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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 

2024/01/10

We Love DOWN TOWN / We Love Speed Wagonのバナーを作りました。


 
ここは、全てがフリー素材なんですけれど。
フリー素材ブログっぽいことをしていなかったので、
バナーを作りました。
 
 


 
 
 

 

 

 
フリーですので、お好きに使ってください。
 
画像を右クリック→ 別名で画像を保存 でお好きなところに保存。

そのあとは、その画像をお好きなところに保存するなり、ご自身のX(ツイッター)、フェイスブック、インスタグラム、よく行く場所に投稿するなり、お好きに使ってくださいね。
 

2024/01/09

最終夜 がんばっていきまっしょい!


 
 

 
 
 
「キラキラ」
aiko
 
 
 
この楽曲は、ドラマ「がんばっていきまっしょい」の主題歌でした。


物語は、学校にボート部を作った、高校生の一人の女の子が仲間と共に、大会でライバル校に打ち勝つまでを描いた、愛媛、松山を舞台にした青春ドラマです。
同タイトルの原作小説を元に映画化され、その後、テレビドラマになった経緯を持っています。
 
「がんばっていきまっしょい」という言葉は、Wikipediaによると
 
タイトルの「がんばっていきまっしょい」は、敷村良子(原作者)の母校である愛媛県立松山東高等学校で1966年から使われている「気合入れ」の掛け声で、入学式や体育の授業前のランニング時に実際に使用されており、もともとはラグビー部顧問だった当時の保健体育教諭が準備運動の駆け足の際に生徒たちに一体感を作るために考え出させたもの。

(冒頭参考リンク・引用元ともに Wikipedia がんばっていきまっしょい! https://w.wiki/8nWm より)

 
私は熱心な視聴者ではなかったのか、あまり内容を覚えていません。
ただ、最終回はなぜか覚えているので、視聴したりしなかったりの時期だったのでしょう。理由は不明です。
 
ネタバレになるので、詳細は控えますが、ラストに地元を離れる女の子が、出航した船の上で、ただ一人、「っしょい!」と小さく拳を握るシーンが大好きです。
 
2011年の震災が起こった後、日本は大混乱に陥っていました。
その全部は、誰のせいでもありませんでした。
誰にもわからないことが、起こり、さらに起こり続けていたからです。
 
当時、いつ頃だったか失念してしまいましたが、日本のミュージシャンたちが被災地を励ますために、あの時、ライブを行い、それがテレビ中継されました。
その中でベストアクトだと私が感激したのは、エレファント・カシマシの「悲しみの果て」とaiko の「キラキラ」でした。
 
エレカシの宮本さんはパフォーマンスの冒頭に、「この楽曲は、悲しいことが起こった後の希望についての歌だと俺は思っています。」という言葉と応援メッセージを静かに、でも宮本さんらしく、熱く、実直に、誠実に、落ち着いて話されました。
 
大きなことが起こるたび常にポカンとしている私は、
ああ、宮本さんは、この大被害にとてもとても傷ついている。けれど、前を見据えておられるのだ。
と、とても励まされました。

なんだか、テレビの前の国中の大混乱の中にいる私も、激励されたような気がしたのを、今でも覚えています。
 
aikoはこの時、何も言いませんでした。
ただ黙って出てきて、「キラキラ」を歌いました。
明るく切ないラブソングを、全力でパフォーマンスしました。
 
その当時、たくさんの人達が被災地を守ろうとする気持ちのあまり、似つかわしくない言葉、被災地を利用しようとする言葉に、敏感になっていました。
 
いま考えると、そんな言葉もそんな人達も、どこにもなかった。
けれど、その人達も、どうしたらいいのか誰にもわからない状況で、被災地を守ろうと必死でした。

そんな中、aikoは、黙ってステージに出てきて、ラブソングのパフォーマンスをやり抜きました。

冷静だと思いました。
この人も大被害にとても傷ついているのに、何をいまやるべきか、何をいま自分がメッセージできるのか、考えた上での100%のパフォーマンスを見せてくれていました。
 
黙ってやることで、
この「キラキラ」という楽曲が、なんの主題歌だったのか、
aikoが1番言いたかったのは何か、
を雄弁に語るパフォーマンスをして、ステージを降りました。
 
