休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)
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2023/11/17

Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第5夜 しあわせな男達へ ***

 
 Let's listen to Taeko Onuki, shall we?
<大貫妙子を聴こうじゃあないか>
*** 第5夜 しあわせな男達へ  ***
 
 
 
 
 
 
 
 
しあわせな男達へ / 大貫妙子(Taeko Onuki)
作詞:作曲 / 大貫妙子(Taeko Onuki)
編曲 / 清水信之(Nobuyuki Shimizu)

 
昨日に引き続き、アルバム「copine」収録曲となっております。
アルバム「copine」についての情報は、Wikipediaの「copine」をぜひご覧ください。
 
参照リンク
Wikipedia 「copine」 https://w.wiki/8Aej
 
アレンジャーの清水信之(Nobuyuki Shimizu)は、日本のポップシーンを主に編曲家として牽引している大変な方で、現在ジャズミュージシャンとして活躍している大江千里(Senri Oe)のポップミュージシャン期や飯島真里(Mari Iijima)や平松愛理(Hiramatsu Airi)そしてEPO(【epo】)の出世作「う、ふ、ふ、ふ」のアレンジなどが、シティ・ポップというジャンルを愛聴しておられる方にとってはわかりやすいキーワードではないでしょうか。
 
発音記号 参考リンク
GSET Academy 様
【音声付き】英語の発音記号一覧|英語の「音」に挑戦してみよう!
https://gset.co.jp/academy/pronunciation-symbol/
 
 
Wikipediaによると大貫妙子や山下達郎(Tatsurou Yamashita)と同期のミュージシャンで、編曲家へも進まれたそうです。
清水信之が編曲として携わっているミュージシャンは星の数ほどいるんですけれど、主に大貫妙子や山下達郎、坂本龍一が切り開いたミュージックシーンの後続世代達との関わりが深いようです。
詳しくはWikipedia 清水信之のページをご覧ください。
新しい日本のポップミュージシャンやシティ・ポップの楽曲の発見があるかもしれません。
個人的には、池田聡(Satoshi Ikeda)の「モノクローム・ヴィーナス」がおすすめです。
 
参照リンク
Wikipedia 清水信之(Shimizu Nobuyuki)
https://w.wiki/8Aej
 
 
「しあわせな男達へ」は、窓から床に落ちる六角形が連なる光を思わせる、美しいピアノの音から始まります。
その第1音から、非常に明るく、静かでくつろいだ視線がこの楽曲のテーマであることをリスナーに伝えてきます。
 
大貫妙子の楽曲の特徴として、歌詞の発音、言葉の持つ意味とメロディラインの調和や融合があげられると思うんですが。
この「しあわせな男達へ」もその大貫妙子のスダンダードなエッセンスを強く表現できている1曲ではないかと、個人的には考えています。
 
日本から新しく発信されているBento Waveの提唱者である、みのミュージックのみのさんが、歌詞は詩ではなく、歌詞である。という考えを動画内で示されたことがあります。
私もそれには、自分の誤った認識をあらためる良い機会となったのですが。
大貫妙子の愛聴者としては、大貫妙子の歌詞はメロディラインに乗った状態では歌詞ですが、文字単体としては詩である、という認識をしています。
 
余談ですが。
現在、みのミュージックチャンネルでは、松本隆(Takashi Matsumoto)が出演し、みのさんと「HAPPY END」や「風街ろまん」(こちらの表記は、最初は漢字とひらがなの「風街ろまん」でお願いします。後続としてカッコ内にKazemachi Romanと表記してください。個人的なこだわりです!)について、語っています。(20231117現在)
 
ぜひ、自動翻訳をお住まいの地域の言語に設定して、ご覧ください。
私も、時間を作ってソッコー視聴してきます!
私はただの視聴者です!(いいから落ち着けよ。)
 
参照リンク

YouTubeチャンネル みのミュージック 様
https://www.youtube.com/channel/UCDkAtIbVxd-1c_5vCohp2Ow
 
 
「しあわせな男達へ」の歌詞ですが。
文字表記された詩を読むと、いままで大貫妙子が取り扱ってきた情景、想い、時間の経過、シチュエーションとは、全く異なる世界観であることがわかる、と思います。
 
これは、大貫妙子の全worksの言葉をチェックしたわけではないので、私が勘違いをしていたら申し訳ないのですが。
おそらく、こういった俯瞰の世界観を大貫妙子が言語化し、詩に推敲し、メロディに乗せたことは「copine」以前にはなかったという認識です。
 
