、ボリュームに気をつけて聴いてみてくださいね。
 
私と同じ種類の方々は、とりたててなんということもない内容が書かれている文字を目で追っていると、落ち着く傾向を持っています。
なので、私は、この後、5日間くらい、誰の心も刺激しない、こわくない、気持ちを動揺させない、普段の話題を音楽のご紹介と共に書きます。
 
更新は、夜の10時です。
なので、よかったら、しばらくの間、お付き合いください。
 
去年もご紹介した「Sometimes It Snows In April」 ですが、この楽曲を知って以来、私は、気持ちが疲れた時なんかによくかけています。
 
色々と素晴らしい訳があるんですが、私はシンプルに「4月には、ときどき雪が降る」という字面で気持ちの中にしまっています。
 
プリンスのオフィシャルサイトの解説によると、この「Sometimes It Snows In April」 は1977年ごろから未完成の曲として何年も存在していましたが、1985年に録音されたんだそうです。
(Google Chromeの日本語訳より)
 
参照リンク
プリンス オフィシャルサイト
PRINCEVAULT
https://princevault.com/index.php?title=Sometimes_It_Snows_In_April
 
 
元は、1986年プリンスの映画「アンダー・ザ・チェリー・ムーン」のサウンド・トラックだったんですけれど、ずっと昔から未完成の曲として存在していたということは、プリンスの巨大な人生の中で、こういった無常の中に愛が光る人生観があったのですから、プリンスというミュージシャンの多彩さと深み、凄み、のようなものを、この楽曲に私は強く感じます。
 
私が、「Sometimes It Snows In April」がとても好きな理由に、メロディラインからの連想に、全てが通り過ぎた後の静寂の中に陽だまりがただ、ある、午後早くのイメージがあるからです。
 
私の頭の中には、その午後早くに、雪が舞い散り、落ちるまでもなく消えていく、あせた陽だまりの情景があります。
花の季節に、場違いですらある祝福が、ただ力無く静かに降っている。
そんな、無常観すら感じさせる映像があるので、この曲がとても好きなんですね。
 
歌詞は素晴らしい訳がされていますので、ぜひ「Sometimes It Snows In April 和訳」で検索して読んでみてください。
 
2020年前後に、私はコンサートやライブで、ファンがアーティストと緒に合唱するシング・アロング(sing along)のことを知りました。
 
私は、それまで、ライブに行って好きな曲をアーティストがやってくれても、胸の中で緒に歌う、という感じで、外から見ると、ただ目を見開いて(怖いよ)、アーティストをガン見しているにとどめていたんですね。
 
ですが、2020年前後には、会場でファンとアーティストが一緒に大合唱する光景が当たり前になっていると知り、最初は驚いたんです。
行った人は、アーティストの歌を聴きたいだろうに、他の人の歌声が混ざって嫌じゃないのかな。私は、正直それはちょっと迷惑だな、と思いました。
 
私がライブに行く目的は、アーティストの演奏と生歌と生パフォーマンスを聴きに行き、感じに行くのであって、皆で緒に歌う一体感が欲しくて行ってるわけではないからです。
 
けれど、プリンスの「Sometimes It Snows In April」のとあるライブ動画を見て、少し、考えが「増えました。」
 
ライブに行く目的は、書いたように、聴きに行き、感じに行く、のは変わらないんですけれど、その楽曲への愛情を表現するのに緒に歌うのも、また、そのライブを感じることに変わりはない、と価値観が増えたんです。
 
なんかですね、以前、プリンスが、アコースティックギターでこの「Sometimes It Snows In April」を、小さなホールのようなところで演奏している動画を見たんですね。
そうしたら、そこでシンガロングが起こっていたんです。(※)
 
プリンスといえば世界的な大スーパースターですから、みんな、拝聴する、という姿勢なんだと思うんです。もっと能動的で応援する、声援を送る。そんな感じで。
 
でも、その動画では、この楽曲をアコースティックギターで弾き語るプリンスと一緒に、会場に集まった人たちが、ただ嬉しそうに緒に歌っているんです。
 
自分の歌声を聴いてほしいのではなく、プリンスと緒に歌いたいんですね。
観客への煽りでも、盛り上げるためでもなく、沸き起こったシンガロングに、ステージ上のプリンスは、すごく優しい顔で、そんな愛するファンの願いに応えている。
 
