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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 
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2025/04/22

芸能人と家族の保護免許・本日の雑感(不定期)/ Celebrity and Family Protection Licenses, Miscellaneous Today (irregular)

 
Baby Iceburg

 
松田聖子さんのデビュー当時からファンなんですが。
ずっと2025年まで胸の底で考え続けていることに、
どうしたらこの人達がストーカー被害やオフィシャル成功者としての拒否できない立場に付け込まれ、ありとあらゆる暴力被害を受けないで済むだろうか。
というものがあります。
 
それで思ったんですけど。
芸能人とそのご家族に、保護免許証を資格として国が与えるんです。
そしてその保護免許証を付与された人物に対し、軽犯罪やハラスメントを行った人物への罰が倍になる権利を与えるんです。
公的保護権ということです。
するとまずご家族のお子さんは何処に行ってもいじめ被害には遭いませんし、許可無く写真を撮られてメディアに載せられません。
 
そして正当防衛の不備を言われずに済みます。
なぜ有名人だと自覚があるのに、警備をつけずに街を歩いていたのか? とかいう責任追及をすべて無効とするんです。
自宅にカメラを設置していなかった、セコムの最高プランではなかった等も同じです。
 
そうするとプライベートで本人達が社会に対し、自身が有名人だと隠して行動しても、何か起こった場合、その保護免許証を所持または資格を与えられていた人物と家族である、と分かった途端、明らかにわざと肩をぶつけて来た人物は、例えですが、執行猶予か数ヶ月の懲役にして良いことにするんです。
スーパースターや著名人の普段の行動に、倫理的行動や社会模範行動を当然とする考えも、これでストップできます。
人権を保護しているんですから。
防衛行動も過剰であると一切言われなくなります。
先に殴られなくても正当防衛である、と保障されている所から、各問題の法的判断が始まるようにするんです。
 
そうすると、名誉毀損も懲役刑にできますし、罵倒やハラスメントも1回で書類送検です。
保護免許を付与された人物は、望まない接触を拒否する権利も保障されます。
 
すると、一般社会で保護されたまま、安全に暮らしやすくなりますよね。
 
 
---------

なぜこんなことを思いついたかというと、
韓国では現在、SUPER JUNIORのメンバーの自宅に、ストーキングをしているファンが勝手に上がり込んでいたり、BTSは自宅があるマンションの駐車場に勝手にファンが入り込んで警察を呼ばれる事態が起こっています。
 
それでまず、韓国って、言ってみればソウル市内だけで、マドンナやマイケル・ジャクソンやプリンスやジュリア・ロバーツが暮らしているんですよね。
そこで仕事しているんです。
それで明確な保護をされていないんだそうです。
情勢の話もありますが、なぜストーキングなのに実行してしまうのか、というと、世界クラスとなったスター達が、もの凄くたくさんソウル市内で暮らしているんです。
ワールドクラスの光を放つ人達が、一般市民と共存している事態になっているんです。
 
これは世界中でも、おそらく有史以来の事態でしょう。
しかも電車に乗ってスターのプライベート周辺に行けば、見かけるのは簡単なわけですから、その光があまりに強すぎて、光に弱い方々は判断力を見失いやすくなりますよね。
一般市民としても、有史以来の事態に遭遇しているんですよね。
 
同じように、私が住んでいる日本のスーパースターでは、松田聖子さんやRCサクセションがいます。クリスマス・イヴでお馴染みの山下達郎さんもそうですよね。
その人達のプライバシーの安全の保証は、やはり公的に行われていません。
それで、様々なトラブルや卑劣な犯行がスーパースター達を襲っている事件があるんです。
 
なのでシークレットに保護するのでは無く、公的に保護免許を付与された国民にしてしまうんですよ。
そうして彼らに対して行われる軽犯罪やハラスメントも、その罪状を倍に科刑する。と法で定めるんです。

すると芸能人になりたがっても、安心してレッスンと学業を両立できるし、デビューして売れっ子になってもプライベートで安全安心が保障されます。
超スーパースターになっても、今まで通り一般社会で暮らせるわけです。
 
法律で定めるんです。
芸能人と著名人、その家族全員への保護免許付与を。
 
これは、たくさんの人達が明るい気持ちになれるアイデアだと思います。
 
 
20250423 06:47 文章を直しました。 

Brown Sugar

I've been a fan of Seiko Matsuda since her debut.
I've been thinking about it in the depths of my heart until 2025.
How can these people avoid being stalked, being taken advantage of their unobjectionable position as official successes, and being victimized by all kinds of violence?
I've been thinking about it for a long time.
 
