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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 

2024/09/13

NewJeansのゲリラライブについて思うこと・本日の雑感(不定期)

 

或る夕方 美しいビル

 
久しぶりにK-POPの話題です。
本日の雑感らしく、らっと書く文章でやります。
 
NewJeansのプロデューサー、ミン・ヒジン氏とHYBEが今年に入ってずっともめていますね。
私は何が起こっているのだろうと、定期的に日本に入ってくるニュースを拝読しているのですが、結局何が起こっているのかよくわからないまま、事の推移をただ見ています。
 
そして先日9月11日に NewJeansのメンバーがゲリラライブを行い、自分達が言える範囲でこちら側の視点から、何が起こっていたのか、NewJeansのメンバーとNewJeansとしてのグループの思っていることを語った後、HYBEにミン・ヒジン氏を元のポストに戻して欲しい。ADORを元のメンツに戻して欲しい。
自分達はそこで今まで通りの立場で、NewJeansとしてうまくやっていくので、9月25日までにやって欲しい旨の意思を示しました。
 
私がそのことを知ったのは12日の夜で、驚くというより、それまでもNewJeansはミン・ヒジン氏への解任について裁判所に嘆願書を提出したり、ずっとミン・ヒジン氏を支持する立場を明確にしてきましたので、やっと自身の肉声で立場を明確にしたのだと思いましたし、どんどん状況が動いていく中、2024年の9月12日現在のNewJeansとして一番最新の意思を提示したのだと、とてもいいやり方だと思いました。
 
年若いNewJeans達を心配する声もいくつか見られ、巻き込まれているとする見方もあるようですね。
私は、NewJeansも当事者ですので、巻き込まれているという見方とは違う視点を持っています。
 
またこれは少し整理しながら思った事なんですけど。
 
どうもNewJeansをどこまでチームとして区切るか、で、世界中のNewJeansファン(バニーズ)の中でも、NewJeansの捉え方に差があるのではないか、と思っています。
 
NewJeansってメンバーだけがNewJeansだ。
とする考え方と、
 NewJeansはミン・ヒジン氏や主要スタッフを含めてNewJeansである。
とする 考え方がある。
というのが、私がいま一連の流れを捉えるときの見当です。
 
私個人は後者の、「NewJeansはミン・ヒジン氏や主要スタッフを含めてNewJeansである。」という捉え方です。
 
おそらく、NewJeansはミン氏がプロデュースしていただけであって、NewJeans単体として、プロデューサーが変わっても、他に動きようも活動への指針を変えようもある。
という考え方が、この一連の話のNewJeans側と外からの見方、そしてバニーズ内、外からのリスナー(私です)からのNewJeansの捉え方のズレ、ではないでしょうか。
 
そして再三、NewJeansはミン氏を守る対応を続けているんですけど。
 
そこから見て取れるように、NewJeansというのは最初から「チームNewJeans」であり、その骨格にメンバー達がいて、ミン氏とともにNewJeansをやっていく価値観を持っているのではないでしょうか。
 
それとミン・ヒジン氏についてすごくラベリングが横行しているようですので、一応、書いておきますが。
 
ミン・ヒジン氏はSMTOWNで長期に渡り、アイドルをプロデュースする仕事に就いており、そのビジネス手腕と彼女にしか生み出せないアーティスティックな表現が認められ、主要ポストで仕事をし続けてきた人なんですね。
 
なので、よくある、アーティスティックな天才が、わがまま放題を許されてきた人で、世間知らずで社会的な会話(ビジネス的な)ができない機能不全を持っている。というラベリングは当てはまりません。
 
現在、こちらに入ってくる報道を見る限り、韓国社会は女性の活躍が当たり前となっていますが、おそらくミン・ヒジン氏が活動を始めた初期は、まだまだ女性の社会進出が今ほど当たり前で無かった時期です。
当時から、大きな企業で結果を出し、プロデューサーとして内外に名が轟くまでになった氏が、企業内、社会的に感情的で世間知らずなワケが無いんですよね。
 
だから、こういったラベリングの横行をミン・ヒジン氏がどう見ているのか、NewJeansがどう見つめているのか、を私は考えています。
 
それとこれはBTSの話題に関わりますが。
今回のライブ配信でNewJeans側が自分達のホームである企業側から攻撃をメンバー個人が受けていた。そしてその対応がホームである企業からなされることはなかった。
と発信している件ですが。
 
