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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 

2024/04/20

夜の大騒ぎ


左 南 佳孝 MONTAGE 右 山下達郎 FOR YOU

 

先ほど、南佳孝の名盤、「MONTAGE」に収録されたクレッセント・ナイトをWEB視聴コーナーで初聴きし、ものすごく興奮して、部屋の中でひとり大騒ぎをしていました。
大騒ぎして、かっこいい!かっこいい!おしゃれーーっ!と全力で大騒ぎした後、
山下達郎の「FOR YOU」と
パール兄弟の「BLUE KINGDOM」の発売年を調べて、
さらにさらに、かーっこいいいい!!!と大騒ぎを繰り返しておりました。
 
MONTAGE」は1990年に発売されていまして、
「FOR YOU」は1982年、
「BLUE KINGDOM」は1988年になっております。
 
内容は、みなさんはとうにご存じの事に、自力でその情報に行き当たり、久しぶりに娯楽というものの素晴らしさ、耐久力の強さに鼻血が抜けそうになったからです。
 
どのくらい大喜びしたかというと、アマゾンで「
MONTAGE」「FOR YOU」をソッコー購入してしまいましたはーーっ!
まだ調べていないけれど、かせきさいだあ、も多分、同じアプローチですよね?(ワクワク)
 
私、南佳孝は「大航海時代」だけで、オリジナルまで到達していないんですね。
けど、別の楽曲で久しぶりに音楽の話をしようと思ってたときに、この情報に行き当たり、CD2枚をソッコー購入してしまったという・・・。
 
そして本日、そのCDがソッコーで我が家に届きました。
アマゾン万歳!
配信で、南佳孝だけでも買っても良かったんですけれど、
そのライナーノーツに用がある!と!
 
そのライナーノーツに用がある!のだよ、と!(主張風)
 
そのライナーノーツに用がある!んでござーますよ、と!
(うまいこと出来たのでちょっと得意気)

 
いやもう、そのライナーノーツに用がある!んだってばっての、この野郎!と!
(しつけーよ!つーか単にパクりだろそれ!)
 
 
・・・語呂がうまいこと合っている語感が大好きです。
 
で、そのライナー・・・、もういいですか?
(笑) とにかくクレジットや参加アーティストを知りたかったので、CDを購入いたしました。
 
そう、ここまでが「クレッセント・ナイト」を初聴きした人が必ず通る道ワンセットですね。
 
みなさんが、あーあーあーあーと、うっすら微笑んでおられるのが目に浮かぶようです。
あー、やるよねー。
あー、自分も買った買った。
と微笑まれているのが、手に取るようにわかります。
 
でもやるんだよ!←今日、元気だね・・・。
 
ええ、この言葉も盗用です。私のことを天才だと思わないようにご注意いただければと思っております。
 
私は、けっこう早くから配信で音楽を購入しているんですが、特にCDをどうのという気持ちはありません。
単に、現在のネットワーク上の購入システムで1番、私の需要に合っているのが配信だからです。
主にiTunesで購入しています。
しばらくサブスクもやっていたんですけれど、現在はほとんど配信購入分ばかり聴いています。
 
今回、久しぶりにCDを購入いたしまして、先ほどけっこう時間がかかりながらもPCに取り込んで、最初はアップル内蔵のスピーカーで山下達郎の「FOR YOU」を聴いていたら、あまりの音の良さに、「ラジカセの音色を
iPhoneで頑なに再現して音楽を聴こうじゃないか会!(会員私1人)」主催者の私といたしましても、ちょっとびっくりしました。
 
やっぱり山下達郎さんは、自分の音楽はCDが今のところ最高の再現ツールである、というお考えをしっかり貫かれており、これほどの高水準の音楽CDを作られるのですから、私は、やはり山下さんの音楽は、これからもひっそりとCDで購入していこうと誓いを新たにしました。あんまり買えてなくて恥ずかしいですけれども。
 
ちなみに、山下達郎さんの「クリスマス・イブ」は、なんとこの楽曲だけ、配信されております。
もしお持ちでない方おられましたら、購入をご検討下さい。
 
で、結局、2枚CDを買ってまでやっている、「あ!コレはこういうことじゃねーか?」の結果は、あえて言葉にしないでおこうと思います。
 
それでも、本当に久しぶりになんの躊躇も無く、突然耳に飛び込んできた1曲の音楽が行動理由になってしまう、という、私が思う、音楽が本来持っている情熱に感染していく体験ができて、とても楽しかったです。

