日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
5月も半ばに入り、近隣の地域が梅雨入りしたと、天気予報で見ました。
私の住む街では、先週12日から危険を感じるほど暑くなり、エアコンを入れ、塩分と水分を夏向けに変えました。
この頃考えていることに、世の中はいつも勉強だ、と言われている言葉を自分の言い方にするなら、小学校1年生から社会という大学にも同時に入学している。
そして学校を卒業した後(離れた後)初めて、社会という大学に正式に入学を許可されるのだ。ということなんだと思います。
だからと言って、社会生活が始まった後、毎日毎日部屋に戻って計算式を解き続ける筈もなく、ただ単に暮しながらその中で覚え、知っていたことと、知っていっていることを、技術として洗練させ続けていく、のではないでしょうか?
大学の講義でレポートを提出する代わりに、仕事の書類を作ったり、レシピノートを自作したり、パートナーのアレルギーや体質、今までの食事環境から、青年期の重要な約25年間の体調管理と肉体を維持し、かかりつけ医のセレクトまでを、事前予習し、記憶したり習慣として続けていく。
テストの代わりに突然起こるアクシデントの傾向から、予防対策を練り事前の防犯に役立てていく。
教科書は、目にする報道や芸術、文学、音楽、科学、歴史、美容などの本。
教科書は、目にする報道や芸術、文学、音楽、科学、歴史、美容などの本。
インテリアのセレクト、古着を買って経験値を増やしていくこと、お店でのマナーなど、暮しの中で、安全に穏やかに過ごし続ける基準値を定め、「常識」とする。
悪意や利用しようとする相手から、いかに上手に距離を取り、時には避難するか。
そういうことを毎日のリアルの中で蓄積していくのが、私が思う社会の大学なんですよね。
以前、歳を取ると人生は面白くなる、と書いたと思うんですが。
この歳になって思うことは、歳を取ると美貌が失われるとか、時代遅れになって社会のお荷物になるとか、ずっと言われ続け、信じられ続けていた私の青年期は、とんだデタラメ情報に覆われていたのだと思います。
いま私は、自分の人生で最も美しい世界を見ています。
そして、意外にも老けず、皺もほとんど無く、染みも大して増えず、体力だけが年々減っていくけれど、怪我と病気にさえ気を付けていれば、若者だった頃より人生を運転するのが格段に上手くなっているので、楽しく過ごしています。
昔読んだ本で良く分からなかった事が、今になって急に何十年間分の「あれはどういう一文だったのだろう?」と、ずっとそこに置いて眺め、考え続けていた点と点が繋がり、突然、朝コーヒーを入れる時に絶対解が分かったりすることも、この頃では毎日のようにあります。
あまりにもあれこれ突然分かリ出すので、
私はこんなに頭が良かっただろうか?
私はそろそろ死ぬのだろうか?
と、驚きを通り越して若干怖くもあったんですが、それが普通なのだそうです。
師は、
「歳を取って長い間分からなかったことが分かる。」
とその状態に入って困惑している私に、
「自分もそうだった。多くの人達が同じに、人生の先に待っていた光と、人生を解読する時間に入る喜びに満ちる、のが、貴方の年齢頃です。」
と教えて下さいました。
もし、日曜版を読んで下さっている皆さんの中に、同じ時間に入られている方がおられましたら、ご安心下さい。
入ったばかりの職場や学校は、隅々までまだよく見えません。
でも半年も経つと、すぐ覚えなければならない事が落ち着き、少し余裕が出来始め、教室の何処に何が置いてあるのか、誰が何処に座っていて、仕事全体の流れがどういうルーティンで終了し、細かく枝分かれした小さな仕事が、繰り返しながらどう大きな仕事に結びついていくまでが、明確に見えてきます。
とその状態に入って困惑している私に、
「自分もそうだった。多くの人達が同じに、人生の先に待っていた光と、人生を解読する時間に入る喜びに満ちる、のが、貴方の年齢頃です。」
と教えて下さいました。
もし、日曜版を読んで下さっている皆さんの中に、同じ時間に入られている方がおられましたら、ご安心下さい。
入ったばかりの職場や学校は、隅々までまだよく見えません。
でも半年も経つと、すぐ覚えなければならない事が落ち着き、少し余裕が出来始め、教室の何処に何が置いてあるのか、誰が何処に座っていて、仕事全体の流れがどういうルーティンで終了し、細かく枝分かれした小さな仕事が、繰り返しながらどう大きな仕事に結びついていくまでが、明確に見えてきます。
