休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)
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2024/04/23

好きになった人が、私の相手

 
私は人のセクシャリティって「どうでも、良い」を考えています。
詳しく説明すると「どうであっても良い」というスタンスで、きっと生まれたときから、それでやってきたような気がします。
 
先ほど、私が言葉少なに話したほうが理解されるし、分かりやすい、と教えてくれた方が、私のウェブでの行動理由や発言理由の1番説得力のある説明になるかもしれない、と言って下さったんです。
 
そうしたら、なんか、あ、そりゃそーだな。とストンと何かが落ち着いたんです。
なので、これはGOだと、思いました。
そういうワケで、私は自分に従います。
 
私はノーマル寄りではありますが、バイセクシャルです。
後天的では無く、先天的であっただろうと、わけのわからない過去をざっとさらってみて断言出来ます。
それと、いわゆる「オナベ」ではありません。
女の形で女の心を持ったバイセクシャルです。
 
で、これって、全然、清水の舞台から飛び降りることではないんです。
はっきり言って、私は、リスクを取らないで済む現状をさっと判断して、ここで公表するのが妥当だと考えました。
 
私は、ごく一般的な婚姻関係を結んでいます。
私は女ですので相手は男です。確か、話したことがあると思うんですが、現状、いわゆる一般的なカップルで結婚生活を送っていますので、相手も別にいま女やってるんだから、女ということで、という考えなんだと思います。
 
そうなだけです。
では、別にセックスパートナーが必要かと言われたら、私は違います。
 
私の性的価値観は、好きになった人がセックスの相手です。
本気で惚れた相手とセックスをします。
なので、不特定多数のパートナーを必要としません。
 
それは私とは違うスタイルの方達を否定するものでは、当然ありません。
 
ただ、そうなだけです。
 
・・・ただ、それだけのことなんで、読んで下さるみなさんは、あ、そうなの? で終わるのではないか、と保険をかけているのでなく、体感で思っています。
 
もし、私がいま制服を着ていたり、堅い仕事をしていたり、子供を持っていたりして、この先のコミュニティに、保守的なものを求める価値観の人生を送る予定であるのであれば、書かなかったと思います。
 
私は、実は、自分がバイセクシャルであることに、あんまり頓着がありません。
女性相手に軽い経験しかないのと、そもそもこのことで悩んだことが無いんです。
理由は、私はいつも安定したパートナーとセックスをしていた人生だったからなんです。
 
それと今まで公表するのを言いよどんでいたワケの1つに、この程度だとファッションバイっていうことになるかも?というのもあったんですね。
 
(なんで自分のセックスのこと、そういう趣味が無いのに、大っぴらに公表することがすべてポジティブなんだ、という気持ちもありました。
オフィシャルな場での性的なことに対して、だから何だよ感がとても強いんです。
自分の性嗜好を公表することで命に関わる人達もたくさんおられて、勇敢だったその人達の命がけの行動への敬意とは別の意味で、です。それはもちろん、そうです。 )
 
でも、それであっても、私はおそらく、この歳でこのタイミングでこの季節で無ければ、言わなかったでしょう。
それくらい、私はきっと、このことで勇敢である必要を感じていないからですし、心のどこかで、言ったって石つぶてを投げる人は投げる、と思っているし、そうだと知っているからです。
 
私はそういうコミュニティにも参加経験はありません。
 それで済んでいました。
 
なので、まあ、今日、最愛の人と話していて、アッサリと、言ってもいいかな? と思ったので書きました。
 
今後、不利になったらたぶんソッコーで消します(笑)
 
先頭に立って旗も振らないと思います。
でも、闘いたいなと思ったら、ひっそり闘うかもしれません。
 
それと今後、私は言を尽くして説明をせず、元々がそうであるように、言葉少なに、一言二言でそれについて語る、というスタイルに戻ります。
 
それも併せて、あ・はーーい、了解でーす。と受け取ってくれるか、受け流して下されば幸いです。
 
なんつーか、まあ、そういう感じ。えへへ。
 
 
2024042315:01エナメル
(じきにニックネームが変わりますが、このこととは関係ないですよ。)
 
 
 
20240423 17:51 補足を付け加えました。
 
 
 
 
 
 

2024/03/15

梅と藤

 

Photo by Spaceman from 写真AC

 

その人を最初に見たとき、白い梅の花を思いました。
 
静かで繊細な佇まいがニュートラルな方なんですが、どこか一途に思いつめているような、張り詰めているような、随分と端正な輪郭がある刀を肌身離さず携えているような、一本、きりっとしたものがありました。
 
