休刊 キム・ソクジン



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休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2024/12/31

年末年始休暇のお知らせ

 

 


 

 

close  2021/12/31  ー  2022/01/08 

 

 よいお年をお迎えください。

 

 

 

 

 

2024/12/29

The Rover

  
日曜日なので穏やかな内容を書いています。
 
 
あじフライ定食を食べている隣の席で、ゴージャスな若い女性二人がわいわいやっていました。
 
私は自分のビールとあじフライ定食とただぼさーっとしていたい時間だったので、ぼんやりとわいわいしている夜のお店を楽しんでいました。
 
なんとなく、お隣の席から、そのピンクトルマリンちゃんが楽しそうにお話ししている声をとぎれとぎれにキャッチしながら、いい子なんだな、と明るく穏やかな気持ちになっていました。
一緒にいるアールヌーボーちゃんは主に聞き役で、とても二人一緒にいる時間を楽しんでいました。

そのお店は思ったより広くて、全員ただ食事をしている所で女の子率が高い、そういうお店だったので、私は徐々にリラックスしていくのに、そう時間はかかりませんでした。
先に頼んだビールを飲んで、ただ一人きりになってお店の週末の夜の中を漂っていました。

ふとピンクトルマリンちゃんの口調が変わったことに気がついて、ジロジロ顔を向けるわけにもいかず、ぼんやりと「どうしたのかな?」と思っていました。
あじフライ定食はお味噌汁と冷や奴とフライは2枚、添え合わせの千切りは最近の風潮で多めで、あじフライ定食にちゃんとウスターソースが一緒に置かれたので、ああ、お腹空いた、と私は食べていました。

だんだんピンクトルマリンちゃんの口調が少し早くなり、
「いいな、アールヌーボーちゃんはいいな。」
と言い始めました。
アールヌーボーちゃんはただ黙っていました。
???と思い始め、どうしたんだろう? と少し隣の会話に集中すると、ピンクトルマリンちゃんはアールヌーボーちゃんが綺麗でうらやましいと繰り返し言っていました。

二人の雰囲気は、ちゃんと友人同士のルールを守っている”ほんわか”だったので、おそらく友人同士のルールをはみ出した後の、修正のご飯ではないのはわかりました。
どうしてだろう? と思いながら、あじフライのソースをさらに追加して左手のご飯を口に運んでいたら、二人はそろそろという感じで、ちゃんとお会計はテーブルで互いの分をアールヌーボーちゃんにキャリアで渡していました。

立ち上がると、やっぱりゴージャスな二人で、目の端だけでも「いいな」と思う二人だったんですが、なぜか立ち上がってもピンクトルマリンちゃんがあまりにもアールヌーボーちゃんをうらやましがるので、私はそっと顔をあげてピンクトルマリンちゃんを見上げたんですね。
綺麗な女の子でした。
ピンクトルマリンちゃんが隣の席の私が少し動く気配に一瞬気がそれた瞬間、アールヌーボーちゃんはお会計に歩き出し、ピンクトルマリンちゃんはその後をす、と付いていきました。

店員さんが残されたテーブルの上を片付けに来たとき、初めて隣の席を見たんですが、きちんと片してあり、おしぼりの空袋だけがそっと置かれていました。
ああ、食事が得意な子達なんだな、と再びほんわかした気持ちで、私はビールに目を戻しました。
 
一晩明けて、私は朝、ピンクトルマリンちゃんは、一体何がうらやましかったのだろう・・・? と思いました。

アールヌーボーちゃんは、もし彼女をターゲットにするなら、全員が「いいな」と思う女性でした。
顔は見ていないけれど、その会話の受け方、ピンクトルマリンちゃんのことを友人としているWARMな所
、長い髪の先の流れ方、カジュアルだったけれどちゃんと週末の夜のボトムで、決してピンクトルマリンちゃんと被らないようにしているのも、二人がとても仲が良くて、街で連れ立っているのが当たり前だと思えるし、余計な慌て方をしないのも、ああ、こういう子なんだな、と私は感じました。

