今回の夜のイベントのタイトルは、オレンジレンジの「* -アスタリスク-」から拝借しています。
この楽曲は、久保帯人著 大人気コミック「BLEACH」のアニメ、ファーストシーズンのオープニングを飾った楽曲です。
当時、まだ部屋にテレビがあり、私は偶然、このアニメーションが始まったのをぼんやり見つめていました。
今から考えると、その頃の私はまだまだ青年だったのですが、このオープニングを見たとき、「いいな」と率直に思いました。
「若い方っていいな」の「いいな」と思ったんです。
現在では社会問題になっている街の落書き。
スプレーで書くアレですね。
あの賛否両論が巻き起こるまえに、「BLEACH」の主要登場人物達が、街の彼らの場所らしき路地裏のスペースで、スプレーで落書きをしながら、自分達こそが新しい世代である、と宣言したアニメーションになっています。
この「*」はみなさんご存じのように、なんだかわからないものを差す記号です。
アスタリスク。
私もこの記号を知ったときに、ガチガチに固まっているのだとばかり思っていた演算のプログラミングの世界に、こんなに巨大な余白があるのだ、と嬉しくなったのをよく覚えています。
その後、原作、アニメ共に「BLEACH」は伝説になっていくわけですが、私はこういう、よくわからないけれど、必ずその人達は小さかろうが大きかろうが光を灯すことを使命としているのだ、と信じてしまうところがあります。
それはちょっと若さに対してロマンティック過ぎることですし、年下の方達に煮え湯を散々飲まされた経験もあるんですけれど、この歳になってもなお、そういった気持ちを私は持っています。
そしてもうひとつ、なんだかよくわからないもの。
「未然」とされるもの。
そういったものに希望としか言いようのない信念が存在しているように、ずっと思い続けています。
そこには若さも年配も関係なく、経験値もとくに無関係で、なにかそういう絶対的な強い精神性を、未だ始まっていないものに私は見ているのだと思います。
地震が起こるたび、偶然居合わせ私は、私達には経験があります。とよく書いています。
それは事実です。
2011年の3月11日に、揺れなかった私の当時の居住地で、いち早く我に返ったのは、主婦と呼ばれる人々でした。
その日、多くの窓から夕飯の匂いを立ちのぼらせ、未曾有の事態を迎えた世界の中で日常を続けると腹をくくった人達の、厄災に対する反乱の狼煙であったと記憶しています。
そして翌日か翌々日か、1階のエレベーターフロアに、有志の方が本気で生けた大きな花が飾られ、「元気を出しましょう。黄色は元気が出る色です」と墨文字でMessageを綴った紙が、せっかく生けた壯美を壊すのもいとわず貼られていたのを思い出します。
そういう人達は、日常にいます。
ある日、突然起きた出来事に、自分の中の善と呼ばれるもの、是と呼ばれるものを間髪入れずに精査し、その場、その状況に合わせて、姿を変え、迷うことなく施行してみせるんですよね。
この毅然とした態度。断固とした知性に、私は、ずっとこだわり続けていること「大勢の中の1人1人」を見ます。
これから先、どのくらいかはわかりませんが、おそらくもっと未曾有の事態に向かって、今度はこちらから迎え撃ってやるという態度で、私達は、どうやらいるようですね。
昔、私は、一編の詩を引用させていただき、ワンセンテンスごとに投稿し、朝を連れてきてもらいました。
年月が過ぎ、またもや、偶然居合わせてしまった私は、名作に光を連れてきてもらおうとせずとも、朝は私達の元に、当たり前に普通にやってくることをもう知っています。
きっとみなさん、お一人お一人が、朝を連れ来ているのでしょうし、朝に気がついているのでしょう。
だから今の私は、別に装飾的な言葉を書かずとも良いわけです。
これは歳を取って良かったな、と思えることのひとつです。
昨夜、自室のカーテンを開け、部屋の灯りを煌々とつけて夜道を照らした方々は、憶えが無くとも、みなさんです。
朝ですね。
カーテンを開けて、今度は光を取り込みながら、今日が始まる合図を町中に発信してください。
未曾有の日々だそうですね。
たとえそうであっても、決して受け渡さない闘いを私達は普段からしています。
普通を続けましょう。
朝起きて夜眠り、食事を摂り、備えつつ、好きな人のことを考え、または会って、いつか出逢う人のことを考え、優しい気持ちになれる全部のことを考えながら、仕事をし、または探し、勉強をし、休み、今日を続けましょう。
「私達は、決して負けない。」
それでは、よい1日を。
20240809 エナメル
愛を込めて。
20240810 2:09 誤字をなおしました。