それくらい。とか、BTSだって堪えてきたのだから、わがままだ。弱すぎるのではないか。という向きもあるようですが(コメント欄を見ました。)  
それは違うでしょう。
BTSは、外からの攻撃に耐え続けてきた下積み時代を経て、内部に潜む罠にも対応してきたと私は捉えていますし、それはそう間違ってはいません。
対してNewJeansは、いきなりホーム企業内でメンバー個人個人に、他のグループと関わりを持たせないという、「お前達は孤立している。」「お前達のメッセージは誰も受け取らない。」という攻撃を受けていたんです。
 
これは、年齢問わず、非常に怖ろしいやり方ですよね。
 
このBTSを引き合いに出す話法は、誰々は堪えてきたのだから、という話に、ホーム企業内でメンバー個人にまで攻撃が行われていた、というNewJeans側の主張を、巧妙にすり替えようとする意図を感じます。
NewJeansの実年齢を利用した、新しいラベリングですよね。
 
また、NewJeansが売れっ子になってゲームチェンジャーと呼ばれ、K-POP史を整理する上でNewJeans以前・以降と区分けしても良いほど、NewJeansの登場が、K-POP・エンタメへ与えた甚大な影響力、という結論は周知の事実です。
 
そのせいで少し混乱があるようですので、私が記憶しているNewJeansが登場した当時のことを、覚え書きとして記しておきますね。
 
BTSの妹分として売り出されたのは、LE SSERAFIM(ル・セラフィム)です。
 
ミン・ヒジン氏は、病気の為、SMTOWNを退職した後、引く手あまたの中、療養と今後のことをご自身が考えた後、HYBEと契約したんです。
そしてHYBE内で、ミン・ヒジン氏が手がける初のガールズ・グループとしてまだ名前もなかった彼女たちが、LE SSERAFIM(ル・セラフィム)のデビューの後、どちらかというとマニアックなアーティスティックプロデュースからの、K-POPガールズグループへの新しいアプローチとして、NewJeansがドロップされたんです。
 
だから最初、(本当はどうだったかはわかりようもありませんが。)けっこう手弁当な感じだったんですよね。
すごく実験的な販売戦略や、私の理解の範囲で恐縮ですが、ガーリーとされているものへのミン・ヒジン氏の新解釈と、全員が同じ髪型で長い黒髪をしていながらも、全員が個別である。とする不思議なバグのようなイメージを持っていたんです。
 
学校のクラスメイトが、皆、だいたい同じような感じなのに、全員違う人間なことはわかっている。
そんな感じでした。
 
デビュー曲「Attention」のMVをご覧になればお分かりのとおり、90年代のダンスが好きな女の子達を体現していて、とてもストリートの匂いのするセンスが充満していたんですよね。
 
どこかにいるかもしれないけれど、本当はどこにもいない。
本当はどこにもいないとされているけれど、いつもそこにいる。
 
そういった女の子像へのバグであり、ウィルス的な感じだったんだな、と今は整理をつけています。
 
なんだか試行錯誤をくりかえし、ひとつひとつ試し試しやっているような感じでしたよ。
 
なので、この一連の騒動が本当に良く分からないんですよね。
私が言っているのは、この騒動の要因のことです。
 
鳴り物入りでミン・ヒジン氏を迎えて、とても実験的な「今のミンさんがやりたいグループをやってみたらどうだろう? 」と私がうっかり受信してしまうほどの、温情と実力への対等な評価をしたHYBEが、こんなたった数年で、いまやドル箱スターに成長したNewJeansとミン・ヒジン氏を含む「チームNewJeans」に対し、こんなわけのわからない騒動を起こしますかね?
 
実際、問題は起きているんですよね。
なのでリスナーとしては、どういうことかな? といつまでも私の頭に「ハテナマーク」が浮かび続けています。
 
NewJeans達は25日の期限までにHYBEが返答するとは、まったく考えていないと思います。
 
それにゲリラ配信の動画がいくら削除されても、個人がアカウントを持ち、それを再掲することはなんら法律違反でも契約違反でもないことです。
それを敢えてしないでいるというのも、おそらくNewJeansは、自分達は、本来のチームとして活動を続けることが第一義である。と意思表示したんだと思います。 
 
その価値観から考えていくと、今後のチームNewJeansの選択肢の方向性は見えてくるのではないでしょうか。
 
すぐ洗脳とか騙されているとかいうフレーズが出てきますけれど、いい仕事をしたい、最低限の環境を整えてくれ、チームメイト(ミンさんのこと)を戻してくれ、という意思表示をすることは、なんら売れっ子になっていい気になってるのでも、世間知らずでも危ない選択でも無いのではないでしょうか? 
 
