O先生によるエナメル紹介



ブログ更新通知機能付きRSSリーダー - ブログチェッカー
https://play.google.com/store/apps/details?
id=com.skelabo.blogchecker&pcampaignid=web_share

うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 

2021/11/02

タトゥーとピアス

 


 

私は、人によって応援の仕方というのは違うものなので、好きなことだから、応援の仕方は応援している人の好きにすればいいのではないか、と思っているファンです。

 

けれど、物事には限度というものがあるので、よろしくない行為まで行くのは、ちょっとなぁとも思っています。

 

その前提で読んでほしいんですけれど。

 

私は、応援している人が、好きに人生を生きている姿を見るのが好きです。

なので、時々、その人の好きにすればいいと思うと、書いています。

で、応援の仕方も、とても個人的なことだから、個人個人で好きなように応援すればいいと思ってもいます。

 

その際、ついてくる苦しさや(人によっては苦しい想いを抱いている人もいるので)、悩ましさ、というのは、結局は、ファンというのは、頼まれてしていることではない範囲のことですので、自分で決めていくしかないと考えています。

そういう意味で、自分の責任の範囲で応援する、というのが、基本的な姿勢だと思うんです。

 

で、そうしている時に、時々は、不可解な気持ちを抱いてしまいそうなことにぶつかる時もあります。

 

例えば、応援している人が大きな人生の選択をした時、表題にあるように、スタイルチェンジをした時、もっと大きなことを書けば、芸能活動との関わり方を変えた時。

 

その時に、動揺してしまうのは仕方ない(私だって動揺する時はします。)として、その後、自分をいったん、客観視してみれば、わりと気持ちの整理がつけやすくなるのではないかな、と考えています。

 

客観視って言われても、やり方がわからない人のために、たくさんある方法のうちのひとつとして書くなら。

 

もし、自分という異性がいたら、どんな感じか。

(異性愛が大前提という意味ではないです。あくまで視点の切り替えのひとつとしてこう書いています。当てはまらない人は以下のパートナーで考えてみてください。21年11月3日追記)

もし、自分みたいなパートナーがいたら、どんな感じか。

もし、自分みたいに応援しているファンがいたら、どういう感じか。

 

それを考えてみると、わりと、簡単に自分を客観視できると思います。

 

ああ、自分はどこかで相手を思い通りにしようとしていたな、

とか、

自分はスタイルの違う人を受け入れるのに、別の理由を用意して自分を誤魔化してしまうんだな、

とか、

自分は本当は違う応援の仕方をしたいんだな、

とか、

もっと個人的なことを知りたいと思っていたんだな、でもそれはプライベートのことだから、芸能活動をしている相手にとってはストレスだな、

とか。

 

そういう風に自分を他の1人として客観視できると思うんですよね。

 

いいとか、悪いとか、そういう話ではなく、

 

「自分でも気付かぬうちに、感情の迷路に迷い込んでて、苛烈な反応を繰り返す自分に振り回されて、クタクタになってしまっているんじゃないか」

 

と思う人を、時々、ネットで見かけるんです。

 

そういう人に、巡り巡って、これを読む機会があって、少しは気持ちの整理に役立てればなと思って、書いています。

 

応援するということに、これが正解というものはカッチリ決まってはいません。

 

でも、クタクタに疲れ果ててしまっている場合は、何かが間違っているんだと思います。

 

それが何かは、それもまた個人個人のことなので、これだ!と明記できないんですけど。

そういうときに、自分を客観視してみるということは、割と気持ちが楽になっていく行為なので、よかったら試してみてください。

 

 

その上で、ここからは、私個人の価値観を書きます。

 

グクさんのタトゥーとピアスはいままで、私は特に問題とも思っていないので、書く必要もないと触れてきませんでした。

 

正直、人のファッションスタイルの事であれこれ口出しするのが、昔から、大嫌いなので、何も言ってこなかったんです。

 

でも今回、「FALLING」のグクさんの渾身のカバーを聴いて、1度書いておこうと決めました。

 

私はこのカバーを聴いたとき、グクさんがパフォーマーとして1番、ノリにノッてるときに、挑戦してみたい楽曲だったんだろうな、とすぐに思いました。

すごいカバーだな、とシビレましたし、記録としてこれから残っていくのが誇らしいとも感じています。

 

ただ楽曲の歌詞世界を聴くと、とても苦しい、孤独な心が歌われていること、先のオンラインコンサートで、グクさんがSo Whatのときに、

「僕のことが気に入らない人へ。・・・なんだよ!」

という言葉を使ったこと、

(すいません、記憶なので、「てにをは」は違ってるかもしれません)

 

