休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2023/07/06

最大の復讐

 


 

雑記です。

 

 

 

私には、どうしても許せない相手というのが、何人かいます。

 

そういう、どうしても許せない、自分に嫌なことをした相手への仕返しの中で、最大で最高なのは、

 

幸せになること、なんですよね。

 

それこそが、最高で、最大の復讐なんですよね。

 

自分なりに幸せで、自分なりに楽しく、大切な人たちと、明るい場所で静かに暮らす。

 

それが、私の、最高の復讐になるんです。

 

みなさんはとっくにご存知のことかもしれませんが、

私にもようやく、その気づきとしか呼べない瞬間が訪れたので、深い、深い、納得と共に、ここに書いておきます。

 

 

何だか自己啓発なんとか見たいですが(笑)

 

でも、本当にそうなので、共有しておきます。

 

 

 

 

 

2023/07/05

Japanese Summer Maniac Pops ー 睡蓮の開く音がする月夜 第2夜 ー 赤い靴のバレリーナ / 松田聖子 (seiko matsuda)

 

Japanese Summer Maniac Pops

ー 睡蓮の開く音がする月夜  2夜 ー

 

赤い靴のバレリーナ / 松田聖子 (seiko matsuda)

 

 

 

アルバム ユートピア 収録

 

松田聖子に関して、かいつまんだ情報を書くと、日本のトップアイドルからトップスターになった、日本のポップスターです。

 

日本にもポップスターはたくさんいるんですけれど、山口百恵というポップスターが綺羅星の如く現れ、伝説となったあまりにも短い活動の後、惜しまれながら結婚と共に引退し、その後、まるで約束されていたかのように、世に現れたのが松田聖子でした。

 

詳しくはWikipediaをご覧ください。

 

ウィキペディア 松田聖子

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E8%81%96%E5%AD%90

 

アルバム「ユートピア」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%94%E3%82%A2_(%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)

 

 

松田聖子は、ありとあらゆる当時のトップアイドルの常識をくつがえし、快進撃を続けていたのですけれど。

 

彼女のアイドル活動期の特色として、当時の国内の実力派ミュージシャンたちが、松田聖子というアイドルのアルバムに多数参加していた、というものがあります。

 

なので、楽曲的に、日本の歌謡曲としての良さを追求していたごく初期のアルバムと、

その後の名曲揃いのアルバムは、クレジットにある通り、

はっぴいえんどの松本隆がほとんどの作詞を担当し、

同じくはっぴいえんど、のちに「A LONG VACATION」を発表する大滝詠一、

同じくはっぴいえんど、そしてのちにYMOの細野晴臣、

松任谷正隆、松任谷由美の別名義である「呉田軽穂」、

甲斐バンドの甲斐祥弘、

チューリップの財津和夫、来生たかお、などなど、

 

そうそうたるメンバーが作家陣に加わり、

その楽曲の多くを、

名編曲家である大村雅朗が担当していたという、

ただの一過性に消費されるアルバムでは、決してありませんでした。

 

私見ながら、この時期、すでにトップアイドルであり、ポップスターであった松田聖子に課せられてた音楽的役割は、

「かわいくて誰もが眩しく思う、主人公の女の子の気持ちを歌う」

から、

「どこかにきっといる、聴いたものがみな、心に思い浮かべることができる」、

「誰かにとって、とても大切な女性の気持ちを歌う」

に、切り替わっていった頃だったと思います。

 

松田聖子の夏の名曲は、この名盤「ユートピア」に同じく収録されている、以前、当ブログでも紹介した「マイアミ午前5時」を私はまず第一に挙げますが。

 

ポップスとして非常に巧みで、強い支持を受けるのは、おそらく「渚のバルコニー」でしょう。

この楽曲で、彼女はヘアスタイルだけではなく、ファッションリーダーにまでなるきっかけとなった名曲ですので、このセレクトでまず間違いないと思います。

 

ですが、今回はManiacという区分けをしていますので、あまりメジャーのくくりでは光が当たっていない、名曲「赤い靴のバレリーナ」を私は挙げます。

 

聴いていただければお分かりの通り、ギターと鍵盤の旋律が美しいスロウな楽曲で、作詞は当然、「松本隆」(Takashi Matsumoto) 、作曲 「甲斐よしひろ」(Yoshihiro Kai)、編曲 「大村雅朗」(Masaaki Omura)が楽曲制作をしています。

 

この曲に出てくる主人公は、普段は少しおとなしい、あまり活発な「私」ではありません。

 

そして、とても繊細な気持ちと気分を持ちながら、人生というもので、花の季節が短いことをはっきり自覚している、現実の苦さも知っている主人公です。

 

その「私」は、冒頭の歌詞で、こう心のうちを明かします。

 