アールヌーボーちゃんは、日射しが斜め下に入る白い壁に這う蔦を思わせる人で、蔦の色は秋始めの真っ赤ではなく、初冬の少し茶色がかった、あの繊細でした。
 
ピンクトルマリンちゃんは、とても派手でお洒落な色、黒が似合っていて、自分の色にしていました。
スタイルも、彼女をターゲットにするなら、ピンクトルマリンちゃんが困るくらい、他の友人達に「鋭さと夜の海に映った夜景のような子なんだ。」と自慢するような人でした。
 
じゃあ一体、ピンクトルマリンちゃんは何がうらやましったのかな、と思えば、おそらく「美人」の先がよく分からなくなっていたのだと思うんですね。
 
それがただ、その夜だけだったのか、この頃の彼女なのかは、すれ違っただけの私にはわかりようもありません。
一晩経って、隣の席でたまたまご飯を食べていた彼女達が、私の記憶のフィクションになっていく過程で、ふと、好みのタイプを目指せばいいのではないだろうか、と考えました。
 
「雰囲気美人」という言葉があるけれど、これは雰囲気のある人、という最上の誉め言葉と相手へのリスペクトを形容する言葉を、破壊した結果の言葉です。
正確には、雰囲気がある人=美人です。
これは、いくら「雰囲気美人」と羨ましがりが言い張っても、揺るがない事実です。
 
結局、好みのタイプというものは、顔と雰囲気なんです。
顔はいくらでも寄せていける、ただ寄せて自分を変えずにいればいいんです。
メイクとヘアと服だけです。
じゃあ雰囲気は? というと、もう美人なんだから、ただ単に雰囲気を弦楽奏にするか、海辺の午後のヨットハーバーで見ていた晴れた土曜日にするか、アンティーク家具に漂っている決して踏み込めない毅然、朝の空気の冷たさにするか、まあそういう色々を、単に着替えるだけなんですね。
 
雰囲気って着替えられるんですよ。
雰囲気を纏うって言うでしょう?
あなたの雰囲気なんだから、あなたがその雰囲気をただ考えるだけなんです。

おそらくアールヌーボーちゃんは、私はこういう女性になっていたい。という明確なイメージがあるのでしょう。
おそらくピントルマリンちゃんは、いまの自分の美人っぷりとゴージャスっぷりに飽きてきたんでしょう。
もう、こういうのいいかな? と思っていて、彼女は不満なんですね。
で、アールヌーボーちゃんに、「どうしてアールヌーボーちゃんは○○○なの? 」って言いたいのに、
○○○が出てこないんです。
出てこない理由は、飽きちゃったからそれ以上考える必要が無いからです。
必要無いから、ピンクトルマリンちゃんの中にその言葉が無いんです。
 
きっとピンクトルマリンちゃんは、そのうち、「あ、こういうのいいな。」というものに、嗜好が変わっていくんでしょうね。
それが世にいう「好みのタイプ」ということを、「好みのタイプって次第に変わる」ということも、きっと彼女は知ってるんだと思います。
 
いつかお二人が、昨日のご飯でとりとめのない話をしていたことも忘れちゃって、夜の、彼女たちに一番ふさわしい透明な光にゆったりと揺らいでいる時間が、私達には普通でした。と何度目かの雰囲気を着替えるときに、「あ、見て、私これ好きだった。」とパートナーさんに嬉しそうに話すんでしょうね。
 
うまく言えてないな、これなんだろう? と、繰り返し違う言葉を言いながら、ピンクトルマリンちゃんが席を立つときに、隣の席でこっちを見上げたよくわからない奴が、
「えーと、あなたはすごくゴージャスなんですが、気が付いてはいますよね? 今日の服もあなたに凄く合ってますし。」
と言おうかどうしようか瞬時に迷って、ああ、やっぱり止めて良かったと、朝になって心の底から思っている私が、どうかピンクトルマリンさんの記憶に残っていませんように。
 
それでは素敵な日曜日をお過ごしください。
 
 
毎年になりますが、年末年始休暇を今年も頂きます。
私の大好きな、しっかりとした寒さが私の街にも来ているので、今年は家の中のことをしながら、わりと外に出かけると思います。
みなさんも、自分が一番好きだと思うやり方で、ゆったりとお過ごしください。

それでは、よいお年をお迎えください。
 
From エナメル and 新しくみなさんの味方になってくださった、同じ気持ちのOさんより
 
ぜひまた日曜版でお会いしましょう。
 
 
 20241229 21:07 分かりにくい箇所と誤字をなおしました。
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

2024/12/27

なぜ対話しないんでしょうか?

