休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2023/10/27

美しい美しい美しいJINさんという表記と最近聴いている音楽


 
この間から、美しい美しい美しいJINさんという表記をするようになっていますが。
 
理由は、なんだか私がツンデレだと勘違いされているところではされていたらしいことを少し気にしてです(笑)
ちゃんといままでも、ハンサムですね、とか、バラエティの勇姿に惚れ惚れする、ということを書いてきたのにな、という思いで、美しい美しい美しいJINさんという表記をしています。
 
これからも集中的に、JINさんではなく、全世界にツンデレではない証明として、美しい美しい美しいJINさん表記をアピールしていきたいと思っています。
(だから何と戦ってんの?)
 
少し前に、JINさんは誰も傷つけない戦い方をする、という動画のサムネイルを見かけました。
ああ、そうなんだな、と感心しましたし、私はJINさんやBTSのみなさん、ARMYさんにとっては敵対すべき、こちらの方達がいる「良い岸辺」とは、違うところにいるものですので、ひたすら眩しい思いでいます。
(アンチという意味じゃないですよ。私はクリーンではないので。)
 
私は、この頃あまりコンディションがよくないので、BTS情報も見ていないと書きましたが、YouTubeを開くたび、もうだいぶ少なくなったものの、それでもBTS系列のサムネイルを見かけるぐらいは、いまだにYouTubeのAIがおすすめ動画をいくつか上げてきます。
 
熱い応援をしてらっしゃる方々は、それで平気なのか?と思われるかもしれませんが、特にストレスではありません。
 
私はなんでもなんですけれど。
面白い!と思う人やジャンルを見つけると、2.3ヶ月は毎日、そのことを話題にするくらいハマるんですが、そのあとは、ずーっとlawテンションです。
そんなのはファンではない!とお叱りを受けるかもしれませんが、ライトファンとこの頃では書くようになりましたので、そんな感じでやっています。
 
それに何か大きなことがある場合は、否応なしに目に飛び込んできますので。
 
天使さんのお誕生日をまだやれていないんですが。
少し迷っています。
続けるのは、別に苦ではないんですが。
こうして遅れるっていうのは、やっぱり失礼ですし、ちょっといまの気分から少しずれ込んでいる感じです。
なので、もうちょっと考えてから、続けるなら続けますし、そのままお誕生日は何もやらない方向にシフトするかもしれません。
 
以前にも書いたかもしれませんが。
BTSの日本語歌詞の楽曲って聴かれますか?
私は、実はiTunesで購入したのはButterflyの日本語バージョンと最近ではLightのみで、あとは全く聴いた事がありません。
 
理由は、韓国語がわからないのは相変わらずなんですが、その響きで最初に楽曲を憶えているので、それを日本語という脳内の枠に入れ替えるのが、すごく抵抗があるんです。
多分、言葉の響きと音が一緒になって格納されているんでしょうね。
だからだと思うんですけれど。
 
日本語バージョンは、BTSから日本ARMYさんへの愛の証としてリリースされたものなので、ライトファンといえども聴くべきである、というのはわかっているんですが、未だにその抵抗を拭えない感じです。すみません。
 
もしARMYさんやファンの方で、日本語バージョンはまだの方、おられましたら、愛の証ですので、ぜひ。
 
最近は音楽はiTunesで買ったものばかりを聴いています。
古い楽曲を聴いていて、新しい楽曲は全然聴いていません。
非常にマニアックなものから、大切にずっと聴き続けるんだな、という曲、あとはポップス、歌謡曲をいくつか聴いています。
 
なんだか、この頃、歌謡曲の感じが気分に合っています。
また、イベント等で話題にできればいいかなと思っているんですが、まずはコンディションを整えてからという感じです。
 
以上、美しい美しい美しいJINさんという表記と最近聴いている音楽、でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2023/10/26

カナリアが死んだ。


 
暴力を想起する言葉を使っています。
苦手な方はご注意ください。
 
 
最近覚えた言葉で、ストローマン論法というものがあります。
 
まだきちんと腹の底から理解できていないので、Googleの検索結果のフィードバックを紹介します。
 
ストローマン議論とは?
 
ストローマン手法とはどういう手法ですか?
 