あの時、そのことをわかっている人は、たくさんいたと私は信じています。
そして誰も、aikoのパフォーマンスに対して、被災地を侮辱している、とか、この場に似つかわしくない、とか、怒る人は誰もいなかったと記憶しています。
 
確か、3年前にここを始めた時ぐらいに、私も書いたと記憶していますが。

「がんばれ」という言葉は、2024年現在の日本では、少し取り扱いが難しい言葉とされています。

理由は「がんばれ」という言葉は、
人によっては、その人を追いつめることになりかねない、危険な状況を招きかねない言葉ですし、
「うつ病」を患っている方々には、決して言ってはならない言葉として、
たくさんの医師が注意喚起をしていることは、とても有名だからです。
 
私は、そのことを知っていましたし、普段暮らしていて、あまり無闇やたらに「がんばってください」とは、言わなくなっていっているような気がします。

それは、先に書いたことを自分が知らずにやってしまうのが、とても怖ろしいからですし、多分、怒られるのが怖いからでもあります。
 
ただ、私個人は、先述に該当しない状況、相手に限り、この「がんばれ」という言葉は、必要な時は、必要な言葉である、と考えています。
 
言葉を保存しようとか、言葉がどうのとか、そういうことではないんです。
 
人には、人々には、がんばらないといけない時があるからです。
 
そして、がんばれ!と言われることで、立ち上がることができるからです。
がんばれ!と言ってもらえることで、前に進めることがあるからです。
がんばれ!という言葉によって、目の光が元に戻る時があるからです。
 
正直、以前使った時もやっぱり怖かったんですが、私はそういう考えの元、確かあの時、コロナ禍の日本に向かって、「がんばりましょう」とかなんとか書いた記憶があります。
 
その頃、ネット越しだったのか、会場でだったのか。
私が伺ったイベントの会場のロビーのイーゼルに、直筆で書かれた「頑張ろう!」という言葉が掲げらていました。
 それを見たとき、あ、やっぱり、この使い方で合ってるんだ。と妙な安心があったのをよく憶えています。
 
観客の私は、あのとき初めて体の奥から、本当の深呼吸ができた気がしました。
 
コロナ禍が続く中、よりによって豪雨により土砂災害が起こったとき、偶然、お隣の韓国からBTSが来日し、パフォーマンスをテレビで披露したことがあります。
 
彼らは、ひとつのパフォーマンスの前に、代表してJINさんという青年がこう言いました。
「みんなで、頑張りましょう!」
 
そして、彼は、そのとき自分がすべきことを、Butterというラブソングのパフォーマンスを、力を込め、励まし寄り添う気持ちが伝わってくるように披露しました。
勘違いかもしれませんが、私にはそのように見えましたし、その気持ちが光となって伝わってくる心持ちがしました。
 
多くの視聴者達にその心が伝わっていたこと、伝わり続け、伝わっているものが、いま現在も発光し続けていることを、私はいまでも信じています。

私は、いまでもこの青年達の実直さ、勇敢さ、誠実さが忘れられませんし、これからも忘れることはありません。
 
頑張りましょう、みなさん。
頑張るしかありません。
 
今こそが、がんばる、その時です。
 
もちろん、頑張ってはいけない方々は、頑張らないことを頑張りましょう。
 
 
私達、頑張りましょう? みなさん
 
今までも大きなことがある度、私達は頑張ってきました。
いつも果敢に挑み、怯まず、全員で頑張ってきました。
 
私達は、負けません。
 
そのことを私達は、とてもよく知っています。
 
私たちには経験があります。
だから、今回もやれます。
必ず、頑張れます。
 
なので、頑張ってやっていきましょう。
私も、頑張ります。
 
それでは、最後に、気合を入れる意味で、この素晴らしい言葉を書いて、最終夜を終わります。
今回のコレで、少しでもみなさんの気が紛れてくださっていれば、幸いです。

 
がんばっていきまっしょい!

がんばっていきまっしょい!

