日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
クリスマスウイークですね。
同じ方がおられると良いんですけど。
私は、今年は何もやりたくありません。
クリスマスもお正月もやりたくないんです。
どうしてか気持ちが乗れなくて、クリスマスリースや部屋の飾り付けをしないの? と言われても、うーん、と返事にならないような声を出して目線を落とす私に、その人もそれ以上何も言いません。
クリスマスウイークですね。
同じ方がおられると良いんですけど。
私は、今年は何もやりたくありません。
クリスマスもお正月もやりたくないんです。
どうしてか気持ちが乗れなくて、クリスマスリースや部屋の飾り付けをしないの? と言われても、うーん、と返事にならないような声を出して目線を落とす私に、その人もそれ以上何も言いません。
スーパーに行って、いつもならお正月飾りのことも考えたり、お節の手配を考えたりするのが歳末の熱く静かな風物として、胸に1本芯が通った緊張感があるんですが。
クリスマス前の賑わいやお正月を祝い、歳神様をお迎えする、個人の解釈では希望という神様をお迎えする、特別な積み重ねの日々を過ごすことで、自分と暮らしを併走する大切な人達に、新しい年からの希望を再び構築する準備をしているという、心を空間に放つ行為なんですね。
それが、今年は全然です。
私にとって今年はとても幸福なことが起こった年で、おそらく人生で最良の出来事が頻発した年でした。
そして同時に、とても深く傷つくことが多かった年でもありました。
20代の1年は10年に匹敵します。
まさかこの歳になって、そのような日々が始まるとは思いもしませんでした。
大好きな冬が突然始まり、ストーブに火を入れてステンレスの大鍋に水を張り、次第に湯気が立っていく中、金属が音を立てる静かな時間。
遮光カーテンの向こうで不意に風が鳴る冷え切った夜は、ドロップライトの下にも変わらず来ているのに、私はとてもじゃないけれど、これ以上暮らしに物事を起こしたくないのだ、と整理がつき始めました。
冬の赤い実が着いたリースのことを心配した方も同じ気持ちらしく、私を大切に思ってくださる方々も、互いに傷ついているにも関わらず、静かに心を寄せてくださいます。
局地的に私の部屋では、今年はもう誰もが、これ以上何も事象が頭をもたげず、今年来訪したあまりにもたくさんの出来事を、ただ置いて各自が受け止めていきたいのでしょうね。
別に特別でも何でもないことですが、黙って静かに日々を送ったり、落ち込んだり、気重になったり、くよくよしたり、機嫌の波を持ったり、そういうことをぼんやりと気持ちに映しながら、まろい水のように時を過ごすことを、今年は特に警戒する価値観に取り囲まれているような体感があります。
外に出て、単に行き過ぎる人達の姿を目の中で流していきながら、こんな年は早く終わればいいのに、と思っています。
おそらくこの先、生涯忘れえぬほど幸せなことが起こり続けた年だと、今後、現在を振り向いた時にいつも大きく存在する年です。
同時に強いショックを受けることが多発した日々でもありました。
年末年始のホリディ・シーズンをただ静かに、特に何の意味も無い、役にも立たない、誰も絡め取られない、透明で微かな涼やかさの中、未だ知らなかった市井の談笑を交わしながら、ストーブのそばに立ち、知性の色と私は信じる青く細い線で、筆記体なりゴシック体なりで宙に書いたりして、ただ無為を過ごしたいと思います。
カーテンを少し開けると、まだ暗い朝が水滴で見えない窓の向こうにあり、指で拭って透明にすると、夜型の人達の光がわずかな数見えていました。
閉じこもった気持ちで眺めているこの時間が、私はとても好きです。
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。
閉じこもった気持ちで眺めているこの時間が、私はとても好きです。
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。