きっとプリンスも、
「僕も緒に歌いたいよ。みんなで緒に歌おうね。」
と思っていたんじゃないかな、なんて、私はすごく温かい気持ちになりました。
 
それでは、また明日の夜10時に、お会いしましょう。
 
 
※ その動画を、私はオフィシャルの動画かと勘違いしていたみたいで、どうも別の動画だったようです。確認の為、検索しても出て来ないんですよね。なんだったんだろう、あの動画。幸せな夢?←違うと思うよ。
 
 
 
20240106 09:09 誤字、文章をなおしました。
 
 
 
 

To チョン・ホソク 2024/ Junuary


 
J-HOPEさん、こんにちは。
なんだか、ものすごく久しぶりにお手紙を書きます。
 
年末、BTSの残りのメンバーの入隊の時のお写真を拝見しました。
キリッと逞しくなられてて誇らしいです。
 
私が育てているJ-HOPEさんの花は、やっと上部が枯れてくれて、これから下部の球根を次の開花季節まで保存する段階に入りました。
育て方自体は間違ってはいないのですが、合っているのかどうかが非常に謎です(笑)
 
私は、軍での階級? お立場? が上がっていくということをよく知りませんので、特急戦士が実際どのくらいの責務を背負うのかわかりません。
けれど、J-HOPEさんの顔つきが、さらに健康的で凛々しくなられていたので、きっと責任はあるけれどJ-HOPEさんは心地よく過ごされているのだと思っています。
 
厳しい季節が始まっていますので、どうかお身体くれぐれもご自愛ください。
 
と、ここまでが、私の書きたかったJ-HOPEさんへの手紙ですが。
迷ったのですが、今回、初めて、私の考えをお伝えしたいと思います。
 
去年の夏頃、J-HOPEさんはウィバースで、「僕は、チョン・ホソクとJ-HOPE、二つの名前を生きている」と書かれたことを覚えておられますか?
 
その時、ちょうど私は自分のネガティブな過去について明記した時だったので、なんだか自分に言われているような気がしました。
 
それを読んで私は、いつもJ-HOPEさんやみなさんに良い影響を受けていますので、自分と考えが違っても、まずはやってみようと思いました。
 
なので、それからしばらくは、私はエナメルというニックネームなのですけれど、商品を買ったり、お礼のコメント書いたり、そういうところでも、公開する時は、なるたけエナメルという名前を使っていました。
 
また、私は、もう何十年ぶりかに、今回、ニックネームを明らかにしたままの個人のブログを数年にわたって動かしているのですけれど、その間、実は、まったくインターネット上のコミュニケーションの場所に参加しておりませんでした。
理由は、追いかけ回されて、何か投稿するとすぐに秒速で私個人への返信がつくようになっていたからです。
なので、辟易して、全くやらなくなりました。
きっとそれが相手の目的だったのでしょうね。
 
2011年頃、ちょっと事情があってあまり記憶できていないのですが、ツイッターをクローズで動かしていましたが、特にオープンで何か書いていた記憶はありません。
またその時は、匿名というか名乗らず、ブログのような小さな場所で何か書いていたという記憶があります。
でも、なんでしたか、名乗っていたのかどうかもよく覚えていません。
 
話が逸れましたが、そういうわけで、私がコミュニケーションの場所に参加したのは、数十年ぶりにウィバースで、あちらでのニックネームだけでした。
あまりうまく参加できていなかったので、ほとんどARMYさんへの応援ボタンを押したり、うっすらコメントをしたり、時には、堂々と意見を戦わせたこともあります。
でも、ずっとウィバースでも同じひとつのニックネームを名乗り続けています。
昨年の後半は、個人的に色々ありすぎて、ウィバースに行くことも数回もなかったはずです。
 
実は、私はファンフィクションを趣味でやる人間なので、いまから半年近くは、何も情報を入れられない状態に入ります。
私はそういうスタイルで、物語を作ります。
なので、よほどのことがない限り、ウィバースをただ見ているだけであっても、行きません。
 
残念なのは、ARMYさん達の愛のポストが見られないこと、ARMYさん達のあたりまえな、とても尊い毎日の様子を綴る言葉が見られないのが、とてもとても残念です。
 
私は、J-HOPEさんの「僕は、チョン・ホソクとJ-HOPEの二つの名前を生きている」という言葉を拝見したとき、正直に申し上げると、私とは違うな、と思いました。
 
文豪を気取るわけではないのですが。
ファンフィクションを書く時も、ネットで日記のようなものを書く時も、何かコミュニケーションをとる場所でも、違うニックネームを名乗ることは、悪いことではないと、私は考えています。
 