 
「がんばって、いきまっしょい!」
 
 
 
 
20240109 16:45 Butterfly JustDance エナメル
 
 
20240504 12:26 大幅に加筆修正いたしました。
 
 
 
 


ずっと長い間、思っていたこと。この3年間、思っていたこと。


 
長い間、私はずっと自分の中にある言葉が取り出せずにいました。
口から出すこともうまくできず、日常会話も、いま考えると上滑りの会話しかできていなかったのかもしれません。
 
それでも、当時、私がいた居住区は、たくさんの色々な人達が静かに、豊かに暮らしているところで、特に説明や上手な会話を求められることは、おかしな相手をのぞいて、ありませんでした。
 
幸運なことに、いま住んでいるところも、やり方は違うけれど、根底に流れている価値観のようなものは、そう変わらないようで、私は相変わらず緊張はするんですが、ひっそり静かに暮らせています。
 
口から言葉を取り出すことは、いまでも自分が憶えているほど戻ってはいません。
だいぶ、滑らかになってきましたが、感情的になると声がうわずってどもってしまったり、そんな時でも、うまくその時言うべきことをピタッと着地させることができず、何度も言いなおしたりして、それは家の中だけであるからそれで済んでいるけれど、パートナー以外の相手では、まず通用しないでしょう。
 
なので、私は、ずっと自分の思っていたことや、思っていることを言語化できずにいました。
文字に書くのなら、と思われるかもしれませんが、私個人は、口で言うことと、文字にすることの難しさは、そう大差ありません。
 
昨日、この3年の間に書いていた自分の文章が、自ブログの検索で偶然ヒットしたので、目を通しましたが、ひどい状態でした。
昔は上手かった、なんて言うつもりは全くありません。
事実として、ひどい状態だった。
だから、2024年の1月の朝、これを書いている私は、こんな状態でよく書いていたな、と3年前の自分の無謀さにとても驚いています。
 
タイトルとは矛盾するようですが、ずっと長い間、思っていたことを公表する気は全くありません。
気まぐれな私ですが、この先も、そんなことを書きたくないし、そんなものを書いても、読んでくださる方が面白くもなんともないからです。
 
相変わらず色々よくわかっていませんが、物語を作り始めているので、特に気になっていません。
 
なぜそうまでして書くのか、と言われれば、単に趣味(本当は趣味というものとはズレていると思うけど)だからです。
やっていて楽しいからやっていますし、長いお休みがあったけれど、続けようと思っています。
 
そんなアマチュアのへたっぴな書き手(という呼び方で合っているのでしょうか。)として、不安に思われている方々がどうもおられるようですので、もう準備している段階に入ったので、明記しておこうと思い、今朝パソコンの前に座りました。
 
私は、物語を、読んでくださる方が楽しんでくださるのを目的として書いています。
私見ながら、そうするためには、私情を一切はさまず、物語世界を構築することだ、という価値観を昔から持っています。
そして、それは現在も変わりません。
 
色々な書き手さんやプロの方がおられると思います。
抗議のメッセージや問題提起のメッセージ、愛や平和のメッセージ、大切にするべきもののメッセージを、自分の書く世界で表現する方々もおられるでしょうし、お休み期間中に知ったのですが、自分にとってネガティブな相手を物語に登場させてやっつけるやり方をする方もおられるようです。
 
ただ、私は、もともと、メッセージ性が強いものを書くことに疑問を持っておりましたし、いまでも実はそうです。
 
そして、私情を交えて、物語世界に、ある種類のリアルさを加味することも、これは私が下手くそだからなのですが、おそらく、やると怨念じみたものになり、紙面というか画面から、物語世界を壊しかねない怨嗟を立ち昇らせてしまうのではないか、と考えています。
 
お好きな方には申し訳ないですが、私は、そんなものが込められている物語を読むのは、嫌いです。
暗い、嫌な気持ちになるからです。
喜劇であろうが悲劇であろうが、一個人の呪詛のようなものに、物語越しに強制的とも言えるやり方で関わらせられるのは、まっぴらだからです。
 
なので、私には色々と変な体験や嫌な体験がたくさんあるんですけれど、そういった、私にとっては私情でしかないものを、物語に書いてきませんでしたし、今後もそういうスタイルにいくことはありません。
当然、私怨を持つ相手を物語に登場させて、どうこうすることも、面倒くさいのでしません。
 
