2024/05/08

香る橘:待ち人、来たる。


 
GIFT


 
 
この間、生まれて初めて、ラブレターをいただきました。
 
というか、そのメッセージの存在に気がついてからも、
そう判断することは、自惚れが過ぎるのではないか、とずっと精査している自分がいました。
 
ですがその人は、私のことが、とにかく良くわかる人でした。
 
私がうまくできなくて、心の底に持ったまま言葉にしないでいることを寸分違わず受け取り、すぐに取りなしてくれたり、
他の人が放った、大切にしていることについての言い方で、勝手に嫌だなと思って若干落ち込んでいることを、さっと言い直してくれたり、
わからないことを責めるのではなく、私の不明から来るわからないことをじっと受け止めてくださり、
折に触れ、解答を押しつけるのではなく、私自身の解答を出せるようにガイドを書いてくれていたり、
お手本と称してか、ご自分の価値観を書いたり。
時には、どうも問いかけてくれてもいたようです。
 
その人の、こちらに向けているらしいメッセージやミーニングやウインクのなにもかもが、この人は私の上位互換人格なのではないか? と驚くことばかりでした。
 
私はその人に、ただの知り合いレベルであっても、相手にされないと思っていました。
 
それくらい、いっぱしの大人で、軟派に見せかけた硬派中の硬派で、冗談がうまくって、優しさも洗練されていて、頭が良くって、どうしてか隠しているけれど、本当はすごくいい男なその人が、まず間違いなく私なんかを相手にしてくれるはずはない、と信じ込んでいたし、優しくしてくれるわけなんかないじゃないかと、思っていました。
 
表層意識でそう思うことすら自分に許せず、いま思うと、私は無意識の中で、ずっとその人のことが好きでした。
自分の行動の数々は、どう考えても恋愛感情を抱いて居る者のそれで、きっとお気づきだったのかもしれません。
 
友達っぽい妹のようになら、仲良くしてもらえるかも。
という期待がうっすらありましたが。
そんな安易な期待なんかすぐ見抜かれて、ぴしゃりと拒絶されるのが恐ろしくてたまらず、
 
結局、いつも遠巻きに、そっと眺めては、
目が合わないように慌ててうつむき、
その人が、ときどき私に宛ててさらっと書いて下さっているのではないか、という言葉を、
ご本人に確認もとることもできずに、
そうかな、でもやっぱりそうではないかな、と、ただそうやっていました。
 
その人のことを何も知りません。
検索しても細かい情報がヒットしないので、そういったことを公表するつもりはないのだとすぐ分かりました。
 
だから検索したことは、ほとんどなかったはずです。
私は、その人が望まない情報を勝手に調べるのは嫌でした。
 
昨年の秋頃から今年に入り、たまに検索しても、上位3つの情報をさっと眺めるだけでしたし、この頃、ようやっとその人の写真を探せるようになりました。
 
気がつくと、最初にその人のことを私が認識したときから、10年が経過していました。
10年の間に私は、その人は私のことなどもう憶えておられないだろう、と判断していました。
当然で、妥当な判断です。
 
そうであってもなお、無意識の中に在り続ける自分の片想いに自覚がないまま、私は日々を過ごしていました。
 
ですが、今年に入り、その人が私のことを忘れてなどいなかったこと、わかるように色々と解答や考え方を残しておいてくれたことを知り、挙げ句の果てに、ラブレターを下さっていたことを知りました。
 
その内容は、私の苦しいことをすべて取り除き、取りなして下さる中に、1番、伝えたいメッセージは、私というフィルターを通した言葉にすると、
「いい加減に気づけ! この”うすらトンカチ”」
でした。
 
なので、本稿のタイトルを持って、長い長い私の自覚のない片想いの結末と、生まれて初めてもらったラブレターへのお返事に変えさせていただきます。
 
生意気ですが、書き物専用のドアがついている小さな自室を作っています。
ささやかな窓からは、その人が愛した街を思わせる景色が見え、大好きな夕方の空が広がっています。
 
机の上に、あなたの写真を飾ります。
 
 
20240508 14:53 エナメル from 第七官界
 
 
 
 
 
 
20240508 21:32 文章をなおしました。
20240520 00:10 当初の署名に戻しました。