休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2024/01/07

日曜版の海賊版


 
お休みは15日までですので、本日は日曜版の更新はありません。
 
というわけでこれは海賊版です。
 
この頃、私はチキンラーメンです。
それまで袋ラーメン派なのは、そうだったんですけれど。
お鍋で作って、野菜と卵を入れて食べるのが好きだったんです。
でも、去年の後半、もうめんどくさくなってしまってですね。
チキンラーメン、美味しいよね・・・。
と思ってですね、ひと袋ずつ買っていたんですけれど、とうとうこの間、ドラッグストアで5食入りのを買ってしまいましたー。
 
で、日曜の午前2時ごろ、お腹空いたな・・・。と思った瞬間、「チキンラーメン食べよう!」といきなり作って食べて、さっき起きて若干、胃もたれがしています。
朝ごはんは食べないつもりです。
 
 
 

私はですね、卵ポケットに乗っけるのが上手です。
 
 
 

それにお湯を注いで。袋通りの分量派です。
 
 
 
 

 ラップして3分待ちます。
 
 
 
 
 
んで、出来上がり。
 
 
 
卵は、気分ですけれど、割って食べずに、最後に残ったのをスプーンですくって食べます。
時々、すっごい熱くなっているので、注意が必要です。
 
 
それでは、素敵なチキンラーメンをお過ごしください。
 
 
 
 
 
 
 
 

昔の私が感じたこと


 
私は、昔、当時やっていた日記のようなもので、その当時の日本の音楽チャートをディスったことがあります。
その言葉を書いてしまうと、何が起こっているかわからない方々が大騒ぎになるので書きません。
私は不要な注目を浴びるのが嫌いなので。
言葉を書かない理由は、それのみだけで、いま書いても特に私自身は抵抗はありません。
 
そのあと起こったことについて、20年近く私は黙っていましたが、これからも黙っているつもりです。
 
その間、私の人生でいろいろある中、とある演芸評論家さんの過去の評論集を読んだことがあります。
図書館で貸りたか、館内で読みました。
すでに他界されていた方で、その評論集に、このジャンルはもう終わりだ。と書いていた本文を出版された後、その評論集にまとめるにあたり、珍しく付記がなされていました。
 
そこには、私は過去にこう書いたが、そのジャンルは終わらなかったのである。という文章が添えられていました。
 
なので、この件について、撤回するならば、どうすればいいかは知っています。
 
ですが、私は当時の日本の音楽チャートを見て、そして全部ではないけれど聴ける範囲、耳に飛び込んでいるものを聴いて、そう思ったから、そう書きました。
私がやっていたのは評論でもなんでもなく、ただの感想を書いていたにすぎません。
 
もしそれが原因というか要因であるなら、私からは特に何も言うことはありません。

当時の私は確かにそう思いました。
だから書きました。
それを、20年後(およそ)の私が、勝手に撤回することはできません。
そんなことをすれば、過去の私に怒られるからです。
未来の20年も後の自分なんて他人同然の奴が、いま私が感じていることを勝手に撤回するな!と怒ると思いますし、それは未来の私も同じ意見です。
 
そう思いました。
だから、そのように書きました。
 
それが20年近くそちらのジャンル? 界隈全体で袋叩きにされる理由であると言うなら、その目的がわかりません。
個人の感想を言わせなくするためでしょうか?
今後、思ったことを率直に言葉にすることをやめさせたいからでしょうか?
 
