休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2024/02/11

利益と損益


 
いくつか私について、自分が薄笑いを浮かべ、相手を冷笑し、心ある言葉が響かない人間であり、臆病で感情を制御できずにすぐ相手を攻撃する、という人物像が、具体的にどういうことであるのか、どういう状態であるのか、そしてすぐにそれを訂正するのか、現実ではどうなのか。
 
という判断材料の一環として、私は、自分の不安定さと過敏さ、臆病さ、震えやすい心を書いています。
 
その上で、薬の副作用と極度の緊張、混乱にある場合は、無表情であり、微笑むつもりが冷笑と取られて誤解をされる現実の場合でも、無抵抗になってしまう自分の特性、他者への不信がどのように現れているのか、沈黙しているのは、個人の秘密を守る権利、つまりプライバシー保護ということですけれど、なぜ沈黙をしていたのか、何を巻き込むことを怖れているのか、といったこともお分かりだと思います。
 
先ほど、レスキューレメディでも書いた、私の認識は、あくまでこのように私は考え捉えている、というものを書いているだけで、なにを攻撃する意思もなにを騒ぎ立てる意思もありません。
 
私は何度も書いていますように、過去に卑怯な真似もし、心ある方々に叱っていただいたという認識をしています。
そして長い間、私の理由が、たとえどのような理由であっても、その理由を伝えようと思うまで、待っていてくださったことも知っています。
 
なので、とても感謝しておりますし、逆恨みなどしておりません。
 
長すぎる反省のため、余程のことを抱えているのでは無いか、というご心配からの誤解も、その後、療養に徹していたことも、明かしても大丈夫かどうか判断できるまで、待っていてくださった方々に、なぜ私が攻撃的になる必要があるのでしょうか。
 
だいぶ言葉が回復してきていますので(いまだ不安定さがあるのは、書いている内容と消した後の付記ならびに追記をご覧になればわかると思います。
 
ただし厄介なのは、私が認識し思い出している範囲で恐縮ですが。
最初は、明るく気持ちの良いご厚意であったものが、そして私の未熟さと脅えと、そう思ってしまっても当然の住環境での状況から、うまく反応も返せず、ひどく混乱している状態であったという認識をしています。
気がつくと(それがいつ頃であったのかは思い出せていません)、奇妙な歪みをもつ、私の精神を砕きたいのだろうか、と思ってしまって当然のものに変容していった、という認識を、2024年現在の私は抱いています。
 
何故、これは悪意では無い、という一番大事なものが抜け落ちているのだろうか、という疑問も長らく抱えておりました。
 
また、肝心なのは、心あるお叱りを送ってくださった方々の中に、これはどうしても何かがおかしい、という人物が紛れ込んでいたことなんです。
 
何度も、これは脅えからくる私の誤解なんだろうか。とくりかえし自問していた時間でもありました。
ですが、時間が過ぎても、私が子供ころから嫌というほど知っていることにここまで酷似しているものが、本当に心あるお叱り、という個人に向けられる、信頼関係を築いた後だけに可能なサポートなのかという疑問が残り続けています。
 
「なにかわからないけれど、いま自分はおかしなことをされている」
 
「され続けている」
 
「抵抗できないことをされている」
 
その、私がもっとも信頼する、自分の生存にまつわる危険を察知するアラートがずっと点滅しつづけていました。
 
この頃、色々なことを思い出せてきたのは、1月1日に起こった震災で、当時と酷似したものを疑似体験し、おそらくPTSDであった様々なことが、フラッシュバックしているからです。
 
だからやはり、この記憶の出方からしても、当時のことは、PTSDとなる程の体験であり、フラッシュバック以外に記憶上に戻ってこない時間であったのだ、という私の認識は間違っていないと思っています。
 
