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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 

2023/07/04

Japanese Summer Maniac Pops ー 睡蓮の開く音がする月夜 第1夜 ー BAY BOAT STORY / 大江千里(Senri Oe)

 

 

Japanese Summer Maniac Pops

ー 睡蓮の開く音がする月夜  1夜 ー

 

BAY BOAT STORY / 大江千里(Senri Oe

 

 

 

アルバム「APOLLO」収録

 

 

大江千里の楽曲の中で、私がすごく好きな傾向は、

 

・なんらかの物語が楽曲内に流れていて、

・なおかつ、それがあまり限定されていない状態、

 

が歌詞になっている。

 

というのが、とてもとても好きです。

 

実はこの「BAY BOAT STORY」。

今日、iTunesで購入して聴き直したら、私はとても長い間、BAY BOAT STORYの物語の重要な部分を、勘違いしていたことに気がつきました。

 

BAY BOAT STORYの私の解釈は、

 

はっきりしないけれど、互いの気持ちはわかっている2人のうち、「君」が、この関係をもう一歩深めようと試みている。

でも「僕」は、いまはまだ、その時期ではない。

2人の間の関係が、まだ固まっていない、と考えている。

 

だったんです。

 

だから「僕」は少しずるいし、「君」は楽曲に切り取られている時間の終わりに「軽い失恋」のようなものを体験してしまって、そのわりにはこの関係をコントロールできない。

 

同時に、2人のこの関係がどこに流れていくか、結局、2人にもわからないままになっている。

 

けれど、気持ちがあるから苦しさもあって、

真夏の気怠い、うんざりするようなひとときの中で、

「何か決めないことでまた決まってしまうこと」

に、2人はそれぞれ違う部分で傷ついている。

 

と思っていたんです。

 

ずっとそう解釈していたので、なんて繊細で微かな痛みを伴う時間を歌うんだろう。

夏の水面の光が反射しているような、めまいがするほどの残酷な冷たさを歌ったポップスだと思ってたし、こんな状況を歌った曲なんて、他に聴いたことない。

という衝撃が何度聴いてもあったので、

私の中では大江千里の歌詞世界が、異様に研ぎ澄まされていた期(区分け、もちろん私)の楽曲として、名曲に分類されていました。

 

それで先ほど、ふと気まぐれを起こして、あ、あれは購入していたっけ? と確認したら、iTunesでは購入していたなかったので、買って聴き直したら、

 

「言い忘れていた そのひと言を 君に言えなくて」

(大江千里 BAY BOAT STORY より)

 

というとても重要な一節を、聞き逃していたんです。

 

この部分があるのとないのとでは、「僕」の人物像の解釈が大きく違ってくるんですよ!

 

この部分を解釈に入れ込むと、

「僕」は「君」の意図をうまく交わしているんじゃなくて、

「単に最初のスタートは自分の告白から始めたい」

と思っている、

真面目に「君」のことを想っている人、に変わってしまうんですね。

 

ええ!そうなんですよ!

 

だから、私の中で長い間、不朽の「残酷さと冷たさを持っている類まれなポップス」が、BAY BOAT STORYを聴き直した瞬間、消滅したんです!

 

これ、「2人の関係を進めたい”君”」に少し戸惑いながら、「そんなに急がずにもっとこの関係を大切に育てていきたい」っていう”僕”の歌だったんですよ。

 

いやあ、びっくりしました。

 

どうしてそんな勘違いをしてたんでしょうか、昔の私よ!

なぜ、歌詞を書き出して確認しなかったのか、昔の私!