それは、私の坂の上の雲というより、坂の上の宇宙の果ての存在の夏目漱石ですら、場所や歌を詠む時は、名前を変えていたからです。
 
なので、私は、自分の書くものに興味を持ってくださる方がもしおられたとしたら、ああ、ここではこの名前を使っていたのだな。ああ、これはあれのもじりだな。とか、そうやって、探していくのが面白いと思いました。
そういうのがインターネットの醍醐味だと思うんです。
 
私は、プロにはなれません。
仮に、この先、隕石が頭にぶつかって才能を得てプロになれたのなら、私はきっとそちらのルールに従うと思います。
それが、伝統であり、マナーですので。
 
でも、ネットでは、これでいいと思っています。
謎めきたい、というより、自分は、自分は、と主張するのが嫌いなんです。
なので、私はやはり、自分の考え通り、エナメルと名乗るのはここだけで、じきに公開するだろうファンフィクションでは、全く違う筆名を名乗る予定です。
 
文責のありかをどうするのか、といえば、その名前でも名前に専用のメールアドレスをリンクし、過去そうであったように、参考文献は全て明記し、これは日本の有名作家の真似ですが、参考文献の理解が及ばないのは、自分の責任である旨を明記する予定です。
 
ずっと離れていたので、現在のファンフィクションがどのようなものを指すのかわかりませんが、私の書くファンフィクションは、昔も、今も、ボーイズラブではない、ただの物語であり、メディア公開されている情報だけを頼りに創っていくものです。
それが1番、読んでくださる方が喜んでくださっていたので、これからもそうしようと思います。
 
読者の方を向いて書きなさい。
とは、雲の上で今もなお、名高座をかけておられる、敬愛する噺家さんの言葉です。
私は、今回もそうする予定です。
 
私の座右の銘は、「自分に従え」です。
これは、アドバイスや良い影響を無視しろというのではなく、最後は自分に従わなければならない。自分で決め、自分で実行する。その責務は全て自分の判断である。という言葉です。
昔、教えられたはずなんですが、誰に教わったのか、忘れてしまっているほど、私の就いていた職業では、当たり前に使われている言葉でした。
 
なので、もしJ-HOPEさんが、自分が大切にしている部分で、違う価値観を持つ相手は、違うと思う、というのであれば、それは仕方がないと思っています。
 
私は、良い影響を受ける相手であっても、相手の考えで、自分の全部を作り替えることはできません。
私は、私に従います。
 
それでは、またお手紙いたします。
 
無事のお帰りを待っています。
 
 
 
 

 

 

 
 
 

2024/01/04

眠れぬ夜に聴く音楽 3 イルカ 「なごり雪」


 
 
 
 
 
 
 
「なごり雪」
イルカ
作詞・作曲 伊勢正三
編曲 松任谷正隆
 
 
夜ですから、ボリュームに気をつけて聴いてみてくださいね。
 
私と同じ種類の方々は、とりたてて、なんということもない内容が書かれている文字を目で追っていると、落ち着く傾向を持っています。
なので、私は、この後、5日間くらい、誰の心も刺激しない、こわくない、気持ちを動揺させない、普段の話題を音楽のご紹介と共に書きます。
 
更新は、夜の10時です。
なので、よかったら、しばらくの間、お付き合いください。
 
 
 
・・・人間のシンガーです。←知ってます!
 
冗談はさておき、今夜は「なごり雪」にしました。
 
少し季節は早いけれど、「なごり雪」もまた、名曲として語り継がれ歌い継がれる楽曲です。
色々なカバーがきっとあると思うんですが、私はやはりイルカの歌唱が好きです。
 
いまもなお駅という場所で繰り返される、出会いと別れをただ静かに唄った楽曲は、伊勢正三の作詞作曲です。 
 
伊勢正三は、フォークグループかぐや姫の第二期メンバーですね。
(ウィキペディア かぐや姫 https://w.wiki/47v$ より)
 