もしそうであるなら、私は、そのことについて意見を持っていますが、それを書きません。
 
なぜ書いたのか、という疑問や、20年近く、繰り返し繰り返し、執拗に続ける目的は一体どの部分なのか、一切明らかにせず続けるやり方をする価値観に対し、対話する価値を見出さないからです。
 
デジタルタトゥーということで、ネットにあげたものは消せませんが、そうであってもそれは個人的に誰かが保存をしなければ、残りません。
そして、私は過去にその場所での日記のようなものの公開を止めたか、別のプラットフォームに移動した時に、自分の責任の範囲でやれる消去作業はきちんと行っています。キャッシュも含めて。
 
私は確かに過去にそのように感じ、感想を書きました。
それを自戒のように覚えているでもなく、過去のただの感想のひとつとしてぼんやり記憶しているにすぎません。
私にとってはそれだけです。
 
申し訳ありませんが、撤回はしません。
この件について、これ以上、私からは申し上げることはありません。

ご意見等ございましたら、こちらまでメールをください。
 
 
付記
いま書いていて思い出したことを書きます。
ぼんやりした記憶なので、正確ではないかもしれません。
 
当時、その感想を公開した後、音楽の話をしている場所に、どのくらい経ってかは覚えていませんが、覗きにいくと、まるで私の日記が号令のように、当時の音楽チャートに対して大ディスり大会が始まっていました。
 
それで、書いたことを撤回するつもりは、いまでもありませんし、当時もありませんでしたが、ややこしいことに巻き込まれるのが嫌で、確かその日の日記だけ、消したか、訂正したか、をしたと記憶しています。
なにか、差し障りの無い理由を書きました。
本当の理由を書けば、もっと大騒ぎになるからです。
なんか、感情的になってしまって・・・、とかなんとか書いたような、そういう記憶です。
 
20240107 16:51 本文の「当時の音楽チャート」を「当時の日本の音楽チャート」に変更しました。 
20240108 11:00 本文冒頭も上と同じ変更を入れました。
 
 
 
 
 
 

2024/01/06

眠れぬ夜に聴く音楽 5 アンバー・マーク 「Love Is Stronger Than Pride」

 
 




 
 
「Love Is Stronger Than Pride」 
アンバー・マーク


 
夜ですから、ボリュームに気をつけて聴いてみてくださいね。
 
私と同じ種類の方々は、とりたててなんということもない内容が書かれている文字を目で追っていると、落ち着く傾向を持っています。
なので、私は、この後、4日間くらい、誰の心も刺激しない、こわくない、気持ちを動揺させない、普段の話題を音楽のご紹介と共に書きます。
 
更新は、夜の10時です。
なので、よかったら、しばらくの間、お付き合いください。
 

気楽な話の前に、少し真面目な話を。

1月1日を含めて、今日で6日経過しています。
私は、今日は大丈夫かな、と思ってニュースをチェックしたんですけれど、やはり呼吸が少し荒くなってしまって、知りたい情報を、それ以上、具合が悪くならないうちにと、大急ぎで読み終わった後も、しばらくは気分がすぐれず、吐き気も少しありました。

なので、決して無理をなさらないでくださいね。
 
あちこち募金や義援金の窓口が設置されています。
2011年の経験上、いまできることは募金や義援金を送ることです。
また、メッセージを送れる場所で送ることです。
そして、普段の状態を維持することです。
 
この先、いろいろなやり方が出てきますが、とにかく経済を潤わせることが先決になってきます。
なので、被災地に送ることもですが、いまご自身ができる経済活動をやめないで、続けてください。
日常生活を送ることがとても必要になってきます。
 
私が読めた範囲では、まだまだ厳しい状況が続いています。
いまはプロの方々が可能な方が、ボランティアに入っているようですね。
まだそういう段階です。

ですから、経済支援がもっと必要になる時のために、言い方は雑ですが、いまはご自分の住む街や町に、普段通りのお金を落としていてください。
 
 苦手な情報からは距離をとって、体を締め付けない服を着たり、好きな音楽をかけたり、自分が1番疲れないものを読んだり、可能な方は、明るい時間に散歩に行ったりしてみてくださいね。
 
そして、少しでも、いつもと同じ状態でないことに気がついたら、必ず、お医者様を頼ってくださいね。

私の住む街は今日、晴れていたので、散歩に行きました。
 
 
 