ああ白梅だな、と感じました。

以来、梅の季節に白い花びらを見かける度に、その人が全力で進み続ける道のことを考えたりしていました。
 
梅は、櫻よりどこか力強いものがあります。
都から太宰府に流された菅原道真公(すがわらのみちざね こう)を追いかけ、彼の地に飛んでいった白梅のように、必ず信じてやまない、そんな熱さがすっきりとみなぎっています。

春を告げる最初の花として、まず歌われるのは梅です。
古(いにしえ)の典雅人(てんがびと)達が好んで詠んだ理由は、容易いようでいて一番難しく、それはきっと尊い(たっとい)、「信」の字が、実は咲いているからではないでしょうか。
 
いつも写真写りが悪く、ものごとをきちんと見つめねば成せない生業を持たれているのだから、ご自身の様子の良さも、夢中にさせる魅力も知り尽くしているだろうに、なかなかそうは簡単に見せたりしない。
 
そういう上手さが、昔は、少し自分でも気になる所だったようですが、久しぶりに触れた芸の空間で高い位置に座る姿は、それすらもとうにご自身の天分だと、粋なふうに魅力を羽織られていて、芯は白梅でも、いまでは艶やかな藤の花のように咲き誇っているのだな、と、ひどく自慢な心持ちになりました。
 
 
Photo by きゅーまる from 写真AC
 
 
座席に居る全員と同じく、私も彼を長年の友人のように愛好し、八面六臂の活躍ぶりに圧倒されながらも、この人の為に何かしなければ、何かこの人の役に立つことをしなければ、と、甚だ迷惑な、何がなんだかよくわからない思い込みを持っています。
 
昔、その気持ちを書いたときに、偶然、古く立派な紅梅のイメージを持つ彼の師匠がこう言いました。
「拍手をしなさい。心から拍手をすれば、それで伝わる。」
なので、機会に恵まれた時は、いつもその教えに従っています。
 
切磋琢磨し合う仲間達と、共に花の山を登っている彼ですが、私はもうひとつ、この方について、非常に奇妙でおかしな思い違いをしています。
 
それは、壇上と座席越しに、真正面から向き合い続けるのではなく、当然、肩を並べるのでも無く、なぜか背中合わせに、それぞれが生きる世界を見つめているような、そんなようにどうにも思えてなりません。
 
決して振り返らず、決して寄りかかることなく、それぞれが背中合わせに立っている。
なにをどうしたら、希代の名人のおひとり相手にそこまで自惚れられるのか。
 
私の中の自分が散々私を嘲るのですが、 その体感が消えたことは一度もありません。
 
署名記事で拝読したのですが、私のような、生涯付き合っていくものを持つ人を励ます為に、世界では 「“」や「”」を使うならわしがあるそうです。
これで括るメッセージは特に無いのですが、実体のないこのネット上の私のアイデンティティの表記でもある「”」は、ところ変われば、日本語の濁音の意味も持ちます。
 
華やかな世界で天賦の才を巧みに磨き、鍛錬し続けるその方は当然、光りの中に居ます。
背中合わせの私はむろん、陰となります。
 
私は、その方が心に持ち続ける鋼の刃(はがねのやいば)に「しん」と表音する「信」の字を見ているので、陰の私は、自身のアイデンティティも投影して、そこに「”」を加え、「じん」と表音する「仁」の字を、この方への変わらぬ応援と勘違いな友情の証として反射していようと思います。
 
何ひとつ満足に返せませんが、命と心を助けていただいた方々の中のおひとりとして、私が思う、世界で最も誠実な心を生涯の感謝として、応援の中に反射し続けながら、動かし生きていこうと思います。
 
エナメル 20240315  18:02
 

追記
このようなことを書けば、大したことが全くない私のせいで、いらぬ恥をかかれるだろうと躊躇っていたのですが、たまには、周知の事実であってもひた隠しにしてきた応援を、このような形で告白するのも、
わけのわからない、途方もなく臆病な人間に、そこまで心を開かせ長年頼りに思わせるほどの人となりを、実はさらりとお持ちであると、
ひとたび白眉の高座を降りたら、そのような善行を決して黙して語らない、背中越し(思い込み)の立派な姿の証言として、
受け継がれている一門の名と、「芸は人なり」という教えに恥じぬ、至芸を継承されている旨、語らせていただいた次第です。
 
