休刊 キム・ソクジン



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休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2024/01/09

ずっと長い間、思っていたこと。この3年間、思っていたこと。


 
長い間、私はずっと自分の中にある言葉が取り出せずにいました。
口から出すこともうまくできず、日常会話も、いま考えると上滑りの会話しかできていなかったのかもしれません。
 
それでも、当時、私がいた居住区は、たくさんの色々な人達が静かに、豊かに暮らしているところで、特に説明や上手な会話を求められることは、おかしな相手をのぞいて、ありませんでした。
 
幸運なことに、いま住んでいるところも、やり方は違うけれど、根底に流れている価値観のようなものは、そう変わらないようで、私は相変わらず緊張はするんですが、ひっそり静かに暮らせています。
 
口から言葉を取り出すことは、いまでも自分が憶えているほど戻ってはいません。
だいぶ、滑らかになってきましたが、感情的になると声がうわずってどもってしまったり、そんな時でも、うまくその時言うべきことをピタッと着地させることができず、何度も言いなおしたりして、それは家の中だけであるからそれで済んでいるけれど、パートナー以外の相手では、まず通用しないでしょう。
 
なので、私は、ずっと自分の思っていたことや、思っていることを言語化できずにいました。
文字に書くのなら、と思われるかもしれませんが、私個人は、口で言うことと、文字にすることの難しさは、そう大差ありません。
 
昨日、この3年の間に書いていた自分の文章が、自ブログの検索で偶然ヒットしたので、目を通しましたが、ひどい状態でした。
昔は上手かった、なんて言うつもりは全くありません。
事実として、ひどい状態だった。
だから、2024年の1月の朝、これを書いている私は、こんな状態でよく書いていたな、と3年前の自分の無謀さにとても驚いています。
 
タイトルとは矛盾するようですが、ずっと長い間、思っていたことを公表する気は全くありません。
気まぐれな私ですが、この先も、そんなことを書きたくないし、そんなものを書いても、読んでくださる方が面白くもなんともないからです。
 
相変わらず色々よくわかっていませんが、物語を作り始めているので、特に気になっていません。
 
なぜそうまでして書くのか、と言われれば、単に趣味(本当は趣味というものとはズレていると思うけど)だからです。
やっていて楽しいからやっていますし、長いお休みがあったけれど、続けようと思っています。
 
そんなアマチュアのへたっぴな書き手(という呼び方で合っているのでしょうか。)として、不安に思われている方々がどうもおられるようですので、もう準備している段階に入ったので、明記しておこうと思い、今朝パソコンの前に座りました。
 
私は、物語を、読んでくださる方が楽しんでくださるのを目的として書いています。
私見ながら、そうするためには、私情を一切はさまず、物語世界を構築することだ、という価値観を昔から持っています。
そして、それは現在も変わりません。
 
色々な書き手さんやプロの方がおられると思います。
抗議のメッセージや問題提起のメッセージ、愛や平和のメッセージ、大切にするべきもののメッセージを、自分の書く世界で表現する方々もおられるでしょうし、お休み期間中に知ったのですが、自分にとってネガティブな相手を物語に登場させてやっつけるやり方をする方もおられるようです。
 
ただ、私は、もともと、メッセージ性が強いものを書くことに疑問を持っておりましたし、いまでも実はそうです。
 
そして、私情を交えて、物語世界に、ある種類のリアルさを加味することも、これは私が下手くそだからなのですが、おそらく、やると怨念じみたものになり、紙面というか画面から、物語世界を壊しかねない怨嗟を立ち昇らせてしまうのではないか、と考えています。
 
お好きな方には申し訳ないですが、私は、そんなものが込められている物語を読むのは、嫌いです。
暗い、嫌な気持ちになるからです。
喜劇であろうが悲劇であろうが、一個人の呪詛のようなものに、物語越しに強制的とも言えるやり方で関わらせられるのは、まっぴらだからです。
 
なので、私には色々と変な体験や嫌な体験がたくさんあるんですけれど、そういった、私にとっては私情でしかないものを、物語に書いてきませんでしたし、今後もそういうスタイルにいくことはありません。
当然、私怨を持つ相手を物語に登場させて、どうこうすることも、面倒くさいのでしません。
 
