休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2024/02/22

嫌われたくない理由と東京旅行の感想

人に嫌われたくないのは、どんな人でもそうですけれど、
私は、 私は私なんですけれど、人に嫌われたくありません。
 
ここに妙な誤解があるようなので、同じ方もかなり多く居ると思いますし、書いてみます。
 
人に嫌われたくない人のおそらく多くは、
人から好かれたくて人気者になりたい気持ちは、実はあまりないんです。
人から攻撃されたくないから、その一心だけで、人から嫌われたくない、とそう思っています。
 
好かれて良い思いをしたり、プライドを満足させたり、そんなことどうだっていいんです。
人から嫌われるということは、人から攻撃されることだという警戒を常に持っていないと、実際、大なり小なり、攻撃されるからなんです。
 
私を含めたそういう人達は、嫌いな人は攻撃しても良い、という価値観が肯定される日常を生きているんです。
嫌いな人間は攻撃しても良い。
気に食わない人間は攻撃しても良い。
いけ好かない人間は攻撃しても良い。
ひどく間違った人間は攻撃しても良い。
モラルから外れた人間は攻撃しても良い。
 
嫌うことは自由ですが、攻撃してもいいことにはならない。

そのことをもっとちゃんと整理していかないといけないと、自戒を込めて思うようになりました。

小林秀雄の考え方では、嫌いは無関心になります。
私も同じ意見です。
ですから、嫌いが攻撃につながる人は、なにかしら相手に強い感情を抱いて居て、それを自分の中で整理が付けられない。
恨み、好意のバランスが取れないこと、嫉妬、悔しさ、怖れ、そういったものを整理出来ていないから、これならば攻撃していいだろう、という風に、自分の中で嫌いを正義や大義名分に置き換えてしまう。
すごく身近な言葉で言い換えると、良いじゃん、これくらいしたって。という言葉でしょうか。
 
きっとここら辺が、不寛容という、ネットだけではなく、社会というものの根源にじっとたゆたい、普段は薄まったもやのようになっていながら、あるとき、人を絡め取ってしまうもの、の転じて姿を現した一形態なんだと私は思っています。
 
 

 
写真は、美味しい美味しいビーフカツレツを食べに行く途中での、東京の空の一枚。
 
東京は街路樹がとても多く、緑が多い街ですし、町でもあります。
また、こうして野鳥もくつろいで枝に止まっています。
私が訪ねたどの街・町も清潔で、ゴミはほとんど無いと言ってもいいほど見かけませんでした。 
トイレもたくさんあり、どの個室にもちゃんと中身が補充された除菌クリーナーがついており、明るく清潔で防犯もきちんとされていました。
 
世界の観光都市東京として、首都東京が生まれ変わってどのくらい経つのか、いろいろと事情があって私には明確ではありません。
でも、懐かしい東京の価値が再確認されて、色々な街町に姿を現しており、人々は穏やかでくつろいだ活気に満ちていました。
 
みなさんとても親切で、配慮が上手で洗練されていました。
私のようなものにも何くれとなく気を配ってくださる、鋭い観察眼、洗練された温かさ、そういったものがより顕わになっている印象がありました。
 
海外からのお客様もたくさんお見かけし、言われているような騒がしい人達なんか一人もおらず、旅慣れた、英語がわからなくても通じる英語を選んで話しかけてくださったり、事前にネットで中国語、英語、その他の言語が使えるフロントをご存じの上、ご自身のスタイルにあった旅行を楽しんでいるようでした。
 
どうしても見たかった演芸のため、突然決めた旅行でしたが、パートナーも私も、とても東京の3日間を満喫できました。
もう、誰一人、おのぼりさんとか地方からとか、そんな目で人を見なくなっていました。
もしかしたら、本来の東京という、町の集合体の大都市が、やっとその等身大の秀れた価値を認められて、暮らしている人達が一番、安心したのかもしれません。

今度、伺う機会があれば、荷物は先にホテルに送り、一週間自分達のペースで滞在し、もっとゆっくり東京で過ごせると良いなと、帰ってきてパートナーとそんな話をしました。

楽しかったです。ありがとうございました!
親切にしてくださった方々も、とても感謝しております!!
 