And then I thought.
The state should give celebrities and their families a protective license as a qualification.
And then give the person who is granted that license of protection the right to double the punishment for misdemeanors and harassment.
It's called public protection rights.
Then, first of all, your family's children will not be victims of bullying wherever they go, and they will not be photographed and put in the media without your permission.
 
And they will not be told that they are deficient in self-defense.
Why would they walk down the street without security when they are aware that they are a celebrity? And that invalidates any and all claims of responsibility.
The same goes for not having cameras installed in their homes, not having the best Secom plan, etc.
 
Then, if they act in private and hide their celebrity status from the public, but something happens, as soon as they find out that they are family members of the person who had or qualified for that protection license, the person who obviously bumped them on purpose can be put on probation or a few months in jail, just as an example. So, we do that.

This also puts a stop to the idea that we take for granted ethical or socially exemplary behavior in the everyday actions of superstars and celebrities.
We are protecting human rights.
It also stops any mention of defensive behavior as being excessive.
We would make sure that the legal judgment of each issue begins where it is guaranteed that it is self-defense, even if the person is not hit first.
 
That way, defamation can be punished by imprisonment, and abuse and harassment can be documented in one case.
A person granted a protective license would also be guaranteed the right to refuse unwanted contact.
 
This would make it easier for them to remain protected and safe in the general community.
 
 
---------

The reason I came up with this is because
In Korea, there are currently situations where stalking fans are going into the homes of SUPER JUNIOR members without permission, and BTS has had to call the police when fans enter the parking lot of the apartment building where their home is located without permission.
 
So, first of all, Korea is, let's say, the city of Seoul alone, where Madonna, Michael Jackson, Prince, and Julia Roberts live.
They work there.
So they don't have clear protection.
There is a story about the situation, but the reason why it is stalking and why it is being carried out is that an awful lot of stars who have become world class are living in Seoul.
There are so many world-class stars living in Seoul, and these world-class stars are living together with ordinary citizens.
 
This is probably the first time in the history of the world that this has happened.
And since it is so easy to spot them by riding the train to the stars' private areas, the light is so strong that those who are sensitive to light can easily lose sight of their judgment.
Even as a civilian, you are encountering a situation that hasn't happened since the beginning of time.
 
Similarly, among the superstars in my part of Japan, we have Seiko Matsuda and RC Succession. So is Tatsuro Yamashita of Christmas Eve fame.
There is still no official guarantee of the safety of the privacy of these people.
So there have been incidents of various troubles and dastardly crimes against these superstars.

The law provides.
Grant protective licenses to entertainers and celebrities and their entire families.
 
I think this is an idea that would brighten a lot of people's day.
 
Translated with DeepL.com (free version)
 
 
Pierre de Ronsard


20250423 06:47 I fixed the text.
 
 
 
 

2024/05/26

RIDE ON TIME

 
みなさんのお宅の芝生はどうですか?←?
 
そもそも、エナメル。あんたの家はベランダでは?
ベランダに芝生を作ってるってこと?
なぜ、本日の日曜版で芝生の話題?
 
と思われることは色々あると思います。
・・・、続けます。
 
芝生といえば、維持が難しいそうですね。
確かにそうでしょう。
先日、私が参加しているランキングサイト様の面白い投票コーナーで、芝生についての話題をみかけました。
けっこう熱いんですね。
 
こちらですが。
 
 

 

 
BLOG LANKING 投票アンケート
芝生の悩みとは?
https://blog.with2.net/votes/item/116538/result
 
(受付期間 : 2013/07/31 22:22 〜 無期限)
 
で、投票せずに回答をみるとですね、正直、何言ってるかわからない用語とお馴染み感溢れるワードがならび、ものすごい投票率でびっくりしつつも、当たり前のことのようにある「サッチ除去」がとても目につきます。
 
サッチ。
たぶん、サッチモではないと思います。
あと、誰かのニックネームでもないと思います。
ちょっとバレー部のエースっぽい、親しみ安さの中に強いリスペクト感のあるニックネームのようですが、芝生の話題ですので、きっと違います。
 
検索してみます。
 
芝生の地上部の緑色部分と床土表面との間に堆積した枯死または生きた芝草の茎葉から成る未分解の有機物の層をサッチと言います。
 
参照リンク
シバウラの校庭緑化 様より
https://www.ihi.co.jp/iat/shibaura/schoolyard/glossary/cat3-sa/thatch.html
 

