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休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2024/03/15

梅と藤

 

Photo by Spaceman from 写真AC

 

その人を最初に見たとき、白い梅の花を思いました。
 
静かで繊細な佇まいがニュートラルな方なんですが、どこか一途に思いつめているような、張り詰めているような、随分と端正な輪郭がある刀を肌身離さず携えているような、一本、きりっとしたものがありました。
 
ああ白梅だな、と感じました。

以来、梅の季節に白い花びらを見かける度に、その人が全力で進み続ける道のことを考えたりしていました。
 
梅は、櫻よりどこか力強いものがあります。
都から太宰府に流された菅原道真公(すがわらのみちざね こう)を追いかけ、彼の地に飛んでいった白梅のように、必ず信じてやまない、そんな熱さがすっきりとみなぎっています。

春を告げる最初の花として、まず歌われるのは梅です。
古(いにしえ)の典雅人(てんがびと)達が好んで詠んだ理由は、容易いようでいて一番難しく、それはきっと尊い(たっとい)、「信」の字が、実は咲いているからではないでしょうか。
 
いつも写真写りが悪く、ものごとをきちんと見つめねば成せない生業を持たれているのだから、ご自身の様子の良さも、夢中にさせる魅力も知り尽くしているだろうに、なかなかそうは簡単に見せたりしない。
 
そういう上手さが、昔は、少し自分でも気になる所だったようですが、久しぶりに触れた芸の空間で高い位置に座る姿は、それすらもとうにご自身の天分だと、粋なふうに魅力を羽織られていて、芯は白梅でも、いまでは艶やかな藤の花のように咲き誇っているのだな、と、ひどく自慢な心持ちになりました。
 
 
Photo by きゅーまる from 写真AC
 
 
座席に居る全員と同じく、私も彼を長年の友人のように愛好し、八面六臂の活躍ぶりに圧倒されながらも、この人の為に何かしなければ、何かこの人の役に立つことをしなければ、と、甚だ迷惑な、何がなんだかよくわからない思い込みを持っています。
 
昔、その気持ちを書いたときに、偶然、古く立派な紅梅のイメージを持つ彼の師匠がこう言いました。
「拍手をしなさい。心から拍手をすれば、それで伝わる。」
なので、機会に恵まれた時は、いつもその教えに従っています。
 
切磋琢磨し合う仲間達と、共に花の山を登っている彼ですが、私はもうひとつ、この方について、非常に奇妙でおかしな思い違いをしています。
 
それは、壇上と座席越しに、真正面から向き合い続けるのではなく、当然、肩を並べるのでも無く、なぜか背中合わせに、それぞれが生きる世界を見つめているような、そんなようにどうにも思えてなりません。
 
決して振り返らず、決して寄りかかることなく、それぞれが背中合わせに立っている。
なにをどうしたら、希代の名人のおひとり相手にそこまで自惚れられるのか。
 
私の中の自分が散々私を嘲るのですが、 その体感が消えたことは一度もありません。
 
署名記事で拝読したのですが、私のような、生涯付き合っていくものを持つ人を励ます為に、世界では 「“」や「”」を使うならわしがあるそうです。
これで括るメッセージは特に無いのですが、実体のないこのネット上の私のアイデンティティの表記でもある「”」は、ところ変われば、日本語の濁音の意味も持ちます。
 
華やかな世界で天賦の才を巧みに磨き、鍛錬し続けるその方は当然、光りの中に居ます。
背中合わせの私はむろん、陰となります。
 
私は、その方が心に持ち続ける鋼の刃(はがねのやいば)に「しん」と表音する「信」の字を見ているので、陰の私は、自身のアイデンティティも投影して、そこに「”」を加え、「じん」と表音する「仁」の字を、この方への変わらぬ応援と勘違いな友情の証として反射していようと思います。
 
何ひとつ満足に返せませんが、命と心を助けていただいた方々の中のおひとりとして、私が思う、世界で最も誠実な心を生涯の感謝として、応援の中に反射し続けながら、動かし生きていこうと思います。
 
エナメル 20240315  18:02
 

追記
このようなことを書けば、大したことが全くない私のせいで、いらぬ恥をかかれるだろうと躊躇っていたのですが、たまには、周知の事実であってもひた隠しにしてきた応援を、このような形で告白するのも、
わけのわからない、途方もなく臆病な人間に、そこまで心を開かせ長年頼りに思わせるほどの人となりを、実はさらりとお持ちであると、
ひとたび白眉の高座を降りたら、そのような善行を決して黙して語らない、背中越し(思い込み)の立派な姿の証言として、
受け継がれている一門の名と、「芸は人なり」という教えに恥じぬ、至芸を継承されている旨、語らせていただいた次第です。
 
それと、・・・あの、この方は大変な「面食い」ですので、おかしな誤解はなさらないでください(笑)
ご迷惑になりますので。
 
追記 2
仁という字の発想元は、里見八犬伝の「仁」の字のエピソードからです。 
劇中では「人を愛する心」とされていますが、
私の場合は、親しみ、いつくしみ、モモ・ウメの果実の堅い核の部分に含まれているやわらかい部分、という出で立ちで使用しています。
(Oxford Languages より)