休刊 キム・ソクジン



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休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2024/12/22

まろい水のように時を過ごす

 
ディルの種

日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
クリスマスウイークですね。
 
同じ方がおられると良いんですけど。
私は、今年は何もやりたくありません。
クリスマスもお正月もやりたくないんです。
どうしてか気持ちが乗れなくて、クリスマスリースや部屋の飾り付けをしないの? と言われても、うーん、と返事にならないような声を出して目線を落とす私に、その人もそれ以上何も言いません。

スーパーに行って、いつもならお正月飾りのことも考えたり、お節の手配を考えたりするのが歳末の熱く静かな風物として、胸に1本芯が通った緊張感があるんですが。
クリスマス前の賑わいやお正月を祝い、歳神様をお迎えする、個人の解釈では希望という神様をお迎えする、特別な積み重ねの日々を過ごすことで、自分と暮らしを併走する大切な人達に、新しい年からの希望を再び構築する準備をしているという、心を空間に放つ行為なんですね。
 
それが、今年は全然です。
私にとって今年はとても幸福なことが起こった年で、おそらく人生で最良の出来事が頻発した年でした。
そして同時に、とても深く傷つくことが多かった年でもありました。
 
20代の1年は10年に匹敵します。
まさかこの歳になって、そのような日々が始まるとは思いもしませんでした。

大好きな冬が突然始まり、ストーブに火を入れてステンレスの大鍋に水を張り、次第に湯気が立っていく中、金属が音を立てる静かな時間。
遮光カーテンの向こうで不意に風が鳴る冷え切った夜は、ドロップライトの下にも変わらず来ているのに、私はとてもじゃないけれど、これ以上暮らしに物事を起こしたくないのだ、と整理がつき始めました。
 
冬の赤い実が着いたリースのことを心配した方も同じ気持ちらしく、私を大切に思ってくださる方々も、互いに傷ついているにも関わらず、静かに心を寄せてくださいます。
局地的に私の部屋では、今年はもう誰もが、これ以上何も事象が頭をもたげず、今年来訪したあまりにもたくさんの出来事を、ただ置いて各自が受け止めていきたいのでしょうね。
 
別に特別でも何でもないことですが、黙って静かに日々を送ったり、落ち込んだり、気重になったり、くよくよしたり、機嫌の波を持ったり、そういうことをぼんやりと気持ちに映しながら、まろい水のように時を過ごすことを、今年は特に警戒する価値観に取り囲まれているような体感があります。
外に出て、単に行き過ぎる人達の姿を目の中で流していきながら、こんな年は早く終わればいいのに、と思っています。
 
おそらくこの先、生涯忘れえぬほど幸せなことが起こり続けた年だと、今後、現在を振り向いた時にいつも大きく存在する年です。
同時に強いショックを受けることが多発した日々でもありました。
 
年末年始のホリディ・シーズンをただ静かに、特に何の意味も無い、役にも立たない、誰も絡め取られない、透明で微かな涼やかさの中、未だ知らなかった市井の談笑を交わしながら、ストーブのそばに立ち、知性の色と私は信じる青く細い線で、筆記体なりゴシック体なりで宙に書いたりして、ただ無為を過ごしたいと思います。
 
カーテンを少し開けると、まだ暗い朝が水滴で見えない窓の向こうにあり、指で拭って透明にすると、夜型の人達の光がわずかな数見えていました。
 
閉じこもった気持ちで眺めているこの時間が、私はとても好きです。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。
 

 
 
 

 
 
  

2024/12/21

追記

重要なことを書き忘れていました。

強いショックを受けた時、とても悲しい時、傷ついている時、大きなことを決めてはいけません。

それはすぐ決めないといけないのか、一週間後に決めて困るかどうか、を自分自身に確認し、決めるのを止めましょう。

人が関わることは、特にそうして下さい。

特に自分の防犯に関わること(大小関わらず)は、今まで無事に暮らせていたのだから、絶対に新しいことをしてはいけません。 


命に関わること、ケガに関わること、以外で「今すぐ決めなければならない」ことはこの世にありません。


どうしても人が関わることで、誰かに決めてもらえないだろうか? と言われたら、

「先日、自分は強いショックを受けている。もしよかったら一週間後に決めていいですか? 」と言いましょう。

これは会社ではちょっと出来ませんが、今後Great Hackingで改めて取り上げます。

 

 

 

 

 

 

 

