休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2024/08/09

* -アスタリスク- 6 普通を続けましょう。

今回の夜のイベントのタイトルは、オレンジレンジの「* -アスタリスク-」から拝借しています。
 
この楽曲は、久保帯人著 大人気コミック「BLEACH」のアニメ、ファーストシーズンのオープニングを飾った楽曲です。
 
当時、まだ部屋にテレビがあり、私は偶然、このアニメーションが始まったのをぼんやり見つめていました。
 
今から考えると、その頃の私はまだまだ青年だったのですが、このオープニングを見たとき、「いいな」と率直に思いました。
「若い方っていいな」の「いいな」と思ったんです。
 
現在では社会問題になっている街の落書き。
スプレーで書くアレですね。
あの賛否両論が巻き起こるまえに、「BLEACH」の主要登場人物達が、街の彼らの場所らしき路地裏のスペースで、スプレーで落書きをしながら、自分達こそが新しい世代である、と宣言したアニメーションになっています。
 
この「*」はみなさんご存じのように、なんだかわからないものを差す記号です。
アスタリスク。
私もこの記号を知ったときに、ガチガチに固まっているのだとばかり思っていた演算のプログラミングの世界に、こんなに巨大な余白があるのだ、と嬉しくなったのをよく覚えています。
 
その後、原作、アニメ共にBLEACH」は伝説になっていくわけですが、私はこういう、よくわからないけれど、必ずその人達は小さかろうが大きかろうが光を灯すことを使命としているのだ、と信じてしまうところがあります。
それはちょっと若さに対してロマンティック過ぎることですし、年下の方達に煮え湯を散々飲まされた経験もあるんですけれど、この歳になってもなお、そういった気持ちを私は持っています。
 
そしてもうひとつ、なんだかよくわからないもの。
「未然」とされるもの。
そういったものに希望としか言いようのない信念が存在しているように、ずっと思い続けています。
 
そこには若さも年配も関係なく、経験値もとくに無関係で、なにかそういう絶対的な強い精神性を、未だ始まっていないものに私は見ているのだと思います。 

地震が起こるたび、偶然居合わせ私は、私達には経験があります。とよく書いています。
 
それは事実です。
 
2011年の3月11日に、揺れなかった私の当時の居住地で、いち早く我に返ったのは、主婦と呼ばれる人々でした。
その日、多くの窓から夕飯の匂いを立ちのぼらせ、未曾有の事態を迎えた世界の中で日常を続けると腹をくくった人達の、厄災に対する反乱の狼煙であったと記憶しています。
 
そして翌日か翌々日か、1階のエレベーターフロアに、有志の方が本気で生けた大きな花が飾られ、「元気を出しましょう。黄色は元気が出る色です」と墨文字でMessageを綴った紙が、せっかく生けた壯美を壊すのもいとわず貼られていたのを思い出します。

そういう人達は、日常にいます。
ある日、突然起きた出来事に、自分の中の善と呼ばれるもの、是と呼ばれるものを間髪入れずに精査し、その場、その状況に合わせて、姿を変え、迷うことなく施行してみせるんですよね。
 
この毅然とした態度。断固とした知性に、私は、ずっとこだわり続けていること「大勢の中の1人1人」を見ます。
 
これから先、どのくらいかはわかりませんが、おそらくもっと未曾有の事態に向かって、今度はこちらから迎え撃ってやるという態度で、私達は、どうやらいるようですね。
 
昔、私は、一編の詩を引用させていただき、ワンセンテンスごとに投稿し、朝を連れてきてもらいました。
年月が過ぎ、またもや、偶然居合わせてしまった私は、名作に光を連れてきてもらおうとせずとも、朝は私達の元に、当たり前に普通にやってくることをもう知っています。 

きっとみなさん、お一人お一人が、朝を連れ来ているのでしょうし、朝に気がついているのでしょう。
 
だから今の私は、別に装飾的な言葉を書かずとも良いわけです。
これは歳を取って良かったな、と思えることのひとつです。
 
昨夜、自室のカーテンを開け、部屋の灯りを煌々とつけて夜道を照らした方々は、憶えが無くとも、みなさんです。

朝ですね。
カーテンを開けて、今度は光を取り込みながら、今日が始まる合図を町中に発信してください。

未曾有の日々だそうですね。
たとえそうであっても、決して受け渡さない闘いを私達は普段からしています。
 
普通を続けましょう。
 
朝起きて夜眠り、食事を摂り、備えつつ、好きな人のことを考え、または会って、いつか出逢う人のことを考え、優しい気持ちになれる全部のことを考えながら、仕事をし、または探し、勉強をし、休み、今日を続けましょう。
 
