休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)
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2024/03/29

気になる言葉

あまりにも落ち込みすぎてて、本当によくありません。
 
なんか自分でもおかしいと思い始め、ちょっと対処をし始めました。
 
私、さっき何が怖いのかな、と思って、口に出して見てたんですね。
あまりこういうの良くないけど。
小さな声で。
で、結局、怖い、何かされる、でその後の言葉が出てこないんです。
それで、しばらく黙っていたら、なんか暗くて乱暴で残酷な言葉ばかりが想起してきて、それに取り囲まれているイメージがあるんです。
 
どうしてこんなこと思ってるのかな、とふと思ったときに、きっと私は、世界が(この世)が恐ろしいんだ。恐ろしくてたまらないんだ。と気がつきました。
 
で、この弱っているお彼岸のとき、
妙で不可思議な体験の中に、
「君が思っているほど世界は醜悪ではない。」
という言葉があったんです。
 
まあきっと、何かの本かなんかで読んだんだと思うんですけど。
 
私は、その言葉を真正面に据えたとき、ただ黙っているんですね。
その言葉自体と対話しようともしないし、「でもですね」とも言おうとしない。
本当かな? とまでもいかず、ただ黙って少し距離を取ってそれを眺めている。
 
どうしてかわからないんですけど。
 
たぶん、その言葉が私に無関係なんだ、というイメージの現れなんだと思うんです。
 
誰も、私にそのように世界を教えようともしないし、私自身も、その言葉が私に投げかけられていると思うのが、心底怖いんですね。
 
私は、いつ、いかなる時でも、良いメッセージを受け取ったなら、全力で帰そう! と決めたばかりだったんです。
実は、今朝。
 
で、「君が思っているほど世界は醜悪ではない。」
という言葉を目の前に置いたときに、それは私にとって良いメッセージじゃないんですよ。結局。
だから、距離をとってじっと眺めている。
問いかけ、ですらないんです。
思考を促すものでも無い。
 
これは中々、問題だな、と思いました。
 
私、いつも美しい景色とか、いろいろ好きなものをあげるくせに、いつも、この言葉を良いメッセージとして受け取っていないみたいなんです。
 
過去はもう過去として。
 
私、きっとこれから、「世界を愛するということ」を、それこそ死に物狂いで学ばなければならないんですよね。
 
「世界を愛しなさい。」というメッセージでもあるんですけれど。
 
これ、私、人に対してしか、しかもちょっぴりしか愛が出せなくて、そんな広くて大きいもの相手に、無いし、出せないと思ってるんです。
 
時々なにか突然、愛せる!って思えるときがあるんですけれど、すぐその後に、暗くて嘲るような言葉に取り囲まれてしまうんです。
 
で、そういう、多分ですけど、私に本当に必要なメッセージを受け取れないまま、何か、違うメッセージを受け取ってしまうんです。
 
「なぜ気がつかなかったのか」とか、
「どうしてできなかったのか」とか、
「全部うそだよ」とか、
「とか言って、お前を許すと思うのか」とか、
「もう何も言葉を発するな」とか、
「お前が悪いから仕方が無いんだよ」とか、
「○○しないから、お前のせいで、今の辛い状況から(ひっそりしています。精神的にです。)抜け出せないんだよ。」
とか、
「これは一生続く。なにやっても無駄」とか。
 
書き出してみるとわかるんですけど。
 
お前は一体、
どーしたんだよ! 
 
何がどーなって、
そんなこと考えちゃってんだよ! 
 
って、思いますよね?
当然です。
 
これ、私が、潜在的にも、無意識にも、
暗いメッセージしか受け取らないからなんです。
ここから出て行け、というメッセージしか、受け取ろうとしないんです。
 
良いメッセージを一時的に受け取って、反射的に私が知っている中で一番良いメッセージを返しても、後で、ああ、あれは揶揄われたんだ。バカにされてるんだ。かつがれたんだ。
そんなことあるわけないのに、分かってんのに、なんで私はすぐああやって良いメッセージを返して、返した自分を嘲笑うんだろう?
と思うんです。
 
それは、誰も私からの良いメッセージを受け取らないし、誰も、私の言うことなど聞きたくないし、理解したくも無い、が普通と思っているんです。
 
そう。
世界を愛さないどころか、世界と向き合っても、対峙しても、それ以前に、自分が世界に含まれてもいないんです。
 
どうしたんでしょうね?
 
ちょっと自分でもびっくりです。
 
しかもそのことに、この歳になるまで気がつかなかったんです。
 
とにかく、どうしたらいいかわからないから、
ここから始めようと思います。
 
私、いま気分的に、全然、前向きでもなんでもないんですけど。
こうして書き出すと、なんかけっこうヤバい所に立って居るみたいなんですけど。
 
これをまずどうにかするために、とりあえず今日の晩ご飯の肉を焼いてきます。
そして、Agust DのLife Goes Onを昨日から? とにかくずっと繰り返し聴いているんですけど、さらにずっと聴き続けて、最終的に顔がSUGAさんに似ちゃうまで、聴いてみようと思います。←大丈夫ですか?

