休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2023/12/30

年末年始休暇のお知らせ

 
バラ ブラウン・シュガー
 
 
 年末年始休暇のお知らせ
 
close 2023/12/31 - 2024/01/15 PM1:00

 
 
良いお年をお迎えください。
 
 
 
 
  

ムダに軽いお兄さんの思い出

  
フェイクをかけて書きます。
 
そういえばさっき、突然、思い出したんですけれど。
 
私は、女の子と呼ばれる時期のどこかで、ものすっごい変なお兄さんと、ちょっと仲良かったことがあったんですよ。
 
どんな人かというと、ムダに軽いお兄さんで、けっこうハンサムで女の子に人気があったんですね。
でも、真剣にお付き合いしているのは本命彼女一人だけで、後のそのお兄さんが好きな人達は、つきあいでそのお兄さんのことを好きだってアピールしているだけで、本人もそうじゃないと彼女にフラれてしまうので、そういう人限定でモテているという、ひっじょーに変なお兄さんだったんです。
 
なにやってたんでしょうね、
私はそこに入ってませんでしたけど!←憎たらしいな、おい。
 
で、なんだってまたそのお兄さんと、一時期だけですけれど、仲良かったのかな、と、さっき、思い出そう思い出そうとしてたんですけれど、なにがきっかけだったか忘れちゃってて思い出せないんですね。←ひでぇな、お前。
 
でも、それで別に済まなそうになる必要は全くない程、なんだか陽気で軽くてハンサムな顔でおしゃれで、多分ですけれど、頭の回転が早い人だったんです。
 
いままでずっと忘れてたんですけれど、あんまり覚えている必要もあんまり感じないほど、軽くて冗談ばっかり言ってる、明るい方でした。
あまりにも急に思い出したので、ひょっとしてどこかで急に死んじゃったかなんかで、お、そういえばあの変な子は元気かな? って部屋を覗きにでも来たのかなっていうくらい、さっき突然、思い出しました。(いや、書き方)
 
ええ、これくらい書いても大丈夫なほどに仲が良かったんです。
 
本当に軽い人で、気がついたらそばに来てて、なんか思い出せないような、どーでもいい冗談言って笑わせてくれたり、爆笑させてもらったりしてました。
それでこっちが笑い終わって、はあ、と涙を拭いてそっち見たら、もうどっか行ってるんですよ。
 
いったいナニしに来たんだろう? 
てゆーか、いまのは? なんか用があったとかじゃなくて?
と、いっつもポカーンとするような、ムダに軽くて素早くてマメな、本当に隅から隅まで、わけのわからない人でした。
 
それで、私は、というとですね。
いまでこそ、いっぱしのポンコツですが。
その頃は、いっつも、しら~っとしていたんです。
スカしてたんだろうし、やっぱり色々なことに身構えてたし、爆笑はするけれど、そのお兄さんのことを文字通り少し離れたところで
「・・なにやってんのかな、この人?」
というシニカルな目で見ていました。
 
きっとそれが面白かったんでしょうし、気楽で気をつかわなくていいから、たぶんラクだったんでしょうね。
 
書きながら思い出しましたけれど。
なんかですね。
ある日、突然、腕時計を見せてもらったんです。
私は腕時計が好きですから、いいな、こういうの欲しいな・・・、と思ってジッと見てたら、いっつもあからさまに相手にしない私が、めずらしく興味を示したのが、また面白かったんでしょうね。
「いる?」
って訊かれたんです。
結構高そうな時計だったんで、
「いやいや、もらえませんよ」
と言いながら、あともう一回言ったらもらおうかな? とか考えていたら(遠慮とは? 奥ゆかしさとは?)、ニヤリと笑って、
「この時計には俺と付き合える権利がついてくる」
って言われたんですね。
 
ナニを言い出すんだよ。と、うまくてパンチの効いた返しを必死で考えてたら、何か、いい感じのことが、その時頭に浮かんだんですね。
それで、言ってやれ!と口を開いた途端、
「ブー!タイムアウトーっ!あーあ、残念。俺と付き合える機会逃しちゃったねー!」
って言って立ち去りかけたんです。
そしてすぐ振り返ってニヤニヤ笑ってるんで、コ・ノ・ヤロウ・・・、と思って、何か可愛くない返しをしたらですね、すっごい爆笑しながら立ち去っていったという、本当にくだらないことを、いま思い出しました。
 
なんというムダな軽さ!
なんというバカバカしさ!
なんという誠意のかけらもなさ!
なんというしょーもなさ!
 