「前髪1㎜ 切りすぎた午後

あなたに逢うのが ちょっぴり こわい

一番 綺麗な時の私を

あなたの心に 焼きつけたいから」

(赤い靴のバレリーナ / 松田聖子 より)

 

つまり、みなさんよくご存知の通り、前髪が1㎜ 違うだけで、自分の顔の印象が変わってしまうことを、この主人公もよくわかっているんですね。

 

そして、”一番 綺麗な時の私”を見てもらいたいし、覚えておいて欲しいと続けます。

私が一番綺麗なのは、いまのこの時期だけなのだ、という寂しいことを思ったり、それはちょっと自惚だったり、相手との恋愛が自分を美しくしてくれたことを知っている、少しの自信でもある気持ちを打ち明けます。

 

いきなり冒頭の歌詞でこれです!

 

みなさん、これが松田聖子です!

これが、松本隆です!

 

続けます。

 

「明るくなったね 人に言われて

誰かのせいよと 謎めきたいの」

(赤い靴のバレリーナ / 松田聖子 より)

 

からわかる通り、この「私」は、恋愛で変わったんですね。

 

そして楽曲の最後まで貫かれる繊細さは、「私」が、非常に「ものおもい」の時間を持っている、心の中の方が雄弁な人物であることを表現しています。

 

そして、この「私」の相手はどんな人物かというと、

2番の歌詞にある

 

「海から あなたに電話をかけて

いますぐ来てよ、と わがまま言おう

車を飛ばして 来てくれるかな

それとも やさしく 叱られるかしら」

(赤い靴のバレリーナ / 松田聖子 より)

 

という、

「私」の繊細さを受け止めてくれる、優しい気持ちをもつ、大人の、恋愛的にも成熟した男性だと想像できます。

 

赤い靴のバレリーナ」という曲の中で、ときめきもあり、輝きもあるけれど、2人の関係が地に足のついたものであることも示唆されていると、私は解釈しています。

 

さて、この、かわいらしいわがままを「私」は実行したんでしょうか。

 

それは、

「見知らぬ電車で 見知らぬ海へ

見知らぬ駅まで 切符を買ったわ」

(赤い靴のバレリーナ / 松田聖子 より)

 

とだけ、描かれており、その結末はリスナーにゆだねられています。

 

私は、「赤い靴のバレリーナ」を初めて聴いた時から、同じ結末を想像しているのですが。

 

それは、夏の繊細さのひと幕を、この楽曲で表現してみせた、名アーティスト達に敬意を表し、

 

あえて、言葉にしないでおこうと思います。

 

 

それではまた、日本時間の明日の夜7時に、お会いしましょう。

 

 

 

タイトル副題 河出文庫 少年アリス 長野まゆみ(Mayumi Nagano) より、冒頭第1節を引用

 

 

 

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2023/07/04

Japanese Summer Maniac Pops ー 睡蓮の開く音がする月夜 第1夜 ー BAY BOAT STORY / 大江千里(Senri Oe)

 

 

Japanese Summer Maniac Pops

ー 睡蓮の開く音がする月夜  1夜 ー

 

BAY BOAT STORY / 大江千里(Senri Oe

 

 

 

アルバム「APOLLO」収録

 

 

大江千里の楽曲の中で、私がすごく好きな傾向は、

 

・なんらかの物語が楽曲内に流れていて、

・なおかつ、それがあまり限定されていない状態、

 

が歌詞になっている。

 

というのが、とてもとても好きです。

 

実はこの「BAY BOAT STORY」。

今日、iTunesで購入して聴き直したら、私はとても長い間、BAY BOAT STORYの物語の重要な部分を、勘違いしていたことに気がつきました。

 

BAY BOAT STORYの私の解釈は、

 

はっきりしないけれど、互いの気持ちはわかっている2人のうち、「君」が、この関係をもう一歩深めようと試みている。

でも「僕」は、いまはまだ、その時期ではない。

2人の間の関係が、まだ固まっていない、と考えている。

 

だったんです。

 

だから「僕」は少しずるいし、「君」は楽曲に切り取られている時間の終わりに「軽い失恋」のようなものを体験してしまって、そのわりにはこの関係をコントロールできない。

 

同時に、2人のこの関係がどこに流れていくか、結局、2人にもわからないままになっている。

 

けれど、気持ちがあるから苦しさもあって、

真夏の気怠い、うんざりするようなひとときの中で、

「何か決めないことでまた決まってしまうこと」

に、2人はそれぞれ違う部分で傷ついている。

 

と思っていたんです。

 