エナメル 



 
 

 
 

2024/02/18

メッセージ20240218

 


 

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今の私の環境は、すごく物音がするので気にしないようにしています。

ストレスはありません。

ここで過ごすようになってだいぶ時間が経過しているので慣れてきました。

なので気にしないようにしています。

 

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応援をよくしますが。

遠くから見守るという形にしています。

散文形式にするかどうかは、今後ホームページ公開を視野にいれて現在検討中ですので、そこでひっそりやる分にはいいのかな、という感じです。

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自分に従うと言いながら、いつも何かに触れると探してアテにしているように、おそらく見えられたのでしょう。

そのことについて。

 

私は、人に貸しを作ったことがありません。

作っていたのかもしれないけれど、それに恩義を感じてくれる人達には遭ったことがありませんでした。

それでこの不思議な、なにがなんだかわからないことに対し、

もし、私がやった些細なことを、私からの貸しと思ってくださっていたら、どうしようという脅えがありました。

そういう人達に遭ったことが無いので、どういった方々がそう思ってくださるのか。

また思っていただいた場合、どういう風な価値観で、どういうふうな伝達方法を使い、どのようにされて、どのような案配なのか、私にはわかりません。

それを教えていただくのもなんだかおかしいですし、せっかくのご厚意の顔を潰してしまいます。

 

それで、

もしかして、ないと思って気楽に暮らしているけれど、もし実は存在していて、そのことに私が気がつかなかったらどうしよう。

自分に従うという私のやり方が、せっかくのお気遣いを無下にしてしまったとしたら、申し訳なくてたまらない。

そういう気持ちがあり、いつもびくびくしていたんです。

 

また、どうも私の知らない場所でのルールとして、貸し借りはすぐ返す。という基準と、相手が本当に困った時に返す。という基準があると捉えています。

 

それで、すぐ、の方の場合、それを見逃してしまったらどうしよう、というもの。

あとでゆっくり、の方の場合も、肝心なときによく私は混乱してしまうし、ものがわかるのがとても遅いので、間に合わなかったらどうしよう。と、ビクビクしていました。

 

それで、探していたんです。

 

けれど今回の旅行で、ネガティブなものは、そんないつ受け取るかわからないやり方をしないし、もっとこっちを追いかけてきて、何が何でもそのネガティブなメッセージ(悪意)を受け渡すはず。

だから、普段からの私のやり方である、悪意は受け取らないに限るのやり方で、問題は無い、と判断がつきました。

 

ポジティブなものは、きっとそのように思ってくださる方々は、わかるようにして置いてくださっている。置いてくださっていたのだ。ということがわかりました。

そういう方法を選ばれる時点で、少なくとも急ぎでは無いんです。

すぐ返さねばならないほど、緊急なお返しなんて存在しません。

だから、いつでもいいよ。というお気持ちなんだろうな、と理解できました。

 

いつでもいいから、そのやり方を選ばれているのだ。

私がどういうものがよく知っていてくださっているから、私ができるときにそれをやればいいんだよ。というのが、急いで伝えてこられなかったお返し、に存在する価値観だったんです。

 

なので、もうオロオロして緊張しながら探すことはせずに、気がついたときに、私のような者にこのように素晴らしいものを伝え置かれてくださったのだ。と、その理解に感謝して、わかってくださる方々はおられるし、分かる範囲でお返しやご教示を受け取らせていただければ、それでいいんだよ。ということだったんです。

 

そしてあまりにも分かっていないときは、取りなしてくださったり、教えてくださる方もおられるんです。

 

大変なことです。

その大きなお気持ちに、自身の些末さが身のすくむ思いですが、私は自分の理解力に思い上がらず、謹んでその手をとらせていただこうと思いますし、お返しはたとえ天国に向かってでも、この世で返すやり方は知っていて、きっとそれで良かったんですね。

 

思えば、私は若者や青年だったとき、市井で何か教えていただいたとき、そのご厚意に私があまりにも警戒し不思議そうにしているので、いつだったか「自分も以前同じことをしてもらった。だから同じやり方で別の人に返している」と教えてもらったことがあります。

それを市井の者である私はやればいいんです。

そういうことだったんです。

 

なので胸がいっぱいですが、また怖くなったときに、そうして自分は助けていただいた。待っていただいていた。だから脅えて慌てなくても大丈夫だ。と繰り返し、思い出して行こうと思います。

