2024/02/10

メニューにいくつか投稿を追加しました。

右欄、上部のメニューに、いくつか投稿を追加しました。
 
メニューに追加しているのは、優先して読んでもらいたい投稿です。
どういう人物で、どういう価値観を持ち、何を考えているのか、どういう状況をインターネット上で象形しているのか、よくわかるのではないかと思います。
 
 
ご心配頂いた方は、この限りでは決してありませんが。
 
考えるために突っ立ってんの!
(他にどうやって家の中で身体性持たせるんだよ。私の部屋は御殿か!)
 
過敏で臆病な上、思考クロックが異様に遅いんです。
 
理解を脅迫なんか絶対してねーし!
 
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追記
パートナーに、目視で確認できないのに、自分の嫌な経験を照射して、またか! と思うのは、仮想敵を作ることだと、たしなめられました。
 

嫌な思いをした過去とそこからの未来である現在は無関係なのに、恐れと脅えで怖がってしまい、大変失礼しました。

 

翌日さらに追記

読み直してバカみたいな箇所は消しました。

どうしてあんなモードになってしまうんでしょうね。

自分でもよくわからないんですが。
うまくコントロールしていきたいと思います。 
 
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教えていただき、ありがとうございました。
今の状況では、気がつけませんでした。
大感謝です。
 
 
トップランナーのノブレス・オブリージュなんだってば!
一から十までノブレス・オブリージュなの!

あと開高健は「カイタカ ケン」でも別にいいから特に否定しないけど「自分は、かいこう たけし」ってちゃんと著書にあるでしょー!(さすがにイラッ)←ナード
(間違えることを否定しているんじゃないですよー。)
 
知は無限だけど、「知る」は有限だって前提を持つことが、謙虚ってもんじゃねーのかよ! ←なんか急にカンカン(笑)

 
ウィキペディア ノブレス・オブリージュ 





 
 

2024/02/09

エクセル(コスメ)のオンラインストアはこちらです!

 
エクセル(コスメ)のオンラインストアは、こちらになります!
 
excelのオンラインストア
 
アマゾン内、公式ストア

お近くに取り扱い店舗がなくても、
または売り切れていても、大丈夫ですよ〜〜!
 
回し者ではありません。←(笑)
 
 
 
 
 

2024/02/07

スノードロップ開花のご報告とお洒落というウィルスの正体、考える力が必要なワケ、私がいる現実での人の信じ方。


 


 
 
スノードロップが開花いたしました。
初春(ちょっと早いけれど)に開花する、春を告げる花です。
美しいでしょう? 
いやー美しい。
いいですね。(ナード全開)
 
ここ数日、私の住む街は、少し暖かい雨が降っていたせいか、もうあと3週間くらい後の予測を裏切り、スノードロップが開花しました。
 
ですが、スノードロップは人に贈ってはいけない花でもあるそうです。
球根をアマゾンで買った時に調べて、爆笑して買ったんですが。
 
「あなたの死を望みます」
 
がスノードロップの一部地域での花言葉です。
 
なぜそんな花言葉をつけたー!(笑)
 
意味がわかりません。
花言葉を考えた詩人は、何を考えていたんでしょう。
もうここまで来ると、ぶっちゃけ花と花を贈り合う人々が嫌いだったんじゃないでしょーか!(笑)
 
こんな言葉を持つ花、誰も贈らねーよ!
 
詩人なら、もっとうまいこと変な花言葉(あ・言っちゃったよこの人)でも、転意すりゃあいいのに。
(中世頃の詩人にまさかのダメ出し)
 
