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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 

2025/02/16

そういうのは、もういい。

13時公開の予定ですが、早めに。
 
日曜日ですが、今日は刺激の強そうなことを書いています。
 
昨日、YouTubeで2025年のグラミー賞のパフォーマンスを見ていました。
 
最新の音楽を探すのも面倒くさくて、ずっとサボっていたんですけど。
再生回数がすごく高いのを見つけて、何だろう? と見てみたんですね。
 
それがチャーリー・XCXの2025年グラミーでのパフォーマンスでした。
観た後、もうストレスというストレスが瞬時に消え、楽しさのあまりビール2本飲んで、黙ってそれぞれ好きな音楽系の動画を観て、突然眠くなってぐっすり眠って朝は無駄に身体の中が満ち満ちていて、黙ってゆっくりしていました。
 
チャーリーのパフォーマンスを観て、翌朝、思ったことは、
「あーせいせいした!」
でした。
 
そして、ああいうのいいな。コレだな。と何度も何度も思って、あ、もうこういうのにしよう! 私はこれで行こう!と決めました。
 
こういうの何かな? と思っていて、何度も思っていて、ああもう全部何もかも「古いな」と思ったんです。
で、「あ、古いって言葉も、もう追いつけてない。これで掴めてないな。」とすぐ思いました。
 
そしてiTunesでさっそくパフォーマンスに使われた楽曲入りのアルバムを買って、上に書いてある細かい説明も、「もういいや、こういうの」と読みもせずに、いま聴いています。
 
もーう、スッきりしました。
長い間、ずっと????と思っていたことや、感じていたことが、あっさり、「なんだ、いいんじゃん」と分かって、本日は気分爽快です。
 
いつも、常に、「見たことがないものが見たい」んですね。
 
で、何か、「わあ!」と思うものに触れたときに、あ、これはね、っていう説明がもう重たいんですよ。
どこ見ても、古いものばっかりで、歴史を参照してばっかりで、リスペクトがあって、自分の歴史を大紹介。
何か知っても、それはこうでね?っていう「昔からの何らかを知ってなきゃダメ」価値観が、本当に嫌でねー。
 
私は一応やってみるんだけど、もう全部重たいんですよ。
 
だって過去って、通り過ぎたものでしょう?
それがどうしたんだ? っていつも思うんです。
過去に大切なものがあることを否定はしてないんです。
それは個人の大切なものだから、こっちも最重要に大切で、そういうことをぽつりと話されると嬉しいんです。
 
ただね、全部として見て、過去はどうしようと過去なんですよ。
通り過ぎてきたもので、それをね? 知ってなきゃいけない。それ頭に入ってなきゃいけない。
「わあ!」って思ったものを、なんでそのHighを喉から身体から精神全体で味わう前に、勉強しなきゃなんないんだろう?と、それこそ数十年思い続けていたんですよ、私は。
 
温故知新とかさ、なに過去を参照して、これこれこういうことでね? っていうの見せて、それがどうしたの? 
や、そんなこと言われても。
 
もうこっちは、Messageがいらない。もううるさい。そういうのももう結構です。で、完了してるんですけど。
 
ただパフォーマンス観て、すごーい! 初めて観たよ! と乾杯な気分になってるのに。
 
誰? 胸が明るいもので充満して、黙りこくってる傍で、詳しいこと語り出す人。 なんでチャーリーのプロフ探さないといけない?
 
あれになんかMessageがあったとして、なんでこっちがそれ調べなきゃいけないの?
今やりたいことは、見たことがなかったものを観て、圧倒されて、ああ良かったって幸福になっていたいのが最旬なのに。
もう、ほんとうるさいんですよね。
そういう、知ってなきゃいけない。とか、リスペクトとか。
 
いや、いいよ。ちょっと黙っててよ。分かる分からないとかも、もう過ぎたよ。それは通り過ぎた。
あてる日本語が無いくらいの気持ち。
あ、私、これにする。っていう気持ちでいるのにさ。
 
ああ、いまあんな感じなんだな、と私は先頭にやっとたどり着けた気持ちになれました。
 
リスペクトとか、自分達はこっちのジャンルちゃんと最初っから頭に入ってんだとか、このファッションにはこういう意味があって、だからちょっと目配せしてますとか、家族はファミリーでこういうので、やたら話す迷惑な奴と居酒屋で語って人脈作りますとか、疲れたら休みの日はキャンプとか街歩きとか、もういいよ。
飽きたよ。飽きたって言葉もちょっと合ってないくらいの、もう別の所にさっさと行ってまーすー。

