Let's listen to Taeko Onuki, shall we?
<大貫妙子を聴こうじゃあないか>
*** 第6夜 若き日の望楼 ***
<大貫妙子を聴こうじゃあないか>
*** 第6夜 若き日の望楼 ***
若き日の望楼 / 大貫妙子(Taeko Onuki)
作詞:作曲 / 大貫妙子(Taeko Onuki)
編曲 / 坂本龍一(Ryūichi Sakamoto)
クレジット Wikipedia 「ROMANTIQUE」より
https://w.wiki/6D6e
アルバム「ROMANTIQUE」収録。
Wikipediaを見ると、大貫妙子のこのアルバムについての考えがたくさん記述されています。
それだけ誤解もあったのだろうし、曲解されたのかもしれませんね。
私は前述したように、まず聴いて、自分がどう思ったか、感じたか、を大切にするので、もしアルバム「ROMANTIQUE」を未聴の方は、私は、聴いてから、そちらを読まれるのをお勧めします。
確か、私も、最初に大貫妙子を聴いたのは、「ROMANTIQUE」だったのではないでしょうか。
それ以前に、F Mラジオで大貫妙子の「ピーターラビットとわたし」をエアチェックしていて、知ってはいたんですが、ちょうどその頃、シャンソンを聴いてみたかったので、確か、お店の人に日本のシャンソンでニュー・ミュージック寄りの好みを伝えて、出してきてもらったのが、大貫妙子の「ROMANTIQUE」だったような記憶があります。
その頃、まだ小学生だったので、お店の人もすごく困ったと思います。
でもこれ、阿川泰子(Yasuko Agawa)をたどっている最中に、隣のコーナーに「ROMANTIQUE」が置いてあって、なんかヨーロッパっぽいし、と思って、手に取ったのかもしれません。
それで「ROMANTIQUE」の中で、シャンソンではないかと思ったのが、「若き日の望楼」です。
同アルバム収録曲の「BOHEMIAN」の歌詞にシャンソンという言葉が出てくるし、大貫妙子ってきっとシャンソン歌手なんだろうけど、別の曲も創る人なのだろう、くらいの認識です。
でも、おかしいなと思ったのが、「若き日の望楼」って、ギターが出てくるんですけれど。
そのギターの音触がロックの音なんですよ。
あれ? と思って。
それで確かお店に行って、大貫妙子の他のアルバムジャケットを見て、それで大貫妙子がギター(ベース?)と一緒に写っていたのを見て、まず間違いなく、この綺麗な人は、シャンソン歌手ではないな、と1人、納得をしておりました。
さあ、綺麗だと書いてしまいました。
もしかして、みなさんは、どうして大貫妙子が才能があり、楽曲も声も文章も語りも素晴らしいだけでなく、美しいということを誰も何も言わないんだ!
大貫妙子は辛い思いをしていたのではないのか?
と心配に思っている方がおられるかもしれませんが。
えー、これも今回のイベントで取り上げる予定ですけれど。
さっくり書くと。
日本社会には、特に文化人系と言われる世界の中にある、ごく一部の考え方なんですけれど。
正直であることを尊ぶ風潮のわりには、綺麗な人のことを綺麗だとする、ことが、なんというか、相手を軽んじていることにつながる、という警戒心が存在しているみたいなんです。
そういうことには惑わされずに、こっちはあなたをきちっと評価しているんですよ!アピール。なんですけれど。
これは、女性に限らず、いろいろな性の方にも共通して存在しているんですよ。実は。
だから、大貫妙子について、綺麗である。ということを言ったり書いたりするのは、よくないことだぞ?
そういうことを言うのは、違うんじゃないかしら?
という風潮があったんだと私は思っています。
この話は、きちんと、あのぅ、書きますので。
どうかご心配なさらないでくださいね。本当に大丈夫ですから。
「若き日の望楼」を聴くにあたって、やっぱりシャンソンのことを私がどう捉えているかという話をした方がいいと思います。
で、日本には、Wikipediaによるとシャンソン歌手も数多くおられたそうなんですけれど。
子供だった私の耳にも届いてきたほどのシャンソン歌手といえば、五輪真弓(Mayumi Itsuwa)による「恋人よ」をカバーした淡谷のり子(Noriko Awaya)とエディット・ピアフの愛の讃歌を歌唱した越路吹雪(Hubuki Kosiji)だったんです。
このお二人は、私見ながら、歌手という使命を生きた方達でした。
なので、ジャンルで括ることは失礼である、と言われるのは百も承知なのですが、日本におけるポピュラーシーンにおけるシャンソンというもののさわりだけでもと思って、このように記述することをどうかお許しいだたければと思います。
詳しくはWikipediaのシャンソンをご覧ください。
Wikipedia シャンソン
https://w.wiki/3M6n
https://w.wiki/3M6n
昨日の投稿で、私はシャンソンを運命の傍観者の視点、と書きましたが。
私の理解が間違っていなければ、シャンソンというのは、大きく全体を捉えると、詩を吟ずるもの、でいいはずです。
上記に出したWikipediaのシャンソンの項目に、
シャンソン(フランス語: chanson)は、中世の吟遊詩人をルーツとした歌曲と、フランス語の歌曲の総称である。
Wikipedia シャンソンより
https://w.wiki/3M6n
とあるので、勇気を出して(笑)続けますが。
日本には、「とはずがたり」(問わず語り)というジャンルがあります。
ジャンルでもあり、書名でもあるんですけれど。(本ではなく巻き物です。)
1313年に成立したものとされている後深草院二条(Go Hukakusain no Nijyou)の手によるものです。
で、この「とはずがたり」というのは、自身の体験を語る形式の物語で、当時新しい形式として、長い間、宮中で発禁本だったという(笑)、いつの頃も、センセーショナルであるものは、最初は、なんということを書くんだ!というお叱りを受ける象徴となっている事例なんですが。