〈批判的〉筋違いの反論、論点すり替えの議論[反論]、わら人形論法 ◆反論に都合がいいように論争相手 の主張をねじ曲げ(または相手の主張と関係ない論点を持ち出し)、そのすり替えられた論点に対して反論を行うこと(そして「だから相手の主張は間違っている」と結論すること)。
 
 
英辞郎
 
 
この国にもカナリアがいました。
 
鳥はどこにでもいるのでは? と思われた方向けに説明させていただくと。
 
この場合のカナリアは、昔、炭鉱の入り口に、有毒成分が蔓延(まんえん)して犠牲者が出ないように、カナリアを入れた鳥籠をぶら下げていたそうです。
カナリアが死ねば、危険ということですね。
 
そこから、異変を感じたらすぐに、それが何か、どういうことか、そして寸分違わず、そのカタチを見極められる人のことを指す、という理解を私はしています。
 
私が時々、本寸法がわかるようになりたい。と書くのは、カナリアになりたいのではなく、私は、とても怖がりで不安が強いので、物事をきちんと捉えられるようになれば、少しは気持ちが落ち着くかもしれないと思っているからです。
 
そのカナリアだと、私が勝手に思う人が、日本にいました。
ご自身がカナリアだったことを、やはり自覚はあったのではないか、と私は想像しているだけなんですけれど。
 
全く関わり合いの無いただの読者(本2冊買っただけ)だったんですが。
先日、勇気を出して検索したら、その方はもう他界されていました。
 
 
非常に社会や世界に役立つ、言論活動を使命とされておられたようです。
 
思想とか考え方とか主張とか全く私とは違う、まっとうな方だったのですが、やさしいなんて陳腐な言葉より、人の苦しさをよくご存知の方だったように思います。
 
短期、長期に関わらず、こういうものと付き合わなければならない人間は、慣れない時期や悪くなっている時、言葉で感情的になってしまう瞬間があります。
後になってみると、どうしてこんなことで怒ってしまったんだろう・・・、と、とても恥ずかしく、自分がダメなことが悲しくなるんですけれど。
 
もうずっと昔に、同じ状態の方が、何かの話題の時、強い言葉をその方に使った後、すぐ謝罪されたんですね。
そうしたら、「お気になさらず。誰にでもあることです。」と即座に返事をしたのを、すごくよく記憶しています。
 
なかなか出ない言葉です。
謝罪された方が、どういうものとつきあい、どういう状況か、どんな苦しみなのか、寸分違わずわかっていないと、出てこない言葉です。
 
立派な人というのは、こういう人のことを本当は言うのだと、私は見ていて胸が熱くなりました。
 
また、別の時は、何かまた鋭い見識を書いた時に、その言葉が違うふうに取られて、わーっと瞬間的に広がったことがあったんです。
見ていた私は、この人は怖くないんだろうか。と、怯えていたんですけれども。(チキン)
 
その方は特に慌てることなく、違います。違います。主張と違います。と否定しながら、「これ以上、俺のわら人形をレイプしないでくれ」とあっさり書かれて終わったんです。
 
なんのことだろう? と思ったんですけれど。
それから長い年月の後、先に紹介したストローマン手法のことを言われていたことがわかり、知性とはものすごいものだなと、つくづく思い知りました。
(ご存知の通り、ストローとは「わら」のこと。ストローマンでわら人形ですよね。)
 
私はその方は、カナリアだと思っていました。
カナリアという言葉を使わなくても、同じことを考えていた方はたくさんおられると思います。
 
そのカナリアが他界されたことを知り、新しいカナリアはどちらにいるのだろう、と不安になっています。
 
けれど、あるじの消えた、空っぽになった鳥籠を人だかりの後ろから見つめながら、これからは好きなように飛び回れるし、ご飯を探す鋭い知性もありあまっていたから、たぶん、カナリアにとっては、これでよかったんだな。と思う気持ちもあります。
 