そんな風に思いました。
 
来日公演のバニーズキャンプで、松田聖子の「青い珊瑚礁」のカバーに、とても上品で敬意しかないリスペクトと、二番からは自分達NewJeansが体現しているダンスからのアプローチで「青い珊瑚礁」を再解釈してくださり、ファンとして胸が熱くなりました。
とても嬉しくて数日はしゃいでしまいました。
 
誰もが大好きな曲です。
だからすぐにあのリズム拍手と声援が飛びました。
本当にありがとうございました。
聖子ちゃんが皆さんにも愛されていることがわかり、胸が膨らむ想いでした。
 
(無数にいるデビュー当時からのファンの1人より) 

エナメル 拝


以上、NewJeansのゲリラライブについて思うこと・本日の雑感(不定期)、でした。

20240915 13:47 文章をなおしました。内容の変更はしておりません。


 
  
 

2024/09/10

Uber Eatsの花束

暑いですねー。
ものすごい残暑です。
 
私の住んでいる地域はミニマム限定で蚊が大量発生しているらしく、バスを待っていたらものすごく刺されました。
 
運悪く愛用しているベープ150日間も切れていて、部屋の中にも小さな蚊が居てお酒を飲んだ後そのまま眠ってしまってこれまたたくさん刺されてしまいました。
でも少し刺されてもすぐ元に戻ったので、小さな蚊だったんでしょうね。
よかったです。(よかったこと探し)←ポリアンナ?
 
お米不足が大変なことになっていますね。
いつものネットスーパーでも品切れで、タイ米を購入しました。
ストックを作っておいたので、これとタイ米で11月までなんとかしのげそうです。
といってもウチはこの頃お米を食べないことが多いので、今回の米騒動、早く落ち着くと良いですね。
11月になってもお米市場が安定しなかったら、お餅がたくさんあるのでそちらでなんとかしようと思っています。
 
 
こちらはUber Eatsで注文した花束です。
Sサイズで1000円ちょっとでしたよ。
 

こちらも同じくUber Eatsで注文した花束です。
供花が切れていたので、そちらに生けました。
 
すぐに秋めくのかな? という予想はすべて外れのようです。
 
あまりに暑いので外出再開もすぐに取りやめました。
 
猛暑で、ベランダにある素敵な名前を持つ庭の手入れが出来ておらず、枯れ込んでいた大鉢をいくつか処分しました。
 
育てていた草花を処分するとき、もう枯れてから処分することが多いのですが、いつもご苦労様でした。天国で新しい命に生まれ変わって下さい。と心の中で手を合わせています。
ガーデナーとしてはそういう判断が必要なときもあり、少しだけ躊躇ったり逆に妙に勢いづいて処分してしまうときもあります。

そろそろ夏剪定をして、秋薔薇のシーズンに備えようと思います。
 
以上、 Uber Eatsの花束でした。
 
 

 
 

2024/09/08

移動する街

 

3年目のオリーブの実たち

 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
私の住む街は、旬の街が移動するという特色を持っています。
 
どういうことかと言うと、20年単位で、中心部が変わるんですね。
都市計画で次はここを仕掛けましょうという商業発展して欲しい所とは別に、予想に反したエリアに旬の街が移り変わります。
 
それすらも水面下で仕掛けられていたのかもしれないと考えていくとキリがありませんが。
おそらく違うでしょうね。
偶然そういう旬になっていく所が集まり始めて、ひとつひとつ通りに馴染んだ結果、最初に予定されていたターゲットとは違う人々が集まり始めて、新しい旬のエリアが出来ていくんです。
 
先日、そこにこっそり近寄ってみると、本当に楽しくって活気があって、旬の街特有の、誰も気にしないし誰が来ても良いし面倒くさいこと言わないし、どこかごった返していてワイワイしながら、すこし低温度の風が吹いている。
という私の大好きな街の要素がストリートにありました。
耳の早い、インバウンドと呼ばれている海外旅行客のみなさんもちょっと覗いてみようという感じで、「熱」のある空間でした。
 
