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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 
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2025/03/23

ビオラの花束



 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
花屋さんの店頭で一日の終わりに、小さなブーケが並んでいるのを買うのが好きです。
その小さなブーケが徐々に広がっていき、今ではテーブルフラワーやテーブルブーケという名前をつけられているようですね。
 
私はビオラのブーケが1番好きです。
花持ちではなく、その日の夜、翌朝に部屋の小さなテーブルの上にあればいい。
そういう小さなブーケが好きです。
 
なので、花持ちや見た時の弾けるような強さが苦手で、ガーベラが入っているブーケは買いません。
買ってもどこか「仕方がないな」という気持ちが受け取る時に手に少し滲みます。
 
ガーベラは、80年代後半に流通し始めた時、花の形が斜めになるように、花先に向かって透明なビニールで綴じられていました。
初めて見かけたときは、斜めに花が開く新しい品種かと思いすぐ購入したのを記憶しています。
なんてモダンでコンテンポラリーなスタイルなんだろう。これを部屋に飾れば冷えた美術空間のようになる。
と喜んでいたら、花の後ろのビニールに気づき、ハサミで切ると花が開いてしまい、どうしてかな、という気持ちになりました。

これはこのままビニールをつけたまま飾る、と知ったかぶりまでされましたが、じゃあ何時このビニールを取り外すのか、としばらく黙って考えていましたが、未だにどれが正解だったかわかりません。
2025年現在は、ガーベラはほとんどがビニールで包まれず、開かれた状態で流通しているので、結局これが本来の姿なのでしょうね。
 
花としては、ポップで鮮やかで強くて元気な花という印象です。
欲しいときは、私個人はあまりありません。

テーブルフラワーとしての小さなブーケをいつも数百円で買って帰る、夕方と花屋を覗く自分と青い色が次第に包んでいく街角と、部屋のドアを閉めて鍵をかけ、振り返った時に目に入る自分のささやかな空間までが、一日の終わりにとても満ち足りていく光景なので、そこに合うサイズは、ビオラのような草花と呼ばれる、線が細く静かで、饒舌ではない、小さなブーケなんですよね。

元気でないとならない。過ぎるほど前向きでなければならない。常に世の中の問題のことを視野に入れておかねばならない、とか。
すぐたしなめたり、命令したり、知りもしない相手から過剰に励まされたり、いつもホールケーキで
何かしらお祝いをし続けなければならないような、自分がそっと大切にしている常識にズカズカと入り込んでくる、誰が始めたのかすら知る気にもなれない馬鹿馬鹿しさを漂わせてしまうものは、置きたくないんですよね。
 
その時の気持ちにパッとわずかに発光した草花の中に、ああ、今はこの花が旬で余っているのだな、という珍しい花があると、今日の嬉しいことと共に季節の風が私に流れてくるんですよね。
 
私は「大人の事情で」という、バラエティでだけ使われていた一種の逃げ台詞を本気にして、世のストリートで押し通せると思っている考え方そのものに、苦笑しています。

聞いた話ですが。
スーツを着た上役の方が、「大人の事情」の事情説明をしようとした相手に、あっさりと、
「それはそちらの事情でしょう。」
と言い、それ以上相手が自分を広告するのを制止した話をずっと憶えています。
今でも憶えているほどですので、やはり私も相当うんざりしていたのだと思います。
 
私の住むエリアの人達は、穏やかな雰囲気の中で暮らしています。
もうそろそろ今年の桜が咲く頃ですね。
黙って、ただ自分の思う暮らしを続けていく人々の中で暮らしていて良かったな、と私は今年も隣に居てくれる方と微笑んでいます。
 
もし気が向いたら、好きなブーケを買いに行ってもいいし、Uber Eatsで頼んでもいいですよね。
キーワードはいつも通り「みなさんの好きにしていいし、みなさんが決めて何ら問題ありません。」です。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2025/03/22

きっとそうするだろう。

 

 
 
久しぶりにBTS関係の話題で、J-HOPEさんの新曲MONA LISAについて書きました。
 
とある出来事を知った後、やがて年月が経って徐々に心の底から表面に浮かび上がってきて、その時、ずっと考えていた事に対し解答が出ることが、私にはけっこうあります。 
 
日本語で正確な発音が出来ないので、グクさんとお呼びしているBTSのJUNGKOOKさんのエピソードの中に「スタジオの幽霊」というエピソードがあります。
ARMYさんの中ではすっかりお馴染みで、私もファンながら知った時に、なんだかこの話はもっと私自身が考え続ける事だなと判断したのでしょうね。
それから数年間考え続けていた、JUNGKOOKさんの「スタジオの幽霊」エピソードについてです。
 
練習生時代かデビューした後か、グクさん達(BTS(当時は防弾少年団))が使っていた練習室のスタジオに幽霊が出たんだそうです。
それで1番年下のグクさんは、数日間、幽霊を見つけるありとあらゆる機器を設置してその幽霊が出るのを待っていたのだそうです。
後にグクさんは、「どうしてそこに居るのか聞きたかった。」とおっしゃっていて、グクさんの心優しいエピソードとしてARMYさん達が誇らしく思う逸話です。
 
ここからは私の勝手な想像ですが。
当時10代であった少年のグクさんは、他の10代よりお金が少しありましたから、本気で、カメラ・録音機器、そしておそらくアジア圏内ですので、幽霊という存在に対し、ある程度の敬意を抱く精神性を持つ民族性から、誰も本気にはしていないけれど、とにかくそうだと言われるオカルト商品まで揃えて、その幽霊を待っていたのでしょう。
 
周囲の少年と青年達は、グクさんに理解を示しながらも、若い頃の冒険心から来る強がりで「なんでそんなことやってるんだよ。」と、お兄さん達らしく、「お前がそこまで心配してあげる必要なんかないんだよ。幽霊なんだから。」と言外に諭していたのかもしれません。
 