の四冠王だったんです。
バカか!バカだったのか!(笑)
 
そういう意味わかんないことを、さっき突然思い出しました。
 
まぁ、そんなおかしなお兄さんも居たので、私の日々はけっこうくだらなくてバカバカしー毎日でしたよ、ということを申し上げたくて書いてみました。
 
ホントなんだったんだろう、あのお兄さん。(いや、だから書き方)
 
いやー面白かったです。
あんまりいないですよね、ああいう人類。
 
さっきまで、なんだか今年は大騒ぎな一年だったな、としんみりというかグッタリしていたんですけれど、最後に本当にバカバカしーヒトのことを思い出して、思わず吹き出したので、きっとこんな感じなんでしょうね(笑)←?
 
みなさんの一年はどうでしたか?
美味しいものは食べられましたか?
面白い物語には出会えましたか?
ゆっくりできましたか?
 
今年は、ここでの話題は、重たい話題やドン引きする話題が多かったので、驚かれた方も多いと思います。
来年は、ひっそりと楽しい、いつもの毎日にしようと思っていますので、どうか来年も変わらずお付き合いいただけると嬉しいです。
 
毎年恒例の冬休みは、12月31日から明けて1月15日までいただきます。
再開は、1月15日の13時を予定しています。
 
それまでどうかお身体を大切に、ゆっくり心と頭を休めて、ふんわりとお過ごしください。
 
それでは、2023年、今年も1年間ありがとうございました。

来年もどうぞ気軽に、何が何だか相変わらずよくわからないエナメルの、のんべんだらりとした当ブログをよろしくお願い申し上げます。
 
それでは、また1月15日13時に!
 
 
エナメル
 
 
追記
3年間黙って見ていて、ネットって若い方は変わらず入ってきている状態で、上の年齢層が拡大して行っているので、どういうことかお分かりになる方のほうが多いですし、大丈夫だろうと思って、あまり説明せずに書いたんですけれど。
 
ひと晩明けて、読みなおした時に、ひょっとして心の美しい方々はとても良いふうに誤解してくださるかもしれないな、と思ったので、追記します。
 
ムダに軽いお兄さんの、フェイクをかけたバカバカしーことこの上ないやり取りですが。
当時、私もお付き合いしている人が居たので、そういう美しいラブストーリィのような、心理の動きでは全く←(笑)ありません。
 
時計が欲しかったので、うまいこと言ってせしめてやろうと私は思っていたし、ムダに軽いお兄さんのほうは、時計を欲しがっていた私のことをからかって、時計欲しさに急に慎重になった私を爆笑していたんですね。
(遠慮とは? 日本人の美徳とは? )
 
そういう話です。
 
すみません、昔から心が汚れていて(笑) 

20231230 10:17 追記

 
 
20231230 12:50 誤字をなおしました。

 
 
 

2023/12/28

空にたなびく旗


 
「だれかが、なん百万もの星のどれかに咲いている、たった一輪の花が好きだったら、その人は、そのたくさんの星をながめるだけで、幸せになれるんだ。」

 
 

文・絵 ともに
サン=テグジュペリ 作 内藤濯(あろう) 訳 「星の王子さま」より
 
 
子供の頃、クラスや帰り道、ちょっとした教室移動のすき間、給食の時間、図書室での内緒の囁き、そんなところで、星の王子さまの話をよく聞いていた。

小さな私は本を読むのが好きだったけれど、赤毛のアンやあしながおじさんは知っていたし、他の色々も知っていたけれど、あろうことか若草物語を飛ばしてきてしまったから、あれはいいよね、と微笑み合う彼女達を見て冷や汗をかいていたので、黙って必死で彼女達に追いついて、あれはいいよね。と涼しい顔で言うために、なんだか本を読むのに必死だった。
 