まるで、ラジオのランキングをなんだかわからないけれど、ワクワクしながらタイムリーにノートに書き写していたあの頃の、音楽の夢の部分が私の人生に戻ってきたようで、生活の色彩が鮮やかに再生されたようでした。
 
1982年に発売されたアルバム、山下達郎の「FOR YOU」ですが。
CDに帯?がついておりまして。
そこにこう書いてありました。

<あの夏、街で海で山で、この音が流れない日はなかった!>
 
当時、私はまだ子供で、「FOR YOU」と知らずに、貸してもらったフェイバリットソング集に、こちらの楽曲がたくさん入れてあったのを記憶しています。
ですが、音楽性の高さは分かっても、本当の意味で、このアルバムのタイトルの意味、歌われている内容の味わい深さはわかりませんでした。
 
どうしてこのアルバムを、1982年の少年少女と青年達は熱狂して聴いていたんでしょう。

それは、トレンドと呼ばれるもののメイントラックに乗ってはいても、聴く人ひとりひとりの心にある、出逢いの妙を唄っている楽曲が数多く収録されているからではないでしょうか。
 
この歳になって「FOR YOU」をきちんと聴いてみて、私はそのように思いました。
 
アルバムの中で1番好きな楽曲は、私は「YOUR EYES」です。
歌詞カードが手に入るという大変幸せな状況の中で、初めて楽曲の歌詞を拝読し、この部分がとても心に残りました。
 
<They answer all my longing for you>
 
 
解答(こたえ)というものが、ある時、突然わかる時があります。
 
それは、最初の時かもしれないし、中盤、それとなく知っていくことかもしれない。
よくある素敵な物語の結末のように、最後の最後にやっとわかる、そんなあたり前の極上かもしれない。
 
とあるストーリーの中で、
たとえどの場面であったとしても、
その解答を受け渡すのは、私は、やはり眼だと思うんです。
言語を決して語ることが出来ない、その眼差しこそが、
唯一の解答をたった1人だけに告げることができるのだと。
 
私は、そう信じています。
 
年に一度くらいは、葉桜の季節、
ちょうどいい時間の夜に、
たとえばオーセンティックバーでギムレットを飲みながら、
そんな気持ちを噛みしめようと思います。


 
 
以上、夜の大騒ぎ、でした。
 
 
 
20240421 0:04 誤字・誤表記と文章を直しました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2024/04/18

モロゾフのチョコレートと手渡され続ける現在

 

モロゾフ トリュフアソートメント9個入り 伊集院 静 の本

 
先日、ブログ内で書いていた、少しだけ高いチョコレートをアマゾンで頼んでいたのが届きました。
 
モロゾフのトリュフアソートメントです。
 
手動アマゾンリンク
モロゾフ プラウド 手提げ袋付き(トリュフアソートメント 9個入り)MO-1590 
 
ゴディバ等いくつか有名店のチョコレートがアマゾンに合ったんですけれど、少し変化球のものが欲しくてモロゾフのトリュフの詰め合わせにしました。
 
私は二箱買って、予算的にも月一回のお楽しみにしても良いかな、という感じです。
味はとても好みで、どのチョコレートも美味しくて工夫のあるチョコレートでした。
紅茶とも合いましたが、私の好みではやはりコーヒーを落として飲むのがベターでしたよ。
 
そもそも、少し高いチョコレートを買おうと思ったのは、ご褒美としての句読点を持ちたかったんです。
ささやかな、自分へのPay。
 
そういうことを考えつかなくなっていたことや、気がついて、チョコレートにしよう!と自分の機嫌を取る方法で、効果が高い部類に入る選択肢を出してきた時点で、とても気持ちが疲れていたのでしょうね。

どうも今年の春は色々と個人的な出来事が多くて、きっと少し休憩したくなったんでしょう。
 
チョコレートは、冷蔵庫にトリュフがある。
と思うだけで、お茶の時間やキッチンにコーヒーを取りに行くのが楽しみになりました。
私には、この方法は向いているようです。
 
一緒に写っているのは、敬愛する伊集院 静(いじゅういん しずか)先生の旅の本です。
伊集院 静先生は、非常に旅に重きをおいて人生を生きていたようで、旅にまつわるエッセイも数多く遺されています。
 