そりゃ、心配されるわ!(何回聴いても似ないしね。)←いやそれじゃねーよ!!
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 

2024/03/03

THREE TIMES

 
 
J-HOPEさんには3度、驚かされている。
 
BTSというグループの光に気がついたとき、もうすでに彼らはワールドスターでコロナ期でも圧倒的な光を放っていた。
 
私は、当時療養中で、ネット情報に触れるのも工夫とパートナーに協力してもらわないといけない状態だったのだが、とにかく尋常な光ではないので、さっそくBTSを検索してYouTubeにたどり着いた。
 
詳細は覚えていないが、どうも彼がBTSの一員らしい、という動画を見つけた。
 
それはその時より年若い、私の言葉でいうなら、まだ男の子だったメンバーがホテルのスイートクラスの部屋から配信している、過去の動画だった。
なんとまあ、高級な男の子だろう。と、とてもびっくりした。
 
かねてより、私は自分の狭い現実で、高い男の子、高い女の子、という言葉を、上等で上質な人やピカピカの人、リッチが似合っていて洗練されている人に向かって、よく使っていた。
もちろん当人に向かって言ったりはしない。
ただ自分の好意的な判断の最終段階に、その言葉があった。
 
ちなみに日本には、「お高くとまりやがって」というよくない言葉がある。
育ちの良さを鼻にかけた、という意味でもあるし、上品ぶって私はあなた達とは違うのよ、と言葉や態度で自慢しひけらかすやり方を攻撃する言葉だ。
 
だが、おわかりのように私が使っていた、高い男の子、高い女の子、はその意味をまったく持たない。
 
今考えると、むしろその良くない言葉を逆手にとり、肯定的に自分の狭い範囲で使うことで、自分がもののわかった人間であると思いたかったのかもしれない。
 
動画の中で、彼はとにかく圧倒的に高い男の子だった。
 
顔かたちや着ているものも美しく、振る舞いは多少ぎこちなかったが、そのどれもがちっとも無理をしていない、自然な高級さ、洗練さを持っており、おそらくは生まれながらではなく、あとで身につけたのだろう賢さが漂っている、久しぶりに見た、とんでもなく高い男の子だった。
 
彼は、愛するファンに向かって、慣れぬ手つきでフルボトルのコルクを開けようとし、少し失敗してコルクのカスがワインの中に落ちてしまっていたのを、薄く徹底的に造形されたワイングラスで飲んで、失敗、と顔をしかめた。
 
これがKスターか、とも思ったし、これがワールドスターか、とも思ったし、これがBTSか、とも思ったが、私がとにかく驚いたのは、彼が、そのとき宿泊していたスイートクラスの部屋よりも高級で上質なことだった。
 
その若さでは、通常ありえないことだったからだ。
 
随分、賢いのだろうな、と思った。
若くして成功し、生臭さを持たずに居るというのは、おそらく彼の日常は訓練がメインで、武術家のような生活なのだろう、と思った。
 
だから維持できるのだろう、と思った。
 
彼に興味があった。
なので彼の動画を探した。だがあまりARMYさん達が有志で翻訳した彼の動画がなかった。
 
やがて、ホテルでの動画配信の後、数年経過した動画を見つけ視聴した。
 
そこで、少し大人になり、迫力が増し、高級さがより洗練され貫禄といってもいい雰囲気をまとった彼が、今度はおそらく当時の高級共同宿舎での一室で、愛するARMYさんに向かって配信している動画だった。
 
彼は、「悪いけど、僕はいま、一人の人の愛と信頼を得たいと思っている。」とはっきり言った。
 
胸のど真ん中だった。
 
いいな。と思った。
 
ああいう商売では、言わなくてもいいことは言わなくともいい。
必要のないことで、正直である必要など、まったくない。
 
ビジネスだからというより、自分が一体、なんの商売をしているか、という理解の問題だと私は考えている。
どういったファンダムと支え合い、何を共有し、なにをもって先に進むのか、考え続けていないと沈む稼業だという理解を私はしている。
 
彼は、その時、判断したのだ。
自分で決めて、自分はこれを言うと決めた。
 
決めたらはっきりと言う。
私は、そういう人が好きだ。
 
男だろうと女だろうといかなる性であろうと、自分のルールの中に、自分のチームという家族があり、自分がどこに居て、なにをやっていて、一体、誰に向かって配信しているのか。
 
わかった上で、自分のルールに従い、言う判断をした彼に、私はしびれた。
彼に2度びっくりさせられた瞬間だった。
 
堂々と自分で選んでのける、やわらかな、当時は虫が苦手だった、そういった頼りなさや都会的な繊細さをまとう人物の、その芯にある強靱な賢さに圧倒された。
 
もっと彼のことを知りたかったのだが、それ以上は、あまり動画がなかった。
 
仕方がないので、耳に残った楽曲を配信でセレクトし、購入しても私にとって捨てアルバムでないものを2.3聴きながら、異様に好きな楽曲に気づき、どうして好きなのかも分からず、ひたすらそれを聴いていた。
 
やがて、その楽曲を創ったのが彼だと知った時、私は3度目の驚きの中にいた。
 
聞けば、音楽は独学だという。それで本来の自分のスタイルとは違う、当時流行していた楽曲でここまでのものを創れるものだろうか。と思った。
 
私は、彼に興味がある。
毎日、彼の情報を集める興味ではなく、彼の存在に興味がある。
 
いま、彼は軍務につき、仲の良いメンバーの話では、物腰も立ち振る舞いも男性らしく、たくましくなっているそうだ。
それは環境もあるだろうが、私は、彼は、そういう自分をもう出しても良い、と判断したのだろうと思っている。
 
そういった芯にあるしなやかな強靱さ、使命というものを自分に課す、そんな厳しさをいつも彼から感じる。
 
私は、彼とは考えも価値観も、違うところがたくさんあるようだが、彼を非常にリスペクトしている。
天文学的な可能性を排除し、現実でうまくいくとすれば、その先に熱い友情が生まれる可能性がある、そんなリスペクトだ。
 
私が知っている限り、ファンになるなり方としては、特に間違ってはいない。
 
 
 
蛇足として余談を付け加える。
 
最近の言葉では二推しを持つということをするのは、ひとつのグループでというなら、私はおそらく初めてだろう。
そうだから、そうだ、と、この4年弱の間書いてきたが、今思うと、二人には共通点がある。
 