その頃だったと思う。
星の王子さま、いいよね、という女の子達に気づいたのは。
 
彼女達は、若草物語を知っている女の子達とは少し違っていた。
どこがどうと言うことではなく、
違う種類の女の子達だった。
いま言葉にすると、星の王子さまを知っていた女の子達は、おしゃれだった。
立ち振る舞い、話し方、言葉の選び方、小さな文房具、持っているペンケースまで、少し大人っぽかったし、シックだったし、それは本革だったし、お茶の時間には、手作りで本当に美味しい、洋菓子を食べているような子達だった。
 
その子達の共通点は「星の王子さまを知っている」だった。
私は気後れしてしまい、若草物語はすぐ読んだのに、星の王子さまは、私にはわからないのではないか、と思った。
読んでもわからないかもしれない。
だから、私は、自分が彼女達に追いつけないことを知るのが怖くて、星の王子さまを、お姉さん達の制服を着る頃まで読んだことはなかった。
 
晴れてお姉さんになった頃、ようやっと星の王子様を図書室で手にとって、その薄さに驚いた。
 
もっと超大作で、冒険物語だろうと思っていたからだ。
 
それで、その頃、放課後の1時間以内か、すき間休みの間に、一気に読んでしまった。
そして、思った。
え? これが本当にあの星の王子さま?
 
つまらなかった。
私は、制服を着たお姉さんになる前に、気後れしていた自分が予感した通り、星の王子さまがわからなかったのだ。
 
愕然とした。
私には星の王子さまがわからないのだ。
と、ものすごい衝撃だった。
 
私の星の王子さまのファーストインプレッションの読解は、
「・・・つまり、私はもう、一生かかっても、あの女の子達に近づけないのだ。」
というものだった。
 
なので、私は、全然わからなかった物語を気にしないことにした。
だって、こんなにつまらないのだし、きっとあの女の子達は、このおしゃれな挿し絵が好きだと言っていたんで、それがカッコよかったのであって、こんな退屈な展開と
なんだかよく泣く王子さましか出てこない、童話なのか、児童文学なのか、もしかしたらと内心ちょっと期待していた、大人のラブ・ストーリィでもない。
(それは、いわゆる、星の王子さまと何かしら、そういう、とにかくまぁ誰かの、素敵で胸踊る、隠れて読むべき、キスで終わる、素敵な素敵な恋愛ストーリィ。)
 
とりあえず私は、そう思うことにした。
だって、つまらないし、何が書いてあるのかわからない。
書いてあるのは、私の好きなものが多かったけれど、王子さまは気難し屋さんで、すぐ泣いて頼りないし、絵の方が断然、素敵という変な本だったのだから。
 
それから、私は、サン=テグジュペリという言葉が歌詞に出てくるポップスを聴くまで、星の王子さまのことをすっかり忘れていた。
 
少しだけ大人に近づいた頃だったと思う。
 
いつものように歌詞をノートに書き写そうとした時、ずいぶん変な名前だな、と手が止まった。
歌を聴いたとき、すごく素敵な響きの言葉だと気になっていたのが、どうも名前らしい表記がしてあった。
名前だとなぜわかったんだろう、と思った。
その時、ああ、アレ。
星の王子さまを書いた人の名前だ。
そして、夜間飛行の香水。あのシンボルの人だ。
とはっきりわかった。
 
驚いた。
まるで、昔、特になんとも思わなかった男の子が、ものすごいハンサムになって、やあ、実は僕は、昔、君のことが好きだったんだよ、と現れたような感じだった。
 
もしそういう時、現実だったらどうするだろうか。
まず、信じない。
そして、すっかりハンサムになっちゃって、と感心する。
 
なぜか。
それは、私の大好きなラブ・コメディの展開では、とてもハンサムな人は、いつもどこか女の子の敵だからだ。
だから、私は、ずっとハンサムな人というものを、心のどこかで怖れていたのだと思う。
 
その時、やっと私は、星の王子さまを読んだのだ。
以前のように、ただ目を通したのではなく、きちんと真正面に座って、私はサン=テグジュペリの物語る内容に耳を傾けた。
 
不思議な話だった。
とても不思議で、不可思議で、なんというか、合図のようなものが散りばめてあって、とても重要で、それでいて大事とか大切とか、そんなふうに言ってはならないことが、そう言ってしまうだけで、この物語が壊れてしまうような、そこを間違えると王子さまが泣いてしまうような、そんな気持ちで、大事に扱わないといけないものだと、私はわかった。
 