芝生の枯れ草のことですね。
 
あーあれね。あれあれ。そうそう、歩いていると枯れてますね。知ってる知ってる。
 
・・・それを除去することで維持するものなんですね。
あったらダメなんでしょうか。
 
アンケートのコメント欄を見ると、”サッチかき”と言うそうですね。
で、それをどこまでやっていいかわからないし、負担が大きいという、あーそうそう。的な”あるある”が書かれていました。
 
昔バイトしていた店の奥で、朝っぱらから生クリームを作る工程で、生クリームを電動ミキサーでかき回して、その日のフレッシュを大量にこしらえておくことを確か”生かき”と言ったんですけれど。
あんな感じでしょうか。
 
と、わかってる感を醸し出しますが、きっと枯れ草を引っこ抜くことを指してるんでしょう。
 
たぶん、ライン引きの白い石灰が大量にこぼれてて、誰もどうにもしようがないけど、あーこれ、片付けないとね。と思ってんだけど、誰も片付けない校庭の隅にあるアノ用具庫で合ってますか? アッコによくあったよくわかんない、デカい熊手のような竹のほうき。
 
掃除時間にサボる奴がソッコー取って、なにも集める必要のない校庭その他でずっと動かしていて、最後、何ひとつ生産性のない動作を続けていたことを掃除をした達成感にすり替えていた、アレ。
 
あのツールで、きっと芝生をこう、撫でてですね。
枯れ草をきっと集めるんです。
 
みなさんはやってますか?
みなさんのお宅の芝生でお馴染みのサッチを、みなさんはどうされていますか?
ええ、断定しますよ。決めていきます。今日はガンガン決めつけます。言い切るのは勇気です。
 
大変でしょう。
熱いですしね。
遮るものが何ひとつない、芝生面ですから。
そりゃあ照り返しも凄い中、きっと朝とか夕方。
ジーって鳴く姿を見たことのない虫の声を聴きながら、もうこんな季節かあ、と年がら年中言いながら、きっとその竹のクマデでサッチを集めるんです。きっとそうなんでしょう。
 
・・・あれ、枯れ草じゃなくてサッチって言うんですね。
今度芝生を歩くとき、「サッチかきがさぁ〜」って独り言を誰かとすれ違う時に言ってみようと思います。
 
「お、わかってるじゃーん」と思われた後、
「くっ、あいつン家も芝生があるのか。意外とハイエンドだな」と悔しい気持ちをわき起こさせられるかもしれません。
 
オススメです。
 
あと1番多く投票されているのが、「やっかいな雑草取り」です。
 
・・・そもそも芝生に雑草って生えるんでしょうか。
芝生なのに雑草が生えるんですか?
 
雑草というか草花とか木がない状態に、こう・・・覆う感じであるのが芝生なのに、芝生に雑草が生えるんでしょうか?
雑草に芝生が持っていかれるんでしょうか?
そもそも雑草のない状態として芝生を育成していくものなのに、そこに雑草が存在している、ということなんですか?
なんにもない、なんにもない、まったくなんにもない♪
そういう空漠な空間表現としての芝生というアプローチの、はっきり言って他のものが生育できない状態にしてから、やっとこさ芝生を張るんだと思っていたんですけれど。字これで合ってますか? 合ってなくても知らないですけど。
 
無くしたものの上に存在させたものに、無くしたものが発生しつづけ、それを取り除き続けるということは、起点の無くしたものが機能していないどころか、存在理由を疑われて想起する以前の疑いかけられるんですが。
 
芝生は哲学なんでしょうか?
噴水はマストですか?
あれはスプリンクラーって言うんですかね。山下達郎の「スプリンクラー」が好きです。あれは名曲ですよね。
達郎さん家には芝生がフツーにあったんですかね。
 
雑草って、何が生えるんだろう。
セイタカアワダチソウですかね。
 
赤い風船に結びつけられたゴムが破裂して舞い散った、風が運ぶ種子との闘いなんでしょうか?
 
でも、普段から維持していたら、芝生が生えているわけですから、その上になんらかが生育するっていうことは、もー、一体いつ地下鉄を地面に入れてるんですか? ということになってきやしませんか?
 