いちいち書くのもな、と思っていたんですが、どうも、これだろうな、ということをよく思い出せないのですけれど、説明すると。
 
その時、私は、インフルエンスをしようとしたんです。
どうもネットでの私のことを知っている人がいたんです。
その上、社交辞令で綺麗とまで言ってもらったんです。
(違いますよー?)
なので、その時点で、それはもう昔のことだったんですが、まだ私のことを憶えている人がいるのか、エゴサーチせずにやれる方法として、それを思いついたんです。
 
何をやろうとしていたのかわからなかった人達にとっては、きっと面白かったと思いますし、おかしくて仕方なかったと思います。
 
あまりお名前を書くとご迷惑がかかってしまうので、書かないようにしていたんですけれど。
その頃、まだ私の部屋にテレビがあって、真心ブラザーズのYO-KINGさんがステージに出てきた時に、「俺は自惚れてるよ。ステージに出た時から、終わるまで、自惚れる。そうじゃないと良いステージアクトができないから。」
とおっしゃていて、偶然なのに、まるで誤解されて嘲笑われている私をかばってくださったように思えて、すごく嬉しかったことがありました。
 
そのことがある前から、真心ブラザーズはパートナーが好きで、私も聴いていました。
でも、いまその楽曲を書こうと思ったら、ホフディランの楽曲で、違うじゃーーーん!と脱力しています(笑)
な、なんか、ごめんなさい・・・。
 
ホフディランの名曲「極楽はどこだ」という曲が、私のテーマソングでした。
公表したことはないはずですが。
 
この曲を聴いた時、ああ、これは私のテーマソングだな。
これこそが私のテーマソングだ。と思って、
ただ、そうやってずっと暮らしてきました。
 
 

 

 

 

 
 
 
 
この曲です。
いい曲でしょう?
 
まあ、私は地獄に行くんですけれど。
この探究の姿勢。
人生とかこの世とかへの絶対の探究を謳う歌詞が、
とても好きです。
 
「哀しみがなんだ。
 いつか、全て忘れている」
 
「いつまで経っても終わらない夢のようだな
 いつか君を僕がそっと起こしに行くのだ」
 
「極楽はどこだ?
 幸せはなんだ?
 思い出は、いつだ?
 約束はあるか? 
 
 極楽はどこだ?
 哀しみがなんだ
 抜け道はあるか?
 
 寄り道をするな」
(ホフディラン 極楽はどこだ より)
 
という歌詞がとても好きです。
 
ようやっと、私が知っている本来の自分の状態に近づけてきたので、そろそろこの楽曲を聴いてもいいだろう、と思いました。
 
涙は止まりました。
 
なので、この、私のテーマソングを聴きながら、物語を書いてる間中は、
あのとき、YO-KINGさんが、
かっこよく、艶っぽく、渋く、男前に教えてくださったことを胸に、
 
自分は天才なのだ。と(笑)、
ファンフィクションを書かせたら、
左に出るものは一人もいないのだ!(パクリ)
 
と、地獄のように自惚れて、
物語を書いていこうと思います。
 
昨夜、私はアイフォンの日記専門ツール、ジャーナルに思ったことを書いたんですが、ひと晩経って、公開してもいいだろうと判断したので、この文章の結びにそれを書きます。
 
「昔から君が好きだったとか、昔からあなたが好きだったとか、2024年の1月以降ほざく奴は、全員、問答無用でぶっ飛ばそうと思う。
 
おことわり!」

 
 
ちょっと長くかかったけど、私は、相変わらずです。
すいません、こんなんで。
 
良い1日を!>> ALL
 
 
追記
鳩が映り込んでいる先生が書けって言いましたぁ。(大嘘)
 
 
20240109 12:06 付け足したり、誤字をなおしたり、文章を整えたりしました。
 
20240114 09:21 言葉づかいが悪かった箇所をなおしました。パクリですけど。 

20240114 09:41 誤字をなおしました。
 
 
 
 
 
 

2024/01/08

眠れぬ夜に聴く音楽 7 来生たかお 「はぐれそうな天使」

 
 
 
 
「はぐれそうな天使」 
来生たかお

 
夜ですから、ボリュームに気をつけて聴いてみてくださいね。
 
私と同じ種類の方々は、とりたててなんということもない内容が書かれている文字を目で追っていると、落ち着く傾向を持っています。
なので、私は、この後、2日間くらい、誰の心も刺激しない、こわくない、気持ちを動揺させない、普段の話題を音楽のご紹介と共に書きます。
 