同じことが私の年齢ぐらいで起こるそうですし、実際私もそこに入っています。
職場や学校という場所で、隅々まで明確になって行ったあの時期の、「自分の人生版」が始まるんです。
大昔、言語化できないまま、
大昔、言語化できないまま、
「???」と思い、
特に意識すらしていなかったことが、突然、
「あれはそういうことだったのか!」と分かる瞬間が、毎日の中で、しょっちゅう来始めるんです。
一体なんのお迎え前の走馬灯だろうか? と唖然としていたのですが、そういう事だったんです。
一体なんのお迎え前の走馬灯だろうか? と唖然としていたのですが、そういう事だったんです。
私は社会という大学の3年生に、この度、進級したのだと思います。
そして、この年齢に差し掛かると、非常に人生では有利です。
無意識に蓄積してきたデータ量が圧倒的に多いので、大体の事に対して、対応や解答パターンがいくつも組み合わせていけるんです。
例えば、ベッドタウンでたまに行われている、挨拶代わりの世間話。
あのミニ寸劇みたいな、お天気の話しかしない5分間のコミュニケーションを避けるコツも、普通にニッコリ挨拶だけしておけば大体問題ないし、そういう相手を悪意のターゲットにする奴こそ、ボイコットされていく、とか。
お天気の話の時、
「良いお天気ですね。」
「そうですね。急に暑くなって・・・」
「夏物出さなきゃいけなくて大変で。」
「私もです。」
「じゃあ失礼しまーす。」
「はーい失礼しまーす。」
の間に、
そして、この年齢に差し掛かると、非常に人生では有利です。
無意識に蓄積してきたデータ量が圧倒的に多いので、大体の事に対して、対応や解答パターンがいくつも組み合わせていけるんです。
例えば、ベッドタウンでたまに行われている、挨拶代わりの世間話。
あのミニ寸劇みたいな、お天気の話しかしない5分間のコミュニケーションを避けるコツも、普通にニッコリ挨拶だけしておけば大体問題ないし、そういう相手を悪意のターゲットにする奴こそ、ボイコットされていく、とか。
お天気の話の時、
「良いお天気ですね。」
「そうですね。急に暑くなって・・・」
「夏物出さなきゃいけなくて大変で。」
「私もです。」
「じゃあ失礼しまーす。」
「はーい失礼しまーす。」
の間に、
相手がどういう人物であるか。
警戒すべき相手か。
単に近隣の人で居てくれる人か。
大丈夫そうな人か、何となく合わないな、と思うかどうかを、判断する為の時間が実は世間話だった、とか。
距離がある良いおつき合いは、仲良くならなくても良い。とか。
そういう相手に限り、繰り返しのお天気の話の間に、相手の状態がいつも通りか、少し元気が無いかが判断出来、必要なら相手にとって有用な情報を手渡せるかどうか、まで決められるようになる、とか。
警戒すべき相手か。
単に近隣の人で居てくれる人か。
大丈夫そうな人か、何となく合わないな、と思うかどうかを、判断する為の時間が実は世間話だった、とか。
距離がある良いおつき合いは、仲良くならなくても良い。とか。
そういう相手に限り、繰り返しのお天気の話の間に、相手の状態がいつも通りか、少し元気が無いかが判断出来、必要なら相手にとって有用な情報を手渡せるかどうか、まで決められるようになる、とか。
そういうことが、「全部、明確に分かります。」
若い頃の私は、資生堂ピエヌのCMに出演されていた頃の伊東美咲さんに、そりゃあそっくりだったんですが。
・・・こういう事を書いても誰も信じないで居て下さるので、安心して吹っ掛けられますよね。
若い頃の私は、資生堂ピエヌのCMに出演されていた頃の伊東美咲さんに、そりゃあそっくりだったんですが。
・・・こういう事を書いても誰も信じないで居て下さるので、安心して吹っ掛けられますよね。
これも分かってくる事の1つです。
歳を取った今でも私は身綺麗にしていますし、別段くすんでも居ないし、自分のスタイルにも不満はありません。
厚化粧にもなっていないし、お洒落且つ、この頃はこういうのが良いな、と思っているカレッジっぽい雰囲気で、落ち着いた上品さを目指しているので、中々に今の自分は良いのではないかと思っています。
買い物も節約で、安く良い物がすぐ買え、ネット通販システムも発展しており、品物をあれこれ見てきた歳月が何十年と長いので、その品物が良いか悪いかも即座に分かります。