雑草って芝生に生えるんですか?
放っておくと芝生はどうなるんですか?
母さん、あの碓氷峠で手放した僕の草取りクマデ、一体いつ燃えないゴミに出してしまったんですか?
と、家庭内争議にまで発展しうる由々しき事態ですよね。
 
もう何を言ってるのか分からないと思いますが、私も、何を書いているのかわからなくなってきました。
今朝は二日酔いです!☆
 
そしてさりげなく「全然茂らない」とありますが。
 
芝生って茂らないんですか?
ちょっとツボって、いま痙攣して笑いながらこれを書いていますが。
292件の票が入っています。
292人の方が、芝生の悩みと言えばコレ!
全然、茂らない(*^_^*)
が、ニュートラルに発想されるんですね。
 
それは悩みなんですか?
そうですか。悩みですか。
 
芝生の話題をみなさんと共有しようと思ってこれを書いていますが、芝生やってる? あーやってます。あれ全然育たないですよね。
・・・・・・・・・うん。
 
えっと・・・、どうしたらいいんですかね?
 
コメント欄を参考までに読み進めると、なんか苔と戦ってらっしゃるんだそうです。
『芝生育てて、苔との闘い。』
 
根こそぎ雑草を引っこ抜き、除草剤はあまり使わず、どこまでやっていいかわからない枯れ草を取り除きつつ、苔に飲まれる芝生を心配しつつも、苔を存在させたい感じも在り、芝生はうまく育たないがけっこうな悩み。
 
芝生。
大変ですね。
 
じゃあみなさん、今日は芝生について午後ちょっぴり考えつつ、ウチの芝生はそうでもないんだけどね。
と思いながら、コメント欄に散見されるパワーワード「もぐら」について、ちょっと吹き出しそうになりながら、本日の日曜版を終わります。
 
少し毛色の変わった日曜版でした。
せっかく二日酔いだし、往年のポップカルチャー的なうろおぼえだけを頼りに書いてみました。
たまにこうして、二日酔いの気分をお届けできれば、と思っています。
 
もう夏ですね。
すごい空とすごい雲です。
明るく、どこまでも美しい初夏の夕方を楽しみつつ、あまり芝生とモグラとサッチに引っ張られないように気をつけつつ、
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
 
※ 今日の投稿はけっこうパクりました。反省して先に言っておきます。二日酔いです。エナメルです。FM周波数は波乗りに最適な日曜日だとトランジスタラジオから流れている。
   
さらに追記
ここにあった追記はとても下品だったので消しました。こういうセンスも勉強しないといけません。
大変失礼いたしました。
20240604 エナメル 拝

 
 
 
 
 
 

2024/04/20

夜の大騒ぎ


左 南 佳孝 MONTAGE 右 山下達郎 FOR YOU

 

先ほど、南佳孝の名盤、「MONTAGE」に収録されたクレッセント・ナイトをWEB視聴コーナーで初聴きし、ものすごく興奮して、部屋の中でひとり大騒ぎをしていました。
大騒ぎして、かっこいい!かっこいい!おしゃれーーっ!と全力で大騒ぎした後、
山下達郎の「FOR YOU」と
パール兄弟の「BLUE KINGDOM」の発売年を調べて、
さらにさらに、かーっこいいいい!!!と大騒ぎを繰り返しておりました。
 
MONTAGE」は1990年に発売されていまして、
「FOR YOU」は1982年、
「BLUE KINGDOM」は1988年になっております。
 
内容は、みなさんはとうにご存じの事に、自力でその情報に行き当たり、久しぶりに娯楽というものの素晴らしさ、耐久力の強さに鼻血が抜けそうになったからです。
 
どのくらい大喜びしたかというと、アマゾンで「
MONTAGE」「FOR YOU」をソッコー購入してしまいましたはーーっ!
まだ調べていないけれど、かせきさいだあ、も多分、同じアプローチですよね?(ワクワク)
 
私、南佳孝は「大航海時代」だけで、オリジナルまで到達していないんですね。
けど、別の楽曲で久しぶりに音楽の話をしようと思ってたときに、この情報に行き当たり、CD2枚をソッコー購入してしまったという・・・。
 
そして本日、そのCDがソッコーで我が家に届きました。
アマゾン万歳!
配信で、南佳孝だけでも買っても良かったんですけれど、
そのライナーノーツに用がある!と!
 
そのライナーノーツに用がある!のだよ、と!(主張風)
 
そのライナーノーツに用がある!んでござーますよ、と!
(うまいこと出来たのでちょっと得意気)

 
いやもう、そのライナーノーツに用がある!んだってばっての、この野郎!と!
(しつけーよ!つーか単にパクりだろそれ!)
 