それは、最初に、仕事上ではあっても強い結びつきを持つ自分のホームグラウンドから、必要がないとジャッジされた経験を持つ、ということだ。
 
そのことに気がついたとき、私は自分の眼は間違っていなかったと久しぶりに爽快な気分になった。
 
赤信号を渡ろうが渡るまいが、端正な生き方をしようがどうしようが、正直、私にはどうでもいい。
 
執念、ただひとつ、を仕事という結果に結びつけた二人が、これからどのような仕事をし、どういう生き方を選んでいくのかを、
 
この先も幾度となく眼にするだろうという確信がある、
永遠とも思える滞空時間の後、
ボールをゴールに押し込む瞬間を見て、
歓声をあげたいだけだ。
 
 
私はファンだ。
いつか時間が来たら、ここを去る。
 
仮に去った後でも、きっとそのニュースを耳にすれば、夕方、喧噪の街の中、コンビニで好きな酒を買ってきて一杯やるだろう。
 
悪いが、このやり方に、愛はいらない。
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 

2024/03/02

私見:ファンコンテンツの境界線

 
一度、自分のファンコンテンツに対する考えをちゃんと書いておいたほうがいいかもしれない、と思っていたので、書きます。

 
確か、昔書いたことがあったかもしれませんが。
 
私は、応援している人の話や、すごく好んでいる物事の話をあまりしません。
 
こうして、書いたものをWEB公開しているのだから、する時は話題にはするんですけれど、基本、あまりしません。
 
それが自分の中でどういう区分けになっているのか、自分でもよくわかりませんが、話題にする人としない人がいます。
 
いま一応、ファンブログの体(てい)を取っていますけれど、その場合は当然、応援している人達の話題をするようにしています。
でも、どこか自分でもファンブログだからあえて話題にしている、という感覚があるんですね。
 
いつ頃からか、ネットというものを対岸の方々が、見ているよ、と公言するようになってから、私はどうもそういう傾向になっていったように思います。
 
その昔、インターネットという場所は、あくまで愛好している人達が集っている場所で、ほとんどオフィシャリティの要素を持っていませんでした。
 
私が参加し始めた頃は、けっこうオフィシャルサイトというものが出来ていたんですが、その頃であっても、FamousPeopleの方々が、ネットを見ている。自分のファンサイトを見ている、と公言するのはあまり無く、やっているこちらも、暗黙の了解というノリの元に、応援している人に気がついてもらいたいからやっている人は、そうは居なかった気がします。
 
私は、気がついてもらいたいからやってはいませんでした。
同じファン同士で見るもの、という形が好きでしたし、応援している人に気がつかれることはすごく面倒だなという気持ちもあったんですね。
 
実は、今でも、面倒というより、応援している人に向かって書く、応援している人が読むのが前提で書く、というスタイルがあまり好きではありません。
 
理由は、私が書いているのは、その時々で、自分が思っていることであって、応援している人に自分の存在を知ってもらいから、では全くないから、なんです。
 
見ているかどうかわからない。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

という、インターネットの神話のようなものが好きでしたし、今となっては、応援される側がエゴサーチするのは当たり前。直接FamousPeopleが発信するのは当たり前で、ファンとFamousPeopleがお互い認識し合うのが当たり前、というやり方が、すごく緊張するし、お世辞とか綺麗なことばかり書かなければならないのではないか、という自分の臆病さが出るのが、とても不自由だからだと思います。
 
それはコンテンツとして面白いものとは、到底思えないんです。
 
アピールではないんですね。私の場合は。
認識してもらいたい気持ちは、ほとんどありません。
 
これは私一人かもしれませんが。
ファンをやっているのは、応援している人に知ってもらいたいからでも、好かれたくてやっている訳でもないんです。
 
わざわざ嫌われたくてやっては居ないけれど、どう思おうとそれは相手の勝手である。という部分を残しておきたいし、嫌なら、ブラウザのNG設定にしてくれてもまったく構わない、ぐらいは最初から思っています。
 
嫌だと思っているから、これは発言しないでくれ、ここは発言を遠慮してくれ、というのも、ちょっと気を遣ってやっていましたけれど、それは私の思う、ファン単体の活動(という程のものではないですが)の範囲を超えている、無理な要求のように考えています。
 
これ難しいんですけれど。
私はここでいまJINさんやJ-HOPEさんをメインに応援していますけれど、お二人の名誉を著しく傷つけることを書くのは当然やりません。
例えば、JINさんはくだらない、とか、J-HOPEさんがとんでもない、とか。
そういうことは最初から書きません。
私は、ポジティブな応援をするタイプですから。
 
ですが、ここはこう思った。これはこう思う。このように考えている。って書くことは、正直、私の責任の範囲、私の意思の範囲であって、悪いけれど、応援している方から、口を出されるいわれはないんですよ。
 
だって、ここは私のコンテンツなんですから。
 
そういう考え方を根底に持っているから、私は、愛し愛され合うのが前提の、ARMYさんになろうとしないんです。
 
無論、一番、大きくあるのは、私が過去に卑怯な真似をしていますので、ARMYさんになる資格はありません。
 
ですが、それも、私が決めたんです。
 
だから、なれませんし、なりたいという気持ちもないんです。
正直、そこも口を出されるいわれはないんです。
そう決めて、そうやって居るんですから。
 
愛し愛され合う、BTSとARMYさんの関係は、私は、世界で最も美しいファンダムの形だと思っています。
 
ただ、私が最初からファンです。と名乗っているのは、愛に左右されたくないからなんです。
 
自分の応援感情は、愛ではないですし、ただの嗜好であり、プレイヤーとしてすごい人だな、ミュージシャンとしてとても興味のある人だな(J-HOPEさんのことですね)、と思って、良い影響を受けてもいるんですが。
 