これはそういう本だし、これは決して、忘れてはならないものだ。
そして、王子さまは、どうなったのだろう。
と思った。
結末は分かっていた。
けれど、王子さま、結局どうなったのだろう。
そのことが胸にずっと残っていた。
じわりとした熱を帯びたものが、胸に残り続けた。
 
どうしてだろう。
どうしてそんな風に思うのだろう。
私は、この結末が納得できないのだろうか、そう何度も繰り返し自分に訊いた。
違う、と思う。
私は、物語の主人公のように自分に答えた。
 
うまく言えないけれど、そういうことではないと思う。
それから、
そうじゃなくて、何か、私は、この物語の結末の後に、描かないことで大きく示唆されているものを、ひろえていない。
そう思った。
 
それは何か。
それこそが、読書だった。
 
星の王子さまは、私に本当の意味での読書を手渡した本だった。
私に、世界を教え、私は全てを知らないことを教えた、本というものが、その正体が一体なんであるかを、はっきり手渡した著書だ。
 
なので、私の、星の王子さまへの思いは、想いであったし、はしかのようにひととおり、私の場合はセンチメンタルでしかなかった物語内での、やわらかく、優しいものを拾い集め、味わいおわった後、王子さまのことを本当に、慈しむ気持ちを持っていた。
 
星の王子さまは、その後どうなったのだろう。
私の中に残り続けていた疑問は、決して答えてはならない疑問だった。
答えのない問い、を抱き続けていたかったし、そうすることがサン=テグジュペリが読者に示した、決して終わりのない結末というものではないか、と、その思考の深さと手腕への敬意に胸を熱くしていたからだ。
 
ある日、テレビを見ていると、星の王子さまの宣伝が流れていた。
それは、東山紀之さんが星の王子さまを演じていたC Mだった。
私は驚いた。
そこで東山さんが演じていたのは、大人になった星の王子さまだったからだ。
 
あの星らしい場所で、相変わらずの不思議な佇まいで、大人になったせいか少しだけ憂鬱で、けれど毅然としていて、凛々しくて、知的で、清潔で、美しい、きっと星の王子さまが大人になるとこうだっただろうな、というもの全部を、全身で示していたのが、東山紀之さんだった。
 
大人になれたんだ。
私は、とっさにそう思った。
同じことを感じていた人がいたんだ。
やはりあの読解は、間違っていなかったんだ。
これが、答えだ。
何年も後になって、私は、サン=テグジュペリの読者から、解答をもらったのだと、強く感じた。
なぜ、そうわかったかといえば、東山紀之さんは、星の王子さまが大人になった全部を表現して、そのC Mに出演していたからだ。
なぜそんなことが、できるのだろうか。
 
何年も何年も経過した後に、一冊の本の答えを、解答を、絶対解を、作品世界からの応答を、どうして東山紀之さんは手渡せるのだろう。
このC Mを創ったサン=テグジュペリの読者は、なぜそれがわかったのだろう。
 
理由は、東山紀之さんなら、可能だったからだ。
 
それから私はこうも思った。

大人になった星の王子さまは、何を伝えたかったのだろう。
私達の前に姿を現し、
あの世界の中で、ぼくは生き続ける。
そう私達に手渡した、大人になった星の王子さまが示したものは、なんだったんだろう。
 
それは、終わることのない物語の果てにある、永遠ではなかっただろうか。
 
それからずっと後になって、私は不思議なめぐり合わせで、東山紀之さんが籍を置く、旧ジャニーズ事務所のグループを応援することになった。
 
その頃、初めて、CMの中に見た、大人になった星の王子さまを体現していた東山紀之さんが、旧ジャニーズ事務所の旗印だったことを知った。
 
東山紀之さんは、ご自身を厳しく鍛える方で有名だった。
いつも東山紀之さんは、必ず、徹底的に準備をして仕事に臨むことで有名だった。
 
少し朗らかなところ、何をしていても気品があり、凛々しく、堂々としていて、それでいてどこか内省の雰囲気があり、旧ジャニーズ事務所に所属していたタレント達の尊敬と憧れと、おそらくは、ちょっとだけ畏怖を集めていた。
 