 
・・・語呂がうまいこと合っている語感が大好きです。
 
で、そのライナー・・・、もういいですか?
(笑) とにかくクレジットや参加アーティストを知りたかったので、CDを購入いたしました。
 
そう、ここまでが「クレッセント・ナイト」を初聴きした人が必ず通る道ワンセットですね。
 
みなさんが、あーあーあーあーと、うっすら微笑んでおられるのが目に浮かぶようです。
あー、やるよねー。
あー、自分も買った買った。
と微笑まれているのが、手に取るようにわかります。
 
でもやるんだよ!←今日、元気だね・・・。
 
ええ、この言葉も盗用です。私のことを天才だと思わないようにご注意いただければと思っております。
 
私は、けっこう早くから配信で音楽を購入しているんですが、特にCDをどうのという気持ちはありません。
単に、現在のネットワーク上の購入システムで1番、私の需要に合っているのが配信だからです。
主にiTunesで購入しています。
しばらくサブスクもやっていたんですけれど、現在はほとんど配信購入分ばかり聴いています。
 
今回、久しぶりにCDを購入いたしまして、先ほどけっこう時間がかかりながらもPCに取り込んで、最初はアップル内蔵のスピーカーで山下達郎の「FOR YOU」を聴いていたら、あまりの音の良さに、「ラジカセの音色を
iPhoneで頑なに再現して音楽を聴こうじゃないか会!(会員私1人)」主催者の私といたしましても、ちょっとびっくりしました。
 
やっぱり山下達郎さんは、自分の音楽はCDが今のところ最高の再現ツールである、というお考えをしっかり貫かれており、これほどの高水準の音楽CDを作られるのですから、私は、やはり山下さんの音楽は、これからもひっそりとCDで購入していこうと誓いを新たにしました。あんまり買えてなくて恥ずかしいですけれども。
 
ちなみに、山下達郎さんの「クリスマス・イブ」は、なんとこの楽曲だけ、配信されております。
もしお持ちでない方おられましたら、購入をご検討下さい。
 
で、結局、2枚CDを買ってまでやっている、「あ!コレはこういうことじゃねーか?」の結果は、あえて言葉にしないでおこうと思います。
 
それでも、本当に久しぶりになんの躊躇も無く、突然耳に飛び込んできた1曲の音楽が行動理由になってしまう、という、私が思う、音楽が本来持っている情熱に感染していく体験ができて、とても楽しかったです。

まるで、ラジオのランキングをなんだかわからないけれど、ワクワクしながらタイムリーにノートに書き写していたあの頃の、音楽の夢の部分が私の人生に戻ってきたようで、生活の色彩が鮮やかに再生されたようでした。
 
1982年に発売されたアルバム、山下達郎の「FOR YOU」ですが。
CDに帯?がついておりまして。
そこにこう書いてありました。

<あの夏、街で海で山で、この音が流れない日はなかった!>
 
当時、私はまだ子供で、「FOR YOU」と知らずに、貸してもらったフェイバリットソング集に、こちらの楽曲がたくさん入れてあったのを記憶しています。
ですが、音楽性の高さは分かっても、本当の意味で、このアルバムのタイトルの意味、歌われている内容の味わい深さはわかりませんでした。
 
どうしてこのアルバムを、1982年の少年少女と青年達は熱狂して聴いていたんでしょう。

それは、トレンドと呼ばれるもののメイントラックに乗ってはいても、聴く人ひとりひとりの心にある、出逢いの妙を唄っている楽曲が数多く収録されているからではないでしょうか。
 
この歳になって「FOR YOU」をきちんと聴いてみて、私はそのように思いました。
 
アルバムの中で1番好きな楽曲は、私は「YOUR EYES」です。
歌詞カードが手に入るという大変幸せな状況の中で、初めて楽曲の歌詞を拝読し、この部分がとても心に残りました。
 
<They answer all my longing for you>
 
 
解答(こたえ)というものが、ある時、突然わかる時があります。
 
それは、最初の時かもしれないし、中盤、それとなく知っていくことかもしれない。
よくある素敵な物語の結末のように、最後の最後にやっとわかる、そんなあたり前の極上かもしれない。
 
とあるストーリーの中で、
たとえどの場面であったとしても、
その解答を受け渡すのは、私は、やはり眼だと思うんです。
言語を決して語ることが出来ない、その眼差しこそが、
唯一の解答をたった1人だけに告げることができるのだと。
 
私は、そう信じています。
 
年に一度くらいは、葉桜の季節、
ちょうどいい時間の夜に、
たとえばオーセンティックバーでギムレットを飲みながら、
そんな気持ちを噛みしめようと思います。


 
 
以上、夜の大騒ぎ、でした。
 
 
 