私は自分の生き方の選択は、自分に従いたいですし、自分が抱えていることをどうにかしてほしくて応援しているワケではないんです。
 
正直、メンバーがここをご覧になるヒマなんか無いと思っていますし、何を置いても読みたい内容でもありませんから、(ほめちぎって自己肯定感が高まるわけでも、活動のプラスになるヒントのようなことも書いてませんし)可能性としてあるのは、スタッフさん側が情報の一つとして読んでいる可能性が高いだろうな、という認識をしています。
 
その上で、ご不快ならどうぞ読まないでください。
いつでも、ブラウザのNG設定にここを入れてくださって問題ありません。
 
私はアンチではありません。
とくにキツいことを書いてもいませんし、もっと厳しいことを書かれている方もたくさんおられます。
 
私が更新する度に、ここが違う。こういうのは嫌だ。と、私対応なんかされても迷惑だし、そう思うのも発言するのも自由ですが、わざわざそれを私に無理矢理知らせて、その反応を見ているのは、アンチのやることです。
 
読んでいただきたくてやっていませんので、読んで欲しい方々のコンテンツをぜひご覧になっていただければ、と思っています。
 
申し訳ありませんが、私はここをコンテンツとして好きに動かす権利があり、自分の意思で好きに動かす自由を大切にしています。
 
そこを踏み越えて来られるのは、とても困ります。

 
 
 
 

 

 
 
 
 

2024/01/09

最終夜 がんばっていきまっしょい!


 
 

 
 
 
「キラキラ」
aiko
 
 
 
この楽曲は、ドラマ「がんばっていきまっしょい」の主題歌でした。


物語は、学校にボート部を作った、高校生の一人の女の子が仲間と共に、大会でライバル校に打ち勝つまでを描いた、愛媛、松山を舞台にした青春ドラマです。
同タイトルの原作小説を元に映画化され、その後、テレビドラマになった経緯を持っています。
 
「がんばっていきまっしょい」という言葉は、Wikipediaによると
 
タイトルの「がんばっていきまっしょい」は、敷村良子(原作者)の母校である愛媛県立松山東高等学校で1966年から使われている「気合入れ」の掛け声で、入学式や体育の授業前のランニング時に実際に使用されており、もともとはラグビー部顧問だった当時の保健体育教諭が準備運動の駆け足の際に生徒たちに一体感を作るために考え出させたもの。

(冒頭参考リンク・引用元ともに Wikipedia がんばっていきまっしょい! https://w.wiki/8nWm より)

 
私は熱心な視聴者ではなかったのか、あまり内容を覚えていません。
ただ、最終回はなぜか覚えているので、視聴したりしなかったりの時期だったのでしょう。理由は不明です。
 
ネタバレになるので、詳細は控えますが、ラストに地元を離れる女の子が、出航した船の上で、ただ一人、「っしょい!」と小さく拳を握るシーンが大好きです。
 
2011年の震災が起こった後、日本は大混乱に陥っていました。
その全部は、誰のせいでもありませんでした。
誰にもわからないことが、起こり、さらに起こり続けていたからです。
 
当時、いつ頃だったか失念してしまいましたが、日本のミュージシャンたちが被災地を励ますために、あの時、ライブを行い、それがテレビ中継されました。
その中でベストアクトだと私が感激したのは、エレファント・カシマシの「悲しみの果て」とaiko の「キラキラ」でした。
 
エレカシの宮本さんはパフォーマンスの冒頭に、「この楽曲は、悲しいことが起こった後の希望についての歌だと俺は思っています。」という言葉と応援メッセージを静かに、でも宮本さんらしく、熱く、実直に、誠実に、落ち着いて話されました。
 
大きなことが起こるたび常にポカンとしている私は、
ああ、宮本さんは、この大被害にとてもとても傷ついている。けれど、前を見据えておられるのだ。
と、とても励まされました。

なんだか、テレビの前の国中の大混乱の中にいる私も、激励されたような気がしたのを、今でも覚えています。
 
aikoはこの時、何も言いませんでした。
ただ黙って出てきて、「キラキラ」を歌いました。
明るく切ないラブソングを、全力でパフォーマンスしました。
 
その当時、たくさんの人達が被災地を守ろうとする気持ちのあまり、似つかわしくない言葉、被災地を利用しようとする言葉に、敏感になっていました。
 
いま考えると、そんな言葉もそんな人達も、どこにもなかった。
けれど、その人達も、どうしたらいいのか誰にもわからない状況で、被災地を守ろうと必死でした。

そんな中、aikoは、黙ってステージに出てきて、ラブソングのパフォーマンスをやり抜きました。

冷静だと思いました。
この人も大被害にとても傷ついているのに、何をいまやるべきか、何をいま自分がメッセージできるのか、考えた上での100%のパフォーマンスを見せてくれていました。
 
黙ってやることで、
この「キラキラ」という楽曲が、なんの主題歌だったのか、
aikoが1番言いたかったのは何か、
を雄弁に語るパフォーマンスをして、ステージを降りました。
 
あの時、そのことをわかっている人は、たくさんいたと私は信じています。
そして誰も、aikoのパフォーマンスに対して、被災地を侮辱している、とか、この場に似つかわしくない、とか、怒る人は誰もいなかったと記憶しています。
 
確か、3年前にここを始めた時ぐらいに、私も書いたと記憶していますが。

「がんばれ」という言葉は、2024年現在の日本では、少し取り扱いが難しい言葉とされています。

理由は「がんばれ」という言葉は、
人によっては、その人を追いつめることになりかねない、危険な状況を招きかねない言葉ですし、
「うつ病」を患っている方々には、決して言ってはならない言葉として、
たくさんの医師が注意喚起をしていることは、とても有名だからです。
 