私は青年ではないので、やっと重い腰を上げてみようかな、というタイミングだったんですけど。
おそらく街の若者や青年層にとっては、そこはもうお馴染みなんでしょうね。
 
古い言い方になるんでしょうか。
「河岸を変える(かし)」という価値観があります。
ごくミニマムであれば、呑んでいて場所を変える・店を変える、というやり方。
これは、入った店に腰を落ち着けて呑み続けてもいいけれど、ちょっと窓を開けて空気を変えるみたいに場所を移って、その人達がその時纏っている良い流れ、いい雰囲気を維持するためにやる、やり方です。
逆にちょっと今日もう飽きたな、という気配が漂い始めた時に、すっと場所を移動して仕切り直す、というやり方でもあります。
 
この「変える」ということ。「変わる」ということ。
少し寂しいような、さっぱりした気配があって清々しさがあることを、すごく悪いことのように信じ込んでしまう世代特有の価値観があって、私はそれがどうにも好きになれません。
 
変わらないといけないとか、変えないようにしようとか、そういう「逃さない感じ」が、とても嫌いなんですよね。
 
伝統とか新たに発見された素敵なこと。
そういうのを大切にしようが嫌なんじゃないんです。
あ、ここは違うな。
そうパッと判断する自分や、考えるより先に立ち上がって店を出ようとする人の腕を掴んで、無理矢理座らせる感じが、すごく執拗で嫌いなんです。
 
こういうことを遮るために、巧妙に手を変え品を変え、それこそが素晴らしいもののように言い募ったり、説得してるつもりの、新しい価値観を提示して、それこそがとても良いように見せかけるもの。
もっと言えば、教育したり教示しているつもりのもの。
 
そういうのは、嫌だな・・・、と堂々と思って、心の中で「あ、はーい」って返事しながら、相手にしなくていいんですよね。
 
またスタイルという、暮らしのお洒落な提案の中に、本人の自己判断や肌に合う合わないを頑強に拒否するものがあるでしょう?
 
ああいうのは誰も相手にしていないし、そうかな・・・?と不安になっても、あなたが無理をして窮屈な思いをする責任を、誰も取ってくれないので、さっさと席を立って自分の好きなこと、いいなと思うことに移って良いんですよね。
私の数少ない経験上、そこに上手なやり方を付け加えるなら、「黙ってやる」ですかね。
 
どうしてそういう人が存在しているのか、今まで考えてみても結局よくわからないので、もう考えるのを止めたんですけど。
鵜の目鷹の目で、自分じゃない人が楽しくて素敵な状況に入ることを、なぜだか邪魔しようとする価値観があるんです。
多分、自分と人の区別がつけられない、区別がつかない人なんだと思います。
そういう人を相手にするのは、心底、時間の無駄ですので、どんどん好きなこと、いま自分にフィットすることに、黙ってサクッと移っていいんですよね。
 
そして、どうにもこうにもあなたを遮れないとわかると、「どうして?」「なぜですか?」と質問攻めにして、足を止めさせようとまでしてきますので、「んーなんとなく」とか「あー、うーん・・・」って言いながら、パッとその場を離れて、そういうもの全般から距離を取りましょう。
 
あとこれも心の中だけ思っていればいいことですが。
タイパという言葉が使われるようになって久しいですね。
タイムパフォーマンスという言葉なんだそうです。
よく分からないまま、時間をかける理由に納得がいくかいかないか、というハナシだろうな、と見当をつけていたんですが。 
 
(前略)
限られた時間内にどれだけの効果・満足度を得られるかが強く意識されるようになっている、という指摘がある。『三省堂 辞書を編む人が選ぶ「今年の新語2022」』では「タイパ」が大賞に選出されたように、「タイパ」は最先端の言葉・概念として脚光を浴びるようになった。
(後略)
 
Z世代が重視する「タイムパフォーマンス(タイパ)」の意味とは? メリットやビジネスにおける事例を解説
HRプロ編集部
公開日:2023/07/05
https://www.hrpro.co.jp/series_detail.php?t_no=3165

