日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
花屋さんの店頭で一日の終わりに、小さなブーケが並んでいるのを買うのが好きです。
その小さなブーケが徐々に広がっていき、今ではテーブルフラワーやテーブルブーケという名前をつけられているようですね。
私はビオラのブーケが1番好きです。
花持ちではなく、その日の夜、翌朝に部屋の小さなテーブルの上にあればいい。
そういう小さなブーケが好きです。
なので、花持ちや見た時の弾けるような強さが苦手で、ガーベラが入っているブーケは買いません。
買ってもどこか「仕方がないな」という気持ちが受け取る時に手に少し滲みます。
ガーベラは、80年代後半に流通し始めた時、花の形が斜めになるように、花先に向かって透明なビニールで綴じられていました。
初めて見かけたときは、斜めに花が開く新しい品種かと思いすぐ購入したのを記憶しています。
なんてモダンでコンテンポラリーなスタイルなんだろう。これを部屋に飾れば冷えた美術空間のようになる。
と喜んでいたら、花の後ろのビニールに気づき、ハサミで切ると花が開いてしまい、どうしてかな、という気持ちになりました。
これはこのままビニールをつけたまま飾る、と知ったかぶりまでされましたが、じゃあ何時このビニールを取り外すのか、としばらく黙って考えていましたが、未だにどれが正解だったかわかりません。
2025年現在は、ガーベラはほとんどがビニールで包まれず、開かれた状態で流通しているので、結局これが本来の姿なのでしょうね。
花としては、ポップで鮮やかで強くて元気な花という印象です。
欲しいときは、私個人はあまりありません。
テーブルフラワーとしての小さなブーケをいつも数百円で買って帰る、夕方と花屋を覗く自分と青い色が次第に包んでいく街角と、部屋のドアを閉めて鍵をかけ、振り返った時に目に入る自分のささやかな空間までが、一日の終わりにとても満ち足りていく光景なので、そこに合うサイズは、ビオラのような草花と呼ばれる、線が細く静かで、饒舌ではない、小さなブーケなんですよね。
元気でないとならない。過ぎるほど前向きでなければならない。常に世の中の問題のことを視野に入れておかねばならない、とか。
すぐたしなめたり、命令したり、知りもしない相手から過剰に励まされたり、いつもホールケーキで何かしらお祝いをし続けなければならないような、自分がそっと大切にしている常識にズカズカと入り込んでくる、誰が始めたのかすら知る気にもなれない馬鹿馬鹿しさを漂わせてしまうものは、置きたくないんですよね。
その時の気持ちにパッとわずかに発光した草花の中に、ああ、今はこの花が旬で余っているのだな、という珍しい花があると、今日の嬉しいことと共に季節の風が私に流れてくるんですよね。
私は「大人の事情で」という、バラエティでだけ使われていた一種の逃げ台詞を本気にして、世のストリートで押し通せると思っている考え方そのものに、苦笑しています。
聞いた話ですが。
スーツを着た上役の方が、「大人の事情」の事情説明をしようとした相手に、あっさりと、
「それはそちらの事情でしょう。」
と言い、それ以上相手が自分を広告するのを制止した話をずっと憶えています。
今でも憶えているほどですので、やはり私も相当うんざりしていたのだと思います。
私の住むエリアの人達は、穏やかな雰囲気の中で暮らしています。
もうそろそろ今年の桜が咲く頃ですね。
黙って、ただ自分の思う暮らしを続けていく人々の中で暮らしていて良かったな、と私は今年も隣に居てくれる方と微笑んでいます。
もし気が向いたら、好きなブーケを買いに行ってもいいし、Uber Eatsで頼んでもいいですよね。
キーワードはいつも通り「みなさんの好きにしていいし、みなさんが決めて何ら問題ありません。」です。
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
「それはそちらの事情でしょう。」
と言い、それ以上相手が自分を広告するのを制止した話をずっと憶えています。
今でも憶えているほどですので、やはり私も相当うんざりしていたのだと思います。
私の住むエリアの人達は、穏やかな雰囲気の中で暮らしています。
もうそろそろ今年の桜が咲く頃ですね。
黙って、ただ自分の思う暮らしを続けていく人々の中で暮らしていて良かったな、と私は今年も隣に居てくれる方と微笑んでいます。
もし気が向いたら、好きなブーケを買いに行ってもいいし、Uber Eatsで頼んでもいいですよね。
キーワードはいつも通り「みなさんの好きにしていいし、みなさんが決めて何ら問題ありません。」です。
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。