いつまでやってんだよ、って思う以前で、さっと消しちゃうし、別のページ飛ぶし、もう端末閉じちゃうし。
 
だいたい重いじゃん。それ。便利だから使ってるだけで、とっくにそんなの最先端でもなんでもないしさ。
誰もやってないよ、共有なんて。
ちょっと付き合って、それに流れてみてただけだよ。 

古い町行ったって、結局、暗い気持ちまで伝染して、家帰って、「いいよね。たまには古き良き日本ってさ」とか全然思ってるコトと別のこと言いながら、はーってコート脱いで、別のモンあっさり観て、訊かれない限り理由なんか用意するのも面倒な部分で、二度と行かないし。
 
ほんとに今でもそんなこと目の色変えてやってんの?
 
しゃべりたくないよ。しゃべりたい時に話したい人の、ささやかなことだけ知りたいよ。
あとなんかうっかり居合わせちゃった人と、チャーリー達みたいにぶち上がりながら、同時に自分のことしたり考えたりして気分良くして、家に帰ってシャワー浴びて寝るんだよ。
 
この人はいつもコレ! 俺知ってるんでっていうカシヅキたい人からフルートに入ったビール受け取るけど、もうやってることに夢中になっちゃって、お礼も感謝も意識する前に振り捨てて、ぐいぐい歩いて行っちゃうよ?
お誕生日もおめでとうって言うよ?
夢中な二人のキスを注意しちゃうよ?
毛皮も着ちゃうよ?
 
降ってきてんのパンツ?  

あのファッションは、この人のなんたらかんたらとか、もういいって。
あの楽曲はビリーのどうのこうのでとか、もういい!
ほんと、そういうのもういい!
客席抜くのいつからやってんのよ。集中して観れないじゃん。止めてやれよ。
ビリーは、気にせず踊り狂ってろ!
 
メッセージがうるさいんだよ。
どいつもこいつもメッセージばっかりに足取られちゃってさ。
何やってんの?
だって音楽聴いてパフォーマンス観たいのに、なんでまず最初にお勉強しなきゃいけなくて、そこからメッセージがどうのって読み取らなきゃいけないんだよ。
 
あのパフォーマンスを一年練って作った人が誰かは分からないけど。
あの中のチャーリーは、クイーンでもボスでもヒーローでも無く、言葉がまだ存在しない一番先頭にいる存在でした。
 
自分達は知っている、は、もう分かったよ。
博識なのも、もう分かったよ。
観てる人は予習しなくていいんだよ。
私もなんか観る時、文化体系予習なんか一度もしないよ。
 
じゃあ私、これからグレープシードオイル、テフロンフライパンに垂らして肉でも焼くかな?って思いながら、Uberで軽いモン頼むよ。
 
ありがと、チャーリー。
またやってね。
ノってる時に見つけるから。
 
それじゃ、素敵な日曜日を。
 
 
 
Watch: CHARLI XCX Performs "VON DUTCH" & "GUESS" | 2025 GRAMMYs
 
 
 
 
 
 

 
 
 

2025/02/09

晴れ渡った風吹く

 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
知らない街になんとなく行くのが好きです。

旅という程ではない、少しだけ足を伸ばした街や町に滞在し、そこに暮らしている人と訪問した自分達と少し紛れるような、そういう滞在の仕方を若い頃からよくしていました。
 
旅!と銘打つような感じでもなく、正直どうしてそこに行こう、と思ったのか、お互いよくわからないまま、あまり話したりせずに、2日ないし3日の滞在を過ごす。
そういう事が好きでした。
 
非日常でもなく、日常でもなく、よくわからない時間を少し、往く。
それを若者になり、お金が自由になった時からずっと続けています。
特に名前をつけていないので、それが一番静かに着地しているんでしょうね。
 
そこでは何というわけではなく、衝撃的な体験でもなく、ちょっと驚いて、わぁ、とささやかに顔を見合わせたことがいつまでも残っていたりします。
 
その中の一つに、どうしてこの場所のことを私は忘れないのだろう、という所があります。

小さな寂れた街に行った時、あまりに感傷的なものに包まれてしまって、それを自覚して言葉に出すのも少し遠慮してしまって、二人で街外れに自然と向かったんですね。
夜はもう、普通の私達が過ごしている街の日常みたいな事をしよう。
今回はちょっと失敗だったかな? 
なんて、後悔に似た淡いものを胸に、車は自然と小さな丘へ入る道にハンドルを切り、やがて細い道に差し掛かり、坂に移り変わっていく道を登っていきました。