考えてもわからないし、
どうしていいかわからないから、
 
月の美しい晩、
銀の櫂に止まって、
光って落ちる雫を見ながら、
楽しく歌っているといいな、
 
と、いまは思うことにしています。
 



20231026 20:18 誤字をなおしました。


それは気にしなくてもいい


少し早いですが、この後の暮らしの時間配分を間違えてしまっていたので、予定より投稿時間を早めます。
 
 
また、こいつはとんでもないことを言い出しやがって、と、怒る層の方は怒るんじゃないか、と朝起きて思いましたので、昨日の投稿の補足をしたいと思います。
 
いま、インターネット上でどのくらいの人達がいて、どういう傾向なのか、10年ブランクがあるのでわかりません。
 
最近、私は以前投稿したように、本当のことを差し支えない範囲で書くときは書こうと思って書いています。
 
この3年間、ああやっぱりそうなんだな、と思ったことに、もともとよく私が話題にする(本当は昔話ってあんまり好きじゃないんですよ。その場限りのことが多いし、私は口が軽いのが好きじゃないから。)大昔のインターネットにも、プロの方がすごく多かったんですよね。
文筆のプロの方が。
 
覆面でされていた方も多かったと想像していますし、最初から筆名を明らかにしていた方もすごく多かったのではないでしょうか。
 
で、そういう方達は、プロですから。プロの掟(おきて)を厳守するんですよね。
 
私の基準は、お金をもらったらプロです。
一度でもお金をその方面で受け取ったなら、どんなにアマチュアの場所でやっていてもプロです。
でもこれは私の考え方なので、実際のその水(みず)でのことはわかりません。
私は文筆のプロというものをやったことがないので。
 
ちなみに、私は書いたものでお金を受け取ったことは、一度もありません。
 
あとで知ったことで、これは正確にそうだったのかどうかもわかりませんが。
どうも、ゴーストライターをやっていたのではないか、というウワサ? があったみたいですけれど。
 
そんなめんどくさいことはやりませんし、やったこともないですし、誰にも師事したこともないのに、一体、どうやってそんな世界に入れるというんでしょう?
それに、書いたもの見ればわかるはずですけれどね。そこまでの才能すらないということが。
 
 
続けますが。
プロの掟とはなんぞや、というと。
私がわかる範囲でのことを書くと、嘘はダメ。ということです。
理由は人死にが出たり、世の中が変わっちゃったり、正確さ、誠実さ、証明、そういうことが危ぶまれてしまうから。
おそらくプロの方々は最初にそれを叩き込まれるんじゃないでしょうか。
 
長い間苦しんでいた嘘以外で、嘘は私も書いてないはずです。これは気が小さいから。
じゃあ、ウソは? というと、わかりません。
 
楽しいウソならいい、という考え方をしている方が、プロの中にももしかしたらおられるのかな? とも思うんですが、たぶん、嘘もウソも全部ダメ、という価値観ではないでしょうか。
あれはいい、これならいい、とごちゃごちゃやるよりも、すっきりさっぱりしていることの方が、やりやすいからかな? と思っていますが。
 
ではフィクションは?
というと、あれは創作という考え方ではないでしょうか。
 
私はその辺は、自分なりの考え方をしていて、これはウソであるし、この趣味を続ける限り、自分のことをウソつきだと思っています。
そうやって書くのも、アマチュアのオリジナルでもないファンフィクションのくせに、そう言ってちょっと格好をつけたいんですね。
 
なのでプロの方がすごく多いので、そして時代の移り変わりとともに、考え方が変わった人たちが増えたこともあって、インターネット上の発信者って基本ウソなんて!という考えの方が多いんじゃないでしょうか。
 
現実の私は、いまはあまりウソもついていません。嘘もありません。
 
理由は、ウソをついて遊ぶ場所に行って遊ぶこともないし、ウソの遊びをして楽しむ機会も激減したし、いまの私の狭い行動範囲で、困ったことを聞いてきたり、詮索されたり、変なことに巻き込もうとする人がいないので、これは私のやり方ですけれど、ウソをついて抵抗する必要がいまはないからです。
 
また、いいウソをつく機会も必要も感じませんし、とても年若い方と接する機会があっても、今度は、私のつくウソをウソとわかっているかどうかが甚だ疑問なので、
(私は自分のウソに対する価値観というのは、古い世界の価値観になってしまったのかな、という認識をしています)、
そして相手を困らせたいわけではないので、なるたけ本当のことを正確に話すように心がけています。
 
これはネット上でも、基本、困らせたいわけではなかったので、できる限り正確に本当のことをわりと伝えていたはずなんですけれどね。
あとは思い違いとか、そういうの。
 
現実の話に戻りますが。
若者だった頃から、みなさんと同じように、私もお酒の場所が好きだったので仕事をしている時は、仕事場よりそういう場所でおとなしく遊んでいたことが多いです。
 