他にもある花言葉は、この後、調べて羅列しておきますが、みなさん、くれぐれも贈らないように気をつけてください。
 
「希望」
「慰め」
「恋の最初のまなざし」
 きっと無理難題とかも
 
ウィキペディア スノードロップより
 
 
なぜ、そんな球根を購入していっぱい植えたかというと、
おしゃれだったからです。
 
お洒落は、いろいろなものをアッサリ超えます。
超えた上に、超えたものを無効化します。
 
それだけ強い、嗜好と思考だっていうことですね。
 
お洒落、ファッションの本質は、そこにあるんじゃないでしょうか。
 
 
またお洒落というのは価値観をハッキングも出来ますので、ウイルスとして伝播性を強く持つのが特徴です。
それが流行ですね。
 
このお洒落というウイルスの特性として、オモシロいのは、暗さを帯びたもの、怖れる気持ち、悲しさ、という、普段、人が持っていて特になんとも思わないものが、あって当然の精神性が、時々、重荷になってしまうほど精神的抵抗力が弱まった時、このウイルスが発動し、抵抗できなくなる弱体化した精神を防御し、普段から持っているウイルスへの抵抗力がつくまで、その人の心を守ります。
 
だから、ある種類の人達は、自分がしょんぼりしてしまったときに、普段よりお洒落をして、中和しているんですね。
 
元気な人があまり過ぎたお洒落をしなくなり、普段の装いで平気になるまで精神的な抵抗力が回復すると、このウイルスは自然と、人間の標準抵抗力に戻っていきます。
 
よく言われていますよね。
お洒落をしたら気分が上がった。元気になった。弾みがついた。
というのは、それです。
 
だからお洒落は虚栄でもなんでもないんです。
 
そして全員に標準装備として備わっているものですので、みな、お洒落なんです。もとから。
 
 
また、お洒落が強いワクチンとしての特性を発揮し、発動する時は、流行という形で、強い伝播力を発揮します。
 
それがどういう時かというと、いまの私にわかっているのは、「過ぎている時」です。
 
暗闇はあっても全然かまわないものですが、暗すぎる、明るすぎる、穏やかすぎる、攻撃的すぎる、理屈過ぎる、美味しすぎる、つまらなすぎる、楽しすぎる、はしゃぎすぎる。
他にもあるけれど、そういった「過ぎる」ものを、無効化するために発動するんです。
 
だから、ファッションにしろ、コスメにしろ、商品にしろ、音楽、小説、コミック、何でも、「流行が現れたとき」は、人間の防御本能がなんとなく感じている感覚が「過ぎているから危険である。これを無効化して通常の状態に戻したい」という「バランサー」
 
(バランスを取ることで、世の中をちょうどいい状態にすること。またそれができる人とできるハズと思って、人が心理的に抵抗できない立ち位置や声の大きさ、イメージを大いに利用する危険な人のこと。)
 
が自然と発動し、インフルエンス性を強く、その時に偶然、持つ人々の「層」から流行が発生し、人がそれに感染した時に、それぞれそのウイルスの是非、好悪を検討し、それぞれのその解釈に納得させる説得力を持っているから、爆発的な流行は起こり、その時の「過ぎた」ものを無効化し、自然消滅するんですよね。
 
だから、そうしたい。それを身につけたい。それを持ちたい。という自分の中の「考え」に従わないと、よくないものに支配されやすい恐れがあるので、多くの人達は、支配、誘導、個人の都合だけの提案、なんかを嫌うし、なんだかんだ、精神的な自立って大事ですね、ということがずっと言われ続けてるんですよね。
 
私が、自分に従え、という言葉をあてにし、ずっと考え続けているのも、そんなところもあるからでしょうね。この言葉には。
 
精神的な隷属、コントロール、支配、に対して、ものすっごい怒ってくださる人達が居るのは、それがどんなに危険なモノが、過去に結果と結論が出ているからでしょうね。
ありがたいことです。
 
それって欲望のこと? と言われたら、私は似ているようでまったく違うものだと思っています。
 
欲望は、欲望でしかない。
これはこれで、人の獣性から出てくる哲学ですから、それが不要とは言わない。
でもこれは、哲学にまで消化するほど、失敗という経験を積んだ人にしかできないことなので、そしてその経験は身体性を持たないと出来ないので、年配の方々の言葉は、参考になる、ということです。
 
ですが、「考え」は、衝動や根底にある好悪でしかない、ただの嗜好と感情、本能もかな? (欲望)から離脱していますので、やはり、検討と思考を司る、自分の意志を自分で選択し、実行するっていうことは非常に重要ですし、防御力が高い。
 