「私達は、決して負けない。」
 
それでは、よい1日を。

20240809 エナメル
愛を込めて。



 
 
 


20240810 2:09 誤字をなおしました。


* -アスタリスク- 5  温かいものを食べる。

で、少なめだったんですけど、揺れた昨日の夜、街をほっつき歩いているときに、ふと担々麺食べようかな、と思ってお店に入りました。
夜けっこう深めだったんですが、他に親子連れの先客がいて、お店のテレビはパリオリンピックのゴルフやってて、なんだか良かったです。
 
それで思い出したんですが、先輩と大先輩が同じことをおっしゃっていたんですね。
 
「自分は、こういう時は、日常(秩序)がある店に入る。そして、騒がしい人がいない店内で好きなものを食べる。すると本当に落ち着く。」

 

昨晩、私はすごくお腹が空いていて、めずらしく担々麺の大盛りを頼んで、一気に食べてしまいました。
それで本当に落ち着いたんです。
 
正確には、とても緊張していたのがほどけたのがよく分かりました。
 
これからしばらくは、皆さん日常の中に張り詰めた精神状態を加えていくと思います。
その時には、ぜひこの先輩方の具体的な知恵を思い出して下さいね。
 
一番いいのは、きちんと営業しているお店で好きなものをカジュアルな値段で食べて、ひっそりとすることだと思います。
 
これからは、こうやって自分で切れないスイッチを食事や温度の力を貸りて切る。
という動作が必要になってくるのではないでしょうか。
 
それが可能な環境ならシャワーや湯船につかる、だったり、気の置けない人との他愛ないおしゃべりだったり、少しだけ甘い物で自分を甘やかすことだったりすると思います。

ただ、強力に自分のスイッチをバツンと落とすのは、こういう当たり前のくつろぎの時間を提供するお店に身体ごと入って、そこで食事を摂って支払って店を出る。までが、
穏やかな秩序の中に自分を置くことだ。
と知っておくと、かなり助かると思います。
 
何か食べさせる。
何か食べる。
ということがとても重要なのがわかります。
食べるという行為を習慣や動作にまで広げ、自分の知っている静かな暮らしをインプットしているのが、きっと日々の最小のカタチなのでしょうね。 
 
環境を変える、一番、簡単なやり方です。

とても動揺したり、怖かったり、不安になったり、悲しかったら、無理のない範囲で、何か食べてみて下さい。
それだけで環境が変わり、感情のスイッチがバツン、と切れるかもしれません。
 
この内容をブログに書くことをご快諾くださった先輩方、とても有益な知恵をお教え下さり、本当にありがとうございました。 

さて、あっという間でしたが、次の5時半までで久しぶりの夜のイベントはおしまいです。
 
まだ起きてる方はおられますか?
 
もしいらっしゃるなら、テレビでオリンピックまだやってますか?
やってなかったらラジオを小さくつけると、きっと穏やかな音楽を流していると思いますので、そちらを聴いてリフレッシュしてみてくださいね。
 
それでは5時半にお会いしましょう。
今夜はおつき合いくださり、ありがとうございました。
 
 
 
 
 
 
 

* -アスタリスク- 4 エナメル、のびのび写経を禅寺で1人でやる!その2

のびのび写経をやっていたらしい、ということで物議と議論が勃発しそうなので、書きますけれど。
 
写経場でですね、私は1人だったんです。
たった1人きりで、有意義な真夏の午前中を過ごしていたんですね。
で、社務所の方が、「熱中症にならないようにお気をつけて写経をしてくださいね」って言って下さったんです。
 
しかも、本当は朝8時から受け付けなので、それに間に合うように涼しい時間に行く予定だったんですが、寝坊してしまって、着いたのが10時過ぎだったんです。カンカン照りです。もうすでに30度は軽く超えてる感じです。エナメルです。
 
だからですね、写経をしながらヤバいかもと思っていたら(煩悩)、だんだん暑くなってきたんです。
涼しいんですけど、木造建築の中でも限界があってですね、エルニーニョですし、暑くなってきたんですよ。
 
それでですね、1人だったので、エアコンのリモコンをお借りして、自分のほうに風をむけて涼しい時間を過ごしていたんです。(煩悩!)
 
いや熱中になって倒れたらダメですからね。
ダメでしょう、それは!
 