こちらは、何もそんな大変なことが書かれているわけではなく、紫式部(Lady Murasaki Sikibu)の源氏物語(Tale of Genji)に影響を受けているとされる、そうですが、私は教科書に載っていたかどうか、かなりあやしい記憶しかないんですが、多分、読んだりはしていたはずです。
「とはずがたり」と言うのは、Wikipediaにあります通り、「問わず語り」と表記し、自発的に物語ることなんですね。
で、シャンソンは、歌曲なんですけれど、私は語るための歌であると考えています。
それは表現としての歌の根幹部分の在り方として、なるべくしてなった、姿だと思うんです。
その形式を引用して、大貫妙子が語ったのは、とても遠い時代だと感じるほど、客観の過去でした。
アルバム「ROMANTIQUE」って、多分、すごく売れたんだと思うんです。
で、シャンソンは、歌曲なんですけれど、私は語るための歌であると考えています。
それは表現としての歌の根幹部分の在り方として、なるべくしてなった、姿だと思うんです。
その形式を引用して、大貫妙子が語ったのは、とても遠い時代だと感じるほど、客観の過去でした。
アルバム「ROMANTIQUE」って、多分、すごく売れたんだと思うんです。
瞬間的なチャート順位ではなく、ロングセラーでも、セールスはトップに入るものではないでしょうか。
楽曲の中で、歌われ、語られているのは、過去が物語りになるほど遠くなってしまった記憶で、それが事実かどうかという話すら霞むほど、この楽曲で表現されていたのは、「過去」ではないでしょうか。
これは私のとてもロマンティックな想像なんですけれど。
大貫妙子が過ごしていた多感な若者期って、日本ってすごく熱を帯びていた時代だったのではないでしょうか。
私は、文献や映像を遡ることでしかわからないんですけれど、おそらく、あちこちで熱が充満していた時代で、大貫妙子自身は、その頃、というものを完全に過去だと思っていて、特に過去に理由を持たなかったんじゃないでしょうか?
私はその時代を描いた映像作品として、
当時を若者として生きた男と過去として当時を知っているだけの若い女性が、偶然、男がそのとき恋人と暮らしていた部屋に住んでいたことから、酔って昔を懐かしんで、当時の部屋までやってきて、その当時のやり方で鍵の隠し場所を探り当ててしまい、部屋のドアを開けて、今にも警察に電話しようとする、今の部屋の持ち主と、なぜか奇妙なひと晩を部屋の向こうとこっち側で過ごす、というドラマが、とても好きです。
また、ドラマ「反乱のボヤージュ」がとても好きです。
配信されていないのがとても残念なんですが。
私がこの二つのドラマが好きなのは、私にはわからないその時代を、過去であるが、いまだ熱を帯びているものが残っている、ものとして描いているのが、非常に現実的だと思ったし、記憶に対して真正面に対峙した、当時の日常から未来という現在に繋がっている、としているところです。
そこに、過去以外はない、という捉え方の流儀と言いましょうか、とても私にとっては咀嚼しやすい切り出し方だったんです。
なので、ウィキにあるように、大貫妙子が「若き日の望楼」について、このアルバムリリースの3年後に、あえて語っているのだから、この時代は、やはり特殊で、個人の時間と、共有の時間が、縄のように編まれているような、そんな、特異であり、誰もが持つ、2度と来ない熱い日々の中に、黎明期の精神の色彩を放っているのだという、聴き方と捉え方を、私は、しています。
また、ドラマ「反乱のボヤージュ」がとても好きです。
配信されていないのがとても残念なんですが。
私がこの二つのドラマが好きなのは、私にはわからないその時代を、過去であるが、いまだ熱を帯びているものが残っている、ものとして描いているのが、非常に現実的だと思ったし、記憶に対して真正面に対峙した、当時の日常から未来という現在に繋がっている、としているところです。
そこに、過去以外はない、という捉え方の流儀と言いましょうか、とても私にとっては咀嚼しやすい切り出し方だったんです。
なので、ウィキにあるように、大貫妙子が「若き日の望楼」について、このアルバムリリースの3年後に、あえて語っているのだから、この時代は、やはり特殊で、個人の時間と、共有の時間が、縄のように編まれているような、そんな、特異であり、誰もが持つ、2度と来ない熱い日々の中に、黎明期の精神の色彩を放っているのだという、聴き方と捉え方を、私は、しています。
「若き日の望楼」って、アルバム「copine」でもフランス語でカバーし直したりしているところを見ると、大貫妙子にとってこの時期は、青春時代の経過として、決してデコレーションしなくともいい、自分を取り巻く世界に、身ひとつで全力でぶつかっていけた、過ぎ去りし日のワンエピソード。それ以上でもそれ以下でもない、とにかくもまっさらな世界だったのではないでしょうか。
” パンとワインで仲間たちと過ごした ”
(若き日の望楼 / 大貫妙子(Taeko Onuki)より)
それが一体、どのようなものか子供だった私は知りたくて、自分が若者になった時に、ワインとパンでたくさんの夜を過ごしました。
正直、ワインにはカマンベール・チーズかプロセスチーズ。時々、ボイルしたウィンナーかサラミの方が好きでしたし、ビールと柿の種の方が、自分にはピッタリだな、と思いながらも、結構な期間、真似していたことは、楽しかった記憶として私の中に、大貫妙子の楽曲が運び込んでくれた、大切な財産になっています。
以上、Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第6夜 若き日の望楼 *** でした。
それでは、また明日、日本時間では22時に、主にアメリカではだいたい朝の8時に、お会いしましょう!