私は、人によって応援の仕方というのは違うものなので、好きなことだから、応援の仕方は応援している人の好きにすればいいのではないか、と思っているファンです。
けれど、物事には限度というものがあるので、よろしくない行為まで行くのは、ちょっとなぁとも思っています。
その前提で読んでほしいんですけれど。
私は、応援している人が、好きに人生を生きている姿を見るのが好きです。
なので、時々、その人の好きにすればいいと思うと、書いています。
で、応援の仕方も、とても個人的なことだから、個人個人で好きなように応援すればいいと思ってもいます。
その際、ついてくる苦しさや(人によっては苦しい想いを抱いている人もいるので)、悩ましさ、というのは、結局は、ファンというのは、頼まれてしていることではない範囲のことですので、自分で決めていくしかないと考えています。
そういう意味で、自分の責任の範囲で応援する、というのが、基本的な姿勢だと思うんです。
で、そうしている時に、時々は、不可解な気持ちを抱いてしまいそうなことにぶつかる時もあります。
例えば、応援している人が大きな人生の選択をした時、表題にあるように、スタイルチェンジをした時、もっと大きなことを書けば、芸能活動との関わり方を変えた時。
その時に、動揺してしまうのは仕方ない(私だって動揺する時はします。)として、その後、自分をいったん、客観視してみれば、わりと気持ちの整理がつけやすくなるのではないかな、と考えています。
客観視って言われても、やり方がわからない人のために、たくさんある方法のうちのひとつとして書くなら。
もし、自分という異性がいたら、どんな感じか。
(異性愛が大前提という意味ではないです。あくまで視点の切り替えのひとつとしてこう書いています。当てはまらない人は以下のパートナーで考えてみてください。21年11月3日追記)
もし、自分みたいなパートナーがいたら、どんな感じか。
もし、自分みたいに応援しているファンがいたら、どういう感じか。
それを考えてみると、わりと、簡単に自分を客観視できると思います。
ああ、自分はどこかで相手を思い通りにしようとしていたな、
とか、
自分はスタイルの違う人を受け入れるのに、別の理由を用意して自分を誤魔化してしまうんだな、
とか、
自分は本当は違う応援の仕方をしたいんだな、
とか、
もっと個人的なことを知りたいと思っていたんだな、でもそれはプライベートのことだから、芸能活動をしている相手にとってはストレスだな、
とか。
そういう風に自分を他の1人として客観視できると思うんですよね。
いいとか、悪いとか、そういう話ではなく、
「自分でも気付かぬうちに、感情の迷路に迷い込んでて、苛烈な反応を繰り返す自分に振り回されて、クタクタになってしまっているんじゃないか」
と思う人を、時々、ネットで見かけるんです。
そういう人に、巡り巡って、これを読む機会があって、少しは気持ちの整理に役立てればなと思って、書いています。
応援するということに、これが正解というものはカッチリ決まってはいません。
でも、クタクタに疲れ果ててしまっている場合は、何かが間違っているんだと思います。
それが何かは、それもまた個人個人のことなので、これだ!と明記できないんですけど。
そういうときに、自分を客観視してみるということは、割と気持ちが楽になっていく行為なので、よかったら試してみてください。
その上で、ここからは、私個人の価値観を書きます。
グクさんのタトゥーとピアスはいままで、私は特に問題とも思っていないので、書く必要もないと触れてきませんでした。
正直、人のファッションスタイルの事であれこれ口出しするのが、昔から、大嫌いなので、何も言ってこなかったんです。
でも今回、「FALLING」のグクさんの渾身のカバーを聴いて、1度書いておこうと決めました。
私はこのカバーを聴いたとき、グクさんがパフォーマーとして1番、ノリにノッてるときに、挑戦してみたい楽曲だったんだろうな、とすぐに思いました。
すごいカバーだな、とシビレましたし、記録としてこれから残っていくのが誇らしいとも感じています。
ただ楽曲の歌詞世界を聴くと、とても苦しい、孤独な心が歌われていること、先のオンラインコンサートで、グクさんがSo Whatのときに、
「僕のことが気に入らない人へ。・・・なんだよ!」
