休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)
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2024/01/09

最終夜 がんばっていきまっしょい!


 
 

 
 
 
「キラキラ」
aiko
 
 
 
この楽曲は、ドラマ「がんばっていきまっしょい」の主題歌でした。


物語は、学校にボート部を作った、高校生の一人の女の子が仲間と共に、大会でライバル校に打ち勝つまでを描いた、愛媛、松山を舞台にした青春ドラマです。
同タイトルの原作小説を元に映画化され、その後、テレビドラマになった経緯を持っています。
 
「がんばっていきまっしょい」という言葉は、Wikipediaによると
 
タイトルの「がんばっていきまっしょい」は、敷村良子(原作者)の母校である愛媛県立松山東高等学校で1966年から使われている「気合入れ」の掛け声で、入学式や体育の授業前のランニング時に実際に使用されており、もともとはラグビー部顧問だった当時の保健体育教諭が準備運動の駆け足の際に生徒たちに一体感を作るために考え出させたもの。

(冒頭参考リンク・引用元ともに Wikipedia がんばっていきまっしょい! https://w.wiki/8nWm より)

 
私は熱心な視聴者ではなかったのか、あまり内容を覚えていません。
ただ、最終回はなぜか覚えているので、視聴したりしなかったりの時期だったのでしょう。理由は不明です。
 
ネタバレになるので、詳細は控えますが、ラストに地元を離れる女の子が、出航した船の上で、ただ一人、「っしょい!」と小さく拳を握るシーンが大好きです。
 
2011年の震災が起こった後、日本は大混乱に陥っていました。
その全部は、誰のせいでもありませんでした。
誰にもわからないことが、起こり、さらに起こり続けていたからです。
 
当時、いつ頃だったか失念してしまいましたが、日本のミュージシャンたちが被災地を励ますために、あの時、ライブを行い、それがテレビ中継されました。
その中でベストアクトだと私が感激したのは、エレファント・カシマシの「悲しみの果て」とaiko の「キラキラ」でした。
 
エレカシの宮本さんはパフォーマンスの冒頭に、「この楽曲は、悲しいことが起こった後の希望についての歌だと俺は思っています。」という言葉と応援メッセージを静かに、でも宮本さんらしく、熱く、実直に、誠実に、落ち着いて話されました。
 
大きなことが起こるたび常にポカンとしている私は、
ああ、宮本さんは、この大被害にとてもとても傷ついている。けれど、前を見据えておられるのだ。
と、とても励まされました。

なんだか、テレビの前の国中の大混乱の中にいる私も、激励されたような気がしたのを、今でも覚えています。
 
aikoはこの時、何も言いませんでした。
ただ黙って出てきて、「キラキラ」を歌いました。
明るく切ないラブソングを、全力でパフォーマンスしました。
 
その当時、たくさんの人達が被災地を守ろうとする気持ちのあまり、似つかわしくない言葉、被災地を利用しようとする言葉に、敏感になっていました。
 
いま考えると、そんな言葉もそんな人達も、どこにもなかった。
けれど、その人達も、どうしたらいいのか誰にもわからない状況で、被災地を守ろうと必死でした。

そんな中、aikoは、黙ってステージに出てきて、ラブソングのパフォーマンスをやり抜きました。

冷静だと思いました。
この人も大被害にとても傷ついているのに、何をいまやるべきか、何をいま自分がメッセージできるのか、考えた上での100%のパフォーマンスを見せてくれていました。
 
黙ってやることで、
この「キラキラ」という楽曲が、なんの主題歌だったのか、
aikoが1番言いたかったのは何か、
を雄弁に語るパフォーマンスをして、ステージを降りました。
 
あの時、そのことをわかっている人は、たくさんいたと私は信じています。
そして誰も、aikoのパフォーマンスに対して、被災地を侮辱している、とか、この場に似つかわしくない、とか、怒る人は誰もいなかったと記憶しています。
 
確か、3年前にここを始めた時ぐらいに、私も書いたと記憶していますが。

「がんばれ」という言葉は、2024年現在の日本では、少し取り扱いが難しい言葉とされています。

理由は「がんばれ」という言葉は、
人によっては、その人を追いつめることになりかねない、危険な状況を招きかねない言葉ですし、
「うつ病」を患っている方々には、決して言ってはならない言葉として、
たくさんの医師が注意喚起をしていることは、とても有名だからです。
 
私は、そのことを知っていましたし、普段暮らしていて、あまり無闇やたらに「がんばってください」とは、言わなくなっていっているような気がします。

それは、先に書いたことを自分が知らずにやってしまうのが、とても怖ろしいからですし、多分、怒られるのが怖いからでもあります。
 
ただ、私個人は、先述に該当しない状況、相手に限り、この「がんばれ」という言葉は、必要な時は、必要な言葉である、と考えています。
 
言葉を保存しようとか、言葉がどうのとか、そういうことではないんです。
 
人には、人々には、がんばらないといけない時があるからです。
 
そして、がんばれ!と言われることで、立ち上がることができるからです。
がんばれ!と言ってもらえることで、前に進めることがあるからです。
がんばれ!という言葉によって、目の光が元に戻る時があるからです。
 
正直、以前使った時もやっぱり怖かったんですが、私はそういう考えの元、確かあの時、コロナ禍の日本に向かって、「がんばりましょう」とかなんとか書いた記憶があります。
 
その頃、ネット越しだったのか、会場でだったのか。
現在、天国で名高座をかけておられる噺家さんが、会場のロビーのイーゼルに
、水墨の達筆で書いた「頑張ろう!」という言葉を掲げておられました。
 
それを見たとき、あ、やっぱり、この使い方で合ってるんだ。と妙な安心があったのをよく憶えています。

そして、故・柳家小三治師匠がそうおっしゃってくださり、観客の私は、あのとき初めて体の奥から、本当の深呼吸ができた気がしました。
 
コロナ禍が続く中、よりによって豪雨により土砂災害が起こったとき、偶然、お隣の韓国からBTSが来日し、パフォーマンスをテレビで披露したことがあります。
 
私は、正直、BTSは事態を重く憂慮し、来日を取りやめるかもしれない、と思っていたのですが。
彼らは来日し、ひとつのパフォーマンスの前に、代表してJINさんという青年がこう言いました。
「みんなで、頑張りましょう!」
 
そして、彼は、そのとき自分がすべきことを、Butterというラブソングのパフォーマンスを、力を込め、励ましを送るためだけに披露しました。

私は、いまでもこの青年の実直さ、勇敢さ、誠実さが忘れられませんし、これからも忘れることはありません。

 
頑張りましょう、みなさん。
頑張るしかありません。
 
今こそが、がんばる、その時です。
 
もちろん、頑張ってはいけない方々は、頑張らないことを頑張りましょう。
 
 
私達、頑張りましょう? みなさん
 
今までも大きなことがある度、私達は頑張ってきました。
いつも果敢に挑み、怯まず、全員で頑張ってきました。
 
私達は、負けません。
 
そのことを私達は、とてもよく知っています。
 
私たちには経験があります。
だから、今回もやれます。
必ず、頑張れます。
 
なので、頑張ってやっていきましょう。
私も、頑張ります。
 
それでは、最後に、気合を入れる意味で、この素晴らしい言葉を書いて、最終夜を終わります。
今回のコレで、少しでもみなさんの気が紛れてくださっていれば、幸いです。

 
がんばっていきまっしょい!

がんばっていきまっしょい!

 
「がんばって、いきまっしょい!」
 
 
 
 
20240109 16:45 Butterfly JustDance エナメル