休刊 キム・ソクジン



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休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2023/12/24

クリスマス・イブ / 山下達郎 / Chiristmas Eve / Tatsurou Ymashita


 
 
 
 
 
昔、私にとても美しいものを渡してくれた人がいます。
 
それは「想い」と日本語表記する、淡い、とてつもなく、まっすぐな気持ちでした。
 
私は、その気持ちには答えられませんでした。
 
その人の気持ちに私は気づいておらず、あれ?と思うことはあっても、まさかな、という気持ちと、うまくいっている友人を失いたくありませんでした。
 
その人は、私が徐々に、気楽なカジュアルな誘いを断るようになっていたこと、だんだんと2人きりにならずにいったこと、友人としてのくだらないバカ話の電話も、こちらからかけなくなっていったことに、気がついてたと思います。
 
私は、その頃、別のグループで、恋愛の始まりの時期にいました。
その人がいるグループの皆に、
「好きな人がいる。うまくいきそう。」とか言って、
その話をした後に、その人の言動や雰囲気に、あれ?とはじめて気がついたように記憶しています。
 
私はおかしいな、変だな、と思っていても、深く考えず、また深く考えないでいて、それをその人にとってなかったことにする方が、私の勘違いにしても、そうでなくても、結局はそれで、どちらにとっても、その人のプライドにとっても良かったことになる、と、なんとなくそう感じていたんだと思います。
 
なにかの番組で、女性というものは、昔、自分に想いを寄せてくれた人のことを決して忘れない。というお話を聞いたことがあります。
その時のうっすらとした記憶では、それはその女性にとって勲章のようなもので、それを女性というものはいい気分で忘れないのだ。という笑い話でした。
 
きっとそういう気持ちもあるのだと思います。
でも、私の場合は、そうではありませんでした。
 
後になって、それがなんであったのか、それがどういうことであったのか、わかることがある。
 
私にとって、その人が正々堂々と告げてくれた気持ちは、私をその時だけの淡い気持ちであったとしても、大切に扱う人間だと判断してくださった尊さでした。
 
うまく、場を悪くしないでそっとこのままでいい、と、背伸びした振る舞いをしながら、どこかで、そう振る舞える自分を大人なのだと、自分の臆病さを見ようとせずに、よく聴いていた歌詞の世界で描かれる、映画のような洒脱さにすり替えて、それに酔ってしまいそうになっていた私の狡さを、その人はきっと気がついていたのだと思います。
 
その人がまっすぐに気持ちを伝えてくれた時、私は一瞬、あっけに取られて黙り込みました。
そして、精一杯、気がつかなくてごめんね。いま好きな人がいる。あなたとは付き合えない。と答えました。
 
あまりよく憶えていないんですけれど、すごく変な言葉で、言い淀みながら、うまい言葉ひとつ言えない、ふつうの言葉で、あたりまえのことしか言えなかったと記憶しています。
 
その人は、笑って、またね。と言ってくれました。
もう会うことはないと、2人ともわかっていました。
そんなことぐらい、よくわかっていました。
私も、じゃあ、また今度ね。と言いました。
それきりです。
 
時々、私は、その人のことを思い出します。
きっとその人は、ただ気持ちを伝えてくれただけで、まっすぐな人で、それはほんの取るに足らない淡い恋だっただけです。
それでも、私は、その人のことを思い出すたびに、彼はその時私に、世界で1番、美しい心をくれたのだと、そんな風に思っています。
 
「クリスマス・イブ」という楽曲は、日本で必ずクリスマスシーズンに流れる曲です。
 
名曲だったので流れていたのでしょうし、私も気がつくと12月24日には何度も耳にしていたので、愛聴されていたのだと思いますが、大きなきっかけとなったのは、J R東海のクリスマス・イブにちなんだ、遠距離恋愛カップルのやさしいひと幕を描いたC Mでした。
 
その楽曲にこの「クリスマス・イブ」が使われていて、その美しく、観た人をやさしい気持ちにさせるC Mが大ヒットし、その後シリーズが毎年製作されるようになった、と私は記憶しています。

きっとC Mの効果で、この楽曲は両想いのカップルをテーマに歌っているのだと思われている方も多いのですが、実は、片想いの曲なんですね。
 
解釈は人によりますけれど、主人公は想いを告げようとした夜に相手を誘って、雨のクリスマス・イブに待ちぼうけをしている歌だと、私は読解しています。
 
「心深く 秘めた想い かなえられそうにない」
  クリスマス・イブ / 山下達郎 より
 
優しい人達がこの楽曲の物語をたくさん創って、そう思い込んでいたのは主人公だけで、実は、相手は主人公に応えるためにやってきた、という物語を、時々見かけています。
 
ですが私は、ですが。
そうは思わないんです。
相手は、おそらく主人公の気持ちに気がついていた。
だから、行かなかった。
と考えています。
 
どうして行かなかったのかな、と考えると、
相手は、主人公の本気の気持ちに気がついてたからこそ、行ってはいけない。
本気だからこそ、ここで行っては、決して、いけない。
そう思っていたのだと思うんです。
 
この人には、本気で答えるべきだと。
それが相手の答え方だったんじゃないでしょうか。
 
冷たいと思われても、ひどい人間だと思われても、いや、むしろそう思われるほうがいい。
 
長い間、自分への気持ちを隠し持っていた相手のために、本当に、その気持ちには応えられない自分、を見せたのではないでしょうか。
主人公が愛していた人は、それほどまでに主人公に向かって誠実だったのではないでしょうか。
 
だからこそ主人公は、長い間見つめていた、本人よりも自分のほうがよく知っている相手が来ないことを、知っていたのではないでしょうか。
 
私は、そう思います。
 
時々、創作の世界で、片恋を告げる純粋な人間を嘲笑う人間が描かれます。
けれど、その相手は必ず1人じゃないんですよね。
誰かと一緒になって嘲笑っている。
 
それは、誰を嘲笑っているのかな、と思うんです。
 
まるで自分を嘲笑っているように、私には思えます。
 
まっすぐな気持ちに答えられない自分を、冗談にするしかない臆病な自分を、嘲笑っているように思えるんです。
あとで自分を責めるために。
あとで、自分を責める理由をつくるために、なんだか一生懸命にそうしているように見えます。
 
性善説を言いたいんじゃないんです。
ただ私は、そんな風に、そうなんだろうな、と苦笑いな心持ちで、そう、思います。
昔、私が、あっけにとられたからかもしれませんね。
 
世界で1番、美しい心をくれた人のことを、
その気持ちを、
心の奥底で笑うはずなど決してない、
と知っているからかもしれません。
 
 
いま好きな人はいますか?
もし、いま、いないのでしたら、
かつて好きだった人はいますか?
 
その人は、いまどこにいるんでしょう?
そして、その気持ちを想い出しているあなたは、
いまどちらにいるんでしょう?
 
不思議ですね。
人生というものは、とても不思議ですね。
 
その人がもし日本にいるのなら、きっと名曲「クリスマス・イブ」を聴いていることでしょう。
 
そして、24日のどこかの瞬間に、
あなたのことをきっと想う。
 
胸のどこかでも、意識のうえでも、
微笑みと一緒に、必ず、想います。
 
その事実を、私は知っています。
 
 
それでは24日です。
とても寒いですので、温かくしてお過ごし下さい。
 
メリー・クリスマス、みなさん!