20240421 0:04 誤字・誤表記と文章を直しました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2023/12/24

クリスマス・イブ / 山下達郎 / Chiristmas Eve / Tatsurou Ymashita


 
 
 
 
 
昔、私にとても美しいものを渡してくれた人がいます。
 
それは「想い」と日本語表記する、淡い、とてつもなく、まっすぐな気持ちでした。
 
私は、その気持ちには答えられませんでした。
 
その人の気持ちに私は気づいておらず、あれ?と思うことはあっても、まさかな、という気持ちと、うまくいっている友人を失いたくありませんでした。
 
その人は、私が徐々に、気楽なカジュアルな誘いを断るようになっていたこと、だんだんと2人きりにならずにいったこと、友人としてのくだらないバカ話の電話も、こちらからかけなくなっていったことに、気がついてたと思います。
 
私は、その頃、別のグループで、恋愛の始まりの時期にいました。
その人がいるグループの皆に、
「好きな人がいる。うまくいきそう。」とか言って、
その話をした後に、その人の言動や雰囲気に、あれ?とはじめて気がついたように記憶しています。
 
私はおかしいな、変だな、と思っていても、深く考えず、また深く考えないでいて、それをその人にとってなかったことにする方が、私の勘違いにしても、そうでなくても、結局はそれで、どちらにとっても、その人のプライドにとっても良かったことになる、と、なんとなくそう感じていたんだと思います。
 
なにかの番組で、女性というものは、昔、自分に想いを寄せてくれた人のことを決して忘れない。というお話を聞いたことがあります。
その時のうっすらとした記憶では、それはその女性にとって勲章のようなもので、それを女性というものはいい気分で忘れないのだ。という笑い話でした。
 
きっとそういう気持ちもあるのだと思います。
でも、私の場合は、そうではありませんでした。
 
後になって、それがなんであったのか、それがどういうことであったのか、わかることがある。
 
私にとって、その人が正々堂々と告げてくれた気持ちは、私をその時だけの淡い気持ちであったとしても、大切に扱う人間だと判断してくださった尊さでした。
 
うまく、場を悪くしないでそっとこのままでいい、と、背伸びした振る舞いをしながら、どこかで、そう振る舞える自分を大人なのだと、自分の臆病さを見ようとせずに、よく聴いていた歌詞の世界で描かれる、映画のような洒脱さにすり替えて、それに酔ってしまいそうになっていた私の狡さを、その人はきっと気がついていたのだと思います。
 
その人がまっすぐに気持ちを伝えてくれた時、私は一瞬、あっけに取られて黙り込みました。
そして、精一杯、気がつかなくてごめんね。いま好きな人がいる。あなたとは付き合えない。と答えました。
 
あまりよく憶えていないんですけれど、すごく変な言葉で、言い淀みながら、うまい言葉ひとつ言えない、ふつうの言葉で、あたりまえのことしか言えなかったと記憶しています。
 
その人は、笑って、またね。と言ってくれました。
もう会うことはないと、2人ともわかっていました。
そんなことぐらい、よくわかっていました。
私も、じゃあ、また今度ね。と言いました。
それきりです。
 
時々、私は、その人のことを思い出します。
きっとその人は、ただ気持ちを伝えてくれただけで、まっすぐな人で、それはほんの取るに足らない淡い恋だっただけです。
それでも、私は、その人のことを思い出すたびに、彼はその時私に、世界で1番、美しい心をくれたのだと、そんな風に思っています。
 
「クリスマス・イブ」という楽曲は、日本で必ずクリスマスシーズンに流れる曲です。
 
名曲だったので流れていたのでしょうし、私も気がつくと12月24日には何度も耳にしていたので、愛聴されていたのだと思いますが、大きなきっかけとなったのは、J R東海のクリスマス・イブにちなんだ、遠距離恋愛カップルのやさしいひと幕を描いたC Mでした。
 
その楽曲にこの「クリスマス・イブ」が使われていて、その美しく、観た人をやさしい気持ちにさせるC Mが大ヒットし、その後シリーズが毎年製作されるようになった、と私は記憶しています。