 
写真は、八百屋さんの戦利品です。
これが、なめこです。
今夜は、これの味噌汁と専門店の練り物各種をガツガツいただく予定です。
 
 
アンバー・マークをとっくにここで話題に上げたと思い込んでいたんですけれど、やっていなかったことがさっきわかり、愕然としています(笑)
 
こちらはシャーデーの同曲のカバーとなります。
 
私、いつだったか、アンバー・マークを見つけたときに、スポティファイで聴いていた記憶があるんですけれど。
さっそく音楽の話題にしようと思ってたはずなんですけれど、どうも他のことに気を取られてしまい、いつの間にかスポティファイ自体を開かなくなっていったようです。
 
昨日話題にした、プリンス&ザ・レボリューションの「Sometime It Snows In April」についてのウィキをGoogle Chromeの翻訳で調べていたら、U Kガレージというジャンルの話題も入っていて、そこをクリックしたら、U Kガレージについて詳しく説明してあったんです。

そこで、アンバー・マークの名前を見つけて、あ! 私、UKガレージが好きなんだ。と早速、スポティファイで探しまくって、好きな楽曲をiTunesで買ったりしていました。
 
アンバー・マークは、同じくGoogle Chromeの訳に頼りながらウィキペディアを見るとですね。
 
2016年にデビューシングル「SPACE」をサウンドクラウドにリリースして、2017年にアルバム「3:33am」でアルバムデビューをしています。
 
こちらのカバーが収録されているアルバムは「Conexão」(コネクサン)で、デジタルダウンロードのみの展開です。
 
(以上、ウィキペディア アンバー・マーク https://w.wiki/8kYb より)
 
私はシャーデーの「Love Is Stronger Than Pride」をずっと聴いているんですけれど、アンバー・マークのカバーはすごく再解釈として成功していると思います。
 
原曲を意識しすぎず、アンバー・マークのその当時の鼓動に合わせているかのようなリズム展開とコーラスのみで展開されてるアンバー・マーク版の「Love Is Stronger Than Pride」は、聴いていて良い違和感に埋め尽くされていると思います。
 
シャーデー版は、灼ける砂に傾きかける、溶けた太陽をイメージさせる乾きがありますが、アンバー・マーク版は、重なり合うコーラスが雑踏の人々をイメージさせるんですよね。



 

Amber Mark - Love Is Stronger Than Pride (Official Video) 

Amber Mark Official チャンネルより

 


オフィシャルM Vですが、明るい夜の街角を歩くアンバー・マークが、繰り返し同じ映像で出てくるんです。

奇妙ですけれど、その違和感が調和していて、アンバー・マークの持つ日常感や現実感は、多重録音のような、重なっていく繰り返し、という感覚なのかな、と感じました。
 
「Love Is Stronger Than Pride」という言葉は、愛はプライドより強いのよ、という訳で私は自分の中に入れています。
 
いま素晴らしい訳を検索して拝読したら、こんな歌詞だったの? と驚いたんですが。
私はてっきり、この曲は、
愛はプライドより強いのよ。そのことをあなたに教えてあげるわ。的な、
愛とはものすごいものなんですよ!的な歌だとばかり思っていたんですね。(なぜ、長年聴いていて調べないのか。)
 
どちらかというと、物哀しい、許せない相手をいまだに愛している激情が静かに物語られる内容でした。
 
叫びすぎてもう声が出なくなってしまった、それほどまでに激しい気持ちが沈黙に気化してしまったような、そういう内容の楽曲でした。
びっくり。
 
・・・わ・私は、こんなに激しい気持ちは、誰に対しても持てないです。すみません。←苦笑
 
それでは、また明日の夜10時に、お会いしましょう。
 
 
 
 
 
 

2024/01/05

眠れぬ夜に聴く音楽 4 プリンス&ザ・レボリューション 「Sometimes It Snows In April」 


 
 