「考え」と「感性」は実は、相互関係に有り、どちらがどちらにとってもの燃料になっています。
なので、情操教育は大事ですし、考える力、感じる力っちゅうのは、けっして手放したりしたらアカン、ってことなんですよ。
でも、自分を守れる機能面で優先順位をつけると、
考える力>感じる力、です。
 
 
今日の更新の最後に、私がいる現実での人の信じ方。についてですが。
 
私の解釈は、純粋で、本人がそうとわからずに、でもわかっている人は信じる、または信じてみても良い。という価値観なのだろうな、と思うんですが。
 
私と、私のいる現実では、
「騙されてもかまわない相手を自分は信じる」
という、幼さは純粋ではないし、そもそも純度の高いものを基準点にしない、信じ方があります。
 
自分が好きでやっているから、責任は自分にあります。
そして自分の好きでやる、という感覚と検討の自分なりの思考の結論に従って居るので、相手を信じるのが嫌になったら、いつでも自分の判断で信じなくなってても良い、というやり方があります。
 
そういう意味で、私と私のいる現実の人達は、自分の考えと過去の痛い思いをした経験と、バツの悪さを自分でさっと引っ込める、または引き受ける、やり方に、慣れているのかもしれませんね。
 
 
こういうやり方もあるってことで。
 
良かったら、頭の端にとどめておいてみてもいいかも。
 
 
以上、スノードロップ開花のご報告とお洒落というウィルスの正体、考える力が必要なワケ、私がいる現実での人の信じ方。でした。
 
追記
花言葉に他意はありませんよ(笑)
綺麗だから載せただけです。

 
 
2024021012:01 ものすごい誤字を(笑)なおしました。
20240218 17:11 間違っていた部分をなおしました。
 
 
 
 
 
 

2024/02/05

To Everyone Of This World


 
本日のお花は(いつの間にそんな話に?)、白い日本水仙です。
 
 
霧雨をあびた日本水仙


 
後ろから見ても美しい!(ナード)

 

 
ここのところ私の住む街では雨が続いていて、今朝、カーテンを開けると、開花した茎が雨の重さで折れていたので、切り花にしました。
 
いつも花言葉でお世話になっているGreenSnap STORE様にさっそく伺い(甘えすぎでは?)、白い水仙の花言葉を調べました。
 
 
白いスイセンの花言葉は「尊敬」「神秘」です。厳しい環境の中でもきれいに咲く白いスイセンに、神秘的なイメージや尊敬の念を抱いたことが由来とされています。
なおギリシャ神話では、ナルキッソスが衰弱死したあとは、一輪の白いスイセンに生まれ変わったともいわれています。
 
中略
 
スイセンは寒い時期に花をつけることから、強くたくましく成長するその姿によって縁起の良い花と言われています。また、中国ではラッキーフラワーとされ、魔除けとして玄関に置いたり、お正月には自宅に飾ったりするといわれています。

 
GreenSnap STORE様
【水仙の花言葉】色や種類別に怖い意味もある?花の季節はいつ? 2023/4/18 より
https://greensnap.co.jp/columns/narcissus_language
 
 
ということですので、白い水仙の写真をスマホや携帯の待ち受け、またはPCの壁紙に使うというのもいいですよね。
めんどくさい方は、この写真でも全然オッケーですよ。
(しつこいようですが、当ブログは、なにもかもがフリー素材です(笑))
 
 
水仙で想起するのは、樋口一葉の「たけくらべ」のラストシーンで象徴的に登場する、なんとも瑞々しく、すこし痛みを伴った姿です。
 
ネタバレをせずに書くと、「たけくらべ」のラストでは、なにも語らず、水仙がそこにあるのですけれど。
樋口一葉はどのような意味を込めて、この花を物語に置いたのでしょうか。
 
とても有名な花言葉では、みなさんもご存じのように、ギリシャ神話のナルキッソスの伝説から、自惚れ、自己愛、が有るんですが、私の解釈では、この花を捧げたと思われる登場人物は(すいません記憶があいまいで。←樋口一葉に謝れ!)、おそらく中国に親しみのある読書背景を持っていたと私は予測しています。
 
その花を眺めることで贈った相手に知ってほしい気持ちは、その人の新しい日々に向けて縁起ものを贈るという、当時の大人の、いっぱしの男性がやるやり方であり、それを真似る背伸びした気持ちと、魔除けでもあるこの花を贈ることで、もう自分は守ってあげられないけれど、けれど貴女を守る気持ちは永遠である。
という想いだったのではないかと、せつない、自分の思い通りにできなかった年若い二人の、或る日々を噛みしめます。
 
そうなんですよ。
樋口一葉は、すごいですよー?(なぜあなたが自慢気?)
 