青年や若者等を見かけても、ちっとも憎まないし、ああいう人々はとても良いな、と白いブーゲンビレアに突然気付いたように、爽やかな気持ちになるだけです。
悩みは相変わらずお金のことが多いですが、面白いな、興味があるな、というジャンル全般の歩き方と、ビギナーとしての教わり方も大体頭に入っていますので、割りと静かな気持ちで過ごせる時間が増えて行ってます。
誰があの時、本当に私の味方であったのか。
歳を取った今でも私は身綺麗にしていますし、別段くすんでも居ないし、自分のスタイルにも不満はありません。
厚化粧にもなっていないし、お洒落且つ、この頃はこういうのが良いな、と思っているカレッジっぽい雰囲気で、落ち着いた上品さを目指しているので、中々に今の自分は良いのではないかと思っています。
買い物も節約で、安く良い物がすぐ買え、ネット通販システムも発展しており、品物をあれこれ見てきた歳月が何十年と長いので、その品物が良いか悪いかも即座に分かります。
青年や若者等を見かけても、ちっとも憎まないし、ああいう人々はとても良いな、と白いブーゲンビレアに突然気付いたように、爽やかな気持ちになるだけです。
悩みは相変わらずお金のことが多いですが、面白いな、興味があるな、というジャンル全般の歩き方と、ビギナーとしての教わり方も大体頭に入っていますので、割りと静かな気持ちで過ごせる時間が増えて行ってます。
誰があの時、本当に私の味方であったのか。
誰が小学校の時、私の良い友人だったのか。
が、はっきり分かってくるのも、この時期からです。
そして、目上の味方で居て下さった人は、誰もが「後で分かればいいよ。」と恩着せがましくも舌打ちをすることも無く、熱い心と知性で、軽やかに善意を示して下さっていた事も分かってきます。
なので小学校から青年期半ばを過ぎるまで、
そして、目上の味方で居て下さった人は、誰もが「後で分かればいいよ。」と恩着せがましくも舌打ちをすることも無く、熱い心と知性で、軽やかに善意を示して下さっていた事も分かってきます。
なので小学校から青年期半ばを過ぎるまで、
「友達だから」「味方だから」という理由で、自分がしたくないことを決してしてはならないし、距離を取りつつもうまく繋いで居たいのなら、それ相応の軽い付き合いにシフトしながら、自分を1番大切に考えて生きて居て良いんです。
当たり前の配慮を超えて、人の気持ちを想像しても、勝手裁判が開廷してしまい、相手の事情も理由も分かる訳もないし、聞いてもその人が答えたくない事だって沢山あるのに、「そうだ、そうだ、そうに違いない。」と勝手に自分の想像だけで相手を裁き続け、思い出す価値も無い相手が、未来の自分ともずっと一緒に居続ける羽目になります。
さっと通り過ぎて安心の場所でゆっくり傷を治しながら、自分だけを大切に、同時に大切にしたい人を大切に出来る時だけ、大切にしながら、自分が安定しゆっくり過ごしていて、何一つ問題ありません。
おそらく社会の大学3年生からが、自分の人生で起こっていた事が一体何だったのかが、明確に分かり始めます。
人生で最も美しい景色の中で、突然繋がった沢山の長い数十年分の線を、向かい側に立って思考し、熟考できるのが、この年代のリアルです。
当たり前の配慮を超えて、人の気持ちを想像しても、勝手裁判が開廷してしまい、相手の事情も理由も分かる訳もないし、聞いてもその人が答えたくない事だって沢山あるのに、「そうだ、そうだ、そうに違いない。」と勝手に自分の想像だけで相手を裁き続け、思い出す価値も無い相手が、未来の自分ともずっと一緒に居続ける羽目になります。
さっと通り過ぎて安心の場所でゆっくり傷を治しながら、自分だけを大切に、同時に大切にしたい人を大切に出来る時だけ、大切にしながら、自分が安定しゆっくり過ごしていて、何一つ問題ありません。
おそらく社会の大学3年生からが、自分の人生で起こっていた事が一体何だったのかが、明確に分かり始めます。
人生で最も美しい景色の中で、突然繋がった沢山の長い数十年分の線を、向かい側に立って思考し、熟考できるのが、この年代のリアルです。
凄い時間がやって来たな、と私は、実は異様なまでに美しかった世界の中で、静かに微笑みながら驚いています。
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
20250522 16:42 文章を直しました。