 

本当にありがとうございました。

わかるようになるまで待っていてくださり、また、利用されるのでは無いかとご心配をおかけし、申し訳ありませんでした。

 

そして助けていただいたのだから、手をとらせていただいたのだからと、身の丈にあわないことをしようとせず、自分のできる範囲で、やれることをやっていきます。

お邪魔になってしまっていたのかもしれませんので、そちらは引き取らせていただきます。

 

本当に、本当にありがとうございました。

命と心を救っていただいたこと、生涯忘れません。

 

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あの時のみなさんへ

 

あの時は、ありがとうございました。

とても厳しい世界だと聞き囓っております。

どうかどうか、お体を大切に、素晴らしいお仕事と幸せな日々をお過ごしください。

お元気で。

遅くなってしまって大変失礼いたしました。

心強かったです。

本当にありがとうございました。

 

お元気で。

 

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こちらのメッセージはご本人にはお伝え済みなのですが、その周辺の価値観に向かって、お伝えします。

 

 

引用の件ですが、おそらく思い違いをされています。

 

サンプリングと呼んでいますが、あれをやっていた理由は、私の当時の読者は、私の物語を何度も読んでしまう。繰り返し読んでしまうんだと言ってくれていました。

 

きっと毎日が辛いのだろうと思いました。

 

それであまりにも誰でも知っていて、有名すぎる、出典を明らかにするまでもないもので、私が知っている範囲のものをサンプリングしていました。

 

その効果の狙いは、繰り返し読むことで急に気がつくことがたくさんある、サプライズで、自分だけに向けられた内緒のメッセージのような特別感があるように仕立てた、私から読者へのプレゼントだったんです。

 

そしてわからない部分は、読者同士、私からも、お互い教え合い、新たな名作(誰でも知っている作品ですから、好きか嫌いかは置いておいて、面白いものなのは間違いありませんので)に出会え、辛い毎日から逃れられ、楽しい暇つぶしになるようにと思ってのことです。

 

思われているような、高度で知的な目配せではなかったんです。

 

それが私のサンプリングの目的です。

 

また、当時、私と対話してくださっていた方は、私の読書履歴とコミックを含めたサブカルチャー履歴をとても知りたがっていました。

それもありました。

 

いつからそういうことをやっていたのか、やろうと決めたのかは覚えてはいませんが。

私のレベルでは、たくさんの意味と機能を持つ、言葉なのに行動を促したり実行力を持つセンテンスを多用して、限りある情報と公表してはそれぞれに差し障るメッセージ、誰宛のものなのか、を読んだ当人だけがわかるようにするため、そういうことをやっていました。

 

防犯もありましたし、周知の事実であっても、決してそうだと言ってはならない、自分で知っていく言語化されていない掟があったからです。

また辛い毎日を送っていることは、人には知られたくありませんし、公の(ネット上)場所でそうだと言われたくはありません。

 

それで自発性にこだわる必要がありました。

 

サンプリングをやっていた理由と目的の説明は以上となります。

 

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私のいる層では、敬称に先生をつける価値観があります。

 

これは、実際のお弟子さんを騙るものでも、我こそは一番の理解が出来ている読者やフォロワーである、というものでは無く、ただの敬称に過ぎません。

そういった職業の人達全般を差して、お名前の後ろに先生をつける礼儀です。

 

私は、その価値観で先生と、読者として読んで知っている方々をお呼びしておりました。

 

なので、同門の方、門下生の方、実際のフォロワーの方に、もしかして長い間、不愉快な思いをさせていたのでしたら、それは誤解です。

そして、ご不快なお気持ちに長い間気づかず、本当に申し訳ありませんでした。

 

ただそういうことですので、これからも市井の者として、同じように礼儀をもって先生と付けていこうと思います。

そういった層の者なのだと、ご理解を賜りたく存じます。

 

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大昔、やる気があるなら来なさい、という呼びかけに、私が参加しなかった理由は、当時から身の危険を感じていたからです。

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自習を続けています。

書いたものをご覧になればお分かりの通り、とても調子を崩しておりました。

でも、前を向けると思います。

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防備録として。

 

今後の予定

 

