「なごり雪」
イルカ
イルカ
作詞・作曲 伊勢正三
編曲 松任谷正隆
編曲 松任谷正隆
夜ですから、ボリュームに気をつけて聴いてみてくださいね。
私と同じ種類の方々は、とりたてて、なんということもない内容が書かれている文字を目で追っていると、落ち着く傾向を持っています。
なので、私は、この後、5日間くらい、誰の心も刺激しない、こわくない、気持ちを動揺させない、普段の話題を音楽のご紹介と共に書きます。
更新は、夜の10時です。
なので、よかったら、しばらくの間、お付き合いください。
私と同じ種類の方々は、とりたてて、なんということもない内容が書かれている文字を目で追っていると、落ち着く傾向を持っています。
なので、私は、この後、5日間くらい、誰の心も刺激しない、こわくない、気持ちを動揺させない、普段の話題を音楽のご紹介と共に書きます。
更新は、夜の10時です。
なので、よかったら、しばらくの間、お付き合いください。
・・・人間のシンガーです。←知ってます!
冗談はさておき、今夜は「なごり雪」にしました。
少し季節は早いけれど、「なごり雪」もまた、名曲として語り継がれ歌い継がれる楽曲です。
色々なカバーがきっとあると思うんですが、私はやはりイルカの歌唱が好きです。
いまもなお駅という場所で繰り返される、出会いと別れをただ静かに唄った楽曲は、伊勢正三の作詞作曲です。
伊勢正三は、フォークグループかぐや姫の第二期メンバーですね。
(ウィキペディア かぐや姫 https://w.wiki/47v$ より)
実は、この楽曲、元はかぐや姫の楽曲だったんだそうです。
それをイルカがカバーして、大ヒットとなったんですね。
どうして大ヒットしたのかというと、これは私の「なごり雪」の解釈なんですけれど。
(ウィキペディア かぐや姫 https://w.wiki/47v$ より)
実は、この楽曲、元はかぐや姫の楽曲だったんだそうです。
それをイルカがカバーして、大ヒットとなったんですね。
どうして大ヒットしたのかというと、これは私の「なごり雪」の解釈なんですけれど。
イルカが異性である男性としてこの楽曲を歌唱することで、誰もが知っていた、そして誰もがやがて知っていくことを知っている、記憶の中に存在する「僕」の気持ちが、なごり雪という楽曲で流れだしたから、ではないでしょうか。
この「なごり雪」という言葉は、伊勢正三氏の手による造語だったんだそうです。
やはり当時やいやい言われて、おかしな日本語を作るな、「名残の雪」にしてはどうか、という声があったそうなんですが、伊勢正三は頑として「の」を入れることを拒みました。
やがて2013年に日本気象協会が「なごり雪」という言葉を季節の言葉として選定したそうです。
伊勢正三はとても嬉しかったとコメントし、その時初めて、このようなことがあったことを明かしたそうです。
(ウィキペディア なごり雪 https://w.wiki/3Wp9 より)
なんとも勇気づけられる話です。
あの頃、というものを懐かしむ気持ちを、私は持ちません。
けれど、あの頃を愛おしく思う気持ちは否定できないと、この頃では思うようになりました。
この「なごり雪」という言葉は、伊勢正三氏の手による造語だったんだそうです。
やはり当時やいやい言われて、おかしな日本語を作るな、「名残の雪」にしてはどうか、という声があったそうなんですが、伊勢正三は頑として「の」を入れることを拒みました。
やがて2013年に日本気象協会が「なごり雪」という言葉を季節の言葉として選定したそうです。
伊勢正三はとても嬉しかったとコメントし、その時初めて、このようなことがあったことを明かしたそうです。
(ウィキペディア なごり雪 https://w.wiki/3Wp9 より)
なんとも勇気づけられる話です。
あの頃、というものを懐かしむ気持ちを、私は持ちません。
けれど、あの頃を愛おしく思う気持ちは否定できないと、この頃では思うようになりました。
ただ、いまを鋭く見つめる視点を持つのではなく、いまは、なにか非常につまらないものである、と思う気持ちは、変わりゆく世界を哀しむだけで、どこか少し違うようにも思っています。
私は、恋愛モチーフというものをよく物語でも、この日記のようなものでも度々出していますので、恋愛至上主義と言われているところでは、きっとそうではないでしょうか。
それは、1番、私にとって現実につながっていく体験のひとつであり、1番、共感を訴えやすい個人体験だからです。
そしてその情景から見つめる世界の形が、知らず知らず定点観測をしている自分と、世俗というものを1番、切り出していくからです。
私は、そういう部分では、どれほどテクノロジーが進もうと、スマートフォンで連絡がどんなに密に取れようと、
そしてその情景から見つめる世界の形が、知らず知らず定点観測をしている自分と、世俗というものを1番、切り出していくからです。
私は、そういう部分では、どれほどテクノロジーが進もうと、スマートフォンで連絡がどんなに密に取れようと、
恋をし、愛を謳う人々の心の動きは、
すれ違いやその先にある安心、
やがて笑い話になっていく、数々のエピソードと呼ばれるものたちは、なにも変わらないと考えています。
そのひとつひとつによって、
天にも昇る気持ちになったり、
とても落ち込んでしまったり、
ちょっとだけ苦い気持ちだったのが、どうしてだか忘れられなかったりする、
そんなありとあらゆることが、どんな時代であっても、相変わらずなのだと思っています。
黒電話からプッシュホンになり、
黒電話からプッシュホンになり、
携帯電話からスマートフォンになっていっても、
新しさへ進み続ける日常の中で、
それをどう使うか、どう握りしめるか、の根底にあるものは、1切変わりません。
そのささやかさ、
その取り立てて、なんでもないところから始まっていく、
気持ちの交流や大切さ、くだらなさ、寂しさ、嬉しさ、
人々が生きるの世の姿は、
等しく、偉大であり、尊い。
なので、些末な例えで恐縮ですが、
なので、些末な例えで恐縮ですが、
時が経ち、偶然ネットに居続ける、私の考えの動きも、少しずつ変わっていく部分と変わらない部分があります。
そのたったひとつの個人としても、
いくつもの自分の中の変化と変わらなさを
静かに明滅させながら、
「なごり雪」で描かれる、ある別れを ふと物思う、そういう沈黙の夜を、大切にしています。
それでは、また明日の夜10時に、お会いしましょう。
20240103 23:18 文章をいくつかなおしました。
それでは、また明日の夜10時に、お会いしましょう。
開ききった バラ ブラウンシュガー 正面から |
20240103 23:18 文章をいくつかなおしました。