実は、この楽曲、元はかぐや姫の楽曲だったんだそうです。
それをイルカがカバーして、大ヒットとなったんですね。
 
どうして大ヒットしたのかというと、これは私の「なごり雪」の解釈なんですけれど。
 
イルカが異性である男性としてこの楽曲を歌唱することで、誰もが知っていた、そして誰もがやがて知っていくことを知っている、記憶の中に存在する「僕」の気持ちが、なごり雪という楽曲で流れだしたから、ではないでしょうか。
 
この「なごり雪」という言葉は、伊勢正三氏の手による造語だったんだそうです。
 
やはり当時やいやい言われて、おかしな日本語を作るな、「名残の雪」にしてはどうか、という声があったそうなんですが、伊勢正三は頑として「の」を入れることを拒みました。
やがて2013年に日本気象協会が「なごり雪」という言葉を季節の言葉として選定したそうです。
伊勢正三はとても嬉しかったとコメントし、その時初めて、このようなことがあったことを明かしたそうです。
(ウィキペディア なごり雪 https://w.wiki/3Wp9 より)
 
なんとも勇気づけられる話です。
 
あの頃、というものを懐かしむ気持ちを、私は持ちません。
けれど、あの頃を愛おしく思う気持ちは否定できないと、この頃では思うようになりました。
 
ただ、いまを鋭く見つめる視点を持つのではなく、いまは、なにか非常につまらないものである、と思う気持ちは、変わりゆく世界を哀しむだけで、どこか少し違うようにも思っています。
 
私は、恋愛モチーフというものをよく物語でも、この日記のようなものでも度々出していますので、恋愛至上主義と言われているところでは、きっとそうではないでしょうか。
 
それは、1番、私にとって現実につながっていく体験のひとつであり、1番、共感を訴えやすい個人体験だからです。
そしてその情景から見つめる世界の形が、知らず知らず定点観測をしている自分と、世俗というものを1番、切り出していくからです。
 
私は、そういう部分では、どれほどテクノロジーが進もうと、スマートフォンで連絡がどんなに密に取れようと、
恋をし、愛を謳う人々の心の動きは、
すれ違いやその先にある安心、
やがて笑い話になっていく、数々のエピソードと呼ばれるものたちは、なにも変わらないと考えています。
 
そのひとつひとつによって、
天にも昇る気持ちになったり、
とても落ち込んでしまったり、
ちょっとだけ苦い気持ちだったのが、どうしてだか忘れられなかったりする、
そんなありとあらゆることが、どんな時代であっても、相変わらずなのだと思っています。
 
黒電話からプッシュホンになり、
携帯電話からスマートフォンになっていっても、
新しさへ進み続ける日常の中で、
それをどう使うか、どう握りしめるか、の根底にあるものは、1切変わりません。
 
そのささやかさ、
その取り立てて、なんでもないところから始まっていく、
気持ちの交流や大切さ、くだらなさ、寂しさ、嬉しさ、
人々が生きるの世の姿は、
等しく、偉大であり、尊い。
 
なので、些末な例えで恐縮ですが、
時が経ち、偶然ネットに居続ける、私の考えの動きも、少しずつ変わっていく部分と変わらない部分があります。
 
そのたったひとつの個人としても、
いくつもの自分の中の変化と変わらなさを
静かに明滅させながら、
「なごり雪」で描かれる、ある別れを ふと物思う、そういう沈黙の夜を、大切にしています。
 
 
それでは、また明日の夜10時に、お会いしましょう。
 
 
 
開ききった バラ ブラウンシュガー 正面から


 20240103 23:18 文章をいくつかなおしました。
 
 
 
 
 
 
 

2024/01/03

眠れぬ夜に聴く音楽 2 サザンオールスターズ 「いとしのエリー」


 
 
 
 
 
 
「いとしのエリー」
サザンオールスターズ
 
 
夜ですから、ボリュームに気をつけて聴いてみてくださいね。
 
私と同じ種類の方々は、とりたててなんということもない内容が書かれている文字を目で追っていると、落ち着く傾向を持っています。
なので、私は、この後、6日間くらい、誰の心も刺激しない、こわくない、気持ちを動揺させない、普段の話題を音楽のご紹介と共に書きます。
 
更新は、夜の10時です。
なので、よかったら、しばらくの間、お付き合いください。
 
今夜のご飯は、私はビーフ・シチューを予定しています。
飲み物は相変わらず、コーヒーか紅茶です。
カフェインが苦手な方は、あと眠りたいなという方は、カモミール・ティー、ホットミルクにブランデーかラム酒を3滴ほどで試してみてください。
 