もちろん、「若き日の望楼(ぼうろう)」(明日やります)の後半でも試みられてはいるんですが。
 
完全に第三者、小説でいうなら、登場人物以外のことを話す、自己紹介していない透明人間なアイツ。の視点というのは、昨日触れた、大貫妙子の得意分野だといっていい、物語世界を楽曲内で再構築する視点以外では、これが初ではないでしょうか。
 
これは大切なことです。
これは大切なことです。(2回目)←(笑)
 
大貫妙子の歌詞世界と詩作という切り口で、登場人物の視点を考えた場合、大貫妙子は「若き日の望楼」で試みたシャンソンの手法を、運命の傍観者の視点を、その後も発展させていったと判断してもいいのではないでしょうか。
 
いいですか。
「ピーターラビットとわたし」では、詩のなかに「わたし」は出てきませんよね?
これを便宜上、傍観者の視点と定めます。

ですが、アルバム「copine」以前の大貫妙子の楽曲には、必ず登場人物に語り部の大貫妙子が憑依する視点があるはずなんです。
ですが、アルバム「copine」は、ファーストトラックの「タンタンの冒険」で、大貫妙子の得意分野であるといってもいい、当時、すでにお馴染みであった物語世界の再構築での傍観者の視点を披露し、「Siena」の詩では「あなた」と呼びかけてはいますが、完全に登場人物から離脱し始めるんです。
 
「OUT OF AFRICA」では、登場人物はいませんが、視点はあくまでも私なわけです。私の視点が詩のなかに登場しています。
そして視点は、私の解釈ですけれども、アフリカの情景のそばで様々な謳歌を描写しています。
 
「Jacques-Henri Lartigue」では、最後に本を閉じる人間として出演しています。
ですが、ここではこの手の持ち主が誰なのかは限定されていません。
けれど、歌詞を聴き、この描写の人称がおそらくは大貫妙子の視線である、とリスナーがイメージしやすい造りになっています。
 
・・・大丈夫ですか?(笑)
ついてきて下さいよ?(笑)
 
すごく大事なことを書いています。
うわ、ナード出てきたコレ。と引かずに、是非とも、この話についてきて下さい!(熱烈)
これはとても重要なことです!
 
大貫妙子の楽曲内でのカメラワークの推移が、このアルバム内の楽曲で、徐々に移行する、という表現がなされているんです。
 
そして、「しあわせな男達へ」では、完全に俯瞰からの視線となって、楽曲世界が象られているんです。
 
で、最終トラック「野辺」では、日本の古い言葉、文語長の語り口で、一貫して、無人の世界が歌われているんです。
 
これは完全に、私の個人的な解釈の範囲になってしまうんですけれど。
物語世界を再構築する、という大貫妙子の得意技であるらしい手法、当時の商業ミュージックシーンでお馴染みの、大貫妙子といえばこれ!の傍観者の視点の手法から、楽曲ごとに視点を自由自在に動かし始め、最後の楽曲で、物を語る世界、物語りそのもの「だけ」を、音楽で、ただ構築してみせたんです。
大貫妙子が存在しないで物語る世界を、「野辺」で生み出したんです。
 
これは大貫妙子の発明ではなく、みなさんもお馴染みの、マザーグースや童謡、日本では唱歌の世界で取られている、誰もそこにいないのに、世界が物語られる、詩作の手法です。
名前は、不勉強で申し訳ないんですが、私は知りません。
 
この手法を、1985年の日本の、商業的成功を目指して創られたアルバム内で、「タンタンの冒険」という物語の再構築の視点でスタートしたアルバム「copine」という作品集が、最終的には、唄の始まりに存在する童謡・唱歌によく見られる、詩作の手法に回帰しながら、自分が出演しない、人称のない、ただの物語り、として独立性と独自性を同時に併せ持った楽曲「野辺」をそこで構築して、このアルバムは終わるんです。
 
簡単に言うと、大貫妙子にとって、視点の移動や人称の移動くらい、なんでもない創作である、ということを、あっさりとやってのけたんです。
 
そりゃ、こんなことをあっさり、やすやすとやれば、大貫妙子が1985年の時点で、1目も2目も置かれていたミュージシャンであった理由が、おわかりになるのではないでしょうか。
 