東山紀之さんは、いつも正しくあろうとしていた。
常に恥ずかしくないように、振る舞っていた。

どうしてそこまでされるのだろう、と疑問に思った瞬間、すぐに答えがわかった。
東山紀之さんは、旗印という役割を絶対に間違えてはならない、という姿を見せていた。
その姿には、常に鞘に入れない、取り出したままの真剣のような緊張感があった。
 
人間には、色々な時がある。
けれど、どんな時でも、東山さんは必ず、模範的な解答をし行動をとった。
東山さんは、そうしながら、常に、旧ジャニーズのタレントを、そのファンを、スタッフを、守っていた。
高らかになびく旗として、東山紀之さんは、旗という役割りを渡された自身を続ける生き方を、選び続けていた。
 
私達は、東山さんを、そんな方が旗印になってくださっていることを、旗であり続けていること、そのように生きることで皆を常に勇気づけていることを、いつも誇らしく思っていた。
 
私は、とうに離れたものなので、これがファンダムを詳しく説明する言葉だと思われると迷惑がかかるので、そうではないことを、前置くが。
 
東山紀之さんは、私達の誇りだった。
誇りが人の形をしたものが、東山紀之さんだった。
 
私達の誇りであり続けることを選び、誇りであり続けようと生きている方だからこそ、少しの間、東山紀之さんが芸能のお仕事を離れ、苦しんでいる方達のために、全てを捧げる選択をされたことも、本当に誇らしい。
 
私達の旗印だったのだから、どんなに辛く苦しい時であっても決して降ろさない、たなびき続ける旗であろうとする人だから、この選択をされたのだと、誰もが深く敬意をはらっている。
 
東山紀之さんという方は、そういう人だ。
 
だからこそ、東山紀之さんは、大人になった星の王子さまを体現してみせ、サン=テグジュペリが描かないことで示した、ある解を、いつかの読者の未来に、手渡すことができたのだ。
永遠というものは、決して描くことができないが、終わりなくこの物語の結末に記されている、と、手渡すことができた人だからこそ、東山紀之さんは、ファンダムにとって永遠の存在なのだろう。
 
私にとって、東山紀之さんは、初めて読書というものを教えてくれたサン=テグジュペリからの訪問者だ。
時を超え、解を手渡してくれた絶対解の存在だ。
 
時々、東山紀之さんは、私にとっての星の王子さまなのだろうか、と思うことがある。
 
東山紀之さんは、いつまでもたなびく永遠の旗だし、その旗を胸に、高らかに前に進み続ける現代の王子様諸氏も同じく、それぞれのファンダムにとっては絶対的な旗だ。
そしてまた、ファンダムも王子様諸氏にとって圧倒的な旗だ。
揺るぎない、たったひとつの目印だ。
 
この関係を世界の方々は、不思議に思われるだろう。
 
ファンダムは王子様諸氏を、その永遠の旗を守り、共にあり続けるし、そこを後にした者も、どこかで共にあり続ける。
何かあればその胸で必ず応援し、支持し、美しい心で駆けつける。
 
伝統のある事務所だった。
時代により掲げられた旗も、王子から王になった方々も、それを支え続ける方々も、少しずつ変わっていった。
 
私達にとっての旗は、東山紀之さんだ。
それはこれからも変わらない。
変わるわけがない。
 
その旗を愛し、その旗の元に集まる王子達を愛し、王子達の旗である、ばら色の青春達は、ファンダムを離れても、なつかしく同じ気持ちを持ち続けている。
 
そのちょっとだけ不思議な、いつかどこかで確かに交わし合った素敵な約束は、案外、永遠というものかもしれない、なんて、私は結構、本気で思っている。
 
描かれなかったことで、受け渡してもらえた、あの物語の結末のように。
 
 
 
 
<過去も現在も未来も、私にとっての星の王子さま達へ、この文を捧ぐ。>
 
 
 
 
おそらく、人の生の中で最も輝かしいものであるとされる
青年期のひとときを、こちらのファンダムで過ごせたことが私の大切な思い出です。
そこに燦然といつまでも輝き続ける東山紀之さんという旗に、胸ふくらませた幸運を忘れません。
ありがとうございました。
 
東さんと最愛のファンの方々との未来での再会を、及ばずながら私も心からお祈りしております。
 
  
 