貧乏だったのにそんな金が? と思われるかもしれませんが、貧乏でも酒を飲みに行って、パッと引き上げる程度のお金を捻出する節約はできていました。
 
そういう場所ではウソをつくこともよくありました。
 
どこからきたの? という相手に、あっち。と言ったり、家どこ? と言われたら、そのへん、とか、マンション住まい? に対しては、御殿(ごてん)、と答えたり。
 
その当時のお酒が入ってる世界では、普通です。
 
他にも、別人になり変わって遊ぶというやり方があるんですが。
そういうことは普段遊んでいるところではやりませんでした。
なんとなく。
 
そのかわり、旅行先のバーとかホテルで適当に職業をでっち上げたり、ウソをついて憂さ晴らしをしたり、はたまた、はいはい、すごいですね、ああ、すげぇすげぇ!と思ってる種類の人間になりきって、誰にもわからないやり方で相手をバカにしたり、タクシーの中で、めんどうくさいし、防犯の意味で危ないから、全く違う人間として過ごしたり。
そういうことはやっていました。
こちらは遊び半分ウソ半分ですね。
 
この頃では、ホテルではそういうことはできないようになっているところが多いのではないでしょうか?
犯罪に巻き込まれる可能性がありますからね。
それはとてもいいことだと思います。
 
こういう遊びのウソは飛行機に乗る時とか、みなさん、けっこうよくついてましたよね?
 
もうずっと旅行は行ってないですけれど、よく行っていた時は、呼び出しとか搭乗アナウンスを聞いて、笑いをこらえていたりしたことは、旅先の楽しい思い出として私の中に残っています。
大体、小説の主人公とか多いし、なりたいなという願いを込めたものも多かったみたいで、ほのぼのとした気持ちになっていました。
 
私はやらないです。
怖がりで不安が強いので、事故の時に家族に見つけてもらえないと嫌だから。
 
現実の、シラフの世界で、お仕事場とかでは、ほとんどウソはついていなかったと思います。
 
理由は、仕事の邪魔になるからです。
それと、ウソではなくて、すっごく叱られたのは、いい加減なことを言うな! という、私がよくやっているテキトーとは違う、仕事上で確認が取れないことを未確認のまま言うこと、と、仕事場で守れない約束をするな、ということは厳しく言われたので守っていました。
 
仕事サボってデートしてたりとか、仮病とか、身内に不幸が、とかいうのは、私もよくやっていました。
 
でも、社員旅行に行かないって言ってるのに、あまりにもなんで? なんで? どうして? ってしつこいので、はっきり、そんなトコ行くより、休んで彼と一日過ごした方がいいから、と一回言ってみたこともあるんですけど、ドン引きされましたね。あははー(無表情)
 
どうしてかわからないけれど、現実の私を調べられた方は、大昔の私への評価がいまでも残っているとしたら、ウソはつくけど誠実とか正直とかが多かったので、びっくりされた方が多いのではないでしょうか。
 
理由は、私はウソをつくのがとても下手だったんです。
 
別に正直一本やりとか、心の底ではウソを憎む!とかそんな潔癖で立派な感じでは絶対なくて、本当に下手だったんですよ。
 
よくある、催促の電話に「いま出た所です。」って言うのすら、ちっとも巧妙に言えなくて、
「それを言い添えても全然フォローになっていないよ。」
と苦笑されたり、
「いやまぁ、(ウソが下手で)それで本当は正しいんだけどね・・・。」
となぐさめられたり、それくらいバカだったんです。
 
めんどうくさいっていうのもあったし、うまく頭が回る時とそうでない時がその頃からあったし、知恵が回らないタイプだったんですよ。
 
よく書いているように、若い頃から全然まっすぐでもなんでもなかったので、不謹慎とは言われていました。
 
だから、それ、他にほめようがない人への評価の仕方なので、そこのところはよろしくお願いします。
 
そういう感じだったので、それを嫌悪感から虚言癖っていうのもそれはお好きになさってくださっていいですけれど、私の理解で恐縮ですが、そういう人って年がら年中ですよね? 
私はそれとは違いますけれどね。
 