グクさんの黄金マンネ(韓国で言う優れた最年少の人)っぷりに異を唱えるつもりはありません。
2025年現在、軍務に就かれているJUNGKOOKさんが残している仕事を見れば、その才能は言わずもがなです。
 
私は、この件で後にグクさんがわざわざ配信でそのエピソードを話した理由に、当時ノイローゼだったのでは? とか、忙しすぎて辛くてそのような行動に出てしまったのでは? という心配に対し、思っていたことを話されたような気がしました。
 
とても優しい少年だと思います。
全員が少したじろぐ現象に対し、それを自分がなんとかしよう、という、皆の為に自分が手銭を出してまで夜の時間を使ったのですから、真っ直ぐで強く、判断力が高い少年だと思います。
 
けれど私はもっと奥深くに存在する、JUNGKOOKさんご自身の理性と知性から、対話を相手に差し出す、肉体を離れても尚人間であり続ける存在への、自分もまた同じ人間である、という強く毅然とした自負があったのではないか、と2025年に考えつきました。
 
もちろんグクさんは、そのスタジオに出ていた幽霊が誰かを襲ったりケガをさせたりしたら、そんなことはしなかったでしょうね。
練習をしながら、その幽霊がそこに居続けているという状況を観察し、「そこに居るのはなぜですか? 理由を教えて下さい。」と伝えたかったから、機材を揃え、その幽霊に「自分は貴方を待っています。」と最初に自分の相手への態度を見せ、黙って幾晩か待ち続けることで、「対話をしましょう。」と伝えたのではないでしょうか。
 
読む方によっては、何故そこまでグクさんを立派極まりない人に? と思われるかもしれませんが、私は、おそらく多くの人達が同じ姿勢や態度を持つと思うんです。
 
こちらに害はない。けれどなぜかそこに居て姿を現す。
皆さんなら、どうされますか?
 
グクさんのように機材を揃え、本気で対話の準備をせずとも、
「あの、何かあったんですか?」
「大丈夫ですか?」
「お寺とか行きたいとかそういうことですか?」
「人を探しているんですか?」
「何時代の人ですか?」
「いま2025年ですけど、起こってるニュースがご心配ですか?」
と、そっと台所の片隅、居間で座っている時、本棚の前に立っている時に、聞いてみようかな? とけっこう現実的な逡巡の後、尋ねる方がほとんどだと思うんです。
 
「もしよかったら宗派教えてもらっていいですか? その宗派のお坊さんや神職の方連れてくるんで。」とか、
「でも今月はちょっとお金ないから、来月のお給料日後の土曜とかでいいですか?」と言うと思うんです。
 
胸がいっぱいになる想像ですが、私は、日々街を歩いていて、やはり多くの方はそうだろうな、と確かに思うんですよね。
 
グクさんことJUNGKOOKさんは、今はもう立派な青年ですから、このエピソードで、グクさんはとても現実離れするほど純粋な子だったのね。と、いまだに小さな子扱いされるのはお嫌だと思います。
ARMYさん達もそれが分かっていて、
「そのグクさんの良いところは、どんな年代の私達でも、それが人間の優秀さだと分かっていますよ。」
と伝えていたんだと思います。
 
それを傍らで見ていて、その後も何となくずっと考え続けてしまって、
人は他者に、胸が詰まるほど信頼に似た感情を持ってしまう時があるのだな。
こういう気持ちをなんと呼ぶのかな? 
なんて言うのかな? 
とずっと言語化できずにいたら、師が、
「それを「Friend Ship」「Oldman Ship」と言います。」
と教えて下さいました。 
 
なんだかとても晴れ晴れとした気持ちになりました。
 
現実で色々と忙しくて、しばらく離れていたのですが、私はこの頃の楽曲では「i wonder」というJ-HOPEさんWITH JUNGKOOKさんの楽曲が好きです。
 
20250322 17:57  誤字を直しました。


 
 
 
 
 
 
 
 
 

2025年今年の1曲 MONA LISA by j-hope


 

MONA LISA by j-hope

 
 
 
 
 
j-hopeさんの新曲が立て続けにリリースされていますね。
私は、MONA LISAが、1番凄いと思います。
 
おそらくこの楽曲がGrammy2025年を獲ると私は感じています。
視終わった後、驚き過ぎて、しばらく呆然としていました。 
「人は本当に驚いた時、無言になる。」をそのまま体現していました。
 
ハイレベルを越え、これほどの楽曲がドロップされた後、偶然、数時間後に聴けた幸運に感謝しています。 
 
これからも楽曲と歌詞とダンスそれぞれで、j-hopeさんの好きなように、ご自身の表現を続けていって頂きたいと、私も思っています。
 
j-hopeさん、おめでとう。
一生、聴き続ける楽曲をありがとう。
20250322 エナメル


 





2024/06/14

おかえりなさいJINさんと、それは欲望の消費ではないと思う:本日の雑感(不定期)

おかえりなさい、JINさん。
軍務お疲れ様でした。
ARMYさん共々、久しぶりの再会にホッとされていると思います。良かった良かった。
 
私はというと、ちょっと色々ありすぎてBTS界隈からとても離れています。
JINさんがお帰りになる日も頭の隅にはあったんですけれど、前にも書きましたが、その日はARMYさんとJINさんの日ですので、野暮はよそうと思っていたということにしておいてください(笑)
 
ニュースになっていたので、知りましたが。
JINさんが退官なさった翌日にハグ会があったそうですね。
JINさんとARMYさんと互いに再会を祝ってハグをする会、という言われなくてもわかるよ、ということを書きますけれど(笑)
 
つつがなく事故なく終了したようで良かったですね、と思っていたのですが、ハグをされた方の中に、JINさんにキスをした方々が何人かおられたようで、それが一部で問題になっているようですね。
 
それはハグをする会というルールとマナーに則ったものなので、厳守するのは当然である。
ハグ以上の行為を相手に無理にするのは、ハラスメントである。
という感じらしいです。
 
