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休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2023/07/02

Moon River

 


 

日曜日なので、穏やかな内容を書いています。

 

オードリー・ヘプバーンの映画で好きなタイトルを挙げるとすると、たくさんのかたが「ローマの休日」を挙げると思いますし、「マイ・フェア・レディ」を挙げる方もおられると思います。

 

私は実はなんと「ローマの休日」は、内容は知ってるし、セリフも知ってるけれど、嫌いな人が好きだと言ってた映画だったので、あんな奴が好きな作品なんか断じて観るもんか、と決めていたこともあって、結局、いまだに観ていないという、全世界でも珍しい人類の1人です。

 

その代わり、私は、「ティファニーで朝食を」がとても好きです。

 

理由は、オードリーが都会的でシックだからとか、映画の世界観がおしゃれだとか、そういうポイントもとても素敵だけれど、この映画の物語にとても胸を打たれてしまったからです。

 

まだ観ていない方のために、ネタバレをしないで書きますけれど。

 

私は、それまで映画を観て泣く場合、ここが感動ポイントですよ。今からそこに向かって盛り上げていきますよ。はい、盛り上がってきましたよ。じゃあ、泣いてください!

という映画で、わりとあっさり泣いてしまうタイプでした。

 

(お陰様で、この頃は涙が出るようになりました。ちょっと波があり過ぎですけれど、涙が出るようになったのだから、とても進歩していると思っています:))

 

でも、私はこの「ティファニーで朝食を」を観てる時、劇中にとても有名すぎるほど有名な主題歌「Moon River」が出てくるシーンがあるんですけれど。

そのシーンを観た時、知らないうちに泣いてる自分に気がついて、とても驚いたんです。

 

どうして泣いたのか、当時の私にはよくわかりませんでした。

感動的なシーンではないんです。

どちらかというと、微笑ましいシーンとされている場面なんです。

 

でも、私は、そのとき画面に流れていた言語化できないものと、白字の字幕にあった日本語訳詞と、かろうじてリスニングできた英語の歌詞の断片に触れた時、こみあげてくるものが押さえきれず、涙を流してしまったんです。

 

観終わった後、しばらくして、私は、この映画と「Moon River」という楽曲が持っている、哀しさ、に心打たれたのだと、わかりました。

 

みなさん、ご存知の通り、名曲「Moon River」はあまり多くを語っていない、とても暗示的で、同時に明示的な世界が歌われています。

 

その中の一部分、「Two drifters off to see the world」の日本語字幕が「2人の流れ者」になっていたんです。

けれど、私はその時はっきりと「いや、これは『2人の愚か者』が正しい」とわかったんです。

 

それは若者だった私の、傲慢さでもあったし、柔軟な感性だったのかもしれないし、ただの勘違いだったのかもしれません。

 

正解は調べていません。

いまもこれを書くにあたって、検索しようかな、と思ったんですけれど、やっぱり、あの時感じた自分を大切にしたくて、検索するのをやめました。

 

だから、自分の誤訳をそう信じ込んでいるかもしれないですし、映画の中の時代背景から「2人の流れ者」のほうが、作品世界に合っているのかもしれません。

 

ただ、私にとって、「ティファニーで朝食を」のあのシーンは、原作者のトルーマン・カポーティからの、この世界と世界を往く人々へ向けられた、とても温かい眼差しだと、強く感じるものがあったんです。

 

正直言って、この映画が映画として群を抜いていないのはわかっています。

作りも雑だし、ファッション映画と言われても仕方のない作りだし、おかしなところもすごく多い。

 

でも、私は、この映画が持つおかしな部分は、世界という世の中や人生が持つ、奇妙さやおかしさと、とても似通っていると思うんです。

 

この世界に無数に存在する人生というものは、確かに、なんだか作りが雑で、奇妙で、おかしい。

 

「ティファニーで朝食を」食べるなんて本当は無理なのに、それがタイトルになっている、おかしな世界に住む、とっても素敵な女の子が、なんだか奇妙な世界の中で、優しく、でもドライに歌う「Moon River」という楽曲の歌詞に出てくるのは、

 

本当はみんなどこかでわかっていること、

 

だったのかもしれません。

 

人というものは、愚かだ。

だからこそ、終わるとわかっている人生を進んでいける。

 

映画を観ている私達が、実際に住んでいる、この奇妙でおかしさを必ず併せ持つ現実を進むのにふさわしいのは、やはり「流れ者」ではなく「愚か者」という言葉だと、私は思います。

 

そして、人は誰でも皆、孤独を1人、持っていくしかないんだけれど、

1人で抱えきれない時もあるから、

そんな時は、2人がいい。

 

それでうまくいくのなら、

漕ぎ出したボートをなんとかなる方向に進ませることができるのなら、

願わくば、1人よりは2人がいい。

 

そんなことを、若者だった私は、「ティファニーで朝食を」のあのシーンに触れて、胸の真ん中に取り込んだのかもしれません。

 

人生というものの本質を語る、抜群の表現に触れて、その苦さと優しさ、根底にある哀しさに沁みたから、思わず涙がこぼれたのでしょう。

 

いまでも、現実で私が抱えている問題に苦しくなると、「Moon River」を聴いて胸を詰まらせたり、どこからか「ティファニーで朝食を」の冒頭のシーンを探してきて、ただ繰り返し見つめながら、どうしてこのシーンを撮ったのかな、などと色々想像します。

 

正解は検索すれば、原作を読めば、伝記を読めば、ムック本を読めば、きっと載ってるけれど。

 

私は、たぶんずっとその解答を知ろうとしないまま、そのときどきで、自分が過ごしている人生から返ってくる、返信する宛のないモールス信号のようなものを受信して、愚か者として生きていくのだと思います。

 

月のどこかにきっとある、金色に滲む河を想いながら。

 

 

 

それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。

 

 

 

 

注記:本文中に吉野弘さんの「祝婚歌」の口調が出てきてしまっています。お好きな方、ごめんなさい。まだの方、もしおられましたら、ぜひこちらも読んでみてくださいね。素晴らしい詩です。

 

 

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