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黒豆茶 ノンカフェインで美味しいです。 |
この頃、少し生活ルールを変えました。
安全な時間帯や穏やかな街の雰囲気の時、行き交う人達や街の様子を観察し、話し合い、 決めました。
- お天気の悪い日は、極力外出の予定を立てない。
- 防犯はきちんと、いつも必ず確認をしてから外出する。
- パーソナルスペース(自分との距離)に1メートル以内に入ってくる相手から、一歩後ろに下がり距離を取る。
- コンビニでATMを使用する時、無意識に近い距離で並ぶ相手には、「すみません、下がって頂けますか? 怖く感じるので」とお願いする。
- 朝は、共用部分に出るのは9時以降にする。
- 夜は、夜8時以降は外出しない。
- UberEatsは、コロナの時のように注文後、カゴをドアの外に出し、呼び鈴に「カゴの中に入れておいてください」と言うようにする。(置き配)←最初から置き配指定にすると、届けてくれないお店があるので、このやり方。
- Amazon、楽天も同様。極力、置き配でお願いする。
- 人が集まり騒ぐ所には、近づかない。
- いつも身だしなみを、明るさがありパリッとした清潔感を持つ、崩さない着かたにしておく。
- 薄暗い日中、夕方から8時までは、スマートフォンの輝度を最大設定(1番眩しい明るさ)にして、スマホショルダーを着けて斜めがけにして明るい画面を外側にし、懐中電灯代わりにしながら両手は空けておく。
- 割れ窓理論に従い(これ穴があるって言う人おられるようですが、片付けている場所は、そこを壊したり汚してやろうという精神状態の人間が本当に近づきません。もしそこにズカズカ入ってくる相手は、人間ではないと判断して自分で意思の疎通を試みて対処せず、すぐ警察に連絡しましょう。)、無理の無い範囲で、安全な時間帯にドアの前を片付けたり、箒で掃いたり、床ふき用のクイックルにウエットシートをつけて玄関前を拭いて、きちんと感を出しておく。
- 知らない相手と話さない。
- 知らない相手、知り合ったばかりの相手と二人きりにならない。
- 防犯カメラが無い場所に長居しない。
- 予定に無い来客は、全部無視する。
- 憶測、予想は一切せず、想像力を切り、リアリストに徹して現実の処理をする。
- 気持ちの上では、少しドライでクールな感情を保つ。
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注 ストラップだけでなく、肩にかかる紐は幅が広い(マチが広い)と、肩に食い込みません。
こんな感じにしています。
これを徹底すれば全部安心では無いですが。
自分の暮らしは、常に整理し、事実確認を怠らず、感情を不必要に揺らさず、危険な状況にまず入らない。(すると危険な状況自体がそもそも発生しません。)
そういう訓練を続けているのだと思うようにして、やっています。
私は、大正十一年に記された寺田寅彦随筆集 第一巻を21歳の時に読んでいました。
と言っても、お風呂の湯に浸かってのぼせない程度に読み進め、文庫版を全巻揃えているのに、未だ全て読破出来ていません。
ただこの第一巻にひどく感嘆したことがあったと記憶しているんですが。(ひょっとしたら紹介文に書いてあったのかも・・・?)