私は少しその内容に引っかかりを覚えてしまって、少し考えていたんですけれど。
私は女性という性を持っているので、逆の立場を想像すると、相手が男性だった場合、ハグ会なのにキスしてくるのはどうなのよ!と思います。
これが酔っ払っているとした場合、さらにダメです。ノーです。
素面であっても、もっといけません。怖いしなんか犯罪ですよね、もうそれは。
 
なのに、私はこの話のキスをしてしまった一部のARMYさん達をどうしてもセクシャルハラスメントとは思えないんですね。
思いたくないのかな、とも考えたんですが、それも違う。
 
私は、ですが、この件のARMYさん達のキスをしてしまった行動は、欲望の消費のための行動ではないと思います。
 
早い話、JINさんにハグをしてキスしてしまった行動で、チンコおっ立つわけではないんですよね。(この場合は性別関係なくおっ立つとします。)
 
セクシャルハラスメントは無理強いですよね。
この一部のARMYさん達の1人1人の行動って、JINさんに無理矢理、欲望を抑えきれずにキスをしたのではなく、ハグをした後または同時にキスをした、のであって、この行為に欲望の解消や消費ではなく、恋愛感情の表現だったのではないか、と思うんです。
 
JINさんはこの場合、ニュースではキスされた瞬間、顔をよけたと表現されていますが、これ、二人きりだったらどうしていたんでしょうね。
 
そんなことを言ったら、ハグ会はセックスまでしていいんですかっ!(机ドン)になりますけれど。
そんなたわけはまずいませんし、そいつぁ極論ですよね。
 
どうしてJINさんにキスされたいのではなく、キスしたかったんでしょうか。
キスってなんというか精神性の入り口と情欲の入り口でもあって、どちらも基本キスという合図のような感覚を私は持っています。
 
ジェンダー的なことだったらすみませんけれど。
ARMYさん達のJINさんに対するキスって、なんだかご褒美のような、プレゼントのような、再会をよろこぶ握手のような、私はそのように解釈しました。
 
まあ、キスされてとっさに「後で二人きりのときにね」と言ってのけるJINさんは、公式にはJINさんではありませんので、 なんというか私はけっこうこの話にでてくる「イメージとしてのJINさん」に、大人であるご本人の苦笑交じりのJINさんを想像して、若干、同じ気持ちでいたりなんかします。


キスのくだりのあれこれはカンニングです。ご参考までに。
 
以上、 おかえりなさいJINさんと、それは欲望の消費ではないと思う:本日の雑感(不定期)、でした。
 
 
あじさいのラッキーチャーム(手作り)

20240615 00:36 誤字を直しました。
20240615 21:04 脱字を直しました。

 
 
 

2024/03/03

THREE TIMES

 
 
J-HOPEさんには3度、驚かされている。
 
BTSというグループの光に気がついたとき、もうすでに彼らはワールドスターでコロナ期でも圧倒的な光を放っていた。
 
私は、当時療養中で、ネット情報に触れるのも工夫とパートナーに協力してもらわないといけない状態だったのだが、とにかく尋常な光ではないので、さっそくBTSを検索してYouTubeにたどり着いた。
 
詳細は覚えていないが、どうも彼がBTSの一員らしい、という動画を見つけた。
 
それはその時より年若い、私の言葉でいうなら、まだ男の子だったメンバーがホテルのスイートクラスの部屋から配信している、過去の動画だった。
なんとまあ、高級な男の子だろう。と、とてもびっくりした。
 
かねてより、私は自分の狭い現実で、高い男の子、高い女の子、という言葉を、上等で上質な人やピカピカの人、リッチが似合っていて洗練されている人に向かって、よく使っていた。
もちろん当人に向かって言ったりはしない。
ただ自分の好意的な判断の最終段階に、その言葉があった。
 
ちなみに日本には、「お高くとまりやがって」というよくない言葉がある。
育ちの良さを鼻にかけた、という意味でもあるし、上品ぶって私はあなた達とは違うのよ、と言葉や態度で自慢しひけらかすやり方を攻撃する言葉だ。
 
だが、おわかりのように私が使っていた、高い男の子、高い女の子、はその意味をまったく持たない。
 
今考えると、むしろその良くない言葉を逆手にとり、肯定的に自分の狭い範囲で使うことで、自分がもののわかった人間であると思いたかったのかもしれない。
 
動画の中で、彼はとにかく圧倒的に高い男の子だった。
 
顔かたちや着ているものも美しく、振る舞いは多少ぎこちなかったが、そのどれもがちっとも無理をしていない、自然な高級さ、洗練さを持っており、おそらくは生まれながらではなく、あとで身につけたのだろう賢さが漂っている、久しぶりに見た、とんでもなく高い男の子だった。
 
彼は、愛するファンに向かって、慣れぬ手つきでフルボトルのコルクを開けようとし、少し失敗してコルクのカスがワインの中に落ちてしまっていたのを、薄く徹底的に造形されたワイングラスで飲んで、失敗、と顔をしかめた。
 
これがKスターか、とも思ったし、これがワールドスターか、とも思ったし、これがBTSか、とも思ったが、私がとにかく驚いたのは、彼が、そのとき宿泊していたスイートクラスの部屋よりも高級で上質なことだった。
 
その若さでは、通常ありえないことだったからだ。
 
随分、賢いのだろうな、と思った。
若くして成功し、生臭さを持たずに居るというのは、おそらく彼の日常は訓練がメインで、武術家のような生活なのだろう、と思った。
 
だから維持できるのだろう、と思った。
 
彼に興味があった。
なので彼の動画を探した。だがあまりARMYさん達が有志で翻訳した彼の動画がなかった。
 
やがて、ホテルでの動画配信の後、数年経過した動画を見つけ視聴した。
 
そこで、少し大人になり、迫力が増し、高級さがより洗練され貫禄といってもいい雰囲気をまとった彼が、今度はおそらく当時の高級共同宿舎での一室で、愛するARMYさんに向かって配信している動画だった。
 