もっと言うと。
贈られた相手の層は、当時、学が無いと偏見を持たれていますが、実は、自分の生業のたしなみのために、とても博識である、という背景を持っています。
 
贈られた気持ちを、相手はその時だったのか、やがていつかの未来に、その日を振り返ってそうだったのか、と気がつくのか。
どちらにしろ贈り主は、相手が自分のことを決して忘れないことを知っていた、という、とても素敵な、そしてやはりそれは哀しくもある、二人の関係だったことを物語っています。
 
私は悲恋モノはあまり好きではないんです。
恋愛ってうまくいかないことのほうが多く、そんなこと現実では、誰もが知りたくもないのに知ってることなんですよね。
それをわざわざ楽しむための読み物で、描く必要はあるのかな。と思うんですね。
 
けれど2024年の私が思うのは、
上手くいかない恋愛を体験してしまった後、それは自分だけではないのだ。
この世界のどこかに同じ人がいて、その気持ちを知っていてくれる人がいる。
このように物語になるくらいに、そういう人は、たくさん居てくれるのだ。
と心強くなるのかもしれません。
 
 
LOVE好きな人の夢をまたもや壊しますが(笑)、
別件で、私も、心強かったです。
 
なので、今日は、白い水仙の花言葉を込めて、このタイトルにします。
 
 
さて、しばらくふんわりポストを毎日してきましたが、なんとなく感じているざわめきが落ち着いてきたようですので、通常投稿に戻ります。
 
本来ならば、お昼の13時更新で、だいたい週の後半に更新が多いです。
そして、日曜日は、日曜版と称して、おなじく13時に穏やかな内容を投稿しています。
 
ひっそりとやっておりますので、よろしければ今後ともおつき合いいただけると嬉しいです。
 
以上、To Everyone Of This World、でした。
 
 
20240210 12:03 誤解されそうな箇所を修正しました。
 
 
 
 
 
 

2024/02/04

今日は立春です。(ピエロ的思考)


 
・・・どんな精神状態でも、だいたいはこうして文章が書けます。
どうしてかはわからないけれど、特に訓練もしてないし、アマチュアだから、私はどこかやっぱり壊れているんだと思います。
 
それがね、警戒されたり薄気味悪く思われたりしていた原因なのかもしれない。
 
 
けれど、こうして文章を書いたり、日曜版を書いたりすることで、私もきっと修復されているのかもしれません。
 
WIN WINですね。(冗談も言えます。無表情だけどね)
 
さて、日曜版です。
 
今日は立春なんだそうです
 
七十二候では、東風解凍 (とうふうこおりをとく) なんだそうです。
 
手づくり 二十四節気 平野真理子著 ハーバーコリンズ
007ページ 参考および引用
 
同書 006ページによると、古代中国では、女性が色糸でツバメを作って髪に飾る習慣があったと記されている。とあります。
また、ツバメは日本では夏の季語である、とも。
 
私もですね、ツバメって春の感じなんですね。
どうしてかな、と思うんですけれど、単に春によく見かけていたような記憶があるんです。
あまりツバメのことを知らないので、それは私のイメージの記憶だけで、本当は、日本でよく見かけるのは初夏なんでしょうか。
 
ツバメで想起するのは、子安貝とアンデルセン童話の幸福の王子です。
 
幸福の王子のことをずっと憶えているのは、この物語がよくわからないままだったからなんです。
 
もしご存じなくて、読んでみようかなと思われるのでしたら、実は、あまりおすすめしません。
私の読解でアレなんですけれど、多分、これはバッドエンドなんだと思うんですよね。
なのであらすじも書きませんけれど。
 