私は、そのことを知っていましたし、普段暮らしていて、あまり無闇やたらに「がんばってください」とは、言わなくなっていっているような気がします。

それは、先に書いたことを自分が知らずにやってしまうのが、とても怖ろしいからですし、多分、怒られるのが怖いからでもあります。
 
ただ、私個人は、先述に該当しない状況、相手に限り、この「がんばれ」という言葉は、必要な時は、必要な言葉である、と考えています。
 
言葉を保存しようとか、言葉がどうのとか、そういうことではないんです。
 
人には、人々には、がんばらないといけない時があるからです。
 
そして、がんばれ!と言われることで、立ち上がることができるからです。
がんばれ!と言ってもらえることで、前に進めることがあるからです。
がんばれ!という言葉によって、目の光が元に戻る時があるからです。
 
正直、以前使った時もやっぱり怖かったんですが、私はそういう考えの元、確かあの時、コロナ禍の日本に向かって、「がんばりましょう」とかなんとか書いた記憶があります。
 
その頃、ネット越しだったのか、会場でだったのか。
現在、天国で名高座をかけておられる噺家さんが、会場のロビーのイーゼルに
、水墨の達筆で書いた「頑張ろう!」という言葉を掲げておられました。
 
それを見たとき、あ、やっぱり、この使い方で合ってるんだ。と妙な安心があったのをよく憶えています。

そして、故・柳家小三治師匠がそうおっしゃってくださり、観客の私は、あのとき初めて体の奥から、本当の深呼吸ができた気がしました。
 
コロナ禍が続く中、よりによって豪雨により土砂災害が起こったとき、偶然、お隣の韓国からBTSが来日し、パフォーマンスをテレビで披露したことがあります。
 
私は、正直、BTSは事態を重く憂慮し、来日を取りやめるかもしれない、と思っていたのですが。
彼らは来日し、ひとつのパフォーマンスの前に、代表してJINさんという青年がこう言いました。
「みんなで、頑張りましょう!」
 
そして、彼は、そのとき自分がすべきことを、Butterというラブソングのパフォーマンスを、力を込め、励ましを送るためだけに披露しました。

私は、いまでもこの青年の実直さ、勇敢さ、誠実さが忘れられませんし、これからも忘れることはありません。

 
頑張りましょう、みなさん。
頑張るしかありません。
 
今こそが、がんばる、その時です。
 
もちろん、頑張ってはいけない方々は、頑張らないことを頑張りましょう。
 
 
私達、頑張りましょう? みなさん
 
今までも大きなことがある度、私達は頑張ってきました。
いつも果敢に挑み、怯まず、全員で頑張ってきました。
 
私達は、負けません。
 
そのことを私達は、とてもよく知っています。
 
私たちには経験があります。
だから、今回もやれます。
必ず、頑張れます。
 
なので、頑張ってやっていきましょう。
私も、頑張ります。
 
それでは、最後に、気合を入れる意味で、この素晴らしい言葉を書いて、最終夜を終わります。
今回のコレで、少しでもみなさんの気が紛れてくださっていれば、幸いです。

 
がんばっていきまっしょい!

がんばっていきまっしょい!

 
「がんばって、いきまっしょい!」
 
 
 
 
20240109 16:45 Butterfly JustDance エナメル
 
 
   


2023/12/09

心配していません。

 
私は心配していません。
 
あれほどの高みまでダンスを追求した方が、
胸に持つ激しさは、凄まじいまでの猛き心の現れだからです。
 
どうか、お体に気をつけて、
存分に使命を果たされてください。
 
JINさんは、鬼教官だと思います。
取っ組み合う心持ちで、全力でぶつかってみてください。
きっと喜ばれると思います。

秀れた方は、ロボットダンスを踊っても、
異様なまでに秀れているのだ、と。
 
ずっと笑いを噛み殺すのに必死で、ツッコミ忘れていたので、
私の先のことはわかりませんが、
2025年に、同じようにボケてくださることを期待して、
待っています。

みなさんもどうかご無事で。
厳しい季節ですので、くれぐれも無理をなさらないように、お身体を第一に過ごしてください。
 
ARMYさん達は大丈夫です。

行ってらっしゃい。
 
 
 
 

 
 

自分たちが許せない意見を排除するのは違うと思います。

 

 

私はこちらを読んでくださっているみなさんがご存知の通り、BTSのライトファンです。
BTSを応援をしていますし、メンバーについて基本、全員に対してポジティブですが、そうでない時もあります。
 
BTSを応援をしているし、基本的に全員に対してポジティブでありますが、違うなと思った時は、そう言おうと、この半年間に勝手に決めた、ただの素人です。

ただ、大きな特徴は、私はARMYさんではないということです。
 
ARMYさんではないということは、BTSと愛し合う立場にいないということです。
愛というものを基準に、BTSを見ないし、愛というものを基準にBTSについて意見を持たないということです。
 
そして、私はARMYさんをとても尊敬していますし、大切に思っています。
 
そういうライトファンという立ち位置であることをまず知っていただいた上で、私はいまから、ARMYさんに対して疑問を投げかけたいと思います。
 
当ブログではググさんこと、JUNG KOOKさんのソロアルバム「GOLDEN」について、このアルバムを肯定しない意見がメディアに出され、そのことについて世界中のARMYさんの中から、グクさんを愛する熱狂的なARMYさん達が、その意見に対して、「差別主義者である」と中傷し、その意見の削除を求めたそうですね。
 