そして、アルバム「copine」がいかに凄まじいアルバムであったかを物語る、非常に重要なポイントでもあります。
ただし、これは大貫妙子にとっては、本意の方向性ではなかったそうです。
つまり、この時点で大貫妙子がとてもやりたかったことではない創作レベルで、このアルバムのクオリティだということです。
 
正直申し上げて、今日の楽曲は「野辺」でも良かったんですが、「しあわせな男達へ」のなかで、カメラワークの情景として表現されている大貫妙子の視点が、非常に自由自在に楽曲の中で構築された空間内を動き回り、最終的には屋外のかなり高い上空まで移動しているのが、はっきりわかるという点で、私は、楽曲の好みもさることながら、1番、愛聴者の皆さんに伝わりやすいという判断から、この楽曲を選びました。

本日、「しあわせな男達へ」をなぜ取り上げたか、わかっていただけた時点で、私見に満ち溢れた本日の投稿を終わります。
 

以上、Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第5夜 しあわせな男達へ  *** でした。
 
 
 
それでは、また明日、日本時間では22時に、主にアメリカでは朝の8時に、お会いしましょう!

 
 
2023111722:16 わかりにくい点を補足しました。 
2023111808:58 誤字をなおしました。
 

 




2023/07/04

Japanese Summer Maniac Pops ー 睡蓮の開く音がする月夜 第1夜 ー BAY BOAT STORY / 大江千里(Senri Oe)

 

 

Japanese Summer Maniac Pops

ー 睡蓮の開く音がする月夜  1夜 ー

 

BAY BOAT STORY / 大江千里(Senri Oe

 

 

 

アルバム「APOLLO」収録

 

 

大江千里の楽曲の中で、私がすごく好きな傾向は、

 

・なんらかの物語が楽曲内に流れていて、

・なおかつ、それがあまり限定されていない状態、

 

が歌詞になっている。

 

というのが、とてもとても好きです。

 

実はこの「BAY BOAT STORY」。

今日、iTunesで購入して聴き直したら、私はとても長い間、BAY BOAT STORYの物語の重要な部分を、勘違いしていたことに気がつきました。

 

BAY BOAT STORYの私の解釈は、

 

はっきりしないけれど、互いの気持ちはわかっている2人のうち、「君」が、この関係をもう一歩深めようと試みている。

でも「僕」は、いまはまだ、その時期ではない。

2人の間の関係が、まだ固まっていない、と考えている。

 

だったんです。

 

だから「僕」は少しずるいし、「君」は楽曲に切り取られている時間の終わりに「軽い失恋」のようなものを体験してしまって、そのわりにはこの関係をコントロールできない。

 

同時に、2人のこの関係がどこに流れていくか、結局、2人にもわからないままになっている。

 

けれど、気持ちがあるから苦しさもあって、

真夏の気怠い、うんざりするようなひとときの中で、

「何か決めないことでまた決まってしまうこと」

に、2人はそれぞれ違う部分で傷ついている。

 

と思っていたんです。

 

ずっとそう解釈していたので、なんて繊細で微かな痛みを伴う時間を歌うんだろう。

夏の水面の光が反射しているような、めまいがするほどの残酷な冷たさを歌ったポップスだと思ってたし、こんな状況を歌った曲なんて、他に聴いたことない。

という衝撃が何度聴いてもあったので、

私の中では大江千里の歌詞世界が、異様に研ぎ澄まされていた期(区分け、もちろん私)の楽曲として、名曲に分類されていました。

 

それで先ほど、ふと気まぐれを起こして、あ、あれは購入していたっけ? と確認したら、iTunesでは購入していたなかったので、買って聴き直したら、

 

「言い忘れていた そのひと言を 君に言えなくて」

(大江千里 BAY BOAT STORY より)

 

というとても重要な一節を、聞き逃していたんです。

 

この部分があるのとないのとでは、「僕」の人物像の解釈が大きく違ってくるんですよ!

 

この部分を解釈に入れ込むと、

「僕」は「君」の意図をうまく交わしているんじゃなくて、

「単に最初のスタートは自分の告白から始めたい」

と思っている、

真面目に「君」のことを想っている人、に変わってしまうんですね。

 

ええ!そうなんですよ!

 

だから、私の中で長い間、不朽の「残酷さと冷たさを持っている類まれなポップス」が、BAY BOAT STORYを聴き直した瞬間、消滅したんです!