きっとC Mの効果で、この楽曲は両想いのカップルをテーマに歌っているのだと思われている方も多いのですが、実は、片想いの曲なんですね。
 
解釈は人によりますけれど、主人公は想いを告げようとした夜に相手を誘って、雨のクリスマス・イブに待ちぼうけをしている歌だと、私は読解しています。
 
「心深く 秘めた想い かなえられそうにない」
  クリスマス・イブ / 山下達郎 より
 
優しい人達がこの楽曲の物語をたくさん創って、そう思い込んでいたのは主人公だけで、実は、相手は主人公に応えるためにやってきた、という物語を、時々見かけています。
 
ですが私は、ですが。
そうは思わないんです。
相手は、おそらく主人公の気持ちに気がついていた。
だから、行かなかった。
と考えています。
 
どうして行かなかったのかな、と考えると、
相手は、主人公の本気の気持ちに気がついてたからこそ、行ってはいけない。
本気だからこそ、ここで行っては、決して、いけない。
そう思っていたのだと思うんです。
 
この人には、本気で答えるべきだと。
それが相手の答え方だったんじゃないでしょうか。
 
冷たいと思われても、ひどい人間だと思われても、いや、むしろそう思われるほうがいい。
 
長い間、自分への気持ちを隠し持っていた相手のために、本当に、その気持ちには応えられない自分、を見せたのではないでしょうか。
主人公が愛していた人は、それほどまでに主人公に向かって誠実だったのではないでしょうか。
 
だからこそ主人公は、長い間見つめていた、本人よりも自分のほうがよく知っている相手が来ないことを、知っていたのではないでしょうか。
 
私は、そう思います。
 
時々、創作の世界で、片恋を告げる純粋な人間を嘲笑う人間が描かれます。
けれど、その相手は必ず1人じゃないんですよね。
誰かと一緒になって嘲笑っている。
 
それは、誰を嘲笑っているのかな、と思うんです。
 
まるで自分を嘲笑っているように、私には思えます。
 
まっすぐな気持ちに答えられない自分を、冗談にするしかない臆病な自分を、嘲笑っているように思えるんです。
あとで自分を責めるために。
あとで、自分を責める理由をつくるために、なんだか一生懸命にそうしているように見えます。
 
性善説を言いたいんじゃないんです。
ただ私は、そんな風に、そうなんだろうな、と苦笑いな心持ちで、そう、思います。
昔、私が、あっけにとられたからかもしれませんね。
 
世界で1番、美しい心をくれた人のことを、
その気持ちを、
心の奥底で笑うはずなど決してない、
と知っているからかもしれません。
 
 
いま好きな人はいますか?
もし、いま、いないのでしたら、
かつて好きだった人はいますか?
 
その人は、いまどこにいるんでしょう?
そして、その気持ちを想い出しているあなたは、
いまどちらにいるんでしょう?
 
不思議ですね。
人生というものは、とても不思議ですね。
 
その人がもし日本にいるのなら、きっと名曲「クリスマス・イブ」を聴いていることでしょう。
 
そして、24日のどこかの瞬間に、
あなたのことをきっと想う。
 
胸のどこかでも、意識のうえでも、
微笑みと一緒に、必ず、想います。
 
その事実を、私は知っています。
 
 
それでは24日です。
とても寒いですので、温かくしてお過ごし下さい。
 
メリー・クリスマス、みなさん!
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2023/11/14

Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第2夜 蜃気楼の街 ***

 

Let's listen to Taeko Onuki, shall we?

<大貫妙子を聴こうじゃあないか>

*** 2夜 蜃気楼の街  ***

 

 

 

 

 

 

蜃気楼の街 / 大貫妙子(Taeko Onuki)

作詞・作曲:大貫妙子(Taeko Onuki)
編曲:加藤和彦(Kazuhiko Kato)
アルバム「ROMANTIQUE」収録
 
 
当ブログでも以前、話題にしていますね。
楽曲収録アルバム「ROMANTIQUE」については、ウィキペディアのページがとても熱いので、そちらをぜひご1読していただければと思います。
 
参照リンク
ウィキペディア アルバム「ROMANTIQUE」
https://w.wiki/6D6e
 
私はですね、公開しているプロフィールを何かのきっかけで知ることは、別にどうとも思わないんですけれど。
ご本人が公開していないプロフィールや、ご本人についての細かい情報を自分から調べることは、あまり好きではありません。
もちろん、私も人並みに興味を抱いて調べることもあります。こういう女性が好みなんだー?とか、そういうこともたまにはします。
 

ただ、なんだかあまり本人の了承なしに調べて、公表しているデータ以外の先入観を持ちたくないんですね。
潔癖だったり清く正しい心根からではなく、若者だったときに、応募した企業から前勤務先の就労状況を調べられたことがあって、前の勤務先から連絡をもらったことがあったんです。
 