いちいち書くのもな、と思っていたんですが、どうも、これだろうな、ということをよく思い出せないのですけれど、説明すると。
 
その時、私は、インフルエンスをしようとしたんです。
どうもネットでの私のことを知っている人がいたんです。
その上、社交辞令で綺麗とまで言ってもらったんです。
(違いますよー?)
なので、その時点で、それはもう昔のことだったんですが、まだ私のことを憶えている人がいるのか、エゴサーチせずにやれる方法として、それを思いついたんです。
 
何をやろうとしていたのかわからなかった人達にとっては、きっと面白かったと思いますし、おかしくて仕方なかったと思います。
 
あまりお名前を書くとご迷惑がかかってしまうので、書かないようにしていたんですけれど。
その頃、まだ私の部屋にテレビがあって、真心ブラザーズのYO-KINGさんがステージに出てきた時に、「俺は自惚れてるよ。ステージに出た時から、終わるまで、自惚れる。そうじゃないと良いステージアクトができないから。」
とおっしゃていて、偶然なのに、まるで誤解されて嘲笑われている私をかばってくださったように思えて、すごく嬉しかったことがありました。
 
そのことがある前から、真心ブラザーズはパートナーが好きで、私も聴いていました。
でも、いまその楽曲を書こうと思ったら、ホフディランの楽曲で、違うじゃーーーん!と脱力しています(笑)
な、なんか、ごめんなさい・・・。
 
ホフディランの名曲「極楽はどこだ」という曲が、私のテーマソングでした。
公表したことはないはずですが。
 
この曲を聴いた時、ああ、これは私のテーマソングだな。
これこそが私のテーマソングだ。と思って、
ただ、そうやってずっと暮らしてきました。
 
 

 

 

 

 
 
 
 
この曲です。
いい曲でしょう?
 
まあ、私は地獄に行くんですけれど。
この探究の姿勢。
人生とかこの世とかへの絶対の探究を謳う歌詞が、
とても好きです。
 
「哀しみがなんだ。
 いつか、全て忘れている」
 
「いつまで経っても終わらない夢のようだな
 いつか君を僕がそっと起こしに行くのだ」
 
「極楽はどこだ?
 幸せはなんだ?
 思い出は、いつだ?
 約束はあるか? 
 
 極楽はどこだ?
 哀しみがなんだ
 抜け道はあるか?
 
 寄り道をするな」
(ホフディラン 極楽はどこだ より)
 
という歌詞がとても好きです。
 
ようやっと、私が知っている本来の自分の状態に近づけてきたので、そろそろこの楽曲を聴いてもいいだろう、と思いました。
 
涙は止まりました。
 
なので、この、私のテーマソングを聴きながら、物語を書いてる間中は、
あのとき、YO-KINGさんが、
かっこよく、艶っぽく、渋く、男前に教えてくださったことを胸に、
 
自分は天才なのだ。と(笑)、
ファンフィクションを書かせたら、
左に出るものは一人もいないのだ!(パクリ)
 
と、地獄のように自惚れて、
物語を書いていこうと思います。
 
昨夜、私はアイフォンの日記専門ツール、ジャーナルに思ったことを書いたんですが、ひと晩経って、公開してもいいだろうと判断したので、この文章の結びにそれを書きます。
 
「昔から君が好きだったとか、昔からあなたが好きだったとか、2024年の1月以降ほざく奴は、全員、問答無用でぶっ飛ばそうと思う。
 
おことわり!」

 
 
ちょっと長くかかったけど、私は、相変わらずです。
すいません、こんなんで。
 
良い1日を!>> ALL
 
 
追記
鳩が映り込んでいる先生が書けって言いましたぁ。(大嘘)
 
 
20240109 12:06 付け足したり、誤字をなおしたり、文章を整えたりしました。
 
20240114 09:21 言葉づかいが悪かった箇所をなおしました。パクリですけど。 

20240114 09:41 誤字をなおしました。