 

これ、「2人の関係を進めたい”君”」に少し戸惑いながら、「そんなに急がずにもっとこの関係を大切に育てていきたい」っていう”僕”の歌だったんですよ。

 

いやあ、びっくりしました。

 

どうしてそんな勘違いをしてたんでしょうか、昔の私よ!

なぜ、歌詞を書き出して確認しなかったのか、昔の私!

 

そして心の中で大事にしていた、不朽の「残酷さと冷たさを持っている類まれなポップス」枠の棚がガラ空きになってしまって、いまけっこう唖然としています。

 

そんなBAY BOAT STORY、ちょうどいまぐらいの季節が舞台となっています。

 

 

それではまた、日本時間の明日の夜7時に、お会いしましょう。

 

 

 

タイトル副題 

少年アリス / 長野まゆみ(Mayumi Nagano)河出文庫刊 より、冒頭第1節を引用。


 

 ↓ワンクリックしていただけると、はげみになります:)

 

 

2022/02/02

スラッピー・ジョーの正体

 

 

 

 

なんだろう?って思ってそのままにしてたものって、形を変えずにずっと心に残り続けますよね。

 

私の場合、スラッピー・ジョーもそのひとつです。

 

上に出しているとおり、昔、大江千里のアルバムに「Sloppy Joe Ⅰ&Ⅱ」というのがあったんです。

 

大江千里さんって今アメリカに住んでるくらいですから(渡米してジャズの世界で活躍中)、すごく英語が堪能な人だったので、日本でポップミュージシャンとして活動していたときに、歌詞とか曲のタイトルとかに当時あまり馴染みのない英単語を入れていたんです。

 

で、学校配布の辞書に載ってない言葉とかもあって、例えば「赤茶色のプレッピー」のプレッピーってなに?とか

「Pleasure」っていったいなんのこと?とか(これは辞書に載ってました)、そういう謎が結構あったんです。

 

好奇心旺盛な時期だったということもあって、結構調べていっていたんですが、スラッピー・ジョーは、なんだろう? と思いながらも調べずにいたんです。

 

なんとなく、

何かの比喩かな、とか、

定型句のひとつかな、とか、

つーか、誰?

って1番強く思ってました。

 

それが先日、セブンでブリトーを買いに行った時に、

私はハム・チーズが大好きでよく買うんですけど、

そのブリトーの種類に、スラッピー・ジョーというのが出てたんです。

いまセブンって、旅するブリトーという商品展開をやっていて、世界各国のいろんな味をブリトーでお届け!というキャンペーンをやってるんですよ。

 

で、それを見て、

えっ!スラッピー・ジョーって食べ物の名前だったの?と、すごく驚いたんです。

 

買って食べてみると、ミートの味がしっかりしてスパイシーでおいしかったんですが、袋にアメリカ料理と書いてあってですね。

 

早速「スラッピー・ジョー」で検索すると、

20世紀初頭にアメリカ合衆国で発祥した料理。子供に人気」

とウィキにあったんです。

詳細はWikipediaを見ていただくとして。

 

えーっ!なんでそんなことを当時から知ってたの?とか、

え、じゃあスラッピー・ジョーってアルバムタイトルって食べ物アプローチだったんだ?とか、

ひとつ疑問が解消されたら、続々と新たな疑問が湧き出てきて、いまこれを書いています。

 

面白いな、と思ったのがですね。

すごく昔に抱いていたなんとなくの疑問が、いまになって解決するという、その「角を曲がったら出会い頭に解決される感」がものすごく面白かったんです。

 

その偶然の日常での転がり方が、すごくアグレッシブで、胸のすく思いがしたんですよ。

 

ブリトー好きじゃなかったら、たぶん、いつまでたっても「スラッピー・ジョーってなんだろう?」とぼんやりしてるだけだったんですよね。

 

勉学でほめられる姿勢っていうのは、疑問はその場ですぐ解決っていうので、私もおおいにそれは賛成するところなんですが。

 

「なんだろう・・・?」とずっとぼんやり思っていても、こういう形で、ささやかな日々の選択の先にクリティカルに解決されることもあるので、すぐ調べなきゃいけないこと以外は、これからもぼんやり「なんだろう・・・?」と自分の中に残しておいて、あれこれ想像して遊んでおくのも、それはそれで悪くないのかもな、と思いました。

 

それにしても、びっくりしました。

スラッピー・ジョーって食べ物だったんですね。

 

ちなみにブリトーって、そもそもなに?

っていうのと、

タコスとの差は?