私は、昨晩、そのニュースを拝読し、なぜそのARMYさん達はそのようなことをしたのだろう、と思いました。
物事には何でも理由があります。

私はそういう考え方をします。
そういうふうにまずは物事に取り組みます。
 
その理由は、なんだったのでしょうか。
 
それはアルバム「GOLDEN」を肯定しなかったからなんでしょうか。
 
それとも、グクさんに対し、アルバム「GOLDEN」を否定、または批判、批評した方が、
明らかに、グクさんという1人の韓国人というアイデンティティを持っている青年に対し、
そのアイデンティティであれば、この世界の意見交換、意見表明の場に対して、
韓国人だから、肌がアジア人の色をしているから、
その動かせない、ググさんという青年を創り続け、これからもグクさんという方がご自身の意志で決して手放さない、
そのアイデンティティに対し、
嫌悪感があるので、そのアイデンティティを無くせ、
と言っていたのでしょうか。

もし後者であるなら、それは差別です。
 
ですが、私は、アルバム「GOLDEN」を肯定しなかった意見であるだけで、全くそのような意図はなかったと、ニュースを読解しました。
 
私は、この件で、アルバム「GOLDEN」を否定する意見に対し、差別である、その意見を削除しろと求めるのは、間違っていると思います。
 
BTSへの、グクさんへの愛を表現するために、アルバム「GOLDEN」を否定する意見を許さないのは、間違っていると思います。
 
ARMYさんという、情熱的で巨大なファンダムの一部分であるだけでも、その圧倒的な数にものを言わせて、アルバム「GOLDEN」を否定した意見を差別であると、インネンをつけて、それをハッシュタグにまでするのは、ジャーナリズムに対する圧力だと思います。
 
それは、自分達が望まない意見を言った相手に対し、
誰でも言われたくない言葉を使ってラベリングし、
自ら意見を取り下げさせ、
意見の場から、アルバム「GOLDEN」という作品へのありとあらゆる評価の可能性からも、否定を許さない、批評を許さない、自分たちが歓迎しない言葉を排除しようとする、
数で威圧して、自分達の思う通りにしようとする、圧力ではないでしょうか。
 
それはBTSを守る為の、グクさんを守る為の、愛から始まる戦いではないと、私は思います。
 
アーティストを愛し、守り、その作品を愛し、守ることは、
 
愛しているか、愛していないか、で世界中から寄せられるアーティストの活動やその作品への意見をジャッジするのではなく、
 
アーティストが創り出した作品への意見、
作品へ時間を使って意見を発信した人たちが、
それぞれその作品を鑑賞し、思考した結論や結果に対し、
敬意を払うことではないでしょうか。
 
自分達と違う意見を許さない、自分達が認めたくない意見を出した相手を脅すのは、
グクさんへの愛を表現するのとは違う、
JUNG KOOKさんというアーティストの活動、BTSの活動を、
ARMYさんが許す範囲でしか、評論するな、批評するな、肯定しかするな、
というメッセージを発信することです。
 
世界一、ものを言うファンダムがすべきことは、
BTSが創り出す作品と真剣に対峙する、フェアな姿勢を持つ言葉に対し、
フェアな姿勢でものを言うことです。

自分達と違う意見を言わせないことに情熱を捧げることでは、断じてないはずです。
 
私は、そう思います。
 
最後に、私のように間違いだらけの人間がARMYさんに向かってこのように言うことは、ARMYさんとBTSにとって屈辱以外なにものでもないでしょう。
その件ついてだけは、あらかじめ、謝罪を表明しておきます。
申し訳ございません。
 
2023/12/09 Butterfly Jsut Dance エナメル
 
 
 

20231209 13:08 誤字、句読点のおかしいところをなおし、読みにくい箇所を改行しました。

 

 

 

 
 

2023年、今年の1曲、今年の1枚

  
 
なぜか2022年のログを見返したら、2022年って今年の1曲とかやってなかったんですね。
該当作品を見つけられなかったんでしょうか。
それともログを見つけ切らないだけでしょうか。はて?
 
というわけで、2023年はあまり新しい音楽を聴く余裕がなかったんですが、その中であっても、私はこの楽曲をどうしても無視してはいけないと思うので、今年の1曲、今年の1枚を書きます。
 
今年の1曲は、
Like Crazy (English Version) / Jimin
です。
 
 
 
 
今年の1枚は、
Like Crazy (Remixes) / Jimin
です。
 
 
 
 
さっき、ニュースをいくつか、誤読しないように注意して見ていたら、Like Crazyが今年のスポティファイで最も再生された楽曲になったそうです。
2023年にスポティファイで最も聴かれた曲ですね。
 
ARMYさん達の愛の表現という認識と、私は、現在スポティファイを世界中で聴いている層が、どういう人達なんだろう、と考えました。
 
いま私は、買える範囲でではありますが、iTunesで楽曲を購入して聴いています。
 
けれど、Spotifyを動かすときは、なんだか気になる楽曲を聴く時です。
 
この頃は興味を抱いた楽曲の歌詞をまず読んでから、聴くようにしているんですけれど。
私個人が、あ、これ。と思った楽曲は、スポティファイで再生して、購入するかどうかを決めます。
 
注目しているのは、聴いたあと購入しているかどうかではなく、Spotifyで気になる音楽を聴く人が多いのが、いまのリスニングスタイルとして確立されているんですよね。
 
おそらく、Like Crazyは、2023年の世界中で、気になる楽曲だったのではないか、というのが、私が見たLike Crazyという楽曲と世界の動線です。
 
気になる楽曲というのは、聴きたいと思う楽曲です。
 
いまは音楽がリスナーに受け渡される現実が昔とは違うので、即、購入という方向になかなかつながりません。
理由は、あ、と思ったら、まず聴いて、それから欲しいと思うか、所有したいと決めるか、の2段階の欲求構造になっているからですよね。
 
