今日は雑記です。
私は、Perfumeを手掛ける中田ヤスタカのユニット、CUPSULEのWORLD OF FANTASYという楽曲が好きで、よく聴いています。
カッコいいサウンドで、ドラマティックな雰囲気なので、
聴くたびに、
私にしては珍しく「信じている」と言ってもいい気持ちを
肯定してもいいかなと思える、そういう楽曲です。
今日はその気持ちについて書いてみます。
もうずいぶん前のことです。
ネットがまだ黎明期だった頃の話と記憶しているんですけれど。
インターネットで慕われていたスピリチュアルな人がいました。
短い間だったし、その人はそこまで有名にならないように注意されていたようだったので、小さな範囲で慕われていた人だったんですけれど。
私はその人のことを、最初は警戒しながら、
でも途中から、
私が胸の内に抱いているスピリチュアルな世界への単純な疑問とか常々不思議に思っていたこと、私自身の神経の過敏さについて抱いている質問などについて、
偶然、それらの答えのようなことを、その人はよく書いていたんです。
その人がどうして、その特殊な能力の不思議で知り得たことについて、ネットで広く皆に語りかけていたのか、その理由は結局、最後まで明かされなかったと記憶しています。
けれど、私は、その人は、何か、使命のようなものを自分の中に見出して、短い間だけ、その人が知り得たメッセージを伝えたかったのかもしれない、と思っていました。
つまり、よくはびこっている、みなさんが警戒する、そういうスピ系を利用して人を喰いものにする人ではありませんでした。
そういう人のように私はいまでも思っています。
だから、きっと短い期間だけだったんだし、それが可能な期間として考えると、すごく現実的な判断ができる人でもあったのだな、と思っています。
当時の私は、住んでいる部屋のことでちょっとシャレにならないトラブルを抱えていました。
どうにもならないトラブルでした。
だから、祀っていた神棚に手を合わせるとき、私は相手のことをすごく呪っていました。
「私に酷いことをするヤツがいます。どうか罰を与えてください。」
とかなんとか、そういうことを毎日、心の中で繰り返しお願いしながら、拝んでいました。
そうです。
私は相手のことを呪っていたんです。
その時、まさにそのタイミングで、前述したスピリチュアルな人がこう書いていたんです。
「神様に、人を呪うことをお願いしては、絶対にいけない」
てにをは、は違いますが、こういうようなことが書いてありました。
あまりのタイミングの良さと、自分の心を見透かされていたような気がして、ものすごくびっくりしたのをいまでもよく覚えています。
わかるのかな? とそっと畏れのような気持ちを抱きました。
その後、続きを読んでみると、
「神様には人を不幸にすることをお願いしてはいけないし、それはとてもいけないこと。
自分もこの能力を知っている人に、『あの人のことがうまくいかないように願ってよ』とお願いされたことがあるけれど、そんなことを言って、もう神様に聞かれているよ。何が起こっても知らないよ、と思っている。」
と書いてありました。
私はその時すぐに、
「そうなんだな。そういうことになってるんだな」
と、すごく納得したんです。
理由は、いくら神棚に向かってトラブルの相手のことを呪っても、一向に事態は上向かず、私の方がどんどん悪いことが起こるようになっていたからです。
だから、そうだったんだ。と心から納得し、私はすぐに神様に謝り、呪うのをキッパリやめました。
以来、どんなことが起こっても、その時、ネットにあった、不思議なメッセージとの約束を守っています。
チョロい奴だと思うでしょう?
でも、私はその時、その人が他の意図でそのメッセージをネットに書いたとは、どうしても思えなかった。
もちろん、私あてに書かれていたとも当然思っていません。
ただ、
「それは、神様にお願いすることじゃない」
というポイントが、私に圧倒的な理解とともに流れ込んできたんです。
生きていると、人を憎んだり、恨んだり、暗い気持ちを抱えたり、お腹の中が真っ黒な時期を過ごしていたり、そういうことが私にもたくさんありましたし、いまもちょいちょいあります。
でも、そのことを否定されているようには、どうしても思えなかったんです。
そういう気持ちの肩代わりを、神様にお願いしてはいけない。
そう言われたのだ、と理解しています。
そういう暗い気持ちは、
自分で明るい面を見るように努力して解消したり、
ささやかな小さな存在のことを見ていてくれてる、
きっとそうなんじゃないかな、と思ってしまう、
何か大きな存在が、
ふっと心から消し去ってくれる「手伝いを」してくれたり、
人との関わり合いの中で、
その人が心にそっと灯している光に触れ合ううちに、
だんだん溶けて無くなっていったり、
美しい景色や植物に心を開いているうちに、
時間が解決してくれたり、
または専門家の力を借りて、
誰にも言えない気持ちを吐き出したり、
そうやって折り合いをつけ、付き合っていくものなのだな、と思うようになりました。
何を神様とするのか、とか、神様ってなんですか? とか、そういう話は不勉強で愚かな私にはできません。
ただ、そういうメッセージを書いていた人が、昔ネットに確かに居た。
そのことを伝えたくて、今日、書きました。
WORLD OF FANTASYは、ファンタジーの世界という意味だと私は解釈しているんですけれど。
時々、こういう奇跡のようなことが、ネットでたまに起こり、現実でも起こったりする。
それは、気がついた本人にしかわからない、ごく些細で小さなことだけど、ゆっくりと確実に、明るいものをもたらす。
ファンタジーの世界は、そうやって、たまに現実のコチラにウィンクをする。
そんなことを思いながら、2023年のいまも、私は、この曲を聴き続けています。
昔、不意に手渡されたような気がした、
不思議なメッセージとともに。
その約束を守りながら。
以上、WORLD OF FANTASYでした。
たまにはこんな話もいいかなと思って書きました。
今日で6月も終わりですね。
良い週末をお過ごしください。
追記
今日の晩御飯は出前館で焼き鳥を頼んで、ビールで一杯やってます。
配達員の方に感謝です。
ものすごく美味しかったです。
そんな時に、ふと、これも書いてもいいかな、と思ったので、音楽が記憶装置になっている話を書きます。
この WORLD OF FANTASY
私はさっきまで歌詞の意味を調べないで聴いていたんですけれど、あれ?そういえば? と思って、検索したら、「私は孤りで立っている。待っている。ファンタジーの世界を」
というような(ざっくり)、歌詞だったんです。
それで思ったんですけど。
他の人が好きな曲を知った時に、歌詞を調べて、ああ、この人はこの歌詞で描かれているものに共感して聴いているんだな、と思うことは、割と一般的だと思います。
私の場合、そういう時もありますが、そういう楽曲を日常でいつも聴いているとクタクタになってしまいますので、あまり、自分にとってそういう楽曲は、日常的には聴いていません。
ああ、この気持ち。誰かわかってくれるだろうか・・・。という時にしか、共感している楽曲は聴きません。
この曲、 WORLD OF FANTASYもそうで、今のいままで歌詞を知らずにもう何年も聴いています。
じゃ、なぜ聴いているのかというと、理由は色々ありますが、主な理由は、上記のとおりです。
それプラス、私は音楽を物事を記憶するツールとして使っています。これはH S Pだけかもしれませんが、とにかくそうです。
どうしても忘れたくないこと、忘れてはならないこと、忘れてはいけないたくさんの要素を想起させる楽曲を、音と共に記憶に閉じ込めて聴いています。
確か、こういう記憶術があったような・・・?
まあ、とにかくこの曲には、記憶を転写しているので、そのポジティブで胸が熱くなる記憶を繰り返し聴きながら、日々なぞっています。
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