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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 

2024/11/22

手を動かしていた人の話 / アリアナ・グランデ / 7 rings

以前、私は本当に合わない町に住んでいたことがありました。 
それでまあ現実に嫌な目に散々合っていたんです。
はっきり言って、当時の私の部屋の周辺には、私のことが何故だか嫌いな人が多めで、どちらでもないし普通に接しますよ? という人が5人くらいしか居なかったんです。
しかもその人達とも会話したのは1回ずつという、ツイテイナイ時期だったんです。
 
その頃、後からその町にやって来た女性が、ほったらかしの10メートルくらいの空き地を持つ小さな建物に、ペット専門の雑貨店を開いたんです。
店構えとかが私の好きな雰囲気の雑貨で、私にはペット雑貨は必要なかったけれど、お店の飾りつけもシンプルで洒落てて、私はその前を通るとき、わざとゆっくり歩いてホッとしていました。
 
そのうちその女性が、昼間にほったらかしの雑草が生えているスペースで、軍手して草むしりを始めたんです。
お店の掃除かな?と思っていたんですが、その女性はただ黙々と日々時間が空いたときに草むしりをしていました。
1人でやっているから、ちょっとずつしか進まないんですけれど、とにかく草むしりを淡々と進めていました。
そのうち、その草が全部抜かれて、白い土の部分だけになった後、DIYでよく使われてる、ラティスと呼ばれる木の塀を周囲に立てて、お洒落白い色に塗ったんです。
 
???と思いながら、毎日前を通っていると、そのうち、そのペット専門の雑貨店は、ドッグランとしてそこをお客さんに提供したんです。
ドッグランを作られていたんです。

そういう所で、なんだかそういう場所でしたから、多分、何らかはあったと思うんですが、その人はただ淡々と、1人でドッグランを作っちゃったんです。
 
私は、とにかく手を動かしていれば、作りたいものは、そのうち完成するんだな。
というのをあらためて確認したんですよね。
お金を貯めてその町を離れ、すごく時間が経っていく中、私は時々、その女性がしゃがんで黙々と手を動かしている姿を思い出します。
 
きっと気持ちが落ち着くからなんでしょうね。
 
黙々と手を動かしていれば、そのうち完成する。
 
黙っていていいんです。
何やってるんですか? とか、そんなことしても、とか、いいですよね? それで一体何を? とか、しつこくされても、適当に生返事して、淡々とまた手を動かす時間に戻ればいいだけ、なんですよね。
 
気持ちが鎮まる光景として、彼女の姿は私の中に残っています。
 
みなさんは、気持ちが鎮まる音楽はなんですか?
私はアリアナ・グランデの7 ringsという曲です。 
これはティファニーにアリアナが買い物に行ったときに、ソファに通されてシャンパンを飲んでいる時に、飲み過ぎちゃって酔っ払ってしまい、1個しかいらなかった指輪を間違えて7個買っちゃったんです。
 
ティファニーは老舗ですから、そんな詐欺な気持ちを出しませんので、アリアナが酔って注文して、ああ間違えているんだな、と思っても、その場で7個の指輪を渡して、後で返品を受けるつもりで、アリアナの気持ちをくじかないようにしたんですよね。
これは高級有名店の話で、私達が普段行くお店では現実にありません。

結局、アリアナは余っちゃった6個の指輪を、自分の仲間にあげたそうです。
これにはもう一つ素敵な話があって、いつもアリアナにいい仕事をしてくれる、スタイリストさんが居たんですって。
その彼女に、新たに同じ指輪の7個目を1つ買ってきて、贈ったんだそうです。
彼女はとても感激したんだろうな、と思います。
あなたも仲間よ、と言うほどの仕事をし続けた彼女への気持ちとしては、最上級だと思います。
 
歌詞の内容は、私の解釈ですが、消費や欲望、そしてお金の感覚を持つ、お金が自由になるとある若い女性のことを歌っています。
所々、当時のアリアナの様子が顔を出していますが、歌詞全体を見ると、ああ、あのゴージャスな暮らしをしている人達は、こういう気持ちなのかもね。
という好きな歌です。
 