いろいろと思われるところもあるでしょうが。
私個人は、聴きたい音楽が、好きな音楽です。
いつも自分に従い、気になる楽曲を聴きますし、これからも聴いていきます。 
 
最初に聴いた時、思わず文章を書いて衝動的に更新してしまったように、私にとってLike Crazyは、圧倒的に白眉の楽曲でした。
少し引いて、BTSやJiminという要素から離れて、ただのリスナーとしてLike Crazyを聴いた時には、これは数年に一度、出るか出ないかの楽曲だろう、と思いました。
 
あくまで私の嗜好といまの気分なので、それに何か付属するものがあると言いたいのではありません。
 
ただ、私は、Like Crazyはとんでもない楽曲だし、この後もずっと長く聴かれ続けるだろう楽曲だと感じて、Like Crazy (Remixes) / Jimin をiTunesで購入しました。
 
いまでも愛聴する時は愛聴していますし、これからも私のアイフォンのプレイリストから、Like Crazy (Remixes)を消すことはありません。
 
それほどの楽曲でした。
 
以上、 2023年、今年の1曲、今年の1枚、でした。







2023/11/08

月といえば

 
昨日の夜は、応援していた師匠が夢の中に出てきて、 「今半(いまはん)」で「うどんすき」をたらふく食べさせてくださいました。
雪がすごく降っていてとても美しく、夢の中でしたが体があったまりお腹いっぱいになりました。ごちそうさまでした。
 
 
そして、「今半」はご存知、日本を代表するすき焼き店でして、名店として名高い場所です。
 
 
ご想像の通り、私はいまだに「今半」デビューをしておらず、連れて行ってもらったことすらありません。
 
なので、夢の中のうどんすきは、私の記憶と経験データを参照して、私の好物として、「今半」では取り扱いのない「うどんすき」 が出てきたというわけですね。
 
これをお読みになり、「今半」に行こうかな? と思われた方は、必ず予約して伺ってくださいね。予約なしでもいい店舗もあるのかもしれませんが、いいお店は予約をしていくと確実です。
私も、「今半」貯金をして、いつか伺えればな、と思っております。 
 
まあ、夢の中の師匠からのメッセージは、「いーから飯を食え!」ということだったんだろうと思いますので(笑)、体型が戻ったことに余りはしゃがずに、そろそろしっかり食事をしたいと思います。

さて、表題の「月といえば」ですが。
 
BTS界隈では、月といえば、麗人Vさんが愛するARMYさん達に向けて言った、「月が綺麗ですね」が有名です。
こちらは、「愛しています」という、大変、美しい言い方です。
 
素晴らしい言い方ですね。
なんとまあ、奥ゆかしい言い方でしょう。その上、洒脱と洗練に満ち満ちていて、この言葉を考えついた人は天才ですね。夏目漱石ですけど。
 
なので、漱石ファンの私としては、もっとこの言葉をアピールせねば、と、ここを始めた時に思っていたのですが、ARMYさんも麗人Vさんももちろんご存知の上で、この言葉遊びをより美しく優しい愛の言葉の交換に使われているので、これ以上言うのは無粋かな、と控えておりました。
 
そして、どうやらBTS界隈は月にゆかりがある事柄が結構あるらしく、月といえば、ここでもメインに応援しているJINさんのソロ曲が「Moon」だったりします。
 
こちらは後でJINさんが発言してましたが、なんでもJINさんが当時1番やりたかったことを表現したのが、こちらの「Moon」なんだそうですね。
 
星の王子様をモチーフにしたパフォーマンスと、後ろのキツネ面のダンサーさんたちが印象的で、JINさんがやりたかったことはこれなんだな、と後でしみじみと拝見いたしました。
 
ですが、なぜ月にキツネ? とか、JINさんはキツネっぽいことがお馴染みのところではお馴染みなのか? とか、尽きぬ疑問が湧いてくるパフォーマンスです。
 
こちらの楽曲では、月と地球をJINさんとARMYさんに見立てて、美しく愛らしいラブソングとなっています。
私はエピファニーが好きです。
 
そういうわけで、月というと、こうして色々と発想するものがBTS界隈ではあります。
 
そして、これは調べていないので、どなたのテクニックかは失念してしまったのですが。(たぶんすっごい昔の文人)
 
言わないこと、表記しないことを発想させて、それが1番言いたいこととする。結論とする。
というやり方の、アマチュアの私にも浸透している有名なテクニックが日本にはあります。
(全世界の文章を読んでいないので、日本には、とさせていただきます。)
 
正式に調べたわけではなく、今まで読んできた物語の蓄積でそれを自然とやるようになってきたのですが。
 
私は、一茶の有名な句を使ったタイトルで、月つながりでJINさんの話題を何度か(?)書いています。
 
ですが、ここで月というモチーフで最初に取り扱ったのは、麗人VさんとARMYさんとの愛の交換、「月が綺麗ですね」の夏目漱石の話でした。
 
そういうわけで、あの有名な句のタイトルは、ここをチェックしてくださっている方にはお分かりになるはずの、漱石にかけたものでした。
 
そして、もうひとつ。
言わないで発想させるのではなく、連想させるものとして。
 
月といえば、稲垣足穂(いながき たるほ)ですので、私はそのタルホイック雰囲気を隠しコマンドのようなものとして、やっていたつもりでした。
 
なにか、すごく美しく、奥ゆかしい誤解をしてくださった方がおられたようですが。
 
申し訳ありませんが、私は応援している方々に恋愛感情は抱いておりません。
 
それもすべて、私の文章力の低さとマニアックさが招いてしまったものなので、とても優しい誤解をしてくださり、大変申し訳ないな、という気持ちだけで、この説明をさせていただきました。
 
こういう風に、言わないで語る、ということを目指していたのに、書いた本人が予想もつかない連想をさせてしまうという、文章力の低さを如実に物語る、非常に情けない結果になってしまったことと、
それを後になって、おずおずと説明せねばならない自分という、なかなかに素敵な現実を考えて、
 