ファンフィクションを完成させる。

オリジナル物語2本、うちひとつは関西を舞台にしたもの、を作る。

 

みんなで上がるやり方で、分かる範囲での叩き台を作って、公開するか、適宜、送ってみる。

 

ひっそり暮らしながら、自分の仕事のスキルアップを頑張る。

 

ブログからホームページに移行することを真剣にシミュレーションしてみる。

 

自習を続ける。

 

もう気にしない。

 

真に受けるところがあるので気をつける。

 

楽しいもの、気楽なものを書いていく。

日曜版も続ける。

 

という感じです。

 

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私がリアルでもネットでも好きな人は、パートナーただ1人です。実は、その方のスキャンダル防止の余計な気を回していたのでした。それだけです。

Butterfly Just Danceの意味は、以前説明したそのままです。

見上げれば、いつも空は見えるので、私個人は特に問題はないんです。

宇宙人の意味を取り違えていたことを深くお詫びいたします。

こちらの我々は、市井のものです。

 

 

 

 

20240218 17:05 エナメル

 

20240218 20:38 誤字・脱字を直しました。

 

 

旅行をしない日

日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
 
先日、東京に行ってきました。
 
今回、家に戻ってきてわかったんですけれど。
東京を旅行するということが、どうも私は、ずっとうまく出来なかったんです。

私の、旅の失敗原因は、いつも欲張ってしまっているか、ピント外れ(って言い方は今現在でもあるんでしょうか)のせいだったんですね。
 
多分、旅行の肝心要な部分は、体力と日程と宿と、あとは行くところ(旅のテーマまたは目的)だと思うんです。
 
欲張ってしまうほうは、あれもこれも、とスケジュールを詰め込んで、充実感はあるけれど、私としては、そういう旅行の仕方が嫌いなんです。
 
疲れるし、ゆっくり見れないし、 時間に追われるから焦ってしまって、せっかく行ってみたかった場所に居るのに、
「ああ、あと何分でここから移動して、ああしてこうして、アレに乗って」
って考えて予定を組み立て続けているから、目で見ていても、ぜんぜん気持ちに入っていかないんです。
 
そのスケジュールの合間にも、今日はあそこで何を食べて、ここ行って、途中でトイレに行ってお化粧直しもしたい、気になっていたけれど買うまでも無い、とずっと思っていたものをレジに持って行って、その後、何年も家に飾っておきたいのになと、あれこれ考えてて、途中から、一体、どうして旅行に来てしまったんだろう、と気持ちが落ち込み始めるんですね。
 
多分、私は、充実した旅行というものに、まったく向いていないんです。
 
それよりは、日程をたっぷり取るか、短い日程なら行く先を絞って、ゆっくり休みながら回りたい、というのが今回の旅行ではっきりわかりました。
 
そして宿ですが。
こちらも、ゆっくりできるホテルがいい。または旅館も、とにかく、ゆっくりできるところが本当は良かったんです。
 
そのゆっくりが、また曲者でして。
私は前回の更新で書いたように、部屋でお茶や珈琲が何杯も好きなだけ飲めて、狭くてもいいから、静かで、安心できる空間で、よそよそしくなくて、さっぱりした部屋じゃないと、嫌なんです。(それはもう旅行ではないのでは?)
 
おそらく、同じ方って結構おられると思います。
 
わざわざドリッパー持って行って珈琲入れるまでいかずとも、(今回は紅茶ポットも持っていきましたよ。薄青の唐草模様の100均の奴。)
旅行の全日程のうち、一日くらいは部屋でのんびり過ごして、近所をちょっと散歩がてら回って、地元の人や旅行に来てるらしい人に混ざって、そこのスーパーやコンビニに入って、色々買って部屋で食べたいんです。
 
その後も、3時間くらいの仮眠を取り、夕方までのんびりして駅前まで出て、前を通りかかって良さそうと決めた居酒屋や小さなレストラン、そういうところでご飯を食べて口に合ったら、お酒も頼んで、帰りにチキンラーメン(カップ)を買って、そのままホテルの部屋に戻る。
 