だからエアコンを自分のほうに向けたんですよ。若干設定温度低くしたかもしれません。帰るとき元に戻しておいたから、色々あったけど結局ゼロになっちゃうっていうアレです。ゼロってインドの発明なんですってね。エナメルです。
 
1人だったからやっただけで、他に一期一会の写経メイトがいたらやりませんよ、もちろんですよ。
でも1人だったんですよ!
1人きりだったんですってば!!
 
あとですね、椅子席に座ってやったんですけど、途中足をのばして指先をピコピコ動かしてストレッチをしてたんです。
1人だったし、足がむくんで立ち上がれなくなったらどうしようって思って。(煩悩!アンタはもう煩悩だらけ!) 

それを先輩に話したらですね、のびのび写経って言葉が発生したという経緯を踏んだワケですね。
 
しかもですね、禅寺だったので、枯山水のお庭があるんです。
はじめて近づいて見たんですけど。
(アンタはなんで、そんなやっていいんだか悪いんだかわかんない、人がなんとなく遠慮してることをどんどんやるの? バカなの? なんか色々なトコ、一体どーなってんの?)←いや、綺麗だな・・・、て思って。
 
すごくお庭の中に光がフラットに存在していて、私は枯山水が好きになりました。

廊下も全部木造で、トイレは洋式ですごく綺麗で、確か仏教ってお掃除が修行なんですよね。
びっくりするほど清潔にしてあって、すごく驚いたんです。
気遣い、という心が修行に含まれているのかな、と思ったんですね。 

ただ掃除っていっても、それひとつだけではなく、そこに含まれるありとあらゆることを修行とされているのかもしれません。

清潔にするって、自分と他者の関係性を主張せずに構築することですよね。
相手の為にきれいにして、気持ちよく使用してもらう為の心が、なんというか清潔という言葉ってものすごく広い言葉で、たったひとつの動作だとばかり思っていた自分をとても反省しました。
 
それで、実は今回のラベルにはHSPを入れているんですけれど。
 
私はお経を写しながら、ああこうすればいいんだ、と考えついたことに。
 
例えば、ものすごい災害が起こってその犠牲になった方々の報道に触れると、すごく胸が痛くなったり、苦しくなったり、なかなか切り替えられなかったりする時って、生きていればあるんですよね。
HSPの人達はその瞬間を人より多く持ちますよね。

そういう時は、もし外に出かけられるのなら、お寺さんに伺って写経をしたらいいのではないか、と思ったんです。
お経を写すっていう動作や精神の所作って、供養なんですって。
 
お経を読んだりはできなくても、お経を写すことはできますよね。
そうやって、遠くからで申し訳ないけれど、悼む気持ちや世の中のどうにもならない部分の話を、お経を写しながら、自分の心に聞いてもらうことで、同時にご供養に繋がるのではないか、と思いました。
 
募金ってなかなか続けられないときがあるでしょう?
そういう自分を責めてしまう人達って、どこかでずっと自分のことを殴り続けるんですよね。小さくだけど、それはもう哀しいほど自分にむかって誠実に自分を叱り続ける。

その気持ちを、写経という行動という、そのときの最善に向かう姿勢に変えてみると、少しだけ気持ちが楽になるのではないでしょうか。
 
私は今回観音経を写したんですけれど。
その中に何度も観音力という言葉が出てきました。
観音様って、人を助けるために33通りに姿を変えられて助けるんですって。
そしてね、その中に私が理解できたひとつの言葉、雨も観音様が姿を変えられたものなんだそうです。
甘露とも表現されていました。 

だから、もし雨の夜が少し不安なら、ああ、この雨は観音様が姿を変えられて、誰かを、ひょっとしたら自分を助けに来たのかもしれない、と思われると、眠れそうですよね。

観音力とは、相手や状況に応じて最も相応しい姿に変化する力
 
PHP 書籍紹介ページより
 
いま検索すると観音力についても、いろいろな考え方があり、示し方があるようです。
ただ、私は、この本の紹介文にあった、 「相手や状況に応じて最も相応しい姿に変化する力。」が一番ピンときます。
 
そして、すぐに思ったのは、その変化する力を得た先に、何があるのか。
 
私には、
相手を救うためだけの、唯一のように思えてなりません。
 
それでは、4時半にまたお会いしましょう。
 
参考リンク
聖福寺

〒812-0037
福岡市博多区御供所町6-1
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 

* -アスタリスク- 3 エナメル、のびのび写経を禅寺で1人でやる!その1

写経の練習を急ぎせねばならなくてですね。(・・・また何をアンタは言い出すんだよ)
実は、8月8日に禅寺に伺い、写経の練習をしてきたんです。
 
いや、大丈夫です。大丈夫ですよ。
何かをものすごく心配して一瞬、あなたは口をあんぐり明けましたね?
ええ、わかってます。
 
実は、ちょいと不思議なことの延長線上にこの写経練習を決めたんですが。
 
禅寺には女性が入っていいんです!
繰り返します。
禅寺には女性が入っていいんです! 
いいんですよ?
禅寺には女性が入って、オッケーなんです。
 
ホントです!
信じられないでしょうけど、なんと禅宗は、女人禁制ではまったくないんです!
 