その2点から、やっぱり、グクさんのタトゥーやピアス、そして彼を攻撃している意味不明なゴシップについて、応援する側の1連の過剰な反応を、気にはしてるのかなぁと、ちょっと思ったんですね。

 

実際のところは、ご本人じゃないので、よくわかりません。

特に思い悩んでいるということも、ないかもしれないですし、これを書いている私こそが、過剰反応なのかもしれません。

 

ただ書いておきたいなと思ったことのひとつに、

人って長い時間をかけてみると、すごく変わるんだ。

ということもあります。

 

なにか、変わることをすごくネガティブに捉えている人が、あんがい多くて、時々驚くんですけれど。

 

変化するっていうのは、とても自然なことだし、あたりまえなんですよね。

 

私だって10代からいまにかけて、ファッション全然違いますし、価値観も全然違います。

変わらない気持ちの部分と、どんどん変わってよかったな、と思う部分と両方あります。

 

そして、その両方があるのが、1番、人間として自然な姿だと思っています。

 

応援するって、応援する相手と同じ時間を共有できる、素敵な方法なんですが。

 

応援する側は、同じ時間を共有している状態で、自分もまた、表面に出たり、出なかったりしても、どちらであっても1緒に時を経て、変わっていってはいるんだ、という認識を持っていた方が、心穏やかでいられるんじゃないかとは思っています。

 

変わらないように見えて、あなたも変わっていってるんですよね。

 

誰でも変わっていく。

それは悪いことではないんです。

 

もし、変わってしまうことが、ネガティブな結果だと捉えた場合は、

 

(それをどうこういうことはしません。それもまたその人の考え方だから)、

 

変わる前には戻れないし、戻らないし、時間の共有という部分から、変化をネガティブであると思う人は、自分と相手の両方の時間が過ぎていっていることが、要は嫌だなと思っているんですよね。

1時期のまま、変わらないでいたい、いてほしい、と思ってる。

 

それって、1緒に時間を進んでいく状態から、自分から離れていってしまっていることなんですけど。

 

それに気づかず、「変化し続けている状態の人」を変わらない価値観のまま応援しようとしているので、無理が生じているのだと私は考えています。

 

だから、応援するのをやめれば?とは言いません。

 

ただ、混乱している理由はそこにあると思うので、思い当たる方がもしおられたら、少し、離れてみて、応援しているファンライフ、ARMYさんであればARMYさんライフを、見直してみてはどうでしょう?

 

そうすれば、自分でもどうしてかわからないまま、同じ話題を延々と繰り返して、不愉快な気持ちだけが膨れ上がっている状態からは、抜け出せると思います。

 

 

そして、私は、ですが、決めていることがあって。

 

応援する上で、本人が公開している以上のプライベートは共有しないし、決してしようとしてはならない、

と考えています。

 

それもまた、私1人の考え方です。

どう思おうが、それは人の勝手です。

 

でもどこかで線引きをしないと、芸能活動をしている人の全部を捧げてくれというのは、無理難題を吹っかけているだけに過ぎないし、それをすれば潰れてしまうのは火をみるよりも明らかなことで、それでなくともBTSはもう、かなり自分たちの時間を削って活動している部類に入ると思っているので、ちょっと冷や冷やしながら見ています。

 

タトゥーにARMYと入れたグクさんの気持ち。

すごく強い想いで、体に自分の気持ちを入れて、それで騒然となってしまう気持ち。

好きなファッションを拒絶されてしまう気持ち。

自分の選択に対し、生理的な嫌悪をあげられるときの気持ち。

 

それをもう1度、考えてみる必要があるのではないでしょうか。

 

もう十分だと思います。

グクさんだけでなく、BTSのメンバー全員、十二分にこちら側が応援している気持ちに、こたえてくれています。

 

彼らにこれ以上を望むのは、酷というものではないでしょうか?

 

私はそう思っています。

 

 

長くなりましたが、

いまのところ、私がグクさんのタトゥーとピアス、その他のこと、その周辺のことに対して、考えていること、思っていることでした。

 

 

 

 

 

↓お帰りの前にランキングバナー、ワンクリックのご協力をお願いします。

 

 

 

 


 

 

 

 

2021/10/29

きらり

 


 

HondaC Mソングが、必ず次に来るアーティストを使う、早耳セレクトのオンパレードだったり、素敵ソングを必ず使っていたりする、というのは有名な話で、もうHondaはレーベル作っちゃえばいいんじゃないか、というのは、音楽好きの人々の間ではお馴染みの言葉なんですが。

 

ご存知ない方向けに説明すると、Hondaこと本田技研工業株式会社のですね、車のC Mに起用されるアーティストが、ちょっと書くだけでも、SIRUP King GnuFriday Night PlanSuchmosONE OK ROCK、米津玄師というですね、そうそうたるメンバーなんですね。