だんだん、それは明らかに私道になっていき、
ここは入っていいのだろうか? 
と可笑しいような、
なんだか若いってこういう事だよね、
と今だったら、そこから随分先の未来に居る私が、大切な人に話し、顔を見合わせてクスッと笑うような、そんなことになっていき、感傷的なものから離れたかった当時の私達は、本当にホッとしたんだと思います。

あ・・・、と思いながら、それぞれ目だけ動かして
「ここは私道です。立ち入り禁止です。」とか「迷惑なので入ってこないで下さい。」とか、もし書かれてたら、どうやって引き返すのだろう? 
これ、明らかに一車線分しかない細い道だし、フロントガラスの先の全然手入れされていないアスファルトは褪せているし、でもしっかり道は続いている。
困ったな、これ違ったら、バックで今までの1時間を帰るのか? 
と黙りこくって二人で可笑しいのをこらえていると、ふと、道が開けて駐車場のような所に出ました。

それで安心して、景色でも見ようよ、と、普段、別に価値を見いだしていないことをやろうと言い出して、車から降りると、少し下に、芝生で手入れされた随分と広い場所があり、その奥に白い洋風の単なる家が建っていました。
丘と言っても、もうこれは小山ではないか? という所で、周囲は雑木林が茂り、眺めの先には橋と
小さく光る眩しさに覆われた海と向こう岸の都市が見えていて、とても晴れていました。
そういう、この世の果てのような静けさの中で、あ、と思う場所があったんです。
 
芝生は少し濃くて、家は木造の洋館で、白いペンキで綺麗に塗られて、おそらくは誰か住んでいる。
芝生だけの広い庭には他に何も無く、ただ芝生が見たいから芝を敷いているんだな、とすぐ分かりました。

二人とも無言で、そこを見つめていました。
見ていると、ふと芝生の先の、あまりにも丁度いい所に、薄い木製の白い飛行機が、細く長めの黒い鉄の棒を立てた上にありました。
海外の人だろうか、と思った後、近くに行こうか迷って、結局、行かない方がいいと何も言わずに二人で判断し、言い訳代わりに、近くにいく道もないしね、と私もおそらく隣の彼も思って、また車に戻ってそこを降りていきました。

その後何度か、また行こう、行こうと口に出すんですが中々予定が立たず、かといって、必ずという程約束にもなっていかない。
結局そのまま、やがて私達は別の時間に入っていきました。

まったく別の人に、ふとその家の話をしたら、妙に分厚い沈黙を醸し出してくるので、
まずい話題だったかな? 前のパートナーとの話だし分かっちゃったかな? でもそんなことで怒ったり、不愉快になる人でも無いし・・・、
と、ただ、???と思っていると、
「そこ知ってる。」
と答えたんです。
驚いていると、
「有名な所なんだよ。」
と言われ、なんだかその場所への私個人にとって強い引力を感じたのを覚えています。
 
それで盛り上がって、その人ともう一度行ったんですが、今度は入る道が分からず、なんとなく下から見上げた雑木林の先の先に、そこがあるのは雰囲気として感じられるのですが、行けなくてそれきりでした。
やがて、いつかの瞬間でその人と再会した時、ひと通りの近況報告をした後、じゃあこれで、と立ち上がろうとしたら、
「あの場所、結局無くなったんだって。引っ越されたらしいよ」
と言われました。
 
何故そんなことを言うのだろう?
私にとって、大切な場所ということになっているんだろうか? 
と訂正しようと思い、立ち上がってさっさとレシートを取ろうとしているその横顔を見た時、ただ単に世間話として言っているのが良く分かり、ああ良かった、と黙っていました。
 
結局、その家は私の中にただ残り続けています。
そして時々、心の中でふと浮かび上がります。
誰が住んでいたのか、どんな部屋の中だったのか、いつまでも分からないまま。
時々、インテリアを考えるとき、気圧計を探しているとき、私はひょっとしてあの家の中にあっただろうものを再現しようとしているのかな? 
と、通り過ぎたささやかな風に気付くように思う時もあります。
 