というのはですね。

 

「ブリトー タコス 違い」で検索すると、Googleの強調スニペットに(これ便利ですよね)、

 

「タコスはコーントルティーヤに具材を乗せて二つ折りにしたもの」

「ブリトーはフラワートルティーヤに具材を乗せて巻いたもの」

と出て来ました。

 

興味のある方は、検索して深堀りしてみてくださいね。

 

余談ですが、私はタコスとブリトーどちらも大好きです。

 

 

以上、スラッピー・ジョーの正体について、でした。

 

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2021/05/26

APOLLO ー 大江千里

 


 

昨日、VOGUE JAPANのラインで知ったんですけれど、今日、5月26日は、皆既月蝕(かいきげっしょく)なんだそうですね。

しかも、スーパームーンと呼ばれる、大きな月が見れる日に(5月はフラワームーンというそうです。素敵)、月蝕もあるよということで、珍しいそうです。

 

蝕(しょく・食)は英語でエクリプス(eclipse)と表記されるんですが、昔何かの本でその単語を知って、響きと表記の字の組み合わせが好きで、じっと心に持っています。

 

月蝕って、月の面に地球の影が差す現象(ウィキより)のことをいうんだそうで、普段は空に張り付いている美しい球体という感覚のみで、位置情報はあまり意識しないけれど、たまに蝕のニュースが流れると、ああ、月は地球のそばに浮かんでいる天体なんだな、と、あらためて実感します。

 

I LOVE YOUを「月が綺麗ですね」と和訳したのは、夏目漱石ですが(諸説あるそうですけど)、最初は、奥ゆかしい日本語の言語感覚を言葉にしたのかな、と思っていたのが、だんだんと時間が経つにつれ、むしろそのくらいの距離感と美しさがぴったりではないか、と思うようになりました。

 

さすが漱石、マジリスペクト!←台無し

 

全国の夜の天気を調べると、晴れてるところが多いので、みなさん、今夜は、安全と予防対策をしっかりして、月蝕を観測してはどうでしょう?

 

時間とか方角とか天気の情報はこちらを

ウェザーニュース 様

https://weathernews.jp/s/topics/202105/010245/

 

その他、いま起こる月蝕の意味や占星術的な情報などはこちらを

VOGUE JAPAN 様

https://www.vogue.co.jp/lifestyle/article/super-flower-blood-moon-2021-cnihub

 

参考になさってくださいね。

 

私は夕方から夜にかけては、予定が入ってしまっているので、残念ながら見れませんが、たぶん・・・、有志のかたが動画をあげるでしょうから、それを見て楽しもうと思います。

 

皆既月蝕って、私はいつも頭の中で「怪奇月蝕」という漢字がまず最初に浮かんで、それを二重線で打ち消してから、皆既月蝕という漢字を思い浮かべるんですが。

みなさんはどうですか?←有用な情報リンクの後に、これでもかというくらい無意味な問いかけ。

 

 

 

 

 

 

表題曲は(終わるんだ?)←笑

大江千里で「APOLLO

アルバム「APOLLO」のタイトルトラックとなっています。

 

”ニュースとリモコンを手に

床に肘をつくきみと

乾燥機とサイレンとツツジが匂う

徹夜続きの翌朝 きみが裸足で飛び出した

二人はまだこんなことを 繰り返してる”

(大江千里「APOLLO」より)

 

この曲は大江千里の楽曲の中で、ひとつの最高地点をマークした曲ではないかとずっと思っています。

 

大江千里の楽曲を紹介するときに何度も書いていますが、いままた新たに見直されているようで、スポティファイの再生回数を見ると、私が思う最高地点の話はさておき、今でも時を超えて支持されている曲だといえるデータがあり、大江千里の作品を愛好するものの1人としては、とても嬉しい限りです。

 

アーティストの方向性というのは、本人以外にはどうにもならないので、現在の大江さんの音楽活動、創作活動に対して何か意見があるわけではありません。

 

ただ、過去だとしても、確実に、青年期の憂鬱や不安、日常、そして愛情やノスタルジーを、これほどまでに鮮やかに切り出した楽曲を創っていた、という事実は、忘れてはいけないのではないか、と思っています。

 

Spotify iTunesで配信中です。

 

 

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2021/04/07

天気図  ー 大江千里

 


 

・・・マグカップが、壊れないんです。(・・・はい?)