 

そして心の中で大事にしていた、不朽の「残酷さと冷たさを持っている類まれなポップス」枠の棚がガラ空きになってしまって、いまけっこう唖然としています。

 

そんなBAY BOAT STORY、ちょうどいまぐらいの季節が舞台となっています。

 

 

それではまた、日本時間の明日の夜7時に、お会いしましょう。

 

 

 

タイトル副題 

少年アリス / 長野まゆみ(Mayumi Nagano)河出文庫刊 より、冒頭第1節を引用。


 

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2023/07/02

Moon River

 


 

日曜日なので、穏やかな内容を書いています。

 

オードリー・ヘプバーンの映画で好きなタイトルを挙げるとすると、たくさんのかたが「ローマの休日」を挙げると思いますし、「マイ・フェア・レディ」を挙げる方もおられると思います。

 

私は実はなんと「ローマの休日」は、内容は知ってるし、セリフも知ってるけれど、嫌いな人が好きだと言ってた映画だったので、あんな奴が好きな作品なんか断じて観るもんか、と決めていたこともあって、結局、いまだに観ていないという、全世界でも珍しい人類の1人です。

 

その代わり、私は、「ティファニーで朝食を」がとても好きです。

 

理由は、オードリーが都会的でシックだからとか、映画の世界観がおしゃれだとか、そういうポイントもとても素敵だけれど、この映画の物語にとても胸を打たれてしまったからです。

 

まだ観ていない方のために、ネタバレをしないで書きますけれど。

 

私は、それまで映画を観て泣く場合、ここが感動ポイントですよ。今からそこに向かって盛り上げていきますよ。はい、盛り上がってきましたよ。じゃあ、泣いてください!

という映画で、わりとあっさり泣いてしまうタイプでした。

 

(お陰様で、この頃は涙が出るようになりました。ちょっと波があり過ぎですけれど、涙が出るようになったのだから、とても進歩していると思っています:))

 

でも、私はこの「ティファニーで朝食を」を観てる時、劇中にとても有名すぎるほど有名な主題歌「Moon River」が出てくるシーンがあるんですけれど。

そのシーンを観た時、知らないうちに泣いてる自分に気がついて、とても驚いたんです。

 

どうして泣いたのか、当時の私にはよくわかりませんでした。

感動的なシーンではないんです。

どちらかというと、微笑ましいシーンとされている場面なんです。

 

でも、私は、そのとき画面に流れていた言語化できないものと、白字の字幕にあった日本語訳詞と、かろうじてリスニングできた英語の歌詞の断片に触れた時、こみあげてくるものが押さえきれず、涙を流してしまったんです。

 

観終わった後、しばらくして、私は、この映画と「Moon River」という楽曲が持っている、哀しさ、に心打たれたのだと、わかりました。

 

みなさん、ご存知の通り、名曲「Moon River」はあまり多くを語っていない、とても暗示的で、同時に明示的な世界が歌われています。

 

その中の一部分、「Two drifters off to see the world」の日本語字幕が「2人の流れ者」になっていたんです。

けれど、私はその時はっきりと「いや、これは『2人の愚か者』が正しい」とわかったんです。

 

それは若者だった私の、傲慢さでもあったし、柔軟な感性だったのかもしれないし、ただの勘違いだったのかもしれません。

 

正解は調べていません。

いまもこれを書くにあたって、検索しようかな、と思ったんですけれど、やっぱり、あの時感じた自分を大切にしたくて、検索するのをやめました。

 

だから、自分の誤訳をそう信じ込んでいるかもしれないですし、映画の中の時代背景から「2人の流れ者」のほうが、作品世界に合っているのかもしれません。

 

ただ、私にとって、「ティファニーで朝食を」のあのシーンは、原作者のトルーマン・カポーティからの、この世界と世界を往く人々へ向けられた、とても温かい眼差しだと、強く感じるものがあったんです。

 

正直言って、この映画が映画として群を抜いていないのはわかっています。

作りも雑だし、ファッション映画と言われても仕方のない作りだし、おかしなところもすごく多い。

 

でも、私は、この映画が持つおかしな部分は、世界という世の中や人生が持つ、奇妙さやおかしさと、とても似通っていると思うんです。

 

この世界に無数に存在する人生というものは、確かに、なんだか作りが雑で、奇妙で、おかしい。

 

「ティファニーで朝食を」食べるなんて本当は無理なのに、それがタイトルになっている、おかしな世界に住む、とっても素敵な女の子が、なんだか奇妙な世界の中で、優しく、でもドライに歌う「Moon River」という楽曲の歌詞に出てくるのは、

 

本当はみんなどこかでわかっていること、

 

だったのかもしれません。

 