 

参考リンク:【かっこいいと話題!】ホンダの人気CM曲。歴代のCMソング【2021 https://cm.studiorag.com/honda-songs

 

で、早くから起用していた例もいくつもあって(詳しくは参考リンク様の年代を見てください)、若手ミュージシャンが素敵な曲を出すと、「Hondaにそろそろ見つかりそう」、なんて言われていたりするんです。

 

そんな中、Hondaにしてはメジャーどころを使ったな、と思ったのが、今日取り上げている、藤井風さんの「きらり」です。

 

これ、私、You TubeC Mで見たんですが、ユーチューバーやプロデュースでお馴染みの、あさぎーにょさんが出ていて、それも驚きでした。

 

楽曲のリリースは今年(21年)の5月だったそうですから、その頃からC Mが流れていたとして、なかなか長期間流れているC Mになるので、評判がいいんでしょうね。

 

C Mの内容は、皆で楽しくわいわいドライブをしている体(てい)で、「きらり」のサビを歌うというもので、前述したあさぎーにょさんもすごく好演していて、なんだかとても楽しそうだし、外に流れている景色も素敵だし、乗ってる車ももちろんいい感じで、見ていて楽しい気分になるC Mです。

 

私自身はC Mに気づいたのが遅く、つい最近、CMの中で流れているこれ、いい曲だなと思ったら、もうすっかりヒットしてお馴染みの「きらり」だったのでした。

 

・・・で、ちょっと、距離感がつかみにくい話なんですが。

 

先日、こちらが1方的にファンである、というだけの方が、天寿を全うして天国に旅立ってしまわれてですね。

まえ話したように、私はそういう時泣けないし、生前、現実で親しい交流があったわけではないけれど、ファンとしてすごく寂しいですし、心に穴が空いてしまったような、ポカン、としてしまうような、悲しさに包まれていたんです。

こういう気持ちはどうしたらいいんだろう・・・、と途方にくれるくらいは、私にとってもやはり大きな存在だったんですね。

 

その時に、この「きらり」を偶然、聴いて、なんだか、秋の空のような、突き抜けた、透明な寂しさは消えないけれど、気持ちが落ち着いたんです。

気持ちの落とし所がついた、という感じで。

 

いまはもう、私は私の現実の日常をやれる精神状態になっていて、こういう淡い悲しさって、長くかかるんだな、そりゃそうだよな、と、もう気持ちが定まったので、どうか心配しないで欲しいんですが。

 

この楽曲のどこが、どういう風に私に効いたのかは、未だよくわからないんですが、この曲を聴いていると、

 

ああ、応援するという気持ちを抱ける相手に巡り会えたということは幸せなことだったんだな。

 

いまの私の気持ちは、とても寂しい。

 

けれど、穏やかな気持ちで送れる結末で、良かったな。

 

と、そんな風に思っています。

 

「どこにいたの? 探してたよ。

連れってって、連れてって。

何もかも捨ててくよ、どこまでも、どこまでも」

(藤井 風 「きらり」より)

 

いろんな聴き方ができる歌詞ですので、だからこそこの楽曲は、普遍性を持っている素晴らしいものだと思います。

 

私にとっては、時間をかけて応援できる相手に巡り合ってしまったときに、この歌詞のような高揚感、疾走感を胸に抱くので、なんだか、自分のそういうところに対して、共感してもらえたような、間違ってないよ、と言ってもらえたような、そういう嬉しさがありました。

 

大好きな曲です。

耳にしているけれど、まだフルで聴いてないよという方は、この機会にぜひ。

 

 

 

以下は、楽曲が使われているHondaC Mです。

YouTubeでこれでもか、と流れているので、ご存知の方も多いと思いますが。

ほんと楽しそうな、いいC Mなんですよね。

楽しかったドライブの記憶を世界中から集めて作ったような、ムービーです。

出てくる女性達が赤リップつけてるのも素敵なんですよね。

 

 

 


 本田技研工業株式会社 オフィシャルチャンネルより

VEZEL e:HEV WEB限定CM「GOOD GROOVE」篇

 

(公開期間が終わったようで再生できなくなっていたので、動画リンクを外しました。20220213 追記 

 

 

 

 

 ↓ お帰りの前にランキングバナー、ワンクリックのご協力をお願いします。

 

 

 

 

 

 

2021/10/26

映画「グッド・ウィル・ハンティング / 旅立ち 」感想(ネタバレあり)

 


 

1997年 アメリカ映画

 

名作といわれる作品でも、なぜか観ないできてしまうことって結構あると思うんですが、私にとっては、この作品がそうでした。

 