そういう過ごし方が、結局、私は一番旅先でほぐれる過ごし方でした。

旅行ですが、一日はそこで暮らしてみたい。
ちょっとだけ、そこで暮らしている風の時間が欲しいんです。
 
旅行を休憩する日が欲しいんですね。
 
ある程度、年齢を重ねると、だいたい国内の街や町って、行って少し歩くと、こんな感じなんだな? っていうのが分かるようになります。
 
初めてだけど、一度来たことがあるような、きっといつかどこかの夢で行ったことがある、架空の街でやってみたかったこと。
現実の、別ではありますが、どこかが同じ場所で、ふと暮らして、ふと離脱する時間をやりたいんです。
 
その一日がどうしても欲しいので、余裕のある日程の場合は、中1日。
ない場合は、半日は予定を未定にして、これから旅行に行く珍しい機会があれば、好きに過ごそうと思います。
 
今回の東京旅行は、そういう風に、ほんの数時間でしたけど、行った先の街でちょっと行き当たりばったりのことをして、帰りにホテルのそばでチキンラーメン(カップ)を買って(笑)、部屋のポットでお湯を沸かして作って、とても休まりました。
 
全身から旅の緊張が消えました。
おかげで翌日の日程が、とても新鮮になりました。
 
きっと私のようなタイプは、旅行で決まった日程を過ごすストレスが、旅の間に溜まるんじゃないでしょうか。
 
なので、すごくもったいないような気がするのをこらえて、旅の途中で、時間を浪費するひとときを設けてみる、のをおすすめします。
 
旅行は、人によっては、とても勇気がいる行動だと思います。
 
でも旅への憧れがある方、または、ふと旅行に行ってみようかなと思う方は、最初は一泊二日から近場で始めて練習しながら、ご自身が一番楽な旅の過ごし方を知っていくのが、一番効率がいいかもしれません。
 
旅という具体的な時間の中では、特に、自分以外の価値観の顔色をうかがってしまい、一回くらいは有名なお店のを、チェーン店は地元にあるからやめよう、と、つい、自分でもどうしてそれがお手本として頭の中にはいってしまっているのかよくわからない、充実ばかりしている旅のモデルを参考にしてしまうことが、私の場合はよくありました。
 
でも自分の旅行なんですから、浪費だろうと充実だろうと、好きなように過ごすのが、結局は一番いいのだ、とわかるまで、私は随分たくさんの失敗旅行をしました。
 
旅行だからこそ、足の向くまま気の向くままにして、チェーン店でも入ろうかな? と思ったら迷わず入る。くらいの日があってもいいと思います。
 
旅行を計画する機会があるときは、旅を休憩する日。よかったらイメージしてみてください。
 
基本、空想旅行家ということもあり、私はあまりその通りに動くことは無いんですけれど。
有名な旅行冊子、「ことりっぷ」は、手頃な大きさで、めくってるだけで楽しいです。
 
アプリもありますが、私は、冊子を思うようにめくって、毎日を少しだけ離れる時間がとても好きです。 

それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。


20240218 13:46 草稿段階で「東京は清潔な街」というテーマの文章だった冒頭部分が残っていたのを削除しました。


 



2024/02/15

ショートトリップ

 いま、わたくしは、旅先の宿からこれをしたためています☄️(いや、星燃えてるし)


というわけで(飽きるの早っ!)、いまホテルのお部屋でこれを打っています。


旅は好きといえば好きですが、移動が嫌いなんです。


上手くできる時もあるんですが、だいたい調子っぱずれでなんかハイになってるだけだし(目に浮かぶよう)、ロウの時は行く前から、行きたくない行きたくないめんどくさいのオンパレードですっごい無言で鬱々としています。(旅とは?)


行ったら少し経ってからだんだん元気になっていくし、美味しいご飯も食べられるんですが、すっごい緊張してるし挙動不審だし、なぜ行ったんだよ!と自分の客観に突っ込まれまくりです。


でも楽しいし(楽しいんですよ?)、美味しいし(いま頬っぺたがありません)、1番楽しいのはホテルの部屋で荷解きして、コーヒーセットで珈琲を入れてベッドに腰掛けている時ですね!←何しに行ったんだよ!

じゃあ、現場からは以上です❤️←なんで更新しようと思ったの?




2024/02/14

あーごめんなさい

 また変な感じになっていました。
 
書いたことは事実ですけど、なんか暗いんで、消します。