私はこの曲を聴くと、気持ちが鎮まります。
淡々と手を動かそうと思うんです。
それはジュディ・ガーランドがミュージカル映画で「マイ・フェイバリット・シングス」という歌を披露した時、私も自分のお気に入りをここにはめ込んで歌いたいな。
そうしたら、私の大切なものにもっと私の気持ちが込められるのに。
気持ちが沈んだ時、この自分だけの替え歌を口ずさめば、気持ちが明るくなるのに。
と思っていた、きっと世界中のたくさんの小さな女の子達、男の子達、どちらでもない子達のお手本を、アリアナ・グランデは7 ringsという楽曲で、失敗しちゃっても私はこうしてる。とミーニングを込めて歌ったのではないでしょうか。

そう考えると、大丈夫、あの楽曲にあなたのお気に入りをはめ込んで失敗したのは、あなただけじゃないわよ!
と思い当たる大人達が、たくさんこの楽曲制作スタッフに名を連ねているのだろうな、と静かにクスッと温かい気持ちになれるんですよね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

全員、数学的思考の持ち主 / Great Hacking

 

 
ゼニ金(かね)の勘定(かんじょう)ができる人は、
全員、数学的思考の持ち主です。
成績は関係ありません。
メカニック全般が冷静に取り扱える適性がある、ということを私は言っています。
 
何が必要で、何が必要でないか、普段のゴミ捨てでちゃんと出来ています。
料理の火をあつかって何が作れるか、ということや、どのような味になるのを知っている、ということは、すべて数学的思考の結果です。
掃除の洗剤をどこにどうすればいいかを知っていることも、すべて数学的勘定(かんじょう)です。
 
薬箱、薬を置いてあるスペースを見てください。
そこに必要なものだけがちゃんとあるでしょう?
普段の薬、もしもの薬があります。
それが、数学的思考があなたも出来ているという確認です。
 
 
 
 



2024/11/18

寒い午後のお茶

 

散歩途中にシアトルズベストがあったので、ケーキとアメリカーノを注文しました。
 
アメリカーノって、日本のコーヒーで言うアメリカンだと思っていたのですが、店員さんにコーヒーはストロングが好きだと伝えると、アメリカーノを勧められてびっくりしました。
濃くて、今日のコーヒーは少し酸味があったので私は苦手でした。
 
私はコーヒーの酸味が苦手ですが、酸味が好きな人ももちろんいます。
その流れでブルー・マウンテンが存在するので、なるほどな、と思います。
同じ方に、エスプレッソを教えていただき、いまエスプレッソマシン購入を計画中です。
 
エスプレッソって、あの小さなカップに入った、すっごい濃いコーヒーのことでしょう?と思われる方も多いと思います。
(ランチのコンソメが入っているあの大きさのカップ)

私も以前エスプレッソを頼んだ時、あまりの濃さにびっくりしたのですが、エスプレッソってコーヒーの1番美味しいところを抽出したコーヒーのことなんだそうです。
だからあのミニカップに入ってて、値段が1番高いんですって。
どうもエスプレッソ自体を大きく誤解しているようだ、とおっしゃっていました。
確かに、オーパカナルで飲んでみたエスプレッソは美味しかったんです。
え、美味しい! と言葉が飛び出てくるほどに美味しかったんです。
ものすごく濃くなければエスプレッソにあらず、という誤解が早く解けるといいですね。

 

 

私はバスの2人がけの席に座っていて車内で1番最後に隣が埋まる人間です。
 
若い頃は、どうしてかな? ととても傷ついていたのですが、しばらくして当時私の顔はいまでは普通ですが、小さめだったので比べられたくなくて座らないのだ。と気がつきました。
歳をとっていくにつれ、その基準は無くなり、今度は私がとても緊張しているからだと気がつきました。
なんとなくの、そうだ、という判断の、言語化されない思いやりだったんですよね。
 