という言葉を使ったこと、
(すいません、記憶なので、「てにをは」は違ってるかもしれません)
その2点から、やっぱり、グクさんのタトゥーやピアス、そして彼を攻撃している意味不明なゴシップについて、応援する側の1連の過剰な反応を、気にはしてるのかなぁと、ちょっと思ったんですね。
実際のところは、ご本人じゃないので、よくわかりません。
特に思い悩んでいるということも、ないかもしれないですし、これを書いている私こそが、過剰反応なのかもしれません。
ただ書いておきたいなと思ったことのひとつに、
人って長い時間をかけてみると、すごく変わるんだ。
ということもあります。
なにか、変わることをすごくネガティブに捉えている人が、あんがい多くて、時々驚くんですけれど。
変化するっていうのは、とても自然なことだし、あたりまえなんですよね。
私だって10代からいまにかけて、ファッション全然違いますし、価値観も全然違います。
変わらない気持ちの部分と、どんどん変わってよかったな、と思う部分と両方あります。
そして、その両方があるのが、1番、人間として自然な姿だと思っています。
応援するって、応援する相手と同じ時間を共有できる、素敵な方法なんですが。
応援する側は、同じ時間を共有している状態で、自分もまた、表面に出たり、出なかったりしても、どちらであっても1緒に時を経て、変わっていってはいるんだ、という認識を持っていた方が、心穏やかでいられるんじゃないかとは思っています。
変わらないように見えて、あなたも変わっていってるんですよね。
誰でも変わっていく。
それは悪いことではないんです。
もし、変わってしまうことが、ネガティブな結果だと捉えた場合は、
(それをどうこういうことはしません。それもまたその人の考え方だから)、
変わる前には戻れないし、戻らないし、時間の共有という部分から、変化をネガティブであると思う人は、自分と相手の両方の時間が過ぎていっていることが、要は嫌だなと思っているんですよね。
1時期のまま、変わらないでいたい、いてほしい、と思ってる。
それって、1緒に時間を進んでいく状態から、自分から離れていってしまっていることなんですけど。
それに気づかず、「変化し続けている状態の人」を変わらない価値観のまま応援しようとしているので、無理が生じているのだと私は考えています。
だから、応援するのをやめれば?とは言いません。
ただ、混乱している理由はそこにあると思うので、思い当たる方がもしおられたら、少し、離れてみて、応援しているファンライフ、ARMYさんであればARMYさんライフを、見直してみてはどうでしょう?
そうすれば、自分でもどうしてかわからないまま、同じ話題を延々と繰り返して、不愉快な気持ちだけが膨れ上がっている状態からは、抜け出せると思います。
そして、私は、ですが、決めていることがあって。
応援する上で、本人が公開している以上のプライベートは共有しないし、決してしようとしてはならない、
と考えています。
それもまた、私1人の考え方です。
どう思おうが、それは人の勝手です。
でもどこかで線引きをしないと、芸能活動をしている人の全部を捧げてくれというのは、無理難題を吹っかけているだけに過ぎないし、それをすれば潰れてしまうのは火をみるよりも明らかなことで、それでなくともBTSはもう、かなり自分たちの時間を削って活動している部類に入ると思っているので、ちょっと冷や冷やしながら見ています。
タトゥーにARMYと入れたグクさんの気持ち。
すごく強い想いで、体に自分の気持ちを入れて、それで騒然となってしまう気持ち。
好きなファッションを拒絶されてしまう気持ち。
自分の選択に対し、生理的な嫌悪をあげられるときの気持ち。
それをもう1度、考えてみる必要があるのではないでしょうか。
もう十分だと思います。
グクさんだけでなく、BTSのメンバー全員、十二分にこちら側が応援している気持ちに、こたえてくれています。
彼らにこれ以上を望むのは、酷というものではないでしょうか?
私はそう思っています。
長くなりましたが、
いまのところ、私がグクさんのタトゥーとピアス、その他のこと、その周辺のことに対して、考えていること、思っていることでした。
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