どよめいていますね?
どよめきまくってますね?
私は、確かにそう伺っています。
 
そういうわけで、お前、写経のあれこれがまったくわかってねぇから、ちょっと写経練習して来いよ、ということになったんです。
(あなたは今一体、なにやってんですか?)
色々です!(うるせぇよ) 

それでもし間違いがあったら大変だということで(結局チキン)、Wikipediaで調べたら、本当にそーだったんですよ!
その上、あれこれググったらですね、なんと日本初の僧侶って、女性だったんですって!!!
 
だからオッケーということで、暑いのでタクシー飛ばして、水のペットボトル持って、蚊除けのベープ腕に巻いて行ってきました。
聖福寺さんという禅宗のお寺さんです。

出迎えて下さったのは、いや普通に行ったんですけど、作務衣姿の女性だったんです。
 
オッケーなんです。禅寺に女性がいても!(しつこいですよ?)
 
で、ホームページにあったように、事前に写すお経を選んで料金を支払って、写経場でエアコンの涼しい風にあたりながら、さわやかに写経をしてきました。
 
この流れを説明するとですね。
要は、お寺さんに身ひとつで行って、写経をさせていただき、写経した経文をそちらに納めさせていただくんです。
なので、こちらが料金を支払うんですよ。
お経も般若心経から白隠禅師坐禅和讃(気にしないで下さい、私もオフィシャルサイトからのコピペです。)と観音経(世尊偈)が選べます。
 
私は観音経にさせていだきました。
で、お手本が書かれている紙をいただき、椅子席と正座席があるお部屋に通され、エアコンをつけていただき、静謐な中、写経をさせていただきました。
 
私は悪筆でおなじみなんですけど、やり方が書いてある文を拝見してやってみると、わからなかった所が一発で解決して、ゴキゲンにやっておりました。
 
なんていったって、1人だけの貸し切り状態でしたので(平日の午前中ってそうらしいですよ)、とてもリラックスして、和室の中でやっておりました。
 
あとで私の体験をお話ししたところ
「俺、そんな「のびのび写経する女」始めて見たよ・・・」と先輩に言われてしまいました。
(のびのび・・・とは?)
 
ちゃんと断ったんですけどね。
途中でお水飲んでいいですか?とかそういうの。(いいらしいですよ)
 
で、心を無にして写すというのが、まず無理だろうなと思いながらやっていたんですけれど。(雑念だらけでおなじみのエナメルです。)
 
あの、ちゃんと文字をしっかり写していくと、自然と心の中に何もなくなるんですよね。
 
そして、筆のすべる微かな音と和紙から伝わってくる筆先の感触、墨の香り、夏の日射し、エアコンの音、古い木材の巨大な建築物の中の一室で、ただ静かな中、観音経を写しておりました。
私はただお経を写させていただきながら、単に手を動かして集中しながら、自分というものが、たった1人或る、という体験をしたのだと思います。
 
小一時間ほどで観音経は、写し終わりました。
 
なにか、私はその間に、どこかに行って戻ってきたような、それでいて現実にもしっかり居たような、そういう体感のある、良い時間を過ごしました。
 
もし興味がある方は、ぜひお住まいの地域で写経をさせてくださるお寺さんをネット検索してみてくださいね。

その2に続きます!!(ムダに元気!)


 
 

非常用持ち出し袋の中身一覧

 

ヤフーニュースより

 
私の住む街は、南海トラフの対象地域ではありませんが、M8級の地震がくれば、ここも6は揺れると想定しています。(あくまで私の住む街での話ですし、私個人の予測のハナシです。)
 
仮にその予測が外れても、予行練習になったと思えるので、しばらく枕元に非常用持ち出し袋と靴を置き、これから3日間は服を着たまま寝ようと思っています。
 
というわけで2時更新の予定でしたが、2:30に変更です。
ごめんなさい。
エナメル