「グッド・ウィル・ハンティング」というタイトルとロビン・ウィリアムズが出演している映画、ということまで頭に入っていながら、おそらく当時、あとで観ようと思って、そのまま先送りにしていた映画です。

 

きっかけは、YouTubeで映画紹介をしているチャンネルでこの映画がおすすめに上がってきて、そのサムネイルを見て興味を持ったんですが、調べると、それが名前だけ覚えていた「グッド・ウィル・ハンティング」で、ああ、そういえばまだだったなと、この間、時間を作って観ました。

 

素晴らしい作品で、早く観ておくんだったなと、エンドロールを見ながら、いままで観ないできた時間をとても後悔しました。

 

教授クラスが解く数学の難問を、大学の清掃員の青年がひと晩で解いてしまう、 という、とても痛快で刺激的な物語の始まりなんですが。

 

ストーリーがとてもよく練られた、会話劇が中心の、当時のボストンを舞台に幾つかの階層の人々の姿をとてもリアルに描きながら、

・天才というものが出会ってしまった人々に与える影響とはどういうものか

・才能というものの正体とは、なんなのか

・喪失が訪れてしまった人間はその後どういう選択をするのか

・再生とは何か

という、

人生で多くの人が不意に目の当たりにするテーマを、主人公ウィルの青春期とその終わり、そして新たな始まり、までを描くことで、鮮やかに切り取った名作でした。

 

とても良かったのが、登場人物ひとりひとりの人生全部を、その役の俳優さんたちがそれぞれ緻密に解釈して演じていて、映画で描かれている物語は、あくまでもそれぞれの人物の1時期の姿に過ぎないのだと、観ている者に実感させる作りなところです。

 

なので、これはフィクションなんですが、映画を観終わったあと、それぞれの登場人物の日常は、この世界の中ではこの先もずっと続いていくものなんだな、という体感がすごくあって、すごい作品だなと思いました。

 

主人公のウィルを演じるのは、映画「ボーン・アイデンティティ」でお馴染みの、当時は無名の俳優だった、若かりし頃のマッド・デイモンで、ウィキによると、実はこの作品の脚本を、劇中でもとても重要な親友役を演じているベン・アフレックと共同執筆したんだそうです。

これで2人は、アカデミー賞とゴールデングローブ賞の脚本賞を受賞しています。

脚本化までにかなりの年月を費やしているところも、かなりよく練られたストーリーと世界観の要因ではないでしょうか。

 

私がこの作品を好きなのは、人生に突如としてやってくる、個人が抱えている問題への救済や、そしてチャンスというものが、決してロマンチックに描かれていないところなんですよね。

 

むしろ、それはすごくいびつな形で現れるし、もっと生々しく人生に関与し、その後も個々の体験を照らし出すものは照らし続けていくという、作中を通して貫かれているザラついた現実感覚があるところが、私はとても好きです。

 

これはあくまでも物語ですし、やっぱりその物語性というものがあってこそ、初めて映画として機能するという部分があるんですけど。

そのフィクションの中での現実感を、美しく、どこか寂れている街ボストンを舞台に、これでもかいうくらいリアルさを保ったままストーリー展開をしていったことが、逆に、ウィルのとても儚くて美しい1時期を鮮烈に描き出すことに成功したのではないか、と思いました。

 

あまりにもナイーブで苛烈な、切ないまでに聡明な主人公ウィルを演じたマット・デイモンは、その後、決して破滅的な人生を送ることなく、素晴らしい俳優人生と安定したプライベートを送っているので(ウィキより)、どうかご安心ください(笑)。

 

「グッド・ウィル・ハンティング / 旅立ち 」

いい映画でした。

 

お時間がある時に、ぜひ。

おすすめです。

 

 

 

 

 ↓ お帰りの前にランキングバナー、ワンクリックのご協力をお願いします。

 

 

 

 

2021/10/25

アクシデントって

 

 

アクシデントって、突然、予期せぬことになるから、アクシデントなんですよね。

 

誰のせいだったとか、注意していれば防げたとか、あとでそういうのは簡単だけど、アクシデントなわけですから、アクシデントなんです。

それをどうにかできたことだと追求するのは、そりゃ無茶な話だと私は思います。

理想をモチベーションにするのは、ひとつの方法としては、いいですけど、それを人に押し付けるのはどうなんでしょう?

 

多分、ご本人が1番、悔しく、残念なのではないでしょうか?

 

麗しの君よ、どうか、お大事に。

 

 

 

 

週刊 キム・ソクジン 更新しました。←いらない情報

 明日は予定があるので、

週刊キム・ソクジンをひっそり更新しました。←この世で最も不必要な情報

 

 

・・・、ご心配をおかけしたみたいで恐縮です。

元気です。

がんばります。