そういう風に捉えていますし、そう思っています。
 
そのことを特にどうしたいとか、どうなって欲しいかという意思はありません。
 
もう関わりたくないですし、感謝している人達(対岸、その時のスタッフ、他、待っていてくださった方々、私のヒーロー達も含めて)に感謝を返し、お詫びが必要な方々には、工夫をしてご厚意に対するお詫びと感謝を表現なりご迷惑がかからない方法での表明を考えています。
 
ただ、なにかされていたことに対しては、もう関わりたくないんです。
それほどのことなんです。フラッシュバックで甦ってしまう種類の記憶を、一定期間の住環境に持っていたという事実は。
 
なので、応えて欲しいとか、返事がほしいなんて一切思っていませんし、望んでいません。
 
自分を守るために、このように認識していることを書いておこうと思っているだけです。
 
私は、なにかを喧伝する行為は、コマーシャル、広告であるという捉え方をします。
 
そして知っていることは、
広告というものは、利益を見込み、利益を実利益として収益する目的を持った行動だ、ということです。
 
私は、利益(金銭での収益です)が起こらなかったどころか、損益が出てもなお、それを続ける理由がわかりません。
 
その動機に善意や悪意があったとしても、その善意の理由があるはずなんです。
20年にわたり、続ける側の、それを続ける現実的な理由です。
私は、それほどの善意が帰ってくることを他者にしたことなど一度もありません。それっぽっちの人間です。
悪意も同様です。そこまでのことなど起こせる人間ではありません。
 
なので、これは不明なことが続く理由が、続ける側に存在していると考えています。
これは不明なことが続く理由が、続ける側に「しか」存在していないと考えています。
 
それがこちらの件に関する私の認識です。
 
誤解であっても、それを私に向けて能動的に解くやり方の必要性を現実的に考えると、
2024年2月11日より、誰も私の誤解を解くために私という個人に向けて、なにかする必要は無い、
というのが私の出している解答です。
 
とても有りがたかったし、とても感謝しています。
もったいないことでした。
 
私が遠い過去に認識していた、楽しく、私に向かって、私がしていたウインクを正確に理解してくださり、やさしいウインクを、インターネットという当時の仮想空間に向けて返してくださったことは、大切な思い出ですし、これからも変わりません。
 
ありがとうございました。嬉しかったです。
 
また、S・O・Sをモールスで泣きながら打つ前に、私が危険なことに巻き込まれている可能性が高く、本人が認識できていない、普通の精神状態ではすでに無いことを察知して、駆けつけてくださった方々にも、深く感謝しております。
 
私は、エナメルという名前で、インターネットでこのようなことをひっそりと続けて参ります。
そして、助けていただいた分、ネットや社会、巡り会う人達にむけて、小さなアイデアや、レベルが低くて恐縮ですが、作品で、お返ししていく使命を持ち続けます。
 
狙撃なんか、一度もしたことが無いですし、今後もしません。
する理由がないからです。
感想を書いていただけです。
10年のブランクがありますので、こちらも今に沿った、いまの年齢の私の感想に変わっています。お分かりかと思いますが。
 
ツイッター(X)、インスタグラム、YouTube、フェイスブック、その他、コメントを入力するのに必要なIDは所持しておりません。
その企業がそれぞれご存じです。
 
ツイッター(X)は、先生方の投稿? ポスト? を読んだ方がいいかどうか、を判断した時にアカウントを作ると思いますが、朝の授業がまだ続いているのなら、それを拝読し、非公開の状態でRead Onlyが可能なら、それで拝読しようと考えています。
 
なにか出来ることがあれば、いつでもメールで教えてください。
私の影響力は、やはりどうしても、かけらもないのではないか? としか思えないので(笑)、ひっそりと良いことをがんばって選び続けていきます。
 
以上です。
お別れではないので、なにも書きません。
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。
 
ガチでサバイバーだったエナメルより、謎めいたままの素敵で大好きなみなさんへ
 
”何がなんだか、たぶん一生わからない人生も、楽しそうです。”