 

 

いや、壊れないんですよ、マグカップが!(笑)

 

 

朝のコーヒー時間(珈琲時間って雑誌ありますよね。たまに買ってます。好きです。)に、私はいつも決まって、自分のマグカップに、たっぷりコーヒーを淹れて飲んでるんですね。

 

ずっしりと重くて、持ち手も私の手のサイズにちょうど良くて、唇が当たるところも、分厚いしっかりした作りで、滑らかな感触で。

中のコーヒーも冷めにくいという、マグカップのポテンシャルというものがあるなら、かなり高いのを使っています。

 

唯一の難点を挙げるとすれば、オフホワイトの陶器に、シックな深緑色で統一されたイラストと文字で、「Fresh Eggs」って花文字で焼き付けてある、わけがわからない点のみで。

 

「新鮮な卵・・・。」と思いながら毎日飲んでるっていうですね。

そういうマグカップを使ってるんです。

 

それが頑丈なのを通り越して、全然、割れないんです。

 

もともとそんなに食器とかを落とす性質ではないのはそうなんですが、それにしても、ずっとこのマグカップ使ってるんですね。

使いすぎてて、この間、ちゃんと記憶を辿ってみたら、覚えてる限り、・・・引かないでくださいよ?

 

私、これ、若者の時からずっと使ってるんです!

 

割れないの!ぜーんぜん!!

 

洗ってる時に、ちょっとぶつけたりとかあるんですけど、すっごい頑丈で、今まで使ってて、持ち手の上が少しだけ欠けてるんですけど、捨てるほどの欠けじゃないんですよ。

見ようによっては、そういうデザインなのかなって思えなくもない欠けなんです。

 

で、あまりに頑丈だから、何かのメーカー品なのかと思って、検索してみたんですけど、全く情報がないんです。

 

そもそも、もう今は存在していない雑貨屋さんで買ったんですよ。

 

その時のことはすごく良く覚えていて、素敵なお姉さんがやってるヨーロッパ系の雑貨屋さんで、店に入ったはいいものの、気に入るものがなくて、なんかこのまま出るのも・・・、という気持ちになっちゃったんですね。

 

出ていいんですけどね!何も買うものなかったら!お店なんだから!←狭い店あるある

 

でも若者だったこともあって、何か買わないと・・・と思ってしまったんです。

そこに、ふと、このマグカップが置いてあったんです。

 

で、600円とかそういう値段で、持ってみるとズシっと重いし、手になじむし、こりゃいいや!と思って買ったという。

買って帰る時も、カップについてる横向きのテキトーなニワトリの絵が、気になったは気になってたんですけど、(あんたはまたそんなモノを!)

 

割れ物だから、そんなに長く使うものじゃないしな。

 

と、当時思って、家に迎え入れたんです。

 

で、いまだに割れてないんです(笑)

 

捨てようかな?と思ったこともあるんですけど、それを変えてまでのマグカップにまだ、めぐり合ってないんですね。

 

仕方ないから、お気に入りってわけではないけど、愛着はあるにはある、という立ち位置のマグカップをずっと使ってるんです。

 

もう、いろんなものをこのマグカップで飲みました。

 

偶然、割れるのをどっかで待ってる気持ちもあります。

でも、割れないんですよ(笑)

 

電子レンジにガンガン入れても、ガシガシ洗っても、絵は染付けだったんでしょうね。

横向きのニワトリの絵と「Fresh Eggs」の字は、剥げることもなく! 今でも、買ったまんまの姿をたもっています。

 

 

いまもこれ書きながら、飲んでますけど。

なんでこんなに、頑丈な作りになったんだろう。

マグカップなのに。

 

お店は輸入雑貨店だったんで、どこかの国の片隅で、マグカップ職人が(いるの?)、すっごいリキ入れて作った製品を、若者だった私が何百円かで買って、いまになってもまだ使ってる、ということを考えると、ちょっと気が遠くなりそうになる、時間の経過っぷりなんですけど。

 

 

私、これ、一生使ってたら、どうしよう・・・。←失笑

 

 

えー、そのうち割れたら、ご報告します(笑)

 

 

 

 

 

 

表題曲は大江千里の初期の名曲、「天気図」

デビューアルバム「WAKU WAKU」に収録されています。

青年期の非常に繊細な感覚で彩られた、学生時代最後の夏を唄う曲です。

大江さんの曲はいろんな名曲があるけれど、

私はこの曲が大江さんの作品の中で1番、好きです。


Spotify iTunes で配信中です。

 

 


 

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