これは、企業としても人事としても、とても正しいことですし当たり前のことです。
なので、当時も、そんなもんかな、と思っていました。
 

その後、しばらくしてあまり親しくなかった人と話していて、その話題になった時に、その人がはっきりと不快感を示したんです。
自分だったら、そんなところには行かない。とまで言われたんですね。
 

結局、そこに合格したのかどうかは覚えていないので、落ちたんだと思うんですけれど。
私は、自分が世の中の正しさの顔色をうかがってしまって、自分の中の気持ちにすら正直になれないことに、すごく驚いたんですね。
その頃、そう思うのは、とても子供っぽいと思ったんです。
 
実はいまでも、不愉快である、と気持ちを出すのは苦手です。どうしても平気なフリをしてしまうんです。
この頃は意識して、不愉快さを態度や言葉に出すようにしてはいるんですが、すぐ反省会始めちゃってダメです(笑)。
 
まあ、そういうことがあってから、私はその人の作品をまず最初に聴いて、自分はどう思うのか。自分はどう聴こえたのか。ということをとても大切にしています。
 

それでそのアーティストのことを、自分にとってどういう存在であるかを決めたいんです。
そこに、プロフィールはあまり重要ではないんです。
 

私のミュージシャン観というのは、創ったもので自分の言いたいこと、表現したいものを雄弁に語る。なので、それでいいと思っています。
 
私がWikipediaをよく参考リンクにするのは、集合知の結晶だからです。
いま書いたことと矛盾しているようですが、私は手弁当で持ってくる情報というものが1番、価値があると思っています。
 

そこに個人のフィルターがかかってることは、現在のWikipediaではないと私は判断しているので、「知りたかった知らないこと」を知る機会として、とても助けられています。
 

そしてネットでは、知りたくないことは検索しない、というスタイルを大切にしています。
 

なので、私は大貫妙子の愛聴者ですが、彼女のことは何も知りません。
リスナーとして、私個人は、彼女のプロフィールはさして重要ではないからです。
語りたければ著書やライナーノーツ、インタビューで語っているだろうし、そうでなければ公表したくないのだろう、と思って、私は彼女の音楽に用があるので、自分に従っています。
 
前置きが異様に長くなってしまいましたが(笑)
楽曲の話題に入ります。
 
この「蜃気楼の街」は、大貫妙子が参加していたシュガー・ベイブ時代の楽曲です。
こちらはシュガー・ベイブのアルバム「SONGS」に収録されているそうです。
 

シュガー・ベイブとは山下達郎(Tatsurou Yamashita)が中心となって活動していたバンドですね。そこに大貫妙子も参加していました。
参加メンバーを見ると、そうそうたるメンバーが勢揃いしています。
 

参考リンク
Wikipedia シュガー・ベイブ
https://w.wiki/88mN
 
Wikipedia SONGS
https://w.wiki/62U4
 

 

「ROMANTIQUE」に収録されてるバージョンと「SONGS」に収録されているアレンジが違うかどうかが、どうしても思い出せないんですけれど(笑)。ごめんなさい。確か、聴いたはずなんですけれどね。
でも、普通に考えてアレンジは違うと思うんですけれどね。シュガー・ベイブ、バンドだし。
あ!いま解決しました。ありがとう、iTunes!
 
全然、違いますね。シュガー・ベイブバージョンは若者のふさぎ込んだ憂鬱な気分が根底にある声で唄っているように、私には聴こえます。
対して「ROMANTIQUE」バージョンは、ひどく現実から離脱した、古い時代のヨーロッパやニューヨークの都会によく似た、架空の街を舞台にしたような趣き(おもむき)があります。
 
私は、どちらの大貫妙子の声も好きですが、最初に聴いたのは「ROMANTIQUE」の「蜃気楼の街」なので、刷り込みという点で、「ROMANTIQUE」バージョンが僅差で好きです。
 
「蜃気楼の街」では、少し琥珀色がかった旅情が歌われています。
 

私は旅というものは、その人の漂泊観の表現が実体化したものである、という考えを持っています。
 

旅というものがどこか寂しく、懐かしいのは、人は定住しながらも常に漂泊し続けているから、かもしれません。
その表裏一体の矛盾こそが、人というものの決してとらえられない部分として、誰もが持つ、個別の蜃気楼の街に漂っているのではないでしょうか。
 
日常に時々姿を現す、「少しの虚ろ」は、そんな蜃気楼からの残像なのだ、と、この楽曲を聴くたび、そう思います。
 


以上、Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第2夜 蜃気楼の街  *** でした。
 


それでは、また明日の夜22時にお会いしましょう。