人というものは、愚かだ。

だからこそ、終わるとわかっている人生を進んでいける。

 

映画を観ている私達が、実際に住んでいる、この奇妙でおかしさを必ず併せ持つ現実を進むのにふさわしいのは、やはり「流れ者」ではなく「愚か者」という言葉だと、私は思います。

 

そして、人は誰でも皆、孤独を1人、持っていくしかないんだけれど、

1人で抱えきれない時もあるから、

そんな時は、2人がいい。

 

それでうまくいくのなら、

漕ぎ出したボートをなんとかなる方向に進ませることができるのなら、

願わくば、1人よりは2人がいい。

 

そんなことを、若者だった私は、「ティファニーで朝食を」のあのシーンに触れて、胸の真ん中に取り込んだのかもしれません。

 

人生というものの本質を語る、抜群の表現に触れて、その苦さと優しさ、根底にある哀しさに沁みたから、思わず涙がこぼれたのでしょう。

 

いまでも、現実で私が抱えている問題に苦しくなると、「Moon River」を聴いて胸を詰まらせたり、どこからか「ティファニーで朝食を」の冒頭のシーンを探してきて、ただ繰り返し見つめながら、どうしてこのシーンを撮ったのかな、などと色々想像します。

 

正解は検索すれば、原作を読めば、伝記を読めば、ムック本を読めば、きっと載ってるけれど。

 

私は、たぶんずっとその解答を知ろうとしないまま、そのときどきで、自分が過ごしている人生から返ってくる、返信する宛のないモールス信号のようなものを受信して、愚か者として生きていくのだと思います。

 

月のどこかにきっとある、金色に滲む河を想いながら。

 

 

 

それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。

 

 

 

 

注記:本文中に吉野弘さんの「祝婚歌」の口調が出てきてしまっています。お好きな方、ごめんなさい。まだの方、もしおられましたら、ぜひこちらも読んでみてくださいね。素晴らしい詩です。

 

 

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2023/07/01

ドラマ トッケビ 視聴終了

 


 

なんとか無事、ドラマ トッケビを最終回まで観終わりました。

 

何を書いてもネタバレになってしまうので、シンプルに。

 

素晴らしいドラマでした。

また、罪と罰と生きること、死ぬこと。

天命とはなんなのか。

また、運命とはなんなのか。

そういうことも考えたドラマでした。

 

音楽も素晴らしかったですし、俳優さん達もみな、ものすごかったです。

 

心配していたラストですが、私はハッピーエンドだったと思っています。

視聴終了後も、先日書いた感想と、抱いていた感想は変わりません。

 

素晴らしいドラマをありがとうございました。

 

ここからは、ドラマ視聴終了後の雑感となりますが。

 

私は、人間というものは、幸福を追求することが

その第一の使命であり、天命だと思っています。

 

なので、寿命で死のうと決めましたし、

これからも、ささやかな暮らしの中で、

大切な人や大切な人たちと一緒に、

驚きと喜びと発見に満ちた世界を、

明るい眼差しで見つめながら、

旅してゆくのだ、と強く思いました。

 

 

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20230701 02:00  誤字をなおしました。




 


2023/06/30

🌈 WORLD OF FANTASY

 


 

今日は雑記です。

 

私は、Perfumeを手掛ける中田ヤスタカのユニット、CUPSULEWORLD OF FANTASYという楽曲が好きで、よく聴いています。

 

 

 

 

カッコいいサウンドで、ドラマティックな雰囲気なので、

聴くたびに、

私にしては珍しく「信じている」と言ってもいい気持ちを

肯定してもいいかなと思える、そういう楽曲です。

 

今日はその気持ちについて書いてみます。

 

もうずいぶん前のことです。

 

ネットがまだ黎明期だった頃の話と記憶しているんですけれど。

 

インターネットで慕われていたスピリチュアルな人がいました。

 

短い間だったし、その人はそこまで有名にならないように注意されていたようだったので、小さな範囲で慕われていた人だったんですけれど。

 