更新は、夜の10時です。
 
ラスト2日目は来生たかおの「はぐれそうな天使」です。

岡村孝子バージョンの方が、みなさんにはお馴染みかもしれませんね。
 
私は、来生えつこ、来生たかお、姉弟のファンです。
といっても相変わらず、すごくあれこれ調べているわけでもなく、お二人の生み出す作品を耳にする機会があれば、いつもうっとりしているという程度のファンです。
 
私が自分に人生で来生たかおさんに出会ったのは、あんまりよく思い出せないんですけれど、おそらく「夢の途中」だったと思います。

薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」の原曲で、確か、どうしてこの来生えつこ、来生たかおっていうコンビは、いつもコンビを組んでいるのだろう? という疑問からだったと思います。(素晴らしい楽曲ができるからです)
 
で、とても渋くて繊細な感じのお兄さんという佇まいに、わぁ、これは女性ファンは好きな方はすっごい好きだろうな、と思っていたんですけれど。
先ほど、Wikipediaの来生たかおページを見に行って、やはりな。というWikipediaの情報量の多さ=ファンの熱量説を目の当たりにしてきました。すごいです。愛が熱いです。
 
そんな私が、番組というかケーブルテレビか何かで、来生たかおライブというのを観たんですね。

小さなホールですけれど、2階まであるちゃんとしたコンサートホールの会場で映像が回ってたんです。
 
カメラは舞台を望む、ステージに向かって左端前方にあって、会場と入り口と一階の客席、そして真紅の緞帳が降りているステージを映していました。
入り口からお客さんがちらほらと入り始めて、ずっと会場内は来生たかおさんの楽曲が流れていたんです。
 
あれ? と途中で思ったのが、曲と曲の間がピアノで繋げられているんですね。
そういうアルバムなのかな、と思いながら、来生さんファンの方々が徐々に席を埋めていくのをぼんやり観ていて、席についたファンの方々も穏やかに談笑したり、パンフレットをめくったりされていたんです。

そうしたら、客席がもう埋まってしまって、まだ客電が点いていて、どんな始まり方をするのかな? と思いながら、ずっと流れている来生さんの歌を聴いていたら、
そのうち歌詞が、

「こんな風に、みなさんが愛してくれている楽曲を歌い続けることができました。どうもありがとう。今夜も一生懸命歌いますので、よかったら、聴いていってねちゃら~ん♪」

ってピアノが鳴ったときに、緞帳がさーっと上がって、そこにグランドピアノと来生さんが居たんです。
 
え? ずっとそこに? 
来生さん、ずっとそこに居たんですか?

って、唖然とした次の瞬間、
わあ! なんてかっこいいコンサートの始まり方なの!!
と、その時から私は、来生たかおさん大リスペクトです。
 
いいでしょう?
すごい始まり方だったから、映像になって、私が観ることができていたんですね!(そらそうだ)
 
今でも忘れられない、コンサートの始まり方です。
後にも先にも、こんなに静かに、それでいて1発で観るもののハートを鷲掴みにするコンサートのオープニングは、私は観たことがありません。
 
なので、その後、来生たかおのどんな名曲を聴いても、あの人ならやるだろうな、という感じで、私はひっそりと遠くで来生さんの楽曲を楽しんでいます。
 
「はぐれそうな天使は」ちょうどその頃だったか、もっと前だったか、昼にやっていたドラマの主題歌だったんです。
でもどんなドラマだったか憶えていません。
多分、エンディングだけ聴いて、あ、来生さんだ!と思って、すぐラジオをチェックして・・・、という流れだったと思います。
 
すごくいい曲で、当時の私にとっては、「大人の女性ってこんな感じに恋をするんだあ」と驚いたり憧れたりしました。
その頃から数えると、大人どころか、とんだおばさんになった今も、私にはこんな想いをする時間は、とんと訪れていません!
一体どーゆーことなんでしょーか!
そこんトコどーなってんですか?(と、天を見上げる)←必要ねーだろ!
 