彼は、「悪いけど、僕はいま、一人の人の愛と信頼を得たいと思っている。」とはっきり言った。
 
胸のど真ん中だった。
 
いいな。と思った。
 
ああいう商売では、言わなくてもいいことは言わなくともいい。
必要のないことで、正直である必要など、まったくない。
 
ビジネスだからというより、自分が一体、なんの商売をしているか、という理解の問題だと私は考えている。
どういったファンダムと支え合い、何を共有し、なにをもって先に進むのか、考え続けていないと沈む稼業だという理解を私はしている。
 
彼は、その時、判断したのだ。
自分で決めて、自分はこれを言うと決めた。
 
決めたらはっきりと言う。
私は、そういう人が好きだ。
 
男だろうと女だろうといかなる性であろうと、自分のルールの中に、自分のチームという家族があり、自分がどこに居て、なにをやっていて、一体、誰に向かって配信しているのか。
 
わかった上で、自分のルールに従い、言う判断をした彼に、私はしびれた。
彼に2度びっくりさせられた瞬間だった。
 
堂々と自分で選んでのける、やわらかな、当時は虫が苦手だった、そういった頼りなさや都会的な繊細さをまとう人物の、その芯にある強靱な賢さに圧倒された。
 
もっと彼のことを知りたかったのだが、それ以上は、あまり動画がなかった。
 
仕方がないので、耳に残った楽曲を配信でセレクトし、購入しても私にとって捨てアルバムでないものを2.3聴きながら、異様に好きな楽曲に気づき、どうして好きなのかも分からず、ひたすらそれを聴いていた。
 
やがて、その楽曲を創ったのが彼だと知った時、私は3度目の驚きの中にいた。
 
聞けば、音楽は独学だという。それで本来の自分のスタイルとは違う、当時流行していた楽曲でここまでのものを創れるものだろうか。と思った。
 
私は、彼に興味がある。
毎日、彼の情報を集める興味ではなく、彼の存在に興味がある。
 
いま、彼は軍務につき、仲の良いメンバーの話では、物腰も立ち振る舞いも男性らしく、たくましくなっているそうだ。
それは環境もあるだろうが、私は、彼は、そういう自分をもう出しても良い、と判断したのだろうと思っている。
 
そういった芯にあるしなやかな強靱さ、使命というものを自分に課す、そんな厳しさをいつも彼から感じる。
 
私は、彼とは考えも価値観も、違うところがたくさんあるようだが、彼を非常にリスペクトしている。
天文学的な可能性を排除し、現実でうまくいくとすれば、その先に熱い友情が生まれる可能性がある、そんなリスペクトだ。
 
私が知っている限り、ファンになるなり方としては、特に間違ってはいない。
 
 
 
蛇足として余談を付け加える。
 
最近の言葉では二推しを持つということをするのは、ひとつのグループでというなら、私はおそらく初めてだろう。
そうだから、そうだ、と、この4年弱の間書いてきたが、今思うと、二人には共通点がある。
 
それは、最初に、仕事上ではあっても強い結びつきを持つ自分のホームグラウンドから、必要がないとジャッジされた経験を持つ、ということだ。
 
そのことに気がついたとき、私は自分の眼は間違っていなかったと久しぶりに爽快な気分になった。
 
赤信号を渡ろうが渡るまいが、端正な生き方をしようがどうしようが、正直、私にはどうでもいい。
 
執念、ただひとつ、を仕事という結果に結びつけた二人が、これからどのような仕事をし、どういう生き方を選んでいくのかを、
 
この先も幾度となく眼にするだろうという確信がある、
永遠とも思える滞空時間の後、
ボールをゴールに押し込む瞬間を見て、
歓声をあげたいだけだ。
 
 
私はファンだ。
いつか時間が来たら、ここを去る。
 
仮に去った後でも、きっとそのニュースを耳にすれば、夕方、喧噪の街の中、コンビニで好きな酒を買ってきて一杯やるだろう。
 
悪いが、このやり方に、愛はいらない。
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 

2024/03/02

私見:ファンコンテンツの境界線

 
一度、自分のファンコンテンツに対する考えをちゃんと書いておいたほうがいいかもしれない、と思っていたので、書きます。

 
確か、昔書いたことがあったかもしれませんが。
 
私は、応援している人の話や、すごく好んでいる物事の話をあまりしません。
 
こうして、書いたものをWEB公開しているのだから、する時は話題にはするんですけれど、基本、あまりしません。
 
それが自分の中でどういう区分けになっているのか、自分でもよくわかりませんが、話題にする人としない人がいます。
 
いま一応、ファンブログの体(てい)を取っていますけれど、その場合は当然、応援している人達の話題をするようにしています。
でも、どこか自分でもファンブログだからあえて話題にしている、という感覚があるんですね。
 
いつ頃からか、ネットというものを対岸の方々が、見ているよ、と公言するようになってから、私はどうもそういう傾向になっていったように思います。
 
その昔、インターネットという場所は、あくまで愛好している人達が集っている場所で、ほとんどオフィシャリティの要素を持っていませんでした。
 
私が参加し始めた頃は、けっこうオフィシャルサイトというものが出来ていたんですが、その頃であっても、FamousPeopleの方々が、ネットを見ている。自分のファンサイトを見ている、と公言するのはあまり無く、やっているこちらも、暗黙の了解というノリの元に、応援している人に気がついてもらいたいからやっている人は、そうは居なかった気がします。
 
私は、気がついてもらいたいからやってはいませんでした。
同じファン同士で見るもの、という形が好きでしたし、応援している人に気がつかれることはすごく面倒だなという気持ちもあったんですね。
 
実は、今でも、面倒というより、応援している人に向かって書く、応援している人が読むのが前提で書く、というスタイルがあまり好きではありません。
 
理由は、私が書いているのは、その時々で、自分が思っていることであって、応援している人に自分の存在を知ってもらいから、では全くないから、なんです。
 
見ているかどうかわからない。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

という、インターネットの神話のようなものが好きでしたし、今となっては、応援される側がエゴサーチするのは当たり前。直接FamousPeopleが発信するのは当たり前で、ファンとFamousPeopleがお互い認識し合うのが当たり前、というやり方が、すごく緊張するし、お世辞とか綺麗なことばかり書かなければならないのではないか、という自分の臆病さが出るのが、とても不自由だからだと思います。
 