それと、・・・あの、この方は大変な「面食い」ですので、おかしな誤解はなさらないでください(笑)
ご迷惑になりますので。
 
追記 2
仁という字の発想元は、里見八犬伝の「仁」の字のエピソードからです。 
劇中では「人を愛する心」とされていますが、
私の場合は、親しみ、いつくしみ、モモ・ウメの果実の堅い核の部分に含まれているやわらかい部分、という出で立ちで使用しています。
(Oxford Languages より)

 
 




2024/03/08

どうかお気遣い無きようお願い申し上げます。

私はいま、過去最高にとても調子が悪い状態から、なんとか復調して、自分の調子を少しずつ戻していっています。
 
やっとここ1週間ほどで、普段私が暮らしの中で体感している時間の流れ方に戻ることができました。
 
さらにこの1日2日は、この頃、春の雨がとても良く降っていたので水やりの心配も無かったおかげで、とても久しぶりにベランダの素敵な名前を持つ小さな庭に出て、楽しく静かに穏やかに鉢植えの世話を半日していたので、気持ちが落ち着いて、ただハイになるのではなく、静かに楽しい気持ちも出てきて、心地よく過ごしています。
 
夜は、パートナーが居る時間帯限定で、おそるおそるメディアの文字をネットで覗いてみたりしていたんですが、やっぱりうまく10のものを10と受け取ることは、まだ難しいようです。
 
ときどきはこうして自分の状態を確かめながら、とにかく半年ぐらいは養生生活をして、自分の状態をもとに戻そうと思います。
 
それで・・・、何か勘違いしていたら、相変わらず恥ずかしい感じですが。
 
私は、いま、そちらから悪意が押し寄せてきているとは感じていません。
 
正直申し上げて、アレ?気がついて居ないことがまだあるんだろうか?と、とあるショックの時に手渡されたメッセージのようなものをずっと検討して居たのですが、そのメッセージの宛先も、本当に言いたいこと(含意)もよく分からないけれど、 私は普段、悪意は受け取らないに限る、というポリシーを持っておりますので、
やはりそれに従い、特になにも傷つけられたり、勝手に見に行って傷ついたりすることも、今はありませんので、もしお気遣いを頂いていたのでしたら、どうかもうこれ以上は、ご配慮の無いようにお願い申し上げます。

もう全然、半年以上前くらい?経ったでしょうか。
行っていないんです。
 
自分の精神を守るためにそう判断しました。
私に、という限定付きですが、悪意を投げてくる人間は、私が死ぬまでやります。
なので、防御する判断が必要なんです。そういう人生を生きています。
 
そういうワケで、他のちょいと小狡いやり方で(違法なことではありません)、必要な情報だけチェックしていたんですが、それも年明けのこの国での大きな災害で、それがコンテンツとして必要なのは分かっているけれど、現状は必要ではない。と判断し、そちらの情報も取りに行っていないんです。
 
そして、お気遣い頂き、メッセージを送っていただいても、触れることが出来ませんので、コンビニで雑誌コーナーすら前を通らないように気をつけている状態です。
映像や音楽コンテンツも、何度か試したんですが、変な勘違いをしてしまって取り乱したりして、後で恥ずかしくなっていたりします。
 
なので、おそらく元の、何か普通に視聴し、受け止められる状態になるまで半年から1年は、ひょっとしたらもっとかかると思いますので、
とても光栄なんですが、
私には受け取ることが出来ないのと、
間接的な、現実的ではないと私が判断する分野でのご厚意すらも、コンディションによっては攻撃と取ってしまうので(それは実はネットに戻ってきてからずっとです。) 、せっかくのご厚意をそんな風にしか受け取れないのが、本当に申し訳ないので、これ以上は、お気遣いのないようお願い申し上げます。
 
少し、ゆっくりと、私が大切にしている暮らしをしながら、好きなように日々を静かに穏やかに普通に過ごし、ファンブログを続けながらも、好きなこと、興味のあることなどを書いたりもして、趣味を楽しみながら、今まで通りのよくわかんないスタイルで、ファンフィクションを書きながら、心と精神を休めたいと思っています。
 
どうかご理解を賜りたく存じます。
 
本当にありがとうございました。
お気遣い頂いた皆様、並びにスタッフの方々、ファンの方々の益々のご活躍を、ひっそりと願っております。
 
20240308 21:58 エナメル
 
 
 
20240309 10:19 まるでファンブログやめるかのように読めたので、違いますよ、という部分を書き加えました。