それと、脳の栄養素で、とても必要なセロトニンというものがあるんですけれど。
これが少なくなると脳の状態が良くなくなるんですね。
気持ちが落ち込みやすくなったり、ストレスがかかっている状態が回復しにくくなる、という解釈を私はしているんですけれど。
 
実は、それを補強するのがバナナなんだそうです。
 
いま、少し検索してみたんですけれど、私が知っている食べ方が紹介されていなかったので、話半分で読んでいだければと思いますが。
 
炭水化物を摂った後、バナナを食べると、その組み合わせで、よりセロトニンが増える、ということを聞いて、パートナーは実行して効果があるようです。
私も、ちょっと気持ちが落ち込み気味の時は、同じ組み合わせで食べて気持ちが安定しているような感じです。
 
そうでなくとも、バナナ自体がセロトニンが豊富ですので、こういう時は、バナナを意識して食べてみるのもいいのではないでしょうか。
 
詳しく知りたい方は、必ず検索して、ご自分にあうな、というちゃんとした情報を読んで、決めてくださいね。
 
さて、「いとしのエリー」です。
 
数あるサザンオールスターズの名曲の中で、ミドル世代から上の方は、知らない人はおられないのではないでしょうか。
これから初めて聴くという方々も、1聴すれば、なぜこの「ただのラブソング」がこれほどまでにずっと心に残り続けるのか、おわかりになると思います。
 
なんとレイ・チャールズもカバーしてくださっているという、愛聴者達にとっては自慢でもある1曲です。
また名作ドラマ「ふぞろいの林檎たち」で使用されていて、爆発的人気を誇りました。
 
私はよく普遍性という言葉を使いますが、この「いとしのエリー」というラブソングには、それがあると思います。
 
現在の情報を私は持っていないので、情報が古いですが、楽曲を作られている桑田佳祐さんは、なんと楽譜が読めなかったそうなんです。
けれど、「いとしのエリー」を始め、数々の楽曲を創り出していってますので、大変な天才なんですよね。
 
この「いとしのエリー」は、本当にただのラブソングなんですね。
わかっていることは、エリーという方に捧げられたラブソングということだけです。
 
不思議なんですけれど、私は、この曲を聴くたび、まるで自分がエリーであるかのように思うんです。
そして、私に想いを寄せてくれた誰かが、この「いとしのエリー」を歌ってくれているような気がするんです。
多くの方々はそうなのではないでしょうか。
 
エリーではないのに、自分への想いのように聴いてしまう。
エリーではなかったのに、自分の想いを捧げてしまう。
 
通りで、駅で、ラジオから流れてくる1瞬で、晴れた日に、雨の夜に、曇り空に、喫茶店で、定食屋さんで、バーのカウンターで、誰もが「いとしのエリー」を耳にした瞬間、エリーではない誰かを想い、ふと優しい目になって、苦い痛みと共に切なさが胸をよぎります。
 
それがどうしてなのかは、決して解けなくていい謎のように私は思うんですが、みなさんはどうですか?
 
まるで誰もが恋愛をしてしまう不思議、みたいに。
 
それでは、また明日の夜10時に、お会いしましょう。
 
 
開ききった バラ ブラウンシュガー


 
 
 
 
 
 

2024/01/02

眠れぬ夜に聴く音楽 1 遊佐未森 「僕の森」


 
 
 
 
 
 
 
 
「僕の森」
遊佐未森(ゆさ みもり)
 
 
夜ですから、ボリュームに気をつけて聴いてみてくださいね。
 
私はですね、実は特技がありまして。
関係ない話が得意、という、わけのわからない特技があるんです。
 
それで、私と同じ種類の方々は、とりたててなんということもない内容が書かれている文字を目で追っていると、落ち着く傾向を持っています。
なので、私は、この後、1週間くらい、誰の心も刺激しない、こわくない、気持ちを動揺させない、普段の話題を音楽のご紹介と共に書きます。
 
更新は、夜の10時です。
なので、よかったら、しばらくの間、お付き合いください。
 
 
ご飯は食べられましたか?
私は、これを書いた後、お雑煮の残りを温めて、それと、毎年お正月恒例のケンタッキー・フライドチキンです。
ウーバーイーツで頼みました。
 
あとですね、現在、ダウンタウンの「はまちゃん」こと浜田さんが宣伝しておられる出前館も使って色々選んで、ご飯が入らなくても、少しでもいいから試してみてください。
 
無理はいけませんが、何か食べて体を中からも外からも温めるといいですよね。
 
飲み物は、ホットミルクとかカモミール・ティーとかのカフェインが入っていないのもいいですし、少しだけならコーヒーや紅茶に牛乳を入れて、あるなら、ブランデー、ラム酒を3滴ほど入れてみてください。
じんわり、頬が温かく、薔薇色になるはずです。
 