それはコンテンツとして面白いものとは、到底思えないんです。
 
アピールではないんですね。私の場合は。
認識してもらいたい気持ちは、ほとんどありません。
 
これは私一人かもしれませんが。
ファンをやっているのは、応援している人に知ってもらいたいからでも、好かれたくてやっている訳でもないんです。
 
わざわざ嫌われたくてやっては居ないけれど、どう思おうとそれは相手の勝手である。という部分を残しておきたいし、嫌なら、ブラウザのNG設定にしてくれてもまったく構わない、ぐらいは最初から思っています。
 
嫌だと思っているから、これは発言しないでくれ、ここは発言を遠慮してくれ、というのも、ちょっと気を遣ってやっていましたけれど、それは私の思う、ファン単体の活動(という程のものではないですが)の範囲を超えている、無理な要求のように考えています。
 
これ難しいんですけれど。
私はここでいまJINさんやJ-HOPEさんをメインに応援していますけれど、お二人の名誉を著しく傷つけることを書くのは当然やりません。
例えば、JINさんはくだらない、とか、J-HOPEさんがとんでもない、とか。
そういうことは最初から書きません。
私は、ポジティブな応援をするタイプですから。
 
ですが、ここはこう思った。これはこう思う。このように考えている。って書くことは、正直、私の責任の範囲、私の意思の範囲であって、悪いけれど、応援している方から、口を出されるいわれはないんですよ。
 
だって、ここは私のコンテンツなんですから。
 
そういう考え方を根底に持っているから、私は、愛し愛され合うのが前提の、ARMYさんになろうとしないんです。
 
無論、一番、大きくあるのは、私が過去に卑怯な真似をしていますので、ARMYさんになる資格はありません。
 
ですが、それも、私が決めたんです。
 
だから、なれませんし、なりたいという気持ちもないんです。
正直、そこも口を出されるいわれはないんです。
そう決めて、そうやって居るんですから。
 
愛し愛され合う、BTSとARMYさんの関係は、私は、世界で最も美しいファンダムの形だと思っています。
 
ただ、私が最初からファンです。と名乗っているのは、愛に左右されたくないからなんです。
 
自分の応援感情は、愛ではないですし、ただの嗜好であり、プレイヤーとしてすごい人だな、ミュージシャンとしてとても興味のある人だな(J-HOPEさんのことですね)、と思って、良い影響を受けてもいるんですが。
 
私は自分の生き方の選択は、自分に従いたいですし、自分が抱えていることをどうにかしてほしくて応援しているワケではないんです。
 
正直、メンバーがここをご覧になるヒマなんか無いと思っていますし、何を置いても読みたい内容でもありませんから、(ほめちぎって自己肯定感が高まるわけでも、活動のプラスになるヒントのようなことも書いてませんし)可能性としてあるのは、スタッフさん側が情報の一つとして読んでいる可能性が高いだろうな、という認識をしています。
 
その上で、ご不快ならどうぞ読まないでください。
いつでも、ブラウザのNG設定にここを入れてくださって問題ありません。
 
私はアンチではありません。
とくにキツいことを書いてもいませんし、もっと厳しいことを書かれている方もたくさんおられます。
 
私が更新する度に、ここが違う。こういうのは嫌だ。と、私対応なんかされても迷惑だし、そう思うのも発言するのも自由ですが、わざわざそれを私に無理矢理知らせて、その反応を見ているのは、アンチのやることです。
 
読んでいただきたくてやっていませんので、読んで欲しい方々のコンテンツをぜひご覧になっていただければ、と思っています。
 
申し訳ありませんが、私はここをコンテンツとして好きに動かす権利があり、自分の意思で好きに動かす自由を大切にしています。
 
そこを踏み越えて来られるのは、とても困ります。

 
 
 
 

 

 
 
 
 

2023/12/09

心配していません。

 
私は心配していません。
 
あれほどの高みまでダンスを追求した方が、
胸に持つ激しさは、凄まじいまでの猛き心の現れだからです。
 
どうか、お体に気をつけて、
存分に使命を果たされてください。
 
JINさんは、鬼教官だと思います。
取っ組み合う心持ちで、全力でぶつかってみてください。
きっと喜ばれると思います。

秀れた方は、ロボットダンスを踊っても、
異様なまでに秀れているのだ、と。
 
ずっと笑いを噛み殺すのに必死で、ツッコミ忘れていたので、
私の先のことはわかりませんが、
2025年に、同じようにボケてくださることを期待して、
待っています。

みなさんもどうかご無事で。
厳しい季節ですので、くれぐれも無理をなさらないように、お身体を第一に過ごしてください。
 
ARMYさん達は大丈夫です。

行ってらっしゃい。
 
 
 
 

 
 

自分たちが許せない意見を排除するのは違うと思います。

 

 

私はこちらを読んでくださっているみなさんがご存知の通り、BTSのライトファンです。
BTSを応援をしていますし、メンバーについて基本、全員に対してポジティブですが、そうでない時もあります。
 
BTSを応援をしているし、基本的に全員に対してポジティブでありますが、違うなと思った時は、そう言おうと、この半年間に勝手に決めた、ただの素人です。

ただ、大きな特徴は、私はARMYさんではないということです。
 
ARMYさんではないということは、BTSと愛し合う立場にいないということです。
愛というものを基準に、BTSを見ないし、愛というものを基準にBTSについて意見を持たないということです。
 