 
本日の投稿は、暴力に関する話題が含まれています。苦手な方は、温かい部屋で安心の気持ちで読んでいただくか、無理に読む必要はありませんので、読まなくても大丈夫です。エナメル
 
 「地獄でなぜ悪い」という曲を聴いたり、そのタイトルを見て、
 
”あなたは、性強要をされ地獄に突き落とされました。
その地獄にいるのがなぜ悪いんですか?
そのまま声も上げず抵抗も退避もせず、このまま地獄にいましょう。
これが星野源が伝える新しい生き方です。”
 
と思う人が本当にこの世界にいるんでしょうか?
 
私はネット報道を見て、曲の歌詞も調べず、園子監督の該当作も見ていません。
実は、その合意なき性強要についても、一切情報を持っていません。
 
現状、私が持っている把握は、
1、NHKが紅白歌合戦への出演依頼と楽曲指定をし、星野源は「地獄でなぜ悪い」の歌唱を了解した。 
 
2、要約すると、星野源の「地獄でなぜ悪い」を聴くと、園子監督自身が加害者であったとして(私は事を把握していません) 、「この楽曲は加害者の味方をしているので、被害者は二度と立ち上がれなくなるだろう。そのような楽曲を歌唱させるな。」とする声が寄せられている。
 
3、星野源の「地獄でなぜ悪い」の”地獄”というワードセレクトは、星野源が監督の該当作「地獄でなぜ悪い」というタイトルを見て発想して、自分の楽曲へのタイトルにあてた。
 
4、この楽曲は、映画「地獄でなぜ悪い」という映画の主題歌であった。映画「地獄でなぜ悪い」は、おそらく合意無き性強要を肯定などしていない。
映画のメッセージに、
「よし人をこのような地獄に突き落とそう。どんどん突き落とそう」
というメッセージを乗せる人は、世界中のどこを探しても居ないので、この楽曲は、映画の主題歌でしかない。
 
5、星野源はNHKの紅白歌合戦からのオファーに、”「地獄でなぜ悪い」は、人を励ます歌だから歌って欲しい”と依頼され、承諾した。
 
6、そういう背景と状況があり、星野源は、紅白歌合戦が12月31日に生放送されるギリギリまで、”自分が合意無き性強要を肯定するはずなどない”とする姿勢で、「地獄でなぜ悪い」の歌唱変更打診に了承の姿勢を示さなかった。

です。
 
HNK側からの再三にわたる、「楽曲にそのような意図はない」という返事に納得できない、
『「地獄でなぜ悪い」という楽曲は、性暴力の被害者を殴る楽曲である。』
という意見を持つ人々に、なぜ星野源は直接対話をしなかったんでしょうか?
または星野源側の対話の申し出に、その意見を持つ人々は、どうして対話に応じなかったんでしょうか?

なぜこんなに脅え合っているんでしょう?

どうして対話し、ネット越しでも、誠実さを受け渡し合うことが可能だと、誰もが知っている2024年に、その方法を採らないのでしょうか?
 
