休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2023/10/25

近況報告


 
大得意な季節なので、快適に楽しく過ごしています。
ただ、ちょっと自分で無理をしてしまったところがあって、多くの方は難なくできることだとは思うんですけれど、心の奥に置いていたことを言葉にして、ある程度はわかりやすく文章にして出すということを少し張り切ってやっていたら、やっぱり無理がたたってしまったようで。そういう意味では不調のまま秋冬を迎えるという、ここ10年では初めての状態になっています。
 
なので、実は、YouTubeも昔のアーティストのパフォーマンスを見たり、音楽も古い楽曲ばかりを聴いたり、クラッシックやジャズなどの歌詞を考えなくてもいいものを流しながら、暮らしの中で過ごしています。
 
そして、ニュースなども、いま誤読の可能性が非常に高いので、間違ったまま何か書いて、それでご迷惑になってはいけませんので、自分で要約を取り出して読んでいる状態です。
日参していたサイトにも全く行かないようにしています。
 
で、なにをしているかというと、気分転換に服のサイトばかり見て、購入計画を立てたり、20年近く続けている、どういう商品が売れていて、どんな層がどういう風にそれを生活の中に取り入れ続けているのか、というようなことを、現実とネットのごくわずかな機会の中で、データにして自分の中に蓄積し続けています。
それが一体、何の役に立つのかはわかりませんし、誰でも無意識にある程度はやっていることを意識してし続けています。
 
そうやって、自分がいいと思う商品やマニアックなものは、一体、私が見ている範囲の消費の中で、どの位置にあり、どういう購買層に当たるのか、またその購買層では、どういったものが好まれるのか、ということを、これまた自分の中に取り込むということを、やっていっています。
 
勘が鋭いとは書きましたが、私がいいと思っている商品を話題にするときに、勘がなんちゃら、ということをあてにはしていませんし、したことはありません。
 
そして10年、ネットから離れていたので、その間のデータの動きが入っていないので、なら、入っていない人間の視点ではいまのネットと現実の消費の動きは、どういう風に見えるのか、ということを考えたりしています。
 
驚いたのは、ああいうことを書いて、おそらく読みに来てくださる方が減るだろうな、とある程度、覚悟していたのですけれど、普段と変わらず私の過敏な部分も込みでお付き合いいただけるようなので、そのことがとても嬉しいです。
 
なので、投稿は変わらずやりながら、早く、安定した状態でニュースを見たり、好きなサイト様にうかがって新しい園芸情報に触れたり、B T Sの情報をまた観たりできるようになれるよう、急がずにコンディションを整えようと思います。
 
今夜も気持ちがザワザワする報せがあった方も多いのではないでしょうか。
 
私も興味をひくニュースがあったので、先に書いたように要約のみを頭に入れるように心がけて、知りたい情報を手に入れてきました。
かなり驚いたこともあったんですが、どのニュースも心配という面では全く揺れ動いていないので、そういう意味では、いろいろなことが1番、それぞれにとっていい場所に着地できることを、私もまたそっと願う気持ちになりました。
 
生きていると、そのときいる場所によって、大切にするものが変わりますよね。
それは当たり前のことで、変わらないことも変わることも、どちらがいいとか悪いとかそういう話ではなく、大切にするものが増えていく中で、そのとき選べるものを選んでそれを大切にしていく時もあれば、選びたいものを選んでそれを大切にすることで、よりいっそう多くのことを大事にできる時もあります。
 
それで案外、選択した本人もはっきりわかっていないけれど、後で選択を振り返った結果、だいたいあまり間違ってはいない、というスコアをたたき出すのではないでしょうか。
 
そしてそれが、最良でもなければ、当然最悪でもなく、その人の現在によりぴったりくる服に着替えたり、少しキツくなった襟元のシャツを、風通しがよくなる新しいシャツに着替えることに繋がるんですよね。
 
少なくともそれは悪いことではない。
そういう選択をする時期のほうが、ひょっとしたら多いのかもしれません。
 
私は臆病なので、そういう時は、つい足がすくみそうになるんですけれど、常に最善の選択をし続ける人生の時もあれば、少なくともそれは悪いことではない、という選択をして、その先の最善を尽くす日常のサイズを、自分に合うように工夫する時期もあると思います。
 
世の中には、立身伝や成功者のデータ、含蓄ある選択、奇跡の瞬間、外さない人生、そういう話はたくさんありますが、バッターボックスに立たない選択のほうが実は多いし、フィールド外での時間のほうが実戦よりもはるかに多いことを考えると、むしろそこでする小さな人生の選択のほうが、その先を広く照らす灯りになる確率が高いと思いますし、私も実際にそういう選択で、いい時間に辿り着けたことがあります。
 
いまというものの実像は、過ぎてみないとわからないことです。
それを心配して不安になるのは、私はいつものことなので、わからないことをわからないまま進むしかない、としか言いようがありませんが。
できる範囲で最善を尽くしつつ、自分自身に従い続ければ、少なくとも自分は自分を失敗したいと思っていませんので、アラートが鳴る選択は回避できるのではないか、と思います。
 
 
なんとなく、思っていることを書いてみたかったので。
 
以上、近況報告でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 2023102511:19 誤字と文章をなおしました。