おそらく、あの家と広い芝生とその先に立てられた細く長い棒の上にあった白い飛行機の場所は、ずっと時間が流れ続けているから、なんでしょう。

あの晴れた、妙になんとも思わない中でただ単に、あ、と口に出さずに見つけた、ただ繰り返す日々の中に現実として在った、いつまでも
新しく時間が流れ続ける場所として、その家が私の心にあります。
大切な人と安心してただ一緒に居る時、なんとなく雨が降る窓の外を眺めている時、その場所は私の中でそっと姿を現します。
 
少し自慢するなら、思い出としての完璧な在り方として、私の中で時を流し続けているのだろうな、と黙って満ちていきます。
 
未来の私が少しの可笑しさを噛み殺しながら、
「・・・景観を見ないの?」
と当時を思い出し、晴れ渡った風吹く気持ちと共にありながら。
 
再会し共に進む、唯一の人に捧ぐ。

 
 
寒いですね。
まるまる一週間強、寒波が来続けていますよね?
私の住む街も昨日はマフラーが必須の気温でした。
HSPの方々は気象病と呼ばれるものからの影響は大丈夫ですか?
私は大変でした。今日くらいから大分治まって来ましたが、とうとう気圧計を購入することにしました。
 
びっくりしましたよ。
今回は頭痛はほんの少しで、後はひたすら調子が悪く痩せました。
世の中も大騒ぎなことが次々に起こり続けていて、家の中を整えて静かにしていようとしているのに、寒波の影響を受けて、思うようにならず、がっくりしています。
 
とにかく寒いので、暖かくして、風が強い日も荒天の日も外出は避け、周囲が騒がしいときは、自分の居るプライベートで静けさの中に居ると、大分違いますよ。 
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。

 
20250214 20:53 文章の不要な箇所を取りました。内容は変えていません。
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

2025/02/02

🌈🦋湯気を探す

新調した蒸籠(せいろ) これで肉まんを蒸します。

 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
いま現在は、2011年の震災のように、日常生活に「非常事態」の状況が流れ込んできています。
それで前回の日曜版で、苦手な情報から距離を取りましょう、と書きました。
 
街を往く人達を見ていても、2024年のお正月に起こった震災で、2011年のパニックが甦ってしまい、一年間多くの人達はPTSDの状態に入っていました。
今やっと2025年の1月が終わりましたが、日本国内だけで、一年目の日が来ていたことで凄く心理的に影響が出ていた方が多かったのでは無いでしょうか?
また1月は放送でACのCMが繰り返し流されてしまう状態が放送され、主に皆さんはWEBニュースで見ていると思いますが、1つの話題一色になってしまう状態をまた体験していますよね?
そして、国際状況が非常に不安定なので、強い言葉に触れる機会が増え、日常生活が大きく動かされてしまうのではないか、と身構え続けている体感があると思います。
 
なので、今は特に日々の暮らしが破壊されてはいないけれど、昨年の秋頃から暮らしが危なくなってしまうかも? と緊張し続けている、という、あの時と似た状況があちこちに存在しているんですね。
 
普段、その似ている状況に入り、通り抜け、再び部屋に戻られているので、意識せずとも「危ない」という本能のサインが点滅し続けているのが今の状態です。
実はものすごく緊張して暮らされている方が、思われているより多いのではないでしょうか?
 
しかも意識せずにPTSDに入り続け、それが街でよく見掛ける車の運転の判断の鈍さや、人と人との距離をうまく取れない人達とぶつかったり、あれ?どうしてこんなに近くを歩くのかな? と瞬間瞬間にパッと脅えた後すぐに、ああ良かった、という安心を繰り返す状態となって、動揺が現れています。
多分、思われているより、気持ちが疲れている方がものすごく多いとも思います。
 
ひょっとしてお住まいの地域では、話す時の声が異様に小さかったり、大きすぎる人を見掛けたり、表情と言葉の強さや態度や、判断が「変だな・・・」と思うことが多くなっていってませんか?
 