それがウソだろうと願望だろうと、たまたま現状がそうだっただけだろうと、とにかくそうだって言うならそうなんだ、という考えを私は持っているんですけれど。
 
それは自己弁護ではなく、いろんな事情や気持ちがあるから、という考え方からきています。
 
言いたくない、ということをなぜ聞き出そうとするのかもわからないけれど、私はそういうのが嫌いなので、そういう考え方をしています。
 
目上の人に訊かれたことには答えなければならない、という考え方があるのは、ずいぶん後になって知りました。
 
まだ試したことはないですけれど。
そういう状況になったら、いつも私は沈黙していたのですが、「言いたくありません」というのもいいかもしれませんね。
 
そういう季節だったこと、
どう言っていいかわからなかったこと、
私みたいにウソついたりインチキでテキトーだったり、
思ったままをそのまま言葉にして、隠そうともしなかった奴の場所で、
安心しておしゃべりしていた、とりとめのないことを、もしまだ憶えていて、何か心配しているのであったら、
 
当時使っていたマシンが用なしになっても(パスワードも忘れてしまってただの物体)、
防犯のために、確実にデータを100%破棄できる方法がわかるまで、
それを普段思いっきり忘れているけど、ちゃんと持ち続けているという、
 
とりとめのない話をしていただけで、悪いことも、よくないこともしてなかったことを、
 
とてつもなくよく知っている、なかなかに無知で頑固で神経質な管理者だった人間のやり方を知っていただいて、もう忘れてしまっていいこととして、処理してもらえればな、と思っています。
 
持ち続けてる理由も、可能性が0になりきれないことをやって、なんかあったら寝覚めが悪いので。
 
私はそういうことをネタにはしない。
そこまで題材に不自由するタイプではないから。
それに、そんなにめずらしいことでもなかったしね(笑)
 
と、私に都合のいい人情話(?)に話題がすり替わったところで、この話を終わります。
 
以上、それは気にしなくてもいい、でした。
 
 
 
 
 
20231026 15:46 不正確なところと文章をなおしました。
 
 
 
 

2023/10/25

女の子の社交テクニック

 
 
この投稿は、悪口についての話をしますので、苦手な方は読むのをやめてくださいね。
 
注:これを読んで、困ったことになっても責任は負えません。ごめんなさい。
その点、よろしくお願いします。
 

先日、美容師さんと学校の女子特有の人間関係ってそれでいろいろなことを学びますよね。
という話になりました。
 
私は学校では嫌な思い出と楽しかった思い出とがあるので、普通にすんなり学校生活を送れていた少女時代をお持ちの方に比べて、そこで得た社交テクニックは少ないほうだと思います。
 
例えば、口の軽い人対策というのを随分小さな頃から女の子達はそれぞれ工夫し始めます。
なぜかというと、女の子の間では、秘密を守らないことはとてもとても悪いことだという価値観があるからです。
やがて大人になると、言われてもいいことしか話さなくなっていくんですが。
 
私は口の軽い人というのが本当に嫌いなので(私見ながら、これは医療の分野ではないかとずっと思っています。)、ほとんど秘密というものを誰にも話してきませんでした。
 
なので、女の子の時からずっと、少しずつ相手にウソをまじえたワードをしのばせて話し、後で他の人から自分が話したと言いがかりをつけられている内容を聞いたり知ったときに、そのワードが必ず話した内容の要点に含まれているので、誰が話をもらしたのか、誰が悪意を持ってウワサをばらまいているのか、わかるようにしていました。
 
大体の女の子は、そして大人になった後でも、これはよくやるテクニックだと思います。
 
それくらい、秘密を守らないというのは、いけないことです。
 
また秘密を打ち明けられて、相手を共犯に引きこむテクニックというものがありますが。
その場合は、
「私は話を聞いただけだから。」
と必ず言うようにしておくと無関係でいられます。
訳すると、
「私は知らないよ、そんなこと。」
と答えているんですね。
 
話して共犯に引きずりこむって嫌なやり方ですよね。
だったら秘密なんか話さなきゃいいと思うんですが。
あと、
「私はそういう話は苦手だから。」
と言ってさえぎる、というのもありますよね。
ひどいやり方としては、
「あ、わからない。」と言ってその場を離れるというのもありますが、それをやると相手から恨まれますから、これはおすすめしません。
 