私はこのネット報道を見て、そういう感想の結論を抱きました。
「なぜ対話しないんでしょうか?」
「なぜお互いが脅え合い、不信を前提に”対話をしない”という選択を、まず取るのでしょうか?」
 
 
20241227 14:31 文章を直しました。内容の変更はしていません。
 
 
 
 

 
 

2024/12/22

まろい水のように時を過ごす

 
ディルの種

日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
クリスマスウイークですね。
 
同じ方がおられると良いんですけど。
私は、今年は何もやりたくありません。
クリスマスもお正月もやりたくないんです。
どうしてか気持ちが乗れなくて、クリスマスリースや部屋の飾り付けをしないの? と言われても、うーん、と返事にならないような声を出して目線を落とす私に、その人もそれ以上何も言いません。

スーパーに行って、いつもならお正月飾りのことも考えたり、お節の手配を考えたりするのが歳末の熱く静かな風物として、胸に1本芯が通った緊張感があるんですが。
クリスマス前の賑わいやお正月を祝い、歳神様をお迎えする、個人の解釈では希望という神様をお迎えする、特別な積み重ねの日々を過ごすことで、自分と暮らしを併走する大切な人達に、新しい年からの希望を再び構築する準備をしているという、心を空間に放つ行為なんですね。
 
それが、今年は全然です。
私にとって今年はとても幸福なことが起こった年で、おそらく人生で最良の出来事が頻発した年でした。
そして同時に、とても深く傷つくことが多かった年でもありました。
 
20代の1年は10年に匹敵します。
まさかこの歳になって、そのような日々が始まるとは思いもしませんでした。

大好きな冬が突然始まり、ストーブに火を入れてステンレスの大鍋に水を張り、次第に湯気が立っていく中、金属が音を立てる静かな時間。
遮光カーテンの向こうで不意に風が鳴る冷え切った夜は、ドロップライトの下にも変わらず来ているのに、私はとてもじゃないけれど、これ以上暮らしに物事を起こしたくないのだ、と整理がつき始めました。
 
冬の赤い実が着いたリースのことを心配した方も同じ気持ちらしく、私を大切に思ってくださる方々も、互いに傷ついているにも関わらず、静かに心を寄せてくださいます。
局地的に私の部屋では、今年はもう誰もが、これ以上何も事象が頭をもたげず、今年来訪したあまりにもたくさんの出来事を、ただ置いて各自が受け止めていきたいのでしょうね。
 
別に特別でも何でもないことですが、黙って静かに日々を送ったり、落ち込んだり、気重になったり、くよくよしたり、機嫌の波を持ったり、そういうことをぼんやりと気持ちに映しながら、まろい水のように時を過ごすことを、今年は特に警戒する価値観に取り囲まれているような体感があります。
外に出て、単に行き過ぎる人達の姿を目の中で流していきながら、こんな年は早く終わればいいのに、と思っています。
 
おそらくこの先、生涯忘れえぬほど幸せなことが起こり続けた年だと、今後、現在を振り向いた時にいつも大きく存在する年です。
同時に強いショックを受けることが多発した日々でもありました。
 
年末年始のホリディ・シーズンをただ静かに、特に何の意味も無い、役にも立たない、誰も絡め取られない、透明で微かな涼やかさの中、未だ知らなかった市井の談笑を交わしながら、ストーブのそばに立ち、知性の色と私は信じる青く細い線で、筆記体なりゴシック体なりで宙に書いたりして、ただ無為を過ごしたいと思います。
 
カーテンを少し開けると、まだ暗い朝が水滴で見えない窓の向こうにあり、指で拭って透明にすると、夜型の人達の光がわずかな数見えていました。
 
閉じこもった気持ちで眺めているこの時間が、私はとても好きです。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。
 

 
 
 

 
 
  

2024/12/21

追記

重要なことを書き忘れていました。

強いショックを受けた時、とても悲しい時、傷ついている時、大きなことを決めてはいけません。

それはすぐ決めないといけないのか、一週間後に決めて困るかどうか、を自分自身に確認し、決めるのを止めましょう。

人が関わることは、特にそうして下さい。

特に自分の防犯に関わること(大小関わらず)は、今まで無事に暮らせていたのだから、絶対に新しいことをしてはいけません。 


命に関わること、ケガに関わること、以外で「今すぐ決めなければならない」ことはこの世にありません。


どうしても人が関わることで、誰かに決めてもらえないだろうか? と言われたら、

「先日、自分は強いショックを受けている。もしよかったら一週間後に決めていいですか? 」と言いましょう。

これは会社ではちょっと出来ませんが、今後Great Hackingで改めて取り上げます。