そして、私はARMYさんをとても尊敬していますし、大切に思っています。
 
そういうライトファンという立ち位置であることをまず知っていただいた上で、私はいまから、ARMYさんに対して疑問を投げかけたいと思います。
 
当ブログではググさんこと、JUNG KOOKさんのソロアルバム「GOLDEN」について、このアルバムを肯定しない意見がメディアに出され、そのことについて世界中のARMYさんの中から、グクさんを愛する熱狂的なARMYさん達が、その意見に対して、「差別主義者である」と中傷し、その意見の削除を求めたそうですね。
 
私は、昨晩、そのニュースを拝読し、なぜそのARMYさん達はそのようなことをしたのだろう、と思いました。
物事には何でも理由があります。

私はそういう考え方をします。
そういうふうにまずは物事に取り組みます。
 
その理由は、なんだったのでしょうか。
 
それはアルバム「GOLDEN」を肯定しなかったからなんでしょうか。
 
それとも、グクさんに対し、アルバム「GOLDEN」を否定、または批判、批評した方が、
明らかに、グクさんという1人の韓国人というアイデンティティを持っている青年に対し、
そのアイデンティティであれば、この世界の意見交換、意見表明の場に対して、
韓国人だから、肌がアジア人の色をしているから、
その動かせない、ググさんという青年を創り続け、これからもグクさんという方がご自身の意志で決して手放さない、
そのアイデンティティに対し、
嫌悪感があるので、そのアイデンティティを無くせ、
と言っていたのでしょうか。

もし後者であるなら、それは差別です。
 
ですが、私は、アルバム「GOLDEN」を肯定しなかった意見であるだけで、全くそのような意図はなかったと、ニュースを読解しました。
 
私は、この件で、アルバム「GOLDEN」を否定する意見に対し、差別である、その意見を削除しろと求めるのは、間違っていると思います。
 
BTSへの、グクさんへの愛を表現するために、アルバム「GOLDEN」を否定する意見を許さないのは、間違っていると思います。
 
ARMYさんという、情熱的で巨大なファンダムの一部分であるだけでも、その圧倒的な数にものを言わせて、アルバム「GOLDEN」を否定した意見を差別であると、インネンをつけて、それをハッシュタグにまでするのは、ジャーナリズムに対する圧力だと思います。
 
それは、自分達が望まない意見を言った相手に対し、
誰でも言われたくない言葉を使ってラベリングし、
自ら意見を取り下げさせ、
意見の場から、アルバム「GOLDEN」という作品へのありとあらゆる評価の可能性からも、否定を許さない、批評を許さない、自分たちが歓迎しない言葉を排除しようとする、
数で威圧して、自分達の思う通りにしようとする、圧力ではないでしょうか。
 
それはBTSを守る為の、グクさんを守る為の、愛から始まる戦いではないと、私は思います。
 
アーティストを愛し、守り、その作品を愛し、守ることは、
 
愛しているか、愛していないか、で世界中から寄せられるアーティストの活動やその作品への意見をジャッジするのではなく、
 
アーティストが創り出した作品への意見、
作品へ時間を使って意見を発信した人たちが、
それぞれその作品を鑑賞し、思考した結論や結果に対し、
敬意を払うことではないでしょうか。
 
自分達と違う意見を許さない、自分達が認めたくない意見を出した相手を脅すのは、
グクさんへの愛を表現するのとは違う、
JUNG KOOKさんというアーティストの活動、BTSの活動を、
ARMYさんが許す範囲でしか、評論するな、批評するな、肯定しかするな、
というメッセージを発信することです。
 
世界一、ものを言うファンダムがすべきことは、
BTSが創り出す作品と真剣に対峙する、フェアな姿勢を持つ言葉に対し、
フェアな姿勢でものを言うことです。

自分達と違う意見を言わせないことに情熱を捧げることでは、断じてないはずです。
 
私は、そう思います。
 
最後に、私のように間違いだらけの人間がARMYさんに向かってこのように言うことは、ARMYさんとBTSにとって屈辱以外なにものでもないでしょう。
その件ついてだけは、あらかじめ、謝罪を表明しておきます。
申し訳ございません。
 
2023/12/09 Butterfly Jsut Dance エナメル
 
 
 

20231209 13:08 誤字、句読点のおかしいところをなおし、読みにくい箇所を改行しました。

 

 

 

 
 

2023年、今年の1曲、今年の1枚

  
 
なぜか2022年のログを見返したら、2022年って今年の1曲とかやってなかったんですね。
該当作品を見つけられなかったんでしょうか。
それともログを見つけ切らないだけでしょうか。はて?
 
というわけで、2023年はあまり新しい音楽を聴く余裕がなかったんですが、その中であっても、私はこの楽曲をどうしても無視してはいけないと思うので、今年の1曲、今年の1枚を書きます。
 
今年の1曲は、
Like Crazy (English Version) / Jimin
です。
 
 
 
 
今年の1枚は、
Like Crazy (Remixes) / Jimin
です。
 
 
 
 
さっき、ニュースをいくつか、誤読しないように注意して見ていたら、Like Crazyが今年のスポティファイで最も再生された楽曲になったそうです。
2023年にスポティファイで最も聴かれた曲ですね。
 
ARMYさん達の愛の表現という認識と、私は、現在スポティファイを世界中で聴いている層が、どういう人達なんだろう、と考えました。
 
いま私は、買える範囲でではありますが、iTunesで楽曲を購入して聴いています。
 
けれど、Spotifyを動かすときは、なんだか気になる楽曲を聴く時です。
 
この頃は興味を抱いた楽曲の歌詞をまず読んでから、聴くようにしているんですけれど。
私個人が、あ、これ。と思った楽曲は、スポティファイで再生して、購入するかどうかを決めます。
 
注目しているのは、聴いたあと購入しているかどうかではなく、Spotifyで気になる音楽を聴く人が多いのが、いまのリスニングスタイルとして確立されているんですよね。
 
おそらく、Like Crazyは、2023年の世界中で、気になる楽曲だったのではないか、というのが、私が見たLike Crazyという楽曲と世界の動線です。
 
気になる楽曲というのは、聴きたいと思う楽曲です。
 
いまは音楽がリスナーに受け渡される現実が昔とは違うので、即、購入という方向になかなかつながりません。
理由は、あ、と思ったら、まず聴いて、それから欲しいと思うか、所有したいと決めるか、の2段階の欲求構造になっているからですよね。
 