あとは、
「あの人、私のこと嫌いみたいだから、ちょっと聞いてきてくれない? 」
というものもあります。
断り方は
「自分でしてね」
です。
でも断るとめんどうなことになる場合、言い出した人が悪気がなく本当に心配しているのであれば、
その場合、
「あの人、あなたに嫌われてるって心配しているけど? 」
という言い方。
これはいいですよね。
「え? 全然だよ。むしろ好きだし、これから付き合おうと思ってるよ。」
と言いやすいし、
「あ、なんだ。じゃあ安心していいよって言っておくね。」
と、頼んだ人も、聞きに行った人も、答えた人も、全員、ほのぼのと終われます。
 
あと、これは確か本に書いてあったんですけれど。
悪口を本人に直接伝えるよくあるやり方としては、
「あの人、あなたのこと嫌いって言ってるよ。」
というものがありますが。
「こっちだって嫌いだよ!」
と言うのは、まずいやり方ですよね。
私も我慢し過ぎて3年くらいに一度は、ドカンとそう言ってしまう時もあります。よくないやり方です。
「え、そうなの。私は好きなのに。」
で済ましておくと、
その話を伝えに来た奴が1番信用できない、というデータがお土産になりますので、これからその人が1番の要注意人物であると気をつけて暮らしてください。
 
あと、これはとても下手くそなテクニックとして、
「私、あの子のこと嫌いなんだよね。」
と言って、私はあの子からの密偵です。とカミングアウトしながら、あの子の悪口を聞き出そうとするやり方。
 
まあ、普通に女の子社交をやってきたら、これをやってね、と頼んだり、断れない相手にそういうことさせたりするっていうのは、ちょっと意地悪をしたくなるくらい、密偵になっちゃってる子も、聞かれたこっちのことも、思いっきりバカにしていますよね。
 
しかも、人を自分だけが得するように、思い通りに動かすわけですから。
私はそういう人が好きじゃありません。
 
そういう時は、私は、ですが、密偵の子に悪口は言いません。
そして、そのつまらない小細工をしてきた相手に、全然思ってもいないことを、私があなたのことをどうかな、と思っている理由として伝えます。
 
さっきのテクニック。
ワードを仕込む、というのを、同時にやるわけです。
そのワードで、どこまでばら撒けるか、どういうつもりで私にしょうもない探りを入れてきたのか、目的は何か、相手がどう反応するか、リアクションを返してくるかで、言いたいことを自分から言うの待つわけです。
 
これもよくあるテクニックですよね。
 
ワードを仕込んだ、どうかなと思っていること。要はワード入りの挑発にすぐ乗ってきたのなら、最初っからこちらに何か不満がある。
つまり、私がその子を伝書鳩にしました。伝言板にしました。と答えてしまうわけです。
 
「そうなんだ。でもどうしてそんな風に思ったの? 」
という質問を返してきたなら、その相手は、何も知らないか、答えるつもりがない。という返事です。
そういう場合は、深追いしません。してはいけませんよね。
 
密偵になってしまったか、密偵を買って出るように利用されていた子が悪者になってしまいますし、私がその子を嫌うように仕向けたい、というよくわからない意図が見えますので、引くべきです。
 
それに何も知らないのであれば、ワード入りの、どうかと思っているとした、本当は何とも思っていないことは、相手も??で終わるわけです。
 
私は負けず嫌いな人というのは迷惑だと言っている理由は、しつこいからなんです。
粘り強いは、ほめ言葉で、しつこいというのは、ディスる言葉ですよね。
その相反するものの中に、切り出されていくのは、相手を心の底で見下しているかどうかです。
たとえば、こんな奴に自分は絶対に負けるわけがない、と信じ込んでいると、しつこいですよねー?
 