時々、街で真面目そうな方、きちんとした風の方が、少しだけうつむくシーンに出くわします。
真面目そうで、きちんとしていて、洒落ていて。
 
そういう人を自分から引き下がらせるアレコレを考えつく人達って、本当に自分に自信が無いし、無くても自立で存在できない人なのだと思う。
 
うらやましいから、相手の価値の零落を行い、その人達を傷つけて、自分達はこちらが入りたくも無い枠の中の「IN」だと気取っている。
 
その基準も気取る材料ですらないのに、自分達がさも排他してやるんだと言わんばかりの、「うらやましがり屋バカ」が私は嫌いです。
 
写真はクリスマスリース。
年々クリスマスは静かな気持ちで過ごせるようになりました。
楽しむのもいいけれど、しん、と鎮まっている気持ちでほのかに灯す、そういう12月やクリスマス、新年もいいですよね。
 
えー今年はまだまだ更新しますのでご安心ください(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 

Great Hacking誕生 グレートハッキング / Great Hacking

 

 
グレートハッキングという言葉を造りました。
日本には、町の言葉で「そんなもんバカにしちまえ!」
という言い方があります。
 
これは馬鹿と書かないところがポイントで、バカというカタカナで書くので、新語であり造語だった言葉です。
平成・昭和・大正・明治・江戸ごろからではないでしょうか。

これは、バカになる。という機械を主に扱う人達によって受け継がれてきた、普通の言葉です。
「あーコレ、バカになった。」(もう機能しないよ。壊れちゃったよ)
という意味です。
 
この頃、大変なハッキング犯罪で、ホワイトハッカー達が大活躍しているんですが、ハッキングという言葉自体、悪い言葉のように思われているかもしれません。
もともとハッキングというのは、善・悪関係ない、ただの技術行動の意味です。
 
で、ハックという言葉に、グレートと付けて、偉大なハッキング。
同時に、善いハッキング。という言葉を造りました。
 
この考え方。
もともとライフハックという生活の知恵がありますが、それのもっと大元版。根源に近い技術行使、行動のことです。

「明るい気持ちになるかどうか」が、それはグレートハッキングかどうか?の判断基準です。
その上、これが理念でもあります。
つまりそれを守っていなければならない。
これがルール。
 
では、現実の行動で、グレートハッキングの例を挙げると。
自動販売機からジョークで、ソフトクリームが出てきてそれがいつまでも止まらない時、電源を引っこ抜け。ということです。
 
自動販売機から卵が出てきたら、あの小さな女の子達のように、祝福とギフトを受け取れ。
そして、それを持ち帰るかどうかは、自分で決めていい。
みたいな感じです。
 
嫌な体験、悲しい気持ちを更新するということは、リフレッシュレートするということ。
 
これはパソコンのシステム命令の言語で、更新という意味ですが。
よくサイトを更新する、なんて言いますよね?
これって以前のコード命令(プログラミングとも言いますね)で機能していた、 
状況を、書き換えて良い。」
というハッキング概念と行動のことです。
 
私達の日常にあるトラブルやトラブルの状況を、こういう機械的なものや機能に置き換えて、一度起きたトラブルへの考えから離れ、そのトラブルが持つ状況や本質、帯びている要素、その底には本当は一体なにがあるのか。
個別ごとのトラブルのシステムの造りを理解し(トラブルの流れと骨格)、
じゃあどういう風に工夫したり、直したり、
ここだけやり変えたりするか、を考え、
実行することも、Great Hackingと言います。 

しつこいようですが、
「明るい気持ちになるかどうか」が、
それはグレートハッキングかどうか?
の判断基準です。
その上、これが理念でもあります。
 
つまりそれを守っていなければならない。
守っていなければそれはGreat Hackingでは無い。
これがルール。
 
このグレートハッキングは、アリアナ・グランデ(Ariana Grande)の7Ringsの歌詞に、
G-Thankというスラングが出てくるんですが、
それを聴いている時に思いつきました。
ありがとう。アリアナ。
そう、これってGreat Thank Youの省略版です。
 
それからハッキングを善悪という狭い意味から、もっと根源に近い考え方で使えないだろうか。と思い、Great Hacking / グレートハッキングという言葉にしました。
 
「偉大」と「ハッキング」をくっつけただけ。
簡単でしょう?
シンプルな機械は壊れません。
シンプルな構造ほど強靱でタフです。
 
だからこのGreat Hackingという造語は、バカになりません。(壊れたりダメになったり、からかいとして機能しないということ。)
 