そこにツバメが出てくるんです。
このよくわからないことを延々考えるクセを持った、バカの考え休むに似たりのポンコツ体現者としては、たまに思い出して、これは一体、どういう話なんだろう。と考えています。
 
そして、このツバメは一体何しに出てきたんだろう? とよく思うんですよね。
 
物語、幸福の王子の主人公の王子は(王子が主人公なんです)、おそらく、愚かさ、無知さ、世間知がないことは大罪である、という象徴として描かれていると思うんですね。
 
私の記憶では、ツバメは最後に王子に一輪の草花を持ってきて、ぽいって上空から落として、飛び去っていくんです。
 
多分、希望のシンボルとして登場したんだと思うんですけれど、銅像で動くことが出来ない王子に向かって、草花を一輪、落としてみせるという、なんとも残酷なことを、ツバメの鳥の習性として、なんの感情も込めないまま、それを行うんです。
 
私は、王子の哀しさはどうであれ、王子が銅像であること自体は、王子のせいではないのだから、確かツバメと王子は知り合いという設定ですので、ツバメは王子の存在そのものが揶揄と侮蔑の対象であったことを明かしているんですね。
 
この話は、相互理解の限界や、よくありがちな種族?を超えた友情などあるはずもない、向こうはこっちの存在そのものを憎悪しているんだ。
しかも習性のように当たり前に事実としてあるのだ。
ということを最後に言っているのかな? と思うんです。
 
溺れる者は藁をも掴む、という言葉がありますけれど。
私もね、藁をも掴んだことがそれこそ何度もあって、それは全部、リアルワールドでの関係性からそうしたんですけれど。
結局、藁を手放したんです。
そして、藁はもういいかな、という気持ちでいたし、いまもいます。
 
別に自罰傾向からそうしているんじゃなくてですね。
本当に溺れているんだろうか、とある日、なんとなくだけど実感したんです。
それが言葉になるなら、2024年の私は、こう言語にするんですけれど。
 
あの・・・、助けを求めてはいけないとか、治療をしてはいけないとか、そういうことでは絶対ないですよ?
 
多分、水か砂か知らないけれど、溺れているんだろうし、それは事実なんだけど、いいや、もう潜っちゃえ!って(笑)、思ったんです。
 
もうせっかくだから、底のほう見ちゃおっかな~? って、なんかそう思ったんだと思うし、いまもそういうところがあります。
 
この先もね、あなたはこんなに不幸ですよ、とか、可哀想なんですよ、とか、おかしくってたまらないんですよ、とか、わざわざ伝えに来て、ショックを受けるのを観察してですよ?
 
そういう人が、自分と向き合うといいことがありますよ? と、こわい感じの、信じ込んで何も聞こえない、こわい感じの明るい目つきで、ものすごい笑顔で、近寄ってくる人が、私の人生にはたくさんいるんでしょうけど。
 
そういうときは、こいつはツバメなんだな。と、しっかり見ていようと思います。
 
みなさんも、ツバメだな、と思う人に出会ったら、気をつけて、その人が何をして何を選ぶのか見るといいですよ。
 
こちらを見て、ああはなりたくない、って一番思ってるその人の正体こそがツバメなので、自分で選んだ草花を決して手放さず、わざと届かないところに落としてみせる希望に、にっこり笑ってお断り、と言って、さっさと立ち去りましょう。
 
今日は、ちょっとスパイスの効いた話をしましたが、アンデルセンって世の中が大嫌いだったんだろうか? とダークファンタジー要素のことをときどき考えています。
 
ダークファンタジー的なもので私が連想するのは、ダークチョコレートです。

今日は、ダークチョコレートがかかったチョコケーキを珈琲と一緒に楽しんで、ちょっと怖いけれど、残酷さを世の中に放ったアンデルセンについて、変な人だったんだろうな、と思ってみるのも楽しいかもしれませんね。(そーお?)
 
それでは、今日はこんな感じになりましたが
(笑)
素敵な日曜日をお過ごしください。