本日の投稿これこそが、公開羞恥プレイなのだと、苦虫を潰した顔で、いま私はこれを書いています。とほほ。
 
以上、月といえば、でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2023/09/27

行ってらっしゃい、SUGAさん


 
個人的なことをあれこれしている間に、SUGAさんが社会服務要員として勤務を開始されていたそうですね。
 
SUGAさんがどうお考えになっているかは、私はSUGAさんではないので、わからないですが。
 
公開されている情報と私がなんとなくこうではないか?と考えているSUGAさんの一部分に、SUGAさんはとても愛国心が強い方なのだろう、というのがあります。
 
軍務のことも考えて、ご自身の音楽活動をセーブしてまで手術をし、SUGAさんご本人としてはできる限り、祖国の義務を果たしたいと強く希望されていたのだろう、と想像しています。
 
なので、社会服務要員として勤務されている現在のSUGAさんは、前を向いて、現在自分にできることに最善を尽くしていると思いますが、現実が動いていく中で、やはりSUGAさんが強く希望していたことが叶わなかったことに、それはそれは悔しい気持ちがあっただろうと思います。
 
BTS情報を検索してヒットした情報の中に、SUGAさんが今回のことでバッシングされるようなことはなかったみたいで、本当に良かったと安心しました。
 
今日の投稿を書いたのは、多くの方が同じことをされているとは思ったんですけれど、ライトファンの私も、私なりに想像がつく範囲でのSUGAさんの気持ちについて、書いたほうがいいかな、と思ったので、そうしました。
 
SUGAさんはなんでもきちんと誠実に取り組む方だと私は思うので、SUGAさんが新しく就く業務や環境について心配はしていません。
 
新しく過ごす日々の中で、またSUGAさんのミュージシャン貯金にどんどん素晴らしい感覚が蓄積され、2025年に戻られた際に、どんな表現活動を再開されるのかとても楽しみです。
 
行ってらっしゃい、SUGAさん。
活動再開を楽しみに待っています。
 
 
 
BTS周りの私の近況
 
相変わらずウィバースの通知は切っていて、しかもスマホを機種替えしたので、まだ色々なアプリの設定もこれからという状態の上、秋の園芸祭りが始まっていて、まったく情報に乗れていません。
 
新しいスマホでアプリ設定をちゃんとしても、ウィバースの通知はしばらく切ったままにしていると思います。
(大丈夫と思いますが。ディスってるんじゃないですよ?)
 
理由は、家族に、しばらくメディアに直接触れるのはやめておいたほうがいいのでは? と提案されたからです。
本当は情報を遮断するのは9月いっぱいの予定だったんですが、園芸に燃えつつも、もうかなり前になるんですが、環境が大きく変わったので、そのしわ寄せが出てきてるみたいなんです。
(例によって環境が変わったストレスは平気なふりをしてしまっていたようで(笑)、無意識にやってしまうからダメなんですよね。私の大きな課題です。)
 
なので、いつもの秋冬春の私の季節を楽しみつつも、しばらくはこういうやり方で、気持ちがフラットな時にBTS情報をみて、応援していくという形を取ろうかなと思っています。
 
この状態に入ると、とにかくなにもかもを悪くとらえるんですね。
(ただでさえ自分を皮肉な目で見がちな上ペシミストなのに・・・)
正確に現在、過去、未来の位置情報が取れなくなるんです。
 
ちょっと事情があって、いまの私は、情報を遮断していた時期の過去に起こっていたことを、だいたい正確に捉えることに、ものすごく時間がかかるんですよ。
 
正確なんてわからないですよね。
どんなことも主観がある限り、正確に物事を捉えることは不可能です。
 
ただ、ある程度、それは普通、こう思う。こう判断する。というレベルのことが、できる時とできない時があるんです。
できない時は人に意見や助言を求めて、なんでも悪く捉えそうになる自分の考え方の癖をできる限り矯正して、判断するようにしています。
(だから私のようなものには、スマホの現在の機能がとても重要なんです。) 
 
私があまり好きじゃないことに、本寸法で現実に起こったこと、いま私を取り巻くことをとらえられないことなんです。
以前入り込んでしまった自分の状態のこともありますしね。
 
わからないことは、わからない、と書くのも、そこが理由です。
 
わからない自分を恥ずかしくは思わないんです。
今はもうほとんどなくなったけれど、私も知ったかぶりをするときもあるんですが。
むしろ、そう考えるのが当然である「と、いうふうに見えるもの」を私はとても警戒します。
 
だから、いくらバカだバカだと言われても、とっさにそういう”当然、そう思う”という自分が見てしまう方向指示に押し出されて選択するのが、とても嫌いなんです。
それは自分の選択ではないから。
 
なので、そう思った自分をまず疑うんですね。
いいのか悪いのかわからないけれど。
 
なぜそう思ったのか、どうしてそう考えるのか。
そして、その選択は本当に自分をいい方向に連れていくのか? と、人が聞いたら呆れるほど、じーっと考えるんです。
 
たぶん癖なんだと思います。
だから短気な人はとっくにどこかに行ってしまうんです。
すごく遅いから。
決まる時はパッと決まるんですけれど。
考える時は何年間という単位で考えます。
 
変わってるんですよ。キャラアピールではなく。
本当に変わってるんです。
頭も良くないから、私にはそれが合っているし、頑固ですしね。
 
そういう理由です。
 
もともと最新情報系ではなかったので、いつもより少しだけ時差が生じますが、ああ、エナメルはこういう風に捉えているんだな、こんなことを考えて思ったんだな、と読んでいただけると嬉しいです。
 
以上、行ってらっしゃい、SUGAさん、でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
20230927 14:06 文章を追加しました。