まあきっと、どこかの街に住む、素敵な大人の女性には、こんな時間が訪れているんでしょうね。
小さな窓辺に、赤いゼラニウムをそっと植えているような。
 
さ! 綺麗に終われたところで(つもり)、明日で、眠れぬ夜に聴く音楽は、最終夜です。
この数日間のとりとめのない話題で、
少しでも気が紛れてくださっているといいのですが。

 


写真は、カヌレです。(なぜいきなり?)
ローソンのですね、冷凍コーナーにあるそうなんですよ。
レンチンで解凍だったはずです。
美味しかったですよ。
ソフトなカヌレで、私はそっちの方が好みなので、お茶の時間にパクついておりました。
気になる方は、ローソンに行ってみてくださいね。
 
この後は、当初のスケジュール通り、15日午後1時までお休みをいただきます。
 
で、ちょっと私は、趣味の物語の制作に入っておりまして、いまは全くメディアやニュース等触れておりません。
(自分で頑張って読んだ以外は、ニュースはパートナーに読んでもらって、内容を聞いてから、ここでのことは色々決めていました。)
 
それが半年からひょっとしたらそれ以上、続く状態ですので、今までよりさらに新しい物事に疎くなりますが、
(JINさん、J-HOPEさん、みなさんは、お元気なんでしょうか?←ひでぇ奴だなお前。)
 
週の後半に更新が集中している、日曜日は穏やかな内容を書く、当ブログは、ひっそりと続けてまいりますので、
また15日午後1時から、よかったら遊びに来ていただけると嬉しいです。
 
それでは、また明日の夜10時に、お会いしましょう。
 
  
 
 
 

2024/01/07

眠れぬ夜に聴く音楽 6 小野リサ 「カトピリ」

 
 

 
 

   
 
 
 
 
「カトピリ」 
小野リサ


 
夜ですから、ボリュームに気をつけて聴いてみてくださいね。
 
私と同じ種類の方々は、とりたててなんということもない内容が書かれている文字を目で追っていると、落ち着く傾向を持っています。
なので、私は、この後、3日間くらい、誰の心も刺激しない、こわくない、気持ちを動揺させない、普段の話題を音楽のご紹介と共に書きます。
 
更新は、夜の10時です。
なので、よかったら、しばらくの間、お付き合いください。
 
しつこいようですが、バナナを意識して食べてみてくださいね。
他のセロトニンが含まれている食べ物でもいいですけれど、いまたくさんの方々が、被災していなくても、2011年の震災の体験からくる強いショックを受けていますので、数日経った頃くらいが影響が出る方は出るかもしれません。
(私は専門家でも医者でもありませんが、昨日も書いたように私個人は、少し影響が出ています。)
 
では音楽の話をしますね。
 
やっと見つけました。
小野リサのデビューアルバム「カトピリ」。
 
Wikipediaによるとディスコグラフィーに、

1989.10.21 - CATUPIRY / カトピリ
 
とあります。
 
(Wikipedia 小野リサ https://w.wiki/3czR より)
 
確か当時の私は、小野リサのデビューにびっくりした、たくさんのリスナーのひとりで、レンタル開始期に飛びつかんばかりの勢いで貸りてきて、狂ったように聴いておりました。(ごめんなさい、貧乏だったんです。)
 
で、おっかしーな、なんでみんな、小野リサの初期は、やっぱカトピリって言わないんだろう・・・?と不思議に思っていたんです。
さっきふと思いついて、iTunesで調べたら、ありましたありました!カトピリが!
 
これです。これこれ。
 
この楽曲で、小野リサは、
えーーっ!すごーーい!っていうか何語で歌ってるの?(ポルトガル語です)
と大騒ぎになったんです。当時の私の周辺地域では。
 
カトピリって何かというと、検索したら、クリームチーズの一種らしいです。
 
カトゥピリ(葡: catupiry)は、ブラジルで人気の高いクリームチーズの一種。1911年、ミナス・ジェライス州のイタリア系ブラジル人マリオ・シルベストリーニにより考案された。
柔らかくまろやかな食感を持つ。トーストやクラッカーに塗ったり、コシーニャやピザなどさまざまな料理に利用されるほか、グアバ・ジャムと合わせるなどデザートにも使われる。

 
Photo byCarioca, CC BY-SA 3.0,

ウィキペディア・コモンズ経由で  
(Wikipedia カトゥピリ https://w.wiki/8m4Q より)