グレートハッキングの考え方、
物事の構造を理解し、
それをより良い方向で、
運転の仕方をスマートにブラッシュアップする。
ブリリアントな効果を端的に発生させるもの。
 
そういう知恵と呼ばれるもののことを書くコーナーを造りました。
よろしくー。
 
エナメル
 




 
 
 



2024/11/17

灰ブルウの海

  
 

 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
「予想はだいたい当たっていた。かわいげのある大人のへや、という感じ。濃い色のじゅうたん。本棚にぎっしり詰まった要所。それから予想外に、海っぽいタッチがあった。どことなく、そうだった。古い揺りいす。皮張りのソファ、台所の床に放置された鉄のストーブ、飾り戸棚にずらっと並んだ酒瓶。何となく、船室の趣があった。」

(吉本ばなな N・P 角川文庫 より 初版1990年12月)
 
<僕の心の中には廃墟がある。 坂本龍一>
この言葉は、90年代にとある小さなブックかその頃偶然手に取った雑誌のど真ん中に、印刷されていたものです。
いま検索したのですが、どの雑誌だったのか、どの単行本だったのかの情報がありませんでした。

どうして私がこれを坂本龍一の言葉だと強烈に記憶しているかというと、私の故郷のコンクリート群の光景が、やがて大人になり、生まれて初めて東京に行った時、ただ、ビル群を背景とした町に臨み、懐かしい。と瞬時に認識した体験からです。

その時、どうしてだろう? と奇妙に思いました。
そして、東京という街は、私の故郷に酷似しているのだ。と、結論を出しました。
 
それからまた年月が過ぎ、違う街に住む私は、東京で青年期を過ごしていた人に、わかるかな? と、この体験を軽く話すと、即座に私の故郷と東京のどこが似ているんだ。と吐き捨てられました。
そんな地方都市と大東京が似ているわけがない!と東京に住んでいた時期がある人に言われたんですね。
 
私はそれでも、最初に出した結論にひるみませんでした。
東京に住んでいたことのあるこの人達にはわからないけれど、東京は私の故郷に酷似している。と思い続けました。

やがて、さらに未来、東京は府中市で起きた三億円事件をモチーフとした美しいフィクション、「初恋」という映画を観て私は、あ、と思いました。
そしてすぐに、私の故郷で当時の東京の風景を撮影した。という情報に行き当たりました。
つまり、私の原風景はやはり故郷の街だったわけです。
だからこそ東京を懐かしいと思った。
 
いま私は東京で生まれ育った方と一緒にいるのですが、その方は現在私が住んでいるエリアを見て少し驚いていました。
「東京に似ているな」とぼつり、と言いました。
「どうしてここに住もうと思ったんだ? 」とさらに静かに尋ねました。
私はなんと答えたかよく覚えていませんが、気に入ったから、とか、この景色が好きだったから、とか、そういう言い方をしました。
そしてつい先頃、「ここも
(この一角も)東京に似ているな。」「どうしてこんなことするんだろうな。日本の街はどこ行っても東京に似てる。」
と夜を滲ませながらそっと言いました。
 
なのでまあ、私の原風景と私の結論は、思いっきり正解をもらったわけです。
 
では原風景ではない自分の記憶の景色はなんだろう? という風に話を進めますが。

昨日インテリアに使うライトを探していた時に、ふと海のエッセンスを取り入れたいと思い、相談しながら色々見ていました。
素敵なライトを見つけ、すぐに購入し、安い買い物ではないので、この先、少しずつこのテイストのものを揃えていこうと、満ち足りた気持ちで眠りにつきました。
 


こちらのオンラインショップです。
船のでんきや日東電機 Online shop
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美しい写真は同じリンク先様のサムネイルをお借りしています。(サイズ変更のみエナメル)