 
 
 
 
 
「Sometimes It Snows In April」 
プリンス&ザ・レボリューション
  
 
夜ですから、ボリュームに気をつけて聴いてみてくださいね。
 
私と同じ種類の方々は、とりたててなんということもない内容が書かれている文字を目で追っていると、落ち着く傾向を持っています。
なので、私は、この後、5日間くらい、誰の心も刺激しない、こわくない、気持ちを動揺させない、普段の話題を音楽のご紹介と共に書きます。
 
更新は、夜の10時です。
なので、よかったら、しばらくの間、お付き合いください。
 
去年もご紹介した「Sometimes It Snows In April」 ですが、この楽曲を知って以来、私は、気持ちが疲れた時なんかによくかけています。
 
色々と素晴らしい訳があるんですが、私はシンプルに「4月には、ときどき雪が降る」という字面で気持ちの中にしまっています。
 
プリンスのオフィシャルサイトの解説によると、この「Sometimes It Snows In April」 は1977年ごろから未完成の曲として何年も存在していましたが、1985年に録音されたんだそうです。
(Google Chromeの日本語訳より)
 
参照リンク
プリンス オフィシャルサイト
PRINCEVAULT
https://princevault.com/index.php?title=Sometimes_It_Snows_In_April
 
 
元は、1986年プリンスの映画「アンダー・ザ・チェリー・ムーン」のサウンド・トラックだったんですけれど、ずっと昔から未完成の曲として存在していたということは、プリンスの巨大な人生の中で、こういった無常の中に愛が光る人生観があったのですから、プリンスというミュージシャンの多彩さと深み、凄み、のようなものを、この楽曲に私は強く感じます。
 
私が、「Sometimes It Snows In April」がとても好きな理由に、メロディラインからの連想に、全てが通り過ぎた後の静寂の中に陽だまりがただ、ある、午後早くのイメージがあるからです。
 
私の頭の中には、その午後早くに、雪が舞い散り、落ちるまでもなく消えていく、あせた陽だまりの情景があります。
花の季節に、場違いですらある祝福が、ただ力無く静かに降っている。
そんな、無常観すら感じさせる映像があるので、この曲がとても好きなんですね。
 
歌詞は素晴らしい訳がされていますので、ぜひ「Sometimes It Snows In April 和訳」で検索して読んでみてください。
 
2020年前後に、私はコンサートやライブで、ファンがアーティストと緒に合唱するシング・アロング(sing along)のことを知りました。
 
私は、それまで、ライブに行って好きな曲をアーティストがやってくれても、胸の中で緒に歌う、という感じで、外から見ると、ただ目を見開いて(怖いよ)、アーティストをガン見しているにとどめていたんですね。
 
ですが、2020年前後には、会場でファンとアーティストが一緒に大合唱する光景が当たり前になっていると知り、最初は驚いたんです。
行った人は、アーティストの歌を聴きたいだろうに、他の人の歌声が混ざって嫌じゃないのかな。私は、正直それはちょっと迷惑だな、と思いました。
 
私がライブに行く目的は、アーティストの演奏と生歌と生パフォーマンスを聴きに行き、感じに行くのであって、皆で緒に歌う一体感が欲しくて行ってるわけではないからです。
 
けれど、プリンスの「Sometimes It Snows In April」のとあるライブ動画を見て、少し、考えが「増えました。」
 
ライブに行く目的は、書いたように、聴きに行き、感じに行く、のは変わらないんですけれど、その楽曲への愛情を表現するのに緒に歌うのも、また、そのライブを感じることに変わりはない、と価値観が増えたんです。
 
なんかですね、以前、プリンスが、アコースティックギターでこの「Sometimes It Snows In April」を、小さなホールのようなところで演奏している動画を見たんですね。
そうしたら、そこでシンガロングが起こっていたんです。(※)
 