私はその人のことを、最初は警戒しながら、

でも途中から、

私が胸の内に抱いているスピリチュアルな世界への単純な疑問とか常々不思議に思っていたこと、私自身の神経の過敏さについて抱いている質問などについて、

偶然、それらの答えのようなことを、その人はよく書いていたんです。

 

その人がどうして、その特殊な能力の不思議で知り得たことについて、ネットで広く皆に語りかけていたのか、その理由は結局、最後まで明かされなかったと記憶しています。

 

けれど、私は、その人は、何か、使命のようなものを自分の中に見出して、短い間だけ、その人が知り得たメッセージを伝えたかったのかもしれない、と思っていました。

 

つまり、よくはびこっている、みなさんが警戒する、そういうスピ系を利用して人を喰いものにする人ではありませんでした。

 

そういう人のように私はいまでも思っています。

だから、きっと短い期間だけだったんだし、それが可能な期間として考えると、すごく現実的な判断ができる人でもあったのだな、と思っています。

 

当時の私は、住んでいる部屋のことでちょっとシャレにならないトラブルを抱えていました。

どうにもならないトラブルでした。

だから、祀っていた神棚に手を合わせるとき、私は相手のことをすごく呪っていました。

「私に酷いことをするヤツがいます。どうか罰を与えてください。」

とかなんとか、そういうことを毎日、心の中で繰り返しお願いしながら、拝んでいました。

 

そうです。

私は相手のことを呪っていたんです。

 

その時、まさにそのタイミングで、前述したスピリチュアルな人がこう書いていたんです。

 

「神様に、人を呪うことをお願いしては、絶対にいけない」

 

てにをは、は違いますが、こういうようなことが書いてありました。

 

あまりのタイミングの良さと、自分の心を見透かされていたような気がして、ものすごくびっくりしたのをいまでもよく覚えています。

 

わかるのかな? とそっと畏れのような気持ちを抱きました。

その後、続きを読んでみると、

 

「神様には人を不幸にすることをお願いしてはいけないし、それはとてもいけないこと。

自分もこの能力を知っている人に、『あの人のことがうまくいかないように願ってよ』とお願いされたことがあるけれど、そんなことを言って、もう神様に聞かれているよ。何が起こっても知らないよ、と思っている。」

 

と書いてありました。

 

私はその時すぐに、

「そうなんだな。そういうことになってるんだな」

と、すごく納得したんです。

 

理由は、いくら神棚に向かってトラブルの相手のことを呪っても、一向に事態は上向かず、私の方がどんどん悪いことが起こるようになっていたからです。

 

だから、そうだったんだ。と心から納得し、私はすぐに神様に謝り、呪うのをキッパリやめました。

以来、どんなことが起こっても、その時、ネットにあった、不思議なメッセージとの約束を守っています。

 

チョロい奴だと思うでしょう?

 

でも、私はその時、その人が他の意図でそのメッセージをネットに書いたとは、どうしても思えなかった。

もちろん、私あてに書かれていたとも当然思っていません。

 

ただ、

「それは、神様にお願いすることじゃない」

というポイントが、私に圧倒的な理解とともに流れ込んできたんです。

 

生きていると、人を憎んだり、恨んだり、暗い気持ちを抱えたり、お腹の中が真っ黒な時期を過ごしていたり、そういうことが私にもたくさんありましたし、いまもちょいちょいあります。

 

でも、そのことを否定されているようには、どうしても思えなかったんです。

 

そういう気持ちの肩代わりを、神様にお願いしてはいけない。

 

そう言われたのだ、と理解しています。

 

そういう暗い気持ちは、

自分で明るい面を見るように努力して解消したり、

 

ささやかな小さな存在のことを見ていてくれてる、

きっとそうなんじゃないかな、と思ってしまう、

何か大きな存在が、

ふっと心から消し去ってくれる「手伝いを」してくれたり、

 

人との関わり合いの中で、

その人が心にそっと灯している光に触れ合ううちに、

だんだん溶けて無くなっていったり、

 

美しい景色や植物に心を開いているうちに、

時間が解決してくれたり、

 

または専門家の力を借りて、

誰にも言えない気持ちを吐き出したり、

 

そうやって折り合いをつけ、付き合っていくものなのだな、と思うようになりました。

 