ずっとそう解釈していたので、なんて繊細で微かな痛みを伴う時間を歌うんだろう。

夏の水面の光が反射しているような、めまいがするほどの残酷な冷たさを歌ったポップスだと思ってたし、こんな状況を歌った曲なんて、他に聴いたことない。

という衝撃が何度聴いてもあったので、

私の中では大江千里の歌詞世界が、異様に研ぎ澄まされていた期(区分け、もちろん私)の楽曲として、名曲に分類されていました。

 

それで先ほど、ふと気まぐれを起こして、あ、あれは購入していたっけ? と確認したら、iTunesでは購入していたなかったので、買って聴き直したら、

 

「言い忘れていた そのひと言を 君に言えなくて」

(大江千里 BAY BOAT STORY より)

 

というとても重要な一節を、聞き逃していたんです。

 

この部分があるのとないのとでは、「僕」の人物像の解釈が大きく違ってくるんですよ!

 

この部分を解釈に入れ込むと、

「僕」は「君」の意図をうまく交わしているんじゃなくて、

「単に最初のスタートは自分の告白から始めたい」

と思っている、

真面目に「君」のことを想っている人、に変わってしまうんですね。

 

ええ!そうなんですよ!

 

だから、私の中で長い間、不朽の「残酷さと冷たさを持っている類まれなポップス」が、BAY BOAT STORYを聴き直した瞬間、消滅したんです!

 

これ、「2人の関係を進めたい”君”」に少し戸惑いながら、「そんなに急がずにもっとこの関係を大切に育てていきたい」っていう”僕”の歌だったんですよ。

 

いやあ、びっくりしました。

 

どうしてそんな勘違いをしてたんでしょうか、昔の私よ!

なぜ、歌詞を書き出して確認しなかったのか、昔の私!

 

そして心の中で大事にしていた、不朽の「残酷さと冷たさを持っている類まれなポップス」枠の棚がガラ空きになってしまって、いまけっこう唖然としています。

 

そんなBAY BOAT STORY、ちょうどいまぐらいの季節が舞台となっています。

 

 

それではまた、日本時間の明日の夜7時に、お会いしましょう。

 

 

 

タイトル副題 

少年アリス / 長野まゆみ(Mayumi Nagano)河出文庫刊 より、冒頭第1節を引用。


 

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2023/07/02

Moon River

 


 

日曜日なので、穏やかな内容を書いています。

 

オードリー・ヘプバーンの映画で好きなタイトルを挙げるとすると、たくさんのかたが「ローマの休日」を挙げると思いますし、「マイ・フェア・レディ」を挙げる方もおられると思います。

 

私は実はなんと「ローマの休日」は、内容は知ってるし、セリフも知ってるけれど、嫌いな人が好きだと言ってた映画だったので、あんな奴が好きな作品なんか断じて観るもんか、と決めていたこともあって、結局、いまだに観ていないという、全世界でも珍しい人類の1人です。

 

その代わり、私は、「ティファニーで朝食を」がとても好きです。

 

理由は、オードリーが都会的でシックだからとか、映画の世界観がおしゃれだとか、そういうポイントもとても素敵だけれど、この映画の物語にとても胸を打たれてしまったからです。

 

まだ観ていない方のために、ネタバレをしないで書きますけれど。

 

私は、それまで映画を観て泣く場合、ここが感動ポイントですよ。今からそこに向かって盛り上げていきますよ。はい、盛り上がってきましたよ。じゃあ、泣いてください!

という映画で、わりとあっさり泣いてしまうタイプでした。

 

(お陰様で、この頃は涙が出るようになりました。ちょっと波があり過ぎですけれど、涙が出るようになったのだから、とても進歩していると思っています:))

 

でも、私はこの「ティファニーで朝食を」を観てる時、劇中にとても有名すぎるほど有名な主題歌「Moon River」が出てくるシーンがあるんですけれど。

そのシーンを観た時、知らないうちに泣いてる自分に気がついて、とても驚いたんです。

 

どうして泣いたのか、当時の私にはよくわかりませんでした。

感動的なシーンではないんです。

どちらかというと、微笑ましいシーンとされている場面なんです。

 

でも、私は、そのとき画面に流れていた言語化できないものと、白字の字幕にあった日本語訳詞と、かろうじてリスニングできた英語の歌詞の断片に触れた時、こみあげてくるものが押さえきれず、涙を流してしまったんです。

 

観終わった後、しばらくして、私は、この映画と「Moon River」という楽曲が持っている、哀しさ、に心打たれたのだと、わかりました。

 

みなさん、ご存知の通り、名曲「Moon River」はあまり多くを語っていない、とても暗示的で、同時に明示的な世界が歌われています。

 

その中の一部分、「Two drifters off to see the world」の日本語字幕が「2人の流れ者」になっていたんです。

けれど、私はその時はっきりと「いや、これは『2人の愚か者』が正しい」とわかったんです。

 