 
 
 
 
 
20231228 16:08 句読点と誤字をいくつかなおしました。
20231228 16:13 冒頭の説明箇所をなおしました。
20231228 22:23 誤字をなおしました。


2023/12/27

赤い木瓜になる予定です。


 
先生はいつも私達読者に、本当の意味で本当のことを伝えてくださっていました。
なので、私は、また先生にお逢いできる約束ができたのだと思います。
 
次回、どこかよその世界に生まれるときは、天国の先生の、次回の終の住処の庭に生える、木瓜になって生まれ変わろうと思います。
そうしたら、先生の生涯の伴侶のかたとの幸せな結末をまた拝見できますし、花の季節には、元気いっぱいの赤い花を咲かせ、お二方をお慰めできるからです。
 
これはご存知の通り、夏目漱石の真似です。
なので、「漱石の真似をするなど生意気である」と見事、私を引っ掛けてくださった、天国でお友達と一緒に豪快に笑っている先生に、へし折られないように気をつけようと思います。
それに私が余計なことをせずとも、とっくに先生は全てにパンチを返しまくって天国に旅立たれていますしね。
 
ちなみに木瓜の花言葉は、「先駆者」「指導者」「魅惑的な恋」「一目惚れ」なんだそうですが、先生のお気を悪くしないといいのですけれど、もちろん「先駆者」「指導者」として咲きます。先生のシンボルツリーにぴったりだと思います。
 
ところでこれは、私の大好きなダブルミーニングでもなんでもないんですけれど。
多分ですねー、不要と存じます。
申し訳ございませんが、私はそんなに優しくはないんです。
 
誰なんでしょう。私が優しいなんてデマを流したのは。
面白い方もいるものですね。
誰も信じないと思うんですけれど。
 
そういうわけで、そういう意味では、私はしばらく「留守」とさせていただきます。
次回の更新は、明日の28日通常通り13時です。
 
年末、とてもお忙しいでしょうが、読んで下さると嬉しいです。
 
エナメル
 
 
 
 
 

2023/12/24

そばに、つゆをどのくらいつけるか


 
 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
今日は、お蕎麦の話題ですので、アレルギーをお持ちの方は、うどん、またはつけ麺と思って読んでいただければ、と思います。
 
2023年現在、家庭でのそばの旬は、冬です。
 
これは乾麺をお家で茹でて食べる時の話。
蕎麦の乾麺を鍋で袋に表示された時間通りに茹でて、最後、水でしめる時、水道水が1番、麺がしまる水温になるのが、冬だからです。
 
地域によって差がありますが、晩秋、冬、初春の、水道水で手を洗うと切れそうなほどになっていく、あの冷たさが、麺が1番、シコシコ、もちもちする水温だと、私は思っています。
 
なので、私は、主に冬にざる蕎麦を食べます。
温かいお蕎麦の場合でも、冷たい水道水で洗って、キュッとしまった麺をどんぶりに先に入れておいて、作ったり温めたりしたお蕎麦のつゆを上から掛けると、あ、これ! というお店でいただく温かいお蕎麦になるんですね。
 
ざる蕎麦の場合も同様で、しめた麺をお皿に盛って、麺つゆを好みの薄さに水で割ってつけて食べたり、付属のつゆを蕎麦猪口に入れて(なければ小さなグラス)、いつも通りにつけて楽しんでいます。
 
・・・お蕎麦ってなんであんなにうるさいこと言う人が多いんでしょうね。←(笑)
 
蕎麦にこだわりがある、うるさい、ではなく、人の食べ方に何だかあれこれケチをつけて、聞こえよがしに言う人ってたまに遭遇しますよね。
 
私は、完全に無視して食べるか、お蕎麦をすする、すすらない、で聞こえよがしに文句を言われた時は、「このあたりじゃ蕎麦をすすって食べないの?」と連れに言ったり、お店の人に訊いたりするようにしています。
(こういう時は、チキンなくせに、急に負けず嫌いスイッチが入るんですよね。お店出たり家に帰って、胸がドキドキし始めますけれど。)
 
すする、すすらないは、色々とデリケートな問題ですから、初デートの時や、初めて一緒にお蕎麦や麺類を食べにいく時は、「私はすする派(または、すすらない派)ですけど、どっちですか?」とお店の前で訊いておくといいのではないでしょうか。
 
私は基本すする派ですけれど、苦手な人には合わせます。
美味しさには、場所や体感や雰囲気が組み込まれますので。
 
お蕎麦は好きに食べましょう!
 