勘違いでも思い上がりでも、勝ってると思ってる相手に、こちらからは何も仕掛けないし、正直相手にしませんよね。
恨みが残るやり方を繰り返されない限り。
 
だから負けず嫌いで相手を見下している人というのは、何度も何度も、時間を置いたり、猫なで声を出してきたりして、あの手この手で、何とか勝利を得ようとこちらにかまってくるんですよね。
 
人を自分しか得をしないやり方で使うような、つまらないやり方をする相手には、私は、大抵、すぐわかるウソをつきますし、こちらの本意を絶対に明かしません。
 
すぐわかるウソをつく場合は、たとえば、とても有名なセリフを混ぜ込んだウソをついて、相手がすぐ、これはウソですよ? というものに気づけば、なーんだ、もう!で済むんですけれど、そういう相手は十中八九、気がつきません。
 
こちらを見下しているから、油断して気がつかないんですよ。
その話を人にペラって、あんた、それ、からかわれているよ、と言われて、しょっぱい気持ちになるわけです。
上出来の場合で、可哀想にこんなウソついて、とまたこちらを見下している感情が浮き彫りになるわけですよね。
 
その他、しつこくしてくる、腹に一物抱えた相手には、私は気まぐれに親切にするようにしています。
そしてこちらからは、悪意を送りかえしません。
理由は、利用されるから。
まあ、それも相手が悪気なくやっていたことなのか、悪意があったことだったのか、切り出されていくというものを含むんですけれど。
 
でも基本、だからといってどうこうしたりはしません。
むしろ守ろうとしますけれどね。
私の関わりあいがある範囲でゴタゴタされるのが嫌だから。
めんどうくさいじゃないですか。
全然、親切じゃない心根ですけれど。
 
誰が考えたんだろう。
このやり方。
単純なコミュニケーションの場合は、とてもよくできていますね。
 
 
こういうのって、小学校中学年で覚える女の子の社交テクニックなんですが。
みなさんはどうでしたか?
でも地域性というのもありますから、知らない方もしおられても不安になる必要は全くありません。
 
危険な話題だと思ったら、先にお話したように即座に回避すればいいし、一緒になって悪口を言ってくれ、それが仲良しの証だ、と本気で言う相手には、適当に、思ってもいないことを、付き合いですよ? とわかるように話しておけばいいですし、相手に伝わっても特に困らない内容を言っておけばいいんですよ。
 
あの人は一生懸命仕事するよね、というほめ言葉を、うまくディスりにすり替えればいいんじゃないでしょうか。
 
ああ、でも、それはちょっと危険なやり方かもしれませんね。
いま書いたものを読みなおして、私の未熟さに気がつきました。
きっともっとうまいやり方があると思います。
 
でも、めんどうくさいですよね。色々考えるのって。
 
悪口は言わないようにする、が、やはり1番ラクな回避方法かもしれません。
 
私は、悪口は言わないようにしていますが、言うときはバンバン言います。
これは特に隠してもおらず、わりと昔からその頃、書いていた日記やまとまった文章の場所とかで書いたりして、ヒンシュクを買って、何度もその手の話題を書き直したりしていたんですけどね。
いまとなっては、苦笑いの思い出です。
 
そんな初級テクニックを、この人はなんで書くかな。
もっとうまいやり方があるのに、知らないの?
と苦笑されると思うんですが(笑)
 
知らないよりはデータとして知っておいたほうがいいと思いましたので、私が未熟で経験不足なところを切り出してしまう内容ではありますが、書いてみました。
 
どうなんでしょう?
こういうことって、女性と普段から親しくしている方なら、大体みなさん、よくご存知のことだとも思います。
 
なので、こういうことを知らないのなら、その人はモグリですよね。
 
 
以上、こういう方向で性格が悪いことを全く隠してこなかったエナメルによる、女の子の社交テクニック、でした。
 
 

 
 
 
 
 
 

近況報告


 
大得意な季節なので、快適に楽しく過ごしています。
ただ、ちょっと自分で無理をしてしまったところがあって、多くの方は難なくできることだとは思うんですけれど、心の奥に置いていたことを言葉にして、ある程度はわかりやすく文章にして出すということを少し張り切ってやっていたら、やっぱり無理がたたってしまったようで。そういう意味では不調のまま秋冬を迎えるという、ここ10年では初めての状態になっています。
 
なので、実は、YouTubeも昔のアーティストのパフォーマンスを見たり、音楽も古い楽曲ばかりを聴いたり、クラッシックやジャズなどの歌詞を考えなくてもいいものを流しながら、暮らしの中で過ごしています。
 
そして、ニュースなども、いま誤読の可能性が非常に高いので、間違ったまま何か書いて、それでご迷惑になってはいけませんので、自分で要約を取り出して読んでいる状態です。
日参していたサイトにも全く行かないようにしています。
 