手動アマゾンリンク
旅人よ どの街で死ぬか。 男の美眺 単行本
伊集院 静 著
 
今回こちらの本をアマゾンで購入したのは、なんとなく目についたからで、本ですが、いわゆるジャケ買いです。
 
まだ読み進めていないんですが、冒頭に伊集院先生がこの本を執筆された時の年齢が語られており、執筆当時の先生と現在の私の年齢が近いらしく、その不思議ともいえるめぐり合わせにロマンを感じました。
 
いつかの過去に伊集院先生は、いまの私が車で走っている人生の旅路を、伊集院先生のやり方で往かれていました。
 
大きさも強さも全く異なる、別々の人生です。
 
けれども、その先の未来に、1読者の私が伊集院先生が通り過ぎた1時期と同じ年齢層になったとき、当時、伊集院先生が考えていたことに触れられたのが、今回の読書体験だったワケです。

なんだか、決して同じ歳にはなれない方から、
時の交差の加減の果てに、一瞬だけ、極上のタイミングで、
同じ机を並べ、黒板に向かう同級生になった伊集院先生から、
1冊分の手紙をもらったような気がしたんですよね。
 
昔、制服を着ていた頃、私は寡黙な、とある男の子のことが少し気になっていました。
 
彼は、目立つ存在では無かったんですが、どこか皆、彼に一目置いているような雰囲気があり、
私も、彼は随分よく物事を見ているのだな・・・、と思うことが、度々ありました。
そして時には、私のこともそれとなく友情の証として、助けてくれたりもしてくれた人でした。
 
けれどもおかしな事に、私は、彼の顔は思い出せても、名前がどうしても思い出せないんです。
 
卒業文集なんて取っておくガラじゃないし、昔のクラスメイトに連絡を取る程でもない。
けれど、私はいままでの人生で、一番思い出したクラスメイトは、実は彼だったんです。
 
伊集院先生の「旅人よ どの街で死ぬか。 男の美眺」には、伊集院先生の写真がいくつか入っています。
 
私はその写真を見て、伊集院先生の眼差しがその彼にそっくりな事に気付き、とても驚きました。
 
名前の思い出せない、あの彼。
私が一番、後の人生で思い出し続けた、ただの友人の彼。
 
その彼と同じ眼を持った人が、
いつかのどこかで感じ考え抜いた現在を文章にして、
偶然、同じ年代にいる年下の私に手渡している。
 
私は、きっともっと彼と仲良くなりたかったんだな。
と先生の写真を見ながら、
胸が詰まるような、懐かしさに熱くなるような、
決まっていたことの微細のひとつをたぐり寄せたような、
そんな気持ちで、この本を大切に読み進めています。
 
おそらく、私は彼の名前をこの先も調べることはないでしょう。
クラス会に参加することもない。
 
だけど、私はこれからも、あの静かで少し陰りのある、
どこまでも深慮な瞳を持つ、彼のような種類の人間の1人が、
伊集院先生のような大人になったのだ。
という、「記憶のデジャヴ 」を浪漫として、胸に持っていようと思います。
 
 
以上、 モロゾフのチョコレートと手渡され続ける現在、でした。
 
 
 
 
 

 
 

2024/04/16

結論:フレンチカジュアル、私は危険!


 
 
先日、私のファッションその他に、忌憚がなさ過ぎるダメ出しをされました。
 
あの、なんかですね。
自分のファッションが、どこかが違う。
ということだけは分かっていたんですが!
何が違うのかが、あんまりよくわかんなかったんです。
 
で、何がわからないのかわからないので←?
あまり好きじゃないセルフイメージ、「こんな格好の自分は嫌だ」像を持っていたんです。
その中に、強烈に嫌なセルフイメージがあって、それが「時間が止まっているカジュアルファッションをしている自分」だったんです。
 
その時間が止まっているというのは、当然コンサバティブでも基本のコーディネートでも、スタンダードなファッションでも何でも無いんです。
 
「私の時間が止まっているファッション」なんです。
 
「あのときの私に思いっきり似ちゃっているカジュアルファッション」なんですよ。
 
わかりますか?
 
コレ、あの、語弊があるとは思いますが、勇気を出して書きますけれど。
 

「サブカルの匂いがいつまでたっても若いまま残っている私のカジュアル」なんです。←なげーーよっ!