それは若者だった私の、傲慢さでもあったし、柔軟な感性だったのかもしれないし、ただの勘違いだったのかもしれません。

 

正解は調べていません。

いまもこれを書くにあたって、検索しようかな、と思ったんですけれど、やっぱり、あの時感じた自分を大切にしたくて、検索するのをやめました。

 

だから、自分の誤訳をそう信じ込んでいるかもしれないですし、映画の中の時代背景から「2人の流れ者」のほうが、作品世界に合っているのかもしれません。

 

ただ、私にとって、「ティファニーで朝食を」のあのシーンは、原作者のトルーマン・カポーティからの、この世界と世界を往く人々へ向けられた、とても温かい眼差しだと、強く感じるものがあったんです。

 

正直言って、この映画が映画として群を抜いていないのはわかっています。

作りも雑だし、ファッション映画と言われても仕方のない作りだし、おかしなところもすごく多い。

 

でも、私は、この映画が持つおかしな部分は、世界という世の中や人生が持つ、奇妙さやおかしさと、とても似通っていると思うんです。

 

この世界に無数に存在する人生というものは、確かに、なんだか作りが雑で、奇妙で、おかしい。

 

「ティファニーで朝食を」食べるなんて本当は無理なのに、それがタイトルになっている、おかしな世界に住む、とっても素敵な女の子が、なんだか奇妙な世界の中で、優しく、でもドライに歌う「Moon River」という楽曲の歌詞に出てくるのは、

 

本当はみんなどこかでわかっていること、

 

だったのかもしれません。

 

人というものは、愚かだ。

だからこそ、終わるとわかっている人生を進んでいける。

 

映画を観ている私達が、実際に住んでいる、この奇妙でおかしさを必ず併せ持つ現実を進むのにふさわしいのは、やはり「流れ者」ではなく「愚か者」という言葉だと、私は思います。

 

そして、人は誰でも皆、孤独を1人、持っていくしかないんだけれど、

1人で抱えきれない時もあるから、

そんな時は、2人がいい。

 

それでうまくいくのなら、

漕ぎ出したボートをなんとかなる方向に進ませることができるのなら、

願わくば、1人よりは2人がいい。

 

そんなことを、若者だった私は、「ティファニーで朝食を」のあのシーンに触れて、胸の真ん中に取り込んだのかもしれません。

 

人生というものの本質を語る、抜群の表現に触れて、その苦さと優しさ、根底にある哀しさに沁みたから、思わず涙がこぼれたのでしょう。

 

いまでも、現実で私が抱えている問題に苦しくなると、「Moon River」を聴いて胸を詰まらせたり、どこからか「ティファニーで朝食を」の冒頭のシーンを探してきて、ただ繰り返し見つめながら、どうしてこのシーンを撮ったのかな、などと色々想像します。

 

正解は検索すれば、原作を読めば、伝記を読めば、ムック本を読めば、きっと載ってるけれど。

 

私は、たぶんずっとその解答を知ろうとしないまま、そのときどきで、自分が過ごしている人生から返ってくる、返信する宛のないモールス信号のようなものを受信して、愚か者として生きていくのだと思います。

 

月のどこかにきっとある、金色に滲む河を想いながら。

 

 

 

それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。

 

 

 

 

注記:本文中に吉野弘さんの「祝婚歌」の口調が出てきてしまっています。お好きな方、ごめんなさい。まだの方、もしおられましたら、ぜひこちらも読んでみてくださいね。素晴らしい詩です。

 

 

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2023/07/01

ドラマ トッケビ 視聴終了

 


 

なんとか無事、ドラマ トッケビを最終回まで観終わりました。

 

何を書いてもネタバレになってしまうので、シンプルに。

 

素晴らしいドラマでした。

また、罪と罰と生きること、死ぬこと。

天命とはなんなのか。

また、運命とはなんなのか。

そういうことも考えたドラマでした。

 

音楽も素晴らしかったですし、俳優さん達もみな、ものすごかったです。

 

心配していたラストですが、私はハッピーエンドだったと思っています。

視聴終了後も、先日書いた感想と、抱いていた感想は変わりません。

 

素晴らしいドラマをありがとうございました。

 

ここからは、ドラマ視聴終了後の雑感となりますが。

 

私は、人間というものは、幸福を追求することが

その第一の使命であり、天命だと思っています。

 

なので、寿命で死のうと決めましたし、

これからも、ささやかな暮らしの中で、

大切な人や大切な人たちと一緒に、

驚きと喜びと発見に満ちた世界を、

明るい眼差しで見つめながら、

旅してゆくのだ、と強く思いました。

 

 

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20230701 02:00  誤字をなおしました。