で、なにをしているかというと、気分転換に服のサイトばかり見て、購入計画を立てたり、20年近く続けている、どういう商品が売れていて、どんな層がどういう風にそれを生活の中に取り入れ続けているのか、というようなことを、現実とネットのごくわずかな機会の中で、データにして自分の中に蓄積し続けています。
それが一体、何の役に立つのかはわかりませんし、誰でも無意識にある程度はやっていることを意識してし続けています。
 
そうやって、自分がいいと思う商品やマニアックなものは、一体、私が見ている範囲の消費の中で、どの位置にあり、どういう購買層に当たるのか、またその購買層では、どういったものが好まれるのか、ということを、これまた自分の中に取り込むということを、やっていっています。
 
勘が鋭いとは書きましたが、私がいいと思っている商品を話題にするときに、勘がなんちゃら、ということをあてにはしていませんし、したことはありません。
 
そして10年、ネットから離れていたので、その間のデータの動きが入っていないので、なら、入っていない人間の視点ではいまのネットと現実の消費の動きは、どういう風に見えるのか、ということを考えたりしています。
 
驚いたのは、ああいうことを書いて、おそらく読みに来てくださる方が減るだろうな、とある程度、覚悟していたのですけれど、普段と変わらず私の過敏な部分も込みでお付き合いいただけるようなので、そのことがとても嬉しいです。
 
なので、投稿は変わらずやりながら、早く、安定した状態でニュースを見たり、好きなサイト様にうかがって新しい園芸情報に触れたり、B T Sの情報をまた観たりできるようになれるよう、急がずにコンディションを整えようと思います。
 
今夜も気持ちがザワザワする報せがあった方も多いのではないでしょうか。
 
私も興味をひくニュースがあったので、先に書いたように要約のみを頭に入れるように心がけて、知りたい情報を手に入れてきました。
かなり驚いたこともあったんですが、どのニュースも心配という面では全く揺れ動いていないので、そういう意味では、いろいろなことが1番、それぞれにとっていい場所に着地できることを、私もまたそっと願う気持ちになりました。
 
生きていると、そのときいる場所によって、大切にするものが変わりますよね。
それは当たり前のことで、変わらないことも変わることも、どちらがいいとか悪いとかそういう話ではなく、大切にするものが増えていく中で、そのとき選べるものを選んでそれを大切にしていく時もあれば、選びたいものを選んでそれを大切にすることで、よりいっそう多くのことを大事にできる時もあります。
 
それで案外、選択した本人もはっきりわかっていないけれど、後で選択を振り返った結果、だいたいあまり間違ってはいない、というスコアをたたき出すのではないでしょうか。
 
そしてそれが、最良でもなければ、当然最悪でもなく、その人の現在によりぴったりくる服に着替えたり、少しキツくなった襟元のシャツを、風通しがよくなる新しいシャツに着替えることに繋がるんですよね。
 
少なくともそれは悪いことではない。
そういう選択をする時期のほうが、ひょっとしたら多いのかもしれません。
 
私は臆病なので、そういう時は、つい足がすくみそうになるんですけれど、常に最善の選択をし続ける人生の時もあれば、少なくともそれは悪いことではない、という選択をして、その先の最善を尽くす日常のサイズを、自分に合うように工夫する時期もあると思います。
 
世の中には、立身伝や成功者のデータ、含蓄ある選択、奇跡の瞬間、外さない人生、そういう話はたくさんありますが、バッターボックスに立たない選択のほうが実は多いし、フィールド外での時間のほうが実戦よりもはるかに多いことを考えると、むしろそこでする小さな人生の選択のほうが、その先を広く照らす灯りになる確率が高いと思いますし、私も実際にそういう選択で、いい時間に辿り着けたことがあります。
 
いまというものの実像は、過ぎてみないとわからないことです。
それを心配して不安になるのは、私はいつものことなので、わからないことをわからないまま進むしかない、としか言いようがありませんが。
できる範囲で最善を尽くしつつ、自分自身に従い続ければ、少なくとも自分は自分を失敗したいと思っていませんので、アラートが鳴る選択は回避できるのではないか、と思います。
 
 
なんとなく、思っていることを書いてみたかったので。
 
以上、近況報告でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 2023102511:19 誤字と文章をなおしました。