 
そんなにサブカル(サブカルチャー)深かった訳でもなんでもないんですけどね。
ドグラマグラすら未読だし。家畜人ヤプーも途中で別の本に移っちゃって、その後、私のドグラマグラは行方不明だし。
なんか大したことないんですよ。ほんとに。
 
でも、なぜかあの若者だったころ。

花柄サイケデリックシャツ&ラッパ風デニムに1980円くらいにしか見えないハンチングをかぶっていた、
なんだかよくわからない、
中途半端な私がまとっていた雰囲気って、
若干サブカルだったんです。
あくまでも若干。
 
そして、どうも匂い的にアングラな(なんか変な文芸同人自分で作ってそう)ムードがムダにあって、映画館での深夜上映会好きそうな。
そんなファッションスタイルだった時期が、私の若者期第1期にはあります。

そのヘンテコっぷりを後悔は1ミリもしていないんですが。
(すぐ別のスタイルに移っちゃったしね)
 
それが、ある程度歳を取った自分に残っているのが、すっごいすっごい嫌なんです。

ある意味、未来予想図ファッション逆踏み絵なんですね。←?
 

そのポイントを踏まないように決定してしまった私のルールに従う、ということです。
 
ファッションって、ああいう自分になってみたいというイメージを現実で構築し表現していること、でもありますけど、その逆バージョンですね、要は。
 
ああいうのは嫌だな、というファッションイメージが私に色濃くあって、それが過去の中途半端サブカル時代のカジュアル、だったんです。
 
で、こうやって整理していくと、ああそうだったんだな、とわかるんですけれど。
 
それがぼんやりしているから、
なーんか、今日の格好、なーんか、なんかなんだよな
と思って止めることも結構あったんです。
 
そこで前述した本当に忌憚なきご意見なんですけど、
忌憚なき過ぎてけっこう失礼なのでは? 
と思うこともしばしばありまして、この間、はっきりくっきり明確に言われたのが、
 
<フレンチカジュアル、あなたは危険!!>
 
だったんです。
 
一瞬、意味が分からなくて、
「・・・え? ええ。着てませんけど?」
と答えたら、ソッコー食い気味に、
「いまあなたが着ているのはフレンチカジュアルそのものですけど?」
と言われて、すごく驚いたんです。
 
え・・・?
 
ていうか、私、いまフレンチカジュアル着てたんだ?←何を着ているつもりだったの? 着物? ドレス? なんなら鹿鳴館?

 
っていう驚きと共に、
あ、コレ、アレだ!! 京都行こう!←なんか似ているよね、この言い回しって
と天からの啓示が降りてきたんです。
 
私がフレンチカジュアルやると、あの頃の中途半端サブカルな私のあいつになっちゃうんだ!!!
 
SO・RE・DA !!! (うぜ〜)
 
と分かって、
<フレンチカジュアル、私は危険!>
という、個別きわまりない個別な明言が、ここに誕生いたしました。
 
確かに!
ほんとそう!
私がやると、確かにフレンチカジュアルすっごい危険なんですよ。
私は危険なんですよ。
デンジャーなんですよ。
中途半端サブカルチャー分かってます気取りで!

 
この頃、私、半年もぐったりしてたら、すっごい老け込んじゃって、実年齢より10才オーバーとかに見える瞬間とかもあって、髪色も少し落として、ちょっと上品な方向にメイクとか振っているんですね。
 
元気がないとモードっぽい格好しても、私の場合は、すっごい無理してやつれてる感アリアリになってしまうので。
 
私だけかもしれませんが。
元気が本当にないとき(もうほとんど病後みたいな感じの元気の無さ)って、プチプラとかファストファッションとかが、
やつれアイテムになってしまうんです。
 
多分、内側から発せられる元気さの度合いの関係だと思うんですけれど。
 
とにかくそうなんですよ。
なーんか、いままですごく気に入っていたメイクが、やつれ具合を加速させるアイテムになっていて、しまいには「コンシーラーをつけたら?(目の下のクマものすごいことになってるよ!)」と言われる始末だったんです。
 
で、どうしよう? 
どうしたら元気よく見えるだろうか?
どうしたらツヤツヤに見えるだろうか?
年齢的にも、そろそろなんかもうちょっとこう・・・、と思っていたら、
「お前は、フレンチシックではないのか?」
という想起があってですね、
おおっ!
と膝を打ったんです。
 
たーしーかーに!
 