音楽の話をしますね。
 
この楽曲、遊佐未森さんの「僕の森」という曲なんですけれど、お聴きのとおり、非常に詩が美しくて、私は大好きな楽曲です。
 
勘のいい方はお気付きだと思いますが、この楽曲で歌われている「森」とは、実は、街の中に1本だけある木のことです。
私は、その情景を街路樹だと思っていたんですけれど、「僕の森」が収録されているアルバム「ハルモニオデオン」のジャケットには、丘の上の大木が1本、描かれています。
なので、きっと作詞の工藤順子のイメージはこっちだったんでしょうね。
私は、楽曲を聴いて頭の中に浮かんだ、街の中にある1本きりの街路樹というイメージが好きなので、なんと! 自分のベランダに造った小さな庭に、木を1本植えています。
なんの木かは、内緒です(笑)。
 
「僕の森」の歌詞の中で、好きな箇所は、
 
<アスファルトに影を落とす
君の枝の下で
空と土の声を聴くよ
瞼 閉じて
 
静かに息をするだけでふたり
いちばん小さな輪廻の宇宙>
 
<夕日ひとつ窓に乗せた
バスが走り抜ける
僕は君の鼓動聴くよ
幹にもたれ
 
生まれる前に見た夢と同じ
いちばん確かな命の記憶>
 
(僕の森 / 作詞 工藤順子 作曲 遊佐未森 より)
クレジット参照 ウィキペディア ハルモニオデオン 
https://w.wiki/8hfY
 
歌詞提供Musixmatch 様
https://www.musixmatch.com/ja
 
実際はですね、幹にもたれると、季節や時間帯によっては幹に蟻などがいたりして、色々と大変なので、(←大変だった人) あまりやらないほうがいいと思います。(なぜ歌詞世界をぶち壊す?)
 
みなさんは、輪廻(りんね)をどのように捉えていますか?
輪廻とは、ご存知のように、生まれ変わり、前世の記憶を持っていても、いなくても、縁のある相手にめぐりあう、という話だと、私は解釈しているんですけれど。
 
私は、それまで全く輪廻という価値観を持っていなかったんです。
ただ昨年、少し考えるところがあり、私の考えでは、どこかまったく違う世界で、約束を交わした相手にはめぐり逢えるのではないだろうか、と思っています。
 
この歌詞では、そこに一緒にいる、僕の、酸素を吸い、二酸化炭素を吐き出す呼吸と、樹木の、二酸化炭素を吸い、空気を吐き出す呼吸が、お互い循環し合う様が、
 
<静かに息をするだけでふたり
いちばん小さな輪廻の宇宙>
 
(僕の森 / 作詞 工藤順子 作曲 遊佐未森 より)
歌詞提供Musixmatch 様
https://www.musixmatch.com/ja
 
で表現されています。
 
イメージを限定してしまって申し訳ないんですけれど、
木と自分の呼吸の循環を、「輪廻の宇宙」としたセンテンスがどうして私は好きなのかな、と考えると。
 
多分、このセンテンスから私に向かって放たれるイメージの、あてどもない漠寂という広さ、という寂しさが好きなのだと思います。
その寂しさの質感が、夜、カーテンを少し開けた先に見える、無数の部屋の灯りを見た時の、心強さという寂しさに似ているからだと考えています。
 
告白すると、私は寂しさというものが友達です。
誰といても、それはいつも私の傍にあります。
そして、それはそんなに悪いことではないことを、私は知っています。
 
私はいま、モニターの前に座ってこの文章を打っています。
それをインターネットに公開し、みなさんがいまこれを読んで下さっています。
みなさんのパソコンや手持ちのスマートフォン、携帯電話の画面の向こうに、みなさんの確かな時間と世界があります。
 
なんだかとても奇妙ではありますが、これも、ひとつの循環ですし、沈黙の交流です。
 
言われてみれば、輪廻、というイメージにも似ていますね。
 
それでは、また明日の夜10時に、お会いしましょう。