寺田寅彦は、大正十一年の東京のラッシュ時に、
満員バスは3台のうち、1台は必ず空いている。
という法則を見つけているんです。
これは、電車にも当てはまります。
なぜ断言できるかというと、私は、本当に寺田寅彦の言うとおり、バスしか移動手段の無い当時住んでいた街で、朝の6時半から8時半まで、それを実践していたからです。
「ラッシュ時、満員バスは3台のうち1台は、必ず空いている。」
大正時代の寺田寅彦が計算して解を出したこの法則は、1992年の私が住んでいたその街のラッシュにも、当てはまりました。寺田寅彦は、事実のみ観察し、記録し、そのデータを数え、平均と確率を計算し、
「ラッシュ時、満員バスは3台のうち1台は、必ず空いている。」
という結論と考察を随筆に残しました。
私はちょっと事情があって、算数や数学、科学、化学の知識に穴があります。
だから文系と呼ばれるものは得意だったけれど、理数系はまったく分からない、向いていないのだと思って成人しました。
まだ若者と言っても良い頃、青年期の始まりでもある素晴らしい季節に、私は小さな部屋で1人、ひっそりと自炊をしながら、お洒落をし、安全にお酒を飲みに行き、安心できる相手達と部屋で鍋をやったり、くだらない夢想や理想を醒めた態度ながら風吹く気持ちで語り、手作りの貧乏料理をふるまい、もう既に20年は見ていたのに、何もかも初めてにしか見えない新緑の世の輝きを見つめていました。
思ったほど上手くいかないし、恥ずかしい失敗を繰り返し、馬鹿みたいに楽しくって、全力で愛に夢中になり、風呂の中で寺田寅彦の随筆を読み、そこにあった満員バスの乗車テクニックを翌日すぐ試せるほど、私は自由でした。
その後、何十年も経過した今の私も、たぶん自由でいます。
この「寺田寅彦満員バス乗車テクニック」にまつわる、今の私が大切にしている、人生の根幹である日々の暮らしが何故その当時も存在していたのか。を話すと、その人は嬉しそうに
「どうしてお前はそんなに自由なんだよ」と言ってくれました。
昔、「辞めた後、どうするの? いつもどうしてそんな風なんですか?」
と辞める時に言われ、「はあ・・・。」と言った後、文句を言われると思ってたし、誰にも特に訊かれなかったので特に話さなかったことを答えました。
「働いて生活しながらお金を貯めて、好きなことをするからです。その時々によって違います。で、お金が貯まったのでしばらく今の好きな事に打ち込むために辞めます。」
「・・・・・(長い間)、その後はどうするの?」
「お金が無くなりかけたら、また仕事見つけて働いて、生活費と貯金をして」
「貯まったら辞めるの?」
「はい。」
すると、その人は思いっきり斜めを見上げて、
「いいなぁ、自由で。」
と本当に笑いました。
多分、その人には私が、丸い水中眼鏡をおでこに着けたオットセイか何かに見えていたのだと、今は分かります。
その当時は、
(・・・自由? 自由って何だったっけ? 私は自由だったっけ。家賃暮らしなんだけど。持ち家と思われている?)
と帰り道中、ずっと考えていました。
オットセイにしか見えなかったでしょうね。
大丈夫ですよ、それでも今まで生きてこられたんだから。
さて。突然ですが、皆さんに私が落ち着く姿勢をお教えします。
立って下さい。
背筋を伸ばし、顎を軽く引き、目線を前方下方に落として下さい。
心の中で、一輪の水仙の花を思い浮かべて下さい。
それが、水仙の花を模した、私達の基本の姿勢です。
「いついかなる時も、水仙の花の様に静かに知性を以て毅然としていなさい。」
よくある会釈は、頭をヒョイと下げる、とてもチャーミングな挨拶ですが。
私達の会釈は、その姿勢のまま、上体を10度前に傾けます。
それが会釈です。
手は体の前でも横でもどちらでも構いません。
お辞儀、いわゆる「礼」は、基本姿勢から上体を30度前に傾けます。そのまま3秒動かず、元に戻す。
それが礼をする時の動作です。
そして、基本姿勢から上体を45度、直角に傾け、やはりそのまま3秒維持して、基本姿勢に戻す。
それが 「敬礼」です。
敬礼という言葉に、少し怖いイメージがある方もおられるかもしれませんが、敬意を全身で示す礼が、敬礼です。
冠婚葬祭で特に指定がなければ、敬礼が最大の礼ですので、どこでも通じます。
変わっている、を大きく超えていた私の青年期初期は、学生街と呼ばれる場所で培われました。
何だか分からないのもそれは、当然でしょう。
そのまま来て、未だによく分からない青年の心なのですから。
桜花の街に。
私に科学的思考・実践・結果・修正・結論・考察を教えた、最初の師・寺田寅彦へ何度目かの敬礼。
二千二十五年三月十六日 早朝 エナメル
二千二十五年三月十六日 午後六時三十一分 改訂