プリンスといえば世界的な大スーパースターですから、みんな、拝聴する、という姿勢なんだと思うんです。もっと能動的で応援する、声援を送る。そんな感じで。
 
でも、その動画では、この楽曲をアコースティックギターで弾き語るプリンスと一緒に、会場に集まった人たちが、ただ嬉しそうに緒に歌っているんです。
 
自分の歌声を聴いてほしいのではなく、プリンスと緒に歌いたいんですね。
観客への煽りでも、盛り上げるためでもなく、沸き起こったシンガロングに、ステージ上のプリンスは、すごく優しい顔で、そんな愛するファンの願いに応えている。
 
きっとプリンスも、
「僕も緒に歌いたいよ。みんなで緒に歌おうね。」
と思っていたんじゃないかな、なんて、私はすごく温かい気持ちになりました。
 
それでは、また明日の夜10時に、お会いしましょう。
 
 
※ その動画を、私はオフィシャルの動画かと勘違いしていたみたいで、どうも別の動画だったようです。確認の為、検索しても出て来ないんですよね。なんだったんだろう、あの動画。幸せな夢?←違うと思うよ。
 
 
 
20240106 09:09 誤字、文章をなおしました。
 
 
 
 

To チョン・ホソク 2024/ Junuary


 
J-HOPEさん、こんにちは。
なんだか、ものすごく久しぶりにお手紙を書きます。
 
年末、BTSの残りのメンバーの入隊の時のお写真を拝見しました。
キリッと逞しくなられてて誇らしいです。
 
私が育てているJ-HOPEさんの花は、やっと上部が枯れてくれて、これから下部の球根を次の開花季節まで保存する段階に入りました。
育て方自体は間違ってはいないのですが、合っているのかどうかが非常に謎です(笑)
 
私は、軍での階級? お立場? が上がっていくということをよく知りませんので、特急戦士が実際どのくらいの責務を背負うのかわかりません。
けれど、J-HOPEさんの顔つきが、さらに健康的で凛々しくなられていたので、きっと責任はあるけれどJ-HOPEさんは心地よく過ごされているのだと思っています。
 
厳しい季節が始まっていますので、どうかお身体くれぐれもご自愛ください。
 
と、ここまでが、私の書きたかったJ-HOPEさんへの手紙ですが。
迷ったのですが、今回、初めて、私の考えをお伝えしたいと思います。
 
去年の夏頃、J-HOPEさんはウィバースで、「僕は、チョン・ホソクとJ-HOPE、二つの名前を生きている」と書かれたことを覚えておられますか?
 
その時、ちょうど私は自分のネガティブな過去について明記した時だったので、なんだか自分に言われているような気がしました。
 
それを読んで私は、いつもJ-HOPEさんやみなさんに良い影響を受けていますので、自分と考えが違っても、まずはやってみようと思いました。
 
なので、それからしばらくは、私はエナメルというニックネームなのですけれど、商品を買ったり、お礼のコメント書いたり、そういうところでも、公開する時は、なるたけエナメルという名前を使っていました。
 
また、私は、もう何十年ぶりかに、今回、ニックネームを明らかにしたままの個人のブログを数年にわたって動かしているのですけれど、その間、実は、まったくインターネット上のコミュニケーションの場所に参加しておりませんでした。
理由は、追いかけ回されて、何か投稿するとすぐに秒速で私個人への返信がつくようになっていたからです。
なので、辟易して、全くやらなくなりました。
きっとそれが相手の目的だったのでしょうね。
 
2011年頃、ちょっと事情があってあまり記憶できていないのですが、ツイッターをクローズで動かしていましたが、特にオープンで何か書いていた記憶はありません。
またその時は、匿名というか名乗らず、ブログのような小さな場所で何か書いていたという記憶があります。
でも、なんでしたか、名乗っていたのかどうかもよく覚えていません。
 