今朝あれこれ考えていたんですが、私の故郷には「海のテイスト」が全くなかったんです。
でも”海っぽいタッチ”のものを、ずっとこの歳になるまで探し続けているんです。
変だな、と思っていたら、私がこの街に来て最初にやったことは、制服を着たまま土曜日に電車に乗って海を分ける道の先にあるヨットハーバーにあるレストランでランチを食べる事だったことを思い出しました。
サンドイッチです。それとジンジャーエール。
その時間がとても好きで、私は他に誰も客がいない土曜の午後のレストランを貸し切りにしたまま、静かに窓から見えるヨットと海を見下ろしながら、黙ってランチを食べていました。
いま考えると、店員さん達が「この子のことはそっとしておこう。とてもロマンティックな午後を楽しんでいるのだから」と、私が店を出るまで全員カウンターの中で作業をし続けていた、不自然極まりない仕事をさせてしまった気遣いが申し訳なくなります。
そして、とても幸せだった時間を、いまでも時折、思い出します。
 
そのレストランはいつの間にか無くなってしまい、もう少し大人になり、結局恋にはならなかったけれど予感がある2人でドライブで行った時には、建物自体がありませんでした。
 
じゃあ一体、その”海のタッチ”はどこからやって来たのかというと、分からないんです。

もっと子供だった制服を着ていた頃にも、緑色の透き通った大きなガラス玉が茶色いロープで編まれた中に入っているインテリアがある喫茶店、駅前の、青く下に行くにつれ細かい三角形のひびをわざと入れたガラス瓶を眺めたり、灯台について18歳の頃、小説を書いてみたりと、なぜだか海なんです。
楽曲かな? と思ってさらってみても心当たりはないし、実は私の生家は誰も音楽を日常的に聴く文化も、海辺にドライブに行くという文化もありませんでした。
海水浴は田舎の海辺です。
なのに、私には”海のタッチ”が強くあるんです。

海のない町に住んでいた頃は、雨が降ると潮の匂いがするという歌詞を知り、その通りだと息を飲み、大人になると海辺のバーをあてども無く探したり、埠頭は人気が無くてあまりにも怖ろしいから、繰り返し繰り返し高速道路から見渡す内海と外海の境を見ていたり。
 
これは一体なんだろう? とよくよく自分の中に目を凝らしてみると、どうも、曇った空、小雨から少し強くなりつつ雨が降る、白い建物とビニールの紺色のレインコート、なぜか桟橋?かコンクリートの汚れた建物の傍のスペース、そしてライトがあるんです。
寒い、冷えた滲み方をした光が二つ、奥から手前にあり、白く尖った波模様が続く鈍色の水平線、高い上空に低く曇った天気、それを5キロほど離れた雨の降っていない場所から見ている。
その光景があります。
 
なんだっけ? と考えても考えても、そんな体験はないし、周囲にそのような人は皆無。自分の体験を繰り返し繰り返し話して聞かせてもらった経験も皆無。
そんな昔にはテレビは見せてもらってなかった。
後付けの映画を観ていたとしても、タイトルや俳優すら記憶していない。
雑誌の写真であったとしても、幼稚園生頃の記憶です。
さすがの赤毛のアンも字が読めるようになってからですから、小学校2年生です。
当時、読書に触れさせてもらっていなかった私が必死で目で追っていたのも、レシピ本とジャーナル写真ですから、それ以降ではない。
映画も小学校2年とか1年からです。
その前は観ていないはずです。
 
ひょっとしたらスピルバーグのジョーズではないか? とも思うんですが、なんと映画鑑賞というより音楽がそのものが怖くて、私、終わるまで画面観ていなかったんです。
それで文句を言われてバカにされたのでちゃんと覚えています。
それ以前はありません。
しかもディズニーもまた、触れていない文化背景だったんです。
 
なんなんだろう? と朝のキッチンで首を傾げていて、生まれて初めて自分の中に、素敵な予感のする光景が存在する楽しさに、穏やかな幸せを感じています。
 
それで冒頭の吉本ばなな著 N・Pを思い出し、引用しました。
写真の本がベコベコなのは、何度も何度も数え切れぬほど読み返し、毎年、梅雨が始まる前に必ず開いていた私の日々、そしてふと思い出してはまた手に取り、風呂の中でも読んでいた可笑しな夢中の時間の栞です。
 
みなさんの中に、そういう光景はありますか?
見つけ出すヒントは、今までの時間、自分が選んできたものに点在する共通エッセンスです。
 
これは何でしょう? 
見つめてみて下さい。
 
とても静かな、きっと自分は昔、一枚の写真だったのではないか? と思える時間を過ごせますよ。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。