いろいろと思われるところもあるでしょうが。
私個人は、聴きたい音楽が、好きな音楽です。
いつも自分に従い、気になる楽曲を聴きますし、これからも聴いていきます。 
 
最初に聴いた時、思わず文章を書いて衝動的に更新してしまったように、私にとってLike Crazyは、圧倒的に白眉の楽曲でした。
少し引いて、BTSやJiminという要素から離れて、ただのリスナーとしてLike Crazyを聴いた時には、これは数年に一度、出るか出ないかの楽曲だろう、と思いました。
 
あくまで私の嗜好といまの気分なので、それに何か付属するものがあると言いたいのではありません。
 
ただ、私は、Like Crazyはとんでもない楽曲だし、この後もずっと長く聴かれ続けるだろう楽曲だと感じて、Like Crazy (Remixes) / Jimin をiTunesで購入しました。
 
いまでも愛聴する時は愛聴していますし、これからも私のアイフォンのプレイリストから、Like Crazy (Remixes)を消すことはありません。
 
それほどの楽曲でした。
 
以上、 2023年、今年の1曲、今年の1枚、でした。







2023/11/08

月といえば

 
昨日の夜は、応援していた師匠が夢の中に出てきて、 「今半(いまはん)」で「うどんすき」をたらふく食べさせてくださいました。
雪がすごく降っていてとても美しく、夢の中でしたが体があったまりお腹いっぱいになりました。ごちそうさまでした。
 
 
そして、「今半」はご存知、日本を代表するすき焼き店でして、名店として名高い場所です。
 
 
ご想像の通り、私はいまだに「今半」デビューをしておらず、連れて行ってもらったことすらありません。
 
なので、夢の中のうどんすきは、私の記憶と経験データを参照して、私の好物として、「今半」では取り扱いのない「うどんすき」 が出てきたというわけですね。
 
これをお読みになり、「今半」に行こうかな? と思われた方は、必ず予約して伺ってくださいね。予約なしでもいい店舗もあるのかもしれませんが、いいお店は予約をしていくと確実です。
私も、「今半」貯金をして、いつか伺えればな、と思っております。 
 
まあ、夢の中の師匠からのメッセージは、「いーから飯を食え!」ということだったんだろうと思いますので(笑)、体型が戻ったことに余りはしゃがずに、そろそろしっかり食事をしたいと思います。

さて、表題の「月といえば」ですが。
 
BTS界隈では、月といえば、麗人Vさんが愛するARMYさん達に向けて言った、「月が綺麗ですね」が有名です。
こちらは、「愛しています」という、大変、美しい言い方です。
 
素晴らしい言い方ですね。
なんとまあ、奥ゆかしい言い方でしょう。その上、洒脱と洗練に満ち満ちていて、この言葉を考えついた人は天才ですね。夏目漱石ですけど。
 
なので、漱石ファンの私としては、もっとこの言葉をアピールせねば、と、ここを始めた時に思っていたのですが、ARMYさんも麗人Vさんももちろんご存知の上で、この言葉遊びをより美しく優しい愛の言葉の交換に使われているので、これ以上言うのは無粋かな、と控えておりました。
 
そして、どうやらBTS界隈は月にゆかりがある事柄が結構あるらしく、月といえば、ここでもメインに応援しているJINさんのソロ曲が「Moon」だったりします。
 
こちらは後でJINさんが発言してましたが、なんでもJINさんが当時1番やりたかったことを表現したのが、こちらの「Moon」なんだそうですね。
 
星の王子様をモチーフにしたパフォーマンスと、後ろのキツネ面のダンサーさんたちが印象的で、JINさんがやりたかったことはこれなんだな、と後でしみじみと拝見いたしました。
 
ですが、なぜ月にキツネ? とか、JINさんはキツネっぽいことがお馴染みのところではお馴染みなのか? とか、尽きぬ疑問が湧いてくるパフォーマンスです。
 
こちらの楽曲では、月と地球をJINさんとARMYさんに見立てて、美しく愛らしいラブソングとなっています。
私はエピファニーが好きです。
 
そういうわけで、月というと、こうして色々と発想するものがBTS界隈ではあります。
 
そして、これは調べていないので、どなたのテクニックかは失念してしまったのですが。(たぶんすっごい昔の文人)
 
言わないこと、表記しないことを発想させて、それが1番言いたいこととする。結論とする。
というやり方の、アマチュアの私にも浸透している有名なテクニックが日本にはあります。
(全世界の文章を読んでいないので、日本には、とさせていただきます。)
 
正式に調べたわけではなく、今まで読んできた物語の蓄積でそれを自然とやるようになってきたのですが。
 
私は、一茶の有名な句を使ったタイトルで、月つながりでJINさんの話題を何度か(?)書いています。
 
ですが、ここで月というモチーフで最初に取り扱ったのは、麗人VさんとARMYさんとの愛の交換、「月が綺麗ですね」の夏目漱石の話でした。
 
そういうわけで、あの有名な句のタイトルは、ここをチェックしてくださっている方にはお分かりになるはずの、漱石にかけたものでした。
 
そして、もうひとつ。
言わないで発想させるのではなく、連想させるものとして。
 
月といえば、稲垣足穂(いながき たるほ)ですので、私はそのタルホイック雰囲気を隠しコマンドのようなものとして、やっていたつもりでした。
 
なにか、すごく美しく、奥ゆかしい誤解をしてくださった方がおられたようですが。
 
申し訳ありませんが、私は応援している方々に恋愛感情は抱いておりません。
 
それもすべて、私の文章力の低さとマニアックさが招いてしまったものなので、とても優しい誤解をしてくださり、大変申し訳ないな、という気持ちだけで、この説明をさせていただきました。
 