なので、不安が強くなってしまったり、うまく流れて行けないこと、小さなミスを繰り返してしまう、普段ならやらないことをやってしまった後に、あっ!と驚く、そんなことが増えている現状は、当たり前の反応現れ、なんですよね。
 
それで、日常空間で湯気のあるものを探す、ということをやって欲しいんです。
お風呂でもいいんですが。
コーヒーカップにお湯を入れて、そんな熱すぎるものを飲まなくていいから、湯気の立つカップを少しテーブルの上に置いて眺めてみて下さい。
 
音楽は、本当にみなさんが心地良い音楽だけにして、人の話し声が現在不快なら、声が出ているものを全部切って下さい。
 
お料理が好きな人は、スープや煮込み料理を作って、椅子を持ってきて鍋の前に座り、料理の番をしてみてください。
煮上がり、出来上がっていくものの匂いと湯気と小さな音を見つめて下さい。
 
コンビニやスーパーで普段買っているソフトドリンクをカップに移して、電子レンジで温めて、カップの中から小さく広がり、やがて薄れて消えていく湯気と電子レンジの扉に付く蒸気の跡を、少し見つめて下さい。
 
後は、可能な範囲でいいんですが。
部屋の中に、室温のコントラストを作ってみて下さい。

玄関は寒くていいのだし、部屋の中は、そんなに暖かくなくていいんです。
キッチンスペースは少し冷んやりするのが適温です。
食材を扱う場所だし、電子レンジで調理したり、お鍋をガスに掛ければすぐに気温が上がるから、そこは普段、少し寒いかな? というぐらいにしておきましょう。
 
普段いるスペースは、今は真冬なんですから、少しエアコンや暖房が作る温度を下げて、重ね着をしましょう。
不快感が消えます。
それが、冬の住環境の適温だからです。
 
健康の為には確かに身体が冷えてはいけませんが、普段、暮らす上では、衣服で体温調節をして少しだけ指先が冷たいのが、「本来の冬の暮らし方」です。
 
そうすると頭がボーッとして物を考えられない状態から離れられます。
気持ちが鎮まるんですね。
体温と身体を取り巻く温度が高いと、やはり冷静さの調節が難しくなるんです。
 
室温を少し下げると、日々の中で湯気を見つけやすくなります。
食事のイメージの演出のように、あんなに蒸気が出ているのではなく、空間に小さな曲線を描く湯気が立ち昇り、すうっと消えてしまうのを見つけてください。
 
非常事態への反応が出ている時は、基本をやります。
毎日の基本をやる。
そうすれば、2日・3日で部屋の中とご自身が落ち着きます。
 
小さく動揺し、あっと思っても、基本にすぐ戻り、それをやる。
何も考えずに、基本の行動を取る。
暮らしの中では、朝起きて、食事を摂り、湯気を見つけられるほど静かな心に寄って行き、心地よさの判断をし、夜になったら眠る。
すると、反応で出ている非常事態であるという判断が、普通の事柄だけで解除できます。
 
今日は、2月最初の日曜日ですね。
もうすぐバレンタインデーですが、気持ちが乗らなければしなくていいですし、午後は好きなことをしましょう。
買い物は、出かけるなら明るい時間帯に。
お天気の悪い日は、なるべく早めに外での用事を済ませ、部屋に戻り、いま現実に溢れている話題とはかけ離れた内容の本を読むのもいいですよね。
 
私は昨日から、先延ばしにしていたケンドリック・ラマーの、非常に詩的でありながらも、彼がその時レポートすべきである。と決めた”ストリートレポート”と”ライフ・スタイル”という、彼が属しているコミュニテイの現像と価値観を読み解くために、「ギャングスターラップの歴史 ソーレン・ベイカー著 塚田桂子訳」を読んでいます。
 
ライフ・ワークって、私は、自習という名の勉強も含むと考えています。
みなさんの味方になって下さっているOさんも、大変興味深い、と、この読書と私達のケンドリック・ラマーへの旅の始まりを喜んでいますよ。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
 
 
20250202 22:10 誤字と文章を直しました。
20250217 20:52 誤字を直しました。

 
 
 

 
 
 

2025/01/28

🌈🦋 非常にシュール

アリアナ・グランデの強いファンです。
 
新しい暮らしにも慣れ、少し余裕が出来たのでアリアナのニュースを検索していたら、現在、アリアナは痩せすぎているということで、意図的な体型操作のことを指す言葉でしょうか? ボディ・シェイミングについて強い批判と否定を投げつけられているそうです。
 
私が記憶しているのは2023年頃に、アリアナがルッキズムの底に堆積しているもの全般について、Messageを語っているのを見掛けたのが最初です。
 
アリアナ・グランデは、ミュージシャンでActorなんですけれど。
なぜ、現在アリアナ・グランデは、ボディ・シェイミングやルッキズムやタトゥーの数がどーのこーのという、訳の分からない騒ぎの中心に勝手に置かれて、アリアナについて語る言葉にそんな無関係な言葉ばかりが使われているんでしょうか?
 