話が逸れましたが、そういうわけで、私がコミュニケーションの場所に参加したのは、数十年ぶりにウィバースで、あちらでのニックネームだけでした。
あまりうまく参加できていなかったので、ほとんどARMYさんへの応援ボタンを押したり、うっすらコメントをしたり、時には、堂々と意見を戦わせたこともあります。
でも、ずっとウィバースでも同じひとつのニックネームを名乗り続けています。
昨年の後半は、個人的に色々ありすぎて、ウィバースに行くことも数回もなかったはずです。
 
実は、私はファンフィクションを趣味でやる人間なので、いまから半年近くは、何も情報を入れられない状態に入ります。
私はそういうスタイルで、物語を作ります。
なので、よほどのことがない限り、ウィバースをただ見ているだけであっても、行きません。
 
残念なのは、ARMYさん達の愛のポストが見られないこと、ARMYさん達のあたりまえな、とても尊い毎日の様子を綴る言葉が見られないのが、とてもとても残念です。
 
私は、J-HOPEさんの「僕は、チョン・ホソクとJ-HOPEの二つの名前を生きている」という言葉を拝見したとき、正直に申し上げると、私とは違うな、と思いました。
 
文豪を気取るわけではないのですが。
ファンフィクションを書く時も、ネットで日記のようなものを書く時も、何かコミュニケーションをとる場所でも、違うニックネームを名乗ることは、悪いことではないと、私は考えています。
 
それは、私の坂の上の雲というより、坂の上の宇宙の果ての存在の夏目漱石ですら、場所や歌を詠む時は、名前を変えていたからです。
 
なので、私は、自分の書くものに興味を持ってくださる方がもしおられたとしたら、ああ、ここではこの名前を使っていたのだな。ああ、これはあれのもじりだな。とか、そうやって、探していくのが面白いと思いました。
そういうのがインターネットの醍醐味だと思うんです。
 
私は、プロにはなれません。
仮に、この先、隕石が頭にぶつかって才能を得てプロになれたのなら、私はきっとそちらのルールに従うと思います。
それが、伝統であり、マナーですので。
 
でも、ネットでは、これでいいと思っています。
謎めきたい、というより、自分は、自分は、と主張するのが嫌いなんです。
なので、私はやはり、自分の考え通り、エナメルと名乗るのはここだけで、じきに公開するだろうファンフィクションでは、全く違う筆名を名乗る予定です。
 
文責のありかをどうするのか、といえば、その名前でも名前に専用のメールアドレスをリンクし、過去そうであったように、参考文献は全て明記し、これは日本の有名作家の真似ですが、参考文献の理解が及ばないのは、自分の責任である旨を明記する予定です。
 
ずっと離れていたので、現在のファンフィクションがどのようなものを指すのかわかりませんが、私の書くファンフィクションは、昔も、今も、ボーイズラブではない、ただの物語であり、メディア公開されている情報だけを頼りに創っていくものです。
それが1番、読んでくださる方が喜んでくださっていたので、これからもそうしようと思います。
 
読者の方を向いて書きなさい。
とは、雲の上で今もなお、名高座をかけておられる、敬愛する噺家さんの言葉です。
私は、今回もそうする予定です。
 
私の座右の銘は、「自分に従え」です。
これは、アドバイスや良い影響を無視しろというのではなく、最後は自分に従わなければならない。自分で決め、自分で実行する。その責務は全て自分の判断である。という言葉です。
昔、教えられたはずなんですが、誰に教わったのか、忘れてしまっているほど、私の就いていた職業では、当たり前に使われている言葉でした。
 
なので、もしJ-HOPEさんが、自分が大切にしている部分で、違う価値観を持つ相手は、違うと思う、というのであれば、それは仕方がないと思っています。
 
私は、良い影響を受ける相手であっても、相手の考えで、自分の全部を作り替えることはできません。
私は、私に従います。
 
それでは、またお手紙いたします。
 
無事のお帰りを待っています。