こういう風に、言わないで語る、ということを目指していたのに、書いた本人が予想もつかない連想をさせてしまうという、文章力の低さを如実に物語る、非常に情けない結果になってしまったことと、
それを後になって、おずおずと説明せねばならない自分という、なかなかに素敵な現実を考えて、
 
本日の投稿これこそが、公開羞恥プレイなのだと、苦虫を潰した顔で、いま私はこれを書いています。とほほ。
 
以上、月といえば、でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2023/09/27

行ってらっしゃい、SUGAさん


 
個人的なことをあれこれしている間に、SUGAさんが社会服務要員として勤務を開始されていたそうですね。
 
SUGAさんがどうお考えになっているかは、私はSUGAさんではないので、わからないですが。
 
公開されている情報と私がなんとなくこうではないか?と考えているSUGAさんの一部分に、SUGAさんはとても愛国心が強い方なのだろう、というのがあります。
 
軍務のことも考えて、ご自身の音楽活動をセーブしてまで手術をし、SUGAさんご本人としてはできる限り、祖国の義務を果たしたいと強く希望されていたのだろう、と想像しています。
 
なので、社会服務要員として勤務されている現在のSUGAさんは、前を向いて、現在自分にできることに最善を尽くしていると思いますが、現実が動いていく中で、やはりSUGAさんが強く希望していたことが叶わなかったことに、それはそれは悔しい気持ちがあっただろうと思います。
 
BTS情報を検索してヒットした情報の中に、SUGAさんが今回のことでバッシングされるようなことはなかったみたいで、本当に良かったと安心しました。
 
今日の投稿を書いたのは、多くの方が同じことをされているとは思ったんですけれど、ライトファンの私も、私なりに想像がつく範囲でのSUGAさんの気持ちについて、書いたほうがいいかな、と思ったので、そうしました。
 
SUGAさんはなんでもきちんと誠実に取り組む方だと私は思うので、SUGAさんが新しく就く業務や環境について心配はしていません。
 
新しく過ごす日々の中で、またSUGAさんのミュージシャン貯金にどんどん素晴らしい感覚が蓄積され、2025年に戻られた際に、どんな表現活動を再開されるのかとても楽しみです。
 
行ってらっしゃい、SUGAさん。
活動再開を楽しみに待っています。
 
 
 
BTS周りの私の近況
 
相変わらずウィバースの通知は切っていて、しかもスマホを機種替えしたので、まだ色々なアプリの設定もこれからという状態の上、秋の園芸祭りが始まっていて、まったく情報に乗れていません。
 
新しいスマホでアプリ設定をちゃんとしても、ウィバースの通知はしばらく切ったままにしていると思います。
(大丈夫と思いますが。ディスってるんじゃないですよ?)
 
理由は、家族に、しばらくメディアに直接触れるのはやめておいたほうがいいのでは? と提案されたからです。
本当は情報を遮断するのは9月いっぱいの予定だったんですが、園芸に燃えつつも、もうかなり前になるんですが、環境が大きく変わったので、そのしわ寄せが出てきてるみたいなんです。
(例によって環境が変わったストレスは平気なふりをしてしまっていたようで(笑)、無意識にやってしまうからダメなんですよね。私の大きな課題です。)
 
なので、いつもの秋冬春の私の季節を楽しみつつも、しばらくはこういうやり方で、気持ちがフラットな時にBTS情報をみて、応援していくという形を取ろうかなと思っています。
 
この状態に入ると、とにかくなにもかもを悪くとらえるんですね。
(ただでさえ自分を皮肉な目で見がちな上ペシミストなのに・・・)
正確に現在、過去、未来の位置情報が取れなくなるんです。
 
ちょっと事情があって、いまの私は、情報を遮断していた時期の過去に起こっていたことを、だいたい正確に捉えることに、ものすごく時間がかかるんですよ。
 
正確なんてわからないですよね。
どんなことも主観がある限り、正確に物事を捉えることは不可能です。
 
ただ、ある程度、それは普通、こう思う。こう判断する。というレベルのことが、できる時とできない時があるんです。
できない時は人に意見や助言を求めて、なんでも悪く捉えそうになる自分の考え方の癖をできる限り矯正して、判断するようにしています。
(だから私のようなものには、スマホの現在の機能がとても重要なんです。) 
 
私があまり好きじゃないことに、本寸法で現実に起こったこと、いま私を取り巻くことをとらえられないことなんです。
以前入り込んでしまった自分の状態のこともありますしね。
 
わからないことは、わからない、と書くのも、そこが理由です。
 
わからない自分を恥ずかしくは思わないんです。
今はもうほとんどなくなったけれど、私も知ったかぶりをするときもあるんですが。
むしろ、そう考えるのが当然である「と、いうふうに見えるもの」を私はとても警戒します。
 
だから、いくらバカだバカだと言われても、とっさにそういう”当然、そう思う”という自分が見てしまう方向指示に押し出されて選択するのが、とても嫌いなんです。
それは自分の選択ではないから。
 
なので、そう思った自分をまず疑うんですね。
いいのか悪いのかわからないけれど。
 
なぜそう思ったのか、どうしてそう考えるのか。
そして、その選択は本当に自分をいい方向に連れていくのか? と、人が聞いたら呆れるほど、じーっと考えるんです。
 
たぶん癖なんだと思います。
だから短気な人はとっくにどこかに行ってしまうんです。
すごく遅いから。
決まる時はパッと決まるんですけれど。
考える時は何年間という単位で考えます。
 
変わってるんですよ。キャラアピールではなく。
本当に変わってるんです。
頭も良くないから、私にはそれが合っているし、頑固ですしね。
 
そういう理由です。
 
もともと最新情報系ではなかったので、いつもより少しだけ時差が生じますが、ああ、エナメルはこういう風に捉えているんだな、こんなことを考えて思ったんだな、と読んでいただけると嬉しいです。
 
以上、行ってらっしゃい、SUGAさん、でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
20230927 14:06 文章を追加しました。