確かにそうなんです。
いや、パリジェンヌとかマダムとか言うとですね、
「は? あなた程度のそれで?」
って目をむかれて叱られること請けあいなので言いませんけど。書いてはいますが。
 
私、ちょっと古っぽい、アンティークさが漂うファッションが好きだし、それが一番似合うんです。
たとえばスカートだとAラインとか、ペンシルスカートのセミロングとか。
そういうの。
 
あんまり髪巻いて、そこまでノスタルジックにはしないんですけどね。
タイムスリップして来ちゃった人みたいになるから。
実際に見たことはないですけど。(いや、まずどこにもいねーだろ!)
 
でねー、それが分かった途端、とにかく私は、本来の私のスタイルにいったん戻ろう!と心に決めて、この間、シャネルのリップを買ってディオールのアイシャドウを引っ張りだし、香水を新調し、フレンチシック的な服を、
SHIEINで普段着からちょいとお出かけ着までをそろえました。
 
ひとまず、
ここから始めようと思いまして。

 
やっぱりどれもすごく似合うんですね。
自分で言いますけれど。
さっぱり、シックで、ちょい古っぽくて、それでいて好きな穏やかで綺麗な色の服。
 
私、たぶん、ここ数年、なんだかあまり好きなスタイルではない服を、今風に自分をアップデートするべきだ、という判断をしてずっと着ていたんですね。
 
そのことに後悔はないんですが。
<その時着たかった服が、その時着るべき服>
ですから。
 
でも、どっかやっぱり無理していたんだと思うんです。
 
最終的には、髪色ブリーチ入れてもらったりして、美容師さんにご苦労をかけた上に、さらに料金もかかってしまったりしたという千客万来っぷりでしてね。
 
なんかこう、張り切っていたんだと思うんです。
 
それよりも、自分に似合う服を着て、自分の雰囲気を自分なりに磨いていく、という方向になってからは、精神的に、なんだか心底ホッとしています。
 
現在は、これで良かったんだな感がハンパないです。
 
少し前にも書きましたが、コスメは、
やっぱり私は香水を少しと、
シャネルやディオールがメインで、
ファンデーションは資生堂、
時々、あれこれプチプラ予報
が、一番良いみたいです。
 
そして少し懐かしいような、アンティークな雰囲気の、静かなファッションを着て、シックとはなんぞや? を勉強していこうと思います。
 
時々、じゃ、じゃあカジュアルもこっち? とウキウキしてしまったときには、必ず
 
<フレンチカジュアル、あなたは危険!>
 
という忌憚がなさ過ぎる意見(笑)を思い出そうと思います。
 
 
20240417 13:54 誤字とわかりにくい箇所なおしました。

 
 
 
 
 

2024/04/15

ある意味、真実な写真

今頃気がついたんですけれど。  

私はいつまでたっても、自分の冗談が失礼になることに気がつきませんね!

どーしてなんでしょう?

どーなってんでしょう!

だからバカだバカだと言われるし、物事がわかっていないし、話題にした方が大切にしている方達のことが、まったく見えていないんです。

大変失礼いたしました。

 

怖いんでしょうね。誤解をうけることが。

なのに、すぐロマンチックなことを浮かれて書いてしまう。

もういい加減覚えます。

 

いまは少しだけ毎日が楽しくなっていってます。

この先の私に、自分で期待!

 
20240416 15:37 誤字を直し、文章を強調しました。
20240504 20:10 失礼で無礼な箇所をすべて削除し、お詫びを書きました。
 
 
 
 

本日のおやつ(いつの間にそんなことに・・・)

 


アマゾンで購入したチョコレートが届くまでの間、

ネットスーパーで買ったお菓子。


小枝(こえだ)っておいしいですよね。

この頃では、通常の箱タイプに加えて、こんな感じの詰め合わせがガサッと売っています。

美味しいですよね。小枝。

 

小技じゃなくて小枝ですよ。
 
よくネタになっていて、
もはや言い古されて誰も言わなくなっている感ありありですが。
 
小技じゃなくて小枝です。
 
じっと見つめていると、この字なんだっけ? 
そもそもこんな形だったっけ? 
現象になっていくと思いますが。
 
そんなあなたの
ゲシュタルト崩壊に、
乾杯!🌟