 
この考え方を良いと思うか、そうでないと思うかは、個人個人に委ねることです。
ただ、この考え方を「ただ単に、待てない人が利用している」ことが非常に多いようですね。
 
ええ、待てない人です。
短気以前の問題で、少し待つ。状況を判断して自分の時間、順番が来るまで、そこで待つ。
ができない人が、上手いことこの言葉を利用して、時間がかかる人、時間がかかって当然の状況に圧をかけているのを見かけているので、そういう勘違い野郎どもに焦る必要はないですよ。
と書いておきます。
 
口に出すと面倒なことが起きるので(笑)、心の中でこのように思っておきましょう。
「でもあなたは、ここに来て買い物をする時間があるんですよね? 」
 
本当に忙しい人は、外出してそこまで歩き(または車ないし自転車で移動して)、物を購入して支払いを済ませ家に帰る時間すら無いはずです。
本当にタイパを意識して仕事をせねばならない人は、わざわざ忙しくて混む時間帯にそこに行って買い物をするという選択をしません。
 
そういう状況に入る前に、そうならないように生活の工夫ができる人(またはしないとスケジュールが回らない人)が、自分の時間を無駄にしないでくれ、とお店の人や順番待ちの時にアピっていい人ですよ?(にっこり)
 
待てない人は幼稚園生からやり直しですね。
放っておきましょう。
 
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
 
 
 
 
 
 

2024/09/07

美味しくない店に行ってしまった時の対処法

先人の教えを頂きました。
 
美味しくなかったお店に行っちゃって、食べてる途中でだんだん口数が少なくなってしまい、お店を出た後も、瞬間的にやつれ果ててそよ風にも吹き飛ばされそうになってしまう状態の時。
 
どうすれば良いかをレクチャーしてもらいました。
 
店を出た後、少し離れてから、
背筋を伸ばし、毅然と、一緒に行った相手に向かって、
 
「不味かったですね!
(きっぱり)」
 
と言い放つんだそうです。
 
その後、肩で風切るイメージで歩き出して、二度と思い出さない。
 
だそうです。
 
勇壮に、自分の背後に地平線が見えるほどの大草原が広がるイメージでやると、さらに良いそうです。 

1人のときは(ソロの場合)、
 
「不味かったね!
(断定)」
 
と胸の内で言い放つんだそうです。
 
その後、肩で風切る感じでやっぱり歩き出して、二度と思い出さない。
 
それでオッケーだそうです。
 
タイヘン参考になりますね。
 
誰のせいでもないですし、
誘ってしまって悪かったな・・・。
と思ってしまうし、
相手も、
気にしないで気にしないで、ホント気にしないで。
と全力で思ってる時に、
非常に有効です。
 
ぜひとも皆さん、今すぐやって下さい。
(エナメル指示
 
以上、 不味い店に行ってしまった時の対処法、でした。
 
 


 
 
 

2024/09/05

極楽浄土・天国というものへの1解釈

 先日、仏教の一般的な考え方に三十三回忌というものがあると知りました。

 

「弔い上げ」とは、故人様の死後、33年目(満32年目)に行う、最後の年忌法要です。
一般的な法要には、初七日や四十九日法要、一周忌や三回忌などがあげられます。そこでは、故人様の魂が極楽浄土へいけるよう、個別で法要をしてご供養します。
しかし一般的な仏教の教えでは、「弔い上げ(三十三回忌)」の時期には“どのような魂も、極楽浄土へいき往生する”といわれています。そのため、それ以降は、個別の法要は行いません。

霊園・墓石のヤシロ

https://www.yasiro.co.jp/colum/detail/colum74.html

 

法要を行う、行わないの選択とは別に、私個人としては、仏教の考え方として、故人となった後も最長三十三年間はこの世界に留まり静かに過ごす方もいるのだな、という気持ちでした。

ここからは、もっと私自身の捉え方というか、考え方なのですが。

極楽浄土や天国とされる場所に行くまで、時間がかかる人かからない人と色々あって、幾億の人々の縁や事情で望んでそうされている方もいるのかもしれない。

そして、いつかその人にとっての時間が来たら、明るい静かであたたかい場所へ行くのかもしれないな、と解釈すると、穏やかな、秋の始まりの今日の晴天のような明るいものが胸の中に吹き渡りました。

この世に留まっている故人について、暗かったり怖ろしかったりする話ばかりが多いようですが、そうではない事情もあるのかな、なんて、思いました。

ただ単に、淡々と歳をとっていく中、年月を経て、個人的な見当を持てる、こういった機会が嬉しいです。