非常にシュールですね。
 
一体、何をやってるんですか? 



 
 
 

2025/01/26

🌈🦋 部屋の中で静かにしている。


日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
少し寒さが緩んだと思ったら、今朝はまた格別に冷え込んでいます。
なぜそんなことが分かるかと言えば、完徹したからです。
なんだか今日は、日曜日にこういう事を書こう、という気持ちがまとまらず、モニターの前に座っていました。
 
この頃、ニュースのタイトルだけ見ると、少し世の中が乱暴な方向へシフトしていますね。
きっと私の心の整理がうまく付かないのも、その雰囲気の影響を受けているからだと思います。
 
苦手な方は、問題意識や知らなければならない、という厳しい心より、まず今日一日が穏やかに過ごせるかどうか、で触れる触れないを判断してみて下さい。
私は、速報が無い日とある日で、今なら読みに行ってもいいかな? という時に、ニュースのタイトルだけサッと目を通して、事件が多く起こっていたら、それ以上は知ろうとしません。
 
強い内容の報道は、私のようなタイプ(HSP)は、触れると暗いモノに引き込まれて、全然楽しくもなんともないのに、真っ暗になってしまう情報をずっと追い続ける状態に入るんです。
刺激の一種と脳が錯覚してその時だけの中毒のようになっているのかな? と思いながらも、多分違うな、と分かっています。
おそらく、読み始めたらその時触れた情報がきちんと着地を迎えないと、落ち着かないんだと思います。
 
何かが起こった。そしてこうなった。までがはっきり頭に入ってひとまずの終わりを迎えないと、この情報はこれで終わりです。と情報を頭に入れる行動に、文章で言うと"○印"が付かないんでしょうね。
ピリオドという言い方もありますが、句読点の「○」です。
 
これで頭に取り込むのは終わった。 じゃあここから、このニュースを「報道」という部分だけ取捨選択し、内容の要点を整理し、「現状、このような結末です。」
と箱にしまって胸の中にある棚に入れています。
後は、少し時間を置いて、また気が向いたら自分であらためて胸の中にある棚に手を伸ばし、情報を再度取り上げ、少し離れていた間にクールダウンした目(客観)で、新しく棚に入れた情報について、考えたいときは考えたりしています。
 
そうすると動揺はしても混乱はしなくなるんです。
自分なりに整理がつけられて、情報のさばき方が分かってくるんです。
 
混乱というのは、散らかった部屋のイメージを持っています。
そして部屋を片付けるのが、秩序を維持する。ということなんです。
混乱の反対は、秩序。
 
秩序は、自分の中だけの場合は、自分の価値観だけの整理の仕方、ということになります。
 
すると、あ、今、クラシックよりちょっと勢いのある曲を聴いて、やがてその勢いに慣れていくと、最終的には「静けさや 岩に染みいる 蝉の声」のように、気持ちが鎮まってくるんですね。
 
音の無い静かな状態であっても、今度は窓の外の暮らしの音が静寂の中で微かにしているので、その音を探しているうちに、いつの間にか集中していて心が鎮まってくる。
 
本が読めないほど気持ちがざわついている時は、なんとなく自分では、そうやって気持ちを静かにさせています。
 
他には、少し元気がいるけれど、昼間、数百円の小さなブーケを買ったり、美味しい小さいお菓子を食べたり、温かい格好を暑すぎないかチェックしたり、換気したりして、自分の秩序をその時その時で整えていくんですね。
すると、自分と部屋と家具とその日の空気感が調和しているかどうかが、よく分かるようになります。
不自然さが微塵も無い、リラックスできて油断できる雰囲気が室内に漂っていれば、おそらく成功です。
 
良かったら試してみて下さいね。
 
完徹はもうしない方がいいですね。分かってはいるのですが、都合によってはそういうこともあります。
あまり頑張らない工夫で、アクシデント以外では、浮かばないなという時は、すぐに切り上げて眠ってから改めてチャレンジするべきです。
投稿した後、私はぐっすり眠って、夕方前に起き出し、たぶん甘く小さなお菓子を食べると思います。
それから疲れない程度に部屋を片付けて、シャワーを浴びようかな?
 
それでは、静かな気持ちで、素敵な日曜日をお過ごし下さい。