強いショックを受けた時と1番大切にしている言葉

強いショックを受けたり、とても悲しいことがあったりすると、私は、部屋の片付けをします。

きっと心の中がとてもとても混乱しているから、現実の物質と手を使って、整理をつけているのだと思います。


ショックを受けたり、混乱している時、傷ついている時の行動を逃避行動と呼んで、ただの医学用語でありその状態をただ言っているだけのことを、なぜか自虐にしたり、嘲笑ったりする傾向がありますよね。

それでこんなことをしている、またはこんなことをしていると人に言うと、嘲笑われるのではないか、と思う自分がいます。

 

コレすごく変だな、と思うんです。

ショックを受けた時、それ以上傷つかないように自分を防御して何が悪いんでしょうね。

私は傷ついたりショックを受けた時、片付けをして気持ちの整理をつけている自分を、久しぶりに思い出しました。

いつの間にか止めていたんです。

こうやって自分から止めさせるように仕向ける風潮も、師・Oの言葉「価値の零落」の一種です。

(その物事の本質が持っている上質さを引きずり降ろすこと。(私の言葉で書いています。))

もし気持ちの整理がつかない時や悲しい時に、タイミングがご自身と合えば、良かったらやってみて下さいね。

こういう事を「逃げる」って言うの、本当に違いますよ。

なぜ傷ついている人がそれ以上、責められないといけないんでしょう? 

「逃避行動」という、ただ状態を表す言葉だったものを「価値の零落」に利用されたんです。

ここで誰か一人が指摘すると(このケースでは私です。)、すごく気持ちの優しい方々がザワザワザワーっとなって、医学や科学の話をする時「逃避行動」という言葉を使うのをすぐに控えるようになるのも、「価値の零落に利用される事」なんですよね。

この場合の「価値の零落をする理由」は、心の状態を正確に言って医学的でフランクな話をさせない、「逃避行動」に入っている人への理解を妨害する、という目的ではないでしょうか?

強いショックを受けた時、私は片付けをするようにしています。

心の整理がつかない時、物を片付けることで気持ちがスッキリして充実した温かさに満ち、心が鎮まっていくからです。

 

無理矢理、明るくなったりせずに、順々に気持ちが穏やかになっていくことで、ショックを受けても、悲しい事があっても、気持ちが鎮まるまで時間をかけていいんだ。日数がかかっても良いんだ。と「知っていける」からです。

 

すぐに元気にならなくてもいいのだし、強く落ち込み過ぎることも、私は、コレで無くなります。

人々の、自分を守るためにやっている事が情報として、たくさんネットに上がるといいですよね。

(落ち込むことが無い日常って過ごしたいですか? 寂しいと思ったり、落ち込んだり、黙りこくったりする時間や日って、私にとってけっこう大切なんですが。)

 

重要なことを書き忘れていました。

強いショックを受けた時、とても悲しい時、傷ついている時、大きなことを決めてはいけません。

それはすぐ決めないといけないのか、一週間後に決めて困るかどうか、を自分自身に確認し、決めるのを止めましょう。

人が関わることは、特にそうして下さい。

特に自分の防犯に関わること(大小関わらず)は、今まで無事に暮らせていたのだから、絶対に新しいことをしてはいけません。 


命に関わること、ケガに関わること、以外で「今すぐ決めなければならない」ことはこの世にありません。


どうしても人が関わることで、誰かに決めてもらえないだろうか? と言われたら、

「先日、自分は強いショックを受けている。だからもしよかったら一週間後に決めていいですか? 」と言いましょう。

これは会社ではちょっと出来ませんが、今後Great Hackingで改めて取り上げます。

 

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この頃、色々なお店に行って思うのは、お客さんとお店側のスタッフさん双方が「脅え合っている」と強く思います。

どうしたんだろうな、と不思議で、大変なのかな? と首を傾げています。

一見さんという外側の人間から見ると、誰もそんなつもりでは無いのに・・・、と凄くよく分かるんです。

なのに双方は、とても「脅え合っている」。

何があったんだろう? とニュースを検索しても、特に大きなことは起きていません。

これ、何なんでしょうね?

