休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2024/01/02

眠れぬ夜に聴く音楽 1 遊佐未森 「僕の森」


 
 
 
 
 
 
 
 
「僕の森」
遊佐未森(ゆさ みもり)
 
 
夜ですから、ボリュームに気をつけて聴いてみてくださいね。
 
私はですね、実は特技がありまして。
関係ない話が得意、という、わけのわからない特技があるんです。
 
それで、私と同じ種類の方々は、とりたててなんということもない内容が書かれている文字を目で追っていると、落ち着く傾向を持っています。
なので、私は、この後、1週間くらい、誰の心も刺激しない、こわくない、気持ちを動揺させない、普段の話題を音楽のご紹介と共に書きます。
 
更新は、夜の10時です。
なので、よかったら、しばらくの間、お付き合いください。
 
 
ご飯は食べられましたか?
私は、これを書いた後、お雑煮の残りを温めて、それと、毎年お正月恒例のケンタッキー・フライドチキンです。
ウーバーイーツで頼みました。
 
あとですね、現在、ダウンタウンの「はまちゃん」こと浜田さんが宣伝しておられる出前館も使って色々選んで、ご飯が入らなくても、少しでもいいから試してみてください。
 
無理はいけませんが、何か食べて体を中からも外からも温めるといいですよね。
 
飲み物は、ホットミルクとかカモミール・ティーとかのカフェインが入っていないのもいいですし、少しだけならコーヒーや紅茶に牛乳を入れて、あるなら、ブランデー、ラム酒を3滴ほど入れてみてください。
じんわり、頬が温かく、薔薇色になるはずです。
 
音楽の話をしますね。
 
この楽曲、遊佐未森さんの「僕の森」という曲なんですけれど、お聴きのとおり、非常に詩が美しくて、私は大好きな楽曲です。
 
勘のいい方はお気付きだと思いますが、この楽曲で歌われている「森」とは、実は、街の中に1本だけある木のことです。
私は、その情景を街路樹だと思っていたんですけれど、「僕の森」が収録されているアルバム「ハルモニオデオン」のジャケットには、丘の上の大木が1本、描かれています。
なので、きっと作詞の工藤順子のイメージはこっちだったんでしょうね。
私は、楽曲を聴いて頭の中に浮かんだ、街の中にある1本きりの街路樹というイメージが好きなので、なんと! 自分のベランダに造った小さな庭に、木を1本植えています。
なんの木かは、内緒です(笑)。
 
「僕の森」の歌詞の中で、好きな箇所は、
 
<アスファルトに影を落とす
君の枝の下で
空と土の声を聴くよ
瞼 閉じて
 
静かに息をするだけでふたり
いちばん小さな輪廻の宇宙>
 
<夕日ひとつ窓に乗せた
バスが走り抜ける
僕は君の鼓動聴くよ
幹にもたれ
 
生まれる前に見た夢と同じ
いちばん確かな命の記憶>
 
(僕の森 / 作詞 工藤順子 作曲 遊佐未森 より)
クレジット参照 ウィキペディア ハルモニオデオン 
https://w.wiki/8hfY
 
歌詞提供Musixmatch 様
https://www.musixmatch.com/ja
 
実際はですね、幹にもたれると、季節や時間帯によっては幹に蟻などがいたりして、色々と大変なので、(←大変だった人) あまりやらないほうがいいと思います。(なぜ歌詞世界をぶち壊す?)
 
みなさんは、輪廻(りんね)をどのように捉えていますか?
輪廻とは、ご存知のように、生まれ変わり、前世の記憶を持っていても、いなくても、縁のある相手にめぐりあう、という話だと、私は解釈しているんですけれど。
 
私は、それまで全く輪廻という価値観を持っていなかったんです。
ただ昨年、少し考えるところがあり、私の考えでは、どこかまったく違う世界で、約束を交わした相手にはめぐり逢えるのではないだろうか、と思っています。
 
この歌詞では、そこに一緒にいる、僕の、酸素を吸い、二酸化炭素を吐き出す呼吸と、樹木の、二酸化炭素を吸い、空気を吐き出す呼吸が、お互い循環し合う様が、
 
<静かに息をするだけでふたり
いちばん小さな輪廻の宇宙>
 
(僕の森 / 作詞 工藤順子 作曲 遊佐未森 より)
歌詞提供Musixmatch 様
https://www.musixmatch.com/ja
 
で表現されています。
 
イメージを限定してしまって申し訳ないんですけれど、
木と自分の呼吸の循環を、「輪廻の宇宙」としたセンテンスがどうして私は好きなのかな、と考えると。
 
多分、このセンテンスから私に向かって放たれるイメージの、あてどもない漠寂という広さ、という寂しさが好きなのだと思います。
その寂しさの質感が、夜、カーテンを少し開けた先に見える、無数の部屋の灯りを見た時の、心強さという寂しさに似ているからだと考えています。
 
告白すると、私は寂しさというものが友達です。
誰といても、それはいつも私の傍にあります。
そして、それはそんなに悪いことではないことを、私は知っています。
 
私はいま、モニターの前に座ってこの文章を打っています。
それをインターネットに公開し、みなさんがいまこれを読んで下さっています。
みなさんのパソコンや手持ちのスマートフォン、携帯電話の画面の向こうに、みなさんの確かな時間と世界があります。
 
なんだかとても奇妙ではありますが、これも、ひとつの循環ですし、沈黙の交流です。
 
言われてみれば、輪廻、というイメージにも似ていますね。
 
それでは、また明日の夜10時に、お会いしましょう。