何を神様とするのか、とか、神様ってなんですか? とか、そういう話は不勉強で愚かな私にはできません。

 

ただ、そういうメッセージを書いていた人が、昔ネットに確かに居た。

 

そのことを伝えたくて、今日、書きました。

 

WORLD OF FANTASYは、ファンタジーの世界という意味だと私は解釈しているんですけれど。

 

時々、こういう奇跡のようなことが、ネットでたまに起こり、現実でも起こったりする。

 

それは、気がついた本人にしかわからない、ごく些細で小さなことだけど、ゆっくりと確実に、明るいものをもたらす。

 

ファンタジーの世界は、そうやって、たまに現実のコチラにウィンクをする。

 

そんなことを思いながら、2023年のいまも、私は、この曲を聴き続けています。

 

昔、不意に手渡されたような気がした、

不思議なメッセージとともに。

 

その約束を守りながら。

 

 

 

以上、WORLD OF FANTASYでした。

たまにはこんな話もいいかなと思って書きました。

 

今日で6月も終わりですね。

良い週末をお過ごしください。

 

 

追記

 

今日の晩御飯は出前館で焼き鳥を頼んで、ビールで一杯やってます。

配達員の方に感謝です。

ものすごく美味しかったです。

 

そんな時に、ふと、これも書いてもいいかな、と思ったので、音楽が記憶装置になっている話を書きます。

 

この WORLD OF FANTASY

私はさっきまで歌詞の意味を調べないで聴いていたんですけれど、あれ?そういえば? と思って、検索したら、「私は孤りで立っている。待っている。ファンタジーの世界を」

というような(ざっくり)、歌詞だったんです。

 

それで思ったんですけど。

 

他の人が好きな曲を知った時に、歌詞を調べて、ああ、この人はこの歌詞で描かれているものに共感して聴いているんだな、と思うことは、割と一般的だと思います。

 

私の場合、そういう時もありますが、そういう楽曲を日常でいつも聴いているとクタクタになってしまいますので、あまり、自分にとってそういう楽曲は、日常的には聴いていません。

ああ、この気持ち。誰かわかってくれるだろうか・・・。という時にしか、共感している楽曲は聴きません。

 

この曲、 WORLD OF FANTASYもそうで、今のいままで歌詞を知らずにもう何年も聴いています。

じゃ、なぜ聴いているのかというと、理由は色々ありますが、主な理由は、上記のとおりです。

それプラス、私は音楽を物事を記憶するツールとして使っています。これはH S Pだけかもしれませんが、とにかくそうです。

どうしても忘れたくないこと、忘れてはならないこと、忘れてはいけないたくさんの要素を想起させる楽曲を、音と共に記憶に閉じ込めて聴いています。

 

確か、こういう記憶術があったような・・・?

 

まあ、とにかくこの曲には、記憶を転写しているので、そのポジティブで胸が熱くなる記憶を繰り返し聴きながら、日々なぞっています。

 

 

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2023/06/28

🌈 To チョン・ホソク

 

 

お元気ですか?

 

私の住んでいる街は、梅雨の真っ只中です。

けれど、天を往く雨雲や、空に描かれた風の軌跡、

夏至を過ぎた夕方の光がとても美しく、

息を呑んで、それを眺めています。

 

フローズン・クイーンは暑さから避難させています。

順調だと思います。

そろそろ植え替えをしてあげないといけないみたいです。

 

とにかく勉強や生活環境の改善に最善を尽くそうと、

途中休憩を挟みながら、少しずつ進めています。

 

Weverseでファンレター機能が始まりました。

私は韓国語の勉強は、いまはまだ、お気に入りの言葉は、

「비」だとお伝えする段階なので、私の場所でメッセージを書きます。

 

季節の変わり目ですので、どうかお身体お大事になさってくださいね。

 

慣れてきた頃が危ないと聞きます。

くれぐれも、心身の健康と安全を第一にお過ごしください。

 

無事のお帰りを待っています。

 

追伸

この頃、よく白い蝶を見ます。

写真を撮ろうかと思ったのですが、

いらっしゃってくださったのかな、と思い、控えています。