さて、お蕎麦を食べる時、つゆにお蕎麦をどのくらいつけたらいいか、緊張しませんか?
お蕎麦学級委員(勝手に命名)の目が怖くて。
 
私は、正直、うっさいなーと思ってる派なんですけれど。
その人がその人のお金払って食べてるんだから、好きなように食べればいいじゃない派です。
 
余計な口出しをする半可通が私は大嫌いですので、ここで池波正太郎先生をお呼びしたいと思います。(虎の威を借る狐)
 
以前、ご紹介したと思いますけれど、池波正太郎著「江戸前 通の歳時記(集英社文庫)」にですね、ちゃんと書いてあるんです!!
 
そばのつゆにしても、ちょっと先だけつけてスーッとやるのが本当だと言うけれど、これだって一概に言えないんだ。つゆが薄い場合はどっぷりつけていいんだよ。
(江戸前 通の歳時記 池波正太郎 酒肴エッセイ選集 高丘卓 編 第6刷 P157 より 引用)

 
はい!池波センセーからオッケー出ました!!
 
みなさん、つゆが薄い時は、お蕎麦をしっかりつけて食べていいんです!
これから、どんどんつけて食べてましょう!
 
詳細は本をぜひ読んでいただきたいんですけれど、要は口の中で蕎麦とつゆの味が「ちょうど良く」なれば、それでいいんだそうです。
 
美味しかったらいいんですよ。
美味しかったら!(なにがあったんだよ(笑))
 
池波正太郎は、東京・下町の出身で、お祖父様は江戸時代からの職人さんだったそうです。
幼少の頃からお祖父様にあちこちお店に連れていってもらっていて、出歩く時は必ず「祝儀袋」を持って外に出なさい、と教えていただいていたんだそうです。
(祝儀袋とはチップを入れる、とても小さな紙の封筒)
 
私は、以前、東京のお蕎麦の名店「薮(やぶ)」のお蕎麦セットをいただいたことがあるんですが。
麺をお家で茹でて水道水でしめて、付属の缶に入っている「薮」のつゆでいただくものでした。
確かに「薮」のおつゆはとても濃くて、よく言われている、蕎麦の先にちょん、とつけて食べるとちょうどいい味になるものでした。
 
どうしておつゆを濃くしてあるのか、そこは存じ上げないんですけれど、「江戸前 通の歳時記」の中で池波正太郎が言っているように、この食べ方が口の中でお蕎麦の味とつゆの味がちょうど良くなる食べ方、なんですね。
 
なので、つゆがそこまで濃くない場合は、お蕎麦はしっかりつけて食べていいのだし、美味しいと思う食べ方でいいんだ、と私も意見を同じくしました。
 
冷たいお蕎麦もうどんも、私はスーパーで売っている乾麺を茹でて、市販の麺つゆ(3倍濃縮)のつゆを水で割ったものにつけて食べています。
 
これは、乾麺のほうが、水道の水温に合わせて茹で時間の塩梅を変えられるからが大きいですし、食べたいときにお蕎麦を食べたいので、袋麺を買うとせわしない気持ちになるからです。
袋麺派の方は、冷凍庫に保存しているのかもしれませんね。
 
麺つゆは、そうは言ってもそこまでレギュラーにお蕎麦を食べていないので、保存のきく濃縮麺つゆにしています。(手作り派の方もおられますよね。)
 
この頃は、うどんは、カトキチの冷凍麺を冷凍庫にストックして、食べたいときにお鍋で温めたつゆに入れて、好きな具材をトッピングして食べています。
 
やっと寒くなってきたことだし、鍋焼きうどんもいいですよね。
 
先週は、ちょっとバタバタしていて、日中の時間配分も狂ってしまっていて、なんだか全然落ち着きませんでした。
でも、なんだったか温かくて具材の多いスープを飲んだら、緊張してガチガチになっていた体が、ほっと緩みました。
 
温かいものを口にしてみてくださいね。
それだけでだいぶ違いますから。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。