もう半年以上、小さな心配として私の中にあります。

お互い、もっと安心していいのにな、と思っています。 

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最後に、私が1番大切にしている言葉を書きますね。

「自分に従え!」です。

主に、何か物を作ったりする業界で残っている言葉です。

これは、やりたい放題を勧めているのでは当然ありません。

事の大・小に関わらず、何か決める時(色々な物事を参考にしたり、お手本にする時なども)、最後は全部、自分の判断に従え!という、自分自身と言葉じゃない所で相談して決めましょう。という意味です。


以上、強いショックを受けた時と1番大切にしている言葉、でした。

 

 

 
 

 


2024/12/15

小さなデパート


日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
小さなデパートがあればいい。
3階建てでヨーロッパや明治の雰囲気を漂わせた洋風建築で、夜に車道の向こう側から見ると、まるでどこかからの贈り物のような、洒落たデパート。
 
売り場は、1番上の3階が洋菓子売り場。
外国の、リボンや美しい四角い缶に入ったクッキーやチョコレート、小さめのショーケースには1人で2個食べてもいい大きさのケーキがほんの数種類だけ並んでいる。
2階は、珍しいステイショナリーとフレグランスコーナー、少しだけ高いコスメコーナーにはカラーだけが並んでいる。
1階は、靴と服。
季節によって服が変わるのはもちろんだけど、例えばコートが並んだら秋だな、と思える季節感。
つまり真夏のお盆過ぎに、いきなり並んだりしない。
ちょうどの時に選んでお金と相談して、翌月の銀杏が金色に色づくころに、初めて着れる。
服のラインナップもカットソーまでで、靴下などはインナーの別店舗で。
そして地下は無い。
 
 

そういうデパートが欲しい。 
回転ドアを入ったすぐ脇に、今日のブーケが800円から1500円くらいで、ちゃんと朝から並んでいる。
 
そして営業時間は夜10時まで。
平日にお休みなのはマスト、屋上に駐車場なんかない。
むしろ屋上は、もう高度経済成長期を懐かしむのはいいから、薬草や珍しい花、夏涼しく、冬枯れが澄んだ1月の空を祝福しているような林をあつらえた、小さな庭とベンチがあればいい。
時に催し物があってもいいけれど、あくまで5人編成までの生音オンリーの演奏。
 
 
そのデパートの紙袋は、BARに行くとき、特別なひとときや素敵なデート、やさしく穏やかなおしゃべりの時に行くレストランに向かう道で、ビーズがついたミニバッグに入らない、文庫本、スマートフォンを入れられる厚めの紙製でグッドデザイン。
 
 

私はそんなデパートに行ったことはないのだけれど、そういうデパートが街に1つあればいいのにな、と時々心のどこかで思う。
 
フルーツパフェを初めて作ろうと思った人が、胸に描いていた美しい景色の中に、きっとあったような。
そんなデパートがないかな、と私は思います。
 
最高級品もいいけれど、特別な物のまま日々にある。 
そこに再会する為に、私は街を歩いているような気がするんです。
 
 
GUERLAINのMITSOUKOをつけて、美しく変わらない瓶をノートパソコンの傍に置き、アール・ヌーボーの淡いゴールドの曲線を見ながら。
 
20241215 23:53 文章を直しました。
 
 
 
 

1日2食と塩分はきっと個別

 

赤カブと茎

10年以上前に、塩分を徹底的に食生活から排除しました。
私以外の病気療養の為です。
最初はタニタを頑張っていたんですが、毎回スケールで計るのが続けられず、とにかく塩分を減らして、薄口醤油(塩分はわりとあります)で、出汁が濃く取って薄口醤油の塩分のみでやっていました。
また、他の食事もほとんど塩を調味に使わず、胡椒を強くしていました。
特に当時から、味が薄いとは思わなかったんですね。
そして料理研究家の方のレシピをきっちり分量通り計り、食事を作り続けました。
 
あまり外食はしません。
そしてコンビニは好きですが、お弁当とスイーツをたまに買う程度で、それが3日も続くと、元の自炊にもどしたら物足りない感じがしました。
 
それは舌が、醒めて味が際立つように塩分や味付けを強くしてあるお弁当や、カップ麺に慣れていたからなんです。 
自炊の食事に戻すと2食目で舌が元に戻っていました。
 
その生活を10年以上続けていたので、気がつかなかったんですが。
今年は暑く、また私にしてはとても生活が忙しく、外食やUberばっかりで、舌がだんだん味が濃いのに慣れていっていたんですね。 
今週に入り、やたらと喉が渇いて普段より倍の量水を飲んでいて、おかしいな? と思っていたら、夏場は私にしては塩分がとても多かったのが汗で流れ出ていたんです。
やっと冬の気温になり、塩分が排出されにくくなったので、それで喉が渇いていたんです。

塩分をあまりに減らすと、体や精神のコンディションを崩した人がいる、という記事を随分前に読んだことがあります。
そうなんだ、元の食生活に戻してコンディションが良くなってよかったね。と思っていたのですが、それからずっと考えていることに、塩分量の適性量は個人差があるのではないか? なんです。
 
