休刊 キム・ソクジン



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休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2024/10/20

夜中にこしらえるもの

ブラントンブラック(バーボンウイスキー)のロックとガトーショコラ


 
日曜日なので穏やかな内容を書いています。
 
週末の真夜中に、私はときどきテレビをぼんやり見るのが好きでした。
 
音量は大体ゼロにして、映像を部屋の中で流す時間が今にして思えば、ずいぶん頭の中を休めるのに役立っていました。
 
別に一生懸命何か憂慮しているのでもなく、気がつくと日々の中で考えや思うことで頭の中が一杯になってしまって、頭の中が凝っている体感があるんですね。
肩こりの頭版みたいな感じ。
 
どこかに出かける体力も気力もそう無く、お金も無く、スーパーやコンビニに行ってもそんなに楽しくないし映画もそういう感じでもないとき、私は部屋の中でじっと、音を消した映像を見つづけ、脳に何も考えなくていいものを取り込んで、取り込んだ端から忘れるようにしていました。
 
そういう「良いとされるもの」を全然したくないほど疲れているときに、こうしたらいいよ? とか、こうすると便利ですよ? とかいうことを聞きたくないんですね。
むしろ、じっとしていながらも頭(心も)の中にあるものを水のように通り抜けさせ続けていたかった時間は、おそらく漂泊と呼ばれる無為の状況で、それが自分にとってとても大切だったと考えています。
 
よく私はぼんやりする時間がとても好きだと書いている気がしますが、たぶんその時間も根底にあるのは漂泊です。
本当に漂泊してしまうと、日々から完全に離脱していってしまうのでお薦めはしませんが(笑)。
結局アドバイスや気遣いとは無縁のところで偶然受け取ったものが、そんな状態の自分を穏やかに照らし、身体が緊張しない、オーダーメイドの服のように静かな明るさを纏わせてくれました。
 
その時テレビでやっていたのは「ジェイミー・オリバー」というイギリスの若者が小さめの部屋が暮らす日々を写す、「ネイキッド・シェフ」という番組です。

ネイキッドというのは、汚れたという意味で、汚れたシェフという番組タイトルです。
フィクションドキュメンタリーのようなものでした。
 
画面の中で、ぼんやりみている私と同じく、だいたい真夜中に呑んで帰った後の若者ジェイミーが、あんまり片付いていない小さなキッチンで何かしら作って食べて、また次の回でも別のメニューをパッと作って食べて終わり、という番組らしい、ということに映像だけ眺めている途中で気付き、???とボリュームを上げたのがその番組を知ったきっかけです。
 
とにかくジェイミーはそんなにお金が無く、キッチンでシェフの1人として仲間と働き、安い場所で呑んで部屋に戻り、デカいチェコレートをキッチン台の端でたたき割ってほっとミルクに入れてレンチンして、はい出来上がり!とそれを帰りにちょっとジェイミーの部屋に寄った2人とか3人の友人に振る舞って、自分も飲んでいました。
 
時にはまだ付き合い途中の綺麗でゴージャスな彼女のために、見映えがいいけれどそんなにお金をかけなくても良い料理を作って、これから楽しいひとときを過ごすから、じゃあね、で番組が終わったりしていました。
 
私は、ジェイミーの暮らしぶりに、すごくしなやかさを感じていました。
 
こういうのどこかで見たことがあるな、と思っていたら、なんだこれは普段の自分の暮らしぶりだし、他の人の日常だし、そんなに元気じゃなくてもいいし、楽しげにして人を意識しなくてもいいし、単にジェイミーは好きでやってるだけで、番組を見ているあなたもこうやって暮らすと色々なことが今より倍楽しくなるよ、とかいちいち促さないし、やらない私に罪悪感を感じさせないし、料理は簡単だし、見ていて全然プレッシャーを感じなかったんですね。
 
多分、こうしたらいいよ、と言わなかったからこそ、私が真似したいと思うところだけ真似して気楽だったんだと思います。
 
後にジェイミー・オリバーは番組の成功によって、ありとあらゆる正しさを背負わされてしまい、とても立派な人にならなくてはいけなくなって、あの少し暗めの映像の中で、気楽で、自分のことだけと、周りの皆に軽く親切にしながら、普通に楽しくしていたジェイミーが体現していた当時のロンドンの若者の暮らし、が観れなくなったことが寂しいです。
 
私は、或る種類の、正しさや善良さやほっこりさや明るすぎるものや明確になってばかりのことを、促されたり誘われたり、そうは言ってもこれも結局めでたしめでたし、という結末ばかりの異様なハッピーさにクタクタになります。
 
かといってダークなものは嫌だし落ち込むし、人が不幸に向かい転落していく結末に連れ込まれ、強烈な怖れの感情を抱くものに触れると、それを興奮にすり替えてしまう人間のただの防御反応を、娯楽性のある快楽と決めつけてるやり方も、嫌だな、と思う気持ちで後々部屋の中でため息にまみれます。
 
あれ、私ってこんなに潔癖だったっけ? と一瞬不安になり、こういうものをうまく受け取れない自分を反省させられるのも、すごく嫌いで、なんでこんなに隙あらば入り込もうとしてくんのかな? と首を傾げていました。
 
どうしてこういうのの前提って、教えてあげなきゃいけない。なんだろう。
どうしてこんなにこっちをバカだと思ってるんだろう。
どうしてこんなに自分で見つけられないと思ってるんだろう。
どうしてこんなに私が私の勝手で決められないと思ってるんだろう。
 
そういうものに出会うたび、最初からすごく距離を感じています。
 
この「アドバイス野郎達」って何なんだろうな? という気持ちは今でも如実にあって、「大きな親切事故」に遭うたび、いつも無表情な私の内心は、「・・・・。」を点灯してから、さっさと忘れるようにしています。
 
「どうしたもんかな、こりゃ・・・」
は私の心の中ナンバーワンの口癖なんですが、そういう「チーム・当たり屋"親切"」に出会ったときは、よかったらお使いください。
 
同じ気持ちの人は私を含めものすごくたくさんいます。
日曜版をお読みくださっているみなさんは、そんな私にとっくにお気づきでしょうから、大丈夫です!とさわやかに皆さんに親指を立てたり、フレミングのジェスチャーをして、今日の日曜版を終わります。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。
 
 
 

 
 
<そういうコンテンツじゃありません(笑)。 頭の中を休ませる無為なものを読んでひと休みしてもらう為に、ふんわりしたものやほんわり明るいものを書いているんです。
それを好きに取りたいなら取ってくださり、読み流したいならそうしてくださっているので、それでいいんです。ちゃんと味方がいますよ。と時にお伝えする程度です。これが私がやっているリレーなんです。
勝手に気の毒がって、私やひっそり好きに読んで下さっているみなさんの背中に手を回しに来ないでください。
大きなお世話だよ(笑)>