 
写真を拝見すると、かなり柔らかそうですね。

私はクリームチーズはスーパーに売ってるアレしか知らないんですけれど。
時々、パンにつけて食べたり、チーズケーキを焼くときに使ったりしていました。
美味しいですよね。
カロリー、地獄のように高いですけど。(無表情)
 
それでレンタルした時の記憶なんですけれど、当時ですね、C Dレンタルってなんだか微妙だったんですね。
さらに微妙だったのがブックレットをどうするかという点で、私は貸りたときにですね、ブックレットが付いてなかったか、歌詞ページが中に入ってなかったか、なんです。
 
(いまはC Dレンタルは特に微妙ではなかったはずです。利益をアーティストやレーベルに支払うという、ユーザー側も皆が望んでいた着地点に落ち着いたので。)
 
小野リサの声からも想像できますように、彼女のデビューは、とても衝撃的なデビューでした。

しかも「カトピリ」ってデビューアルバム第一曲目という1番重要な楽曲だったんですよ。
CDたくさん貸りてチェックする人は、一曲目で自分に引っ掛からなかったらそこで聴くのをやめますから。
 
この素晴らしすぎて衝撃的だった楽曲の歌われている内容を、詳しいセンテンスは憶えていなくても、大体こんな内容を歌っている、と憶えているはずなんですよね。
それが全くなくて、忘れちゃったのかな、と、さっき検索したら、どこにも和訳がなかったんです。
 
ポルトガル語(ブラジルはポルトガル語が主な言語)の歌詞だから仕方がないかな、とは思うんですけれど。
それで、ポルトガル語の歌詞はすぐ見つかったので、それをGoogle Chromeで翻訳してみました。
 
やっぱり全く内容に憶えがなかったので、多分、私が貸りたCDには、歌詞ページが入ってなかったんだと思います。
 
以下がカトピリのGoogle Chrome版日本語訳です。
当然、詩的な正解の歌詞は、小野リサのアルバム「カトピリ」のブックレットをご覧になってみてくださいね。

 
カトピリ 
 
歌:小野リサ
作詞:ロジャー・ベルベノワ
作曲:アンジェラ・スアレス
 
給料みたいにこうやって働くのはうんざりだ
生活の糧を稼ぐためだけに働くのはもう飽きた
上司を太らせるのはもう飽きた
 
一週間休みが必要です
一週間海辺で太陽を浴びるビーチ、
午後ずっとボードに乗って終了
ダンスに最適なパゴダ
アングラ・ドス・レイスで朝日が昇るのが見たい
カボ・フリオが私に会いに来ます、私はすでにそこの顧客です
サルバドールのアルマカオビーチに設置する予定です
灯台、夕日、その後
たっぷりのエビのオーブン焼き カトピリ添え
アイスクリーム、トゥピピンガシェイク
デートだけの月明かりの中の散歩
全部いいものばかり(※)
 
夜明け前に起きるのは疲れた
プラサ・ダ・セに向かって急ぐのはもう飽きた
理由も分からず頑張るのに疲れた
 
リフレッシュするための1週間の休暇
何も悩むことのない一週間
たくさん汗をかいたので、もう当然のことです
忘れるのに良い時間
 
イタクルカ島にスループ船があるかどうか見てみたい
イタマラカにシランダがあるか見てみたい
誰かが私を天井まで連れて行って踊ってほしい
ゴンザガオのバイアオ、
その後もう一つのエビのオーブン焼き、カチュピー添え
突然、別のトゥピのドリップビートが鳴り響きました
話してキスするための手錠
全部いいものばかり(※)
 
(※)のみエナメル意訳
残り全てGoogle Chromeの機械翻訳
 
ポルトガル語 元歌詞
J-Lyric.net 様より
https://j-lyric.net/artist/a001d1c/l021884.html
 
 
Google Chromeの機械翻訳で訳してもらうと、こんな感じの内容でした。
意味があまりにも通じない最後の部分だけ、私が勝手な意訳をしています。
 
そっかあ、カトピリってこんな歌詞だったんですねー。←今頃かーい!
 
 
それでは、また明日の夜10時に、お会いしましょう。
 
 
 
2024010810:56 誤字をなおしました。