私は、どうも塩分がかなり控えられた、薄味で出汁が強く出ている料理が、体質に合うみたいなんです。
そういえばあまりその頃、ポテトチップスやスイーツも食べていませんでした。
スイーツにも塩分入ってますし。
ジュースも飲まないんですよ。
これ、甘いからだと思っていたんですが、こちらも飲み続けると、なんだかコンディションが悪くなっていたんです。
 
で、唯一平気なのがポッカレモン。
塩分は入っていますが、朝、起き抜けにトールグラス一杯の水に、私はポッカレモンを入れて飲んでいます。
それとトマトジュース。(無塩のもの)
夏場はそれに甘酒。
 
今年に入って、生活が急激に変わったこともあり、いま考えるとなんだかやたら楽しくて笑い転げていて、随分元気だったんです。
そして秋になると、ものすごくセンチメンタルになり、師走に入ってからとても寂しくてたまらないんです。
 
いくらなんでも、このアップダウンの激しさが続くのはどうしたんだろう? もしかして、と思って食べたものを考えてみると、私は今年ものすごく塩分を取っていたんです。
なので今日を限りに、以前の食生活にすべて戻すことにしました。

これってきっと個別のことなんだと思います。
もし、いままで穏やかに過ごしていて、アップダウンはあっても同じトーンでのんびり暮していたのに、突然、涙もろくなったり、傷つきやすくなったり、かと思えばすっごく笑い転げたり(いや、実際ものすごく面白いんですけど)、ウキウキし過ぎたりしていて、気分の上がったり下がったりが急激になった方、もしおられましたら、試しに塩分を控えてみてください。
パンにも塩分ってわりかし入っていますから。
 
それとダイエットなんですが。
私はダイエットが本当にダメで、食事を控えていることだけで非常にストレスになり、酷い時には一日中お菓子のことを考え続けていたりしていて、すぐに止めました。
 
それで3食きちんと食べて、以前よりむっちりしていたんです。
過食だろうと思っていたんですが、そんなに食べていないんですよ。
おそらく、吸収率がなぜか跳ね上がってしまっていたんですね。
 
それで変だな? と思い、1日2食にしたんです。
1日2食って私の乏しいダイエット情報では、1番太りやすい食べ方だったんですが、結局私は1日2食にして痩せていきました。
塩分控えめの薄味で、自分が美味しいと思う料理を食べながら。
ついでに気が向いたときはお菓子も食べていました。
カフェインも1日3杯までと決めて、濃いストロングコーヒーを落として飲んでいました。
 
それでぐいぐい痩せていって4年くらいかけて、30代頃の体型に戻ったんですね。
運動は特にしていませんでした。
効果の出ない、短時間のウォーキングをしてはいましたが、別に代謝が上がって汗が出るようにもならず、単に散歩して、食事は薄味で1日2食です。
 
結局、私個人の現在の生活と運動量では、1日2食が適切な量だったんです。
その栄養摂取量で、きちんと代謝され、塩分も私にはちょうど良い量だったんです。
 
たった今気がついて驚いた後、これを書いています。
 
適性な食事量は、その人個人個人によって違うし、その人の生活の運動量によって食事量は違うんじゃないでしょうか?
 
実は私は30代もそれ以前も、基本、痩せ型だったんです。
ウエストサイズは56か58。これって今の骨格の方々にとっては、え、そんなに低くないのでは?と思うかもしれませんが。
当時、大食いだったんです。
ガツガツ食べて、一切太らず、そのサイズを維持していました。
今ウエストは60くらいで、服の生地によってはガバガバです。
もうすっかり歳を取っているのに。
かなり、むっちりしていたのに。
 
これはファッションダイエットでは、もうとっくに普通のことでしょうか?
もし良かったら体調と相談しつつ、やってみてください。
そうしていて少し具合が悪ひ日は、2.5食にしてみるとか。
それだけです。
野菜からは食べていますが(これも何かで見た。)、そもそもサラダから食べますよね?
煮付けは後回しです。
 
急ぎお伝えしておきます。
気持ちのアップダウンが激しくなってるな、と思ったら、プロに相談したり先日ご紹介したサプリを試しながら、塩分を控えてみてください。
 
無理のない形で外食を控え、だし昆布を鍋の水に放り込んで30分後に火にかけて、具材入れて味噌(タニタの減塩味噌を私は愛用しています)を溶いて、乾燥わかめ入れて火を止めて飲んでください。
塩は入れません。

もしよろしければ。